<金曜は本の紹介>
「僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ(天野春果)」の購入はコチラ
この「僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ」という本は、サッカーJリーグの川崎フロンターレについて書かれたものです。川崎フロンターレのサッカー事業部・プロモーション部 部長兼広報グループ長で著者の天野春果さんの視点で書かれています。
特にホームタウン川崎市との関わりやその理念・企画・イベント等について前向きに楽しく書かれていて、私も川崎フロンターレの応援に行きたくなりましたし、他のプロスポーツ運営や地域貢献活動、スポーツ以外のビジネスにも応用できる考え方がたくさん書かれています。
特に、地域とのつながりを大切にしながら、川崎フロンターレを盛り上げていく努力は素晴らしいと思います。
イングランド・プレミアリーグの強豪・アーセナルFCのスペイン後の教科書を参考に、川崎フロンターレの算数ドリルまで作ってしまうとはスゴイと思いましたね。
とてもオススメな本です!
以下はこの本のポイント等です。
・ヒントを得たのは2008年。Jリーグの主催する欧州視察に参加してイングランド・プレミアリーグの強豪・アーセナルFCを訪ねたときだった。アーセナルFCは、今からシーズンチケットを買おうと思っても68年待ちという世界的な人気を誇るクラブだ。当時、まだ12年の歴史しか刻んでいなかった川崎フロンターレとはクラブの知名度、影響力共に天と地ほどの差がある。ただ、ホームタウンに対するクラブの活動はこれからのフロンターレに何か役立つものがあるはずだと思った。(これは?)アーセナルFCの中心選手であるセスク・ファブレガス選手が教科書に載っている。「スペイン語の教科書です。アーセナルの選手達はこうした教材の制作にも協力しています。ホームタウン周辺の学校ではこの教科書を使って授業が行われているんですよ」その話を聞いた僕は頭の中でセスク・ファブレガス選手をフロンターレの人気選手・中村憲剛に変換していた。(面白いかもしれない)この頃、僕はサッカーが持つスポーツの枠を超えた影響力を活用したいと考えていた。海外ではサッカーが原因で戦争が起きたり、政治に使われたり、ワールドワイドでみんなに愛されるスポーツだからこそ大きな影響を与えている。そんなサッカーの持つエネルギーをいい方向で活かせる具体的なものを探していた矢先だった。クラブとファンの接点は、リーグ戦17試合、カップ戦予選3試合のホームゲーム。年間の試合数でも、どんなに多くとも50試合には満たない。教材に載ることができれば、学校という日常生活の中でクラブとの接点が1週間に2回、3回と広がっていく。選手だけではなく、マスコット、サッカーのルール、用具、ホームスタジアムの等々力陸上競技場などフロンターレそのものを載せることでクラブがもっと浸透するだけでなく子ども達の勉強の手助けもできる面白い教材がつくれるかもしれない。何より僕自身がそんな教材があったらいいなと思った。
・果たして2009年4月、新学期を迎えた上丸子小学校の6年生全員に第1号となるフロンターレの算数ドリルが配られた。2008年の欧州視察でアイデアのカケラを拾ってから1年以上が経っていた。「ケンゴ(中村憲剛)」がいるよ」「イガ(井川祐輔)の顔が面白い!」教室が盛り上がる。算数ドリルにフロンターレの選手が載っているだけで子ども達の目の色が変わる。サッカーを題材にした問題を楽しそうに解いていく。ここまでの僕らの姿はフジテレビで特集として放送された。ドリル企画が橋本校長との出会いで前に進んだ段階からクラブ広報が「話題になるはずだ」とフジテレビに依頼して密着取材を取りつけてくれていたからだ。放送の翌日には他のクラブはもちろん、様々なメディアからも連絡が殺到して思った以上の反響を呼ぶことになった。僕はと言えば、それで満足などと微塵も思っていなかった。反響があって多くの人に注目してもらったのはいいことだ。ただ、僕の考えるゴールから見ると最初に一歩にすぎなかった。これから2年目、3年目と継続していかないと本当のゴールには近づけない。僕はすぐに次の仕掛けの準備に入った。実践学習である。ドリルに載っている問題を選手と体験しながら子ども達が教室を飛び出してグラウンドで解いていく授業だ。これはアーセナルFCもやっていないフロンターレオリジナルである。
・僕はこの算数ドリルの企画を通して、いや、これから語るすべての企画もそうだが、「何事も一筋縄ではいかない」ということを実感した。それは「できない」「不可能」という意味ではない。何事もゴールに向かうためには、テトリスのように形を変えたり、視点を変えたり、人の話に耳を傾けたり、様々なところに隠れているヒントを一つひとつ活かすことで突破できる。最悪の判断は、諦めるということかもしれない。算数ドリルに関しては、まだ最終地点に到達したとは思っていない。まず、このドリルを継続させること。そのためにクラブとしては一昨年よりも昨年、昨年よりも今年と、ドリルをよりいいものに仕上げていかなければいけない。ドリルを使う子ども達や親から「このドリルは必要だよね」という声を吸い上げることも大事だと思っている。そうなれば、配布をストップする可能性はどんどん小さくなっていくはずだ。さらに、フロンターレの実績を他のクラブが活かしてくれることも望んでいる。何よりも前例ができたのは大きいと思う。Jリーグクラブ、いやプロ野球だっていい。自分の街の行政に相談しやすくなったはずである。算数ドリルではなくても、クラブに合った形でホームタウンの教育に貢献できる何かが生み出せるだろう。それは必ず地域密着のきっかけになり、クラブとホームタウンの距離感を縮めてくれる。僕はフロンターレが成功してよかったで終わりにしたくはない。僕らの行動や考え方、事例を活かして、他のクラブ(あるいは他のビジネス)でも新たな成功事例が出てくればうれしい。すると今度は他のクラブの成功事例に僕らもまた刺激を受け、それらを応用し、発展、成長していきたい。スポーツ界の共存共栄。スポーツ界が互いに協力し、手を取り合い、ノウハウを共有することで、この国をスポーツの力で、もっと幸せな国に変えることができると信じている。
・僕は1990年から1996年までアメリカに留学した経験がある。留学した理由の一つには1994年の開催が決定していたアメリカW杯があった。英語を身につけて、チケットを自分で買って、現地で観ることが、小さいころからの夢の一つだった。観客として決勝戦を含むロサンゼルスで開催された全7試合を観戦したアメリカW杯の迫力や面白さ、興奮は今でも鮮明に脳裏に焼きついている。当時、アメリカではプロサッカーリーグもなくマイナースポーツだったサッカーを見事にエンターテインメント化してスタジアムが人であふれかえっている光景には、さすがスポーツ先進国だなと感嘆したものだ。その翌年、大学は卒業だったのだが、アメリカでは1996年にアトランタオリンピックが控えていた。W杯のような世界的なスポーツの祭典を今度はスタッフの立場で体験してみたいと思った僕はボランティア登録することにした。サッカーのボランティアスタッフとして前園真聖、川口能活、中田英寿などを擁した日本五輪代表がワールドクラスの選手を揃えたブラジルを破った”マイアミの奇跡”を間近で観ながら、世界大会をマネジメントする楽しさを肌で感じることができた。さらに1997年、フロンターレに入社した後も国際大会の運営に関わる仕事をした。1998年に開催された長野冬季オリンピックではバイアスロン競技における役員業務に有給休暇を利用して参加した。2002年の日韓ワールドカップではJAWOC(日韓ワールドカップ日本組織委員会)にも出向している。しかし、これらは年に一度のお祭や花火大会のようなものだ。その日、その期間にすべての力を出すための準備をしていく非日常の出来事である。クラブ経営はそんな一瞬のことではない。日常生活の中にいつも楽しみをつくっていかなければいけない。非日常ではなく、あくまでも日常の中に存在する非日常ということだ。
・僕は「遠くの三ツ星レストランより近くの定食屋」とよく部下に言う。三ツ星レストランがオープンすれば、誰でも行きたいと思う。お洒落をして遠くに出かけて「美味しかったね」と言いながら帰ってくるだろう。ただ、そういう生活を毎日続けられるか。たいていの人はそうもいかない。毎回、お洒落をして出かけていくのにも疲れてくる。地元クラブはそんな最高級の食材でつくられた料理ばかりを出す三ツ星レストランではなく、いつ行っても美味くて居心地がいいと評判の近所の定食屋を目指している。近所の人達がふらっとやってくる定食屋のようなクラブ。地域に根ざすクラブとはそういうものではないだろうか。
・そういう意味でクラブ経営はスーツを着込んでスマートにデスク上でこなすビジネスではない。泥にまみれながら手間暇をかけてじくり作物を育て上げる有機農業に近いかもしれない。まず、クラブのホームタウンとなる地域を徹底的に知り尽くして、どんな土壌なのかを理解する。僕の話でいえば、川崎市を知らなければクラブづくりは何も始まらないということだ。始めたとしても的を外したものになる。そのうえで土壌に合う作物を考える。川崎市にどんなプロスポーツクラブが必要なのか。また、どんなアプローチをすれば川崎市民に受け入れてもらえるのか。川崎市を知り、クラブの方向性が決まったら土を耕し、種を蒔く。つまり、チームを強化しながら、ホームタウンと協力して街全体を盛り上げる企画も次々に実行して地域密着を図っていく。さらに、地元企業をスポンサーにしたり、プロモーションイベントでも川崎の色を前面に押し出していくことも忘れてはいけない。そうして芽が出てきたら作物に愛情を注ぐように雑草などを取り除く。クラブ経営は一朝一夕で軌道に乗るものではない。始めてみると取り払うべき壁があり、足りない部分が次々と見えてくる。それらを一つひとつクリアしながら、収獲を待つ。少しうまくいったからと放っておいたら雑草だらけの畑になり、作物が枯れて何も収獲できないということにもなる。クラブ経営でもちょっとチームの調子がよかったり、イベントが成功したと満足していたりしたら、チームの状況や街の雰囲気が変わったことに気づかずに結局、悪い方向に進んでいることがある。だからこそ、常にホームタウンに目を配り、つながりを大事にして、中長期の計画も練る必要があるだろう。僕らクラブスタッフが常に汗をかいて長い時間をかけて、ようやく収獲する滋味に富む作物、それが市民に愛されるクラブではないだろうか。
・「ホームタウンに住む人の生活を豊かにする」
「近所の美味い定食屋のように日常の中に非日常を生み出す」
「クラブは農業のように汗をかいて、泥にまみれて育てていく」
「クラブはチーム強化と事業の二輪車で前に進む」
この4つのポイントをスポーツビジネスを始める以前にしっかりと考えて、肝に銘じておかなければならないと僕は考えている。それはクラブ経営を成功に導く第一歩であり、他のビジネスでも土台になり得るポイントではないだろうか。
・無償配布の戦略でフロンターレが行っている工夫がある。”有料販売して無料で配布する”仕組みだ。要は観戦チケットをステークホルダー(利害関係者)に有料で購入してもらい、ステークホルダーの事業促進あるいは販売促進ツールとして無償チケットの形で活用してもらうということである。この手法のメリットは、クラブには一定したチケット収入があること、クラブがクラブの価値を下げかねないタダ券の配布に直接関与しないこと、そしてクラブが来場の対象としているエリア、人に「お試し来場」の機会をつくり出せることにある。
・川崎フロンターレ後援会(ファンクラブ)に入会すると、フロンターレの観戦チケットがついてくる。3000円の個人会員で一般自由席の観戦チケットが2枚。観戦チケットは前売り会員価格でも1800円だから、入会金よりも付いてくるチケット価格の方が高い。仕組みはこうだ。フロンターレ後援会にはこのチケット代を予算化してもらい、定価よりも安い金額ではあるがチケットを購入してもらっている。このチケットは観戦できる試合が限定され、ホームスタジアムの収容人数を超えないと想定できる対戦相手の試合だけで使用できる。そのため、フロンターレ後援会に入れば、試合は限定されるものの最低2回はフロンターレの試合を観戦できるようになっている。またフロンターレのシーズンチケットは後援会入会が必須条件になっているため、1年間分のチケットを持っている人がさらに2枚の観戦チケットを持っていることになる。この状況から発生する現象は何か?そのチケットを無駄にしないために、知人、友人を試合に招待することだ。シーズンチケットを持つくらいの人はフロンターレの知識が豊富で愛情が深い。当日は、この人達が所属選手の特徴からクラブの長所、スタジアムの見どころまで余すことなく招待した人にレクチャーしてくれる。つまり、年間チケットを持つファン、サポーターがフロンターレの新規顧客開拓の営業マンになってくれているということだ。
・それは”スタジアム観戦に付加価値をつける”ことだ。メインディッシュは試合であることは間違いない。ただ、料理と試合が大きく違うのは、メインディッシュが”すごく美味しくなるときもあれば、もう二度と食べたくないと思うこともある”ということだ。優勝するクラブの試合は勝ちが多いわけだから、メインディッシュが”美味しい”ことが多いが、優勝するクラブは世界中どこのリーグでも1クラブだけである。リーグのほとんどのクラブが勝ったり負けたりであり、下位のクラブは”美味しくない”メインディッシュをお客様に提供し続けなければならない。勝負の世界は勝ち負け、そして引き分けしかない。だから面白いのだが、ときに残酷なものだ。僕らが提供しているメインディッシュは、このように品質保証のないものだという認識を持つことが大切になってくる。そのため、不確定なメインディッシュだけに頼らず、初心者でも確実に喜んでもらえるサイドディッシュという名の付加価値を提供できるかがポイントになる。フロンターレではこのサイドディッシュとして、初心者から長年のファンまで楽しんでもらえるイベント、アトラクションを実施し、美味しい食べ物や親しみやすい会場の雰囲気をつくり、そして席つめの強化や託児室の設置など安心・安全の提供にも力を入れている。
・集客において新規顧客の獲得と併せて重要なのが、既存顧客、つまりファンやサポーターを減らさないことだ。毎年、後援会に入会してくれる、またはシーズンチケットを購入してくれるファンはクラブ経営を安定させるありがたいお客様であると同時に、選手やクラブスタッフを精神的に支えて、力を与えてくれるパートナーである。フロンターレでは、新たなシーズンが始まる間の1~2月頃、フロンターレ後援会会員全員に宛てて、昨シーズンの応援感謝と今シーズンの引き続きの応援(後援会の入会、シーズンチケット購入のお願いなど)を記した手紙を社長、GMそして選手が直筆でサインを入れて郵送している。フロンターレ後援会の会員数は年々増え続け、2010シーズンは約2万4000人。ファミリー会員には一枚郵送となるため、直筆サインを記した紙は約1万5000枚にもおよぶ。
・子供の頃、実家のリビングの隅で読み耽っていた漫画がある。横山光輝さんが描いた”三国志”だ。当時は物語の面白さだけを楽しんでいたが、今は仕事に役立つ参考書として我が家に全60巻を揃えている。特に、国をつくっていく過程には役に立つ部分が多い。”街を切り拓く””領土を広げる””ライバルとの境界線をしっかりつくる””策略をしっかり立てなければいけない””積み上げても崩れるのは早い””民に愛されなければいけない”どれもホームタウンを盛り上げるクラブとして忘れてはいけないことばかりだ。結局は人ということもよくわかる。そして、僕は軍師の重要性も三国志から学び取った。サッカーでは試合における軍師といえば、監督だろう。監督の状況に合わせた変幻自在といえる戦略のもとで選手達が最高のパフォーマンスを披露できれば、素晴らしい結果を残せるのはいうまでもない。
・三国志の主人公・劉備玄徳のもとには、関羽、張飛、趙雲という強者がいた。しかし、なかなか領土を広げることができず、泣かず飛ばずだった。そんな劉備が飛躍したのは諸葛亮孔明という名軍師が参謀になってからである。強者達を「戦略」をもって適材適所で活用できたときから劉備の躍進は始まる。僕はそんな諸葛亮孔明に豊かな企画力と発想力を感じる。たとえば、赤壁の戦いで風向きを術によって変えると呉を信じ込ませるシーンがあるが、風向きがその時期に変わる気象知識を戦いに活かすという企画力に驚いた。10万本の矢がほしいと言われて、霧の中に船を出し、相手が射かけてきた矢で揃えるという豊かな発想力にも頭が下がる。大切なのは、巨大な戦力だけではない。限られた資源、人材をどう活かし、どう戦うかの方が重要だと僕は三国志に教えられた。
・関わる人に”他人事ではない”と思わせるかどうかが企画を成功に導くために大事なことだなと実感した。それがコツではなかと。つまり、ただお金を出してほしいではなく、お金を出すことでみんなが幸せな気分を味わえる。少々、使い古された言葉かもしれないが「WIN-WINの関係」を構築するということだ。つながるすべての人を幸せにするというなら「WIN-WIN-WIN・・・・」かもしれない。一度関係を築ければ継続性も生まれる。二度目、三度目はさらに磨きがかかり、もっといい関係を築いていける。
・サッカー選手がサッカーをしているだけでは取り上げてくれるのはスポーツ関係のメディアのみである。しかし、Jリーグのクラブが市の事業に参加して、絵本を読み聞かせているとなればどうだろうか。一般紙や通常の報道番組でも取り上げられる可能性が高くなる。そうなれば、サッカーに興味がない人にもクラブの話題を提供できる。クラブが市の推進事業に積極的に参加していることが広がればイメージアップにもつながる。それは新たなファンを獲得する機会を増やしていることにもなる。2010年の読み聞かせ会にはクラブの中心選手である中村憲剛が参加した。シーズン中だったが、彼も子供を持つ親ということもあり、その事業の意義に賛同して自ら志願してくれた。この話題は、新聞・雑誌だけではなくNHKなど様々なメディアに取り上げられ大きな反響を呼んだ。
・だったら、フロンターレはその真逆をやろうと考えた。徹底して川崎に目を向けるクラブになっていくことを決意した。川崎市内にある商工会議所、美容組合、青年会議所、川崎浴場組合などの団体で会合、慰安旅行があれば、どんどん参加してメンバーと酒を酌み交わしながら仲良くなっていった。ここで知り合った人とはプロモーション企画を実現していくための大切なネットワークに育っている。ただ、それだけを伝えていても一方通行だ。クラブも地元にお金を落とす必要がある。新年会、忘年会、印刷物の依頼などは川崎市内の業者にお願いすることにした。また、川崎市内で買い物をするときには必ず領収書をもらうことにもした。「宛名は?」「”川崎フロンターレ”です」そう答えるのが目的である。これは劇的な効果があった。次に同じお店を訪ねたときの態度が全く違う。「ポスター、貼ろうか?」わざわざ声を掛けてくれる人もいた。そういうつながりは最初は小さくても、積み重ねていくことで確実にネットワークの拡大、強化へとつながっていく。
・僕は関係を深めていく間に秀野さんから多くのことを教わった。「お客さんに楽しんでもらうためには、徹底的にやらなければいけない。中途半端は絶対にやってはいけない」「アウェイに行くときはただ試合観戦するだけじゃなくて、観光地に寄ってスタジアムに向かうツアーを組んだ方がいい」その後、僕が実行していく企画の礎は秀野さんからといっても過言ではない。あるときは「スタジアムに一体感は大事だ」と片面が水色に染まった新聞をつくってくれた。観客がその紙面を頭上に掲げるとスタジアムが真っ青になる。スタジアムをクラブカラーで染めるのは今ではふつうの光景だが、そのときは初めての試みだった。
・早速、僕は企画書を用意してDole本社に出かけていった。「バナナをたくさんもらえませんか?」「いいですよ。何箱用意します?」もちろん企画の説明はしたのだが、こちらが拍子抜けするほどトントン拍子にトップチーム、アカデミー(下部組織)へのバナナ提供が決まった。ただここまではDoleとしても他のスポーツ団体に提供している実績がある。僕は他のスポーツ団体が行っていないスタイルでDoleとさらなるWIN-WINの関係を築けないかと考えた。そこで生まれたのが3つの企画だ。1つ目が、試合前にイベントスペースで開催する”Doleランド”。Doleはバナナの他にもパイナップルやグレープフルーツ、パパイヤ、マンゴーなどたくさんの一級品フルーツを取り扱っている。これらを提供してもらい、アトラクションゲームの商品として参加者に提供する。この世の中にフルーツをもらって笑顔にならない人はいない。Dole商品をサンプリングして集客イベントとして成立させる形をつくり出した。二つ目が、月間MVP選手に試合前スタジアム内でDole商品を進呈する”バロンDole”授与式。ヨーロッパサッカーの年間最優秀選手に贈られる賞のバロンドールをもじったものである。商品は、パイナップル半年分をはじめ、ステム(バナナの木を切り出したもの)や、ブドウ、芋などDoleの商品としてあまりイメージがないもの、意外性のあるものを提供してもらっている。この授与式においての優先事項は、受賞する選手に喜んでもらうものを出すことではない。授与式自体がイベントとして成立し、来場者の注目を集めスポンサーPRにつながることにある。3つ目の企画が市内量販店などでのバナナの販売だ。フロンターレをいかに市民の生活レベルで浸透させるかを考えたとき、パッケージにフロンターレロゴがデザインされたバナナの販売を思いついた。実はクラブカラーを露出したバナナの販売はベガルタ仙台、京都サンガ、大分トリニータなど他のクラブのエリアでも行われており珍しくない。他のクラブのバナナ以上に浸透する方法はないかと考え、生まれたのが”かわさき応援バナナ”である。このバナナの最大の特徴は、売り上げの一部を老朽かした等々力陸上競技場改築のため川崎市に寄付する”寄付金制度バナナ”であることだ。この企画にはモデルがあった。長野県の”ふるさと信州応援バナナ”。長野県の自然を守るための基金をバナナの売上から出すというものだった。Doleの方からこのスキームを聞き、これを川崎で応用した。川崎市の持ち物で我々フロンターレのホームスタジアムでもある等々力陸上競技場の改築に寄付することで、このバナナが公的な位置づけを持った。フロンターレのバナナから川崎のバナナに変身したのである。公的な位置付けになったことで、川崎市長自らが記者の前でこの”かわさき応援バナナ”をパクついて「市民の皆さん、このバナナを食べて等々力改築にご協力ください」と広報宣伝する効果が生まれた。フロンターレは市民の日常生活レベルにクラブを浸透させるツールを持ち、Doleは新たなバナナブランドを展開できる。川崎市は改築基金が集まると同時に、改築のPRもできる。まさにWIN-WIN-WINの関係だ。
・ボランティアは最初は3人からのスタートだったが、今では約300名がボランティア登録している。ボランティアと一緒に試合やイベントをやり遂げたときの喜びは大きい。一緒につくり上げる喜びがある。一体感が生まれる。クラブが注意すべきことは、ボランティアを無償のマンパワーとして見てはいけないということ。彼らには規則や条件がある中で充実感を味わってもらわなければいけない。彼らは自身の時間をクラブのために割いて、真夏の暑い日でも汗だくでがんばってくれている。だからこそ、クラブは指示を出すだけではなく、一緒に動く。体力的にきついことも一緒に汗を流す。そうやって、試合やイベントが終わった後にハイタッチしたり、抱き合ったりする瞬間は幸せを感じる。僕が逆の立場だったら、できるかわからない。それほど尊く大切な存在だ。
・ベテラン選手も重要だが、すべての選手が最初は新人である。その入口でフロンターレは選手に対し、”サッカーを職業にする社会人”として考えているという一線をはっきり伝えている。ただ、僕はその一線を守るだけでいいとは考えていない。プロのサッカー選手は街の人達に愛される存在にならなければいけない。そのモデルパーソンとなったフロンターレの選手が二人いる。ひとりは前述した中西哲生氏。僕が入社した1997年からクラブに在籍して、1999年に初めてJ1昇格を果たしたときのキャプテンである。僕はフロンターレに入社して何百人という選手と接してきたが、中西さんほどいい意味で変わった選手はいなかった。Jリーグがブームだった頃でも、自ら地域イベントに参加していたからだ。餅つき、街のお祭り、ミカン箱での上で挨拶するような小さなイベントでも参加した。フロンターレの選手がクリスマスに川崎市内の病院などを訪問する”青いサンタクロース”イベントには毎年志願していた。スポーツ選手は地域を大事にすべきだという意識をその頃から持っていた選手だった。「僕は人前で話すことに抵抗がないから、イベントや企画で必要だったらどんどん使ってくれ。天野がキーマンだと思う人は全員紹介してほしい」スポーツ選手がファンサービスや地域貢献活動を惜しまないアメリカにいた僕は、日本にもこういう選手がいるんだと感銘を受けたものだ。中西さんはOBとなった今でも、クラブ特命大使という名でフロンターレの広報、ホームタウン活動にすべて無償で協力している。年に数回は、インスタント物ばかり食べている僕らスタッフを気遣い、食事会を開いてくれ、クラブに必要な改善点などアドバイスを送ってくれる。僕にとっては川崎を共に築いてきた同志であると同時に、頼もしい兄貴のような存在だ。
・そしてもうひとりは、オカこと、岡山一成選手。横浜F・マリノス、大宮アルディージャ、セレッソ大阪、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、そして川崎フロンターレにも在籍していた。日本代表に選出されたことなどなく、どこのクラブに在籍していた時も磐石のレギュラー選手ではなかったが、サポーターと選手の距離感を縮めてくれた最大の功労者である。「選手にサポーターは必要なんだ。サポーターは12番目の選手なんだ」と彼は全身で表現してくれた。その中で生まれたのが、Jリーグファンであれば一度は耳にしたことがあるはずの”岡山劇場”。試合後に牛乳のケースに乗ってサポーターに見せるマイクパフォーマンス、一緒に歌うこともあれば、勝ったときにはサポーターに抱きついたりもした。サポーターと選手の間にあった「サポーターといってもやはり観客」という壁を取っ払ってくれたのである。フロンターレの、選手とサポーターが身近に存在する、親しみやすい関係は彼のおかげで築かれていった。サッカー選手は単にサッカーをするだけじゃないというのを体現してくれた選手である。彼がつくった雰囲気は、それからのフロンターレの選手に脈々と引き継がれている。
・大きく改善されたのはやはりJ2に逆戻りした2001年がきっかけだ。クラブが再出発を図るために社長に就任した武田信平が僕を食事に誘って、相談してきた。「天野がキーマンだと思う街の人をすべて集めてほしい。直接、話したい」ホームタウンとのつながりを強く意識している人だという印象を受けた。同時に、社内では部署、役職を超えた会議の場も設けられた。おかげでいっそう、縦横無尽につながってアイデアを出し合える雰囲気とそれらを吸い上げて各部署が連携しながら対応できる機動力をフロンターレは身につけることができたのである。そしてもう一つ。クラブスタッフのクオリティーを上げることにも着手した。具体的には、出向社員を親会社に戻してプロパー社員を増やしたのである。もちろん、出向社員にも優秀な人材はいるのだが、「いつか戻る」という考えがあって、この仕事で生計を立てるといったプロ意識に欠ける社員も多かったからだ。優秀なアルバイトスタッフを社員として採用したり、他のクラブで実績を上げた経験のある人材も積極的に迎え入れた。こうして、企画を迅速に形にしていくフロンターレの「実行力」は築かれていった。
・必要なのは、「なんとかしたい」と思う気持ちを行動に移すことだ。そして求められた業務を達成させる方法は、自分で見つけ出すものだと僕は強く感じた。ポイントになるのは、臨機応変と創意工夫。1+1、3-1、√4だって答えは2だ。同じ答えでもたどり着く方法は無数にある。うまくいかないと思うことも解決の糸口は必ずある。現在も企画を進めていくうえでつまずくことは多い。ただ、そのやり方がダメだから、そこで終わりだとは思わない。あの手この手で「なんとかする」ことが大事なのだ。
・こんなふうに街にあるものを応用しようと常に意識することも大事だ。街で目立つものというのは突然できたものではなく、試行錯誤を繰り返したうえでその形になっている。そういうものをうまく応用することで新たなアイデアが生まれることがある。ただ、応用は難しい。応用できそうなものを見つけたとき、何と結びつければ企画になるかを考えられるかが鍵になる。言葉通り、ふさわしく用いないと効果をあげることはできない。そのビジネスに合うように応用するには、やはり経験と技術が必要ということである。
・紹介してもらった天体戦士サンレッドのプロデューサーの南健さんは、さすがにシュールなアニメをつくっているだけあり、ノリがよく、すぐに意気投合してフロンターレ×サンレッドのコラボアニメ制作が実現した。怪人役で登場した中村憲剛や谷口博之(現横浜F・マリノス)、井川祐輔、そして特別出演した武田社長はアフレコ(アニメに声を入れる)作業を楽しめたようで、選手、社長の新たなキャラクターを引き出す結果にもなった。特に、武田社長はアニメ出演の効果もあり、「ノリがいい社長」としてファンやサポーターの人気を集めている。ファン感謝デーではサインを求めて長蛇の列ができるほどだ。
・神が存在するのなら、僕は試されているのかもしれないと思った。復興支援活動をスタートさせた僕に、持てる力のすべてを発揮して最高の雰囲気をつくってみろと。試合に向けたプロモーションのポイントは5つ。
1 被災地及び被災地の一つであるベガルタ仙台への支援を行うこと
2 来場者に支援を呼びかけるが、募金を強いるだけでなく「笑顔」をつくること
3 笑顔を作ることは話題性を伴い、広報的効果をあげられること
4 支援はするが勝負は別だということをはっきり示すこと
5 Jリーグは我々の生活に必要なものだと実感できること
これらのポイントをすべて盛り込んだイベントを実現できれば、必ず最高の雰囲気をスタジアムにつくり出せる。目玉になる企画は浮かんでいた。
<目次>
はじめに
序章 算数ドリルのキセキ
1 サッカーにはスポーツの枠を超えた影響力がある
2 アイデアをテトリスのように応用する
3 突破口は小さくても道は開ける
4 スポーツは教育でも機能する
第1章 ブームではなくライフ-集客にマジックはない
1 クラブの理念”人の生活を豊かにする”を持つ
2 日常の中の非日常をつくる
3 クラブ経営は農業である
4 クラブは”強化”と”事業”の二輪で前進する
第2章 シンプルな集客の仕組み-”始まり”をつくり、”終わり”をつくらない
1 始まる”きっかけ”は意識的につくり出す
2 ”きっかけ”を妨げるクラブの常識
3 サッカー観戦だけを”きっかけ”の材料にしない
4 継続してもらう努力を惜しまない
第3章 クラブづくりの鍵を握る7つのつながり-ステークホルダーを活かし、活かされる
1 他人事にさせない
2 企業の色から市民の色へ(行政とのつながり)
3 クラブはホームタウンのお客様ではなく一市民である(街とのつながり)
4 WIN-WINの関係(スポンサーとのつながり)
5 同志、企画者、演出者(サポーターとのつながり)
6 共に汗を流す存在(ボランティアとのつながり)
7 サッカーを職業とする社会人としてつきあう(選手とのつながり)
8 縦横無尽につながる吹き抜けの社風(会社とのつながり)
第4章 徹底的なマーケティング-集客の鍵は”郷土愛”にあり
1 自分の”市場”を徹底的に知る
2 ”郷土愛”を感じるクラブをつくる
3 ターゲットに優先順位をつける
4 企画を実行に移すときの6つのキーワード
第5章 先を読む力となんとかする力-ゴールまで平坦な道はない
1 先を読む力(日韓ワールドカップ)
2 なんとかする力(2001年コンフェデレーションズカップ)
3 常識を疑う(一体感を阻む非常口)
4 新たな価値は対話から生み出す(川崎市民の歌)
5 感情の起伏を活かす(煽りVTR)
6 ヒントは日常にあふれている(K点越え)
7 弱みを強みにする(アルビレックス新潟アウェイツアー)
8 キャラクター設定が生んだ新たな魅力(天体戦士サンレッド)
9 逆転の発想(多摩川クラシコ)
10 一石四鳥に発展させる(一緒におフロんた~れ)
11 他の力を我の力に変える(故岡本太郎氏とのコラボレーション)
12 ピンチを強さに変える力(Mind-1ニッポンプロジェクト)
おわりに
面白かった本まとめ(2011年下半期)
<今日の独り言>
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この「僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ」という本は、サッカーJリーグの川崎フロンターレについて書かれたものです。川崎フロンターレのサッカー事業部・プロモーション部 部長兼広報グループ長で著者の天野春果さんの視点で書かれています。
特にホームタウン川崎市との関わりやその理念・企画・イベント等について前向きに楽しく書かれていて、私も川崎フロンターレの応援に行きたくなりましたし、他のプロスポーツ運営や地域貢献活動、スポーツ以外のビジネスにも応用できる考え方がたくさん書かれています。
特に、地域とのつながりを大切にしながら、川崎フロンターレを盛り上げていく努力は素晴らしいと思います。
イングランド・プレミアリーグの強豪・アーセナルFCのスペイン後の教科書を参考に、川崎フロンターレの算数ドリルまで作ってしまうとはスゴイと思いましたね。
とてもオススメな本です!
以下はこの本のポイント等です。
・ヒントを得たのは2008年。Jリーグの主催する欧州視察に参加してイングランド・プレミアリーグの強豪・アーセナルFCを訪ねたときだった。アーセナルFCは、今からシーズンチケットを買おうと思っても68年待ちという世界的な人気を誇るクラブだ。当時、まだ12年の歴史しか刻んでいなかった川崎フロンターレとはクラブの知名度、影響力共に天と地ほどの差がある。ただ、ホームタウンに対するクラブの活動はこれからのフロンターレに何か役立つものがあるはずだと思った。(これは?)アーセナルFCの中心選手であるセスク・ファブレガス選手が教科書に載っている。「スペイン語の教科書です。アーセナルの選手達はこうした教材の制作にも協力しています。ホームタウン周辺の学校ではこの教科書を使って授業が行われているんですよ」その話を聞いた僕は頭の中でセスク・ファブレガス選手をフロンターレの人気選手・中村憲剛に変換していた。(面白いかもしれない)この頃、僕はサッカーが持つスポーツの枠を超えた影響力を活用したいと考えていた。海外ではサッカーが原因で戦争が起きたり、政治に使われたり、ワールドワイドでみんなに愛されるスポーツだからこそ大きな影響を与えている。そんなサッカーの持つエネルギーをいい方向で活かせる具体的なものを探していた矢先だった。クラブとファンの接点は、リーグ戦17試合、カップ戦予選3試合のホームゲーム。年間の試合数でも、どんなに多くとも50試合には満たない。教材に載ることができれば、学校という日常生活の中でクラブとの接点が1週間に2回、3回と広がっていく。選手だけではなく、マスコット、サッカーのルール、用具、ホームスタジアムの等々力陸上競技場などフロンターレそのものを載せることでクラブがもっと浸透するだけでなく子ども達の勉強の手助けもできる面白い教材がつくれるかもしれない。何より僕自身がそんな教材があったらいいなと思った。
・果たして2009年4月、新学期を迎えた上丸子小学校の6年生全員に第1号となるフロンターレの算数ドリルが配られた。2008年の欧州視察でアイデアのカケラを拾ってから1年以上が経っていた。「ケンゴ(中村憲剛)」がいるよ」「イガ(井川祐輔)の顔が面白い!」教室が盛り上がる。算数ドリルにフロンターレの選手が載っているだけで子ども達の目の色が変わる。サッカーを題材にした問題を楽しそうに解いていく。ここまでの僕らの姿はフジテレビで特集として放送された。ドリル企画が橋本校長との出会いで前に進んだ段階からクラブ広報が「話題になるはずだ」とフジテレビに依頼して密着取材を取りつけてくれていたからだ。放送の翌日には他のクラブはもちろん、様々なメディアからも連絡が殺到して思った以上の反響を呼ぶことになった。僕はと言えば、それで満足などと微塵も思っていなかった。反響があって多くの人に注目してもらったのはいいことだ。ただ、僕の考えるゴールから見ると最初に一歩にすぎなかった。これから2年目、3年目と継続していかないと本当のゴールには近づけない。僕はすぐに次の仕掛けの準備に入った。実践学習である。ドリルに載っている問題を選手と体験しながら子ども達が教室を飛び出してグラウンドで解いていく授業だ。これはアーセナルFCもやっていないフロンターレオリジナルである。
・僕はこの算数ドリルの企画を通して、いや、これから語るすべての企画もそうだが、「何事も一筋縄ではいかない」ということを実感した。それは「できない」「不可能」という意味ではない。何事もゴールに向かうためには、テトリスのように形を変えたり、視点を変えたり、人の話に耳を傾けたり、様々なところに隠れているヒントを一つひとつ活かすことで突破できる。最悪の判断は、諦めるということかもしれない。算数ドリルに関しては、まだ最終地点に到達したとは思っていない。まず、このドリルを継続させること。そのためにクラブとしては一昨年よりも昨年、昨年よりも今年と、ドリルをよりいいものに仕上げていかなければいけない。ドリルを使う子ども達や親から「このドリルは必要だよね」という声を吸い上げることも大事だと思っている。そうなれば、配布をストップする可能性はどんどん小さくなっていくはずだ。さらに、フロンターレの実績を他のクラブが活かしてくれることも望んでいる。何よりも前例ができたのは大きいと思う。Jリーグクラブ、いやプロ野球だっていい。自分の街の行政に相談しやすくなったはずである。算数ドリルではなくても、クラブに合った形でホームタウンの教育に貢献できる何かが生み出せるだろう。それは必ず地域密着のきっかけになり、クラブとホームタウンの距離感を縮めてくれる。僕はフロンターレが成功してよかったで終わりにしたくはない。僕らの行動や考え方、事例を活かして、他のクラブ(あるいは他のビジネス)でも新たな成功事例が出てくればうれしい。すると今度は他のクラブの成功事例に僕らもまた刺激を受け、それらを応用し、発展、成長していきたい。スポーツ界の共存共栄。スポーツ界が互いに協力し、手を取り合い、ノウハウを共有することで、この国をスポーツの力で、もっと幸せな国に変えることができると信じている。
・僕は1990年から1996年までアメリカに留学した経験がある。留学した理由の一つには1994年の開催が決定していたアメリカW杯があった。英語を身につけて、チケットを自分で買って、現地で観ることが、小さいころからの夢の一つだった。観客として決勝戦を含むロサンゼルスで開催された全7試合を観戦したアメリカW杯の迫力や面白さ、興奮は今でも鮮明に脳裏に焼きついている。当時、アメリカではプロサッカーリーグもなくマイナースポーツだったサッカーを見事にエンターテインメント化してスタジアムが人であふれかえっている光景には、さすがスポーツ先進国だなと感嘆したものだ。その翌年、大学は卒業だったのだが、アメリカでは1996年にアトランタオリンピックが控えていた。W杯のような世界的なスポーツの祭典を今度はスタッフの立場で体験してみたいと思った僕はボランティア登録することにした。サッカーのボランティアスタッフとして前園真聖、川口能活、中田英寿などを擁した日本五輪代表がワールドクラスの選手を揃えたブラジルを破った”マイアミの奇跡”を間近で観ながら、世界大会をマネジメントする楽しさを肌で感じることができた。さらに1997年、フロンターレに入社した後も国際大会の運営に関わる仕事をした。1998年に開催された長野冬季オリンピックではバイアスロン競技における役員業務に有給休暇を利用して参加した。2002年の日韓ワールドカップではJAWOC(日韓ワールドカップ日本組織委員会)にも出向している。しかし、これらは年に一度のお祭や花火大会のようなものだ。その日、その期間にすべての力を出すための準備をしていく非日常の出来事である。クラブ経営はそんな一瞬のことではない。日常生活の中にいつも楽しみをつくっていかなければいけない。非日常ではなく、あくまでも日常の中に存在する非日常ということだ。
・僕は「遠くの三ツ星レストランより近くの定食屋」とよく部下に言う。三ツ星レストランがオープンすれば、誰でも行きたいと思う。お洒落をして遠くに出かけて「美味しかったね」と言いながら帰ってくるだろう。ただ、そういう生活を毎日続けられるか。たいていの人はそうもいかない。毎回、お洒落をして出かけていくのにも疲れてくる。地元クラブはそんな最高級の食材でつくられた料理ばかりを出す三ツ星レストランではなく、いつ行っても美味くて居心地がいいと評判の近所の定食屋を目指している。近所の人達がふらっとやってくる定食屋のようなクラブ。地域に根ざすクラブとはそういうものではないだろうか。
・そういう意味でクラブ経営はスーツを着込んでスマートにデスク上でこなすビジネスではない。泥にまみれながら手間暇をかけてじくり作物を育て上げる有機農業に近いかもしれない。まず、クラブのホームタウンとなる地域を徹底的に知り尽くして、どんな土壌なのかを理解する。僕の話でいえば、川崎市を知らなければクラブづくりは何も始まらないということだ。始めたとしても的を外したものになる。そのうえで土壌に合う作物を考える。川崎市にどんなプロスポーツクラブが必要なのか。また、どんなアプローチをすれば川崎市民に受け入れてもらえるのか。川崎市を知り、クラブの方向性が決まったら土を耕し、種を蒔く。つまり、チームを強化しながら、ホームタウンと協力して街全体を盛り上げる企画も次々に実行して地域密着を図っていく。さらに、地元企業をスポンサーにしたり、プロモーションイベントでも川崎の色を前面に押し出していくことも忘れてはいけない。そうして芽が出てきたら作物に愛情を注ぐように雑草などを取り除く。クラブ経営は一朝一夕で軌道に乗るものではない。始めてみると取り払うべき壁があり、足りない部分が次々と見えてくる。それらを一つひとつクリアしながら、収獲を待つ。少しうまくいったからと放っておいたら雑草だらけの畑になり、作物が枯れて何も収獲できないということにもなる。クラブ経営でもちょっとチームの調子がよかったり、イベントが成功したと満足していたりしたら、チームの状況や街の雰囲気が変わったことに気づかずに結局、悪い方向に進んでいることがある。だからこそ、常にホームタウンに目を配り、つながりを大事にして、中長期の計画も練る必要があるだろう。僕らクラブスタッフが常に汗をかいて長い時間をかけて、ようやく収獲する滋味に富む作物、それが市民に愛されるクラブではないだろうか。
・「ホームタウンに住む人の生活を豊かにする」
「近所の美味い定食屋のように日常の中に非日常を生み出す」
「クラブは農業のように汗をかいて、泥にまみれて育てていく」
「クラブはチーム強化と事業の二輪車で前に進む」
この4つのポイントをスポーツビジネスを始める以前にしっかりと考えて、肝に銘じておかなければならないと僕は考えている。それはクラブ経営を成功に導く第一歩であり、他のビジネスでも土台になり得るポイントではないだろうか。
・無償配布の戦略でフロンターレが行っている工夫がある。”有料販売して無料で配布する”仕組みだ。要は観戦チケットをステークホルダー(利害関係者)に有料で購入してもらい、ステークホルダーの事業促進あるいは販売促進ツールとして無償チケットの形で活用してもらうということである。この手法のメリットは、クラブには一定したチケット収入があること、クラブがクラブの価値を下げかねないタダ券の配布に直接関与しないこと、そしてクラブが来場の対象としているエリア、人に「お試し来場」の機会をつくり出せることにある。
・川崎フロンターレ後援会(ファンクラブ)に入会すると、フロンターレの観戦チケットがついてくる。3000円の個人会員で一般自由席の観戦チケットが2枚。観戦チケットは前売り会員価格でも1800円だから、入会金よりも付いてくるチケット価格の方が高い。仕組みはこうだ。フロンターレ後援会にはこのチケット代を予算化してもらい、定価よりも安い金額ではあるがチケットを購入してもらっている。このチケットは観戦できる試合が限定され、ホームスタジアムの収容人数を超えないと想定できる対戦相手の試合だけで使用できる。そのため、フロンターレ後援会に入れば、試合は限定されるものの最低2回はフロンターレの試合を観戦できるようになっている。またフロンターレのシーズンチケットは後援会入会が必須条件になっているため、1年間分のチケットを持っている人がさらに2枚の観戦チケットを持っていることになる。この状況から発生する現象は何か?そのチケットを無駄にしないために、知人、友人を試合に招待することだ。シーズンチケットを持つくらいの人はフロンターレの知識が豊富で愛情が深い。当日は、この人達が所属選手の特徴からクラブの長所、スタジアムの見どころまで余すことなく招待した人にレクチャーしてくれる。つまり、年間チケットを持つファン、サポーターがフロンターレの新規顧客開拓の営業マンになってくれているということだ。
・それは”スタジアム観戦に付加価値をつける”ことだ。メインディッシュは試合であることは間違いない。ただ、料理と試合が大きく違うのは、メインディッシュが”すごく美味しくなるときもあれば、もう二度と食べたくないと思うこともある”ということだ。優勝するクラブの試合は勝ちが多いわけだから、メインディッシュが”美味しい”ことが多いが、優勝するクラブは世界中どこのリーグでも1クラブだけである。リーグのほとんどのクラブが勝ったり負けたりであり、下位のクラブは”美味しくない”メインディッシュをお客様に提供し続けなければならない。勝負の世界は勝ち負け、そして引き分けしかない。だから面白いのだが、ときに残酷なものだ。僕らが提供しているメインディッシュは、このように品質保証のないものだという認識を持つことが大切になってくる。そのため、不確定なメインディッシュだけに頼らず、初心者でも確実に喜んでもらえるサイドディッシュという名の付加価値を提供できるかがポイントになる。フロンターレではこのサイドディッシュとして、初心者から長年のファンまで楽しんでもらえるイベント、アトラクションを実施し、美味しい食べ物や親しみやすい会場の雰囲気をつくり、そして席つめの強化や託児室の設置など安心・安全の提供にも力を入れている。
・集客において新規顧客の獲得と併せて重要なのが、既存顧客、つまりファンやサポーターを減らさないことだ。毎年、後援会に入会してくれる、またはシーズンチケットを購入してくれるファンはクラブ経営を安定させるありがたいお客様であると同時に、選手やクラブスタッフを精神的に支えて、力を与えてくれるパートナーである。フロンターレでは、新たなシーズンが始まる間の1~2月頃、フロンターレ後援会会員全員に宛てて、昨シーズンの応援感謝と今シーズンの引き続きの応援(後援会の入会、シーズンチケット購入のお願いなど)を記した手紙を社長、GMそして選手が直筆でサインを入れて郵送している。フロンターレ後援会の会員数は年々増え続け、2010シーズンは約2万4000人。ファミリー会員には一枚郵送となるため、直筆サインを記した紙は約1万5000枚にもおよぶ。
・子供の頃、実家のリビングの隅で読み耽っていた漫画がある。横山光輝さんが描いた”三国志”だ。当時は物語の面白さだけを楽しんでいたが、今は仕事に役立つ参考書として我が家に全60巻を揃えている。特に、国をつくっていく過程には役に立つ部分が多い。”街を切り拓く””領土を広げる””ライバルとの境界線をしっかりつくる””策略をしっかり立てなければいけない””積み上げても崩れるのは早い””民に愛されなければいけない”どれもホームタウンを盛り上げるクラブとして忘れてはいけないことばかりだ。結局は人ということもよくわかる。そして、僕は軍師の重要性も三国志から学び取った。サッカーでは試合における軍師といえば、監督だろう。監督の状況に合わせた変幻自在といえる戦略のもとで選手達が最高のパフォーマンスを披露できれば、素晴らしい結果を残せるのはいうまでもない。
・三国志の主人公・劉備玄徳のもとには、関羽、張飛、趙雲という強者がいた。しかし、なかなか領土を広げることができず、泣かず飛ばずだった。そんな劉備が飛躍したのは諸葛亮孔明という名軍師が参謀になってからである。強者達を「戦略」をもって適材適所で活用できたときから劉備の躍進は始まる。僕はそんな諸葛亮孔明に豊かな企画力と発想力を感じる。たとえば、赤壁の戦いで風向きを術によって変えると呉を信じ込ませるシーンがあるが、風向きがその時期に変わる気象知識を戦いに活かすという企画力に驚いた。10万本の矢がほしいと言われて、霧の中に船を出し、相手が射かけてきた矢で揃えるという豊かな発想力にも頭が下がる。大切なのは、巨大な戦力だけではない。限られた資源、人材をどう活かし、どう戦うかの方が重要だと僕は三国志に教えられた。
・関わる人に”他人事ではない”と思わせるかどうかが企画を成功に導くために大事なことだなと実感した。それがコツではなかと。つまり、ただお金を出してほしいではなく、お金を出すことでみんなが幸せな気分を味わえる。少々、使い古された言葉かもしれないが「WIN-WINの関係」を構築するということだ。つながるすべての人を幸せにするというなら「WIN-WIN-WIN・・・・」かもしれない。一度関係を築ければ継続性も生まれる。二度目、三度目はさらに磨きがかかり、もっといい関係を築いていける。
・サッカー選手がサッカーをしているだけでは取り上げてくれるのはスポーツ関係のメディアのみである。しかし、Jリーグのクラブが市の事業に参加して、絵本を読み聞かせているとなればどうだろうか。一般紙や通常の報道番組でも取り上げられる可能性が高くなる。そうなれば、サッカーに興味がない人にもクラブの話題を提供できる。クラブが市の推進事業に積極的に参加していることが広がればイメージアップにもつながる。それは新たなファンを獲得する機会を増やしていることにもなる。2010年の読み聞かせ会にはクラブの中心選手である中村憲剛が参加した。シーズン中だったが、彼も子供を持つ親ということもあり、その事業の意義に賛同して自ら志願してくれた。この話題は、新聞・雑誌だけではなくNHKなど様々なメディアに取り上げられ大きな反響を呼んだ。
・だったら、フロンターレはその真逆をやろうと考えた。徹底して川崎に目を向けるクラブになっていくことを決意した。川崎市内にある商工会議所、美容組合、青年会議所、川崎浴場組合などの団体で会合、慰安旅行があれば、どんどん参加してメンバーと酒を酌み交わしながら仲良くなっていった。ここで知り合った人とはプロモーション企画を実現していくための大切なネットワークに育っている。ただ、それだけを伝えていても一方通行だ。クラブも地元にお金を落とす必要がある。新年会、忘年会、印刷物の依頼などは川崎市内の業者にお願いすることにした。また、川崎市内で買い物をするときには必ず領収書をもらうことにもした。「宛名は?」「”川崎フロンターレ”です」そう答えるのが目的である。これは劇的な効果があった。次に同じお店を訪ねたときの態度が全く違う。「ポスター、貼ろうか?」わざわざ声を掛けてくれる人もいた。そういうつながりは最初は小さくても、積み重ねていくことで確実にネットワークの拡大、強化へとつながっていく。
・僕は関係を深めていく間に秀野さんから多くのことを教わった。「お客さんに楽しんでもらうためには、徹底的にやらなければいけない。中途半端は絶対にやってはいけない」「アウェイに行くときはただ試合観戦するだけじゃなくて、観光地に寄ってスタジアムに向かうツアーを組んだ方がいい」その後、僕が実行していく企画の礎は秀野さんからといっても過言ではない。あるときは「スタジアムに一体感は大事だ」と片面が水色に染まった新聞をつくってくれた。観客がその紙面を頭上に掲げるとスタジアムが真っ青になる。スタジアムをクラブカラーで染めるのは今ではふつうの光景だが、そのときは初めての試みだった。
・早速、僕は企画書を用意してDole本社に出かけていった。「バナナをたくさんもらえませんか?」「いいですよ。何箱用意します?」もちろん企画の説明はしたのだが、こちらが拍子抜けするほどトントン拍子にトップチーム、アカデミー(下部組織)へのバナナ提供が決まった。ただここまではDoleとしても他のスポーツ団体に提供している実績がある。僕は他のスポーツ団体が行っていないスタイルでDoleとさらなるWIN-WINの関係を築けないかと考えた。そこで生まれたのが3つの企画だ。1つ目が、試合前にイベントスペースで開催する”Doleランド”。Doleはバナナの他にもパイナップルやグレープフルーツ、パパイヤ、マンゴーなどたくさんの一級品フルーツを取り扱っている。これらを提供してもらい、アトラクションゲームの商品として参加者に提供する。この世の中にフルーツをもらって笑顔にならない人はいない。Dole商品をサンプリングして集客イベントとして成立させる形をつくり出した。二つ目が、月間MVP選手に試合前スタジアム内でDole商品を進呈する”バロンDole”授与式。ヨーロッパサッカーの年間最優秀選手に贈られる賞のバロンドールをもじったものである。商品は、パイナップル半年分をはじめ、ステム(バナナの木を切り出したもの)や、ブドウ、芋などDoleの商品としてあまりイメージがないもの、意外性のあるものを提供してもらっている。この授与式においての優先事項は、受賞する選手に喜んでもらうものを出すことではない。授与式自体がイベントとして成立し、来場者の注目を集めスポンサーPRにつながることにある。3つ目の企画が市内量販店などでのバナナの販売だ。フロンターレをいかに市民の生活レベルで浸透させるかを考えたとき、パッケージにフロンターレロゴがデザインされたバナナの販売を思いついた。実はクラブカラーを露出したバナナの販売はベガルタ仙台、京都サンガ、大分トリニータなど他のクラブのエリアでも行われており珍しくない。他のクラブのバナナ以上に浸透する方法はないかと考え、生まれたのが”かわさき応援バナナ”である。このバナナの最大の特徴は、売り上げの一部を老朽かした等々力陸上競技場改築のため川崎市に寄付する”寄付金制度バナナ”であることだ。この企画にはモデルがあった。長野県の”ふるさと信州応援バナナ”。長野県の自然を守るための基金をバナナの売上から出すというものだった。Doleの方からこのスキームを聞き、これを川崎で応用した。川崎市の持ち物で我々フロンターレのホームスタジアムでもある等々力陸上競技場の改築に寄付することで、このバナナが公的な位置づけを持った。フロンターレのバナナから川崎のバナナに変身したのである。公的な位置付けになったことで、川崎市長自らが記者の前でこの”かわさき応援バナナ”をパクついて「市民の皆さん、このバナナを食べて等々力改築にご協力ください」と広報宣伝する効果が生まれた。フロンターレは市民の日常生活レベルにクラブを浸透させるツールを持ち、Doleは新たなバナナブランドを展開できる。川崎市は改築基金が集まると同時に、改築のPRもできる。まさにWIN-WIN-WINの関係だ。
・ボランティアは最初は3人からのスタートだったが、今では約300名がボランティア登録している。ボランティアと一緒に試合やイベントをやり遂げたときの喜びは大きい。一緒につくり上げる喜びがある。一体感が生まれる。クラブが注意すべきことは、ボランティアを無償のマンパワーとして見てはいけないということ。彼らには規則や条件がある中で充実感を味わってもらわなければいけない。彼らは自身の時間をクラブのために割いて、真夏の暑い日でも汗だくでがんばってくれている。だからこそ、クラブは指示を出すだけではなく、一緒に動く。体力的にきついことも一緒に汗を流す。そうやって、試合やイベントが終わった後にハイタッチしたり、抱き合ったりする瞬間は幸せを感じる。僕が逆の立場だったら、できるかわからない。それほど尊く大切な存在だ。
・ベテラン選手も重要だが、すべての選手が最初は新人である。その入口でフロンターレは選手に対し、”サッカーを職業にする社会人”として考えているという一線をはっきり伝えている。ただ、僕はその一線を守るだけでいいとは考えていない。プロのサッカー選手は街の人達に愛される存在にならなければいけない。そのモデルパーソンとなったフロンターレの選手が二人いる。ひとりは前述した中西哲生氏。僕が入社した1997年からクラブに在籍して、1999年に初めてJ1昇格を果たしたときのキャプテンである。僕はフロンターレに入社して何百人という選手と接してきたが、中西さんほどいい意味で変わった選手はいなかった。Jリーグがブームだった頃でも、自ら地域イベントに参加していたからだ。餅つき、街のお祭り、ミカン箱での上で挨拶するような小さなイベントでも参加した。フロンターレの選手がクリスマスに川崎市内の病院などを訪問する”青いサンタクロース”イベントには毎年志願していた。スポーツ選手は地域を大事にすべきだという意識をその頃から持っていた選手だった。「僕は人前で話すことに抵抗がないから、イベントや企画で必要だったらどんどん使ってくれ。天野がキーマンだと思う人は全員紹介してほしい」スポーツ選手がファンサービスや地域貢献活動を惜しまないアメリカにいた僕は、日本にもこういう選手がいるんだと感銘を受けたものだ。中西さんはOBとなった今でも、クラブ特命大使という名でフロンターレの広報、ホームタウン活動にすべて無償で協力している。年に数回は、インスタント物ばかり食べている僕らスタッフを気遣い、食事会を開いてくれ、クラブに必要な改善点などアドバイスを送ってくれる。僕にとっては川崎を共に築いてきた同志であると同時に、頼もしい兄貴のような存在だ。
・そしてもうひとりは、オカこと、岡山一成選手。横浜F・マリノス、大宮アルディージャ、セレッソ大阪、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、そして川崎フロンターレにも在籍していた。日本代表に選出されたことなどなく、どこのクラブに在籍していた時も磐石のレギュラー選手ではなかったが、サポーターと選手の距離感を縮めてくれた最大の功労者である。「選手にサポーターは必要なんだ。サポーターは12番目の選手なんだ」と彼は全身で表現してくれた。その中で生まれたのが、Jリーグファンであれば一度は耳にしたことがあるはずの”岡山劇場”。試合後に牛乳のケースに乗ってサポーターに見せるマイクパフォーマンス、一緒に歌うこともあれば、勝ったときにはサポーターに抱きついたりもした。サポーターと選手の間にあった「サポーターといってもやはり観客」という壁を取っ払ってくれたのである。フロンターレの、選手とサポーターが身近に存在する、親しみやすい関係は彼のおかげで築かれていった。サッカー選手は単にサッカーをするだけじゃないというのを体現してくれた選手である。彼がつくった雰囲気は、それからのフロンターレの選手に脈々と引き継がれている。
・大きく改善されたのはやはりJ2に逆戻りした2001年がきっかけだ。クラブが再出発を図るために社長に就任した武田信平が僕を食事に誘って、相談してきた。「天野がキーマンだと思う街の人をすべて集めてほしい。直接、話したい」ホームタウンとのつながりを強く意識している人だという印象を受けた。同時に、社内では部署、役職を超えた会議の場も設けられた。おかげでいっそう、縦横無尽につながってアイデアを出し合える雰囲気とそれらを吸い上げて各部署が連携しながら対応できる機動力をフロンターレは身につけることができたのである。そしてもう一つ。クラブスタッフのクオリティーを上げることにも着手した。具体的には、出向社員を親会社に戻してプロパー社員を増やしたのである。もちろん、出向社員にも優秀な人材はいるのだが、「いつか戻る」という考えがあって、この仕事で生計を立てるといったプロ意識に欠ける社員も多かったからだ。優秀なアルバイトスタッフを社員として採用したり、他のクラブで実績を上げた経験のある人材も積極的に迎え入れた。こうして、企画を迅速に形にしていくフロンターレの「実行力」は築かれていった。
・必要なのは、「なんとかしたい」と思う気持ちを行動に移すことだ。そして求められた業務を達成させる方法は、自分で見つけ出すものだと僕は強く感じた。ポイントになるのは、臨機応変と創意工夫。1+1、3-1、√4だって答えは2だ。同じ答えでもたどり着く方法は無数にある。うまくいかないと思うことも解決の糸口は必ずある。現在も企画を進めていくうえでつまずくことは多い。ただ、そのやり方がダメだから、そこで終わりだとは思わない。あの手この手で「なんとかする」ことが大事なのだ。
・こんなふうに街にあるものを応用しようと常に意識することも大事だ。街で目立つものというのは突然できたものではなく、試行錯誤を繰り返したうえでその形になっている。そういうものをうまく応用することで新たなアイデアが生まれることがある。ただ、応用は難しい。応用できそうなものを見つけたとき、何と結びつければ企画になるかを考えられるかが鍵になる。言葉通り、ふさわしく用いないと効果をあげることはできない。そのビジネスに合うように応用するには、やはり経験と技術が必要ということである。
・紹介してもらった天体戦士サンレッドのプロデューサーの南健さんは、さすがにシュールなアニメをつくっているだけあり、ノリがよく、すぐに意気投合してフロンターレ×サンレッドのコラボアニメ制作が実現した。怪人役で登場した中村憲剛や谷口博之(現横浜F・マリノス)、井川祐輔、そして特別出演した武田社長はアフレコ(アニメに声を入れる)作業を楽しめたようで、選手、社長の新たなキャラクターを引き出す結果にもなった。特に、武田社長はアニメ出演の効果もあり、「ノリがいい社長」としてファンやサポーターの人気を集めている。ファン感謝デーではサインを求めて長蛇の列ができるほどだ。
・神が存在するのなら、僕は試されているのかもしれないと思った。復興支援活動をスタートさせた僕に、持てる力のすべてを発揮して最高の雰囲気をつくってみろと。試合に向けたプロモーションのポイントは5つ。
1 被災地及び被災地の一つであるベガルタ仙台への支援を行うこと
2 来場者に支援を呼びかけるが、募金を強いるだけでなく「笑顔」をつくること
3 笑顔を作ることは話題性を伴い、広報的効果をあげられること
4 支援はするが勝負は別だということをはっきり示すこと
5 Jリーグは我々の生活に必要なものだと実感できること
これらのポイントをすべて盛り込んだイベントを実現できれば、必ず最高の雰囲気をスタジアムにつくり出せる。目玉になる企画は浮かんでいた。
<目次>
はじめに
序章 算数ドリルのキセキ
1 サッカーにはスポーツの枠を超えた影響力がある
2 アイデアをテトリスのように応用する
3 突破口は小さくても道は開ける
4 スポーツは教育でも機能する
第1章 ブームではなくライフ-集客にマジックはない
1 クラブの理念”人の生活を豊かにする”を持つ
2 日常の中の非日常をつくる
3 クラブ経営は農業である
4 クラブは”強化”と”事業”の二輪で前進する
第2章 シンプルな集客の仕組み-”始まり”をつくり、”終わり”をつくらない
1 始まる”きっかけ”は意識的につくり出す
2 ”きっかけ”を妨げるクラブの常識
3 サッカー観戦だけを”きっかけ”の材料にしない
4 継続してもらう努力を惜しまない
第3章 クラブづくりの鍵を握る7つのつながり-ステークホルダーを活かし、活かされる
1 他人事にさせない
2 企業の色から市民の色へ(行政とのつながり)
3 クラブはホームタウンのお客様ではなく一市民である(街とのつながり)
4 WIN-WINの関係(スポンサーとのつながり)
5 同志、企画者、演出者(サポーターとのつながり)
6 共に汗を流す存在(ボランティアとのつながり)
7 サッカーを職業とする社会人としてつきあう(選手とのつながり)
8 縦横無尽につながる吹き抜けの社風(会社とのつながり)
第4章 徹底的なマーケティング-集客の鍵は”郷土愛”にあり
1 自分の”市場”を徹底的に知る
2 ”郷土愛”を感じるクラブをつくる
3 ターゲットに優先順位をつける
4 企画を実行に移すときの6つのキーワード
第5章 先を読む力となんとかする力-ゴールまで平坦な道はない
1 先を読む力(日韓ワールドカップ)
2 なんとかする力(2001年コンフェデレーションズカップ)
3 常識を疑う(一体感を阻む非常口)
4 新たな価値は対話から生み出す(川崎市民の歌)
5 感情の起伏を活かす(煽りVTR)
6 ヒントは日常にあふれている(K点越え)
7 弱みを強みにする(アルビレックス新潟アウェイツアー)
8 キャラクター設定が生んだ新たな魅力(天体戦士サンレッド)
9 逆転の発想(多摩川クラシコ)
10 一石四鳥に発展させる(一緒におフロんた~れ)
11 他の力を我の力に変える(故岡本太郎氏とのコラボレーション)
12 ピンチを強さに変える力(Mind-1ニッポンプロジェクト)
おわりに
面白かった本まとめ(2011年下半期)
<今日の独り言>
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