ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

父の命日

2013-09-07 20:06:27 | Weblog

九月五日は私の父の35回目の命日。そして九月六日は舅の10回目の命日でした。

同じ命日に重ならないように、舅は旅立ったのでしょうか?

私の忙しさに忙しさにかまけて、供養を怠ってしまいましたが、こうやってブログで

生前の父と舅の思い出を載せることも供養になるのでは?と思い立って、書き留めてみようと思いました。

父、輝澄の思い出。

父は、とっても明るい人でした。

父のまわりにはいつも人が沢山寄ってきて、笑が絶えませんでした。http://blog.goo.ne.jp/goo422/e/bb10969b9157702c8656357aca35c7e9

何年か前に父の戦友に会いに青森まで行ったことがありますが、父の戦争当時の話をたくさん伺い、涙が出たことを記憶しています。マングローブの葉で家をみんなで作った時も、不器用な父はみんな、人任せ!

でも、人の良さと、明るい性格で、「輝さん、」と呼ばれて人気者だったそうです。「いつも死と隣り合わせの毎日でも,輝さんの明るさでどれだけ助かったことかしれません。」と話してくださいました。私の性格は父譲りなのかもしれません。

母に似たら器用だったのに、父の不器用なところが似てしまいました。

でも新しい機械にすぐに好奇心を持つことも父親譲りです。私が小学生だった時、当時としては珍しい、八ミリを持って授業参観に来ました。授業の様子を堂々と撮影していました。その八ミリで撮った映像を担任が見たい!と言って、で担任が来て、試写会がまでしていましたので、のどかな時代でしたね。

テープレコーダーでいつも戦争の回顧録を録音していました。

あの録音は何処へ行ってしまったのだろう?貴重な生きた歴史の証言でしたのに、、、

でも父はしっかり日記もつけていて、その日記を叔母が(父の妹)が本にしてくださっています。戦争体験された方がお亡くなりになって、今、戦争の怖さ。が風化されてきています。父の戦地での体験を私が子供にそして孫の世代に語り継がなくてはいけないと思っています。

59歳で亡くなった父。

父の命もしっかり生きていきたいと思います。

今日は父の思いでを綴りました。舅の思い出は次回に!