なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

昭和30年代・卵事情

2005-04-27 16:41:47 | 昭和
「卵は物価の優等生」とよく言われる。では、どの位優等生なのか検証して見た。昭和30年の卵の一個あたりの価格は14円(国家公務員の初任給8700円)では、平成16年の卵は一個あたり17円(国家公務員の初任給195000円)。なるほど、卵は2割位の値上がり、初任給は何と22倍の値上がりだ。もし、現在卵が初任給並に上がっているならば、卵一個308円、10個入り一パックが3080円だ。卵の価格がこの数十年価格が安定しているのは養鶏場のオートメーション化の賜物と言われている。さて、この卵も今から50年前には僕達の食卓にめったに並ぶ事はなかった。卵が食べられるのは、病気をした時と父親の給料日位だった。卵が滋養強壮の食べ物として高価な薬なみの時代だったのだ。ある日、母が知り合いの人が入院したのでお見舞いについて行った事がある。明治町にあった現在の共立病院(当時は下川辺医院)の近くに卵屋があった。りんご箱にモミガラが敷き詰められ卵たちが箱の中できれいに整列している。欲しい個数を言うと店の人は厚紙の箱の中にモミガラを敷いて卵を大事に入れてくれる、そして、のしをかけて出来上がりだ。その卵の入った箱を大事の抱えて病室に入るのだ。僕はその時その病院に入院している母の知り合いがうらやましかった。僕達が普通家で卵を食べるのは病気の時か父親の給料日くらいだ、しかもである一個の卵を水で薄めて醤油をたっぷりかけて親子三人でたべるのだ、それがその当時普通だった。そして、お代わりはさっきの卵を溶いた空き茶碗の中にご飯を入れ茶碗内壁わずかに残る卵をごはんでこそぎ落としながら食べるのだ。まさに卵は食べる「金の卵」だった。団塊の世代の僕達は卵に関しては他の世代の人達より思い入れがある。我が家の冷蔵庫には常に5パック位の卵の在庫がある、卵の在庫が少なくなると鞍手まで往復1時間の時間を掛けて養鶏場の卵を買いに行っている。いろいろな卵を試食したが、今の所鞍手のK卵が一番である。子供の時食べた卵の味がする、黄身があまく、深いこくがある。時間とガソリン代をかけても買う価値がある。そして、回転寿司屋に行っても真っ先に取る皿は「卵」である。