なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

から梅雨か

2007-06-24 10:31:51 | 昭和
昨日の天気予報では本日の降水確率70%だった。だから、町内の定例清掃は中止だと思い込んでいた。ところが、町内アナウンスで「本日の清掃は予定どおり行います」と放送された。清掃のため仕事を犠牲にするわけにもいかず清掃は欠席した。なにか後ろめたいものを感じながら家を出た。普通降水確率70%だったら確実に降るはずだが雲の合間から太陽がのぞく始末だ。やはり、今年は雨なし梅雨なのだろうか?年明けの暖冬の影響が大きいと言う。先日、瀬板の森貯水池を見たら水位がかなり下がっていた。もしこの貯水池が干上がったらならばどんな風景が現れるのだろうか。山奥の貯水池が干上がったら、校舎や役場の跡が出現してかってそこに住んでいた住民はみんな見物に来ると言う。消えてしまったはずの光景が再び出現するのだから見たいのは当然である。しかし、瀬板の貯水池の底に学校や役場があったはずはない。

今年の夏は扇風機

2007-06-21 21:39:51 | 昭和
寝室用に扇風機を買った。夏はエアコンで寝る習慣が何年も続いていた。この原因は隣の家の息子のマフラー改造車が夜遅く地響きをたてて何度も車庫を出たり入ったりすることからだった。しかし、この春からその息子は県外に就職して家を離れたのである。家族の最近の話題は「最近夜が静かになったね」だった。家族みんながひどい迷惑をしていた、しかし、隣人故に言えない辛さがあった。そんな迷惑騒音から家族は4年ぶりに開放されたのである。この日が来るのを皆待っていた。
 この夏は窓を開けて網戸から入ってくる風と扇風機の風で眠れると思うと嬉しい。今日、早速ナフコに扇風機を買いに行ったのであるがエアコンを買った時よりも嬉しかった。僕が小学生の頃の夏は蚊帳を張った寝床に入り家中の窓を開けてうちわで扇いで眠りについたものだ。そして、電気屋さんが扇風機を配達に来た時の感激は今もよく覚えている。昭和30年代は本当にエコな時代だったと思う。さて、今年の夏の電気代はどの位節約できるのだろう。今から楽しみである。

アジサイを見に行く

2007-06-18 20:33:24 | 昭和
若松の高塔山に今が盛りのアジサイを見に行った。三年ぶりのアジサイである。今年は入梅が遅かったので開花が遅れて今が満開とニュースで報じていたがアジサイの花にいつものような元気がなかったような気がした。写真も数カットしか撮らずに早々と下山した。梅雨の少雨のアジサイは彩りが悪い。3年前に撮ったアジサイの写真と比べたら全然違う。だから、本日の写真は3年前の高塔山のアジサイです。
 高塔山に行くときは車を若松駅裏の有料にとめて、若松駅構内の「東筑軒」でうどんを食べてから登るのが僕流のアジサイツアーである。しかし、今日の高塔山登山?はきつかった。もう何度も登っているのに何故だろう?と考えた。中腹ですでに息が切れかかっていた。そうだ、3年前からすると体重が5㌔も増えているのが原因だった。5㌔の荷物を背負って山登りしているのだから、きついのは当たり前だ。帰りに「おとぎの杜」で風呂やサウナに入った、腹が減ったので食事を頼んだ向かいの席の人がロースカツ定食を食べていたので、何も考えず「ロースカツ」を頼んだ。「しまった!またこれでデブになる」。禁煙して6年になるが、体重増加の後遺症が残ってしまった。今日の高塔山登山は「ダイエットせよ」と河童地蔵の声のような気がした。

戸畑・夜宮菖蒲園に行く

2007-06-11 19:37:35 | 昭和
気持ちのいい晴天に誘われて戸畑・夜宮菖蒲園に行って来た。夜宮公園は小学生の頃は遊び場だった、その昔戸畑は池の多い町だった。今でも地名にその名残がある、夜宮公園は夜宮池、新池、大谷池(今の大谷中学校のあるところ)そして、新日鉄戸畑の正門付近は当時「泥田(どんだ)」と呼んでいたほど池が多い街だった。その池は僕達小学生にとっては遊び場だった。素足のまま池に入ってザリガニを採ったり、鯉を追いかけたり飽きる事のない遊び場だった。時にはヒルに血を吸われたり、目の前を蛇が泳いで向こう岸に泳いでいくのを見たりとジャングル並みの面白さと恐さがあった。
 約50年ぶりに訪れた夜宮池は昔の面影など全くなかった。この時期テレビによく登場する菖蒲園の風景そのものだった。整然と整備された夜宮公園をウオーキングしながら僕は小学校4年生の夏の終わりの出来事を思い出していた。
 今は夜宮公園と言われる場所だがその当時は人家もある小高い山だった。その夜宮の山中に住む老婆が強盗に遭い殺害されると言う事件が起きた。その殺害された老婆は同じクラスのM君のお婆さんだったのだ。おじいちゃん亡き後も夜宮の山中で一人暮らしをしていたのである。M君のおばあちゃんが亡くなった事を聞いたのは夏休み最後の登校日の事だった。担任が「M君のおばあちゃんが、強盗に会い殺されました、みなさんおばあちゃんの冥福を祈って黙祷しましょう」。時々M君のおばあちゃんの家に遊びに行きおかしをもらったりした事のある子はみんなすすり泣いていた。そんな、むごい出来事のあった夜宮公園の山中を歩きながら「あのおばあちゃんの霊は成仏したのだろうか」と思うと鳥肌がたった。そうして、公園内を一周してスタート地点の菖蒲池に再び着いた。かなりの人出だ。雨なし梅雨のせいか、菖蒲の花に今一つ元気がなかった。傍らにさいているアジサイも精彩を欠いている。そうだ、梅雨の花に雨は欠かせないのだ。今年はから梅雨なのかと思っていたら、明後日から入梅すると天気予報で言っていた。「さてと今度はアジサイの花を狙ってどこにいきましょうかね」とつぶやいたら傍らで「佐賀の見返りの滝よ、しかも唐津に一泊で」と応えが返ってきた。本当は、高塔山のアジサイのつもりだったのに。

「かしわめし」モード

2007-06-03 11:50:39 | 昭和
折尾関連のHPを読んでいたら急に「かしわめし」モードになった、早速買いに出かける、場所は遠賀川沿いにある東筑軒の工場の売店である。売店とは言っても事務所の一角に弁当を積み上げているだけだが、以外にお客は多い。
 かしわめしは東筑軒に似せた弁当が市内のスーパーやコンビニに並んでいるが東筑軒の味を知っているものにとっては邪道である。味付けが濃くも薄くもない、だから、隅にある奈良漬けやこんぶの佃煮の塩気が美味しく感じる。7のかしわ弁当の濃い味付けから比べると上品な味付けだと思う。値段が750円もするのに人気があるのはそんな理由からなのかもしれない。数年前北九州に久しぶりに帰って来た知人に「何が食べたい?」と尋ねたら、迷わず「東筑軒のかしわめし」と答えたので駅まで買いに行った事がある。その日の歓迎の夕食はかしわめしのみだった、出前の寿司など要らないという。知人に言わせると「食べたい時にかしわめしが食べれるのは幸せよな、こればかりはネットで注文する事もできんけの」。そんな事を思い出しながら今は亡き知人の事に想いをはせた。