なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

人身事故目撃

2005-07-31 19:55:24 | 昭和
今夕6時半頃人身事故を目撃した。場所は高須サンリブを過ぎた芦屋方面に向かう片側2車線の下り坂での事故だった。僕は左車線を普通の速度で走っていた、その時前後に他の車はなかった、すると、僕の横を軽自動車が物凄いスピードで走っていった、さらに、その軽を追い越すかのようにバイクが軽の左後方に追いついた瞬間バイクは軽の左後部に接触して宙を舞い、バイクを運転していた若者は路上に投げ出され何メートルかスライドして、路上に横たわった、僕の車から10メートル位前だ。しかし、事故はそれだけではなかった、接触された軽はグリーンベルトを乗り越えて街路灯の柱に左側面から激突して止まった。ほんの数秒の出来事だった、街路灯鉄柱がゆらゆら揺れていた。その時路上に倒れていた若者が起き上がり、軽自動車に向かって歩きだした。僕はびっくりした、「よかった、無事だったんだ」と思った。車を左に寄せて救護に当たろうかと思ったが若者が自力で起き上がって歩きだしたので安心して、車を発進させながら左側面を鉄柱に向けて止まっている軽自動車を見て背筋が凍りついた、軽自動車の室内は左側面がクの字型につぶされ人が何人か乗っている、しかも動かない。大きな人身事故だった。この、事故を一部始終目撃しているのは僕だけだと思った。警察に目撃者として通報すべきだと思い僕は事故現場を下ってユーターンして再び現場に戻った。事故のため現場は物凄い渋滞が始まっていた。そして、救急車や消防のレスキュー隊も現場に着いて、車内に閉じ込められた人の救出を開始しだした。この混雑の中事故の状況をだれに証言していいのか分からなかった、今は車内に閉じ込められている人の救出に警察もレスキュー隊も最優先なのだ。僕は現場を再び通過しながら事故車を見ると酸素マスクを車内の人にあててエンジンカッターで車を切断している最中だった。全く動く気配のない被害者に酸素マスクをあてて必至に救助するレスキュウ隊の人が神様に見えた。家に帰ると僕は直ぐに若松署に事故の目撃者として証言する意思があることを電話した。それにしても事故は一瞬だった。この事故に関して軽自動車のドライバー、バイクの若者いずれに非があると僕は言える立場にない。しかし、双方ともかなりのスピードを出していたのは事実だ。僕の推定だと80キロくらいは出ていたはずだ、何故分かるかと言うと僕の一般道の速度は制限速度プラス10㌫以内だからだ。つまりあの道路を僕は55キロ以内で走っていたはずだ、その僕の車の横を猛スピードで追い抜いて行った速度は80キロ位だと推測した。もし、僕も同じくらいのスピードで走っていたら、路上に投げ出されたバイクの若者を轢いていたのかもしれない。僕は交通事故の加害者にならずに済んだ。プロドライバーだった父の声が聞こえた「T雄、安全運転とは金銭的に損をしない運転ぞ」。無事故無違反で県警本部長の表彰状を何回も受けた父の格言は僕の心にしっかりと染み付いている。このプログを覗かれたみなさん、「スピードの出しすぎとわき見運転は経済的に損失を被りますよ」気をつけましょう。

おぞましい同級生

2005-07-30 17:31:54 | 昭和
もう、今から5年位前の話である。高校時代の同級生が僕の職場に訪ねて来た。手が油で汚れている。「どうしたん?」。「いや近くで車が故障してJAFに連絡したら修理代が2万くらいかかると言われての、あいにく財布を家に忘れて来たんよ、月曜日に銀行が開いたら必ず返すから2万円貸してくれんかな」と彼が言う。「それは、困ったの、2万円でいいの?」「もし、足りんやったらいけんから3万円いいかの?」と彼。僕はポケットから3万円出して彼に渡した。彼はそれを受け取ると「すまんな、月曜日に返すけ」といいながら大急ぎで帰って行った。彼が帰った後のテーブルにタバコとライターが置き忘れられていた。僕は彼の後を追った。すると彼は100mくらい先に止めていた車に乗り込む瞬間だった。僕は「しまった!やられた」と思った。車が故障したふりして、手も油で汚し、同級生や知人からお金を騙し取る手口だったのだ。彼とは高校が同じと言うだけで在学中は特に親しい間柄ではなかった。その2年位前に黒崎の飲み屋で一緒になったのだ、お互いの名刺を交換して、その夜は昔話に花が咲いて以来の再開だった。彼は区内で建設業を営み羽振りがよさそうだった。車もベンツを乗り回し、ゴルフが趣味だと言っていた。その彼が何故2年後に同級生相手に寸借詐欺をするようになったのか?バブルが崩壊して建設業がバタバタと倒産している最中だったのだ。彼の会社もあえなく泡と化してしまったのだ。多分、借金もかなりあったはずだ。彼があの日乗り込む自動車はベンツではなく営業用の軽トラックだった。僕は名刺ホルダーから彼の名刺を探して、電話をかけた「この電話は現在使われていません」との案内が流れてきた。僕は詐欺被害にあったのだ。僕は念のため別の同級生に連絡した。するとその同級生は10万円被害にあっていた。その手口はこうだ。最初は車の故障でJAFに払うお金を2万円借りて、そのお金は2日後にきちんを返しにきた、菓子折りを携えて。次は約一週間後に飲酒運転で相手の車にかすり傷を与えたという、警察沙汰にする代わりに、相手が10万で見逃してくれるという、そのお金を同級生から寸借したのだ。なるほど、知能犯である。同級生と言う立場で相手を安心させて寸借詐欺を働く、何というおぞましい行為だろう。僕は怒りよりもそんな同級生を持った事が寂しかった。あれか5年、彼とは会っていない、今ごろ彼はどうしているのだろうか?

運動休止7日間

2005-07-29 12:55:23 | 昭和
先週の自転車事故以来ちょうど一週間運動をしていない。起きたり、歩いたりするだけで左胸部に痛みがはしるので運動などできる訳ない。毎年7月と8月は週に3回位は桃園の屋外プールで泳ぐのを日課にしていた。もう、4年位通っているので水泳仲間が心配して電話が掛かってきたほどである。それにしても、胸部を一箇所打撲しただけで日常生活にこれほど影響があるのかと驚いている。当たり前に歩いたり、泳いだり、自転車に乗れる事がどんなに素晴らしい事なのかと思い知らされた。ところで、一週間も運動してないので体重が増えただろうなと思っていたら今朝計った体重は一週間前と同じだった。体脂肪も変わらず、普通だったら確実に体重は増えていたはずである。食事の量も飲酒の量も前と同じだから体重は増えて当然である。そうか、寒天のせいだ。毎食前に寒天を食べだしてもう3週間目になる、寒天粉を味噌汁にとかしたり、緑茶やコーヒーにも入れて一日適量の6g食べている。やっぱり、寒天効果だと実感した。寒天を食前に食べると食事の量が3割位少なくなる。ちなみに昨日はスーパーの魚売り場の「海鮮巻」を買った。一パック6個入りを以前なら一人で食べたものだが、4個食べただけで満腹中枢から指令が来て、2個を残してしまった。この2個を食べるか食べないかがダイエットの分水嶺なのだ。もし、これで運動が継続出来ていたらもっと効果があったに違いない。寒天は今でもスーパーの棚から消えたままだ。粉寒天も品薄状態だと言う、僕はネットで300g取り寄せたのであと2ヶ月位は大丈夫だ。いずれにしても、寒天ダイエットは一日当たり50円で出来る超格安で安全な方法だ。

整形外科再診

2005-07-28 15:11:53 | 昭和
朝起きた時左胸部にこれまでにない大きな痛みを覚えた。身体を動かすたびに心筋梗塞じゃないかと思うような鈍い痛みが襲ってくる。車の乗り降りも顔をしかめながらする事になる。この間受診した「前○整形外科」に再び行った。今日はこの間ほど混んでなかった。診断した医師は産医大の先生だった、本当に久しぶりだった。「おっ どうされました?」「いや、自転車のハンドルが折れてこのざまです」。実はこのO先生は僕の家内の友達のご主人だった。レントゲンの写真を前に診断を聞くと骨には異常がなかった。今度は「リブコルセット」を処方された。胸部に巻きつけて患部を固定するコルセットだ。これを巻くと不思議と痛みが軽減される。痛みの原因は昨日、午後自宅車庫のコンクリートのカビ取りをするためデッキブラシで長時間磨いたのが悪かったらしい。よくなりかけた所に無理して再び悪化したのだろう。そういえば今月に入って一日も休んでいない。そうだ、「今日は仕事は皆に任せてオフにしよう」と早々と家に帰って来た。午後から高校野球もゆっくり観戦できた。戸畑商業は残念ながら2対4で柳川に負けた、しかし、あの柳川に2点も入れたのだ、これまで無失点で来た柳川の渡辺投手も戸畑商業には手こづっていたようだ。だが、戸畑商業よくやった。試合終了後涙を流す戸畑商業の球児達に僕の胸も熱くなった。一生懸命に頑張ったものにしか流せない青春の涙がさわやかだった。さあ、今度は福岡代表「柳川商業」を応援するぞ!

ゴールドライセンス!

2005-07-26 20:34:24 | 昭和
本日運転免許の更新に行って来た。そして、免許証が金になった。もう、ここに来るのは5年後でいい。僕にとってゴールドは初めて手にする免許証だ。写真を撮って30分の講習を受けただけでもう免許証が出来ていた、ビックベアのピザより早いじゃないか、僕はこ踊りしたくなるほどうれしかった。僕が最後に交通違反をしたのは平成10年の8月末だった、家内と二人で宮崎に一泊で旅行した時の事である。九州自動車道を熊本以南に走った事のある人はご存知だろうが、熊本を過ぎてから人吉まではトンネルの連続である、しかも、半端な長さではない、もともと僕はトンネルとか地下鉄が嫌いな性分なのでいつもイライラするのだ。そして、人吉を過ぎて宮崎自動車道に抜けたらそこは南国宮崎だった、広い道路、明るい青空、そして、走行車両の異常に少ない道路だった。僕達夫婦は一路宮崎市内のホテルを目指していた。その時バックミラーに赤色灯を付けたクラウンがライトをパッシングして「路肩に止まりなさい」と叫んでいる。覆面パトだった。しかし、最初は何で停車させられるのか分からなかった、するとクラウンから警察官が下りてきて言った「スピード違反ですよ、かなり飛ばしてましたね」と言う。「ハアー そんなに出してませんよ、百キロ少しでしたよ」と僕。すると警察官は「ここは80キロ制限です、あそこに標識があるでしょう」。そう言われて見ると80キロの標識が確かにある。僕は力が抜けた、そして、覆面パトの中でスピードの確認をしたら108キロの速度記録が残っていた。「参ったなーあの何とか違反速度をまけてもらえませんか?」とっさに僕は警察官に言った。すると「そうですね、8キロまけて20キロオーバーにしときましょう」と警察官、やったー言ってみるものだ。僕はさらに「あと5キロまけてもらえません?」。「ダメです」と警察官。まあいいか、8キロまけてもらった事だし。そして、青色切符に指紋を押して僕は自分の車に戻った。ホテルに着いて仲居さんにその事を話すと「あそこは県外から来られた方がよくつかまる場所なんですよ、車は少ないし少し下り勾配ですからね」。そうか、僕は完璧に宮崎県警のわなにはまったのだ。以来僕は新しい道路を走る時は速度標識をまず確認してから走るようになった。その後交通違反は一度もなく現在に至っている、そのご褒美が本日のゴールド免許証だ。帰りの車の中で7年前の宮崎旅行の事を思い出して懐かしくなった。また、宮崎に行きたいな、今度は10号線経由でのんびり行こうかな。

プログとテレビニュース

2005-07-25 16:22:49 | 昭和
「八幡西区でコンビニ強盗発生」昼前に家に帰ってパソコンを開いたらローカルニュースで報道していた、その画面を見ながら、プログチェックをしていたら、「吹く風」のしんたさんがいち早くプログにコンビニ強盗事件を更新していた。プログの内容をテレビニュースがさらに詳しく報道しているようで事件に緊迫性があった。テレビに映っているコンビニは見覚えのある店だった、実は知人が前の豊○スカイマン○○○に住んでいるので時々利用する事があるからだ。最近のコンビニでは強盗が入ったら抵抗せずにお金を渡すように教育されているらしい、だから、人的被害がないのだがそれをいい事にコンビニ強盗は絶える事がない。おまけにコンビニ強盗はなかなか犯人が捕まらない。ひとついい方法がある、それは強盗犯人に渡す紙幣にマイクロチップを印刷したものを渡すのだ、そのマイクロチップが発する信号をGPSがキャッチして犯人の居場所を突き止めると言う方法なのだが、いかがだろう?今の日本の技術なら可能だと思うのだが。

整形外科初体験

2005-07-23 17:30:12 | 昭和
朝起きたら、昨日の自転車事故で打った肋骨付近の痛みが増していたので、今朝職場近くにある前○整形外科を受診した。行くと駐車場は満車状態だった。受付けで新患の手続きをして一時間近く待って最初はレントゲン、そして医師の診断を待つ事さらに一時間。やっと診察が受けられた。胸や足の写真を前に説明を受けた。骨に異常はないそうだ、打撲の痛みなので2週間位で自然に痛みが消えるとの事だった。「もし、肋骨の上の方をもっと強く打ったら肺に肋骨が刺さって大変な事になっていました、顔面や頭を打たずによかったですね」と言われた。僕は背筋が凍りつく思いで医師の説明を聞いていた。「よかった~、この位の軽症で」と胸をなでおろした。事故と言うのはこんな事なんだと思った。最悪を考えると死にいたるのだ、もし、あの時右折車があったら、もし、車道を走っている時だったらと。そして、診察が終ってシップをもらい病院を後にした。何と受付けから2時間半も経過していた。そう広くもない待合室は患者であふれていた。この整形外科はスポーツ選手が多い、野球の制服を着た中学生もいた、腰痛の症状を説明する若い女性もいた、腰の曲がったお年よりもいた、あらゆる年代の人が痛みを訴えて来院しているのだ。整形外科がこれほど繁盛しているとは思わなかった。しかしながら、あの自転車のメーカーには腹がたってくる、確かにドイツ製だが製造は中国だ、僕はもともと中国製をあまり信用していない。かと言って今の日本で中国製を拒否できない。BD-1の代理店が福岡にもあったので厳重に抗議のファックスをさっき送っておいた。

自転車事故

2005-07-22 22:19:03 | 昭和
ついに自転車事故で怪我をした。本日、午後7時頃、通勤途中の横断歩道上で突然ハンドルが折れて歩道に投げ出された。両足膝に打撲と左胸の肋骨を強打した。何とか壊れた自転車を持ち上げ震える足で歩道に辿りついた。実はこの自転車は先月新しく買った例のドイツ製の折りたたみ自転車BD-1だったのだ。ロードバイクのパンクが頻繁なのでパンクに強いこの自転車を購入したのだ。雑誌などの書評によると世界一安全基準の厳しいドイツ工業規格のもとでこの自転車は製造されているらしい。それが、何でこんなに簡単にハンドルの折りたたみ部分から破壊したのか、僕は納得がいかない。折りたたみ自転車はもう一台もっている、2万6千円の安物だが今でも職場で活躍している。しかし、このBD-1は14万の値段である、それが何で考えられない構造上の不備で走行中に折れてしまったのか、僕の心は怒りに燃えている、このプログを書きながら、両膝には痛みがきている、そして肋骨の上の筋肉が痛む、もしかしたら肋骨にひびが入っているのかもしれない、痛みが続くようだったら明日にでも外科にかかる予定である。そして、日本でのBD-1の代理店に今日の事故の事を連絡してクレームをつけるつもりでいる。憧れて買ったBD-1、それも一ヶ月位後の無残な結果に僕は心底落ち込んでしまった。それにしても、これがもし車道を走っている途中の事故だったら今頃僕は救急病院のICUか斎場の御通夜の主人公になっていたのかもしれない。とりあえず、このプログを今夜も更新できた事を嬉しく思う。あー左胸がいたい。今夜はもう寝ます。

我が家の手前味噌

2005-07-20 10:48:20 | 昭和
僕の家では味噌汁は365日毎日作る、しかも、野菜たっぷりの健康味噌汁である。その味噌であるが、味噌そのものにもこだわっている。味噌の在庫が少なくなりかけると、僕の出番だ。八幡西区のはずれに香月という町がある。初めて行く人は絶対に道に迷いそうな場所にその味噌屋はある。そこで作ってそこで売っている。名前を「和田味噌」と言う。僕は20年近くここの味噌を定期的に買っている。ここの味噌しか食べれない舌になってしまった。僕が買う銘柄は「中あわせ」である、米、大麦、大豆、麹、と塩だけで発酵させた昔ながらの製法で作った味噌である。化学調味料を使っていないので食べた後味がすっきりしている。僕は別に自然食家ではない、化学調味料を否定するものではない、ただ、味噌に関しては化学調味料を使うべきではない、麹で米や大豆を発酵させる事自体が天然調味料なのだ。その旨みを化学調味料は消してしまうからだ。だから、外食した時について来る味噌汁は一口飲んだだけで後は飲まない、いや、飲めないのだ。味にこだわっている飲食店でも味噌はスーパーの味噌を使っている所が多い。定食のオカズや添え物がどんなにおいしくても味噌汁がまずければがっかりだ。外食の店でメニューや看板に「和田味噌使用」と書いてあれば僕はその店をひいきにするだろうと思う。昨日、炎天下の中、和田味噌に買いにいった、「2キロを5個ください」、店の人は大きな樽の中から味噌を手際よく計り袋に詰めてくれる。昔ながらの対面販売と計り売りである。僕の一番好きな商いのスタイルだ。昭和の後半まではみんなこのスタイルで商品を買っていた、ここに来ると昔ながらの商いに僕はいつもホットする。今夜のおかずはナスと豚肉の味噌炒めだそうだ。今夜の焼酎のつまみもこれでよし。

僕は宿命的に休み不定期である

2005-07-18 16:35:58 | 昭和
最近忙しい日々が続いている。おまけに今月と来月は休みがない、不定期に平日のヒマな日に休もうと思うのだが何かと予定が入り思うように休みがとれない。決まった休みがないというのはそれだけでストレスである。僕は社会人になってから日曜日や祭日とは縁のない会社で働いて来た。土日休みで夏休み、冬休みがある会社に就職したのはK無線を辞めて他の会社に再就職したたった2年位の期間だ。土日に毎週連休があると言うのは僕にとって最初は感動を与えた。しかし、土日休みもそのうちその正体がわかり有難味が薄れてくる。すなわち、何処に行っても人ごみと渋滞に巻き込まれる、平日の休みよりもかなり疲れてしまった。サラリーマン生活に見切りをつけ自営業にはいったとたんに今度は無休の生活に突入した。人は身勝手なものである、会社勤めの時は休みが来るのを指折り数えたものだが、自営になると休みなどどうでもよくなった。休みを取るのがもったいないほど儲かっていたのではない、無休で仕事をしなければ生活が成り立たない生活が10年近く続いたのだ。それまでの年中無休体制を変えたのは今から10年前だ、自宅新築を機会にもう少し人並みの生活をしたいと思うようになったからだ。それでも、繁忙期の7・8月と12月は無休で仕事をしている。一般のサラリーマンからしたら年間休日は半分以下である。しかし、自営業のいいところは日中でもヒマな時は運動したり、風呂に行ったり、こうしてプログを更新したりさらに家に帰って昼寝をしたり出来るのでサラリーマンを羨ましいとは思わない。むしろ、今の僕の自由気ままな生活はサラリーマンから見たら逆に羨ましがられるに違いない。僕は宿命的に「休み不定期」の星の元に生まれてきたに違いない。