なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

7歳の屈辱

2005-04-24 20:39:45 | 昭和
僕の小学校時代は貧乏だった。確かにあの頃はみんな貧乏だったが僕の家は特に貧乏だった。毎月の給食費が払えない月もあった。7歳の僕にとって生涯忘れる事の出来ない出来事がある。給食費を滞納している僕に女教諭が「前に出て来なさい」と言う。僕は言われるまま先生の前に出て行った。「T君 給食費をどうして持ってこないと?」「はい、ちゃんと母ちゃんには袋を渡しました」「じゃどうしてそれにお金を入れて持ってこんの?」そして、先生は僕の前にしゃがみ込んで僕の顔をのぞき込むように言った「T君だけよ 給食費がいつも遅れる家は!そのくらいのお金ぐらいあるやろ!」僕はその時先生から叱られていると認識した。僕は後ろにいるクラスのみんなの好奇心に満ちた気配を感じた。それと同時に恥ずかしさでしゃがみこみたい心境になった。その後給食費未納の結末はどうなったのか判らない。また、7歳の僕もその出来事は忘れたかのように見えた。その担任は僕の1年と2年を担当して他校へ転任して行った。名前をE先生と言った。僕が一年生の時に味わった屈辱を思い出したのは卒業写真に僕達の一年生の時のクラスの集合写真の中にそのE教諭を発見した時だ。僕の中にあの日クラスの皆の前で味わった屈辱感がよみがえっていた小学校を卒業直後の年である。それは12歳の僕にとって「怒り」の気持ちに変わっていた。「7歳の児童を皆の前に引きずりだして、貧乏呼ばわりする事が教師の仕事か、7歳の子供の心がどれ程傷ついたか知っているのか」僕はコブシを握り締めながらその写真のE教師の顔を凝視した。僕はあの屈辱以来「女教師」を忌み嫌うようになった。3年生と4年生も「女教師」だった、貧乏呼ばわりこそされなかったが「えこひいき」のひどい教師だった。その「えこひいき女教師」の話はまた、日を改めて記述したいと思う。本日の写真ネタは、その時の集合写真にしようと思ったが、E先生のプライバシー(ご健在なら80歳くらいか)もあるので、それだけは出来なかった。改めてE先生に申し上げます「僕が現在こうして何とか小さいながらも事業を起し人並みの生活が出来るのも「あの時の貧乏」が原点です。E先生ありがとう。貧乏は恥ずかしくないのです、僕に勇気とやる気を与えてくださったE先生ありがとうございました」。それで、本日の写真ネタは当時の「机と椅子」にすり替えました。