なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

給食とグレンミラー

2005-04-20 17:33:31 | 昭和
上の写真は昭和30年の戸畑小の給食風景です。木製の机とイスに仲良く並んで皆で給食を食べています。ただ、この写真には一つだけ間違いがあります、それは、教室の中はこの写真のように暗くはなかったと言う事です。今夜は底抜けに明るくにぎやかだった昭和30年初めの僕達の給食時間にご案内します。
 勉強嫌いな僕が学校に行く目的は二つあった、友達と遊べる事と給食がある事だけだった。当時僕達の食料事情はかなり悪かった、食品は僕達の歩いて行ける範囲内でしか調達できなかった、魚は下関から売りに来る行商のおばちゃんから、豆腐は近くの同級生のH君から、野菜や調味料は駅前の市場に母は毎日のように買い物に行っていた、食品を保存する冷蔵庫などまだない時代だった。我が家の朝食はご飯に漬物、そして豆腐とか菜っ葉の入った味噌汁が年中無休で提供された。夜はそれに煮魚や根菜類の煮物が少々付くくらいだった。しかし、小学校に入学してからは違う、毎日違う給食のメニューは僕達の期待を裏切らなかった。大きなパンと牛乳、それについてくる「タカマーガリン」。どれをとっても今まで食べた事のない未知の食事だった。僕が覚えているのは小1から小2位まで続いた、戸畑小での給食時の「儀式」である。配膳が終わり先生も僕達も机に座り、校内放送が始まるのを待つのだ、その校内放送は今でもハッキリ覚えている。「よい子の皆さん、これから給食を頂きます。美味しい給食を食べる事が出来るのは「進駐軍」の兵隊さんのおかげです。みなさん、感謝して食べましょう、それでは、いただきます。」それだけではない、BGMにアメリカの音楽が流れるのだ、曲名の紹介まである「この曲はアメリカのグレンミラー楽団のアメリカンパトロールです」。毎日日替わりでBGMも変わるのだ、殆どが軽快なテンポのグレンミラーの曲だった。僕達の充実した給食の材料はアメリカ軍からの贈りものだと聞いた、小麦粉、牛乳(とは言っても脱脂粉乳をお湯で溶いただけのもの)当時の民間人が手に入れる事の出来ない食材で僕達の給食は作られていたのである。小さな教室に定員を超す児童がいる教室で一斉に給食を食べる光景を想像して欲しい、金属の食器の触れ合う音、笑い声やみんなの話す声が校舎の外まで聞こえるのだ、そして、スピーカーから聞こえるしゃれたグレンミラーの音楽。その当時の僕達の給食は時代の最先端だったのではないだろうか。今思えば当時の給食など現代の小学生が見たら手を付けないだろう、しかし、僕達にとって学校の給食時間は明るい未来が見えるようなひと時だった、みんなの笑い声、話声そしてグレンミラー。