なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

それぞれの「月光仮面」

2005-04-21 15:05:33 | 昭和
月光仮面がテレビに登場したのは昭和33年、僕が小学2年生の時だ。当時テレビを所有している家庭は殆どなかった、テレビがあったのは地域の公民館だけだった。地域の大人たちが子供達の楽しみのため公民館のテレビを開放してくれたのだ。毎週日曜日の午後7時から始まる「月光仮面」を見るために僕は夕食を急いで食べ終えると隣のT美を誘い毎週公民館に通ったものだ。番組が始まるまでまだタップリ時間はあるのに近所の子供達はテレビの前に座って待っている、中には親が子供達のために用意した駄菓子などもあり、お茶も用意されていた、まさに、毎週日曜日7時はその公民館は「子供達の社交場」に変わるのだ。7時の時報とともに「♪タケダ、タケダ、タケダ~♪」のCMソングが流れ、いよいよ月光仮面の登場だ、「♪月光仮面のおじさんは正義の味方だよい人だ♪」のテーマソングの流れるなかバイクに乗った月光仮面がマントをひるがえして登場するのだ、拍手をする子もいる。そして、物語は佳境にはいり月光仮面は黒装束の悪人たちを2丁拳銃でバッタバッタと倒すのだ。もう、僕達は息をするのも忘れたかのようにテレビの画面を食い入るように見つめている。そして、30分の月光仮面はあっと言う間に終わってしまう。公民館を出た僕達はもうみんな「月光仮面」になりきっていた、手でピストルのまねをして「バキュウーン!」とお互いに打ち合いをしていた、T美までも「女月光仮面」になりきっていた。月光仮面が現れるまで僕達の遊びはチャンバラごっこだった。月光仮面以来遊び道具は刀からピストルに変わった、物陰に隠れてピストルの打ち合いをするのだ、月光仮面役は僕達より年上の子がなり、僕はいつも彼に打たれて倒れる悪党役だった、もう何十回殺されたかわからない。その当時の僕達にとって月光仮面はヒーローだった。その後テレビや映画には色んなヒーローが登場したが「月光仮面」を凌ぐヒーローは現われなかったような気がする。団塊の世代が初めて巡りあったヒーローだった。そのヒーローに僕達は強くなりたいという望みを託したのかも知れない。その気持ちを裏返せば「もっと裕福な生活がしたい」と言う願望も込められていたに違いない。僕の家にテレビが来たのはそれから約7年後、僕が中学生になってからだ。この頃日本は高度経済成長時代の入り口に差し掛かろうとしていた。あの「月光仮面」に託した僕達の夢はまもなくかなえられようとしていた。昭和30年代を語るうえで「月光仮面」を抜きにして語ることは出来ない。月光仮面は今でも僕の心に中に昭和30年代の風景と共に生きている。