なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

ASKAの事

2014-05-17 14:41:55 | 昭和
 ASKAが覚せい剤不法所持で逮捕された。昨年からそういう噂が飛び交っていたので「やっぱりか」という思いである。実は僕の家内がASKAのフアンだった、いつしかASKAファン同士のグループで情報のやり取りをするようになった。その時、ASUKAの隠れ別荘が岡垣にあるらしいという情報を手に入れてきた。場所は岡垣の成田山不動寺を過ぎた湯川山にあるマンションがそれだと言うのだ。当時7人乗りのSUVを所有していた僕に家内が友達も一緒に乗せてその場所に連れていって欲しいというのだ。それならばと僕は家内とその友達を乗せて湯川山を目指した。成田山は初詣で時々いくのだが、それから先の道は初めての道路だった。道はだんだんせまくなるしアメリカ製の大型SUVなので対向車が来たらアウトだ。そんな不安にかられながもそのマンションまで辿りついた。なるほど、芸能人がお忍びで来るには格好の場所だ、静かな山林、きれいな空気、そして眼下には玄界灘が一望できる。もちろん一般の人が足を踏み込めるようなロケーションではない。やっぱりこの場所に違いないと確信した、車を降りて7人の男女は付近を散策するがマンションの立ち入りは部外者立ち入り禁止の張り紙があるので建物内の進入は出来ない。マンションを背景に記念写真をとりあったり、車の中で飲み物など飲みながら待つこと一時間。その間その建物への人の出入りは一人もなかった。「涼ちゃんは今頃東京だよ、あきらめて帰ろうよ」と言うとみんなうなずいた。ASUKAの隠れ家が分かっただけでみんな満足だったのだ。あれから、17年あの建物はまだあるのだろうか、もし、あっても2度と行きたくない。

6時間の寿命

2014-05-15 16:27:30 | 昭和
 昭和27年4月弟が生まれた。難産だったらしいが、とにかくこの世に生を受けることができた。そのとき僕は4歳。父と話して、名前まで決めていた。男だったら「節雄」女だったら「節子」。その前の年、近所の子供達と鹿児島本線の踏み切りを渡り終えない最後の女の子が列車にはねられ死んだ。その子の名前が「節子」だった。父に連れられて母の入院する病室に入った。そこに、赤ちゃんはいなかった。生まれて6時間後に亡くなったからだ。髪の毛がふさふさした顔立ちのいい子だったと父から話を聞いた。今から60年前の出来事だが病室の光景と、火葬場帰りに遺骨を抱いた父と僕が小倉駅前の平和通りをとぼとぼ歩いている姿を何故か鮮明に覚えている。我が家のお墓には○○節雄・夭折当歳と刻まれている。

38年前にタイムスリップ

2014-05-15 14:12:16 | 昭和
 この間数年ぶりに黒崎の街へ行った。商店街はあい変わらず閑散としており、この街の復興はもうないのかも知れないと思った。わが青春の表舞台であり、キラキラ輝いていた当時の黒崎の街が懐かしい。僕が当時勤めていたK無線の前で立ち止まった。この店舗のシャッターが下されて久しい、その前は大手の不動産会社の店舗が入居していたが別の場所に移転してから空き店舗になったままなのだ。
今から38年前のオーデイオブーム全盛期には九州で唯一の専門店として飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していた、仕事の喜びを教えてくれたのもK無線だった、現在の家内と知り会ったのもこの店の前だった。「このシャッターを開けたら38年前にタイムスリップ出来ないかな」とそんな嬉しい空想をしてみた。

3年ぶりの更新

2014-05-13 14:51:29 | 昭和
久々に自分のブログを読み直して、懐かしい気持ちになった。そして、この空白の3年間を思った。一昨年には母を亡くし(92歳)、その半年後には伯父が死去したこと。そして、その2カ月後には自分自身が胃潰瘍で吐血して入院したことなどストレスの多いブログ空白期間だった。自分自身の日記なのだからときどき更新しようと思う。