なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

まぼろしの級長選挙

2005-04-26 16:26:21 | 昭和
僕の小学校3年と4年の担任は女性教師だった。その先生の名前をW先生と言った。自分より上に弱く自分より下にはめっぽう強い性格の人でえこひいきも凄い人だった。もしこんな教師が今でもいたら、教育委員会で懲罰にかけられる事間違いないだろう。ある日、「このクラスの級長を選挙で選びましょう」と言う事になった。各自意中の人を紙に書いて箱の中に入れる事から「級長選挙」は始まった。そして、即日開票である、黒板に数名の名前が書かれた、その下に「正」の字でカウントが書かれていく、一番はK君だった、彼はお金持ちの子供で、りっぱな家に住み成績優秀でいつも小奇麗な身なりをしていた、彼の父親はPTAの役員でもあり、W先生一番のお気に入りの子供だった。昨年の級長も彼が指名され、今年も当然「K君」が指名されるとだれもが思っていた。ところが、K君の隣に何と僕の名前が書かれたのである、そして得票も彼と並んですぐ彼を追い越してしまった。「僕が級長に選ばれたのである」。僕の頭は真っ白になった。予想もできない事だった。出来るなら断りたい気持ちだった。そして、選挙委員のIちゃんが「今年の級長T君に決まりました」。同時にW先生が教壇に上がってきた。「はいそこまで、今年の級長はやっぱりK君にお願いします、K君のお父さんはPTAの役をやっているし、いいですね、K君お願いします」と言うとさっさと教室を出て行ったのだ。W先生の出て行った教室の中はみんなのブーイングの嵐だった。しかし、僕はホットした「級長など誰がするものかと」思っていたからだ。しかし、僕は別の面で嬉しかった、クラス一の人気ものに選ばれたのだ、勉強はK君には敵わないが体操時間にかけっこをして彼に負けた事がない、それに、僕の鹿児島弁まじりの話がみんなに受けていつも笑いを取っていた。そして、僕を選んでくれたのはクラスの中で大部分を占める「貧乏派」の子供達だった。一方のK君は「金持ち派」の党首だった。この選挙で実質的には「貧乏派」が勝ったのだ。僕達は胸をはり大威張りで学校を後にした。家に帰り母に今日の事を話した。母は言った「わいがごとビンタの悪かもんがねーじゃどん、きばれ T雄!」(同時通訳:おまえのような頭の悪い子がねーでも、頑張れT雄!)母の顔がうれしそうだった。