なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

訃報

2005-11-28 21:45:54 | 昭和
再び訃報が届いた。今朝次女の親友の母親が亡くなった。53歳だった。直接の死因はガンだった。5年位前の乳がんを皮切りに一年置き位に各部に転移しその都度手術、入院の繰り返しだった。初めてのガンが見つかり5年のあいだその殆どが病院暮らしだった。先月、ガンは脳に転移し、主治医からあと数週間の命だと告げられていた。そして、今朝その子の母親は苦しみのない世界に旅立っていった。壮絶な闘病生活だったらしい、普通最初のガンが早期発見されて、手術すれば余命は5年単位で伸びるのだが、彼女の場合は一年おきに子宮へ腸へと身体各部へと転移していった。しかし、手術のたびにガンを克服して退院し、自宅に帰る事もできた。考えれば凄い生命力だと思う。各臓器を襲ったガンをその都度制覇して普通に生活出来たのだからすごいと思った。最後のガンは脳に浸入して、彼女の脳幹にダメージを与えて死に追いやったのだ。なんとも憎きガンだ。それでも。意識の殆どない状態で「自分の家に帰りたい」と言った言葉が最後だったらしい。53歳で我が娘の花嫁姿も見れずにあの世に旅立つ母親の無念さを思うと目頭が熱くなった。

最後の日曜日

2005-11-27 21:21:23 | 昭和
本日の日曜日が僕にとって本年最後の日曜日だった。昼前からいい天気になったので車を念入りに洗ってワックスをかけた。今年最後のワックスがけだ。11月も終わりになると「今年最後の行事」が多い。一昨日は「今年最後の散髪」に行って来
た。そして、今年最後の家族揃っての夕食。すき焼きを囲んだ。帰りがバラバラの家族なので全員揃うのは年に数回しかない。家族が4人揃って毎日食卓を囲んだ日々が懐かしい。そして明日から34日間無休で仕事をせねばならない。盆も正月もない仕事なのだ、しかし、その仕事のお陰で家も建て、車も4年おきに新車が買えるのだ、先月買ったばかりのトヨタ・アル・・・・にワックスをかけながらそう思った。そうだ、気合だ!気合だ!頑張るぞ。年明けに家族で温泉に行くぞ!

密葬

2005-11-26 17:26:49 | 昭和
取引先の社長の母堂が亡くなった。実は先週、危篤だと聞いてあわてて礼服を新調したのであるがその礼服に袖を通す必要はなかった。縁故者のみで通夜から葬儀を済ましたのだつまり「密葬」である。僕は密葬について考えた、会葬者の多くは、家族である息子の同僚、仕事の取引先などが中心となってしまう。会葬者の多くは本人の死を悼んで集まるのではない。この人々にとって本人の死は他人事なのである。その結果、肝心の本人の死がぼやけてしまい、何のための葬儀かが見えにくくなってしまうということではないか。少なくとも、そうでしかないと感じる人々が増えてきたことは事実である。生前一面識もない物が親族と悲しみを共有できるわけなどないのだ。「義理を欠かすまい」という理由だけでこれまで参列して来た僕としては今回の密葬がこれからの葬儀の主流になるのではないかと思えた。葬儀社の演出した葬儀は何故かよそよそしいものがある。故人の血縁者、友人、知人が集まって故人を偲び通夜をすごし、皆から最後の別れを言ってもらうのが故人の意思だと思う。そして、密葬をする事で経済的にもお互いに負担のかからないこの密葬が何故か本当に心のこもった葬儀に思えた。今年86歳になった僕の母も「私が死んだら密葬にして、父ちゃんみたいな派手な葬儀はいいよ」といつも言っている。そうだ、父が亡くなった時の葬儀は会葬者の半分以上が取引先の人だった。結婚式も毎年簡素化しているそして葬儀も簡素化されている。新聞の訃報欄にも「近親者のみで密葬を済ませた」という記事が目立つ。冠婚葬祭ビジネス関係者は冷や汗をかいていることだろう。
 

旭湯

2005-11-21 20:17:41 | 昭和
午後戸畑の実家から帰り道に戸畑渡し場付近を散策した。「ALWAYS 3丁目の夕日」を見て以来、何故か昭和の面影が色濃く残る戸畑渡し場付近を歩きたくなったのだ。今年の春以来8ヶ月ぶりだった、あの時は自転車でのんびり昭和の町をながめた。今日は車を有料に預けて徒歩でゆっくり歩いた。路地裏を隅から隅まで食い入るように一軒々眺めながら歩いた。気に入った建物はデジカメに収めた。そして、南鳥旗の角の建物を見て目が点になった、50年前の銭湯がそこにあった、名前を「旭湯」と言う。その銭湯こそ両親と一緒に通った懐かしの銭湯だったのだ。しかも、現役で営業をしている。入り口には近所のお年寄が数人銭湯が開店するのを待っていた。僕は懐かしさで胸がいっぱいになった、建物はそのままだ「旭湯」と書いた看板もそのまま、裏には当時の銭湯特有の煙突がそびえていた。僕が子供の頃は歩いて15分位の圏内に銭湯が何件もあった。しかし、各家庭に内風呂が普及し銭湯はその役目を終えた。小学校のとき家業が銭湯のクラスメイトも何人かいた。その「旭湯」に本日遭遇するとは思わなかった。親子3人で夜道を風呂道具を持って通った昭和30年代前半の思い出が蘇った、銭湯に通いながら親子のコミュニケーションがあった時代なのだ、昭和30年代は。今度来るときは風呂道具を持参して「旭湯」のお湯につかりたいと思う。帰りに小腹がすいたので「戸畑チャンポン」を「こうふく亭」で食べて帰った。わずか2時間位の時間だったが、昭和30年代にタイムスリップしてきた。やはり、戸畑駅北口付近は昭和30年代の空気が流れている。久々に気分転換出来た。

洗濯機故障

2005-11-19 14:07:37 | 昭和
洗濯機の調子が先月から悪かった、脱水の手前で洗濯が終了してしまうのだ。そして、今朝は全く動かず家族の悲鳴で起こされた。多分洗濯工程を制御するマイコンの異常だと思う。修理すれば出張料、技術料など等で1万円以上かかる。その前に使用していた洗濯機と同じ症状である。家電製品の中で洗濯機の修理中は洗濯できないので一番困る。僕の家は洗濯物が多い、家族がみんなスポーツジムに通っているので通常の洗濯物以外にスポーツウエアやバスタオルなどその量は普通の家庭よりも多い。従って、洗濯は毎日である、時には2回洗濯する事もある。この間買い換えたのが4年前だから、もう寿命なのだろう。4年で買い換えるなら一番安い洗濯機をと思い、今朝の朝刊のY電機のチラシを見たら27500円で載っていた。開店と同時に売り場に行き即決した。廃棄家電料金が別途3150円かかるので合計30650円である。これから4年間動いてくれるなら毎月の使用料はわずか640円である、そう思えば高くない。それにしても、昨夕の礼服購入で4万円、そして今朝の洗濯機の購入3万円、合計7万円も出費したことになる。必要経費だと言ってしまえばそれまでだが、今年はパソコンソフトやPC関連の予定外の出費もありこの7万円は痛い出費だった。本年の運勢で「今年は予定外の出費の多い年」とあった。ズバリ大当たりだ。さて、来年はどんな年になるのだろう。

礼服を買いに行きます

2005-11-18 18:12:33 | 昭和
昼すぎ取引先の社長のお母さんが危篤だと聞いた、死去すれば通夜、葬儀に参列しなければならない。すぐに駆けつけられるように洋服ダンスの中の礼服を点検した、虫食いなし、折り目もOK。念のためズボンを履いた。あれ!小さくなっている。チャックが上までいかない。おかしいな、4年前まではきちんと入ったのに。何のことはないこの4年で太っていたのだ。あれだけ運動しているのにとショックだった。今持っている礼服は20年前に仕立てたものだ。最初の10年位はもっぱら結婚式にその後10年は葬儀に袖を通すようになった。今後も葬儀着用が確実に増えるだろう。かと言ってサイズの合わない礼服は斎場の中では窮屈だ。そんな訳で礼服を新調する事にした今度は既製服でフリーサイズを選ぼうと思う。これから、洋服の「青山」に出かけます。せっぱ詰まってしかも夕方に洋服を選びに行くのは初めての経験である。

残業そして最後の日曜

2005-11-17 23:01:04 | 昭和
昨夜に続いて今夜も残業して今家に戻った。午後10時半だった。昼過ぎから降り続いた雨は止むことをしらず今も降っている。今日は次女の誕生日だった。24歳になった。ソフトバンクホークスの大ファンである彼女にスポーツ店Hで来年のホークスのカレンダー(2千円もした)とホークスグッツを今年の誕生日プレゼントとして渡した、「来年の応援も力が入る」と自分の部屋に大きなホークスカレンダーを早速飾っていた。もう、城島のホークスカムバックは望めないだろう、マリナーズ移籍の可能性があるとニュースで報じていた。怪我が治ってもう一度ソフトバンクホークスの城島の活躍を見たかった。そう思っているのは僕だけではないと思う。しかし、大リークに行ってもBSで城島のプレイは観戦できる、我が地元福岡の城島が米大リーグで活躍するのを見るのもいいかも知れない。昨日から冷え込んできた、平成17年もあと40日あまり、僕の商売は12月は無休だ、だから、今年の休みはあと2日しかない。その2日しかない休みにプライベートで予定が入ってしまった。だから、実質的にこの間の日曜日が本年最後の日曜日になってしまった。残念極まりない。

夜間ウオーキング

2005-11-12 17:08:43 | 昭和
ここ最近夜間ウオーキングしている、午後7時から約一時間半の運動である。仕事が終わって、肩はバリバリ凝っている、パソコンと活字に痛めつけられた目はショボショボになっている。疲労物質が身体中に留まっているみたいである。そんな、疲労状態の中運動をした後で疲労物質がきれいに飛び去り身体中が軽くなるのを経験してから天気のいい夜は夜間ウオーキングをしている、やや早足で1万歩歩くのだ、歩き出してから10分もしないうちに身体中の血流がよくなり肩の凝りもだるさもそして視力までも正常になってくる。コースは金山川であったり、遠賀川の河川敷であったりする。夜だから歩いている人はいないだろうと思っていたら結構夜間ウオーキングしている人は多い。やはり、一日の疲れをここに捨てに来ている人たちだろうか。そして、歩き終わり風呂に入り、ソファーに座りフットマッサジャーで足をもみほぐしながら強烈な睡魔が襲ってくる。それから、焼酎を一合飲んで就寝する時刻は午後11時前である。朝6時半まで熟睡しているので寝覚めの何とさわやかな事か。夜間ウオーキングは疲労除去と安眠のためお勧めです。

3丁目の夕日

2005-11-08 13:50:58 | 昭和
AMCなかまに「3丁目の夕日」を見に行った。映画館で映画を見るのは30年ぶりだった。何故映画館に行かなかったのかと言うと。暗い空間に長時間いると頭痛がしてくるのだ。それがイヤで映画館に行けなかった。あの「タイタニック」でさえビデオ発売されるのを待ったくらいだ。しかし、「3丁目の夕日」だけはDVDの発売まで待てなかった。それで、今朝、AMCなかまに行って来た。スクリーンに映るのは昭和の町並みの再現だった。まさに、もう一度行ってみたいと思っていた昭和の町だった。忠実に再現された昭和30年代のセットやCGの町は見事だった。「人情の昭和」と言うだけあって、笑いあり涙ありの2時間の映画だった。映画の時代背景は昭和33年の東京だ、「鈴木オート」の息子が小学3年生位だろうか、僕の小学校の頃の思い出と重なって涙が出るほど懐かしかった。学校から帰ってランドセルを家の中に放り投げて遊びに行く姿などそのままだ。あの頃の小学生が今や57歳、今こうして47年後映画で昭和を懐かしんでいるのかと思うと不思議だ。昭和30年代を小学生で過ごした団塊の世代にとってこの映画は必見の価値有りだと思う。どっぷりと昭和30年代にタイムスリップ出来た2時間だった。映画館の外に出たら肌寒い風が吹いていたが心の中は昭和の温もりが残っていた。今年もあと40日あまり、昭和が終わって18年目の正月が来ようとしている。昭和がだんだん遠くなっていく。

本田美奈子.

2005-11-07 21:21:47 | 昭和
歌手の本田美奈子.の訃報を聞いたのは昨夕のニュースだった。「エッ」と僕は絶句した。白血病で闘病中だが、回復していると最近の情報だったので、びっくりした。僕は本田美奈子の声が好きだった。どこまでも透き通るような歌声にはにごりがない透明な水の音がする。38歳でこの世に別れを告げなければならなかった彼女に限りない悲しみを思う。無念だっただろうと思う。骨髄腫は血液を造る大元の骨髄が癌に侵される病気である。昨日まで元気だった人が翌日身体の普通ではない変調(異常なだるさ、腰や背中の痛み)に気づいて病院で検査したら骨髄腫で即入院という物凄く進行の早い癌である。何故骨髄腫について僕が詳しいのかと言うと、家内の母が多発性骨髄腫で亡くなっているからだ。70歳の誕生日を目前に腰の異常な痛みを訴えて病院に行きその日に入院となった。家族だけが主治医から別室に呼ばれ病名と治療法そして今後の事を告げられた。癌の進行は年齢に関係なく母の骨髄をむしばんでいった。3月3日に入院して同月29日には帰らぬ人となってしまった。家内は入院中殆ど付きっきりで看病した、亡くなる日の昼に少し元気になり僕が病室に持って行ったアイスクリームを美味しそうに全部食べた、そして、その日の夕方に昏睡状態になり午後9時に心電図のモニターの波形は右一直線になった。入院から一ヶ月以内の本当にあっけない死去だった。今から約9年前の出来事である。本田美奈子.の訃報を聞いてあの時の事がまざまざと思い出された一日だった。本田美奈子.さんのご冥福を祈る。合掌・・・・・・。