なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

楽天市場は巨大な詐欺集団

2010-10-03 10:49:52 | 昭和
楽天に 出店すると 本当に売れるの? - 教えて!goo
楽天市場に先月出店した。(業種は明太子です)恥ずかしながら受注0件を維持しています。楽天の営業からは広告出稿の勧誘が毎日のようにきますが全部辞退しています、なぜならば、原価を無視して送料無料などで入口商材を作って新規客を確保させるためだとか。たとえば、広告費10万円を払って一体何人の新規がとれるとおもいますか?それがリピーターになるのは広告配信率の数万分の一くらいです。楽天は来年の更新時期前に撤退します。はっきり言って小規模店が楽天に出店するのは楽天にとって金もうけのターゲットです。私の楽天失敗談でした。楽天市場に出店計画している方どうぞ参考にしてください。お金をどぶに捨てる気持ちならどうぞ出店してください。

知人の入院

2009-01-20 18:41:59 | 昭和
正月明けに知人が脳梗塞で病院に搬送された。57歳である。幸いにも発見が早く後遺症も残らず昨日退院したと電話があった。
 以下電話のやり取りである
 僕:倒れる前に予兆みたいな症状があった?
 彼:倒れる直前まで感じなかった、ただ、その2日前に電話のやり取りでろれつ
   がまわらなかった。
 僕:運動や水分の補給はちゃんとやっていた?
 彼:ここ数年運動はしたことがない、水は喉が渇いた時しか飲まんし、夜は焼酎   のお湯割りを飲むので水分は十分だと思っていた。
 僕:禁煙する気はあるの?
 彼:入院期間中は院内や敷地内は禁煙なので吸わんかった、しかし、退院してか   ら食事の後に一服するようになった。40年吸ったたばこは止められそうに
   にない。
 以上が会話のやり取りである。運動と水分補給そして禁煙の重要性が分かってい ない。多分、以前のような生活習慣だと再発の可能性が高い。
 そこで最後に「このままだったら、再発するよ、再発を繰り返すたびに後遺症が 残り最後には寝たきりになって家族に迷惑がかかるよ、それでもいいと?」
 そして、その返事は「それは、医者からも言われたよ、でも、好きな事もせずに
 長生きしてどうするん、そうやろ」
 自分の事しか考えていない彼に腹がたった。そして言ってやった。
 「あんたが寝たきりになったら、奥さんや一人娘の将来はどうなると思うか、
  あんたが健康に気を配る事は家族に対する本当の愛情だよ。俺なんか週5日以  上のウオ-キングは欠かさんし水も一日2Lは飲んで、煙草も止めてもう、8  年になるよ、俺の親父が働き盛りの57歳で倒れて半身不随の親の面倒を見る  ために母親と俺がどれだけ苦労したのか知っているのか」
 そして彼の返事「ありがとう ここまで言ってくれるとはおもわなかった 身体 に気をつけるよ、あ・り・が・と・う・・・」彼が電話口で嗚咽しているが分か った。

2008年最後の日

2008-12-31 22:33:06 | 昭和
原油の高騰で明けた2008年そして中国冷凍餃子事件、中国大地震から北京五輪とここまではよかった、もう今年の大事件は出し尽くされたと思った。ところが、アメリカ経済不安が全世界を襲った。まるでアメリカを震源とする世界規模の津波と同じである。この秋からの不況の話題は連日マスコミで報じられている。その報道なのだが、少々しつこいと思う。悪い面だけをクローズアップして消費マインドを萎縮させているような気がする。例えばこの冬休みの海外旅行者は前年よりも10%もマイナスだと報じている。確かにそうなのだが、裏を返せば、残り90%の人はちゃんと旅行に出かけているではないか、この数字が逆だったら大変なのだが10%のマイナスを強調するから人々は消費支出に対して構えるのだ。
 僕の店の今年の売り上げは10月までは前年より少し良かった、そして、11月から今月にかけて10%売り上げダウンだった。実は景気がもっと悪くなるので20%位の減少は覚悟していた。2008年最後の本日売り上げの集計をしたら全体で5%の売り上げ減少で済んだ。だから、ほっとした。円高不況だといわれるが悪い面ばかりではない、輸入品は安くなりガソリン価格も本日など98円に下がっていた。最高値から100円も安くなっている。来年も不況風は吹き荒れるに違いないが悪い面と良い面は表裏一体なのだ。来年はいい面だけを見て頑張ろうと思う。
 最後に来る新年が皆様にとって良き年となりますよう祈願します。更新が異常に少なかった本年のブログでしたが多数の方に覗いてもらっているのが心苦しいのですが来年はもう少し更新できるように改心します。

白レンズを買った

2008-10-28 11:46:20 | 昭和
先月白レンズを買った。欲しい、欲しいと思い続けて半年。300mmレンズを3万円で下取りして手出し金額は16万円だった。以前なら間違いなく衝動買いしていたはずだがこの経済情勢を考えて購入をためらっていただけに実物を手にした時は感激した。ずっしりと重いレンズであるが、遠近感、後ぼけ感は今までのレンズにはない描写力である。このレンズを肩にかけて歩いているとすれ違う人達の目線がこのレンズに注がれているのがわかる。以前の自分が白レンズを持って歩いている人を憧れのまなざしで見ていたからだ。それにしても、100-400㎜の望遠はスゴイ。

ガソリン価格に驚いた

2008-07-02 16:14:06 | 昭和
約一月ぶりにガソリンを入れた。給油が終わってレシートを見て驚いた。何と187円だった、先月のレシートと比較すると12円も上がっている。ガソリン価格の異常事態だ。ガソリンが高騰してから今のミニバンにはあまり乗っていない。本当はハイオク専用車なのだが先々月からレギュラーと交互に入れている。この車を買った時(3年前)のガソリン価格は100円ちょっとだった、それが今ガソリン価格は約倍になってしまった。ガソリンが上がってから用事がある時は殆ど軽自動車に乗るようになった。明日は母親の用事で戸畑に行かねばならないが、ミニバンで行くと往復のガソリン代だけで1000円を越すので、軽自動車で行こうと思っている。ゆったりと上質な室内、静かなエンジン音のミニバンを持っていながら軽自動車に乗らねばならない事に歯がゆさを覚える。ガソリン価格がここまで高騰すると判っていたら燃費の悪いミニバンなど買うことはなかったと思う。しかし、乗っても乗らなくても自動車税は払わねばならないし車検も受けなければならない、だからなお更イライラしてくる。それよりも、原油高騰になすすべもなく指をくわえて見ている世界の指導者にもイライラしてくる。

皿倉山

2008-05-12 17:54:05 | 昭和
今日は仕事はオフ、目が覚めてカーテンを開けると久しぶりの晴天、しかも皿倉山がくっきりとその稜線を見せている。「よし、今日はこれだ」。朝食を済ませて皿倉山のケーブル駅に向かった。今日の目的は頂上からの写真撮影である。カメラバックに交換レンズや予備のバッテリを入れているのでかなり重いのでケーブルで往復することにした。頂上に着いて手当たりしだいにシャッターを切った、こんな空気の澄んだ天気はめったにないからだ。300mmのレンズで覗く北九州市内の風景や建物は迫力がある。遠賀方面にピントを合わせたら自宅がぼんやり見えたのには感激した。自宅のベランダからは皿倉山が遠くに見えるから見えて当たり前なのに嬉しくなった。そして、今度はEF100-400の白レンズが欲しくなった、しかし、値段がちょっと高すぎる・・・でも欲しい。今年後半の目標は白レンズの購入に焦点を合わせる事にした。理由はデジカメ故に撮れば撮るほどお金がかからない、本日の撮影枚数300枚、フイルム代と現像代に換算すれば約1万円以上かかっていることになる。毎月900カット撮るとすれば19万円の売価の白レンズが今年いっぱいで買えない事もない。よし、家族にないしょでレンズ貯金をする事に決めた。

M店長

2008-04-17 16:03:11 | 昭和
M店長一家に突然の悲しい出来事が起こった。それは、一人娘の事故死だった、短大を卒業して友達の車で卒業旅行に行く途中運転を誤って車が街路灯に激突して助手席の彼の娘が亡くなったのだ。M店長に会ったのはその事故から1年位経過した頃だった。家内を連れて門司港レトロを見にいったついでに船で対岸の下関まで足を伸ばした時の事だ。船着き場から歩いてすぐの所にM店長の店はあった。突然の来訪にM店長はビックリしていた。十数年ぶりに再会したM店長は年齢以上に老けていた。それは、娘を失ったショックから立ち直っていない事を物語っていた。その時はお互いに近況報告や世間話をして別れたのが最後になった。
 それから15年後の昨日、ネットの掲示版にM店長を悼む書き込みが数件あった。いずれも、M店長の顧客からの哀悼を込めた書き込みだった。彼の死をネットの掲示板で知ることになるとは思いもよらなかった。あらためて、「M店長 在職中は公私ともにお世話になりました。どうぞ、安らかにお眠りください、合掌」
 

ネット掲示板で知った訃報

2008-04-16 19:37:46 | 昭和
k無線の書き込みのある掲示板を見て驚いた。30数年前の上司でもあったM店長が故人となっている記事だった。M店長は僕がK無線に入社した時の上司だった人である。彼はオーディオを語る時機器の性能やスペックをお客に言わない人だった、お客の好みの音楽を中心に「このスピーカーでマイルスを聞くと、ベールが一枚取れますよ」とか「八代あきの舟歌ではするめを焼く匂いがしますよ」などと音を感性で表現する人だった。そんなユニークな売り方をする人だから、売り場には彼を指名してくるお客が多かった。勿論技術屋出身だけに、音のトラブルが発生した時にノイズを聞いただけでどこが悪いのかピタリと当てる、まさに名人だった。K無線が倒産して彼は下関に小さなオーデオショップを開いた、K無線時代の顧客が彼のアドバイスを受けに福岡や熊本から海を渡って彼の店に通ってきた。そして、彼の店は順風満帆に航海していた。   -続く-

初めての北九州空港

2008-04-14 21:32:03 | 昭和
本日は定休日。しかも、いい天気だった。朝食後すぐに曽根に車を走らせた。初めて行くのだ北九州空港へ。ナビに従って迷うことなく「空港」に着いた、「!」そこは旧北九州空港だった、ナビの地図が古いのだ、やむなく、10号線を南下、標識に従って走って、海上の長い橋を渡り終わった所が目的地だった。そう、今日は飛行機を撮りにきた。展望台に上がると離陸前のスターフライヤーが待機していた、望遠で覗くと迫力のある絵が飛び込んできた、コックピットでは機長達が機器の点検をしているのも見える。客席の窓から乗客の顔が見えるが殆ど空席のようだ多分、定員の3分の一以下の乗客だろうか。北九州空港は大丈夫なのか?と不安がよぎった。そんな事を思いながら待つこと数分、スターフライヤーのエンジンが大きくうなりだした、さあ、離陸だ、初めての旅客機の撮影だ期待に胸が躍った、写真を撮るときの快感とも言える瞬間が好きだ。
 

撮り鉄初挑戦

2008-04-11 16:15:35 | 昭和
鉄道写真を始めて撮った。しかも、「流し撮り」で。遠賀平野の菜の花畑の中を疾走する様々な列車を手当たりしだい連写してみた。撮った枚数600枚。家に帰って画像を確認したらまあまあ鑑賞に堪えられるのは約30枚、5%の確立である。初めの流し撮りの画像は背景も列車も流れて見るに耐えない画像だったが、シャッター速度を何回も変えて試行錯誤を重ねて何とか見れるようになった。出来上がった画像を見て、撮り鉄にはまる人の気持ちがわかった。流し撮りの技法で列車があたかも走っているように見えるから不思議である。これからの写真ライフに撮り鉄のジャンルが増えた。もっと練習していい画像を残そうと思った。
 改めて思ったが600枚もの写真を銀塩フイルムで撮ったらフイルム代と現像代で2万円位かかる事になる、デジカメなら0円。何とも便利な時代になったものだと嬉しくなった。今から30数年前は、大量に撮った写真は自分でフイルムを現像して焼いていたものだが、あの頃は一枚一枚の写真を大事に丁寧に撮っていた、デジ一の連写機能を使えばアット言う間にだれでもプロ並みの写真が撮れる。しかし、デジカメの味をしめたらもうあの頃には戻れない。防湿庫にはまだ未使用の銀塩フイルムが何本も眠っている。