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群馬県桐生市の「白滝姫」伝説

2008-03-08 22:34:56 | 旧有馬郡の民話
ハイキングおじさんのおじいさんは、桐生で絹織物の工場を営んでいて、先祖の墓も前橋市にあり辛いのですが
桐生市ではこの民話をもとに織姫さまとして観光に、産業に一役かっているみたいですで「山田」の地名、それにまつわる各地に史跡や民話を考察すると神戸市北区山田町に「分」があると思いますが?


白滝姫伝説の桐生市には、織姫にちなんだ様々な図像が存在しています。その中でも、最も古い白瀧姫の御神影は桐生新町の新居甚兵衛が、館林の文人画家小寺應斎に描かせたものがあります。制作は文化元年、以来二百年あまりの間に様々な織姫の図像が描かれました。      
桐生市川内町五丁目は昔、上野国(こうづけのくに)といってその村人、久助が京都宮中の庭掃除奉仕に選ばれて作業していると、一枚の短冊が落ちてきて、拾いあげてみると、「吾妻より 山田からすが飛び来たり 羽ばたきをして 庭ぞはきける」と書かれた和歌をみて、久助は筆と短冊をかり、平然と返歌をした「飛立てば 雲井の空に羽をのして 大宮人を めの下に見る」と詠んだ。(下品な私のようなカラスでも、とび立てば、宮中の空高く、貴方方、高貴な人たちでも、自由に見さげることができるのですよ)今まで笑っていた官女たちは驚き、後日歌合わせすることになり、「雲の上 目には見ゆれど白滝の 八重に思ひと 落ちぬ君かな」とうたい、白滝姫の心を動かし、お勤めの交代の時期に、桓武天皇から「ながいことご苦労であった。なんでも望みの品をしんぜよう」とのお言葉に、他の者は餅や料理を所望したが、久助は「おらあ 外のものはいらねえ ただ、白滝姫をお嫁にいただきてえ」側に控えていた公郷百官はどっと笑った。  帝は、久助に同情して「さらば 歌合わせで勝ったら姫をそなたの嫁に進ぜよう」先ず姫より「照り続き山田の稲の枯れはてて 何を種とて 命つくらん」久助は「照り続き 山田の稲のこかれなば 落ちてたすけよ 白滝の水」と返歌をした。そして願いが叶い、姫と久助は手に手をとって、川内村仁田山岩本に二人の住居を構え、宮中で習った養蚕、糸繰り、はた織の業を仁田山の里人に教え、やがて時の朝廷に絹織物を献上するほどになり、これが桐生織物の源となった伝説の原画が目を引く。  織物にちなんだ神社の絵馬や御札、桐生以外からの写真や壁掛け、日本織物創業者の孫にあたる佐羽氏の協力で出品された生き人形写真。圧巻は当時の人気随一の歌舞伎役者が明治座で公演した役者絵。書画では長澤時基、大出東皐、田崎草雲の軸など大家の書が観られる。

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