立憲民主の採るべき道 その1:「批判ばかり」の起因理由解明 その2:国会追及のスキル向上 その3:政権交代はなぜ必要なのかの定義づけ(2)

2021-12-27 09:37:46 | 政治
 4.立憲民主党という党自体の「批判ばかり」のマイナス評価に対する認識

 泉健太はこのNHK日曜討論2021年11月21日2日前の2021年11月19日の「立憲民主党代表選4立候補者共同記者会見」(BLOGOS編集部/2021年11月19日 17:08)で「立憲は批判ばかり」のマイナス評価について触れている。文飾を当方。

 泉健太「立憲民主党は(衆院選敗戦について)自らを反省し、再生していかなくてはいけない。私は思っています。例えば今回、我々の政権政策の冊子には一番最後のページに『批判ばかりとは言わせない』という異例のページを設けさせていただきました。

 これはどういう意味を持つか。それぐらいに実は、私たち立憲民主党はこれまでも、議員立法を提案し、政府には対案を提案し、建設的な議論を数多くしてきたけれども、やはりどこかで国民のみなさまからは『批判ばかりの政党ではないか』『追及ばかりや反対ばかりをしている政党ではないか』と、そういうイメージを背負ってしまっていた。仲間たちの努力の一方で、私たちはそういうイメージを背負ってしまっていたということを、やはり受け止めなくてはいけないと思います。
 この我々の頑張っているという意識と、しかし国民のみなさまの持つイメージのズレというものを立憲民主党は今一度、自己反省した上で再生していく必要がある。このように感じております」(以上)――

 では、泉健太が言う「政権政策の冊子」から、党としてどのように「批判ばかりの政党ではない、追及ばかりや反対ばかりをしている政党ではない」と解釈していたのか、問題箇所を見てみることにする。発行日は2021年10月21日となっていて、今回の衆院選の公示日は10月19日だから、公示日よりも3日遅れとなっているが、公示日と同時に街頭に飛び出た立憲候補者は「批判ばかりの政党ではない」ことを、その理由・根拠と共に訴えたはずである。

 「立憲民主党政権政策2021_政策パンフレット」

 「批判ばかり」とは言わせません

 提出議員立法
 議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません。203回国会(昨年秋の臨時国会)では政府よりも多くの法案を提出しました。加えて、立憲民主党は、国会で日々多くの質問・提案をしています。
 「昨年秋の臨時国会」(10/26~12/5/約1ヶ月半)10法案(うち5法案成立)
 「今年の通常国会」(1/18~6/16/約5ヶ月)46法案(うち18法案成立)
 「法案審議・政策論議」
 国会での審議は予算審議ばかりが取り上げられますが、実際には衆議院、参議院合わせて50を超える常任・特別委員会などがあります。そこでは日々法案の審議や政策論議を行っています(国会会議検索システム参照)。そして、政府提出法案の7割以上に、「反対」ではなく「賛成」しています。
 「新型コロナウイルス対策も立憲民主党が主導」
 新型コロナウイルス感染症への主な対策は、いずれも立憲民主党が政府・与党に先んじて提案してきました。政府・与党は、私達の提案を遅れて採用するなど後手に回っています。

 根本的に認識を間違えている。「立憲民主党は批判ばかり」のマイナス評価に対する自己正当化理論を、「議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません。203回国会(昨秋秋の臨時国会)では政府よりも多くの法案を提出しました。加えて、立憲民主党は、国会で日々多くの質問・提案をしています」に置いている。

 「議員立法は政策提案」であるものの、批判によって成り立つ。逆説するなら、批判なくして、どのような対案も、独自案も成り立たない。対案の場合、政府法案に何らかの欠陥がある、あるいは不足や漏れや偏りあると見ているからこそ(どの党の法案にしても、全ての階層の利益を満足させる完全なものなど存在しない)欠陥、不足、漏れ、偏りを直すための対案を用意するのであって、政府法案の欠陥や不足や漏れ、偏りに対するそんなことでは法案の体をなしていないと見る批判が対案作成、あるいは対案提出の動機となるからである。

 政府法案の対案ではない独自案の場合にしても、ときどきの社会情勢に応じて社会生活や経済活動の利便性向上の貢献に全ての方面に亘って網羅すべき政府法案が何らかの方面に抜け落ちや不足があるからこそ、その方面の抜け落ちや不足を埋める独自案を提出するのであって、根底には抜け落ちに対する批判が動機となって、独自案の作成・提出に至る。
 
 要するに野党の政府が握る国家権力の監視はその不正や不始末のみに対してではなく、政府行政の欠陥・不備を加えた全般に亘るものであり、権力の監視は批判をエネルギー源とし、批判なくして成り立たない。戦前の新聞は批判を麻痺させたからこそ、国家権力に屈することとなり、御用新聞に成り下って、軍部や政府の言い分のみを一方的に流すことになった。対案提出も、独自案の提出も、不正・不始末の追及も権力の監視から始まり、全てが批判を動機とする。

 与党が衆院選に破れて、野党となり、野党が政権を取って、与党として国家権力を握ると、国家権力の監視は攻守を変え、元与党が野党の立場から元野党の国家権力を握った政府に対して批判の目を全開にして政権の運営全般に亘って追及を行うことになる。ゆえに野党の立場からの政府与党に対する批判は野党の属性として存在し、存在意義となる。自民党政権から民主党政権に変わったとき、経験しているはずだ。その時の野党自民党は民主党政権に対して批判ばかりしていた。当然、「議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません」云々はお門違いの自己批判となる。もっと胸を張って、「批判のどこが悪い」と開き直るべきだろう。「批判なくして国家権力の不正や不始末を正すことはできず、政府立法の欠陥・不備を正す対案提出も独自法案も提出することはできない」と。これこれのことをしましたと具体例を挙げるのはそれからである。

 但し開き直って、その開き直りを有権者に当然だと思わせるためには政府の不正追及や疑惑追及の際に定番となっている似たような追及でほぼ同じ答弁を引き出して時間だけを費やす堂々巡りの質疑応答で疑惑を疑惑のまま残してしまう不毛な国会対応から抜け出さなければならない。抜け出せないでいたり、小川淳也のように「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と勇ましい目標を掲げながら、実行できないていたりしたら、「国会での審議は予算審議ばかりが取り上げられ」ることに限定された印象を全体的な印象と勘違いされて有権者に与えることになり、いつまで経っても「批判や反対ばかり」と映ることになる。

 あるいは不正追及や疑惑追及が追及しきれずに尻切れトンボに終わるから、政府側から逆襲を食らうことになる。2018年10月30日の参議院本会議での代表質問に対する安倍晋三の答弁。

 安倍晋三「政治家が激しい言葉で互いの批判に終始したり、行政を担う公務員を萎縮させても、これも民主主義の発展に資するとは考えません。それぞれが国民の皆さんの前にしっかりと政策の選択肢を示すこと、そして建設的な議論を通じて政治を前に進めていくことこそが民主主義の王道であると考えます」

 2015年1月22日安倍晋三施政方針演説。

 安倍晋三「批判だけに明け暮れ、対案を示さず、後はどうにかなる、そういう態度は国民に対してまことに無責任であります。是非とも、具体的な政策をぶつけ合い、建設的な議論を行おうではありませんか」――

 疑惑追及、不正追及が不完全燃焼で終わらせしまっているから、「批判ばかり」と世間が見ることになり、それを逆手に取り(世間がそう見ていなければ、逆手に取ることはできない)、「建設的な議論」と対比させて、自民党議員がヨイショ議論ではなく、「建設的な議論」に終始しているかのような印象を作り出し、自身が言っていることを正論中の正論に見せることで「野党は批判ばかり」の印象を有権者へのなおのことの刷り込みに利用する。

 だが、このような発言を延々と許してきた。政府の不正や疑惑追及をしても、堂々巡りの質疑応答か尻切れトンボで終わらせてばかりいるから、対案も出しています、独自案も出しています、政府法案に賛成もしていますと説明しても、「批判ばかり」の印象をこびりつかせたまま、今以って引き剥がすことができないでいる。

 追及・批判のスキルをもっと磨いて、堂々巡りや尻切れトンボで終わらせない国会場面を演出する以外に「批判ばかり」のマイナス評価を引き剥がすことはできないだろう。

 新代表泉健太は立憲の今回の衆院選の敗因の一つに「立憲は批判ばかり」というマイナス評価を払拭するためにだろう、上記NHK「日曜討論」でも、そのマイナス評価を事実と受け止めて、政策発信型であることを訴えていきたいといった趣旨の発言をしているが、2021年12月2日の党役員人事指名・了承の両院議員総会終了後の記者会見でも、今後の党のカラーについて「国民の皆さまと向き合い、国民の皆さまのために働く。政策立案型ということかもしれませんが、我々はこれを一つのカラーとしていきたい」(立憲サイト)と述べ、政策立案型を党のメインカラーとすることを表明、その後も政策立案型ということを発信している。

 泉健太のこのような発信も一つの理由となっているのだろう、2021年12月13日付「NHK NEWS WEB」記事世論調査は、批判ばかりしているという党のイメージを政策立案型の政党に変えていくとしている立憲民主党代表泉健太の姿勢を例に挙げて、野党の役割を有権者に質問している。各質問と各回答率は画像のとおり。
 「政策の提案」33%+「どちらかといえば政策の提案」28%=61%
 「政権の監視」11%+「どちらかといえば政権の監視」16%=27%

 有権者の圧倒的多数が野党は「政策の提案」を自らの役割とすべしと見ている。この結果を見る限り、泉健太の政策立案型の路線は正解ということになる。但しこの世論調査にしても、泉健太が「立憲は批判ばかり」というマイナス評価が衆院選敗因の主たる一つとなったことを受けて、その反作用として政策立案型の政党を前面に押し出すことになったことと同様に衆院選の結果に一定程度の影響を受けた有権者の結果値と見えないこともない。

 岸田内閣が発足したのは2021年10月4日。10月31日の衆議院選挙で国民の信任を受けて政権を維持することができたこの約3カ月間、疑惑や不正に関してはほぼ無風状態にある。モリカケ疑惑、桜を見る会、黒川検事長定年延長問題、アベノマスクに関わる不明瞭な発注等々数々の政権の私物化疑惑が噴出した安倍内閣期間中や日本学術会議会員6名任命拒否に於ける学問の自由への侵害疑惑、当時の首相菅義偉の長男菅正剛が関係していた総務省高級官僚接待に於ける特定企業への利益供与疑惑が表沙汰となった菅内閣の期間中に同じ世論調査を行ったなら、政権の監視は低い評価しか与えられなかったではないだろうか。これらの疑惑に関わる当時の世論調査は「政府は十分に説明を尽くしていない」と見る向きが圧倒的に多かった。

 要するに安倍内閣に対しても、菅内閣に対しても国民世論は十分な説明を求めていた。安倍晋三にしても菅義偉にしても自分から十分な説明をするはずはないのだから、疑惑解明には野党側の追及に期待する以外になかった。追及は政権の監視によって維持される。そして追及は批判の形を取る。だが、その期待は裏切られた。

 野党である以上、国家権力を私的に利用した不正行為を横行させないためにも政権の監視は必要だし、政策の提案も必要だということである。どちらがより重要とは比較はできない。そのときどきに応じなければならないからだ。当然、野党としては政権の監視と政策の提案の二本立てで対峙することを自らの役目と責任としなければならない。あるいは野党第1党としての存在意義としなければならない。そして政権の監視も、政策の提案も、両者共に政府の政権運営に対する批判を骨組みとして成り立たせているアクションだということを広く知らしめなければならない。

 と言うことなら、立憲新代表の泉健太が衆院選敗因理由の「立憲は批判ばかり」のマイナス評価解消を願って党のメインのカラーを政策立案型に据えて発進し始めたということは羹に懲りて膾を吹く類いと受け取れないことはない。もっと積極的に安倍政権や菅政権の数々の疑惑を例に挙げて、「国家権力を私的に利用した行政を歪める不正行為や省庁側の政治を歪めることになることもある事務上の違反行為や政治全般に影響する重大な落ち度、これらに対する責任逃れから往々にして逃げ込むことになる隠蔽工作、政府の政策自体に関して言うと、政策や法案の欠陥・欠落等がなくならない現状では批判や追及を用いた政権の監視を怠るわけにはいかないし、政府法案を上回る政策の立案も推し進めていく」と二本立てを党の姿勢として明確に打ち出すべきではなかったのではないか。

 5.なぜ政権交代は必要なのか、その定義づけを行わなければならない

 なぜ政権交代は必要なのか。

 政党はどの階層、どの団体の利害を代弁するかで成り立っている。一つの政党が全ての階層、全ての団体の利害を代弁できる程に広範な、且つオールマイティな能力を有してはいない。自民党の最大支持母体は日本の代表的な1500社近くの大企業を企業会員とし、日本自動車工業会や日本鉄鋼連盟等々の150以上の業界団体、宇宙システム開発利用推進機構、九州経済連合会、国際開発センター、国際経済連携推進センター、国際人材協力機構等々30以上の特別会員を抱えている経団連である。企業会員の入会資格は純資産額(単体または連結)(資産から負債を控除した正味財産)が1億円以上あること、または経団連団体会員の会員企業であることとなっている。借金抜きで1億円以上の資産があるというのは大企業が大勢を占めていて、中小企業は少数派に所属する存在であろう。つまりおカネ持ち中のおカネ持ちが会員として鎮座している。このことは経団連が大企業中心の組織であることが証明している。

 立憲民主党の最大支持母体は連合(日本労働組合総連合会)であり、加盟労働組合数は55、組合員数約681万人となっている。勿論、お金持ち企業トヨタ自動車と関連企業が加わる全トヨタ労働組合連合会も連合の会員労働組合だが、トヨタ関連の会社イコールトヨタ労組ではない。ある意味、反対のベクトルに位置する日本教職員組合(日教組)も傘下組合となっている。

 そのほかに中小企業の労働組合団体、全国中小企業団体中央会は2万8千団体以上を抱えているが、なぜか昭和24年の「中小企業等協同組合法」の第5条3項で〈組合は、特定の政党のために利用してはならない。〉、昭和32年の「中小企業団体の組織に関する法律」の第7条3項で、〈組合は、特定の政党のために利用してはならない。〉と規定されている。実効性が担保されているのかどうかは窺うことはできないが、圧力団体となりうる規模は備えている。

 いずれにしても自民党は最大支持母体の経団連の利害を代弁し、立憲民主党は最大支持母体の連合の利害を代弁する。代弁しなければ、たちまち最大支持母体から与えられている様々な保護を失うことになる。保護を失えば、大半の政治資金や選挙のときの大半の票を失うことになる。利害とは損得である。利害を代弁するとは損を排除し、得を増やすことを意味する。

 と言うことは自民党は「国民のための政治」と言いながら、経団連のためにとは言わないが、経団連の方向に顔を向けた政治を行うことになる。経団連傘下企業の損を排除し、得を増やす政治を長年に亘って行ってきた結果、政治の恩恵に偏りが生じ、それが格差という形を取り、社会全般に亘る格差社会の構造を取るに至った。

 この格差を是正するためにはかつての民主党が自身の最大支持母体連合に顔を向けた政権3年では焼け石に水で、たった3年で終わった民主党政権に変わる自民党安倍政権7年8ヶ月で格差に拍車がかかり、大企業に顔を向けた政治を歴代自民党が続けてきた成果としてある格差をさらに積み上げることになった。

 特に安倍政権下では経団連傘下の多くの企業が年々戦後最高益とか、過去最高益を手に入れ、ほぼ安倍政権と重なる2012年度末から2020年度末までの内部留保は9年連続で過去最高を更新した。具体的には2012年度末は304兆5千億円、2020年度末は484兆3千億円。8年間で59%、半分以上も膨らましている。一方で安倍政権7年8カ月のアベノミクス経済政策では実質賃金はほぼ横ばい。GDPの6割を占める消費は低迷し、一般サラリーマンや一般労働者の生活は向上せず、上に厚く、下に薄い偏りのある、いびつな利益構造を取ることになった。譬えるなら、土台の床面積は1平方メートしかないのに階が上に行く程に床面積を広げていき、100階の床面積は100平方メートルもある高層ビルに似た社会・経済的な利益空間が構築されるに至った。

 自民党政権は自分たちが積み上げてきた格差を埋めるためにこのコロナ禍の経済縮小状況下で10万円給付だとか、教育支援だとか、学生支援だと名前をつけては支援を続けているが、このような支援を持ち出さなければならないこと自体が格差の証明だが、ないよりはマシ、焼け石に水で、格差は有権者が最大の支持母体である経団連傘下の大企業や富裕層に顔を向けた政治を基本のところでは取り続けている自民党に政権を任せている間は目に見える程に縮小することはない。

 政権交代可能な二大政党制とは単に二つの異なる政党が政策を競い合う形で交互に政権を担うことを意味しているわけではない。二大政党のうちの政権を担っている側の政党が利害を代弁する団体・階層に顔を向けた政治を行う結果、その団体・階層に利益が偏ることになり、他の団体・階層にとって不公平が生じることになって、それが顕著になった場合、後者の団体・階層の利害を代弁するもう一方の政党に政権を取らせて、不公平を被っていた団体・階層に顔を向けた政治を行わせることで利害を代弁して貰い、政治の恩恵の平均化を図って、利益の偏りを是正する役目を主とする制度である。

 立憲民主党が「1億総中流社会の復活」を政策として掲げているのは自民党政治によって、特に安倍政治によって川の水の流れとは逆に上流の大企業や高所得層により多く流れる政治の恩恵を、その流れを是正して、中流から下流により多く流れるように是正するためであろう。当然、立憲民主党が利害を代弁する最大支持母体の連合傘下の組合や組合員の側から、あるいは連合傘下の組合に所属していない中低所得層に分類される一般サラリーマンを含む一般労働者の側から政治の恩恵の偏りを是正する政権交代の声がもうそろそろどころか、かなり以前から上がっていてもよさそうだったが、例え一部で上がっていたとしても、大きな塊となることはなかった。

 上がらなかった理由は民主党政権に対するイメージの悪さも影響していただろうが、その後継政党たる立憲民主党に対して「批判ばかり」と見られていたことにあるはずである。「批判ばかり」とは批判しか能がない、あるいは批判以外に能はないという意味を取り、ない能のうちには物事の全体としての政権担当能力が入っていたことになる。いわば「批判ばかり」の究極の意味は政権担当能力なしの意味に行き着く。「日本若者協議会」の代表理事室橋祐貴が組織内の若者からの聞き取った立憲民主党に対する「批判ばかり。政策担当能力がない、任せられない」のマイナス評価は前者後者、別々の評価ではなく、イコールで繋がった意味を取ると受け止めなければならない。

 そして有権者が持っていたこのような評価に対して立憲民主党は衆議院選挙期間中、「政権選択選挙」を叫び、「1億総中流社会の復活」を訴え続けたのだが、政権交代が可能となる位置にまで攻め込むことができなかったばかりか、逆に議席を減らす結果となったのはある意味必然であった。獲らぬ狸の皮算用で増やすつもりでいた議席数から減らした13議席数を差し引きすると、20議席を超える議席数を失った計算となる可能性が出てくる。

 「政権選択選挙」を叫び、「1億総中流社会の復活」を訴えるだけではなく、「政権交代がなぜ必要なのか」、自民党が最大の支持母体としている経団連傘下の大企業の利害を代弁していることによって生じている格差を立憲民主党が最大の支持母体としている連合の組合員と組合に入っていなくても、組合員と似た生活階層の一般サラリーマンを含めた一般労働者の利害を代弁する政治を行う政権交代によってこそ、政治の恩恵の流れを変えて、格差を是正させることができるのだと政治の恩恵の観点から政権交代の意義と必要性を認識させるところから手を付けるべきだったのではないだろうか。

 例え格差是正の政権交代の必要性を薄々感じている有権者がそれなりに存在していたとしても、現在の政治体制である与党側からの野党は「批判ばかり」で、「政策担当能力がない、任せられない」の宣伝に過去の民主党政権に対する苦い思い出が合わさって有権者の多くが乗せられていたとしたら、政治の恩恵の偏りや格差に向ける目を忘れて、あるいは向けていたことも忘れて、政権交代という冒険を冒すよりも一応の生活が成り立っている現状を維持する安心感を選択したということもありうる。

 政権交代の意義と必要性を説いた上で、「今一度政権交代を冒険してみませんか。失敗はスキルを高めるものです。民主党政権と同じ失敗を繰り返す程に我々はおバカ政党ではありません」と誘いかけ、安心感を持って貰うようにするのも一つの手だろう。  

 6.立憲代表泉健太の具体像が何も見えてこない野党第1党としての役割と責任

 2021年11月30日に立憲民主党の新代表に選出された泉健太がそれから最初の日曜日2021年12月5日のNHK「日曜討論」に中継出演し、その中で行った立憲民主党の役割と責任についての発言から彼自身が考えている立憲政治の基本方針を見てみることにする。

 キャスター井上あさひ「野党第1党としての役割や責任はをどう果たしていきますか」

 泉健太「やはり野党第1党というのは今の政権とは違う社会像、ビジョン、こういうものを打ち出すことが大事だと思います。私は早速、新しい執行部の中でですね、経済・外交・安全保障・社会保障・教育、また環境・エネルギーなどの分野で調査会を発足させて、党内外の知見を集めて、中長期ビジョンを作るべきだということで指示を致しました。

 まさにそういうですね、私はまだ岸田政権というのは口で言っている優しい資本主義よりもですね、新自由主義が抜けきれていない、そういう政権だと思っていますので、そこは我々は新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義というものはどういうものか、これを打ち出していきたいと、そう思っています」――

 野党第1党としての役割や責任を問われた。「今の政権とは違う社会像、ビジョン」、「我々は新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義というもを打ち出していきたい」云々・・・・・

 具体像が何も見えてこないだけではなく、有権者に政権の選択肢となる何らかのキーワードすら示し得ていない。「新自由主義」とは断るまでもなく、政府の介入を最小限に抑えて、市場の競争原理を重視する経済思想で、競争原理任せがときには弱肉強食の風潮を生む。弱肉強食の風潮が手段を問題にしない、勝ちさえすればいい、勝ったもん勝ちの領域にまで足を踏み込むことがしばしば起きた。自民党はこういった傾向の経済政策を続けてきた。その答が現在の格差社会である。これとは反対の政治の原理が泉健太が目指す「新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義」なるものということかもしれないが、簡単にピントを合わせた状態で目に見える言葉にはなっていない。

 では、岸田文雄が口にしている「資本主義」は2021年10月8日の自らの所信表明演説で取り上げているが、ここではより新しい情報として2021年12月6日の「所信表明演説」の中から拾ってみる。

 岸田文雄「人類が生み出した資本主義は、効率性や、起業家精神、活力を生み、長きにわたり、世界経済の繁栄をもたらしてきました。

 しかし、1980代以降、世界の主流となった、市場や競争に任せれば、全てがうまくいく、という新自由主義的な考えは、世界経済の成長の原動力となった反面、多くの弊害も生みました。

 市場に依存し過ぎたことで、格差や貧困が拡大し、また、自然に負荷をかけ過ぎたことで、気候変動問題が深刻化しました。

 これ以上問題を放置することはできない。米国の『ビルド・バック・ベター』、欧州の『次世代EU』など、世界では、弊害を是正しながら、更に力強く成長するための、新たな資本主義モデルの模索が始まっています。

 我が国としても、成長も、分配も実現する『新しい資本主義』を具体化します。世界、そして時代が直面する挑戦を先導していきます。

 日本ならできる、いや、日本だからできる」(以上)

 そしてこの「新しい資本主義」を「人がしっかりと評価され、報われる、人に温かい資本主義」だと言い換え説明をしているが、欧米の後追いの発想だということも分かる。

 経団連会長の十倉雅和は2021年10月8日の所信表明演説での岸田発言を受けてのことだが、岸田文雄表明の「成長と分配の好循環を目指す『新しい資本主義』」に賛同を示したものの、「具体的なビジョンの策定が急務である」ことを要求しているところを見ると、また欧米の後追いの発想であることから考えても、経団連の中から出てきた「新しい資本主義」ではないことを証明する発言となる。いわば経団連傘下の大企業群の総体的意思として「今の格差は行き過ぎている。我々の利益を削って、分配に回さなければならない」と決めることになった新しい気運ではないことが分かる。

 となると、岸田文雄の考える「人に温かい資本主義」と経団連側が考える「資本主義」と、本質のところで利害が衝突する可能性も生じることになる。利害の衝突が予想される時点で、あるいは実際に衝突が起きて、経団連側の利害が削られる事態(得を増やし、損を減らす機能が損なわれる事態)が生じた場合、経団連は最大の支持母体として自らの利害を最大限に守るために「人に温かい資本主義」にブレーキを掛ける可能性が生じる。いわば経団連側の利害を決定的に損なうことができない制約下にこれまでの自民党政治と同様に岸田政治は置かれていると言っても過言ではない。

 このことの最適な証明例がある。岸田文雄は自民党総裁選(2021年9月17日~2021年9月29日)の際に預金、株式、投資信託等の金融商品の売買や配当等で得た所得に対して課税する金融所得課税の見直しに触れた。見直しとは現在一律20%(所得税15%+住民税5%)の課税率の引き上げを示す。

 例えば日本の所得税の最高税率は4千万円を超える金額(超過累進税率方式)に対する45%だそうだが、現状は金融所得課税率が20%で一定だから、金融所得と合わせた一般所得が1億円を超えると、税負担が下降し始めるという。これを「1億円の壁」と言うそうだ。当然、金融所得が大きければ大きい程、税率が一定だから、一般所得と合わせた税負担は小さくなって、ネットには50億円を超えると、16%台まで税率が低くなると出ている。当然、この金融所得税制は金持ち優遇税制の異名を持つに至っていた。これを改めることによって金持ちの利益を削り、削った利益を中間層への分配へと回して、中間層をベースに成長を促し、目的としては「成長と分配の好循環を実現する」ことに置いている。まるで「1億総中流社会の復活」を掲げる立憲民主党のお株を奪った政策に見える。

 立憲民主党自身も衆院選に向けた「政策集2021」で、〈金融所得課税については、所得再分配機能回復の観点から、国際標準まで強化するとともに、中長期的には総合課税化を目指します。〉と謳っている。

 2021年10月11日「枝野幸男代表質問」

 枝野幸男「金融所得についても、国際標準である30%を視野に、まずは遅くとも令和5年度までに原則25%まで引き上げ、将来的には総合課税化します」

 金融所得税率の国際標準は30%(日本の金持ち優遇は国際的に突出していたことになるが、これも偏に経団連が自民党の最大の支持母体となっていることから受けることになっている一大恩恵なのだろう)、2023年度までに25%にまで引き上げて、一般所得と金融所得と合算した総合課税化を目指して、累進課税の網にかける。

 とは言っても、岸田自民党政権の金融所得課税の見直しは自民党最大の支持母体である経団連傘下の金融商品を大量に抱えているおカネ持ち企業やおカネ持ちたちの利害とは真っ向から対立することになる。このことの影響が総裁選当選当日(2021年9月29日)を含めた前後数日の間の株価下落という事態を招き、2021年10月10日にフジテレビ番組「日曜報道ザ・プライム」に出演した際にはさらに一歩踏み込んで、「当面は金融所得課税に触ることは考えていない」と発言、そして衆院選期間中(2021年10月19日~2021年10月31日)は金融所得課税の見直し発言は封印することになったとマスコミは伝えている。いわば自民党最大の支持母体である経団連の利害に応えた。

 かくかように岸田政権は経団連の利害の制約下にあるという法則性を取ることになり、そしてこのような法則性の影響は岸田政権のみが受けるわけではなく、経団連を歴史的に最大の支持母体としている以上、自民党政権全体に波及することになり、当然、この法則性は格差形成の法則性をも担っていることになる。

 泉健太はこのようなことを指して岸田文雄の「人に温かい資本主義」を「新自由主義が抜けきれていない」と説明しているのだろうが、「自民党政権は岸田政権であろうと経団連の利害の制約下にあるから、新自由主義から抜けきることはできない」と説明すれば、有権者に分かりやすく説明ができ、自民党政治と立憲民主党政治の違いを際立たせることができるが、抽象的で中途半端な説明で終えている。

 自民党政治が最大の支持母体である経団連の利害の制約下にあることから、新自由主義から完全に抜けきることが不可能である以上、岸田文雄が「成長と分配の好循環」をいくら言おうと、成長も分配も上に偏った、下の満足に行き届かない仕組みの実現ということになり、結果的に「人それぞれが評価され、報われる温かい資本主義」は中流階層以下の国民には欠陥を抱えることは道理として簡単に予想がつくことであるし、こういったことの道理を順々に説いていけば、岸田文雄の「人に温かい資本主義」に対して泉健太自身の「新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義」との違いを明らかにすることができるはずだが、違いを不明なままにした説明で終わらせている。

 岸田文雄は以後も「人に温かい資本主義」を発信し続けるだろうし、自民党幹事長茂木敏充にしても、2021年12月8日の「代表質問」(自民党サイト)で次のように岸田政権下での新自由主義経済を否定している。

 茂木敏充「我々は、成長戦略によって、デジタル、グリーンなど成長分野への投資を加速し、そこで生み出された利益が国民、すなわち消費者にまわり、それがマーケットの拡大、そして更なる投資へとつながる好循環を作っていきます。これこそ、まさに資本主義なのですが、ただ、我々は『新自由主義』と言われるような競争一辺倒で、もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません。

 一方、『分配』と言うと、資本家、大企業からお金を吸い上げて労働者に回すというような、社会主義的なゼロサムゲームを思い浮かべるかもしれませんが、我々の目指すものは全く違います。ウィンストン・チャーチルも資本主義と社会主義の違いについて、『資本主義に内在する悪徳は、幸運を不平等に分配することだ。社会主義に内在する美徳は、不幸を平等に分配することだ』と語っています。

 資本主義をより適正に機能させる。『神の見えざる手』が及ばない、マーケットに任せておくだけではうまく行かない、例えば、正規・非正規の壁や看護・介護の公定価格など、マーケットが機能しにくいところを官が補完することで、より多くの受益者、アクティブ・プレーヤーを生み出す。そういう分配政策が必要です」

 確かに発言自体は新自由主義経済・市場原理主義を否定しているが、1947年5月施行の日本国憲法が全ての国民の法の下の平等を保障してから三四半世紀の75年もの間、新自由主義経済で格差を作っておきながら、「もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません」は今更何を言うのかの感がするだけではなく、社会の矛盾や不足を「官が補完すること」自体が格差の存在を前提としなければできないことなのだから、例えば「正規・非正規の壁」を前以って作っておかなければ、どのような補完も必要としないのだから、格差を止むを得ない必然と見ていて、あとからそれを埋めようという考え方となっているから、本質的には新自由主義経済・市場原理主義に足を置いていることになる。

 だが、立憲民主党側が岸田政権側のこのような言葉の発信に対してその言葉を否定できる、分かりやすい、説得力ある言葉の発信を行い言えなかったなら、逆に「市場原理主義には組みしません」云々とか、「マーケットが機能しにくいところを官が補完する」云々といった言葉の数々がより強い説得力を持って有権者の耳に届くことになるだろう。

 岸田文雄は同じ所信表明で「信頼と共感を得ることができる、丁寧で寛容な政治を進める」と請合っているが、やはり最大支持母体の経団連に顔を向けた政治を行わざるを得ない制約から、「信頼と共感」も、「丁寧で寛容な政治」も、エンジョイできる範囲は限られることになるということ、中流以下の人口の方が多いことから、エンジョイできる範囲からこぼれる人数の方が多いことになり、現状とさして変わらない社会生活状況を迎えることになるだろうと予測可能で、こういったことを岸田政治否定の主眼点として立憲民主党は自らの最大支持母体である連合に顔を向けた政治を行うことにより、連合傘下の組合員や、あるいは連合傘下の組合に所属していない中低所得層に分類される一般サラリーマンを含む一般労働者に顔を向けた政治を行うことになって、こちらの構成者の方が圧倒的に多い人口を占めている関係から、成長も分配も広範囲に行き渡ることになって、結果として格差の是正に役立たせることができる自らの政治の効能を主張、その差の違いを強調すれば、立憲政治を目に見える形に持っていくことができるだけではなく、「分配」だとか、「人に優しい」とか、同じような言葉が飛び交っていたとしても、立憲政治と自民党政治との明らかな違いと対立軸を明快に提示することができ、有権者の理解も得やすくなるのだが、そこまでの状況には至っていない。

 次のように説明することもできる。政党ごとの利害を代弁する対象が違えば、政治の結果としてのその恩恵の向かう先も違い、恩恵の多い少ないも違ってくる。恩恵を1票を投じた見返りと価値づけてもいい。どちらの利害を代弁する政治を選択して、自らの見返りとするのか、その価値づけが政党選択の基準になると、それぞれの投票行動を意義づけて、自覚的な選択を促す。

 こういったことの有権者に対する周知は断るまでもなく、代表一人が行うことではなく、党員が一体的に行わなければ意味をなさない。2021年12月14日衆院予算委員会。午後のトップバッター。

 逢坂誠二「総理、今日はお世話になります。特に政調会長時代はお世話になりまして、ありがとうございますが、岸田総理とお話をしていてですね、政治や考え方に私と近いところがあるなあと思いますので、非常に期待をしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします――」

 「政治や考え方に私と近いところがある」からと言って、首相としての岸田文雄が自身の利害のみで首相を成り立たせているわけではなく、既に触れてきたように自民党最大の支持母体である経団連の利害の制約下にあるだけではなく、自民党の利害にも左右されるし、閣僚間の利害にも影響を受けないと保証はできない。影響を受ければ、政治や考え方が近くても、その近さは何の意味もなくなる。その上、政治の現実は一つの党が全ての階層、全ての団体の利害を代弁できる程に広範な能力、あるいはオールマイティな能力を有していないことを示している以上、自民党政治と立憲政治の全体的な結果としての政治の恩恵が全階層にそれぞれの収入に関係なしに、あるいは全企業にそれぞれの経営規模に関係なしに等しく分配されるという答を出すことはないのだから、答えを出していたとしたら、格差社会など存在することはなかったろう、政治や考え方が近いというだけのことでは片付かない立場の違いを認識していなければならないずだが、認識すらできずに、「非常に期待をしております」と岸田政治と自身の政治の近さを以って期待さえ見せている。この平和な距離感は何を意味するのだろう。

 逢坂誠二が自民党入りに色気を示しているなら話は別だが、そうでなければ、政治や考え方が近いという観点のみで想定しうる先のことを頭に置かずに岸田文雄個人に期待をかけるというのは常に胸に秘めていなければならない政治の違いを示して対峙していなければならない姿勢の手ぬるさをどうしようもなく与えることになる。

 岸田文雄が例え首相という地位にあっても経団連の利害以外に様々な利害の影響を受けて、個人の思いとは離れた態度を取る例を、実際には挙げるまでもないことだが、挙げざるを得ない。2021年3月25日、自民党の「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」が設立総会を開いた。そのとき岸田文雄は閣僚としても、党役員としても無役のときだったが、会の呼びかけ人の一人となった。だが、首相に就任しても、選択的夫婦別氏制度早期実現に何らの指導力も発揮していない。首相として国会で質問を受けても、「国会議員がこの制度を利用するのではなく、広く国民全体がこれを受け入れる制度で、子どもの氏をどうするのかも含めて、もっと議論していくことは重要だ」(2021年12月17日参院予算委員会)と共産党の小池晃に答弁しているが、早期に実現する呼びかけ人の立場から議論継続の立場へと姿勢を後退させている。

 2021年9月29日投開票の自民党総裁選第1回投票は岸田文雄256票、河野太郎255票、高市早苗188票で過半数を超える者がなく、岸田文雄と河野太郎の決選投票となった。第1回投票の国会議員票を見てみると、岸田146票、高市早苗114票、河野太郎86票で2位をツケたのは河野ではなく、高市だった。安倍晋三が高市を支持したことから獲得した国会議員票と見られていた。

 第2回決選投票は岸田文雄257票、河野太郎170票で岸田が制したが、国会議員票のみを見てみると、岸田246票、河野131票。岸田が103票増やしたのに対して河野は45票しかプラスさせていない。第2回投票で安倍晋三が高市から岸田に支持を変えたことの影響で高市の第1回の国会議員票の多くが岸田に流れたと見られていた。しかも安倍晋三は現在は自民党最大派閥のボスに収まっている。

 安倍晋三も高市早苗もコチコチの選択的夫婦別姓制度導入反対派である。いくら岸田文雄が「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の呼びかけ人に名前を連ねていたとしても、無役当時のこのことに関する利害と首相となった現在の同様問題に対する利害は明らかに違いを見せることになる。安倍晋三と高市のご機嫌を損ねたら、岸田内閣は立ち行かなくなる利害下にある。夫婦別姓制度導入に寝たふりをしなければならないことからの後退姿勢なのは明らかである。

 かくこのように首相と言えども、その態度も発言も様々な利害の影響下にある。これで「政治や考え方に私と近いところがある」などと言ってはいられないノー天気なことだと理解できるはずである。大体が明確に反自民・立憲支持の有権者は逢坂誠二の発言に「一体どうなってるんだ」と戸惑うに違いない。

 もう一つ、首相個人の利害のみで純粋に行動できるわけではなく、他の利害を受けざるを得ない例を挙げてみる。この記事を書いていたときにNHKの朝のニュースでやっていたのだが、安倍晋三と麻生太郎と茂木敏充の各派閥のボスが2021年12月22日の夜に会談して、3派閥が結束して岸田政権を支え、来年参院選での勝利を目指すことで一致したと伝えていた。安倍派95人、麻生派53人、茂木派53人の自民党衆参議員373人中の半数を超える計201人となって、この3派閥の結束が無視できない人数を構成する以上、岸田文雄にとって有り難かろうと、有り難迷惑であろうと、首相職を維持する上での利害は3派閥の利害に折に触れて制約を受けることになる。茂木敏充が代表質問で新自由主義の「市場原理主義には組みしません」と約束しても、特に安倍晋三と麻生太郎が新自由主義の市場原理を奉じている以上、経団連だけではなく、身近なところから2人に引っ張られ、望むと望まざるに関わらず新自由主義の市場原理主義への引力が働き、「人に温かい資本主義」のはずが大企業や富裕層に「温かい資本主義」となる、今までと同様の同じ光景を見ることになるだろうということは十分に予想できる。そしてその一つが既に触れた金融所得課税強化の先延ばしに2人が一枚噛んでいたファクターとして鎮座していた可能性は否定できない。

 その一つの証拠。「asahi.com」(2021年12月26日 14時11分)

 2021年12月26日放送のBSテレ東番組発言。

 安倍晋三「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 安倍晋三は自身と麻生太郎、茂木敏充の3派閥が2021年12月22日の夜に会談してから4日後の早々に自らの利害を以ってして岸田文雄の利害を支配下に置こうと画策している。安倍晋三の利害とは勿論のこと、新自由主義を基本原理としているアベノミクスの呪縛下に岸田文雄の利害――「新しい資本主義」を絡め取って、可能な限り経済政策をアベノミクスの領域から足を踏み出さないように派閥圧力を掛けることである。例え茂木敏充が2021年12月8日の「代表質問」で、「我々は『新自由主義』と言われるような競争一辺倒で、もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません」と言った手前、内心は安倍晋三のこの発言にまずいなと思ったとしても、いつかは総理総裁を目指す身、安倍晋三の手を借りなければならない利害が自らに見て見ぬ振りを強いることになるだろう。

 こういった利害の制約に否応もなしに縛られている岸田自民党政治と立憲民主党の政治の違いを有権者に差し出すには、その気があるならの話だが、立憲民主党は連合を最大の支持母体としていて、連合傘下の組合員とその組合に加入していなくても、同じ階層の一般サラリーマンや労働者の利害を代弁していること、その最大の利害は格差の縮小を政治の恩恵とすることなどをもっと正々堂々と訴える以外にないはずだ。
 
 泉健太にしても、逢坂誠二にしても、小川淳也にしても、その他その他が政権交代を狙わなければならない自分たちの立ち位置に対する自覚が甘いということなのだろう。自分たちは自覚を十二分に持っていると思っているのだろうが、有権者にその自覚をストレートに伝えることができる発言や態度となっていない。思いと実際とのズレによって生じている甘さが立憲民主党ばかりか、野党全体に亘って現れている国家権力の監視に向けた追及・批判の時間ばかり費やして徒労に終わらせ、結果的に政権の延命に手を貸す要因となっているのだろう。少なくとも政権交代がなぜ必要なのかの定義づけだけは行って、中流階層とそれ以下の階層に自らの存在意義がどこにあるのかを明確に伝えていかなければならない。

 「野党第1党は政権の受け皿たるべきだ」のみでは理由も目的も、またどの階層に向かっての発信なのかも伝わっていかない。「批判ばかり、政権担当能力なし」と見ている有権者からしたら、その見方を変える気も起こらない、ただの強がりしにしか映らないだろう。

 以上、立憲民主党は政権の受け皿としての資格・存在意義をどこに置くべきかを述べてきた。自民党政治の恩恵から置き去りにされ、生活格差の底辺及びその近辺に置かれた中流階層以下の国民に政治の光を当てて、受けるにふさわしい政治の恩恵を正当な権利として受け取ることができる政治状況に持っていくためには自民党政治と対決して、自らの政権の受け皿としての資格・存在意義を如何に有権者に訴えることができかどうかは偏に立憲民主党の力量――所属議員一人ひとりの力量にかかっている。

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