王族・皇族に対する死去に伴う自粛という名での改めての権威づけは個人の尊重に対する権威の優越化の発動

2016-10-17 11:36:47 | Weblog


 タイのプミポン国王(88)が10月13日に死去し、この日からタイは1年間の服喪期間に入った。

 タイ国民の国王に対する敬愛は厚いものがあるとうことで、かつての昭和天皇の死去時前後のように日常的な社会活動の自粛が始まり、在タイ日本企業までその自粛に巻き込まれているようだ。

 2016年10月14日付「NHK NEWS WEB」記事がその様子を伝えている。       

 あるいは自粛に対応しなかった場合のタイ国民の反発を恐れて自主的に巻き込まれているのか。

●精密機器大手のキヤノン――タイの国内のプリンターや複合機生産の三工場(現地採用合わせて1万4000人の従業員)は10月14日朝から操業停止。週明けの来週月曜日以降の対応は未定。             

●精密機器大手のリコー――プリンターと複合機生産場(現地で採用従業員約3000人)10月14日は現地時間の午後2時から操業停止。来週の月曜日以降は通常どおり
操業を行う予定。

 あくまでも予定で、周囲の様子を窺って、自粛が月曜日も広範囲に亘って続くようなら、操業停止を選ぶに違いない。

●日用品大手のユニ・チャーム――タイの国内の紙おむつ生産二工場の操業を10月14日朝から停止。タイでのテレビコマーシャルの放映を自粛し、工場などを紹介するホームページの色を白黒に変える。

●大手電機メーカーの日立製作所――首都・バンコクにある子会社は従業員に対して業務に支障がない限り10月14日は出勤をしないよう通知。来週以降の対応は協議中。

 この協議も周囲の対応に右へ倣えすることになるに違いない。周囲の殆どの工場が操業停止の自粛を行っている中で個人の尊重を掲げて果たして自粛を拒否できるかである。

 このようにタイの日系企業が操業を自粛しているのは個々の企業の判断によるものではなく、タイ企業の自粛に倣った大勢順応型の対応であろう。

 企業が工場操業を自粛している一方で日系企業の外食チェーンやデパートは営業を自粛せずに通常営業しているという。プラユット暫定首相が経済活動を普段通り続けるよう求めたからだという。

 タイの日系企業の自粛が社会の大勢への順応であるなら、日系企業の外食チェーンやデパートの通常営業は国家権力の指示への順応に当たる。

 後者の順応にしても、社会の大勢を形作っていくことになる。

●牛丼チェーンの吉野家――15店舗とも通常通り営業。但し店内の音楽を止めて、従業員は黒の腕章をつけて接客に当たる。

●ファミリーマート――1100点舗余りを通常どおり営業。

●流通大手のイオン――70余りのスーパーを通常通り営業。

●三越伊勢丹ホールディングス――バンコクの店舗を通常どおり営業。

 一方、一般生活に関係した行動の点では祭礼の自粛が伝えられている。

 娯楽番組放送の自粛はテレビ局という企業側の大勢順応型の自粛が一般生活者に同化を強いる作用として存在するものであろう。

 昭和天皇の死去のとき、テレビはNHKの教育番組を除いて他のテレビはすべて昭和天皇関係の特別番組一色に塗り潰され、同化しない国民はレンタルビデオ店に出かけてレンタルビデオを借り、それをテレビで見て退屈を凌いだ。

 お陰でレンタルビデオ店は大繁盛したという。 

 2016年8月8日付「The Huffington Post」記事が、「「自粛ムード」で笑いも消えた。昭和天皇の健康が悪化した1988年」と題して昭和天皇死去前後の日本国内を席巻した大勢順応型の自粛ムード伝えている。    

 昭和天皇の場合は容体悪化が伝えられた1988年9月19日から各種自粛が始まり、1989年の1月7日の死去を挟んで自粛が本格化した。

 記事が挙げている自粛を見てみる。

 ・各地で秋祭りが中止に
 ・東京・神保町の伝統の「古本まつり」が中止に
 ・東京六大学野球の早慶戦で、大太鼓による応援が禁止とされる
 ・大手洋菓子会社のクリスマスケーキの生産量が平年の2割減、街のクリスマスソングも控えめに
 ・創立記念などの祝賀会や個人の結婚披露宴も中止や延期に
 ・プロ野球日本シリーズで西武ライオンズが優勝するも、西武百貨店の系列店で恒例のセールが行われず
 ・「賀正」や「寿」を使わない年賀状が登場

 その他、〈自粛は、テレビCMにも及んだ。十月に入って「皆さん、お元気ですか」と呼びかける乗用車のCMから、音声が消えた。新商品の「誕生」が「新発売」に、「おめでとう」が「よろしく」になった。〉と解説しているが、具体的には井上陽水が走る高級車の窓を開けて「皆さんお元気ですか」と声をかける日産セフィーロのCMだそうで、昭和天皇が病気公表後音声が消され、井上陽水が口をパクパクさせるだけのCMに変えられたという。

 井上陽水は何も「お元気ですか」と病床の昭和天皇に声を掛けたわけではない。一般生活者への声掛けに過ぎない。分かり切っていながら、それを取り止める。天皇の病気と高齢であるゆえにその先に控えているかもしれない死を悼むという敬虔さの表明にしては行き過ぎた態度であり、明らかに天皇という存在をその死を控えたり、あるいは死に際して国民相互が必要以上に一つの畏れ多い権威に膨らませて、そのように膨らませた権威に対して各自それぞれが自粛という形式の自己抑制を働かせ、結果的に権威に対する社会的な大勢順応を相互に発動させしめた。

 このような大勢順応の相互発動は同時に心理的な暗黙の相互監視を生み出す。大勢順応に応じない者に対しての相互監視である。誰も何も言わなくても、心理的に監視を感じて、自分たちも自粛しなければ、何か言われるのではないかと自粛の大勢順応に同調していく。

 このような事態の社会的出来(しゅったい)は個人の尊重を国民自らが抑え、個人の尊重よりも天皇の権威に優越性を置いているからこそ発動される。

 この優越化が自粛期間に限られたとしても、多くの日本人の心理の奥底に歴史的・伝統的に記憶され、生き続けている天皇の権威の優越性である以上、個人の尊重が真に確立されるのは戦後71年民主主義の時代を経ても、なおずっと先のことになるのではないだろうか。

 このような傾向を喜ぶのは安倍晋三のような国家主義者・天皇主義者ばかりである。安倍晋三が現天皇の生前退位に乗り気ではないのは天皇のまま死去させることで社会的な一大自粛現象を巻き起こし、そのことによって個人の尊重よりも天皇の権威の優越性を目の当たりにしたいからではないだろうか。

 上記「The Huffington Post」記事が、現天皇が2016年8月8日にビデオメッセージで明らかにした生前退位の意向で天皇死去に際しての自粛現象による「社会の停滞」などへの懸念を生前退位の一つの理由として挙げていることに触れているが、例え天皇の意向通りに生前退位できたとしても、長年天皇として在位している以上、そのとき安倍晋三が首相の地位に就いていたなら、その意向と日本人の精神性が相まって天皇の権威の優越性を覚醒させることになるそれ相応の自粛が起きるのではないだろうか。

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安倍晋三の韓国慰安婦日韓合意支援金支給はカネの力で歴史認識を封じ込める狙いのアベノミクス的経済合理性

2016-10-16 11:32:31 | 政治

 2016年10月14日付「NHK NEWS WEB」記事が韓国の元慰安婦問題に関わる日韓合意に基づいて韓国政府が設立した「和解・癒やし財団」に日本政府が10億円を拠出、元慰安婦245人を対象に支援事業を行うことになったのに対して財団は10月14日、合意の時点で生存していた46人のうち、これまでに29人が面会に応じ、合意に基づく支援を受ける考えを示したと発表したことを伝えている。

 46人中29人がカネを受け取る考えを示した。63%の凄い確率である。

 支給するカネは元慰安婦本人は日本円で1000万円程度、合意の時点で亡くなっている場合は遺族に200万円程度、「来週から現金の支払いをする」と記事は書いているが、実質は現ナマと表現した方が相応しいはずだ。

 「中国新聞」のネット記事には、〈支援額については、生存者46人に1人当たり約1億ウォン(約920万円)を支給、故人199人の代理人には同約2千万ウォンとすることで日韓両政府が合意している。〉と伝えている。  

 安倍政権は、特に安倍晋三は慰安婦の強制連行の事実も強制売春の事実も認めていない。当然、日本政府としての責任も認めていないことになる。

 以前書いたブログの記述と重なるが、第1次安倍内閣時代の2007年3月8日に辻元清美が提出した慰安婦の強制性(強制連行)に関わる質問主意書に対しての2007年3月16日の政府答弁書は、〈慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉とし、〈官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。〉と答えている。

 内閣官房超談話とはご承知のように河野談話を指す。

 要するに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として、「河野談話」が認め、記している「軍の要請を受けた業者」が「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」とする事例に反して「官憲等が直接これに加担した」事実・強制性を否定し、「河野談話」は閣議決定されていないとして政府非公式の歴史認識に格下げし、この答弁書を閣議決定された政府公式の歴史認識だと、その正統性を打ち立てた。

 この非公式か公式かの関係性が安倍晋三の2012年9月16日の自民党総裁選討論会での発言にそのまま現れている。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 これが慰安婦の歴史認識に関しての安倍晋三のホンネである。

 このことは日韓合意が公式な文書として交わされていないところにも現れているが、共同記者会見で岸田外相が発表した合意内容にも現れている。   

 岸田文雄の発表。

 〈慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。

安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。〉――

 一見、強制性(強制連行+強制売春)を認めているように見えるが、実際には認めていないことが日韓外相会談後に岸田文雄が記者団に語った発言によって明らかになる。

 岸田文雄(日本政府の責任を認めたことについて)「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるということは従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ。これまで責任についての立場は日韓で異なってきたが、今回の合意で終止符を打った」(NHK NEWS WEB

 安倍晋三及び安倍内閣が歴史認識に関して「従来から表明してき」た見解とは河野談話や村山談話等について「歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」という表現で、いわば歴代内閣が引き継いでいる立場を安倍晋三も安倍内閣も引き継いでいるというもので、各談話が示している歴史認識そのものを引き継いでいるという意味での見解とは異なる。

 要するに岸田文雄が日韓外相会談で合意した「当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」こととその「責任」は安倍晋三が安倍内閣として全体として引き継いでいる、ここでは河野談話が示している歴史認識についての「歴代内閣の立場」に基づいて「関与」と「責任」を認めているに過ぎないというものであって、安倍内閣それ自体のホンネの歴史認識に基づいた「関与」と「責任」としていないだから、実際には何も認めていないことになる。

 このことは2016年1月18日の参議院予算委員会で「日本のこころ」代表の右翼中山恭子が日韓合意で「日本軍の関与」と「責任」を認めたことは日本の軍人の名誉と尊厳と日本の名誉そのもの、更に国益を損なうと追及したのに対しての安倍晋三の答弁が証明することになる。

 安倍晋三「政府としてはこれまでに政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として平成19年、これは第一次安倍内閣の時でありましたが、閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。

 また 当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安婦所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれにあたったこと、であると従来から述べてきている通りであります」

 安倍晋三自身、安倍内閣自体は強制性(強制連行+強制売春)の一切を認めていない。その責任も当然、認めていない。認める気もない。

 このように事実と責任を認めていないにも関わらず、10億円も出す。この関係は事実の認知と責任を求める声が日韓間の外交関係推進の阻害要因として横たわっていることと無縁ではなく、その声を黙らせることで歴史認識を封じ込めることが阻害要因除去の唯一の方法となることからの、口封じの意味を持たせた10億円の拠出ということであろう。

 当然、「現金」と表現するよりも「現ナマ」と表現した方がカネの性質をより的確に表すことになる。支援金の支給に合意した29人は約1億ウォン(約920万円)という現ナマを目にチラつかせたからこそ、合意したはずだ。

 但し上記「NHK NEWS WEB」記事に〈合意をめぐって韓国では、市民団体を中心に日本の法的責任が認められなかったなどとして反対する声が根強くあり、財団との面会を拒否している人もいます。〉と解説されている。

 合意時点での生存者46人から29人を差引いた17人は1億円の現ナマを目にチラつかせずに日本に法的責任を認めさせることの方を選んだ。認めさせることが何もゴマカシのない強制性(強制連行+強制売春)の証明とすることができるからであろう。

 9月に入って韓国の「和解・癒やし財団」が元慰安婦に支給する支援金に添えるべく安倍晋三名義の「お詫びの手紙」を要請したが、財団は安倍晋三の謝罪を以って法的責任に代える、一種のゴマカシで17人を納得させる狙いがあったはずである。

 但しお詫びの手紙を出すことは法的責任を認めることではないにしても、認めていない強制性(強制連行+強制売春)の事実とその責任を認めるという逆説に自らを落とすことになるばかりか、お詫びが一人歩きして、いつ非公式の法的責任に変わらない保証はなくなる。

 だからだろう、10月3日午前の衆院予算委で官房長官の菅義偉は「我々はお詫びの手紙を出すことを毛頭考えていない」と明言している。

 お詫びの手紙を出すことはまた、安倍晋三が総額10億円という大枚のカネをチラつかせて強制性(強制連行+強制売春)と責任を認めないままに一件落着を狙った深慮遠謀を無にすることになる。

 日韓関係の修復の狙いもあったろうが、カネの力で歴史認識を封じ込め込めようとする経済的合理性は当然、アベノミクスの経済性をベースとしている。

 安倍晋三の人間の存在性よりも経済優先の姿がこのことを可能としている。

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安倍晋三に自民憲法改正草案に関わる答弁を求めずに草案の問題点を国民の目に見える質問に持っていくべき

2016-10-15 10:30:27 | 政治

 民進党が2016年10月13日、憲法調査会の役員会を開いて自民党が2013年4月27日に公表した憲法改正草案の問題点を研究することを決めたと10月13日付「時事ドットコム」が伝えていた。

 会長は枝野幸男、副会長に辻元清美と白真勲両氏を選び、事務局長に武正公一選任したと書いている。

 今頃になって問題点を研究する。とすると、民進党はどういった問題点があるのか、民進党としての、あるいは前身の民主党としての統一的な見解を纏めないうちに各所属議員がそれぞれの考えに基づいて国会で安倍晋三に対して改正草案の問題点を追及していたことになる。

 そうであったとしても、安倍晋三がまともに答弁に応じてくれるなら、一応の質疑の体裁を取っただろうが、答弁回避に遭い、質疑の体裁を取ることができないでいる。

 枝野幸男「自民党から立憲主義を破壊する内容の草案が出ている。国会で自民党総裁(安倍晋三首相)は憲法についての質問に答えない。無責任な姿勢だ」

 「自民党から立憲主義を破壊する内容の草案が出ている」とっても、もう3年半も前から出ているではないか。立憲主義をどう破壊しているか、3年半も統一的見解を打ち出してこなかった。怠慢そのものである。

 ネットで調べて見ると、2016年1月19日の参院予算委で既に安倍晋三は憲法の個別条項に対する答弁回避を行っていた。文飾は当方。

 質問者は社民党の福島みずほ。

 問題としたのは新設の第9章第98条第1項で、〈外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。〉とする緊急事態の宣言に伴って、同じく新設の第99条第1項で、〈緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。〉としている点である。

 福島瑞穂は次のように追及している。

 福島瑞穂「総理は、憲法改正の発議ができるように参議院選挙で改憲勢力の三分の二以上の獲得を目指すとおっしゃっています。自民党は既に日本国憲法改正草案を発表しています。どれも極めて問題ですが、この中の一つ、緊急事態宣言条項についてお聞きをします。(資料提示)

 まず、緊急事態宣言からやるのではないかと私は思っておりますが、この新しく自民党が設けている第九章緊急事態、これはまさに効果のところがとりわけ問題です。これは、内閣で、99条1項、『内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる』、『内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。』となっています。

 総理、国会は唯一の立法機関です。しかし、内閣が法律と同じ効力を持つことができる政令を出すのであれば、立法権を国会から奪うことになる。国会の死ではないでしょうか。

 安倍晋三「この草案につきましては、我々野党時代、谷垣総裁の下で作られた草案でございます。

 これ、大規模な災害が発生したようなこれは緊急時のことを言っているのでございまして、平時に行政府がこれは権限を持ってやるということではないわけであります。大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民自らがどのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題と考えております。

 そして、他方、自民党の憲法改正草案の個々の内容について、政府としてお答えすることは差し控えたいと思います

 福島瑞穂は第9章第98条第1項が、〈緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。〉としている点を更に捉えて、事前に承認を得ずに事後承認を求めて国会に承認案を提出したものの否決された場合の政令によって既になされた処分の回復はどうするのかといった趣旨の質問をした。

 回復しなくてもいいとなったら、内閣は事前承認を受けにくいと判断した案件は全て事後承認に回して内閣がつくった法律と同等の効力を持つ政令で思い通りのことができる危険性が生じることになる。

 また、内閣が事後承認が国会で否決された場合の案件に対して処分の回復を免れることができるとしたら、そのような案件の履行に責任を持たなくてもいいことにもなる。

 安倍晋三「今申し上げましたように、私が今ここに座っているのは内閣総理大臣として座っているわけでございまして、憲法の改正案の中身については、まさにこれから憲法審査会において御議論をいただきたいと、このように思うわけでございまして、こうした議論が深まっていく中において、おのずとどの項目から改正をしていこうかということが定まっていくわけでありまして、それ以上個々の条文について私はここで述べることは差し控えさせていただきたいと思います」

 要するに自民党憲法改正案が閣議決定されて法案として国会に提出されたなら、内閣総理大臣として個々の質問に答弁しなければならないが、現状はそこまで行っていない、自民党案にとどまっているのだから、憲法審査会で議論してくれと要求している。

 この論理は、「ブログ」に書いたが、2016年10月3日の衆院予算委員会での民進党の長妻昭の自民党憲法改正草案に関わる質問に対する安倍晋三の答弁で繰り返されることになった。

 長妻昭は最後まで答弁を引き出そうとして同じ繰返しの質問をし、そのたびに安倍晋三は同じ繰返しの答弁回避に終止して、堂々巡りの不毛な質疑が演じられることになった。

 ところが翌々日の10月5日午前の参院予算委でも民進党新代表の蓮舫が何も学習せず、同じことを演ずることになった。「産経ニュース」   

 蓮舫「現行憲法と自民党の憲法草案なんですが、自民党では新たに一項を新設。(第24条の)『家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される、家族は互いに助け合わなければならない』。助け合わなければならない、これを憲法に規定するというのは具体的にどういう意味合いなんでしょうか」

 安倍晋三「それはわが党の憲法改正草案について触れておられるわけでございまして、今私がここに立っておりますのは、行政府の長として立っておりますから、現行憲法について、現行憲法とわが党が出そうとしている法案との関係についてはもちろん、これは答弁をしなければいけない義務があるわけで、現行憲法についての順守義務がありますから、それは議論する答弁をしなければいけない立場にありますが、そこで、わが党の草案について逐条的にお答えする立場にないことを申し上げているところでございます」

 「現行憲法とわが党が出そうとしている法案との関係について」は「答弁しなければいけない」と言っていることは、時代の変遷によって現状に合わなくなった点を変える必要が生じたといった程度のことだろう。

 家族が助け合うことは人間の営為に於ける自然の摂理(自然界を支配している法則)として存在する。だが、自然の摂理とて絶対ではなく、時と場合によってどう抗いようもなくその自然の摂理が壊れることもある。

 壊れることも自然の摂理としてある。である以上、自然の摂理に任せる家族間の関係性でなければならない。

 ところが、自然の摂理である家族の助け合いを自然の摂理に任せずに憲法に条文で規定すると、国家権力の恣意的な権力の行使を制約する役目を担う憲法に於ける立憲主義に反して国家権力そのものが家族の在り方を規制することになる。

 このことだけで立憲主義を壊すことになるが、そのうち国家権力が家族はどう助け合うべきかを口出しすることになって、安倍晋三のことだから、明治から敗戦までの古い家族の在り方を理想の家族の形として求めることになるだろうが、このような国家権力の家族のあり方に対する干渉は立憲主義の否定そのものとして跳ね返ってくるばかりか、国家権力がこうあるべきだとする形に家族を固定することになる。

 当然、個人の尊重の否定にも繋がってくる。

 そうなったとき、きっと安倍晋三の国家主義が跳梁跋扈するに違いない。

 蓮舫は「多様な生き方」、「立憲主義」、「個人の尊重」といったキーワードを用いてなおも安倍晋三に答弁させようとするが、安倍晋三の答弁回避の姿勢は固く、結果的に時間をムダにすることになった。

 多分、こういったことの反省が民進党の憲法調査会が自民党の憲法改正草案の問題点を研究することを決め、問題点の統一的見解を纏めるキッカケとなったのかもしれない。

 但しどう纏めようとも、自民党憲法改正草案が逐条的に閣議決定されて、国会に法案として提出されまでは安倍晋三は答弁回避を続けるに違いない。改正しやすい条項から手を付けるに決まっているから、9条の2の、〈我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。〉等の項目は最後の最後になるだろうから、9条の2に関わる答弁回避も最後の最後まで続くことになる。

 なら、最初に質問して安倍晋三が答弁回避の挙に出たなら、それ以後は安倍晋三の答弁を求めずに、いわば質問の形を取らずに、民進党が統一見解とした問題点――立憲主義の観点からそれを壊しかねない危険な条項、基本的人権を脅かすことが予想される条項等々を、自民党の改正草案はここが問題だとする趣旨の一方的な発言によって、実際には国民に語りかけるという形を取るべきではないだろうか。

 いわば自民党憲法改正草案の危険な問題点を国民の目に見える形に持っていく。

 もし質疑会場にテレビカメラが入っていたなら、その効果はより強くなるはずである。

 少なくとも安倍晋三が答弁回避の姿勢を崩さないことは予想しなければならないはずだが、予想できずに答弁を求めようとムダな努力を費やし、結果的に時間を空費するよりも国民に与える効果はより上質と言うことはできる。

 
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安倍晋三の10月13日参院予算委での薬師寺道代に対する障害者理解の答弁はお題目・口先だけの疑いあり

2016-10-14 09:57:47 | 政治

 「Wikipedia」に医学博士号を持ち、前職医師と紹介してあiり、更にみんなの党解党後は水野賢一らが設立した院内会派無所属クラブに参加したとある薬師寺道代(52)が2016年10月13日の参院予算委で聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」の日本開催招致などについて、時折、手話を使って質問し、対して安倍晋三が手話で応じたとマスコミ記事が伝えていたから、安倍晋三が応じたとしているその手話がどの程度のものか、質疑をNHKが放送した番組の録画で視てみた。

 薬師寺道代は「内閣府平成18年度障害者の社会参加促進等に関する国際比較調査」を基に作成した障害者の各スポーツ大会の参加資格とその認知度を手話を用いてボードで示した。 

 パラリンピック・・・・・・・主に肢体不自由の身体障害者(視覚障害者を含む)・・・・・94.0%
 デフリンピック・・・・・・・聴覚障害者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.8%
 スペシャルオリンピックス・・知的障害者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12.4%

 この調査は日本、ドイツ、アメリカを対象としていて、パラリンピックのドイツ周知度は85.9%、アメリカ49.4%と日本より低くなっている。

 デフリンピックスはドイツ48.7%、アメリカ21.0と日本より高い周知度だが、左程高いとは言えない。スペシャルオリンピックスはドイツ46.5%、アメリカ93.1%。

 生活補助がより困難な知的発達障害者の国際スポーツ大会に対する周知度がアメリカでは93.1%と高いということは知的発達障害者に対する理解度が高いことに対応した数値なのだろうか。

 日本はパラリンピックに対する周知度は94.0%と高くても、視覚障害者の白い杖や盲導犬に対する理解度は低いようだ。

 アメリカは障害者先進国と言われ、日本は障害者後進国に位置づけれれている。車椅子生活者の「Travel For All」と言うウエブサイトに、「世界のバリアフリー事情/米国」と題した記事が載っていて、自身がアメリカを旅行して得た知識として、〈アメリカに関しては何の心配もないですね。世界一のバリアフリー先進国です。理想的です。  

  ADA(アメリカ障害者法)にも、アクセス権(移動権)が保証されています。〉と紹介している。

 因みに私自身はパラリンピックは知っていたが、デフリンピックもスペシャルオリンピックスも無知そのものの状態であった。

 薬師寺道代は手話を用いて日本のパラリンピック以外の国際スッポーツ大会に対する周知度の低さを説明し、そのため「スポーツ活動を行うにも十分な協力が得られにくい現状がある」からと、この現状についての認識を文科相の松野博一に質問した。

 松野博一「委員からご指摘がありましたようにパラリンピックの認知度が約98%、高い一方でスペシャルオリンピックスやデフリンピックの認知度がそこまで行かないという状況でございます。

 このような状況を踏まえて今後デフリンピックやスペシャルオリンピックスの認知度を高めることを含め、スポーツの普及や障害者理解促進を一層強めて行かなければいけないとそう考えております」

 認知度の現状とスポーツの普及や障害者理解促進の単なるお題目を並べただけである。役人が書いた原稿を読み上げただけだから、そうなるのだろうが、何の熱意もないお題目答弁に薬師寺は「ありがとうございます」と応じている。

 薬師寺道代はパラリンピックは国家プロジェクトとして国や企業の支援を受けてその普及と啓発の施策は強化されているが、パラリンピックに偏り過ぎている、聴覚障害者が全国のスポーツ施設・スポーツクラブで日常的にスポーツができるように振興策を講じているのかと再び松野博一に問い質した。

 松野博一「聴覚障害者の方を含めた障害者のスポーツ実施率は成人全般と比較して低調な状況にあり、その原因の一つとしてスポーツのできる場の不足が挙げられています。文部科学省としては特別支援学校を活用した障害者スポーツの拠点や地域スポーツクラブへの障害者の参加促進など、障害者スポーツの場づくりに向けた取組を行っているところであります。

 特に地域スポーツクラブについては障害者スポーツの導入のためのガイドブックを作成をしており、その普及活用を図るなど、聴覚障害者を含め障害者スポーツの場の確保なに努めてまいりたいと考えております。

 で、併せまして、本年4月に施行されました障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律に基づき、文部科学省では所管事業部位に於ける障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針を作成しております。

 この指針では不当な差別的な取扱いでの具体例として障害のみを理由としたスポーツ施設等、サービスをさせないことを挙げております。文部科学省はこの内容を各都道府県や関係団体に通知をしたところであり、指針に基づく対応をされるうよう、今後とも周知徹底を図っていくつもりです」

 役所が計画していることや実施していることを原稿を読んで伝えているだけで、障害者に対する一般の理解の遅れに対する自分なりの考えや思いは一切ない。

 デフリンピックの夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアで始まったそうだが、薬師寺は長い歴史を誇っていながら、日本では一度も開催されていないが、昨年の夏季大会、冬季大会共に参加した日本人選手が金メダル3個も獲得している。障害者に対する理解を進めるためにもデフリンピックを日本の招致してもらいたいと要請した。

 安倍晋三「障害者スポーツの国際的な競技大会を我が国で開催することは障害者のスポーツの振興、さらには障害者に対する国民理解を深める上で大きな意義があると思います。

 聴覚障害者のための大会デフリンピックはパラリンピックとは別に開催されており、これを日本に招致するという趣旨については素晴らしいと私も思っています。他方、大会招致に当たっては開催地の自治体との調整、主催する国内団体の体制の整備などの課題もあるものと承知をしております。

 デフリンピックの日本招致について開催団体や自治体との間の調整が進み、具体的なご相談があれば、その内容に於いてしっかりとバックアップをしていきたいと思います。

 今後とも、デフリンピックへの国民の関心が高まるよう、関係団体と協力して取り組んでいきたいと思いますし、今日は薬師寺委員にこのような提案を取り上げて頂き、デフリンピックに対する知名度・理解も増すんではないかと思います。

 私も大変嬉しく思います。ありがとうございました」

 薬師寺道代「ありがとうございます。私も諦めずにこれからも努力してまいりますのでよろしくお願いします」

 薬師寺道代は安倍晋三の答弁に「ありがとうございます」と応じたが、安倍晋三は「私も大変嬉しく思います」と言う間のみ、指を開いた両手をそれぞれ左右の胸のところで上下に動かして、手を用いた会話としたに過ぎない。

 ただそれだけである。

 薬師寺道代は知的障害者のためのスペシャルオリンピックスの質問に移る。

 安倍晋三は「障害者スポーツの国際的な競技大会を我が国で開催することは障害者のスポーツの振興、さらには障害者に対する国民理解を深める上で大きな意義がある」と言い、さらに「今日は薬師寺委員にこのような提案を取り上げて頂き、デフリンピックに対する知名度・理解も増すんではないかと思います」言いながら、デフリンピックの日本招致は自治体頼み、関係団体頼みで、それらの組織からの相談があればバックアップすると、自分から自発的に動いて主導するのではなく、自分からは動かないことを宣言した発言となっているのだから、国際的な競技大会の開催が「障害者に対する国民理解を深める上で大きな意義がある」の物言いは、文科相の大野に勝るとも劣らない熱意も何もない口先だけに過ぎないことになる。

 安倍晋三が手話で応じたと言っても、質問通告で手話を使うことを伝えられていて、「私も大変嬉しく思います」と言う部分だけを急遽手話を学んで取って付けた俄仕立てなのだろう。

 結果、口先だけの物言いに対応した手話が正体といったところになったということであるはずだ。

 安倍晋三は2016年2月28日の「一億総活躍社会実現対話」で、「一億総活躍社会は、女性も男性も、お年寄りも若者も、一度失敗を経験した方も、障害や難病のある方も、誰もが活躍できる社会です」と言い、2016年4月6日の「第50回 国家公務員合同初任研修開講式」の挨拶では、「安倍内閣は、今年、新しい挑戦を始めました。『一億総活躍社会』を創る、という挑戦であります。

 若者もお年寄りも、女性も男性も、難病や障害のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが活躍できる社会であります。誰もが生き甲斐を感じられる社会を創り、少子高齢化に歯止めをかける。『一億総活躍』とは、国民一人一人の前に立ち塞がる、様々な「壁」を取り除くことであります」と言っている。

 また、2016年9月26日の安倍晋三の臨時国会所信表明演説でも、「障害や難病のある人も、お年寄りも若者も、女性も男性も、一度失敗を経験した人も、誰もが生きがいを感じられる社会をつくることができれば、少子高齢化というピンチも、大きなチャンスに変えることができるはずです。

 2020年、そしてその先の未来に向かって、誰もがその能力を存分に発揮できる社会をつくる。1億総活躍の『未来』を皆さんとともに切り開いてまいります」と約束している。

 障害者や難病者を他と対等な生活者として社会参加の資格がある、対等な社会参加によって誰もが生き甲斐を感じることができる社会を創ると言いながら、デフリンピックの日本招致については他人任せとなっている。

 この前者・後者の整合性の無さは、安倍晋三がカネを持つ者が社会的な活躍の幅をより広げて、カネを持たない者が社会的活躍の幅を制限される経済的格差社会をつくり出している張本人であることと考え併せると、社会的弱者に対する立派な約束事は薬師寺道代に対する答弁同様、お題目に過ぎない疑いが濃厚となる。


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自衛隊の安全を考えている以上に安倍政権の安泰を守る様相の安保法制新任務と国会質疑の行方

2016-10-13 12:05:18 | 政治

 日本政府は「戦闘行為」を「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為を言い、国際的な武力紛争とは、国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争いを言う」と定義付けている。

 ブログに書いたが、2016年9月30日の衆議院予算委員会で民進党の後藤祐一が防衛相の右翼稲田朋美に対して現在自衛隊をPKO派遣している南スーダンでの大統領派の政府軍と副大統領派の反政府軍の武力衝突は「戦闘行為の状況にあるのか」と問い、稲田朋美は「戦闘行為」に関わる日本政府の定義を持ち出して、両派の衝突は国内の勢力間の争いで、国家又は国家に準ずる組織の間の争いではないから、戦闘行為に当たらないと答弁、その答弁に納得しない後藤祐一の間で同じ遣り取りを繰返す不毛な堂々巡りを演じることになった。

 要するに安倍政権は南スーダンでの紛争は国際的な性格のものではない、国内勢力間の争いだから、例えお互いに兵器を使用していても、そこで行われている争いは「戦闘行為」に当たらないとすることによって治安が危険な状況にあるわけでもなく、当然、リスクが高まっているわけでもないと南スーダンの現況を野党議員と共に国民に認識させようとしていることになる。

 と言うことは、国内勢力間の武力衝突は国際間の「戦闘行為」よりも危険は小さいし、治安への影響も少ない、自衛隊がそこで活動してもリスクは少ないと論理づけていることになる。

 だが、イラクでのイラク政府と在留米軍に対する過激派武装集団の反政府・反米テロは国内勢力間の争いに当たるが、なまじっかな国際的な武力紛争よりも激しい戦闘が行われ、且つ不特定多数を狙った大規模テロによって多人数の命が奪われる危険な治安状況にあるのだから、上記論理は必ずしも合理性を有しているとは言えない。

 もし在留米軍が関与しているから、イラクでの戦闘は国際的な武力紛争に相当するとするなら、南スーダンに於いても日本のみならずインド、ルワンダ、ネパール、エチオピア、中国、モンゴル、ケニア、ガーナ、バングラデシュ等がPKOとして関与していて、中国PKOに対する攻撃があり、中国軍は応戦しているのだから、国内勢力間の争いから外して、国際的な武力紛争としなけれがならなくなって、安倍晋三や稲田朋美が南スーダンでの衝突は国際紛争ではないから「戦闘行為」に当たらないとする論理そのものが破綻することになる。

 2016年10月11日の参院予算委員会での内政・外交の諸問題に関する集中審議でも民進党の大野元裕が稲田朋美に対して少し違った方向から南スーダンでの衝突は「戦闘行為」かどうか追及していたが、9月30日の衆議院予算委員会と同様、政府軍と反政府軍の衝突は政府の定義で言う「戦闘行為」に当たらないと、いわば危険な治安状況にはないという趣旨の同じ答弁を引き出すことしかできない不毛な質疑となっていた。

 その中で大野元裕は従来のPKOは緊急退避もしくは正当防衛のみ武器使用が認められたが、自衛隊が駆けつけ警護と宿営地が襲撃された場合に他の国の部隊と共に守る共同防護という新たしい任務を付与された場合、任務遂行型の武器使用となるから、リスクが上がるのではないのかと質問した。

 緊急退避もしくは正当防衛を目的とした武器使用は相手の攻撃を受けた後の受動的な武器使用を意味していて、任務遂行型武器使用は自己防衛のみならず、こちらから能動的に仕掛ける攻撃型の武器使用を意味することになる。

 稲田朋美「新たな任務を付与するかどうかは今後政府全体で決めることになります。今仮定のご質問だが、新平和安全法制、PKO駆けつけ警護ですが、緊急止むを得ない場合に情勢に応じて人道的観点から派遣している部隊が対応可能な限度に於いて行うものです。

 そういった意味で新たなリスクが高まるというのではなく、しっかりと安全を確保した上で派遣をすることになります。自衛隊の任務の実施に当たっては隊員の安全確保は重要です。そのためにしっかりと訓練をし、さらには新たな任務を付与するかどうかもしっかりと検討しているわけでございます」――

 要するに新たな任務に関わる訓練をしっかりと行った上で「対応可能な限度に於いて」駆けつけ警護や宿営地共同防護を行うからリスクは高まるわけではないとの趣旨の答弁である。

 だが、基地外でのパトロール中の襲撃や国連職員や民間NGOの職員、他国軍の兵士等が武装集団や反政府軍に襲撃されている最中の駆けつけ警護が「対応可能な限度」かどうか、どう判断するのだろうか。瞬時に判断できるのだろうか。

 判断に手間取ることになる場合、あるいは「対応可能な限度」を超えていると判断する場合は、その襲撃がより大規模で激しいときであろう。

 そういった場合、自分たちの安全だけを考えて、いわば襲撃を受けている国連職員や民間NGOの職員、他国軍の兵士等の安全を無視して、そのまま撤退するのだろうか。果たしてそのまま撤退できるのだろうか。

 もしそのように厳しく行動基準が決められているとしたら、自衛隊員の身の安全を守ることになって、結果的にリスクは高まらないと繰返していた国会答弁にウソはなかったことになり、ウソがあった場合の安倍政権に対する批判を免れることができるから、自衛隊員の身の安全を守ると同時に安倍政権の安泰を守るための行動基準でもあることになる。

 このことは安倍政権の安泰を守るために自衛隊員の身の安全を守るという逆もまた真なりの関係を築いていることになる。

 南スーダンの治安状況を各マスコミ記事から見てみる。

 南スーダンで活動する日本人47人が7月13日に民間チャーター機で隣国のケニアの首都ナイロビに退避している。

 南スーダンにとどまっている日本大使会員の治安状況が最悪化した場合の南スーダンからの脱出に備えて小牧基地を出発した航空自衛隊の3機のC130輸送機が南スーダンの首都ジュバの空港での駐機が難しいために日本時間の7月14日未明、ジブチ共和国に到着、待機して、治安状況の推移を見極めるとしている。

 南スーダンの首都ジュバの空港での駐機は襲撃される危険性を考慮して避けたということであろう。

 ジブチ共和国の空港に駐機していたうちの輸送機1機が7月14日に南スーダンの首都ジュバの空港に入り、日本大使館員4人をジブチに輸送、退避させている。

 国連安保理は8月12日、東アフリカ・南スーダンの治安回復に向けて現地の国連平和維持活動(PKO)への4000人規模の部隊増派を認める決議を採択した。

 追加派遣で陸上自衛隊の部隊約350人も参加、総勢1万7000人規模となるという。

 〈決議は周辺国で構成される「地域防護部隊」が首都ジュバや空港などの主要施設を守るため「すべての必要な措置」を取ることを認めた。現地でPKOを行う国連南スーダン派遣団(UNMISS)の指揮下で、国連要員や人道関係者、市民らへの攻撃に「積極的に対処」する。国連要員などへの攻撃が準備されているとの信頼できる情報がある場合は、先制攻撃も可能だ。 〉と毎日新聞が伝えている。 

 南スーダンでの治安状況は現在沈静化していると言うものの、7、8月の時点では国連安保理がPKO要員の増派を決めなければならなかった程にも悪化していた。

 沈静化が恒久的なものである保証はどこにもないのだが、日本の国会で現在発信されている政府答弁は7、8月の時点での南スーダンの治安状況さえも法的な定義で言う「戦闘行為」には当たらないから悪化状況にあるとは言えないとしている。

 このように政府が答弁している治安状況に即してのことだろう、防衛省は8月24日、今年3月に施行された安全保障法制に基づく駆けつけ警護や宿営地が襲撃された場合に他の国の部隊と共に守る共同防護の新任務の訓練を開始すると発表、自衛隊は翌8月25日から、訓練を開始している。

 8月25日の記者会見。

 河野統合幕僚長「活動の範囲や武器使用の範囲が広がるので、絶対に間違いがあってはならない。武器使用の規定などを徹底的に教育することをいちばん重視している」(NHK NEWS WEB

 いわば自衛隊の新任務の準備を着々と進めていた。

 ところがである。2016年10月12日付の「時事ドットコム」記事は自衛隊の駆けつけ警護や宿営地共同防護の新任務は10月中に決定するとしていた判断を見送る方向で調整に入ったと伝えている。  

 〈不安定な現地の治安情勢を慎重に見極める必要があるとの判断に加え、国会審議の停滞を回避する狙いがある。〉と記事は解説している。

 具体的には〈政府は当初、派遣部隊の交代時期に合わせ、月内に派遣期間の延長と新任務付与を判断する考えだった。現地では偶発的な衝突が続いており、政府は首都ジュバは落ち着いているとの認識だが、野党は自衛隊のリスクが高まっているとして追及を強めている。このため政府は派遣期間の延長を決めるにとどめ、新任務付与については来月以降に改めて判断する。〉と書いている。

 この新任務決定を見送る方向での調整は安倍晋三や稲田朋美の「戦闘行為」ではないから治安状況は悪化していない、自衛隊のリスクは高まっているわけではないとしている国会答弁に反する調整であろう。

 なぜ国会答弁に反してまでも見送る方向での調整に入らなければならなかったのだろうか。現況に於ける治安状況の沈静化が恒久的なものである保証はどこにもないからだろう。

 その保証が絶対的なら、新任務をいつ付与したとしても自衛隊のリスクは高まらないことになるし、そのリスク回避の保証は安倍政権安泰の保証ともなる。

 要するに国会答弁で南スーダンでの大統領派と副大統領派の武力闘争は「戦闘行為」に当たらないから、治安が最悪の状況ではない、自衛隊のリスクも高まっているわけではないとしていたことも安倍政権を守るためであり、これまでの国会答弁に反して現在の治安状況の沈静化が絶対的な保証はないことに留意しなければならなかったことも同じく安倍政権安泰を考えてのことと言うことになる。

 安倍晋三は長期政権を狙っている。長期政権を日本の政治史に記録させようと願っているはずだ。PKO派遣で長期政権が崩れることは我慢ならないだろう。

 当然、自衛隊の安全を考えている以上に安倍政権の安泰を考えていることになるし、そのような考えに沿った国会答弁であり、自衛隊の新任務であるはずである。

 安倍晋三は軍事的にも世界的規模での日本の関与を望んで自衛隊の海外派遣を推し進めながら、そのことによって自身の政権が危うくなることを恐れるジレンマに囚われることになった。


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再掲/安倍流国家主義的奉仕活動

2016-10-12 08:10:45 | 政治

 稲田朋美が日本独自の核保有の検討を提言していた同じ月刊誌2011年3月号の「正論」の対談で若者の自衛隊への教育体験入隊も提言していたことを社民党の福島瑞穂が取り上げ、10月11日の参院予算委で追及したと「asahi.com」記事が伝えていた。

 次のように発言していたという。 

 「タブーといえば徴兵制もそうですね。教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらうという制度はどうですか。

 自衛隊について国民はまったく知らないし、国防への意識を高めてもらうきっかけにもなると思う。『草食系』といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」

 福島瑞穂「『若者全員に』と言っている。極めて問題で、徴兵制と紙一重だ」

 発言の撤回を求めたという。

 稲田朋美「学生に見て頂くのは教育的には非常に良いものだが、意に反して苦役で徴兵制をするといった類いは憲法に違反すると思って、そのようなことは考えていない」

 他の記事によると、稲田朋美は発言を撤回しなかったという。例の如くである。核保有にしても、あわよくば徴兵制導入を睨んだ自衛隊への教育体験入隊にしても、稲田朋美が内心に確固たる形で築いている思想・信条である。
 
 アダや疎(おろ)かに撤回できない代物となっているから、撤回しない。撤回を求めるよりも、思想・信条をTPOに応じてときにはホンネを言い、ときにはタテマエで通す、その二面性を巧妙に使い分けるカメレオンのような政治家だと、その人物像を世間に一般化させて信用失墜を謀る方が得策である。

 稲田朋美の自衛隊への教育体験入隊発言で思い出したのが第1次安倍内閣時代の安倍晋三の高校卒業後の奉仕活動の提案である。

 国会では日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」を根拠に、徴兵制を苦役に当たるからと反対しているが、安倍晋三は国家主義者で戦前日本を理想の国家像としている。

 愛国心に依拠させれば、愛国心ある者にとっては徴兵は苦役ではなく、喜びであるとすることが簡単にできる。戦前のように「天皇陛下のために・お国のために」と国民の意思を統一させたようにである。

 いわば第18条をクリアできる。

 安倍晋三の奉仕活動の提案を2006年10月12日「ブログ」で取り上げた。今日水曜日は用事があってブログは休みにしているが、そのままのっけるだけだから、題名をそのままに再度記事にしてみることにした。役に立つかどうかは分からない。  


 安倍首相が就任前の自民党総裁選時に大学入学を現行の4月から9月に変更し高校卒業後の4月から大学入学の9月までの5ヶ月間を「例えばボランティア活動やってもらうことも考えていい」と自身の教育政策の一つに考えていることを表明した。

 「やってもらうことも」としているが、安倍晋三のその国家主義の体質からして、最初は控えめ、「ボランティア」が「奉仕活動」と名前を変え、全国一斉の義務化への衝動を抱えているに違いない。

 あるブログから辿りついた東京新聞の記事(『ボランティア義務か おかしくないか』06.10.5)に「著書『美しい国へ』でも、共生社会創造のためには、最初は強制でも若者に(ボランティアの)機会を与えることに大きな意味があると記している」と書いてある。 

 売れないお笑いタレントのダジャレを真似したみたいに「共生」と「強制」を引っ掛けたとしたら、これは悪い冗談となるが、本人の頭の中では「共生」と「強制」はこっそりと〝共生〟しあっているのかもしれない。「共生」=「強制」だと。イコールであってこそ、国家主義者足り得る。常々言っている〝愛国心〟も輝きを放ち出す。

 「最初は強制でも若者に(ボランティアの)機会を与えることに大きな意味がある」

 どう「意味がある」のだろう。ただ直感的な言い回しでは、当方のような頭の悪い人間は理解できず、眠れない夜を過ごさなければならなくなる。

「すべての子供に高い学力と規範意識を身につける機会を保障するため公教育を再生する」ことを政策として掲げているが、「強制」した「ボランティア活動」がどのような学習意欲を刺激して、高校生の規範意識に結びつき、人格形成、もしくは社会意識の涵養につながると考えているのか、直感からではない具体的な説明が欲しい。安倍氏の頭では無理か。
 
  同じ東京新聞に、「東京都が先行している。来年度から、全都立高校で一単位年間35時間の『奉仕』が必修化される『規範意識を身につけさせる』ことを狙いとし、ボランティアではなく『奉仕』と呼ぶ理由を、都教育委員会は『自発的に行うのではなく、教育課程に組み込み必修とするため』と説明している。活動例では河川の清掃や災害での救護、高齢者介護などを挙げる」とある。

「ボランティア」は「自発的に行う」ものだが、「奉仕」とは「自発的に行う」ものではなく、「必修」という形式の〝強制〟作業だとする解説となっている。「河川の清掃や災害での救護、高齢者介護」等々、様々な活動に振り分ける。あれをしなさい、これをしなさいと。

 日本では「規範意識を身につける機会を保障するため」という名のもとに行われる「ボランティア活動」だが、強制性の違いはあるにしても、中国の文化大革命時代、青年及び女子を思想矯正の名のもと指定した農村に移住させるべく強制的に振り分けた〝下放〟と重なる部分があるように思えて仕方がない。あるいはポルポトが都市の知識人住民を農村に強制移住させて、農業に従事させたときの振り分けに重ならないだろうか。
 
 「日本ボランティア学会に属する国学院大学の楠原彰教授(教育社会史)は批判的にみる。
『ボランティアは義務化されるものではない。安倍政権のいうそれは実態としては奉仕のこと。ボランティアは自由な精神が基礎で、奉仕には国家や公に尽くす意味合いが強い』

 そのうえで、楠原氏は『ボランティアの基本には公共性や福祉の意味を考える作業があるが、奉仕は国家に思考を預けてしまうことで、若者の自由な批判精神を奪いかねない』と話す」(同東京新聞)

 このオッサン、バカなことを言うなあと思った。元々日本人は権威主義を行動様式としているのだから、「自由な批判精神」など満足に機能させているわけがなく、国家だけではなく、自己以外の他者(マスメディアの情報等や上司と言った上位者)に専ら「思考を預け」た自律性・主体性なき国民なのである。

 だからこそ安倍晋三の支持率は高いものとなっている。

 また安倍晋三は国家主義者なのである。伊達に国家主義者をしているわけではない。特に若者を対象に「自由な批判精神」を持たない日本人の思考を優先的に国家に「預け」させ、国家に従属させる。元々それが狙いなのである。

 安倍一派の言う〝愛国心〟の具体像は国民の国家への従属の姿なのである。奉仕活動の強制性を利用して元々満足に機能していない「自由な批判精神」を完全機能停止状態に仕向けて完璧なまでに従属精神を植えつける。最後の段階として、その従属性を国家を発揮対象とさせる。

 そのような国家への従属が〝愛国心〟の完成形となる。国家主義の完成でもある。安倍晋三の勝利の瞬間ともなる。安倍晋三が望む「(国を)命を投げうってでも守ろうとする」とは、国民が命を捧げてまで実践して欲しいとする国家への従属への期待を示す言葉であろう。

 このことに対抗する国民の側の有効な方法は、奉仕活動を越えなければならないハードル、あるいはその時期さえ我慢すれば逃れることのできるノルマとすることだろう。権威主義の行動様式に呪縛されて元々自律性・主体性なき国民・民族である。ハードルにするにしても、ノルマと見立てるにしても、いとも簡単にできるはずである。

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安倍晋三が退任後日本の方向に憤激、自衛隊国粋派を糾合・反乱、鎮圧部隊との銃撃戦は戦闘行為とはならない

2016-10-11 12:02:37 | Weblog

 2016年9月30日の衆議院予算委員会で民進党の後藤祐一と防衛相の右翼国家主義者稲田朋美との間で「戦闘行為」とは何を指すのか、その意味についての質疑があった。

 両者の遣り取りを大まかに取り上げて、最後に安倍晋三の答弁で締め括ってみる。

 要するに後藤祐一は自衛隊がPKO派遣されている南スーダンで政府勢力大統領派と反政府勢力副大統領派が武力を用いて勢力争いをしている、2016年7月以降300名が死亡、上旬には自衛隊の宿営地近くで両勢力の間で銃撃戦が行われ、同じくPKO派遣されていた中国軍のパトロール中の装甲車が狙撃されて2名死亡、2名重症、3名軽症の被害が発生している、こういった銃撃戦の発生は戦闘行為の状況にあるのかどうかといった質問した。

 なぜこのような質問をしたかは、ここではその発言を取り上げないが、後藤祐一は後の方でPKO五原則に深く関係するからだと、その理由に触れている。自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加する際の条件の第1は、「紛争当事者間で停戦合意が成立していること」となっている。

 戦闘行為が発生していることになると、停戦合意が破棄された状態となり、自衛隊は撤退しなければならない。

 「戦闘行為」とはどのような状況を指して言うのか、その定義に関わる稲田朋美の答弁を見てみる。

 稲田朋美「国同士、国と国に準ずる間の紛争であったということではない、戦闘行為とか武力紛争があったということではないということです」

 稲田朋美が言っていることの裏を返すまでもなく、南スーダンの銃撃戦は国内の勢力間の争いで、国同士の争いでも、国と国に準ずる統治主体との争いでもないから、その争いは戦闘行為でもなければ武力紛争にも当たらないと答弁していることになる。

 だが、後藤祐一はこの答弁に納得しない。あくまでも稲田朋美から「戦闘行為」という言質を引き出して、PKO南スーダン派遣の条件が崩れていることの追及に拘った。

 後藤祐一「これだけの銃撃戦があって、戦闘行為にならないのですか」

 対して稲田朋美は同じ答弁を繰返すことになる。

 稲田朋美「委員が戦闘行為という言葉をどういう意味で使っているか定かではありませんが、それが国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺し、または物を破壊する行為と言う意味で使われているものであれば、(南スーダンでの武力衝突は)戦闘行為、法的な意味に於ける戦闘行為ではないということであります」

 稲田朋美「大変繰返しになって恐縮でございますが、今迄の戦闘行為とは何かと言うことは国際法でも答弁さえて、政府の答弁書でもなされております。この中で法的に戦闘行為とは国際的な武力行使の一環として行われる人を殺傷し、または物を破壊する行為と定義づけられております。

 そこで法的に言いますと、(南スーダンでの銃撃戦、あるいは武力衝突は)戦闘行為ではありませんと申し上げております」

 要するに南スーダンの軍事的混乱は国際紛争に当たらないから、両勢力の軍事的行動は戦闘行為ではないとしている。

 この政府の答弁書とは2001年9月11日の米国同時多発テロを受けて米ブッシュ大統領がアフガニスタンに武力行使に出ると小泉純一郎の日本政府はその行動を支持し、海上自衛隊を後方支援のためにインド洋に派遣した状況に対して2001年12月3日提出の「戦争、紛争、武力の行使等の違いに関する質問主意書」への答弁書のことである。

 海上自衛隊の役目は給油活動とされていたが、アフガニスタンで米軍要員等の輸送に直接携わっていたともされている。

 答弁書は次のように答えている。〈テロ対策特措法第二条第三項の「戦闘行為」とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。〉

 但し〈テロ対策特措法第二条第三項の「国際的な武力紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争いをいうと考える。〉

 要するに南スーダンでの武力衝突は国内の争いであって、「国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争い」――「国際的な武力紛争」に当たらないから、いわば、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」に当たらないために、その武力衝突は「戦闘行為」でないという意味となる。

 簡単に言うと、日本政府がアメリカ及び米軍に協力することを可能とする目的で作り上げた「戦闘行為」の定義ということであろう。

 埒が明かないと見たのか、安倍晋三が答弁に立つことになった。

 安倍晋三「先程来、稲田大臣が答えているのは、政府の戦闘行為という定義は先程稲田大臣が答えた通りなんです。国際的紛争の一環としてのですね、この武力衝突によってですね、人を殺傷したり、あるいは物を壊すという戦闘行為ということを政府として定義しておりますから、後藤さんのつくった定義で答をと言われてもですね、なかなか答えようがないわけでありまして、国際紛争がなくて国内に限った中に於いてですから、人が殺されたり、物を壊されたりすることはある、このように答えているわけでありまして、これを我々がまた戦闘行為と言えば、戦闘行為の解釈を変えることになりますから、稲田大臣はあのように答えているわけであります」

 アフガニスタンでの政府軍とタリバンの武力衝突も、タリバンは国内勢力なのだから、国際的な武力紛争の一環として行われる武力衝突ではないから、その武力衝突は戦闘行為に当たらない。

 イラクのサダム政権崩壊後の国内混乱は政府軍と国内勢力の反米武装勢力等との武力衝突だから、両者間の軍事衝突は戦闘行為に当たらない。

 では、ウクライナのクリミアでのロシア派武装勢力とウクライナ軍との武力衝突は国際的な武力紛争の一環ではない、国内の勢力同士の戦争だから、それぞれが行っていることは戦闘行為ではないということになる。

 もし安倍晋三が退任後政権交代が起きて、その政権が国民の生活を向上・充実させることに重点を置いたリベラルな政策を採り、その財源に防衛予算を削り、自衛隊組織を縮小、縮小に対応させて安倍晋三が成立させた安保法制を廃案、さらには靖国神社に代わる戦没者慰霊の国立追悼施設の建設を計画し実行に移すに及んで日本の方向に不満を持ち、かねてから気脈を通じていた自衛隊国粋派を糾合して日本が進んでいる方向を変えるべく反乱を企てた場合、その鎮圧のために自衛隊本体と戦うことになったとき、例え武器を用いて戦ったとしても国内の勢力同士の軍事行動ということになるから、戦闘行為という態様を取らない軍事衝突ということになる。

 要するに事を小さく見せてPKO派遣をし易いようにするためにコジツケた定義に過ぎない。

 コジツケはいつかは破綻する。

 2016年10月9日放送の「相棒 -劇場版Ⅲ- 巨大密室! 特命係 絶海の孤島へ」を視た。伊原剛志演じるかつて自衛隊員であったが、落馬して膝を痛め、退官を余儀なくされたものの、防衛大学の任命拒否した八丈島に近い孤島の所有者であるかつての先輩に救われ、その孤島で民兵組織のトップとして訓練に励んでいた神室司(かむろ つかさ)は天然痘を使った生物兵器を開発していて、その疑いを探らせるために孤島の所有者が組織に潜らせていたスパイの正体を見破り、スパイとしての処置――その命を抹殺していた。

 馬に蹴られた事故死に見せかけていたが、事故死の検証の名目で生物兵器の存在を探るべく潜り込んだ杉下右京と甲斐享の相棒は事故死が実は神室司による殺人であることを見破り、生物兵器をも発見する。

 逮捕された神室司を東京拘置所に尋ね、そこでなぜ生物兵器を開発するに至ったのかを尋ねる。神室司がその理由を話しているうちにその顔に安倍晋三の顔がダブってきた。

 面会室で待つ杉下右京と甲斐亨の前に神室司が守衛に案内されて現れ、両者を仕切るガラス越に対面する。
 
 神室司「あなた方を少し甘く見ていた」

 甲斐亨「聞かせて貰えますか。生物兵器なんか造ってどうしようと思ったんですか」

 神室司「質問の意味が分からない」

 甲斐亨「生物兵器や化学兵器は国際的に禁止されています。そんなものを造るのは――」

 神室司「テロリストですか」

 甲斐亨「ええ」

 神室司「みんな短絡的に我々のことをテロリストと呼ばわりをする。それは心外だ。我々が生物兵器を造り、所持したのはあくまでも備えですよ」

 甲斐亨「備え?――」

 神室司「万が一やられたとき、やり返すため。それなりの武器を備えていなければ、やられっ放しじゃないですか。(身を乗り出し)やられたとき、あなたはどうやって反撃するつもりだ。

 それともやられたときには友人(アメリカ)が代わりに仕返しをしてくれるとでも思っているのか。もしそうだとしたら、相当オメデタイ。我々が当てにしているその友人は我々に危害を加えるかもしれない連中とも手を組もうとしている。

 約束通りにやられたときにやり返してくれる何ていうのは幻想ですよ。自分の身は自分たちで守るしかないんですよ。そんな簡単な、極く当たり前のことからどうしてみんな目を背けるんだ(吐き捨てるように言う)。

 私は自分から危害を加えたりしない。そこは決定的にテロリストとは違う」

 甲斐亨「だとしても、非合法兵器を持ってもいい理由にはならないでしょう」

 神室司「(大きな声で)そんな、そんなことは分かってる。ならば聞こう。核兵器はよくて生物兵器や化学兵器はなぜダメなのか。核兵器を持っていけない国があるのはどうしてなのだ。一体そんなことは誰が決めたんだ。

 生物兵器や化学兵器は非人道的だからダメなのか。なら、核兵器は人道的な武器なのか。矛盾だらけじゃないか。

 そんな矛盾の中、我々は唯一世界中の誰も侵すことができない権利を持っている。防衛権です。日本を守る権利。私はその権利を行使したいだけなんです。そしてその権利を行使するためにはそれなりの備えが必要なんです。ただそれだけなんです」

 杉下右京「あなたのような方はいずれ可能になったならば、平気で核兵器をお持ちになるのでしょうねえ」

 神室司「当然でしょう。核兵器以上に平和を担保される兵器は存在しません。原子力の平和利用を本気で考えるならば、核兵器を開発スべきでしょう」

 甲斐亨「本気で言ってるんですか?」

 杉下右京「核兵器によって担保される平和ですか。僕にはひどく脆い、危ういものに思えますがね」

 甲斐亨「ええ、人間は過ちを犯します。犯した罪は償わなければいけないけど、事、核兵器に至ってはその過ちをどう償えるんですか」

 神室司「あなた方は重い病に侵されている。平和ボケという重い病に。我々の友人によってもたらされた悲しい病に」

 杉下右京「あなたの方こそ、侵されてますよ。国防という名の流行(はや)り病に」

 場面変わって駅前なのか、多くの人々が行き交う雑踏の中に二人は正面を向いて歩いている。

 甲斐亨「知ってます?サバイバルゲームって、この日本で生まれたんですって」

 杉下右京「そのようですねえ」

 甲斐亨「戦争なんて遠い国の出来事みたいんですかね」

 杉下右京「そもそも何を守るために戦うのでしょう」

 甲斐亨「え?」

 杉下右京「故国ですか、それとも家族や友人、あるいは自らの命。どれも正当です。大切なものが脅かされようとしたら、人はそれを守ろうとする。その結果、相手を殺めることになっても正当化されるんです。

 また、新たな戦いが起きる。殺し合いを繰返し、所詮、命の遣り取りによって大切なものを守るという行為は大いなる矛盾を孕んでいるんです」

 甲斐亨「ええ」

 杉下右京「どっかに出口はないものでしょうかねえ。矛盾のない、晴れやかな出口が」

 甲斐亨「杉下さん(人混みの中立ち止まる)。ありますよ、きっと。出口、ありますよ」

 杉下右京「そう信じたいですね――」

 安倍晋三はアメリカとの同盟を重視しているが、大国意識の強い、そのゆえに安倍晋三の防衛論と神室司の自主防衛論は根っ子のところでは奇妙に重なる。

 大国であることを証明したいメンツから自主防衛と叫び、その自主は大国であることを証明したいがために際限のない拡大へと落ち込んでいく。

 安倍晋三は国民の生命と平和な生活を守ると、それを担保にして軍事力増強に走ろうとしている。

 如何に軍事力を強大化しようと、故国や家族や友人、あるいは自らの命を守らない祖国防衛の戦争もある。日本は75年以上も前に経験している。

 そういった過ちは実際には武器を持って相互に戦う態様を有していながら、「戦闘行為には当たらない」とするごく些細なゴマカシから積み重なっていく場合もある。

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安倍晋三の被災地福島の風評被害払拭試食パフォーマンスの効果を間接的に伝える二つの記事

2016-10-10 09:35:11 | 政治
 
 安倍晋三は1カ月に1回の割合で被災地を訪問・視察して、そのうち何回かは放射能汚染で最も風評被害が酷かった福島だけではなく、岩手や宮城で食の安全を伝える試食パフォーマンスを繰返してきた。

 例えば2014年5月17日は福島に入り、午後、福島市内のサクランボ農家を訪れ、収穫仕立てのサクランボを試食している。

 風評被害払拭の試食は農産物に限らず、水産物、それらの加工食品、天ぷらにまで及んでいる。

 上記5月17日の午前中は福島市の福島県立医大を視察している。

 安倍晋三「(東京電力福島第1原発事故の影響に関して)放射性物質に起因する直接的な健康被害の例は確認されていないということだ。

 (漫画「美味(おい)しんぼ」で、原発事故による放射性物質と健康被害を関連付けるような描写があったことへの受け止めを問われて)根拠のない風評には国として全力を挙げて対応する必要がある。払拭(ふっしょく)するために正確な情報を分かりやすく提供する。今までの伝え方で良かったのか全省的に検証する」(スポーツ報知

 「放射性物質に起因する直接的な健康被害の例は確認されていない」から何を食べても安心であるとの保証を首相の立場で国民に請け合った。

 その上で、風評を払拭するための正確な情報の提供等によって「根拠のない風評には国として全力を挙げて対応する」ことを力強く約束した。

 但しこれまでの情報提供の是非を全省的に検証する必要性を訴えてもいる。

 この最後の発言からは従来の方法では風評払拭に効果が上がっていない状況が見えてくる

 だとしたら、なかなか風評が収束しない状況を訴えて、従来の方法論の検証を先に持ってこなければならなかったはずだ。

 効果が上がっていないこれまでの方法で「国として全力を挙げて対応する必要がある」と言ったことになるからだ。

 効果が上がっていないことは次の2016年10月7日付「NHK NEWS WEB」記事が証明する。   

 10月7日、復興相の今村雅弘や関係省庁の局長級の幹部が出席して東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う風評被害の対策を検討する会議を開き、消費者が福島県産の食品を購入した際には何らかの特典を得られる仕組み等を検討していく方針を決めたと記事は伝えている。

 裏を返すと、何らかの特典を与えないと福島県産の食品がなかなか消費されない状況にあることを示している。

 会議では福島県産の農産物や加工食品のうち、きゅうり等の一部の品目では市場価格が原発事故前の水準に回復しているものの、その他の品目では価格が回復せず、依然として販路の減少や買い控えなどの課題に直面していることが報告されたと解説している。

 いわば風評被害が消滅しない状況にある。

 当然、特典を与える目的は福島県産食品の購入促進ということになるが、風評が消えていない状況で特典だけで売れることになるだろうか。

 食品の値段以上の特典を与えたなら、売れるかもしれない。放射能汚染を懸念して購入した食品を捨てても、その価格以上の価値ある特典を手に入れることができるからだ。

 いずれにしても安倍晋三が1年以上も前に「今までの伝え方で良かったのか全省的に検証する」と言いながら、実際に検証したのかどうか分からないが、風評払拭が進んでいないことになる。

 記事は復興相の今村雅弘の発言を伝えているが、安倍晋三の試食パフォーマンスの効果を伝える象徴的な言葉となっている。

 今村雅弘「宣伝ばかりではダメだと思うので、消費者にとって実のある仕組みを是非作って貰いたい。ポイントカードなどの仕組みを作ることも一つの例だ」

 安倍晋三の試食パフォーマンスを頭に置いて言ったのではないことは明らかだが、そのパフォーマンスも首相自らの主たる風評払拭の宣伝の一つなのだから、「宣伝ばかりではダメだ」は安倍晋三の試食パフォーマンスの効果についても言及していることになる。

 特典がポイントカードでは、どれ程の効果が上がるだろうか。ポイントカードはどこでもと言っていいくらいに行われている。

 2016年10月5日付のもう一つの記事、「共同通信47NEWS」記事が安倍晋三の風評被害払拭試食パフォーマンスの効果を間接的に伝えている。   

 記事は消費者庁が2016年8月に調査し、2016年10月5日に公表した、《風評被害に関する消費者意識の実態調査(第8回)について》の内容を引用している。  

 記事はPDF記事から、〈食品の購入をためらう産地として福島県を選んだ人は、今年2月の前回調査と比べ0.9ポイント増の16.6%で、ほぼ横ばいだった。〉、〈食品の産地を「気にする」「どちらかといえば気にする」とした約3400人に理由を複数回答で聞くと「放射性物質が含まれていない食品を買いたい」は20.2%で前回比1ポイント増だった。〉と、その調査内容を紹介している。

 その記事から、調査結果を示す表の画像を添付しておいたが、具体的には、〈普段の買い物で食品の生産地を気にする理由として、「放射性物質の含まれていない食品を買いたいから」と回答した食品購買者に対して「あなたが食品を買うことをためらう産地」を次の中から選んでください。(回答はいくつでも)」の問いに対しての福島県が16.6%ということである。

 放射能検査を受けて安全であることの証明を得て市場に出している食品でありながら、「あなたが食品を買うことをためらう産地」が福島県への回答に限っても未だに16.6%も存在する。

 安倍晋三が被災3県の訪問・視察のついでにこの3年間、風評被害払拭のパフォーマンスを繰返してきたが、他の方法を考えなければならない程に殆ど効果はなかったようだ。 

 
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民主党政権日米同盟ガタガタ説は沖縄県民優先によるもの 安倍政権日米同盟強固説は日米同盟優先によるもの

2016-10-09 10:30:00 | 政治

 民進党新代表の蓮舫が国会で稲田朋美の過去の日本核保有論と子育て予算不要論を追及したところ、稲田朋美が民主党政権時代に日米同盟がガタガタとなったから、そういった議論が必要になったと民主党政権のせいにしている。

 その発言個所のみを「産経ニュース」から引用してみる。


 2016年10月5日午前の参院予算委員会 

 蓮舫「資料に付けましたが、平成23年3月の正論という雑誌で、稲田大臣は、子育て予算と防衛予算についてなんと発言されていますか」
 稲田朋美「資料を提出いただいているこの正論、これは、私が野党時代に、そして、民主党が政権を取っている時代に安全保障、防衛等の危機感を持って、対談のなかの一部でございますので、その一部のみを個人的見解をこの場で述べることは差し控えさせて頂きます」

 (協議)

 当時の民主党政権(ヤジ)関係あります。

 『日本列島は日本人だけのものではない』という方が総理大臣になられ、辺野古について、『最低でも県外・国外』と言われ、大混乱をし、そして、この対談をする数カ月前には、尖閣で中国の公船が衝突をして、大混乱になっているなかで、私は、その当時の民主党政権の安全保障、防衛に対して、大変危機感を持って、その点についてここで指摘をさせていただいている訳であります」

 (ヤジ)

 そういった野党時代、しかも民主党政権の安全保障、防衛に関する状況について、大変危機感を持って、このままでは日本はつぶれてしまうのではないか、そういったなかにおいて、私は財源のない子供手当を付けるぐらいであれば、軍事費を増やすべきではないかということを申し上げた訳であります」

 (ヤジ)(協議)

 先程答弁申し上げたように、そういった状況のなかで、子ども手当を付けるのであれば、防衛予算を増額すべきではないかということをこの場で指摘をしているということでございます」

 蓮舫「私は、今の防衛大臣のその姿勢に危機感を覚えます。あなたが、当時個人の判断として言った発言、今の総理の予算の姿勢と真逆です。何と発言したのか、まず読んでもらえますか」

 稲田朋美「要点は、今述べたとおりでありまして、私は長い対談のなかで、この部分だけを読むことは誤解を与え、適当ではないと考えます」

 (協議)

 この資料全て読みますか。どこを読むのでしょうか」

 (ヤジ:蓮舫氏「通告していますよ」)

 資料のなかのカッコ部分だけを読み上げさせていただきます。『今、防衛費は約4兆6800億円、22年度予算でGDPの1%以下です。民主党が21年衆院選で約束した子ども手当の満額にかかる約5兆5000億よりも少ない。この子ども手当分を防衛費にそっくり回せば、軍事費の国際水準に近づきます。自分の国を自分で守ることを選ぶのか、子供手当を選ぶのかという、国民に分かりやすい議論をすべきでしょうね」

 蓮舫「私は防衛予算の必要性は否定していないです。少しでも増やして、我が国の防衛を充実させたいという考え方には共鳴をします。ただ、子育て予算を全部そちらに加算をしろというこの考えは今もお持ちですか」

 稲田朋美「先程何度も指摘をしていますように、その当時、民主党の防衛、安全保障に大変危機感を持っておりました。そのなかで、マニフェストに掲げられた子ども手当等の財源も結局は見つからなかった。そういった状況のなかで、こういう発言をしたということです。

 私は、社会保障の政策、子育て政策、大変重要だと思っています。財源を見つけて、充実をさせていくべきであります。また、防衛についても安倍政権になってから、日米同盟は強固になっております。しかしながら、日本を取り巻く環境も厳しいなかで、しっかり我が国を守るための防衛は、質も量も万全を期さなければならないと思っています」

 蓮舫「政権が変われば、野党時代に言ったことは関係ないということでしょうか。同じ雑誌で、稲田大臣は、日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく、国家戦略として検討すべきではないかとおっしゃっている。今もそう考えていますか」

 稲田朋美「同じ時の対談ですので、その当時の日本の安全保障、防衛に関する大変な危機感のもとで対談をしております。今、私は安倍内閣の防衛大臣として、非核三原則をしっかりと守り、唯一の被爆国として核のない世界を全力あげて実現するために、尽くしていく所存でございます」

 蓮舫「当時は、核保有を国家戦略として検討、いまは非核三原則を守る、なぜ変わったのですか」

 稲田朋美「安倍政権になって、かつてないほど、日米同盟も強固になっています。当時は日米同盟がガタガタで、憲法9条の有す必要最小限度の防衛力とは何かを議論しなければならないということでございます。私の核に関する見解については、先程述べたとおり、核のない世界を実現するために全力を尽くしてまいります」

 蓮舫「気持ちいいぐらいまでの変節ですね。これだけは、確認させてください。核保有という乱暴な言葉が一人歩きしてはいけないので、当時の発言は撤回してください」

 稲田朋美「現時点の私の考え方は、核のない世界を実現するために、全力を尽くすということでありますし、現在、核保有について全く考えていませんし、考えるべきでもないと思います」

 蓮舫「撤回しないということですね。そこにあなたのホンネがあるという誤解が一人歩きするのは残念、是非撤回した方が良いと思います」

 介護と育児の予算の質問に移る。

 「その当時の民主党政権の安全保障、防衛に対して、大変危機感を持って」いて、「このままでは日本はつぶれてしまうのではないか、そういったなかにおいて、私は財源のない子供手当を付けるぐらいであれば、軍事費を増やすべきではないかということを申し上げた」

 「子ども手当分を防衛費にそっくり回せば、軍事費の国際水準に近づく。自分の国を自分で守ることを選ぶのか、子供手当を選ぶのかという、国民に分かりやすい議論をすべきでしょうね」

 稲田朋美がここで言っていることは子ども手当か軍事費の国際水準並みの充足かの二者択一論であって、「子ども手当分を防衛費にそっくり回せば、軍事費の国際水準に近づく」と、子ども手当を切り捨ててゼロとし、その分の全てを軍事費に回せば国際水準並みにもっていくことができるとする後者選択の考えに立った発言ということになる。

 この考えには明らかに軍事優先の思想が宿っている。いくら民主党政権時代に日米同盟がガタガタになったとしても、子どもの生きて在る生命(いのち)のより良い生存に向けた政治的な務めは考えず、自衛隊の世界に於ける列強に伍した軍事的活動に向けた政治的な務めのみを頭に置いている。

 この軍事優先思想が排除の対象としているのは子どものより良い生存に対してだけではなく、常にこのことと深く関わっている大人の生存――いわば国民全般の生存に対してと見なければならない。

 軍事優先が行き過ぎると、北朝鮮を見るまでもなく、あるいは戦前の日本を顧みるまでもなく、国民の生存を圧迫する危険な要件として立ちはだかることになる。

 当然、稲田朋美が国民の利益を考えて言う「国民のために」という言葉は本心からのものではないと解釈しなければならない。

 安倍晋三も2016年9月26日召集の臨時国会冒頭の所信表明演説の中で日本の安全保障・国家防衛の主たる柱は軍事力のみではなく、一般的には軍事力に加えて外交力と情報化された知能を駆使・利用して様々な多方面に亘る産業を育てて国民生活を豊かにし、それを以て国の力とする経済力等のバランスの取れた総合力に置かなければならないにも関わらず、自衛隊を主として頭に置いて壇上から自衛隊員に対して「心からの敬意を表そう」と呼びかけ、椅子から起立した大勢の自民党議員と共に拍手してその任務を讃えた偏った姿にも軍事優先の思想の宿りを見ないわけにはいかない。

 軍事優先の安倍晋三の内閣に相応しい軍事優先思想の持ち主たる稲田朋美の防衛相という相互性なのだろう。

 稲田朋美は自身の日本核保有論は「安倍政権になって、かつてないほど、日米同盟も強固になった。当時は日米同盟がガタガタで」、そういった状況を背景として「憲法9条の有す必要最小限度の防衛力とは何かを議論しなければならなかった」必要性からの結論だとしている。

 だが、「日米同盟がガタガタ」となった当時の鳩山由紀夫首相は沖縄県民の気持に添うために米軍普天間飛行場の「最低でも県外・国外」への移設を唱えたのであって、その努力は外務省に妨害され、協力を得られず、結局は迷走することになったことが原因の日米同盟の弱体化であり、対して安倍政権の日米同盟の強固化は沖縄県民の意思を無視して日米同盟を優先させたことが原因となった一つの結末である。

 この前者・後者の関係に稲田朋美の子ども手当よりも国際水準並みの軍事費優先の関係を見ることができる。

 いわば軍事優先の思想が成さしめた安倍政権に於ける強固な日米同盟ということであろう。

 安倍晋三にしても民主党政権時代に日米同盟はガタガタになったと非難し、翻って安倍政権になり、日米同盟が強固になったと自身の外交政策を誇る頻繁に使う手としているが、内実はより良い国民の生存を無視した上に築いた軍事優先の日米同盟関係であって、国民主権の立場から言うと、決して褒めることはできない安倍晋三の外交成果に過ぎない。

 例え日米同盟がガタガタとなっても、沖縄の意思を優先させて普天間の辺野古移設に反対、普天間を沖縄から撤去せよとする国民は多い。

 このような考えに対して安倍晋三は4回の選挙に大勝したからと、安倍晋三の政策全てが国民の信任を得たかのように牽強付会している。

 国民にしても多くが安倍晋三が軍事優先の思想を持った国家主義者・復古主義者であることをそろそろ気づくべきだろう。

 蓮舫は稲田朋美がかつて日本核武装論を唱えながら、現在は防衛相として非核三原則の尊重と核のない世界実現への尽力を掲げていることに対して「気持ちいいぐらいまでの変節ですね」と言っている。

 自分では皮肉を効かしたつもりでいるのだろう。「核保有という乱暴な言葉が一人歩きしてはいけないので、当時の発言は撤回してください」と求めたのに対して撤回しないのだから、核保有論はホンネであって、非核三原則と核のない世界実現への尽力表明はタテマエに過ぎないということになる。

 当然、「変節」でも何でもない。ホンネはホンネとして維持しながら、国民の前ではなるべくそれを隠し、防衛相としての姿はタテマエで装おうと言うことなのだろう。

 アメリカ大統領候補のトランプが、「俺は美人が好きだ。美人以外は相手にしない。自分の会社に雇うのも美人だけで、美人でなければ雇わない。スレンダーで美人だからと雇った女が太ってかつての姿が見る影もなくなったら、クビだ。これが俺のホンネだ」としていながら、国民の前では「女性は美醜で判断しない。あくまで人柄・能力だ」と言ったとしたら、これを「変節」と言うだろうか。

 稲田朋美も然り、ホンネとタテマエの二重性を世渡りの優れた才能としているに過ぎない。

 蓮舫は稲田朋美が撤回しないと分かると、「そこにあなたのホンネがあるという誤解が一人歩きするのは残念、是非撤回した方が良いと思います」とこの件に関する追及を締め括っているが、ホンネはホンネとして自分の中にしまっておくために撤回しないのだから、ないホンネを在るが如くに解する「誤解」の範疇に入れることはできないし、また世間が誤解して、それが一人歩きするという意味で使っているのだから、稲田朋美を却って助けることになる。

 もし「一人歩き」するとしたら、稲田朋美のホンネは核保有論にある、核武装論にあるといった世間の評判か、非核三原則の尊重と核のない世界実現への尽力表明は防衛相を務め上げるためのタテマエに過ぎないと言った取り沙汰のいずれかであろう。

 どちらであっても稲田朋美という政治家の実体であって、「誤解」に当たるわけではないから、一人歩きしようが二人歩きしようが、当然の結末と見なければならない。

 言葉の使い方をそもそも間違っているから、追及が中途半端、あるいは尻切れトンボとなる。

 結果、国会論戦で目立った得点を上げることができないでいる。 

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高市早苗の白紙領収書錬金術を書き方の問題とする矮小化と各政党の改善点とする相対化で幕引きを謀る狡猾さ

2016-10-08 12:26:32 | 政治

 政治資金パーテイに出席して白紙の領収書を受け取り、そこに自分たちで金額と宛名と日付を書き入れていたと2016年10月6日の参議院予算委員会で共産党の小池晃議員から稲田朋美や菅義偉と共に追及を受けた総務相の高市早苗が2016年10月7日の閣議後記者会見で、「国民に疑念を持たれないよう、各政党で改善して頂きたい」と述べたと伝えているマスコミ記事に触れ、総務省サイトにその記者会見の発言が載っているかと思ってアクセスしてみると、見つけることができた。

 白紙領収書問題のみに絞って、その発言を見ることにする。政治資金パーティーに関して色々なことを知ることができる。


 「高市早苗閣議後記者会見の概要」総務省/2016年10月7日)

 笹川朝日新聞記者「朝日新聞の笹川です。昨日の参議院の予算委員会ですけれども、菅官房長官と稲田防衛大臣が政治資金パーティーに参加した際に、主催者から白紙の領収書を受け取って、後から事務所で金額を記入していたということについて、大臣は政治資金規正法上は問題ないという認識を示されました。ただ、法律上問題がないとはいえ、有権者から見ますと、後から金額を記入するという行為、誤解を招きかねないかと思うのですが、大臣御自身としては今後こうした領収書の扱いについて、何か見直すお考えはありますでしょうか」

 高市早苗「私の事務所ということですか」

 笹川朝日新聞記者「はい」

 高市早苗「私自身は平成26年9月に総務大臣に就任してから2年1か月余りの間、「特定パーティー」の開催は自粛をしておりますので、その間、国会議員の方々に対して、白紙の領収書を発行したことはございません。

 しかしながら、今後、総務大臣退任後、政治資金パーティーを開催する場合に、今回の件を受けまして、国民の皆様の疑念を招かないように、基本的には、私の事務所では国会議員の方々をお呼びすることのない取扱いにしたいと思っております。

 しかしながら、私自身も、他の議員からスピーチしてほしいと頼まれて、ご案内をいただくことが多々ございます。出向いたパーティーで、受付で金額を確認して、金額を記入して、領収書を受け取るということは、パーティーの運営上、相当無理があるというのは理解できます。

 同じ時間帯に国会議員が集中するということと、主催者側も、「何時何分から何分の間、高市大臣のスピーチを」と、かなり細かく時間を組んでおられますので、一晩に2、3か所、綱渡りのように時間を守りながら飛び込んでいくというような中で、受付で時間を取るというのは相当難しいことかなと、自分自身の経験から言えます。

 その場合、招かれた場合にどうするか、ということが1つ課題だと思います。昨日、稲田大臣や菅官房長官が、何か改善の方策について考えていくということをおっしゃっていますので、あくまでも私の希望でございますけれども、各政党において、それぞれの党内で統一して、どのように改善するかを考えていただけると大変ありがたいと思っております」

 上出義樹「フリーランス記者の上出義樹(かみでよしき)です。関連でお尋ねします。今、ご丁寧な説明がありました。ただ、おっしゃったように、一般の方は、えっ、領収書が白紙だなんて、普通確定申告でそんなことは、普通の人はあり得ないことですよね。大きく言えば、政治とカネの問題の根本的なことにもつながってくるので、政党助成金の問題だとか、政治資金パーティーそのものの在り方、これも含めた議論が必要だと思うのですが、そこまでいくと大きくなると思うので、とりあえず、今言われた各政党が調べる、あるいは大臣が所属されている自民党が責任を持って実態を調べるとか、それについての先頭を大臣が切られてですね、所管大臣として。そういうお考えはございませんか。まず、国民の疑念を取るための実態調査」

 高市早苗「昨日も予算委員会の中でも説明申し上げましたが」

 まず、政治資金パーティー収入は非課税のものでございます。それから、税金が投入されているものではございません。

 それぞれの事務所が、パーティー参加の対価として販売に回るということでございますから、パーティー券の購入者については、パーティー券の金額も確定していますから、開催日より前に、場合によっては数か月前から販売を始めますが、パーティー券を販売した日、もしくは先方から購入費の振り込みがあった日に、日付や金額を記入して発行します。きちんとした領収書を発行することが可能でございます。特に相手が企業であった場合に、これは税制上の問題もありますから、しっかりとした領収書をみんなが発行していることは確信しています。

 ただ、国会議員同士につきましては、先ほど申し上げましたように、当日になって封筒に封をした状態で持参される方が多うございます。これをその場で開封して金額を記入したら、近接した時間帯に来られる国会議員をお待たせしますし、並んでおられる国会議員の中に、冒頭にスピーチをされる方も混ざっていたりするので、受付を早くということで、今までのような対応になっていたのだろうと思っております。

 今後、各党内で検討して、何か統一的なルールを作っていただいたらありがたいということを私が申し上げましたのは、政府の側から、全国会議員一律にこういう方法にしましょうと、法改正まで含めた検討をするのかどうかということになりますと、これも、かなり時間もかかってまいります。「領収書」もしくは「その他の支出を証すべき書面」というものを、私たちは報告書に添付をするわけでございますけれども、その場合に、そこの記載事項をどうして、誰によって書かれたものと、細かく法律で新たに規定するというよりは、それぞれの党内で改善できる方法というのはいくつか考えられるのではないかと思うのですね。断定的には言えません。

 党の方で検討していただいたらありがたいと申し上げましたのですが、例えば、お互いに国会議員同士は招待をしあわないという方法もあるかもしれません。また、パーティーとしての会費金額以上は決して持参しないということで、その場で現金を支払っていただいて、定められた金額の領収書をお渡しするというような方法もあるかと思います。

 1回受け取って、何の受取書も渡さずに後日領収書をお届けしますということになりますと、例えば、受付でその封筒を紛失してしまったというようなことが起きた場合に困ってしまいます。例えば、2万円というパーティーが非常に多いのですけれども、封筒を開封せずに2万円で一律領収書を渡していて、中身が1万円だったというような場合にまた問題が起きますから、これはそれぞれ党内で国民の皆様に疑念を持たれないように、しっかりと改善をしていただけたらありがたいと、個人的にはそう思います」

 上出義樹「すみません、簡単に補足させてください。いま言われたこと、確かに技術的にはいろいろなこと、あると思います。技術的なことではなくて、一般の方が想像もしなかったような白紙領収書がまかり通っているとか、過去にも政治とカネの問題でびっくりするような、言えませんけど、いろんなことを聞いております。事務所間でいろんな問題ですね、カネのやりとりの問題で。そういうことも含めた、国民の不信を招きかねない体質について、こういう問題、根っこのような問題については、高市大臣はどのようにお考えでございますか」

 高市早苗「私自身については、先ほど申し上げましたように、国会議員の方にこれから一切ご案内を出さないということにしたら、大変受付の手続きもスムーズにいきますし、後の事務的な処理、秘書の負担などもないということになりますけれども。

 ただ、自分の経験で申し上げますと、まだ当選して間もない頃に、2期目ぐらいの時でしたかね、パーティーをいたしまして、先輩国会議員が来てくださって、その時に、私はパーティー券の2万円というのを前もって印字した領収書だけを用意していて、それを配って、あとから大変なことになりました。大変なお叱りをいただいた上に、事務所に帰ってみますと、例えば、2人分、3人分、同行される方の分も入れた金額がその中に入っていて、うちで発行した領収書では全然金額が足りていなかった、といった事態もあり、大変非常識ではないかという、そういうお叱りをいただいたこともありました。

 国民の皆様の税金からいただくものに関する届出というのは、これは皆さんしっかりとした、正式の領収書を添付して出しておられると思います。私どもの政治団体、私に関係する政治団体で何かを購入した場合に、不完全な領収書を相手が発行された時は、大変なことでございます。事務所で必要なものを買って帰ってきたという時に、日付が入っていなかったり、例えば、私どもの政治団体の名称が間違っていたりしたような時に、もう一度こちらから出向いて書き直していただくという、大変困難な作業も含めて続けてまいりました。

 これは、政治資金規正法の趣旨に基づいて、これは相手側、売った側の納税にも関わる部分でございますし、ここは正確に、きちっとやってきたつもりでございます。ただ、政治資金パーティーの当日の運営上は様々な困難があって、そういったことが続いてきたということです。

 御指摘をいただきまして、これで国民の皆様が政治に対して不信を持たれるということでは何にもなりませんので、これは各党で、党内で一定のルールを決めるなり、現在の運用上での改善ということが、十分考えられるのではないかなと思っております」

 松下読売新聞記者「関連ですみません、読売新聞の松下と申します。今回の領収書の件なのですけれども、総務省の手引き、会計責任者の手引きだと、追記については適当ではないというような記載もあったかと思います。そもそも論として、確かに党内での運用とか改善というのはあると思うのですけれども、総務省として今回発行側については、規定がないので問題はないという理屈だと思うのですけれども、この辺りについて、総務省として独自に検討する考えはないのでしょうか」

 高市早苗「御指摘の手引きでございますが、総務省に設置された政治資金適正化委員会で作成されたものだと存じます。これは、私たちは、収支報告書を提出する前に、公認会計士や税理士などによって監査を受けております。その監査をされる方への1つの助言として作られたものでございます。その手引きもまた今後、監査人の方にも参考にしていただきながら、やっていかなければいけないと思います。

 宛名について記入(手引きの記載)というのは、これは国会議員同士のパーティーの出席ということについては、相当難しい面も実はございます。といいますのは、ある国会議員が来られて、その議員の名刺と、会費があった場合に、その議員が御自身で出されたものなのか、もしくは政党支部で出金されたものなのか、政治資金管理団体で出金されたものなのか、主催者側には分かりません。

 それからまた、よく私どもの選挙区でも困るのですが、自民党奈良県第二選挙区支部の『第二』の字が、正式には漢数字でなければいけないのですが、これを洋数字で書かれてしまっているとか、選挙区名を間違えられてしまっているというようなときに、再度、秘書が走り回って、かなり遠方まで出かけて書き直していただいたり、ということがたびたび発生しております。

 宛名についての追記をしないというものは、これはなかなか実務上難しいかなということは、正直思っております」

 笹川朝日新聞記者は「大臣は政治資金規正法上は問題ないという認識を示されました。ただ、法律上問題がないとはいえ」と、法律上問題はないことを前提に発言している。

 10月6日の参議院予算委員会で共産党の小池晃は総務省自治行政局選挙部長の大泉淳一参考人から政治資金規正法第11条に書かれている政治団体会計責任者等の領収書の取扱いについて尋ねていてる。

 政治資金規正法第11条「政治団体の会計責任者又は政治団体の代表者若しくは会計責任者と意思を通じて当該政治団体のために支出をした者は、一件五万円以上のすべての支出について、当該支出の目的、金額及び年月日を記載した領収書その他の支出を証すべき書面(以下「領収書等」という。)を徴さなければならない。ただし、これを徴し難い事情があるときは、この限りでない」

 高市早苗も菅義偉も稲田朋美も、白紙領収書の遣り取りは「法律上問題はない」としたのは、政治資金規正法第11条の但し書き「これを徴し難い事情があるときは、この限りでない」を根拠にしているのだろう。

 だが、国会議員は国民を代表している立場にある。「政治とカネ」の問題について常にクリーンでなければならない。当然、そうである以上、クリーンであることを常に心がける責任を国民に対して有しているはずだ。

 「徴し難い事情」が決定的に回避不可能なら、「この限りでない」を適用することは許されもするが、高市早苗が言うように、稲田朋美も同様の趣旨で釈明しているが、「出向いたパーティーで、受付で金額を確認して、金額を記入して、領収書を受け取るということは、パーティーの運営上、相当無理がある」は政治資金パーティーの運営側と来客側が努力すれば解決可能なことで、決して決定的に回避不可能な事情ということはできない。

 昨日のブログで、〈受付は二人一組で二組、三組と用意するものである。封筒を出し、領収書を受け取るのは政治家本人の場合もあるだろうが、多分政治家の秘書だろう。受付の一組二人のうちの一人が水引きであろうとなんだろうと金額の入った封筒を受け取りながら事務所の名前を尋ね、その名前を横で聞いていたもう一人が領収書に書き入れて、封筒を受け取った一人がそれを開封して金額を確認して、もう一人に伝えると、その一人がその金額を聞いてチェックライターで印字する役を務め、その役割を二組、三組と同時に担えば、混乱は生じないし、パーティーの円滑な運営に大きな支障を来たすといったこともない。〉と書いたが、高市早苗のこの記者会見を読んで新しく知り得たこと、新しく思いついたことの中から記すと、パーテーィー主催者側の努力として、受付に配置する秘書の数が足りなければ、アルバイトを雇うだけの努力を払ってもいいはずだし、来客側の努力としては、例え受付が混んだとしても、封筒を出すのは国会議員、書き上げるのに時間がかかる場合の領収書を受け取るのは秘書と役割分担すれば、「徴し難い事情」は簡単に解消するだけではなく、しっかりと金額と宛名と但し書きを書き込んだ領収書を受け取っていれば、国民の疑念を呼ばずに常に身の潔白を証明できる状況に自身を置くことができる。

 秘書が国会議員に常に影のように付き添っていなければ、国会議員は一人前の行動ができないというわけではあるまい。愛人宅を訪れるのに秘書か運転手に車で送らせたとしても、家かマンションの前までで、建物の中に入るところからは一人で行動するはずである。パーティー会場に一人で入っていくぐらいは秘書が少し遅れてもできるはずである。

 また、国会議員側とパーティー開催者側の、これも国会議員だが、こういった努力は高市早苗が言っているように各政党が話し合って統一的な改善点を見い出すといった種類のものではなく、常にクリーンであろうとする国会議員同士の単なる心掛けによって慣習とさせていく努力に過ぎない。

 だが、そういった努力もせずに受付が混雑して来客に迷惑がかかるとの口実で白紙領収書の受取りを当たり前として金額と但書を来客の国会議員側で書き入れることを慣習としてきたというのは11条の但し書きの悪用以外の何ものでもない。

 政治資金規正法第11条の但し書き「これを徴し難い事情があるときは、この限りでない」をいいことに、この但し書きに甘んじて、実際は利用してだろう、金額と宛名と但し書きを書き入れたしっかりとした領収書の受取りの努力もせず、これまで国会議員・閣僚が積み上げきた「政治とカネ」の問題に関わる国民の経験則からいって白紙領収書に金額を書き入れるのが国会議員側だとすると、そこに錬金術の可能性を疑わないわけにはいかなくなる。

 高市早苗がこの可能性をあくまでもパーテイー会場の受付の混雑の問題と、その混雑に起因する各項目をしっかりと書き込んだ領収書の受取りの困難さの問題としているところにも、裏を返すと、白紙領収書を受け取ることの正当性の根拠としているところにも逆に錬金術を疑わなければならない一例としなければならない。

 上出義樹フリーランス記者が「政治とカネ」の問題という本質的な観点から、「国民の不信を招きかねない体質について、こういう問題、根っこのような問題については、高市大臣はどのようにお考えでございますか」と質問したのに対して、その質問を無視して、まるで白紙領収書の問題はすべてこの点にあると言わんばかりにあくまでもパーティー参加者の人数の多さと受付の事務の煩雑さの問題にすり替えている。

 例えば当選2期目辺りに会費2万円ということで前以て2万円の金額を印字した領収書を用意して政治資金パーティーを開いたところ、2人分、3人分と同行した者の金額が一緒に入っていた封筒の存在に気づかずに2万円の領収書を渡してしまい、後で叱られたと自身の経験を話して白紙領収書の問題をすべて受け付けの問題に誘導しようとしている。

 しかし自身が国会議員として新人の身で初めての政治資金パーテイーを開催する場合、先輩国会議員等に主催者はどう振る舞ったらいいのかレクチャーを請うだろうし、雇われている秘書にしても自身が政界慣れしてない場合、知り合い国会議員のより永田通となっている秘書等に自分なりに秘書はどう振る舞うべきかのレクチャーを請い、失態・失敬のないように心掛けるものであるし、政界入りが現役国会議員の手引きを受けてのことなら、現役国会議員は自分の忠実な子分に育てるべく、政治資金パーティーの開催に限らず様々にレクチャーをしたがるだろう。

 何よりも少ない金額の領収書を発行すること自体が相手に対して大変失礼なことであるばかりか、発行者自身がゴマカシたと疑われることになる恐れもあるのだから、パーティ券が2万円であっても、同行者分のカネが入っているケースがあるとレクチャーを受けていないというのは先ず考えられない。

 万が一レクチャーを頼むことも受けることもしていなかったとしても、何も知らないままに闇雲に初めての政治資金パーティーを開くはずはない。せめて初めての政治資金パーティーを開くにはどうしたらいいか、方法と注意点を書いたハウツー本を購入して読んだはずだ。

 でなければ、開くことさえできない。

 高市早苗はまた領収書の宛名の記入について、「ある国会議員が来られて、その議員の名刺と、会費があった場合に、その議員が御自身で出されたものなのか、もしくは政党支部で出金されたものなのか、政治資金管理団体で出金されたものなのか、主催者側には分かりません」と言って、受付事務の困難さに言及して、暗に領収書を白紙で出すことの正当性を主張しているが、封筒には必ず会費支払者の名前を記入する。

 封筒に名前を記入しない、領収書も白紙発行であったなら、誰と誰がパーティーに参加したのか誰がいくら会費を支払ったのか、明細な記録を残しておくことができなくなる。

 国会議員が自分のカネから会費を出すことは滅多にないことだと思うが、万が一そうであった場合は封筒に自身の名前を書くはずだから、何も問題はない。もし政党支部や政治資金管理団体からの支出なら、カネの出所を封筒に書くことになるだろう。

 なぜなら、政党支部か政治資金管理団体からの支出でありながら、封筒に自身の名前を書けば、自身宛の領収書が発行されるのは当たり前で、結果自身の支出となって、政治資金収支報告書に記入できなくなるくらいの常識を弁えていない国会議員は存在しないはずだ。

 封筒に政党支部、あるいは政治資金管理団体の名前だけ書いたのでは物足りない、自身の存在を主張したければ、それらの名前の横に自身の名前を支部・団体の代表者として書き入れいればいいことであるし、既にそういったことをしているはずである。

 さらには受付係がレクチャーを受けて間違えてはならない重要な注意点としていなければならないはずだが、「自民党奈良県第二選挙区支部の『第二』の字が、正式には漢数字でなければいけないのですが、これを洋数字で書かれてしまっている」といった例を上げて、くどい程に受付の事務の面倒さとそれゆえに受付のところで出来する参加者の混雑の例に付け加えて、間接的にこれでもかと白紙領収書の正当性を言い立てている。

 そうせざるを得ないのは錬金術の可能性があるとか、錬金術の疑いがあるといったことではなく、白紙領収書を錬金術の道具そのものとしているからだろう。

 そうでなければ、国民に「政治とカネ」の問題で疑念を持たれないよう、クリーンであることを常に心がける努力をする。

 錬金術の道具としているから、白紙領収書問題を受付の技術的な問題と受付での来客の混雑の問題に矮小化しなければならなかった。

 そして高市早苗は狡猾にも矮小化したそれらの問題を各党が考える改善策だとする相対化によって白紙領収書の問題の幕引きを謀ろうとしている。

 それを成功させることによって、高市早苗やその他は罪逃れと責任逃れが成功する。

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