安倍晋三の平和と繁栄の全てを担う存在であるかのような自衛隊特別視は自らに巣食わせている軍事優先の思想

2016-10-24 11:56:12 | 政治

 安倍晋三が2016年10月22日、防衛省で開催の2016年度自衛隊殉職隊員追悼式に参列し、スピーチを行い、翌日10月23日には埼玉県陸上自衛隊朝霞訓練場で開催の自衛隊観閲式で自衛隊最高指揮官としての訓示を行った。

 新たに殉職した自衛隊員は31人。全部合わせて1909人が殉職していると前者のスピーチの中で述べている。

 この中にはヘリコプターや点検機の操縦ミスで墜落死亡した自衛隊員や勤務が原因とされる自殺を公務災害と見做して殉職者の中に入れてもいるから、勤務中に上官にイジメを受けて、それに耐えられなくなって勤務外に自殺した自衛官も含まれているはずだ。

 「日本の自衛官の自殺率は依然として高水準」( Pars Today/2015/06/08(月曜) 21:50) なる記事には次のような記述がある。  

 〈日本政府は(2015年6月)8日月曜、2003年から2014年までの期間に自殺した自衛官の数は1044人で、その数が最も多かったのは2004年、2005年、2006年であったとしました。

 さらに、この報告では日本の自衛官10万人当たりの自殺者が29人であるのに対し、国民全体では23人であるとされています。〉――

 殉職者1909人のうち2003年から2014年までの自殺者が1044人。
 
 操縦ミス等の事故死が865人となる。

 安倍晋三はスピーチで次のように述べている。

 安倍晋三「国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊に対し、ここに謹んで、追悼の誠を捧げます」(首相官邸サイト)――  

 確かに崇高な職務を担っているという意識は強いものがあるだろう。だが、殉職とされている自衛官の約55%が自殺という結果を招いている。少なくとも自殺に関しては「崇高な職務に殉ぜられた」と言うには余りにも皮肉に過ぎるし、悩み苦しんで自殺したであろう自衛官に対してそのその悩み苦しみを軽んじているように見える。

 安倍晋三「御霊は、強い使命感と責任感を持って、職務の遂行に全身全霊を捧げた、かけがえのない自衛隊員でありました」

 自殺の大きな要因の一つに人間関係が上げられている。ときには人間関係が強い使命感と責任感を打ち砕き、自らを絶望に誘い込む。

 だが、安倍晋三は殉職者全てを「全身全霊を捧げた」肯定的存在に祭り上げることで自衛隊という組織自体を完全無欠化しようとしている。

 だからこそ、安倍晋三は「国の存立を担う崇高な職務」を恰も自衛隊という存在にだけ与えられているかのようにその能力を特別視することになっているのだろう。

 そのような職務は自衛隊だけではなく、外交や経済、教育等々国民全てが担っていて、それらの職務に於ける国民の総合的な営為が国の存立を支えているという発想を持ち合わせていないから、自衛隊の能力を特別視する発言を繰返すことになる。

 このような発言は翌日の10月23日に行った自衛隊記念日観閲式での安倍晋三の訓示からも見て取ることができる。  

 先ず台風や地震等の大災害で被害を受けた被災地に於ける救命・救出、あるいは食糧配布や給水・入浴支援等の活躍によって「国民から揺るぎない信頼を勝ち得た」と褒め称え、「カンボジアPKOに始まる、自衛隊の国際貢献の歴史は、はや20年を超えました」とそのPKO活動に触れて、次のようにスピーチしている。

 安倍晋三「今も、日本から1万1千キロ、灼熱のアフリカで、南スーダンの自立を助けるため、汗を流す隊員たちがいます。アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ、南太平洋の島国など世界の60を超える国々が、日本の自衛隊と共に国連PKO活動に従事しています。

 首都ジュバでは、カンボジアの部隊も、共に活動しています。その若い女性隊員が、ある時、自衛隊員にこう話しかけてきたそうであります。

 『約20年前、日本は、私の国を支えてくれた』

 内戦に苦しんだカンボジアが、国連PKOの下、平和への道を歩み始めた90年代初頭、まだ幼い少女であった、その隊員はこう続けたそうであります。

 『日本が、私たちにしてくれたことを、今、こうして、南スーダンの人たちに、返せることを誇りに思う。そして、アフリカのPKOに参加できるまでになったカンボジアの姿を、日本人に知ってもらえて、嬉しい』

 20年余り前、日本の自衛隊が、カンボジアの大地に植えた『平和の苗』は、今、大きな実を結び、遠く離れたアフリカの大地で、次なる『平和の苗』を育もうとしています。

 世界で193番目の最も新しい国連加盟国。南スーダンは、生まれたばかりの、『世界で一番若い国』であります。

 ジュバ近郊で道路整備に励む自衛隊員の周りには、決まって、近所の子供たちが集まってくるそうであります。

 あふれるような笑顔で、隊員たちに手を振りながら、自衛隊の活動を見つめる子供たちの眼差し。彼らは、将来、きっと、南スーダンの平和な未来を切り拓く原動力となるに違いありません。そして、いつか、あのカンボジアの幼かった少女と同じように、世界の平和と繁栄に力を尽くしてくれる。そう願っています。

 世界に『平和の苗』を植える。その大きな志を持って、この、危険の伴う、自衛隊にしかできない責務を、立派に果たしてくれている諸君に、心から敬意を表します。今後も、諸君には、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、国際的な舞台で活躍してもらいたい。大いに期待しています」――

 安倍晋三は南スーダン派遣自衛隊PKOを「南スーダンの自立を助けるため」と言っているが、自衛隊がPKO活動でできる自立支援はほんの僅かでしかない。

 このことはカンボジアPKOが証明している。

 カンボジアは経済発展が著しいと言われている。首都プノンペンは高層ビルが建ち並び、高級車が行き交っているという。

 だが、地方へ行くと、貧富の差が歴然とした姿で目の前に現れると言われている。

 その原因の一つは教育にあるはずだ。貧しい家の子供が満足に教育を受けることができず、教育がないことから満足な仕事に就くことができない結果、貧困を引きずったままの人生を送り、格差が縮まらない状況が一向に改まらないからだろう。経済格差と教育格差の悪循環である。

 〈2015年11月21日から11月26日まで、神戸ユネスコ協会の理事6名と私の教える学生4名で、「カンボジア国際ボランティア」を企画し、同国の首都プノンペンを訪問〉して得た知識から記述することになった、「カンボジア訪問記(5):4日目「小学校就学率69%、中学校就学率17%、大学進学率1%の衝撃」」QuonNet/2015年12月 1日 01:19)なる記事の題名そのものがカンボジアの教育環境不備とこのことが招いている経済格差と教育格差の悪循環を伝えて余りある。

 その国の真の自立は派遣された海外軍隊のPKOによって確立されるといったたやすいものではなく、その国の政府と国民によって成されなければならない。だが、政府が貧富の格差の拡大には力を発揮しても、教育を受ける機会の平等と拡大に力がなければ、一部の富裕な国民を除いて一般的な国民は自立に向けた社会参加さえできない。

 貧しい国民は教育の機会に参加できないだけではなく、そのことによって経済の平等な機会にも満足に参加できず、結果として格差の拡大はなかなかなくならないことになる。

 カンボジアがこのような格差社会にあり、偏った発展の姿を取っているということは自衛隊カンボジアPKOができた自立支援はほんの僅かでしかないことの証明であると同時に南スーダンのカンボジアPKO部隊の若い女性隊員が自衛隊員に語った話は創作か、そうでなければ富裕層に属する女性だからできた美しい話としか思えないことになる。

 南スーダンの自立にしてもカンボジア同様、外国から派遣されたPKOができることではなく、南スーダン政府と国民によって成されなければならない。

 そのための第一歩として、教育参加の機会均等を確立しなければならない。単に小学校という建物を建てただけでは済まない。大人から子供に伝える教育の高い質を欠かすことは出来ない。

 いわば自衛隊PKOが自立の全てを解決する力は持っていない。

 だが、安倍晋三は「ジュバ近郊で道路整備に励む自衛隊員の周りに」集まってくる近所の子供たちは「将来、きっと、南スーダンの平和な未来を切り拓く原動力となるに違いありません」と、自衛隊PKOが自立の全て担う能力があるかのように過大に特別視している。

 自衛隊PKOができることなど僅かなことしかないという謙虚さを欠いている。

 このことは次の発言にも現れている。

 安倍晋三「彼らの存在があったればこそ、日本は、平和と繁栄を享受することができる。国民の命と平和な暮らしは、間違いなく、彼らの献身的な努力によって守られています。この崇高なる任務を、高い使命感と責任感で全うする彼らは、日本国民の誇りであります」――

 日本の「平和と繁栄の享受」に自衛隊はどれ程に力があったのだろう。日本の「平和と繁栄の享受」は経済格差や教育格差を内包しているものの、この内包には安倍晋三が大きな力を果たしているが、特に経済活動や教育活動の分野での国民全ての総合的な営為・活動によって獲ち得た成果であろう。

 にも関わらず、自衛隊の存在だけが日本の「平和と繁栄の享受」をつくり出したかのように事実でない、自衛隊を特別視することを平気で口にしている。

 いわば自衛隊だけでは出来ないことを自衛隊だけで出来るかのように自衛隊という存在のみを過大に特別視し、錯覚させる話の仕方は自衛隊員に自衛隊の能力を過信させ、過剰な自信を植えつける危険性を招きかねないだけではなく、安倍晋三自身が自衛隊に過剰に価値を置き、特別視する軍事優先の思想を内心に巣食わせているからこそであろう。

 国家主義者が自衛隊という軍隊を特別視しても不思議はない。当然ですらある。だが、軍隊を特別な存在とする軍事優先の思想程、危険なことはない。

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