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産経ソウル前支局長コラム、言論の自由は誰も言うが、立場に不相応の安手のゴシップ記事だとは誰も言わない

2015-12-21 07:14:46 | 政治


 産経新聞の加藤達也ソウル前支局長が韓国紙記事を元に2014年4月16日の大韓民国の大型旅客船「セウォル(世越)」が全羅南道珍島郡の観梅島(クヮンメド)沖海上で転覆・沈没した事故当日、朴槿恵韓国大統領が7時間も所在不明となっていた、男性と会っていたのではないかといったコラムをWEBサイトに掲載、大統領の名誉を傷つけたとして2014年10月8日、ソウル中央地検は加藤達也を虚偽の事実を書いて大統領の名誉を傷つけたとして在宅起訴された。

 この事態に日本政府は報道の自由と日韓関係への影響を挙げて釈放を求め、アメリカ政府も報道の自由の観点から懸念を示し、内外のジャーナリズム団体やメデイアも韓国の言論の状況に憂慮の念を表明した。

 こういった各国の懸念が圧力とした働いたのだろか、ソウル中央地裁は2015年12月17日、コラムの公益性を認めて加藤達也前ソウル支局長に無罪判決を言い渡した。

 この無罪判決をNHKは朝のニュースで報道の自由の勝利とばかりに一番に取り上げていた。

 確かに報道の自由は大切であり、守られなければならない重大な価値観である。だが、そのコラムを読んでいただけに報道の自由と記事の内容が妙にバランスを欠いていて、優先順位を第一番に持ってきて報道すべき性格の事件だったのだろうかと疑問に感じた。

 加藤達也のコラムは《【追跡~ソウル発】朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?》MSN産経/2014.8.3 12:00)と題して、〈調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也)〉と、何らかの政治性に関わる内容かと思わせる文言の尤もらしい書き出しで始まっている。  

 ところが出だしと違って、韓国最大部数の日刊紙である朝鮮日報の「大統領をめぐるウワサ」と題した記者コラムの7時間の所在不明中、誰と会っていたのかとする詮索を紹介して、「おそらく、大統領とオトコの話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう」と急転直下、密会のゴシップへと進む。

 朝鮮日報の記者コラムは最初大統領が会っていた男性の名前を明かしていなかったが、〈このコラム、ウワサがなんであるかに言及しないまま終わるのかと思わせたが途中で突然、具体的な氏名を出した“実名報道に切り替わった。〉と書いて、記者コラムが明かした男性の実名とその男性の離婚の事実伝える記述を紹介、コラムに書いてあったのか、離婚相手の女性が誰なのかまで書いて、益々ゴシップ記事化していく。

 そして最後に記者コラムの大統領の支持率が低迷していること、「大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」との解説を紹介してから、〈朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ。〉と、内容は尤もらしい体裁を取った安手のゴシップ記事に過ぎないのに書き出しと同様に政治性の装いをまぶして記事を終わらせている。

 いくら言論の自由が守らなければならない重大な価値観であっても、加藤達也のコラムの内容が、韓国大統領の旅客船沈没当日の7時間の不在が救助に関係しない男性と会うことを優先させて国民の人命を後回しにした軽視そのものであると批判したもので、そのことを以って名誉毀損で訴えられたなら、言論の自由云々を正面切って正々堂々と振りかざすことはできるが、誰と密会したのかしなかったといった安手のゴシップ記事での名誉毀損、言論の自由となると、日本の主要な新聞社から派遣されて外国の首都に支局長という立場で駐在している記者が、その立場に相応しい内容のコラムとは到底思えないことと併せて、確かに言論の自由の問題ではあるが、前者と同様の言論の自由云々を振りかざした場合、何の後ろめたさも感じないで済ますことができるのだろうか。

 例えば2014年8月20日の70人を超える死者を出した広島市での激しい豪雨による土砂災害で午前3時過ぎには広島市安佐南区山本の住民から住宅の裏山が崩れて、2階建ての住宅の1階部分に土砂が流れ込み、5人家族のうち子ども2人の行方が分からなったとの通報が市消防当局に入り、3時間後には子ども2人のうち1人が心肺停止の状態で発見されたと市消防が発表し、なお大雨が振り続いて各地での土砂崩れ、河川の土石流の報告が相次いでいながら、当日夏休中だった安倍晋三は山梨県の別荘に滞在、予定していたゴルフをしにゴルフ場に7時半頃到着、予定通りにゴルフを開始して、官邸からの通報でゴルフを中止したのは9時を過ぎていて、それから急遽官邸に向かい、官邸到着は午前11時少し前となっているが、各地で土砂災害が起こり始める3時の時間帯を安倍晋三が国民の生命・財産への配慮から官邸に向かわなければならない起点とすると、別荘から官邸までの掛かる時間を差し引くと6時間となり、朴大統領の7時間の所在不明よりも1時間少ないものの、居るべき場所に居ない6時間の空白を以って国民の生命・財産を軽視する行動だと批判をして名誉毀損で訴えられたなら(日本ではあり得ないことだろうが)、何の後ろめたさも恥ずかしさも感じることなく正々堂々と正面切って言論の自由を掲げて、その抑圧と見て戦うことはできるはずだ。

 だが、そういった内容ではなかった。

 韓国の検察当局も安手のゴシップ記事として無視すべきだった。言論の自由云々を振りかざすにはちょっと恥ずかしいゴシップ記事に過ぎないコラムを大統領の名誉を傷つけたと起訴することで言論の自由云々を正面切って正々堂々と振りかざす正当性を与えてしまった。

 与えたことで、逆に韓国の言論の自由に懸念を示されることになって、大きな失点となってしまった。

 確かに言論の自由を取り沙汰しなければならない名誉毀損の訴えではあるが、安手のゴシップ記事に過ぎないコラムであることを考えると、NHKが朝のニュースの第一番で取り上げたり、他のマスコミが言論の自由を大上段に据えて報道しなければならない無罪判決だっただろうか。

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安倍晋三は選挙対策のためには自衛隊の活動まで利用する姑息ななり振りのなさを振りまわしている

2015-12-20 07:10:04 | Weblog


 安倍政権が安全保障関連法の来年春施行に先立って国会承認を目指していた自衛隊が米軍を後方支援する際の手続きを定めた「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」の改定案の来年1月4日召集の通常国会への提出を見送る方針を固めたと「YOMIURI ONLINE」が報じていている。   

 記事は理由を、〈来年夏の参院選を控えた国会審議は与野党間の対決機運が高まるとみられ、安全保障問題が再び紛糾するのを避ける狙いがある。〉と解説している。

 さらに次のように解説している。〈今年9月に成立した安保関連法は、集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」や、従来の周辺事態を改めた「重要影響事態」などを創設し、弾薬の提供を解禁した。平時でも、〈1〉警戒監視・情報収集〈2〉弾道ミサイル発射への対処――など、米軍を後方支援できるケースを追加した。日米ACSAはこれらの変更点に合わせ、規定の修正・追加を行う必要がある。〉と。

 砕けた言い方をすると、安全保障関連法の新たな規定に添って対米軍後方支援という名で自衛隊を米軍へ人材派遣する場合の弾薬や薬品、飲料水、その他の物品の提供と人材派遣業務(=役務)の提供についての新規取り決めの国会承認というわけだが、参院選前に改定案を国会提出して審議を紛糾させて選挙に悪影響を与えることはあってはならないから見送ることにしたというわけである。

 つまり選挙対策。答は誰にでも分かる。

 来年2016年夏に参院選挙があると分かっていた。では、何のために安全保障環境の悪化を言い立てて、急ぎに急いで強行採決までして安全保障関連法案を国会採決したのだろうか。

 法律が施行されても、機能しない状態で置く矛盾よりも選挙対策を優先させる。国民をバカにする行動そのものである。

 まるで借金の返済日は半年後だが、カネを用意しておかないと安心できないからと半年前にカネを用意しておいて、そのカネを借金返済日まで銀行に預けておくようなものである。来年春に施行されたとしても、「ACSA」(アクサ)が国会承認されない以上、安全保障関連法の対米後方支援関連の規定は銀行に預けておくのと同じである。

 中国が南シナ海に人工島を構築、人工島周辺の海域と空域を自国の領海・領空と宣言した。アメリカは2015年10月26日夜(日本時間27日午前)、「航行の自由作戦」の名の下、人工島の12カイリ(約22キロ)以内にイージス駆逐艦を派遣して、人工島周辺の海域・空域を公海・公空であることのデモンストレーションを行った。

 勿論、中国はアメリカに激しく抗議した。

 安倍晋三はアメリカの行動を支持した。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議出席のためにフィリッピン・マニラを訪れていたオバマ米大統領と安倍晋三がその閉幕後、2015年11月19日夜(日本時間同)に首脳会談を行い、「現状を変更し、緊張を高める一方的行為」への反対で連携を確認したという。

 安倍晋三「南シナ海での自衛隊活動は、情勢が日本の安全保障に与える影響を注視しつつ検討する」(時事ドットコム)   

 安倍晋三は「航行の自由作戦」を支持した。そして安全保障関連法が対米後方支援を目的の一つとし、また領土・領海を国際法に反して一方的に拡大する中国の南シナ海人工島構築と尖閣諸島海域の日本の領海への中国公船の侵犯、同じく日本領空への中国軍機の侵犯は中国の「現状を変更し、緊張を高める一方的行為」として同一線上に置かなければならない重大事態であり、アメリカが尖閣諸島防衛を米国の対日防衛義務を規定した日米安保条約第5条の適用範囲としていることのバランスを考えると、前者の中国の一方的行為に対しても日米が連携する形でアメリカの「航行の自由作戦」のような具体的な示威行動を日本も示さなければならない問題であるはずである。

 だが、安倍晋三は日米安全保障条約に於ける日本防衛のアメリカの片務性のみを言い立て、双務性を求めて安全保障関連法を成立させながら、「情勢が日本の安全保障に与える影響」が出なければ、連携して対処しなければならない中国の南シナ海の「現状を変更し、緊張を高める一方的行為」は連携して阻止できないとする姿勢を取った。

 この双務性を求めながら片務性の現状に甘えようとしている矛盾は、矛盾している以上、安全保障関連法の来春春施行後も自衛隊を安全運用して、安全運用しなかった場合に発生するかもしれない不測の事態が唯一障害となるのは参院選であり、その障害の回避を狙った選挙対策でなければならない。

 自衛隊の現状の運用からの脱皮、リスクが伴うかもしれない安全保障関連法下の新しい自衛隊の運用が選挙の障害になる危険性を孕んでいるかもしれない危機管理をそこにと見ないと、折角手に入れた双務性の機会を片務性のまま据え置く矛盾を解くことはできない。

 11月22日(2015年)午前、アフリカ・南スーダンへの自衛隊の国連平和維持活動(PKO)派遣部隊のうち、先発隊約100人が中部空港から日本を飛び立った。安全保障関連法成立後の初交代だそうだが、任期は約6カ月。安全保障関連法の施行後も駐留することになる。

 つまり、南スーダン自衛隊PKO部隊は来年春、安全保障関連法に基づいた新しい任務に切り替わることになる。その最も責任ある重要な任務は離れた場所にいる国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らが武装集団などに襲われた場合に助けに向かう、当然重大なリスクが伴う可能性も考慮しなければならない「駆けつけ警護」であろう。

 だが、中谷防衛大臣は11月の記者会見で、派遣期間中は「駆けつけ警護」等の施行後の新任務に切り替えずに、周到な準備をしてからだと、先延ばしにする発言をしたという。

 この措置にしても、マスコミ各紙は参院選対策だと指摘している。

 2015年10月18日の自衛隊観艦式での訓示。

 安倍晋三「日本は、皆さんの母国をはじめ、国際社会と手を携えながら、『自由で平和な海』を守るため、全力を尽くします。『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄に、これまで以上に貢献していく決意であります。

    ・・・・・・・・・・・

 日本を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。望むと望まざるとに関わらず、脅威は容易に国境を越えてくる。もはや、どの国も、一国のみでは対応できない時代です。

 そうした時代にあっても、国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。そのための法的基盤が、先般成立した平和安全法制であります。積極的な平和外交も、今後、一層強化してまいります」

 かく誓い、かく宣言している以上、来年春の平和安全法制の施行を首の長くして待ち、施行されたら、待ってましたとばかりに直ちに自衛隊の新しい任務を活用した「積極的平和主義」、「世界の平和と繁栄」に貢献してもよさそうなものだが、以上見てきた必要とされる新たな措置、あるいは新たな任務は待ってましたとは行わない。

 目的は参院選対策であるという同じ文脈で見ないと、すべての矛盾に整合性を与えることはできない。

 低所得者に1人3万円支給にしてもそうだが、全てが選挙対策で動いているように見える。

 次の参院選は来年の7月頃で、現在の衆院議員の任期は2018年12月半ばである。自衛隊の新たな活動が不測の事態を招く危険性の回避を狙ったそのような活動の先送りを参院選対策だとみると、参院選後の不測の事態が今度は衆院選に影響を与える可能性は否定できないことになって、一挙両得で不測の事態が発生しない前にダブル選に打って出る予想もできないことはない。

 一つ気をつけなければならないことは、こういった選挙のための自衛隊の不測の事態隠し=危険隠しは国民を欺く姑息な手だということである。


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橋下徹退任会見「持てる力を全部出し切った」だと?「教育日本一を目指したい」の公約を果たしたのか

2015-12-19 10:20:52 | 政治


 橋下徹が12月18日、大阪市長を退任した。記者会見で、「持てる力を全部出し切ったし、これ以上は無理だ」と述べたという。

 本当に「持てる力を全部出し切った」と断言できるのだろうか。

 文科省が2007年度から毎年4月の第3もしくは第4火曜日に実施、8月末に結果を公表、小学6年生と中学3年生を調査対象とした全国学力テストに大阪府は初っ端の2007年、2008年と全国平均を下回った。

 公表されたこの結果に2008年2月6日に大阪府知事に就任した橋下徹が8月29日、記者たちへの発言で激怒してみせた。

 橋下徹「教育委員会には最悪だと言いたい。これまで『大阪の教育は…』と散々言っておきながら、このザマは何なんだ。

 現場の教職員と教育委員会には、今までのやり方を抜本的に改めてもらわないと困る」(MSN産経

 この発言は今以てネット上に氾濫している。

 橋下徹が「このザマは何なんだ」と雄叫びを上げてから1周間後の2008年9月5日に大阪府は「教育事態宣言」を発している。

 さすが橋下徹である。打つ手が早い。

 (1) 学力向上方策を徹底する
 (2) 学校や教育委員会だけに任せない。 地域や家庭も責任を持つ
 (3) ダメ教員は排除する。 教員のがんばりをもっと引き出す
 (4) 「なんでも自由」を改める

 橋下徹の意向を全面的に反映させた宣言であるはずだ。「ダメ教員」なんて言う言葉は橋下徹が最も得意とする語彙であろう。

 2週間後の9月19日に大阪府は橋下徹出席のもと、部長会議を開いている。文飾は当方。  

 橋下徹「9月5日に『教育非常事態宣言』を出した。地域と家庭にも責任を持ってもらうということを言い切った。教育に本気で取り組もうという姿勢、府民運動を最大の目標として、宣言を発した。

 9月17日の府内の市長16人との意見交換会でも、行政や地域が果たす役割は大きいという問題意識を共有することができた。

 府教委では、『大阪の教育力』向上プラン(素案)をとりまとめたが、府教委だけではなく、知事部局としても、課題解決に向け、地域や家庭、学校をどのように支援するのか、サポートしていくのか、という観点から施策を打つ必要がある。

 現在、各部局では、『将来ビジョン・大阪』の施策を検討していただいているところだが、教育に関する施策については、前倒しでとりまとめ、『教育非常事態宣言』を踏まえた『緊急対策』として打ち出していきたい。

 府教委もがんばっているが、それに加えて知事部局も挙げて教育日本一を目指したい。大阪は失業率が高い、離婚率が高い、街頭犯罪率が高いなど悪い指標が多いが、こうした数字にこだわっていくべき。対策は各部局で行っているが、根幹は教育を変えていくことだと思う。2から3年で解決できるとは思っていない。5から10年、長いスパンをかけて教育に力を入れ、各部局の対策とあいまって知事部局挙げて取り組んでいくべき。とりまとめ・公表は、10月後半のできるだけ早い時期に行いたい。

 本日、議会で教育委員の同意を得た陰山先生と(アドバイザーの)藤原先生はともに保護者にとってこれほどネームバリューのある方々はいない。また、小河先生は陰山先生の同志であり、教育手法のメソッド、原型をつくられた方で、発言は重く、深みのある方だ。僕と事務局の役割は、府民をどうひきつけて動かすかということ。名前に頼っているわけではないが、先生方の手法は非常に分かりやすいので、メッセージを発していきたい。

 学力テストの結果公表について、動き出している市もあるが、数字だけ出して「後は何も知りません」では大失態になる。公表はあくまで府民の皆さんに実態を知ってもらうきっかけ。府民に教育について関心を持ってもらうこと、各課題、地域の課題を認識してもらうこと。そこで間髪いれずに陰山先生、小河先生、藤原先生にメソッドを出していただきながら、教委とともに各部局一丸となって打ち出しをしていきたい。よろしくお願いする」――

 橋下徹は大阪府の公立小学6年生・中学3年生の学力テスト全国平均以下2年連続の成績を受けて「教育非常事態宣言」を発令し、「教育日本一を目指したい」と公約した。

 最初に断っておくが、橋本徹が言っている「教育日本一」とは、この志の発端を全国学力テスト大阪府2年連続全国平均以下の成績に置いている以上、全国学力テスト成績日本一ということでなければならない。

 この「目指したい」は単なる目標・願望であってはならない。大阪府教育委員会相手に学力テストの成績を「このザマは何なんだ」と罵倒の意思表示までしているのである。

 いわば大阪教育委員会の教育方針を頭から完膚なきまでに否定した。そして百ます計算を小学校の教育現場で実践、小学生たちの基礎学力を向上させて名を馳せた陰山英男を2008年に大阪府教育委員(非常勤)に招き、2012年に委員長(非常勤)に就任させ、さらに東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務め、それなりの実績を上げたのだろう、藤原和博を2008年6月に大阪府特別顧問(政策アドバイザー)として招いて、「保護者にとってこれほどネームバリューのある方々はいない」と、両者の能力を保証し(能力付きと見た「ネームバリュー」であるはずだ。実力のない人気だけのタレント並みに見ていたわけであるまい。)、そのような自身の人事を誇ったのである。

 こういった経緯からして、単なる目標・願望では済まない。公約そのものである。

 大阪府の学力テスト成績日本一達成の公約は橋下徹が大阪府知事時代のものである。だが、大阪府は学力テスト成績の「日本一」を果たすことができなかった。常に全国平均点以下の成績で推移し、しかも最下位から数えた方が早い順位にいた。

 橋下徹は大阪府知事を任期4年を待たない2011年10月31日に辞任、大阪市長選に打って出て、当選、任期4年の1期を以ってこの2015年12月18日に退任しているが、大阪府として「教育日本一」の公約を果たすことができなかった以上、この公約は大阪市にも引き継いでいなければならない性質のものであろう。

 例え大阪市が大阪府に所属していない自治体であったとしても、同じ首長として教育に関わる主張は一貫していなければならないからだし、大阪府が「日本一」になるには大阪市の「日本一」は欠かすことはできない上に大阪市の「日本一」を果たさなければ、「日本一」を唱えた者として責任を果たさないことになる。

 大阪府では果たすことができなかった学力テスト成績「日本一」の勝利を果たして大阪市で獲ち取ることができたのだろうか。

 《平成27年度 全国学力・学習状況調査 大阪市の結果概要》大阪市教育委員会2015年9月1日)から見てみる。 

          2014年成績     2015年成績(成績は平均
       大阪市  全国 全国との差 大阪市 全国  全国との差
小学校国語A  69.7  72.9 -3.2   65.7   70.0    -4.3
小学校国語B  52.7  55.5 -2.8   62.5   65.4    -2.9

小学校数学A  76.0  78.1 -2.1   72.8   75.2    -2.4
小学校数学B  55.8  58.2 -2.4   42.8   45.0    -2.2


中学国語A   75.9  79.4 -3.5   73.5   75.8    -2.3
中学国語B   46.3  51.0 -4.7   63.6   65.8     -2.2

中学数学A   62.5  67.4 -4.9    62.0   64.4     -2.4
中学数学B   55.2  59.8 -4.6    40.1   41.6    -1.5

          (2012年成績)
小学理科    58.3  60.9 -2.6   56.3   60.8    -4.5
中学理科    46.4  51.0 -4.6   49.3   53.0    -3.7

 暗記で賄うことができるA問題にしても応用力を問うB問題にしても、全国平均以下である。但し中学校に関しては全ての問題で前年度と比較して全国との差が縮まっている。

 この理由は大阪市が2015年度から独自のテスト「大阪市統一テスト」を中学3年生の2学期に実施、結果を内申点に反映させることが決まっていて、高校入試の際の高校側の評価に影響する可能性からの成績アップのようだ。

 いわば学力テスト成績の内申点への反映が一種の威しとなっていて、強迫観念から必死になって頑張った。

 だが、こういった頑張りは学力テスト前の一時的なものに過ぎない。1年を通しての頑張りであるなら、全国の平均に限りなく近づくことができるはずだが、そうはなっていない。

 橋下徹は差が縮まったことを以って、大阪市の教育方針が一定程度の成功を収めていると思ったかもしれないが、学ぶということは極めて主体的な姿勢を必要とするもので、必要とせず、一時的な頑張りだけなら、暗記量を増やすことは可能でも、対象に対する主体的な働きかけが必要な考える力を置き去りにすることになる。

 いずれにしても橋下徹は退任記者会見で「持てる力を全部出し切ったし、これ以上は無理だ」と、さも公約の全てを果たしたかのように言っているが、少なくとも大阪市長となっても引き継いで実現しなければならない「大阪市全国学力テスト日本一」を果たさずに「持てる力を全部出し切ったし、これ以上は無理だ」と言ったことになる。

 明らかにウソ八百を並べたことになるが、そもそもからして学力テストの成績で子どもたちの学びの力を決めつけること自体が間違っていることに気づいていない。愚かしい限りではないか。


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長谷川三千子の安倍晋三のお友達らしい最高裁大法廷民法の夫婦別姓は認めない規定は合憲判決に賛同の合理性

2015-12-18 09:53:58 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《12月17日 主濱了副代表は国会内で連合の逢見直人事務局長ら役員から当面の経
      済運営及び予算編成等に関する要請を受け、意見交換を行う》
    

 安倍晋三によってNHKの経営委員に送り込まれた埼玉大名誉教授(哲学)の長谷川三千子が今回の最高裁大法廷が民法の夫婦同姓の規定は合憲、別姓を認めていないのは違憲ではないとの判断を示したことに対して賛同し、高く評価している。

 安倍晋三や高市早苗、稲田朋美等と同じ立場であるのは当然だろう。何しろ歴史認識に於いても家族制度の思想に関しても、みんなお友達なのだから。

 以前、ブログに書いているが、長谷川三千子は東京都渋谷区が同性カップルに「結婚に相当する関係」を認めるパートナーシップ証明書の発行を盛り込んだ全国初の条例案を2015年3月1日に区議会に提出した際、同性同士では子どもを生むことができないという観点から、同性婚にも反対していた。

 長谷川三千子「実はもともと、同性愛を堅苦しく禁じてきたキリスト教文明とは違い、われわれの文化では同性愛についての違和感は薄い。問題は同性愛を結婚という制度に結びつけることにある。

 忘れてならないのは、人間も生物なのだということ。地球上に生物が誕生し、少なくとも5億年前から有性生殖が始まった。もし有性生殖が始まらなければ、生物の進化もなく、人類が誕生することもあり得なかった。われわれは5億年の有性生殖の歴史を背負って生きている。言い換えれば、われわれもまた雄と雌とが一緒にならないと次の世代を生み出せない生物なのだということ。そして、次の世代が生み出せなければ、人類はたちまち絶滅する。この生物としての宿命を制度化したものが結婚制度であると私は思う。それを考えると、同性婚とはまさに生物5億年の歴史に逆らう試みといえるでしょう。

 結婚を認めろと主張する同性カップルには、どうしてあなた方は『結婚』にこだわるのですか、と聞き返したい。家族制度とは何を本質とするものなのかをしっかりと考えてほしい。人間以外の生物は、家族制度などというものがなくても次の世代を維持してゆくことができる。ところが、いわゆる本能の力が衰えてしまった人類は、慣習や制度の力を借りて、かろうじて生物としての存続を維持している。そのことを忘れて勝手に制度をいじったりすると、自然から手痛いしっぺ返しを受ける。実は少子化の問題もここにつながっている」(産経ニュース/2015.3.8 12:00)   

 「5億年の有性生殖の歴史」を大上段に振りかざして、有性生殖に反する制度としての対(つい)の関係=同性カップル婚は一切認めない、一切排除するというこれ以上ない狭隘な精神で同性愛も同じ自然な人間の性(さが)であり、両性が結婚という制度で手に入れることができる精神的・社会的保障を求めるのも同じ自然な性であるということを否定している。

 このような同性愛者の存在性の否定は同じ自然な人間の性(さが)に対する差別に相当する。

 いわば人間差別主義者がNHKの経営委員を務めている。

 では、長谷川三千子が今回の最高裁大法廷の民法規定合憲の判決にどう発言したかを2015年12月16日付記事から見てみる。文飾は当方。

 長谷川三千子「夫婦別姓訴訟で最高裁が民法規定を合憲としたのは極めて理の通った判決で、高く評価できる。寺田逸郎裁判長が補足意見で述べる通り、『人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向は出てくる』のは事実だが、だからといってどこまでも規格を緩めるわけにはいかない。

 氏名が個人の人格の象徴であり得るのも、氏(姓)が一定の規格の上に成り立っているからだ。多数意見は法の番人たるにふさわしい意見だ」(47NEWS)  

 「氏名が個人の人格の象徴であり得るのも、氏(姓)が一定の規格の上に成り立っているからだ」

 この言葉には長谷川三千子が女性でありながら、男性を上に置き、女性を下に置く男女差別観がある。長谷川三千子は「氏名」を家に付属した氏名として把えているからだ。

 このことは「氏(姓)が一定の規格の上に成り立っている」に現れている。

 先ず「氏名が個人の人格の象徴であり得る」のは何も男性に限っているわけではなく、結婚前の女性に於いても同じである。

 自身の姓と名前を自分であること――自己存在性のアイデンティティーを表現する一つの方法として自己という人間を象徴させている心理性は男女とも同じだということである。

 にも関わらず、「氏(姓)が一定の規格の上に成り立っている」「一定の規格」に価値を置いているが、その「規格」たるや、96%もの夫婦が夫の名字を名乗っている以上、男性主体の「規格」と見ないわけにはいかない。

 そもそもからして“氏”(うじ)という言葉は同一血族の集団や家柄を表す。そして地域に於けるその集団にしても、個別的な家に於いても、男性が支配権を握り、家に於いては家長として家族に対してすべての決定権を握っていた。

 封建時代の昔、そういった男性主体の「規格」から出発して、現在の96%もの夫婦が夫の名字を名乗る男性主体の夫婦同姓の「規格」に至っているのである。

 長谷川三千子が「氏(姓)が一定の規格の上に成り立っている」ことを理由に「氏名が個人の人格の象徴」だと見做していることは、女性でありながら、男性を上に置き、女性を下に置く男女差別観からの男性主体の「人格の象徴」としていて、男性主体の「規格」だと結論づけていると断じないわけにはいかない。

 2010年3月5日の当ブログ記事――《夫婦別姓と夫婦同姓/“姓”が夫婦、家族の価値を分けるわけではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。  

 〈現在の結婚とは自律した個の存在が夫婦と言う形でその自律性を確保しつつ共同生活を営むことを言うはずで、自律した存在が相互に依存関係へと進むのが結婚ではないはずである。依存した関係は共同生活とは言えなくなるからだ。

 経済的に夫一人の収入に依存した生活だからとあらゆる点で夫の意思にまで従うとしたら、妻は自律した存在であることを失い、夫に支配された存在と化し、個としての意味を失う。

 子どもは幼い間経済的にも精神的にも親に依存した関係を持ち、ある意味親に支配される関係であり続けるが、少なくとも精神的には中学生の頃から自律した存在へと成長していく。個として生きる姿を取り始める。

 いわば夫婦にしても親子にしても、相互に自律した存在を維持してこそ、その絆は意味を持つ。どちらかがどちらかに依存した関係、どちらかがどちらかを支配した関係を絆とは言わないはずである。

 自律した存在であるなら、同姓であろと別姓であろうと構わないことになる。自律を実質的中身としたなら、“姓”という名乗りは形式と化す。元々社会的な便宜的形式に過ぎない。

 自律とは学歴や職業や地位やカネや家柄や血を、あるいは女性に対して男を権威とすることで、それら権威に精神的に支配され、有難がることから自由であることを言う。

 夫婦別姓で、子どもの姓が一方に決まり、もう一方の姓の家が絶えるとの反対論があるが、それは家や家柄、血を権威としているからだろう。誰の姓を継ごうと、子どもが健やかに育ち、自律した存在として社会人としての務めを十分に果たすことへの期待に意義を置き、そこに価値を見い出すべきで、自律した存在として社会に生き得なかったなら、結婚しても自律した存在として伴侶に対峙できず、継いだ姓そのものの意味さえ失う。

 また、夫婦の姓が違うからと子どもが学校でいじめられると言うが、法案が成立したなら、こういった家族が出てくると教えない学校はあるまい。日本の教師はそれほどバカではないはずだ。学校で教えたなら、「夫婦別姓よ。知らないの」と言えば済むこととなるし、そう言って済む社会でなければならない。〉――

 〈自律した存在であるなら、同姓であろと別姓であろうと構わないことになる。自律を実質的中身としたなら、“姓”という名乗りは形式と化す。〉と書いてあるが、意味自体は同姓であろうと別姓であろうと構わないではないかということになるものの、他の言葉と併せた全体の趣旨は同姓に拘る愚かしさについて言い、別姓であってもいい自由を求めた言葉である。

 だが、長谷川三千子は従来からの日本の家の「規格」に拘り、最高裁大法廷の民法の夫婦同姓の規定を合憲とする判断を「極めて理の通った判決」、合理的だと歓迎、現代の個人の在り様――裁判長の補足意見が言うところの「人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向は出てくる」としている個人的存在性を頭から無視するに至っている。

 個人の自律が求められている現代に於いてその自律を抑圧する働きを持つ家の「規格」に価値を置く。女性が別姓を求めながら、夫同姓を強いるのも、女性の自律への抑圧装置として働くことになる。 

 このような長谷川三千子が国民の受信料で成り立っているNHKの経営委員に収まっている。合理的と言うことができるだろうか。

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思想・信条の自由で把えるべき夫婦別姓を認めない民法規定最高裁合憲判断、裁判官が変われば、違憲となる

2015-12-17 10:30:33 | 政治


 2015年12月16日、最高裁大法廷は民法の第750条の規定「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」が憲法に違反するかどうかで争った裁判で規定は合憲だと判決、夫婦別姓を選択できないのは違憲ではないと判断した。

 ネット上に最高裁判決が出回るには時間がかかるだろうから、「NHK NEWS WEB」《夫婦別姓認めない規定 合憲判断も5人が反対意見》 (2015年12月16日 17時15分)の記事の範囲内で合憲判断の妥当性を自分なりに考え、ネット上に出回ってから、改めて見てみたいと思う。 

 文飾を当方。

 訴訟理由「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」

 判決理由――

 寺田逸郎裁判長夫婦が同じ名字にする制度は、わが国の社会に定着してきたものであり、社会の集団の単位である家族の呼称を1つにするのは合理性がある。現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている。

 今の制度は社会の受け止め方によるところが少なくなく、制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」――
  
 「夫婦が同じ名字にする制度は、わが国の社会に定着してきた」ことが全体的状況であったとしても、絶対的状況となっているわけでない。いわば絶対的定着ではない社会的事実を以ってして全体的定着に合理性があるとする判断となっている。

 そうである以上、そこに“こぼれ”が生じていることになる。その“こぼれ”に対する判断が次の判決である。

 「現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている」
 
 日本国憲法第3章第24条は夫婦平等を規定している。

1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 “旧姓の通称使用による一定程度の不利益”が女性側にのみ影響して、男性がその不利益は一切関知せずであったなら、厳密な意味で憲法が規定する夫婦平等に反する。

 夫側も“旧姓の通称使用による一定程度の不利益”を負ってこそ、夫婦平等であるはずだが、夫は自分の生まれながらの姓を名乗ることができることによって、何ら不利益を被らないでいることができる。

 女性側の何よりの不利益は真に夫婦別姓を望む女性が結婚届を止むを得ず夫の姓に統一し、仕事上は旧姓を通称使用した場合、仕事関係以外の人間から夫の姓で呼ばれる精神的苦痛であろう。精神的には自身の姓を生まれながらの旧姓のままとしていながら、異なる姓の人間として呼ばれる。

 夫の姓で呼ばれたときの精神的な不統一感は自己同一性を壊されるような違和感(後で裁判官が使っている言葉「自己喪失感」)をもたらすのではないだろうか。

 他にもあるこれらの不平等を解消して、憲法の保障通りの夫婦平等を実現するには選択的夫婦別姓を民法で認める以外に方法はないはずだ。

 女性が婚姻後も自身の姓を名乗ることを望み、別姓を選択したい思いは自己の思想・信条に基づいた信念からの判断であるはずだから、日本国憲法が保障している「思想・信条の自由」の基本的人権に深く関わる問題となるはずである。

 だが、最高裁大法廷は夫婦同姓の民法規定を合憲とし、結果として選択的夫婦別姓の民法への規定を違憲とした。

 記事は裁判長の最後の発言を「今の制度は社会の受け止め方によるところが少なくなく、制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」と伝えているが、「今の制度」とは民法第750条の規定「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」を言っているのではなく、制度という言葉には「社会的に公認され、定型化されている決まりや慣習」をも意味するから、夫婦別姓を望む女性が少なからず出てきている社会的状況を言っているはずだ。

 「制度」を民法第750条の規定とすると、前後の文脈が一貫性を欠くことになる。

 「夫婦別姓は社会的には受け止められている慣習となっているから、夫婦別姓に関しては国会で議論し、判断すべきだ」と、国会に委ねたということであろう。

 だが、安倍政権下では安倍晋三を筆頭に高市早苗や現在は政権に入っていない稲田朋美、山谷えり子、その他、どれもが明治以来の天皇制下の国家体制・社会制度・家族制度を尊ぶ右翼国家主義者であり、何よりも伝統的な家族のあり方を信奉している。

 国会でどう議論されようと、安倍政権が圧倒的頭数を誇っている間は判断の落ち着く先は決まっている。

 記事は15人の裁判官の内、5人が夫婦別姓を認めないのは憲法に違反するとして連名で意見書を出したと伝えている。

 5人連名意見書「女性の社会進出は著しく進み、結婚前の名字を使う合理性や必要性が増している。96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さなどからもたらされている。妻の意思で夫の名字を選んだとしても、その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している。

 多くの場合、女性のみが自己喪失感などの負担を負うことになり、両性の平等に立脚しているとはいえない。今の制度は結婚の成立に不合理な要件を課し、婚姻の自由を制約する」――

 要するに民法に選択的夫婦別姓を規定しないのは日本国憲法第3章第24条に対する憲法違反だとした。

 「96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状」は男尊女卑の名残としてある男性を上に置き、女性を下に置いた男性優位の力関係に基づいた権威主義的な社会的慣習への無条件的な従属に過ぎないと看破している。

 いわばそうなっているから、従っているに過ぎないと。
 
 記事は他にも憲法違反だとする2人の裁判官の発言を伝えている。

 木内道祥裁判官「同じ名字でなければ夫婦が破綻しやすいとか、子どもの成育がうまくいかなくなるという考えは根拠がない」

 山浦善樹裁判官「平成8年に法制審議会が夫婦別姓を認める民法の改正案を出したのに、今も制度を変えていないのは、国会が立法措置を怠っているということだ」

 いずれにしても、15人のうち、10人の判断が優先されることになって、夫婦同姓は合憲と判断され、選択的夫婦別姓を認めないことは憲法に違反するとする判断は排除された。

 もしこれが逆なら、夫婦同姓の民法規定は憲法違反となり、選択的別姓を認めてこそ憲法に適うとする判断が優先されることになる。

 同じ考えを持つ人数の多少によって判断される以上、例え最高裁判断だとしても、絶対ではないということである。

 安倍政権は「憲法の最終的な判断は最高裁」だとして砂川最高裁判決を集団的自衛権行使の合憲説として唱えたが(最もデタラメなな解釈に過ぎなかった)、裁判官の構成によって判断も変わるということも念頭に置いて置かなければならない。

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拉致解決「国際社会と連携」のゴマカシはもうやめるべき 金正恩が病気でポックリいくのを期待するしかない

2015-12-16 08:39:46 | 政治


 2014年5月26日~28日の3日間のスウェーデン・ストックホルムでの日朝政府間協議で北朝鮮が拉致の再調査を約束し、5月29日の日朝間合意事項発表から1年7カ月近くが経つ。

 12月12日(2015年)、拉致解決の国際的な連携の在り方を話し合う政府主催のシンポジウムが各国の関係者らを招いて東京で開催された。

 安倍晋三の腹心加藤勝信が拉致問題担当相として講演している。

 加藤勝信「拉致問題は人権、人道上のゆゆしき問題であり、世界人権宣言や国際人権規約にも違反する、人類普遍の価値や国際社会に対する冒とくだ。ことしも今月の国連総会本会議で、北朝鮮人権状況決議が議決に付される予定で、昨年以上の賛成を得るべく各国に精力的に支持を働きかけていく。

 拉致問題は安倍政権の最重要課題であり、政府の責任において最優先で取り組み解決すべきものだ。すべての拉致被害者の1日も早い帰国に向け、国際社会と連携をしながら政府一体となって全力で対応していく」(NHK NEWS WEB)――

 「すべての拉致被害者の1日も早い帰国に向け、国際社会と連携をしながら政府一体となって全力で対応していく」・・・・・・・

 2012年3月、北朝鮮が人工衛星打ち上げと称してミサイル発射を予告したのに対して首相当時の野田佳彦も同じことを言っている。

 野田佳彦「北朝鮮は『衛星』と言っているが、ミサイル技術を使って飛ばそうとしているので、発射が強行されるなら国連安全保障理事会の決議に明確に違反する。地域の平和と安定を損なう恐れがあり、誠に遺憾だ。

 国際社会と連携しながら、北朝鮮に強く自制を求めていくことが今は何よりも大事だ。しかし、残念ながら万が一にも強行されるなら、あらゆるペナルティーを科していくべく、知恵を出さなければならない」(NHK NEWS WEB)――

 北朝鮮はアメリカを初め、中国までもが発射中止を求めたが、4月に発射を強行、だが、ミサイル発射は失敗した。

 国際社会は無力であった。

 安倍晋三も2014年3月12日の参院予算委で同じ趣旨のことを発言している。

 安倍晋三「北朝鮮に対しては、基本的には様々な課題を解決をしていくためには、 これは対話を行わなければ解決はしていかないということでございます。

 しかし、残念ながら北朝鮮におきましては、今まで日本との対話の中において、様々な約束等について北朝鮮側においてその約束が果たされていない という現実もある中において、我々は国際社会と協力をしながら北朝鮮に圧力を掛け、現在取っている政策を変えなければ北朝鮮の未来はないという認識の下に対話を行っていくことによって初めて結果が出てくるんだろうと、このように思っているところでございますが、我が国は、関係国とも緊密に 連携をしつつ、北朝鮮に関して不断に情報収集を行い、情勢を注視をしているところであります」――

 「連携」を「協力」に言い換えたに過ぎない。

 北朝鮮が第1次安倍内閣発足の2006年9月26日を約2カ月遡る2006年7月5日、テポドン2号など7発の弾道ミサイル発射実験を行い、安倍内閣発足後の同年10月9日に地下核実験行ったことに対して国連安保理事会は北朝鮮に対する制裁決議を全会一致で採択している。

 だが、北朝鮮は2009年と2013年に地下核実験を行っている。

 ミサイル発射実権も繰返し行っている。

 2013年の核実験に対しても国連安保理は金融、その他の制裁を科す安保理決議を全会一致で採択している。日本もその制裁に加わると同時に日本独自の制裁を科している。

 そしてこれらの制裁は現在も続いている。

 いわば国際社会は連携して制裁、その他で圧力を加えているが、北朝鮮の国際社会に対する敵対姿勢を些かも変えることができないでいる。

 拉致問題解決も含めた北朝鮮の人権状況改善求める北朝鮮の人権状況決議を国連は法的拘束力はないものの2003年から採択し、2014年12月にも採択、今年2015年11月20日にも採択しているが、国際社会の連携した非難に反して一向に北朝鮮の権状況を改善させるに至っていない。

 現在も裁判なしの公開銃殺刑が行われていることをマスコミは伝えている。

 国際社会の経済制裁に対しても国民生活を犠牲にし、国民から搾取することで国家を維持し、国際社会から孤立する道を選んでいる。

 北朝鮮人権問題担当ダルスマン国連特別報告者が纏めた報告書は推定5万人以上の北朝鮮国民を組織的に国外に強制動員して北朝鮮官憲の監視下の元、1日最大20時間の労働時間、安い賃金で過酷な労働に従事させ、上前を跳ねた(ピンハネした)金額は年間最大23億ドル(約2800億円)に上るという内容になっていると、2015年10月29日付の「時事ドットコム」記事が伝えている権状況・国民搾取にしても、国際社会が北朝鮮の独裁体制に対して無力であることの証明としかならない。    

 世界遺産「アンコール遺跡群」所在のカンボジア北西部のシェムリアップで北朝鮮資金提供・北朝鮮建設・10年間の運営権確保の「アンコール・パノラマ・ミュージアム」が12月4日(2015年)開館している。

 10年間の入場料は運営維持費を除いて北朝鮮の収入になるという。 

 「国際社会連携」の経済制裁下でも上記強制動員労働も含めて、それが国際社会の非難の対象になろうとなるまいと、北朝鮮の国家活動は至ってしぶとさを発揮している。

 であるにも関わらず、「国際社会と連携しながら」と、そうすることが効果があるかのように言う。

 もはやオオカミ少年でしかない。

 北朝鮮が拉致再調査を約束してから1年7カ月近く経過するにも関わらず何ら報告がないということは、カネヅルとしたくても自分の方からカネヅルを手放す形にするのだから、生存しているとしている日本人拉致被害者をどうしても帰すことができない、国家権力の中枢に位置する金正日を含めた重要人物の秘密を知られていて、帰してそれが国際社会に知れたら都合が悪いといった何らかの事情があるからとしか考えることができない。

 もうそろそろ「国際社会と連携」といったゴマカシ・幻想を振り撒くのはやめて、金正恩は過度の肥満を結果としてもたらしている高尿酸血症、高脂血症、糖尿、高血圧、痛風等々、病気のデパートメント状況にあるということだから、ポックリいくことを期待する以外、手はないのではないだろうか。

 金正恩がポックリいけば、その娘は2012年生まれで幼過ぎ、金正日の長男金正男は後継の気はないようだし、異母兄34歳の金正哲がいるが、年長でありながら、父親の金正日に父子継承の後継者としてのメガネに適わなかった者が独裁者の地位に就かされたとき、果たして軍事優先に立つことができるだろうか、経済優先に立つだろうか。

 どちらに立つかは不確かではあるが、「国際社会との連携」が無力である以上、ポックリに期待する以外に拉致の解決は望めないように思える。

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安倍晋三や菅義偉が「最善の結果」、「大変高い評価」と自負する程の軽減税率8%の対象品目合意だろうか

2015-12-15 10:47:22 | 政治

 
 「NHK NEWS WEB」記事が自公の軽減税率対象品目の12月12日(2015年)合意を受けた安倍晋三と官房長官の菅義偉の12月14日午前の発言を伝えている。  

 対象品目は「酒類」と「外食」を除いた「生鮮食品+加工食品」。

 同12月14日夕方になって、国民の知る権利を確保する必要があるとからと新たに「新聞」を対象品目に含める方針で一致したという。

 何、公明党の支持母体、創価学会発行の「聖教新聞」への配慮が主な理由だろう。いわば公明党の創価学会に対する利益誘導である。

 公共工事の地元利益誘導が地元だけではなく、ゼネコンやその他の企業に利益が回るように「聖教新聞」への利益誘導が国民の知る権利確保という大義名分の下、その他の新聞への利益となっていく。

 いきなり新聞を加えたのでは魂胆が露骨に見え透いてしまうから、ワンクッション置いたといったところに違いない。

 安倍晋三は14日午前、首相官邸で記者たちにマイクを向けられて、自・公が軽減税率導入対象品目を「外食」を除いた「生鮮食品+加工食品」で合意したことについて、「最善の結果を取りまとめて頂いたと思います」と述べたと伝えている。

 他の記事も似たり寄ったりの内容となっている。

 官房長官の方は14日午前の定例記者会見。

 菅義偉「消費税引き上げ時に軽減税率制度を導入することは、自民・公明両党の選挙公約であり連立合意だった。自民・公明両党で話し合いをして合意することが極めて大事なことだった。与党で合意がなければ、法案提出はできない」

 記者「軽減税率制度は、低所得者対策にはならないという指摘もあるが」

 菅義偉「日常の必需品中心なのでしっかりなる。生活に必要なものは、生鮮食品だけでは収まらないのが事実ではないか。国民の皆さんからは大変高い評価を頂いていると思う。

 (軽減税率導入による財政健全化目標への影響について)全くないと考えている」――

 安倍晋三は「最善の結果を取りまとめて頂いた」と言い、菅義偉は「国民の皆さんからは大変高い評価を頂いていると思う」と言って、国民の理解・支持を得ていると完了形とした発言となっている。

 軽減税率導入は低所得者対策を主眼としているから、両者の発言は十分な低所得者対策となっているとの自負をも示すことになる。

 だが、これらの発言は共に12月14日午前中のもの。自公合意は12月12日。国民の反応を知る時間的余裕があるわけでもないのに国民の理解・支持を完了形としている。絶対的と言っていい程の余程の自信があるに違いない。

 また、「最善の結果」、あるいは「大変高い評価」とするには軽減税率適用の対象品目に関してだけではなく、適用の税率をも含めてバランスの取れた決定でなければ、言葉の正当性を欠くことになる。

 もし安倍晋三にしても菅義偉にしても軽減税率適用の対象品目に関してのみ、「最善の結果」だとか、「大変高い評価」だと言い、適用税率を失念していたとしたら、その判断能力は疑われることになる。両者は一体で評価されるべき政策だからである。

 消費税を8%から10%に増税するについて軽減税率適用の対象品目に限って消費税を8%に据え置くだけの制度で果たして「最善の結果」と言うことができるのか、あるいは「大変高い評価」と見做すことができるのかという問題である。

 確かに軽減税率適用の対象品目に限って言うと、今まで適用品目が存在しなかったのだから、それなりの理解・支持は得ることができるかもしれない。 

 だが、軽減税率は8%に据え置いたままという税率を含めて考えた場合、果たしてそれ程にも「最善の結果」、「大変高い評価」と言うことのできる決定だろうか。

 2013年時点のヨーロッパの軽減税率と適用対象品目を見てみる。

 フランスは21.2%の標準消費税率に対して食料品が5.5%。

 イギリスは20%の標準消費税率に対して食料品が0〜5%。

 ドイツが19%の標準消費税率に対して食料品が7%。

 スウェーデンが25%の標準消費税率に対して食料品が12%。

 オランダが21%の標準消費税率に対して食料品が6%。

 すべての国が標準消費税率に対して食料品の軽減税率は10%以上の差となっている。

 だが、日本は標準消費税率10%に対して食料品の軽減税率8%で、たったの2%の差しかない。

 とてもとてもヨーロッパの10%以上の差には及ばない。

 この2%の差で、果たして「最善の結果」、あるいは「大変高い評価」と胸を張ることができるのだろうか。 

 もし標準消費税率をもっと上げなければ、軽減税率との差を大きくできないと言うなら、標準税率を上げて、軽減税率を大きく下げなければ、軽減税率の主目的である真の低所得者対策とはならないはずである。

 ところが、軽減税率8%では低所得者対策として中途半端な決定であるにも関わらず、安倍晋三は「最善の結果」と言うことができ、菅義偉は「大変高い評価を頂いている」と言うことができる。

 中途半端なのは12月11日(2015年)から13日迄行った「NHK世論調査」が証明してくれる。

 軽減税率8%に関しては「賛成」38%、「反対」22%、「どちらともいえない」33%となっていて、賛成が上回っているが、消費税税率の予定どおりの再来年4月10%引き上げへの賛否に関しては「賛成」28%、「反対」43%、「どちらともいえない」27%となっていて、肝心の10%への増税が既に既定路線となっているにも関わらず反対が半数近くの43%も占めているのは、この43%を低所得層を主体とした低中所得層と見ると、既に何日か前から自公で議論されていた軽減税率導入の適用対象品目の範囲と8%の軽減税率に十分に納得していないことが原因だと見なければならず、中途半端と見ているからこそであろう。

 もし納得できる合意内容なら、反対が半数近くも占めないはずだ。

 安倍晋三と菅義偉の発言は中途半端を完全と見せかけるのは国民をバカにする態度でしかない。あるいは完全と思わせるために「最善」だとか「高い評価」といった言葉を弄したのだろうか。

 例え後者であったとしても、国民をバカにしていることに変わりはない。

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「同性愛は異常」の古臭い頭、古臭いなりに古い歴史を少しでも知っていれば、発言自体が異常だと理解できる

2015-12-14 07:52:48 | 政治
 

 
 各記事から纏めてみると、そもそもの発端は11月29日に神奈川県海老名市の71歳の市議が自身のツイッターに「同性愛は異常だ」といった書き込みをして批判を受けたが、その投稿を受けて今度は岐阜県技術検査課の30代の男性主任が「同性愛は異常でしょ。だいたい、何で同性愛者とかは自分の変態的異常性を公表したがるんだ?」などと投稿したことだという。

 この投稿に関して12月10日、岐阜県の県議会で一議員が一般質問した直後に自民党県連の政調会長を務める藤墳(ふじつか)守県議(74)が「同性愛は異常」とヤジを飛ばした。

 つまり藤墳は同じ考えの持ち主として岐阜県職員の肩を持った。

 翌12月11日、藤墳は記者会見を開いて謝罪した。その「動画」「asahi.com」に載っている。文字に起こしてみた。 

 藤墳「やっぱり世の中男と女で成り立っているから、そうなるんで(同性愛は異常ということになるんで)、やっぱり子どもができない結婚というものを社会が認めているということになると、果たして将来どうなるかなあと。

 全部が全部なるとは思わないですけど、そんなに抵抗なしに受け入れられる社会になったときに今でも少子化の問題の中でやっぱりみんなで育てなきゃいかんのやという思いで、こんなことを発言してしまった。

 同性愛そのものを非難するつもりで言ったのではなくて、結婚するも自由、結婚しないも自由、同性愛で結婚するのも自由という世の中が50年、100年あとにどういう結果をもたらすという心配事があります・・・・・」

 そして最後に謝罪したが、国会議員を含めた議員先生方の十八番となっている身の処し方を示した。「間接的に聞いて不快に思われた方も含めてみなさんにお詫びしたい、と思います。与えられ出てきた身ですので、職責をしっかり全うしたい・・・・・」

 この記事や他の記事が伝えている「子どもができない結婚を社会が認めれば世の中どうなるか。子どもを作ることは社会に対する責任だ」という発言は動画の中では見当たらなかった。

 出産は社会に対する責任ではない。この場合の“責任”は「立場上当然負わなければならない任務や義務」を意味する。任務や義務で子どもを産んでどうする。戦前、戦争遂行の兵士の補給と兵士に取られて不足している工場労働者の補充に「産めや増やせ」が国民の国家的任務や義務とされた。

 つまり国家に奉仕する意味での任務・義務とされていた。

 民主主義の世界では国家は個人を出発点として成り立っている。国民主権とはそういうことであろう。

 個人を出発点としない国家ありきの国家への奉仕は個人の否定となる。

 個人を出発点とするということは個人は個人の幸せのために生きることを意味する。個人の幸せが国民の総体的な姿を取ったとき、その国家は優れた国としての地位と名誉を受けることになる。

 国家が幸せでも、国民が幸せとは限らないことは独裁国家が何よりの証明となる。

 個人を出発点とし、個人は個人の幸せのために生きるがゆえに女性は愛している男性の子を産みたい、男性は愛している女性に自分の子を産ませたいと、出産を幸せのための個人の選択とする。

 同性愛は異常だと言うが、同性愛は長い歴史を持って日本の社会に(勿論、外国の社会でも同じだろう)生き続けてきた。

 何十年も前の若い頃、ルイス・フロイス「日本史」の一部を読んだことがあるが、記憶しているところでは信長や秀吉の時代、確か「神の教えに背く行い」として武将たちが小姓に取り立てた少年との衆道を嗜んでいることを記していた。

 〈衆道(しゅどう)とは日本に於ける男性の同性愛関係(男色)の中で、武士同士のものをいう。「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道」(じゃくどう/にゃくどう)〉と、「Wikipedia」には出ている。

 織田信長も小姓の森蘭丸を衆道対象・同性愛対象として寵愛していたと言われている。

 他にも同性愛を示す言葉として「陰間」という言葉もある。

 〈元来は陰間とは歌舞伎における女形(女役)の修行中の舞台に立つことがない(陰の間の)少年を指した。彼らが男性と性的関係を持つことは、女形としての修行の一環と考えられていた。但し女形の男娼は一部であり、今でいう「女装」をしない男性の姿のままの男娼が多くを占めていた。陰間茶屋は当初は芝居小屋と併設されていたが、次第に男色目的に特化して、独立した陰間茶屋が増えていった。

 売色衆道は室町時代後半から始まっていたとされるが、江戸時代に流行し定着した。江戸で特に陰間茶屋が集まっていた場所には、東叡山喜見院の所轄で女色を禁じられた僧侶の多かった本郷の湯島天神門前町や、芝居小屋の多かった日本橋の芳町(葭町)がある。京では宮川町、大坂では道頓堀などが有名だった。江戸においては、上方から下ってきた者が、物腰が柔らかく上品であったため喜ばれた。

 料金は非常に高額で、庶民に手の出せるものではなかった。平賀源内が陰間茶屋や男色案内書とでもいうべく『江戸男色細見-菊の園-」、『男色評判記-男色品定-』を出しており、それによれば一刻(2時間)で1分(4分の1両)、一日買い切りで3両、外に連れ出すときは1両3分~2両がかかった。ちなみに江戸中期における1両は現在の5~10万円相当とされる。

 主な客は金銭に余裕のある武家、商人、僧侶の他、女の場合は御殿女中や富裕な商家などの後家(未亡人)が主だった。

 但し江戸幕府の天保の改革で風俗の取り締まりが行われ、天保13年(1842年)に陰間茶屋は禁止された。〉「Wikipedia」

 中には個人的に見つけて、個人的に付き合う同性同士の恋愛関係もあったはずだ。

 特に有名なのは平賀源内で、「Wikipedia」に〈男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。わけても、二代目瀬川菊之丞(瀬川路考)との仲は有名である。〉との記述がある。

 このように歌舞伎役者の中に同性愛者が多いことを、「Wikipedia」は〈彼らが男性と性的関係を持つことは、女形としての修行の一環と考えられていた。〉と書いているが、中には元々同性愛の傾向があって、人前で女装し、正々堂々と女性の声と女性の仕草ができる女型の世界に憧れて歌舞伎の世界に志願した少年も存在するはずだ。

 そういった若い男性が同性愛嗜好の男性の求めに応じるようになったと言うことでもあるはずだ。

 女性の場合、御殿女中が陰間を利用していたことと、御殿女中同士が同性愛関係を結んでいたことは知られているが、後者は女性のみの世界であることからの止むを得ない選択からの嗜好に限定されるわけではなく、女性だけの世界だから、自身の性的嗜好に応えてくれる女性を見つけたい願望から御殿女中に志願した女性もいるはずで、そういった女性同士が巡り合い、奥御殿の女性だけの世界で密かに同性同士の恋愛関係を主体的選択として育んでいったということも決して否定できない事実と見なければならない。

 例え社会的に少数者であり続けたとしても、このように同性愛は長い歴史を持って日本の社会でも存在し続けてきた。

 このような歴史を少しでも知っていたなら、いくら頭が古臭く出来上がっていても、「同性愛は異常」だなどといった発言こそが異常だということが理解できる。

 江戸時代は性におおらかな時代だと言われているが、少しはそのおおらかさを学ぶべきだろう。学べば古臭い頭も少しは活性化できる。


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何の策も施さずに実態を反映しない政府統計を取り続けていたとは財務省も総務相も厚労省もバカではないのか

2015-12-13 09:12:08 | Weblog


 次の記事、《経済統計「実態反映してない」改善へ議論》NHK NEWS WEB/2015年12月12日 4時31分)がそういったバカではないかの状況を伝えている。

 記事冒頭、〈個人消費や企業の設備投資などの動きを捉える政府の統計が、経済の実態を十分に反映しておらず、改める必要があるとして、統計について審議する内閣府の委員会〉が〈改善に向けた議論を始め〉たと解説している。

 理由は複数の統計が実態を十分に反映していないという指摘が強まってきたからだという。

 つまりそういう指摘がちらほら出てきて、次第に多くなってきたということなのか。

 まさか政府に都合の悪い統計が多いから、少しでも都合のいい統計に持っていきたいという衝動からの指摘ではあるまいと思うが、安倍晋三の給与の低い非正規雇用の増加には触れずに雇用が増えた、雇用が増えたと自身に都合よく解釈した統計を吹聴するご都合主義の性癖からの何らかの圧力があってということも考えられないでもない。

 上記指摘から、統計について審議する内閣府の統計委員会が12月11日から3つの統計を対象に改善に向けた議論を始めましたという。

 3つとは――

 総務省の「家計調査」
 厚生労働省の「毎月勤労統計」
 財務省の「法人企業統計」

 「家計調査」とは国民生活の実態を知るため,家計の収入と支出の大きさと内容について毎月行われる実態調査だとネットに出ている。

 「毎月勤労統計」とは賃金、労働時間及び雇用の変動を明らかにすることを目的とした調査だと同じくネットに出ている。

 「法人企業統計」とは金融・保険業を除く営利法人の財務状況について調査した統計で、企業活動の実態の把握に用いられる統計だと同じくネット。

 なぜ実態を十分に反映していないことになるのか、その原因を「毎月勤労統計」と「法人企業統計」に関しては調査対象を入れ替えるごとにデータのズレが生じるからだとしている。

 これはごくごく当然のことだろう。調査対象毎に各家庭の収入の額や支出の額と支出項目が違ってくるだろうし、企業の財務状況にしても調査対象が違えば、財務の内容が違ってきて、答とする統計値も違ってくる。

 だからと言って、調査対象を一定化すると、全体の趨勢を反映しないことになる。

 総務省が行っている「家計調査」の場合は調査対象が高齢者に偏っていることからの見直しだそうだ。

 高齢者を主体とした家計調査を国民全体に関する個人消費の動向を示す統計としてきたことになる。バカじゃないの。 

 調査対象を入れ替えるごとにデータのズレが生じるということなら、それは当然の事態なのだから、当然な事態として、このことを計算に入れて、年代別や収入別、職業別、業種別、資本金別等々、それぞれ個別毎に調査対象を幅広く複数求めると同時にそれぞれの調査対象を固定化することで、調査対象毎の個別的な統一的傾向を求めるた上で、そのような調査対象毎の個別的統一的傾向から全体的傾向を近似値となる数値を弾き出して全体的な統一的統計とする以外に方法はないのではないだろうか。

 それがどうしても弾き出すことができないということなら、調査対象毎の統計を提示するしかない。

 「家計調査」で言えば、調査対象を入れ替えるにしても収入別・年代別・家族数別・職業別の各個別毎の範囲に限って行い、個別毎の統計を提示する。

 そうするしか、より正確な統計は出てこないはずだ。

 そうすれば、我々国民は年収1千万以上で家族何人で職業が何の場合はこういった家計をしているのだな、800万から1千万の収入の場合はこういった家計なのだなと調査対象毎の平均のより正確な統計を知ることができる。

 いずれにしても我々国民は国の機関から実態を反映していない統計を実態を反映した統計としてこれまで見せられてきた。詐欺ではないか。

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安倍晋三が被災地の復興・再建を確実な実態として見せてきた数々の発言のメッキが剥がれつつある

2015-12-12 10:36:15 | Weblog


 2011年3月11日発災から4年3カ月後の2015年6月に東北経済産業局が被災企業の再建支援目的の「グループ補助金」受領企業を対象に行ったアンケート結果を2015年12月11日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 この調査は毎年行っているものだそうだが、但しこの記事には回答事業者数のみが記載されていて、いくつの事業者にアンケートを行ったのかは出ていない。この記事を水先案内として東北経済産業局のサイトにアクセスしてみた。

 『第5回グループ補助金(中小企業等グループ施設等復旧整備補助金)交付先アンケート調査』(東北経済産業局/平成27年6月実施) 

 アンケート依頼は平成23~26年度グループ補助金交付先8569事業者。回答事業者は6097社(71.2%の回答率)。

 かなりの回答率だから、「グループ補助金」を受けて再建を図った企業の復興に関わる最新の進捗状況が把握できることになる。

 東北経済産業局の記事から業種別の内訳を見てみる。

 卸小売・サービス業の事業者―36.4%
 製造業―19.0%
 建設業―13.6%
 
 この3業種で70.3%

 資本金区分別事業者割合

 5千万円~1千万円未満―34.3%
 個人事業主――22.6%
 500万円~300万円未満―16.2%

 この3区分で73.1%

 資本金3億円以下からが中小企業の分類だから、資本金が5千万円以下から300万未満以上+個人事業主と言うことなら、対象事業者は従業員も含めて一般的な生活者により近い存在か一般的生活者そのものと言うことができるだろうから、アンケート結果は社会の中間以下の生活実態もを反映していることになるはずだ。

 調査結果は「NHK NEWS WEB」記事の画像を少し加工して載せておいたが、一応文字で書き入れておく。

 「震災直前の水準以上に売り上げが回復した」と答えた企業は44.8%(昨年比+4.6ポイント)
 「売り上げが震災直前の半分以下」と答えた企業は30.8%(昨年比+6.5ポイント)

 回復した企業

 建設業75.8%
 運送業52.9%
 製造業43.9%

 建設業が75.8%も占めているのは復興特需に関係しているからであり、運送業も使用していた機械類の新しい工場への運搬や、古い機械が使えなくなって新しい機械の搬入等、復興特需に関わっている側面を考えることができる。

 となると、製造業の43.9%も、復興特需の恩恵の影響も無視できないはずだ。

 半分以下の企業

 卸小売・サービス業37.8%
 水産・食品加工業34%

 復興特需に左程関与できる業種には見えない。

 となると、復興特需の恩恵を受けることができたかどうかが明暗を分けたと見ることができる。
 
 東北経済産業局「復興需要の減少などで競争が激しくなるなか、業績の二極化傾向が鮮明になっている。販路の開拓など長期的な課題への支援を続けたい」

 「復興需要の減少」と言っているが、減少にも関わらず「震災直前の水準以上に売り上げが回復した」と答えた企業が44.8%、約半数も存在する。例え復興需要が減少していたとしても、特需の恩恵を受けて再建のレールに乗れたかどうかが再建ができたか、できなかったかを分けているように見える。

 石原慎士石巻専修大学教授「業績が伸び悩んでいる企業は生産設備などの復旧に時間がかかっている間に販路を奪われたケースが多く、復旧までのスピードが影響しているみられる。二極化が進むと売り上げが減少した企業の雇用にも影響し、結果として地域から人口が流出してさらに復興が遅れてしまうおそれもある」――

 業績の伸び悩みは「生産設備などの復旧に時間がかかっ」たことが原因だとしているが、だとすると、事業者が復旧整備補助金を有効に活用する能力がなかったのか、あるいは補助金が少な過ぎたり、支払いが遅かったりして有効に活用できる状況になかったのか、そういったことが理由となって、「復興需要の減少」云々はやはりさして関係ないことになる。

 石原教授は人口流出等を原因とした雇用の影響に触れているが、上記東北経済産業局のページに雇用についての分析が載っている。

 〈雇用の動き

 震災直前と現在の雇用を比較すると、東北地域においては、55.2%の事業者が震災直前の水準以上まで雇用が回復しており、44.8%の事業者は雇用が減少していると回答している。

 業種別に見ると、震災直前の水準以上まで雇用が回復していると回答した割合が最も高いのは建設業(67.7%)であり、次いで卸小売・サービス業(58.7%)となっている。

 一方、震災直前の水準以上まで雇用が回復していると回答した割合が最も低いのは水産・食品加工業(37.0%)であり、次いで旅館・ホテル業(45.8%)となっている(その他を除く)。〉――

 震災直前の水準以上まで雇用が回復していると言っても、半数を少し超えた55.2%に過ぎない。しかも雇用減少の事業者が44.8%と半数に迫っている。
 
 大体がいつかは幕を閉じることになる復興特需頼み・復興需要頼みをいつまでも続けることはできないことは前以て分かっていて、そこからの自立やそれらに頼らない自立があってこそ真の再建と言うことができるはずだが、東北経済産業局は「復興需要の減少などで競争が激しくなるなか、業績の二極化傾向が鮮明になっている」などと、復興需要を起爆剤扱いとした再建としているから、こういった発言になるし、起爆剤に乗れた業種だけが再建を果たし、復興特需に無関係な位置にいて起爆剤とすることのできない業種が再建に遅れを取る二極化が起こることになる。

 ここに問題の根があるはずだ。

 逆説するなら、安倍政権の被災地の復興政策が全体的に見ると、復興特需頼み・復興需要頼みとなっていたということであるはずだ。

 2014年12月1日、衆院選挙公示日を明日に控えて日本記者クラブで午後1時から8党首による党首討論が行われた。一度ブログに取り上げた遣り取りだが、1年後の、復興がどの程度進んでいるか見るために再度取り上げてみる。

 星浩朝日新聞社特別編集委員「小沢さんにお伺いします。被災地の出身でありますが、3年半以上、4年近く経とうとしております。この間のですね、対策に対しての住民の方々からも苛立ちと言うか、不満も出ております。ご覧になってですね、欠けている点。その原因は一体小沢さんの見方を聞きたいと思います」

 小沢生活の党代表「ハイ、あのー、根本的には私ども統治機構の大改革、行政の大改革ということを主張しておりますけども、これが本質的な原因だと私は思っています。と言いますのは、結局、復興庁なんかもつくりましたけれども、窓口が二つできただけで、あとは所管官庁がみなそれぞれ、建設だの色々なことをやって、今までと何も変わっていないわけですね。

 ですから、地元の意見としては、本当に自由に、自主的に使えるお金を交付して貰えるならば、地元の色んな事情。岩手県と宮城県と福島県、それは違うわけですから。あるいは各町村によっても違うわけです。

 そういう自主的な財源をきちんと交付して貰えば、もっともっと知恵を活かし、効率的にやることができるという声が強いんです。ですから私どもの主張する統治機構の大改革ちうのは、大変な難問題ですから、すぐにできるとは思っていませんが、せめてこの震災の特別な機関(期間?)だけでもそういう自主財源として、地元に交付して、あなたたちの知恵を出して工夫をしていい街づくりをやってくれというような今のタテ割りの官庁の補助金を中心とした、この遣り方をやめて、復興に当たらせたら、もっともっといい、素早く、そしていい街作りが可能になったと思っております。そこはちょっと私は残念だと思います」

 小沢氏の主張は被災地それぞれ事情や条件が違うのだから、カネ・政策共に地方の創意工夫に任せて欲しいということであり、現在安倍晋三が言っている地方創生に相当する。

 一問一答形式だから、この遣り取りはこれで終わりだが、安倍晋三が橋本五郎読売新聞特別編集委員の質問に答えてから、小沢氏の主張に間接的に答える形で復興について言及している。

 安倍晋三「復興について一言言わせて頂きたいんですが、我々が政権に復帰した際はですね、例えば、高台移転や公営災害住宅、全く計画すらなかったんですが、全ての計画をつくりました。

 それはタテ割りを廃して、現場主義を徹底したからであります。今、えー、高台移転、95パーセントで着工してます。計画は全部できました。そして、えー、災害公営住宅も90パーセント、約90パーセント着工しています。

 そして、仕事、生業(なりわい)についても、間違いなく、ま、進んでるわけでありまして、私も毎月被災地を訪問しておりますが、2年前と比べてですね、何もなかったところにやっと槌音が聞こえて、仕事ができ、段々笑顔と希望が戻ってきたのは間違いありませんが、ただですね、ただ、同時にですね、まだまだこの復興は道半ばであることは事実でありますし、20万人以上の方々がですね、困難な生活を余儀なくされていますから、しっかりとですね、そういうものも私は進めていきたい、こう思っております。ま、私も復興についてもですね、もっとここで議論すべきではないかなあと、このように思います」――

 かつてのブログに次のように書いた。〈東日本大震災が発災したのは民主党政権が2009年9月16日発足から1年半後の2011年3月11日のことで、それから2012年12月26日に自民党政権に変わるまでの約1年9カ月は岩手県で平年の11年分、宮城県は19年分のゴミに相当する瓦礫処理、そして仮設住宅建設、さらに道路復旧等のインフラ整備に自治体共々に手一杯であったのであり、高台移転や公営災害住宅に取りかかる時間と人員を欠いていた。それが実情であ〉り、〈安倍政権は民主党政権によって建物やインフラ、生活等々の破壊状況に一応の整理がついた有利な場所から引き継いだのである。〉と。

 それを民主党政権は復興に手付かずであったかのように言う。盗っ人猛々しいとはこのことだろう。

 いずれにしても安倍晋三は、「復興は道半ばであることは事実であります」と言いながらも、「タテ割りを廃して、現場主義を徹底した」ことが復興の万能を保証するかのように言い、「仕事、生業(なりわい)についても、間違いなく、ま、進んでるわけでありまして、私も毎月被災地を訪問しておりますが、2年前と比べてですね、何もなかったところにやっと槌音が聞こえて、仕事ができ、段々笑顔と希望が戻ってきたのは間違いありません」と復興の確かな進捗を描いて見せている。

 だが、この党首討論から1年、東北経済産業局のアンケート調査によると、復興特需・復興需要に乗って再建ができた事業者とそれらを無縁として再建が遅れている事業者の二極化の状況に見舞われている。

 震災4年目の2015年3月11日を明日に控えて3月10日官邸で記者会見して、安倍晋三は「住まいの再建は、この春までに1万戸の公営住宅が完成し、随時、避難していた皆さんの入居が始まっています。これからの1年で更に1万戸の完成を目指します。高台移転も加速し、来年3月までに全部で1万戸分の宅地を整備してまいります。

 津波で大きな被害を受けた1万8千隻に及ぶ漁船の復旧が完了し、水産加工施設はその8割で業務を再開しています。

 今年は震災前の7割を超える農地で作付けが行われる予定です」と、復興・再建を確実な実態として見せている。

 しかし、アベノミクスの恩恵の多くが高額所得層に偏り、中低所得層には僅かしか殆ど届かない二極化を辿って格差拡大を加速させているように被災地の復興・再建にしても二極化の状況を発生させていて、当然、それは格差拡大に繋がることになる。

 こういった状況は安倍晋三がこれまで被災地の復興に関して口にしてきた景気のいい話のメッキが剥がれつつあることの証明としかならないはずだ。今後益々メッキが剥がれていくだろう。

 東北経済産業局のアンケート調査は風評被害についても触れている。

 〈現在の売上げ状況が震災直前の水準まで回復していないと回答した事業者のうち、東北地域においては33.7%が「既存顧客の喪失」を要因として挙げている。

 業種別に見ると、卸小売・サービス業(40.5%)など多くの業種で「既存顧客の喪失」と回答した割合が最も高いが、旅館・ホテル業では「風評被害」が最も高い(31.2%)。(その他を除く)〉・・・・・・・・

 安倍晋三は合計で20回以上となる被災地訪問を毎月のようにを行い、その多くで風評被害の払拭を目的として被災地産の海産物や農産物の試食をパフォーマンスとして繰返しているが、4年9カ月経過しても風評被害が収まらないのはパフォーマンスにしてもメッキが剥がれかかっていることを物語っているはずだ。

 安倍晋三という政治家自体がメッキそのものであることを証明する日もそう遠くないに違いない。

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