日韓慰安婦問題合意は安倍晋三が岸田を背後から操り韓国にペテンを仕掛け、韓国がそれにまんまとはまった

2015-12-29 09:13:47 | Weblog


 日本の外相岸田文雄とユン韓国外相が2015年12月28日、韓国ソウルで両国間に横たわっていた従軍慰安婦問題で会談し、合意に至ったとマスコミ各紙が報道した。

 外相会談で合意したことを共同記者発表(外務省HP/2015年12月28日)から見てみる。日韓間で対立した問題点の一つとなっていた女性を従軍慰安婦に仕立てていった事例に日本軍の関与があったかどうかについて言及した個所のみを抜粋する。 

〈1 岸田外務大臣

 (1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。

 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。〉――

 〈慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。〉との言葉は一見すると今回初めて日本軍の強制連行と強制売春を事実認定し、この点について同じく初めて公式的に日本政府の責任を受容したように見えるが、会談後記者団に語った発言はニュアンスを異にする。

 岸田文雄(日本政府の責任を認めたことについて)「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるということは従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ。これまで責任についての立場は日韓で異なってきたが、今回の合意で終止符を打った」(NHK NEWS WEB/2015年12月28日 17時31分)  

 「従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ」と言って、安倍内閣として今回初めての事実認定でもなく、初めての公式的な責任の受容でもないことを明らかにしている。

 従軍慰安婦問題に関して安倍内閣が「従来から表明し」、「歴代内閣の立場を踏まえ」てきた歴史認識は「河野談話」以外にない。

 今年2015年1月5日、三重県伊勢市の伊勢神宮参拝後に神宮司庁で年頭記者会見を行った。  

 安倍晋三「従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いでまいります」

 「村山談話を含め」と言って、安倍内閣として「河野談話」をも継承している「歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と言っている。

 2014年3月14日参議院予算委員会。

 有村治子自民党議員「河野談話の内容、かなり強い表現が河野談話には出てくるわけですが、その内容の一つ一つを歴史的事実として安倍内閣、受け止めていらっしゃるのでしょうか、お答えくださいませ」

 安倍晋三「 歴史認識につきましては、戦後五十周年の機会には村山談話、六十周年の機会には小泉談話が出されています。安倍内閣としては、これらの談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。

 慰安婦問題については、筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛みます。この点についての思いは私も歴代総理と変わりはありません。この問題については、いわゆる河野談話があります。この談話は官房長官の談話ではありますが、菅官房長官が記者会見で述べているとおり、安倍内閣でそれを見直すことは考えていないわけであります」――

 ここで言ったことを2015年1月5日の年頭記者会見で同じ趣旨で繰返したことになる。

 何のことはない、岸田文雄は慰安婦問題合意の「共同記者発表」で歴代内閣が引き継いでいて、安倍内閣としてもその立場を全体として引き継いでいる「河野談話」を利用して、そのレベルで日本軍の関与を事実認定し、その関与に対して日本政府の責任を受け容れたことを発表したことになる。

 だから、日本軍の関与を事実認定する発言個所が「河野談話」の文言と重なることになったのだろう。「河野談話」から日本軍関与の個所のみを抜粋する。その個所に文飾を施した。

 《河野内閣官房長官談話》(外務省HP/1993年〈平成5年〉8月4日)  

 〈慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。〉――

 文飾を施した、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」〉と同じ言葉を岸田文雄は「共同記者発表」で使っている。

 少し前の所で〈「河野談話」を利用して、そのレベルで日本軍の関与を事実認定し〉と書いたが、〈そのレベルで〉と書いた意味はご存知のように安倍晋三自身は「河野談話」を否定しているからである。

 「河野談話」を否定していながら、「河野談話」を安倍内閣として引き継ぐといったレベルの日本軍の関与と日本政府の責任を認めた、その程度の日韓従軍慰安婦問題合意でしかないということである。

 安倍晋三の「河野談話」否定発言を改めて見てみる。

 《衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書》(平成19年3月16日閣議決定)(抜粋)   

 2007年3月8日提出の〈安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書〉に対して安倍内閣は2007年3月16日の答弁書で、〈お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉

 〈官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。

 政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。〉と答えている。

 要するに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として、「河野談話」が認めた「軍の要請を受けた業者」が「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」に「官憲等が直接これに加担した」事実・強制性を否定している上に、「河野談話」は閣議決定されていないとして政府非公式の歴史認識に格下げし、この答弁書を閣議決定された政府公式の歴史認識だとの位置づけを行っている。

 このような取扱いが2012年9月16日の自民党総裁選討論会での安倍晋三の発言にそのまま現れているのだろう。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 閣議決定は内閣としての公式の行事であるから、2012年9月16日当時、安倍晋三が一議員の身分に過ぎなくても、2007年の答弁書を政府公式の決定だとしていることを前提にしていることになる。

 そのことを前提に「河野談話」は答弁書の閣議決定によって「修正したことをもう一度確定する必要がある」と、ここでも政府公式の歴史認識から外すことで「河野談話」そのものを否定している。

 このように「河野談話」を否定していながら、従軍慰安婦問題を協議する日韓外相会談で体よく「河野談話」を利用、改めて安倍内閣として引き継いでいくという形を取った日本軍の関与と日本政府の責任を認めることを問題解決の日本側の条件とし、韓国側も受け入れて、両者の合意とした。

 いわば安倍晋三が岸田文雄を背後から操って韓国にペテンを仕掛け、韓国側がそのペテンにまんまとはまった。安倍晋三のペテンの勝利である。

 但し並大抵な勝利ではない。この合意を村山富市が素直に歓迎し、アメリカ政府も支持・歓迎、米紙ワシントン・ポスを始め、米紙ニューヨーク・タイムズ米紙ウォール・ストリート・ジャーナル等が「歴史的合意」などと評価している。メデタイことである。

 安倍晋三の一国の指導者としての株が上がるだろうから、大勝利も大勝利、安倍晋三のペテン、侮り難しである。

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