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安倍晋三、罰当たりにも消費税増税を冗談のネタにして茶化している

2014-02-08 09:06:26 | Weblog



 インターネット上を時間潰しの散策をしていたら、作詞家の秋元康氏と安倍晋三の新春対談中の発言を取り上げて批判するブログに出会った。元記事にリンクが張ってあるから、アクセスしてみた。当のブログ記事とは違った視点で早速批判することにした。

 《【新春対談】安倍晋三首相×作詞家・秋元康氏(2)五輪契機に日本担う自覚を》MSN産経/2014.1.1 20:31)  

 秋元康「新しいものを生むときは予定調和を壊さなきゃいけない。壊すときには、違う目がすごく必要で、女性に着目したのはいいですね。当たり前のことなんですけどね、女性の進出は。でも、わざと声高に言うことは重要です。

 リニア新幹線にしても有言実行だと思いますね。言霊(ことだま)ではないですが、言うことで何か力を持つのではないかと。何か言うと責任を取らされるので、難しいことは言うまいと思うわけですよね。確実なものにしか言わない時代になったのですが、どこかで無理を超えなければいけない。

 どうなんですか、首相は。政治家としては有言実行は大変ですよね。不言実行なら、後で「ああ、すごいな、安倍さんは」となるけれども。

  安倍晋三「一般的に不言実行は美徳ですが、政治の世界は『言わなかったことをやるなよ』となりますから(笑)。民主党政権は不言実行でね。消費税を上げないと言って上げました」――

 確かに民主党政権は消費税を上げないと言って上げて支持率を失った。衆院議員任期4年後の増税であっても、マニフェスト違反にもならず、よかったはずだが、タイミングを間違えて消費税増税法案を通して、その代償として政権を失った。

 だが、野田民主党政権は先進国最悪の赤字財政再建には消費税増税を待ったなしで必要と考えたからだろう。

 先進国最悪の巨額の財政赤字を延々・着実無策に積み上げてきたのは戦後ほぼ一党独裁状態で政権を担ってきた自民党政権である。自民党政権下での二度の消費税増税でも焼け石に水で財政再建は追いつかなかった。さらなる消費税増税を必要とする財政環境をつくったのは自民党政権である。

 それらのツケが今回の消費税増税であり、自民党も賛成票を投じたことによって民主党政権の「不言実行」とは一蓮托生の関係にある。

 いわば安倍晋三が一般的な美徳に反すると批判した民主党政権の「消費税を上げないと言って上げ」た「不言実行」に自民党は手を貸し、「不言実行」を完遂させた立場にある。

 「不言実行」という諺を逆手に取って、民主党政権の「不言実行」を笑う資格がどこにあるだろうか。

 一国の首相でありながら、物事を深く考える頭がないから、冗談のネタにして茶化すことができる。罰当たりとしか言いようがない。

 罰当たりなのは民主党政権を嘲笑ったことだけではない。消費税増税に対して生活への不安を抱えている国民がどれ程いるのか、そのことが頭にあったなら、消費税増税に関してどのようなものであっても、冗談を言って茶化すことはできなかったろう。

 安倍政権は消費税増税時、生活困窮者に対して1万円程度の現金支給を方針としているが、支給された1万円の現金から日々消費税を支払っている計算となって生活費自体の余分な支払いは差引きゼロとなったとしても、元々の生活困窮者で少ない生活費を遣り繰りしてきた状況は続くことになって、長年余儀なくされてきた苦しい切り詰めた生活自体の経済的な抑圧に変化を与える1万円とはならないはずである。

 いわば生活困窮者にとって消費税増税に対して1万円現金支給で片付く消費税増税問題ではないということである。

 1月27日(2014年)放送のNHKクローズアップ現代「あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~」が、現在20代のシングルマザーのうち、約80%が年収114万円未満の貧困状態に置かれていて、中には幾つものパートの仕事を掛け持ちしていて、体力的にも困難な生活を余儀なくされていると伝えていた。

 1月31日総務省発表の2013年平均の労働力調査(基本集計)は 雇用者全体に占めるパートやアルバイトなどの非正規労働者の割合は前年比1・4ポイント93万人増の1906万人、過去最高の36・6%となったとマスコミが伝えていた。

 また、厚生労働省が昨年11月の生活保護受給者、生活保護受給世帯共に2カ月連続で過去最多を更新したとする発表をマスコミは伝えていた。

 企業が戦後最高益だ、過去最高益だといった儲けを手に入れる代償として雇用者の多くを不安定な非正規雇用の地位に陥れて人件費を削る倒錯した社会を、特に自民党政治がつくり出してきた。

 安倍晋三が消費税増税を冗談のネタにして民主党政権を茶化すことができたなのは、消費税が増税することになったとしても生活に何ら困らない生活余裕者の立場にいるからだろう。

 逆であるなら、生活困窮者に対する同情を持ち得たはずで、消費税を冗談のネタにしたどのような茶化しもできなかったはずだ。

 国家優先・国民従属の国家主義者だから当然ではあるが、安倍晋三は富裕層の気持は理解できても、生活困窮者の気持は理解していない不誠実な政治家だということである。

 安倍晋三が唱えている「女性の社会進出」にしても、秋元康は「女性に着目したのはいいですね」と持ち上げているが、国際機関「世界経済フォーラム」が去年発表した、 政界や経済界に於ける男女間の地位格差調査によると、日本は136カ国中105位という名誉を得ている。

 NHKの報道からの引用だが、勿論、NHKがその順位を名誉だとは表現していない。女性の研究者の割合は去年の時点で14%とアメリカやイギリスの半分にも満たないとも伝えている。

 このような男女格差状況を戦後一貫してつくり上げてきた。特に自民党政治の責任は重いはずだ。それが今になって安倍晋三は「女性の社会進出」を唱えているが、あくまでも経済向上の観点からの社会進出であって、女性の地位そのものの向上――厳格な男女平等を目指しているわけではない。

 なぜなら、今以て伝統的家族制度の中に女性を閉じ込めようとしているからだ。伝統的な家族制度は男性を上に置き、女性を下に置く男女格差で成り立っている。安倍晋三が夫婦別姓に反対する理由はここにある。夫婦別姓は男女平等の大いなる象徴の一つとなるからだ。

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ローザンヌ国際バレエコンクール日本人優勝を「日本人が持つポテンシャルの開花」とすることの危険性

2014-02-07 09:19:51 | Weblog



 2月1日(2014年)のローザンヌ国際バレエコンクール最終選考で長野県松本市の高校2年の男子が優勝、2位に横浜市の高校1年の15歳女子、6位に18歳の日本人女子が入賞し、話題となった。

 5年前の1989年にこのコンクールで日本人で初めて当時の最優秀賞に当たる金賞を受賞したバレエダンサーの熊川哲也氏が次のようなコメントを発表している。

 熊川哲也氏コメント 「日本人が持つポテンシャルが開花されたことを心よりうれしく思うとともに、日本が文化先進国であることが証明され、爽快な気分です」 (NHK NEWS WEB)――

 ご存知のように「ポテンシャル」 とは「資質、潜在能力」等を指す。要するに熊川氏は優秀な成績は「日本人が持つ資質、潜在能力」の「開花」だと言ったことになる。

 「日本人が持つポテンシャルが開花」と言うとき、その「ポテンシャル」(=資質、潜在能力等)は極めて優秀であることを意味になる。

 また、「日本人が持つ」 と言う以上、日本人全体が、いわば日本人そのものが等しく持つ固有の優秀な「ポテンシャル」(=資質、潜在能力等)という意味を成すことになる。要するにロー ザンヌ国際バレエコンクールでの若き日本人たちの優秀な成績は日本人そのものが本来的に等しく持つ固有で優秀な資質、潜在能力の開花によってもたらされたということになる。

 果して日本人全体が全体として等しく持つ固有のポテンシャル、 いわば資質、潜在能力というものは存在するのだろうか。もし存在するとしたら、本来的に素地を備えていることになって、その素地を、花の種を植えて水と肥料をやれば花を咲かせることができるように単に花開かせたなら実体化するのだから、それが他者の力を借りたものであっても、自力からのものであっても、殆どの日本人が自身が目指す分野に於いて優れたポテンシャル(=資質、潜在能力等)を等しく発揮することになる。

 いわば開花は日本人全体が固有の資質、潜在能力として本来的に等しく優秀な素地としている以上、確率の高い必然性を抱えることになる。必然性から外れるのはごくごく少数であろう。

 その第1番に挙げなければならないのは私自身だが、2013年の日本の労働力人口は6577万人。6577万人が日本人が全体として持つ固有の優秀な資質、潜在能力をほぼ等しく発揮したなら、文化や政治を含めた物凄い労働力の爆発となって現れるはずである。

 だが、《日本の生産性の動向 2012年版》(日本生産性本部)によると、2011年の日本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は、73,374ドル(784万円/購買力平価換算)でOECD加盟34カ国中第19位となっている。

 〈労働生産性が最も高かったのは、ルクセンブルク(126,121ドル/1,347万円)。第2位はノルウェーの120,456ドル(1,287万円)、第 3位は米国の106,170ドル(1,134万円)であった。日本の労働生産性をOECD加盟諸国と比較すると、ギリシャ(73,291ドル/第20位) やイスラエル(73,057ドル/第21位)といった国を上回るものの、英国(76,683ドル/819万円)を若干下回る水準であり、米国 (106,170ドル/第3位)の約7割の水準となっている。

 また、就業1時間当たりでみると、日本の労働生産性は41.6ドル(4,442円)、OECD加盟34カ国中第19位であった。カナダ(46.2ドル)やイタリア(45.6ドル)、アイスランド(39.5ドル)といった国とほぼ同じ水準となっている。〉――

 日本人全体が日本人固有のものとしての優秀な「ポテンシャル」 (=資質、潜在能力等)を等しく持っているとしたなら、2011年の日本の労働生産性が米国の約7割の水準ということはどういうことなのだろうか。

 先進国中、GDP比で最悪の財政赤字を抱えているということも、日本人の優秀なポテンシャルの実態に合わないことになる。

 答は唯一つ、熊川哲也氏が言っていることは間違っている、あるいは幻想でしかないということになる。日本人全体が日本人固有のものとしての本来的に優れた「ポテンシャル」 (=資質、潜在能力等)を等しく持っているとするのは合理的な判断を欠いた独善的な思い過ごしに過ぎないということである。

 熊川哲也氏は個人によってそれぞれに違いのある、ときには生来的に恵まれない場合もある能力や才能、想像性(創造性)といった個人性を一切無視している。その個人性を開花するためには、生得的な才能・能力だけではなく、後天的に努力と経験を通じて獲ち取っていく能力や才能の積み重ね、想像性(創造性)の豊かな活性化といった個人それぞれの関わりを抜かすことはできないはずだ。

 いわばローザンヌ国際バレエコンクール最終選考で優秀な成績を収めた日本人が複数出たことは偶然で、優秀な成績を収めたこと自体は極めて個人的な「ポテンシャル」 (=資質、潜在能力等)の発揮にかかっていたということであろう。

 東京都知事選挙に今回立候補した16人の中最年少35歳のIT会社役員の家入一真氏が立候補している。これまでノートパソコンのカメラ機能を使ってインターネットを通じて対面方式で若者に自身の政策を訴えていたが、2月1日、若者が集まる渋谷ハチ公前で初めての街頭演説を行ったと「MSN産経」が伝えている。

 記事による経歴は、〈2003年にサーバーのレンタルやブログサービスをする「paperboy&co」社創業。2008年、ジャスダックに最年少の29歳で上場。現在は同社社長を退任し、IT関連会社、カフェ運営会社、シェアハウス運営会社などを起業〉となっている。

 この企業は「日本人が持つポテンシャル」の「開花」によるものだろうか。記事による経歴紹介の最初には、〈高校1年時にいじめが原因で中退し、3年間引きこもる。その後、大学入学資格検定試験に合格。〉となっている。

 一般的な経歴ではなく、極めて個人的な経歴であり、当然、その「ポテンシャル」(=資質、潜在能力等)の開花はイジメや引きこもりといった一般的には経験しない個人的で特殊な経験の上に開花させた極々個人的な「ポテンシャル」(=資質、潜在能力等)の開花であるはずである。

 熊川哲也氏が「日本人が持つポテンシャルが開花された」と、さも日本人全体が等しく持つ固有の「ポテンシャル」 (=資質、潜在能力等)であるかのように独善的に思い過ごし、それで終わるなら一向に構わないが、多くの日本人がその言葉を信じて、日本人そのものが優秀な「ポテンシャル」(=資質、潜在能力等)に恵まれた国民・人種だという思いを刷り込むことになった場合、その刷り込みは日本人優越意識へと否応もなしに直結していくことになる。

 ローザンヌ国際バレエコンクール最終選考での日本人ダンサーの優秀な成績を「日本人が持つポテンシャルが開花された」とすることの危険性がここにある。

 日本人そのものが優秀だからではなく、個人の才能や能力、あるいは努力や経験とそれらによって培うこととなる想像性(創造性)等を含めた総合的な資質が開花した成果だとしたとき、日本人優越意識への危険な道のりに向かうことを免れることができる。

 尤も日本人優越意識に囚われている安倍晋三には嬉しい言葉となるはずだ。

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NHK経営委員百田尚樹の余りにも粗雑な歴史認識と同じNHK経営委員長谷川三千子の独善的考察

2014-02-06 10:20:42 | Weblog




      《生活の党PR》

      《『平成25年度補正予算3案、畑浩治総合政策会議議長が反対討論』》

      一昨日2月4日、平成25年度補正予算3案が衆議院本会議に緊急上程され、 生活の党を代表して畑浩治総合政策会議議長が反対の立場から討論しました。 反対討論全文は党ホームページからご
      覧いただけます。是非ご一読ください。

 NHK経営委員の一人である百田尚樹が、あの戦前日本の太平洋戦争を大東亜戦争と呼び、「聖戦であった」とする歴史認識に立つ田母神俊雄立候補者を応援する2月3日の街頭演説で、田母神と似たり寄ったりの歴史認識を披露したという。その発言要旨を「時事ドットコム」が伝えている。

 《百田氏発言要旨》/2014/02 /04-14:57)

 百田尚樹(第2次世界大戦で)日本は戦争に負け、連合国軍総司令部 (GHQ)が当時の日本人に何をしたか。徹底した自虐思想を植え付けた。「日本人、おまえたちが悪いことをしたんだよ」 と植え付けた。なぜか。極東国際軍事裁判(東京裁判)のせいだ。東京の惨状、広島、長崎の 悲惨な状況を見て、恐らくやり過ぎたと思ったんだろう。これほど悲惨な戦争犯罪はない。一 般の無辜(むこ)の民を何十万人虐殺した。

 東京も4度の大空襲に 遭った。これほど悲惨な戦争犯罪はあるかという残虐な行為だった。広島と長崎の原爆もそうだ。完全に人体実験だ。広島、長崎に一般爆弾を落とさなかった。(米軍は)原爆の威力を見たかった。これは大虐殺だ。

 東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった。1938年に蒋介石が「日本軍が南京大虐殺をした」とやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったから だ。戦後、東京裁判で突然、亡霊のごとく南京大虐殺が出てきた。米軍が自分たちの罪を相殺するためだ。東京大空襲、原爆投下は、米軍が悪いのではな い。おまえたちが悪いことをしたから、こうなったんだという ことで、米軍が持ってきたのが南京大虐殺だった。(被害者は)最初は20万人だったが少ないと言うことで、30万人に した。とんでもない話だ。

 確かに戦争だから残虐行為はあった。日本軍も残虐なことをした。でも、これは米軍もしたし、ソ連人もしたし、中国人もした。どこの国もした。これは歴史の裏面、黒い面だ。 

 先ず論理構成を見てみる。

 発言の前半と中間で、連合軍は日本に対する戦争で「悲惨な戦争犯罪」、「大虐殺」を行った。だが、遣り過ぎたと思って、それをゴマカスために「お前たちが悪かったんだよ」という自虐史観を植え付けて、「自分たちの罪を相殺」し、すり替えた。その口実に、いわば日本軍の悪の象徴として「南京大虐殺」という虚偽の事実を持ってきたとの論理展開となっている。

 そして最後になって、いわば散々に連合軍の悪を並べたあとになって、「日本軍も残虐なことをした」が、連合軍、その他もしたことでと相対化し、日本軍の罪を希釈する、公平とは言えない自己都合な論理展開の主張となっている。

 「日本軍も残虐なことをした」なら、最初から日本軍の残虐行為と連合軍の残虐行為を並べて、どちらがより残虐であったか比較し、論ずるすべきだが、そうはせずに最後になって付け加えたのは、連合軍だけの残虐行為を並べ立てたのでは歴史認識として都合が悪いと思ったからだろう。

  だが、実際の思いは連合軍を悪と位置づけ、日本を善と位置づけたいがために「日本軍も残虐なことをした」と言いながら、言っていることに反して事実は事実として日本軍の残虐行為については具体的な事実を伝えることはしない抽象的な物言いで片付けて、「これは歴史の裏面、黒い面だ」と相対化する必要が生じた。

 発言の全体的な趣旨から見ても、連合軍の「悲惨な戦争犯罪」、「大虐殺」だけを浮き立たせる論理展開となっていて、そのために「日本軍も残虐なことをした」という言葉自体を弱める作用が働くことになり、そのような作用を持たせていることが自体が「日本軍も残虐なことをした」という言葉が取ってつけた言葉でしかないことを証明することになっている。

 百田尚樹が「連合国軍総司令部 (GHQ)が当時の日本人に何をしたか。徹底した自虐思想を植え付けた」と言っていことに特に象徴することができるこの論理展開は、2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に送った安倍晋三のビデオメッセージ「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」の主張と相互対応の関係にある。

 いわば戦前の日本の戦争に関する歴史認識に於いて、安倍晋三と百田尚樹は田母神俊雄も加えて同じ穴のムジナだということである。安倍晋三は自身と同じ穴のムジナの一人をNHK経営委員に送る人事を行った。

 このことも問題だが、百田尚樹の発言自体が、「放送法」「第1章総則」「第1条2項」の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」に反するはずだし、「第2章放送番組の編集等に関する通則」「第4条2項」の「政治的に公平であること」と「3項」の「報道は事実をまげないですること」に反することになるはずだ。

 上記記事は次の発言には触れていないが、街頭演説で述べられたという。 

 百田尚樹「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになっても いい」(毎日jp)――

 確かに「プライベートで誰を応援しようが自由」かもしれない。だが、思想(=歴史認識)は言葉によって表現される。NHKの番組に対して自らの思想(=歴史認識)を反映させた言葉が飛び出さない保証はどこにもない。

 同「毎日jp」は次の発言も伝えている。

 NHK経営委事務局「殆どの経営委員は兼職が認められており、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられない」

 経営委員会の外での発言については問題ではないとしているが、そのことが「個人の思想・信条に基づいた」中での発言が生じない保証とはならないし、生じた場合の問題点についても触れてもいない。

 しかし、NHK経営委員でもあり、高名な作家でもある百田尚樹が粗雑な歴史認識の持ち主であることを正体としていることは大勢の人間に理解できたはずだ。

  哲学者であり、大学名誉教授でもあるという長谷川三千子のマスコミが取り上げている発言前文を次の記事から無断拝借した。

 《長谷川三千子氏の追悼文全文》asahi.com/2014年2月5日21時03分)

 神にささげるお供へもののほとんどすべては、人間がもらつても嬉(うれ)しいものばかりである。上等の御神酒(おみき)は言ふに及ばず、海山の幸やお菓子の類……。或(あ)るとき神社の奉納のお祭りをごく真近(まぢか)で拝見する機会があつたとき、ちやうどお昼を食べそこねて空腹で、目の前を運ばれ ゆくお供物に思はず腹が鳴つて恥ずかしかつた記憶がある。あゝ、さぞや神さまも美味(おい)しく召上るだらうなあ、と思つたものである。

  しかし神にささげることはできても、人間に供することは決してできないものがある。自らの命である。よく陳腐な口説き文句に「君のためには命をささげる」などといふセリフがあるが、言ふ者も聞く者も、そんなセリフを文字通りに信じはしない。もしも本当にさう言つて、女の前で割腹自殺する男がゐたら、(よほどの毒婦でないかぎり)喜ぶ女はゐないであらう。下手をしたら、精神的打撃をかうむつたと言つて遺族に賠償を請求するかも知れない。人間は、人の死をささげられても、受け取ることができないのである。

 人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

  野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に 欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

 「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

 野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。

(仮名遣いは原文のまま)

 「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」とは、その天皇主義には凄いものがあるが、民主主義を信ずる人間から見たなら、何という非科学的な独善性に満ちた言葉だと見るはずである。

 「野村秋介 Wikipedia」に次の解説が載っている。

〈1992年、第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。その際、『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していたイラストレーターの山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。

選挙後、藤本敏夫らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。

翌年の1993年10月20日、東京・築地の朝日新聞東京本社に中江利忠社長の謝罪を受けるために訪れ、社長ら首脳と話し合いの後「天皇弥栄(すめらみこと いやさか)」と三度言い残し、拳銃で自決した。58歳没。

一周忌である1994年10月20日から、野村の命日は『群青忌』(ぐんじょうき)と呼ばれており、命日には毎年、有志らによる追悼集会や講演会などが行われている。〉――

 長谷川三千子が言っている「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えた」とはこのことを言う。

 断っておくが、「日本国民 弥栄」と唱えたわけではない。ここに野村秋介も長谷川三千子も狂信的な天皇主義者であると同時に国家主義者であることの姿を現していることになるが、その点、安倍晋三と同じムジナと言うことができる。

 長谷川三千子は「神にささげることはできても、人間に供することは決して出来ないものがある。自らの命である」と言い、「人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである」と言い、朝日新聞社の人間を指して、「人間が自らの命をもって神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をさ さげたのである」と言っているが、野村秋介は生前、いつの日か神に自らの命を捧げる日に備えて、神との対話を試みる修行を日常普段的に行っていたのだろうか。

 あるいは神との対話を可能とするための思想三昧の生活を送っていたのだろうか。自決すること自体が神への命の捧げとなるわけではあるまい。そうであるとしたら、三島由紀夫の自決も神との対話、自身の命の神への捧げとなる。

 だが、三島は市ヶ谷の防衛庁を訪問、面会した益田総監を人質に取り立て篭ったとき、益田総監に「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。こうするより仕方なかったのです」と話しかけたこと、日本国憲法を改正するために自衛隊に決起を促したことが「Wikipedia」に出ている。

 要するに三島由紀夫は天皇の地位を戦前の大日本帝国憲法が規定する「天皇は陸海軍を統帥す」に戻そうとしたのである。非常に現実的な自決であって、哲学的な神との対話、神に命を捧げる自決ではなかった。

 果して野村秋介は参議院議員選挙に立候補することが神との対話の一環だったのだろうか。単なる狂信的な天皇主義者だったというだけのことではなかったのではないのか。朝日新聞は戦前の天皇主義に反対の立場を取っている。そのことへの反発が参院選挙立候補時の朝日新聞の風刺によって火がつき、自決を以って抗議としたといったところが実態に過ぎないことを、ただそれだけでは一時的な衝撃で終わるために長谷川三千子がそこに有意な意味を持たせるため抗議を通した神への命の捧げ、神と対話するための自決だと美化したのではないのか。

 長谷川三千子の野村秋介に対する美化した賛美から伺うことのできる事実は、有名な芸能人が若くして命を亡くしたときのファンによる永遠の存在化と永遠の存在化に対するファンたちの自己存在証明の態度である。長谷川三千子やその一派である保守の仲間が「神への命の捧げだ」、「神との対話を行った」などと美化し、野村秋介に永遠の命を与えて、その存在に有意義を与えることで、翻ってそのことを理解できる自分たち存在の高邁な有意義性を自己存在証明しようとする態度の有無である。

 ファンは若くして命を亡くした芸能人を永遠の存在とし、その存在を取り沙汰することで自分たち存在を有意義なものと自己存在証明するようにである。

 百田尚樹と言い、長谷川三千子と言い、その思想がNHKの番組に影響を与えない保証はないことを考えると、安倍晋三の密かなる思想統制の危険性がますます実感を伴って現れてくる。

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2月4日衆院予算委質疑生活の党畑浩治追及から見える安倍晋三の道徳教育教科化は国家主義的思想統制の一環

2014-02-05 10:27:45 | Weblog



 2月4日午後、生活の党の畑浩治議員が質問に立って、安倍晋三が推し進めている道徳の教科化、 愛国心の植え付け、憲法との関係について危険視する立場から追及した。NHK中継から関係個所のみを文章化してみた。

 その前に畑浩治生活の党議員を初めて知ったので、「Wikipedia」 で調べてみた。国土交通省出身、岩手選挙区で2期目の50歳。 

 畑浩治生活の党「生活の党の畑浩治であります。本日はまあ、被災地の議員の立場の議員として質問させて頂きたいと存じます。

 先ず、総理は施政方針で演説で公共の精神や豊かな人間性を培うため道徳を特別の教科と位置づけるとおっしゃいました。また、自民党の憲法改正草案では、国と郷土の誇りと気概を持って自らを守り抜くとか、あるいは家族や社会全体は互いに助け合って国家を形成する。 家族は互いに助け合わなければならないといった、愛国心や道徳にかかる徳目の規定があるわけでございます。

 このようなことを国が仰々しくというか、国が指導で言わなきゃいけないという必要性は何なんでしょうか」

 安倍晋三「先ず、えー、教育基本法が改正されたわけでありまして、新しい教育基本法に於いてですね、教育の目的が書かれているわけですが、そん中に、郷土愛、そして愛国心をですね、国を守る心を、まあ、涵養する、いう趣旨のことが書かれているわけでありますし、また、公共の精神についても、書き込まれているわけでございます。

 まさにこの改正教育基本法の精神に則って、教育が行われなければならないと、このように考えております」

 畑浩治生活の党「まあ、あの、愛国心や郷土を愛する心、道徳心とは当たり前だと思います。これは言われなくとも、やらなければならないことだと思います。

 しかし、私が違和感を感じるのは、今日、ちょっと新聞で、このコピーで資料を配らせて頂きましたけれども、被災地で実は違和感を持って見ているところでございまして、この下線を引いている部分でございます。

 『今の政権は愛国心や道徳と言う。でもね、あれだけの災害で暴動も起きずに整然と行動した。今さら、どんな道徳が必要だと言うんだ』と言っているわけでございます。

 まあ、私も被災地の議員でありますが、あのとき、あの人間の修羅場ですね、修羅場で人間の本性が現れる場面です。みんな助け合って、そして道徳に適って、そして愛国心、郷土愛を持って、行動したと私は思います。

 被災地の住民だけではありません。あの、外から助けに来てくれた人も、これ、自分には関係ありません。関係ないんだけれども、来て、一生懸命に助けてくれました。

 で、これを見ていると、私は今さらそういう教育基本法の改正云々と、それに基づいているということもありますけれども、定まった事実として、今さらどんな道徳心・愛国心、こういうことを鼓舞する必要があるのかなあと、これは私は不思議に思っております。

 ここで総理にお伺いしたいのですが、日本人には鼓舞しなければいけない、教育でしっかりと教育しなければいけないような道徳心の欠如、道徳心というのはあるんでしょうか。

 ちょっとそこを被災地の声も踏まえてお聞かせ願いたいと思います」

 安倍晋三「被災地に於いてですね、お互いに助け合った。これはもう世界の人々からですね、称揚されたと。本当に、えー、驚異の目で見られた事実でございます。まさに私たち日本人の誇りであったと、このように思いますし、あの3・11の際には、日本中が若者を始めととしてですね、様々な人々が被災地に入ってですね、自分のできることをしようと、そういう精神こそ、私は素晴らしいと、こう思う次 第でございますが、しかし他方ですね、他方で、学校でイジメを苦にしてです ね、えー、子どもたちが自らの命を落としているのも事実でございます。

 まあ、そうした規範意識をですね、しっかり身につけていくことも大切なことでありまして、そういうイジメをする子どもたちは、元々そういうイジメをする子供ではないわけでありますから、そういうイジメという行為は卑怯な行為であると、イジメなんかじゃあいけないということもですね、規範意識としてしっかりと教えていくことも大切なことではないかと、こう思う次第でありますし、また、えー、日本人としてのアイデンティティをですね、しっかりとして確立していくということ も大切でありますし、誇りある日本人になると言うことはですね、これは居丈高になるということではなくて、海外に出かけて行ってですね、困った人達を助けてあげることができる誇りある日本人でありたいと、こういう真の国際人に私は成長していくんだろうと、私はこのように思うわけであります。

 繰返しになりますが、平成18年のですね、教育基本法の改正によりまして、伝統と文化の尊重や我が国と郷土を愛する態度を養うことを規定しました。また、先般、教育再生実行会議に於いて、ご検討頂きまして、道徳の教科化等について提言(?聞き取れなかった)を頂いたところでございまして、こういうことを踏まえましてですね、えー、道徳教育を格別な教科として、位置づけ、目標・内容の見直しや教員養成の充実を行う、抜本的な改善・充実を図って参りたいと思っております」

 畑浩治生活の党「教育についてそのようなことをしっかりやってくということは私は否定しないし、認めます。

 まあ、そこで教育とはちょっと切り離して、厳密には教育、ちょっと通告しておりませんが、憲法との関係をちょっとお伺いしたいのですが、総理、あのー、憲法というのはどういう性格のものでしょうか」

 安倍晋三「憲法についてですね、考え方の一つとして国家権力を縛るものだという考え方がありますが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の考え方であって、まさに憲法というものは日本という国の形、そして理想と未来を、そして語るものではないかと、このように思います」

 畑浩治生活の党「そこはちょっと私と認識は違っていて、勿論、あの、そこは、憲法というものは立憲主義であって、権力を縛る。なぜかと言うと、総理が今おっしゃいましたが、過去の歴史を踏まえて基本的人権の尊重を貫徹するということだと思います。そ がメインでありまして、勿論、総理がおっしゃるとおり、そのように道徳心・愛国心が入ることは否定しませんが、そこはちょっと憲法のバランスの問題で、そこが出過ぎるということに非常に危険だと思っています。

 憲法というものは私は多様な価値観を認めて、その存在を許容するものであって、その調整原理の上に成り立っている。そいういう部分が大きんだと思います。

 私は愛国心を鼓舞するのはなぜ違和感を感じるのかというと、まあ、これまでの歴史上、愛国心のもとに色んなことが置かれてきたんですね、(愛国心を)言うことによって。愛国心というのは国民から自然な発露はいい。 私はむしろ愛国心を持たない国民はおかしいと思いますが、ただ、愛国心を国が言うのはおかしい。そういうような気がしております。

 私たちの党は憲法改正するのは否定するものではなくて、議論するのは大いに乗りたいと思っております。ただ、それはあくまで憲法の3原則、国際協調を入 れて、4原則ですね。この4原則の上に立って、そして現代的に衆議院と参議院の関係とか、統治機構とか、まあ、色んな災害等を含めた統治機構の欠如の場合とか、そういう空白の出る問題もありまして、そこはあれとして、あくまでも憲法のそういう、郷土愛とか誇りある日本人という、そこは入るのは如何なものかなあという思いを持っているわけでありますが、まあ、それはそれでしっかりと議論させて頂くテーマだと思いますので、よろしくお願い申し上げま す」―― 

 被災地の用地取得の特例の問題に移る。 

 畑議員は国家主導の道徳教育の危険性を訴え、そのような国家主導の道徳教育が「自民党日本国憲法改正草案」の前文のうちの、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、 基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」なる文言に象徴的に現れていると指摘している。

 前文は、「基本的人権を尊重する」とか、「自由と規律を重んじ」などと言っているが、「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という言葉は個人や家族を国家形成の要員と位置づけ、社会を国家形成の装置と位置づけていることを意味する。

 いわば国家主義的な構造を持たせた国家形成であり、国家形成の範囲内の基本的人権の尊重であり、自由と規律ということになる。

 主権が国民に所属する以上、個人の理想的な在り様の追求の上に国家形成が成されなければならないのだが、国家優先・国民従属の国家主義の線上で憲法を把えているから、どうしても順序が逆になる。

 安倍晋三が国家主義の観点から憲法を把え、道徳の教科を視野に入れていることは、被災者や被災地に駆けつけたボランティアのそれぞれの行動に現れた道徳心を畑議員と同様に賞賛しながら、他方でイジメを苦にして自ら命を断つ子供の存在を取り上げて、そういった子供に規範意識を植え付ける道徳教育の必要性を訴えて、必要性の理由として、「日本人としてのアイデンティティ」の確立を持ち出しているところに象徴的に現れている。

 「アイデンティティ」(=自己統一性あるいは自我統一性)とは個人を単位とした個人自体としての、あるいは他者との関係の中での個人としての自己統一性を言うのであって、極めて個人的な概念であるはずである。しかし「日本人としてのアイデンティティ」と言うと、民族を単位とした、あるいは国家を単位とした全体的な統一性を言うことになって、そのような全体的な統一性に個人としての統一性は組み込まれ、支配されることになり、個人は個人を単位とした自己統一性を放棄・抹消した地点に立たされることになる。

 このことは「天皇陛下のため・お国のため」と滅私奉公・忠君愛国の形で自己を殺して天皇と日本国家に尽くした戦前日本人を見れば、その危険性を理解できる。個人としてのアイデンティティを抑圧し、国家が望み教育した滅私奉公、あるいは忠君愛国という精神の発露に誰もがと言っていい程の大勢の日本人が自己を統一させ、日本人としてのアイデンティティとした。

 確かに日本人である以上、日本人としての共通項・共通性は何かしら持つが、そのような共通項・共通性は日本人全員を誰一人違いもなく律する全体的共通項として存在しているわけではない。このことは戦前とは違って、戦後では常に日本人として生きているわけではなく、一人の個人として生きていることによって証明することができる。

 個人としてどのような自己統一性を持ち得るかが問題であって、一人ひとりが自律した個人となって、初めて「アイデンティティ」 を確立し得る。だが、安倍晋三は個人の自律を求めるのではなく、日本人はこうであるべきだとする規範意識で全体を統一した「日本人としてのアイデンティティ」を求めている。あくまでも国家主義の観点からの国家の形成を希求しているからに他ならない。

 また、安倍晋三はイジメに関して、「そういうイジメをする子どもたちは、元々そういうイジメをする子供ではないわけでありますから、そういうイジメという行為は卑怯な行為であると、イジメなんかじゃあいけないということもですね、規範意識としてしっかりと教えていく ことも大切なこと」ではないかと言っているが、「イジメという行為は卑怯な行為である」との教えはスローガンを教えることを以って道徳教育とすることに他ならない。

 戦前は忠君愛国・滅私奉公をスローガンとして掲げて国民が備えるべき愛国心・道徳心であると教えたが、効果があった理由はスローガンであったとしても、相互監視のもとそれに違えた場合、非難されたり、仲間外れにされたり、ときには殴られたりしたからに他ならない。そして最初は否応もなしに従った忠君愛国・滅私奉公であったとしても、その精神を発揮することによって愛国者としての誉れとなるために競って発揮することになり、ついには血となり、肉となって馴染んでいった。

 そしてその結末は上から教えこむ国家主義的愛国心・道徳心の危険性を過剰なまでに証明することになった。

 このような危険性を可能とした理由は国民一人一人が自ら考えることをやめて、国家の命令・指示に無考え・無条件に言いなりとなり、国家従属の国民と化したからだろう。

 だとすると、イジメの防止も何々はしてはいけません、人を傷つけてはいけません式のスローガン道徳教育ではなく、考える力を養う教育でなければならないはずだ。

 にも関わらず、安倍晋三は国家主義思想から抜け出ることができないために考える教育の必要性に気づかずに上から教えこむ国家主義的愛国心・道徳心の涵養を望んでいる。

 上から教えこむ国家主義的愛国心・道徳心の行くつく先は、安倍晋三が望む、こうであるべきだとする日本人形成のための思想統制に他ならない。

 勿論、その理想の日本人像は国家優先・国民従属の国家主義に則した血を備えていなければならないし、備えることになるはずだ。

 NHKの経営委員12人のうち10人を安倍晋三に近い人物の任命に持っていったことも、近い人物の意思が働いたはずの、同じく安倍晋三に近い人物である編集権を握る籾井NHK会長の任命も安倍晋三の思想を反映させて間接的に国民に影響を与えることを狙いとした布石も、歴史や公民などで政府の統一的な見解がある場合はそれを取り上げることなどを盛り込 んだ教科書検定基準改正の1月17日告示にしても、国家主義の観点からの思想統制の一環でもあるはずだ。

 安倍晋三は憲法改正や道徳教育の教科化を手段として、あるいはNHKという公共放送に影響を与えるなどのこの上なく非常にソフトな形で、先ず外堀から埋めて内堀を埋める慎重さを見せつつ、だが用意周到な思想統制によって国家主義国家の形成を狙っている。 

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安倍晋三の他国の人権を無視できる「積極的平和主義」という倒錯

2014-02-04 08:20:25 | 政治



 「積極的平和主義」とは国家間の政治外交上の関係を規定する方法論のみを言うのではなく、自国に於ける国家による国民統治の方法論をも言い、そのような国内統治の方法論に基づいた国家間の政治外交上の関係規定とする整合性を備えていなければならないはずだ。

 例えば国家権力が自国国民の人権を認めず、その自由を抑圧しながら、外国に対して「積極的平和主義」を掲げたとしたら、滑稽な倒錯以外の何ものでもない。

 このことは北朝鮮の国内統治と外国に対する内外整合性を持った姿勢を見れば、整合性に反することは倒錯だということが十二分に理解することができる。

 逆もまた真なり。国家間の政治外交上の関係を規定する方法論として「積極的平和主義」を掲げる以上、国内統治に於いても「積極的平和主義」を原則とし、自由・基本的人権等を基本原理としなければならない。

 いわば「積極的平和主義」は政治外交と国政共に相互反映の関係にある。

 当然、「積極的平和主義」を掲げて政治外交関係の構築を策す対象とした外国に於いても、その国内統治が基本的人権と自由を尊重する「積極的平和主義」に基づいていなければ、「積極的平和主義」に基づいた政治外交関係の構築自体に矛盾を来たすことになる。

 説明するまでもなく、自国国民の基本的人権と自由を認めない外国が他国提唱の「積極的平和主義」に基づいた政治外交関係を求めに応じて築くということも矛盾そのものの滑稽な倒錯でしかないからだ。

 要するに安倍晋三が「積極的平和主義」を掲げて外国と政治外交関係を目指す以上、目指す対象国は基本的人権や自由を尊重した国内統治を行っていなければならない。

 もし行っていなければ、「積極的平和主義」の諸々の相互性から言って、相手国に対して基本的人権や自由の尊重を求めなければならない。

 求めないままの「積極的平和主義」の関係要求は相互性そのものに反する。いわばニセモノの「積極的平和主義」でしかないことになる。

 そもそもからして安倍晋三は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値に立脚した戦略的外交の展開」――価値観外交の展開を掲げているのである。日本はそのような価値観に立脚しているが、外国は立脚していなくてもいいという相互性違反は許されるはずもない。

 1月31日、アメリカ国務省で人権問題を担当するウズラ・ ゼーヤ次官補代行はがNHKのインタビューに応じた。《ロシア人権状況に米高官が懸念》NHK NEWS WEB/2014年2月1日 14時34分)

 ロシアで去年、同性愛者による集会や未成年者に対して同性愛の情報を伝えることを禁止する法律が成立したことについて――

 ゼーヤ次官補代行「ロシアの人権を巡る後ろ向きな動きを深く懸念している。

 (オバマ大統領がソチオリンピック開会式に派遣する代表団の1人に同性愛者でテニス界の女王と呼ばれたビリー・ジーン・キング女史を選んだ理由について)アメリカ社会の多様性を示すものだ。国際社会も協調や寛容の精神でオリンピックの理想を表現してほしい」――

 基本的人権尊重の象徴としてとしてビリー・ジーン・キング女史を出席者の一人に指名した。また、オバマ大統領自身は開会式欠席を表明、同性愛者やその他に対する基本的人権の抑圧に抗議意思を示した。

 対して安倍晋三は開会式出席を表明、なおかつプーチン大統領との首脳会談を予定している。北方四島返還交渉という重大な問題を抱えていることは分かるが、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」に基づいた「積極的平和主義」を一時であっても放棄してもいい正当性ある理由とはならない。

 少なくともプーチンとの首脳会談で北方四島返還とは別にロシアの人権状況に懸念を示さなければ、「積極的平和主義」は口先だけのニセモノと化す。

 またアメリカ政府は中国政府の自国人権活動家に敵対した自由な活動の抑圧に反対するメッセージを盛んに発信している。

 だが、日本政府の高官がそのようなメッセージを発したのを知らない。日本のリーダーが「積極的平和主義」を掲げる以上、内閣全体が一丸となって他国人権状況にメッセージを発してよさそうなものだが、安倍晋三共々発していないところを見ると、安倍晋三が掲げているのは他国の人権を無視できる「積極的平和主義」でしかないニセモノと断ぜざるを得ない。

 「積極的平和主義」がニセモノということは安倍晋三という政治家そのものがニセモノと言うことになる。 

 元々口先だけは勇ましい安倍晋三である。

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もはや既定事実となった舛添要一新都知事が自らに課した業績ハードルは「世界一」

2014-02-03 10:00:28 | Weblog

 

 本日2014年2月3日付「毎日jp」記事の「都知事選終盤情勢調査」によると、やはり舛添要一が依然優勢な位置をつけているということで、舛添要一当選間違いなしのようだ。

 電話調査に応じた都民が選んだ自らが決めている最大の争点は「景気と雇用」30・6%(前回+7・6ポイント)、「少子高齢化や福祉」27・3%(前回+0・5ポイント)、「原発・エネルギー問題」14・7%(前回-3・8ポイント) 

 当然、脱原発を最大争点に掲げている細川護煕候補は不利な位置に立たされる。多くの都民が原発事故は二度と起きないという危機管理に侵されているようだ。原発事故が起きれば、景気も雇用も社会保障も吹っ飛ぶ。

 だが、脱原発による自然エネルギー産業興隆で、時間はかかるが、景気対策にもなれば雇用対策にもなり、社会保障も守ることができる。

 都民の脱原発意識の低下で舛添要一は俄然最初からの優勢な位置をさらに優勢とし、新都知事間違いなしの保証を受けたことになる。結果、舛添要一を支持する都民も支持しない都民も、舛添要一東京都知事を規定事実とすることになる。

 2月1日、ニコニコ動画生中継の都知事候補4者による討論会が開催され、その全文書き起こしが、《「東京都知事選 候補者ネット討論」全文書き起こし》ニコニコ動画/2014年2月2日(日)14時00分配信)としてネットに配信されている。

 舛添要一は街頭遊説と同様に各政策を「世界一」の形で実現するとする公約を気前よく盛んに振り撒き、都民に「世界一」を約束している。

 ということは、新都知事となった暁には自らに課した業績ハードルを「世界一」としたことになる。ハードル以下であったなら、公約違反となる。支持した都民は親船に乗った気分で「世界一」を待てばいい。

 では、上記記事から、どのような「世界一」を振り撒いたか、見てみる。

 先ず冒頭の「オープニングメッセージ」から。
 
舛添要一「私は『東京を世界一の街にしたい』と思っております。ちょうどそのキッカケになるのが6年後の東京五輪、オリンピック、パラリンピックです。みんなでおもてなしをして、『こん なオリンピック、パラリンピック見たことないよ』というような、史上最高のオリンピックに都民の力を結集してやりたいと思っております。

 しかし、いつなんどき、直下型地震や、大きな風水害含めて、あるかわかりません。これはもう私、現場を歩いて歩いて視察してきましたけれども、下町の木造密集家屋、こういうところは火事になると大変です。全力を挙げて、防災。どんな災害にも打ち勝つ、世界一強い街が東京だと。やりたいと思っております。

 それから、厚生労働大臣をやりましたから、福祉。これはもう、『ゆりかごから墓場まで』、きちんとやっていきたいと思っています。福祉でも、やっぱり世界で一番安心できる街が東京だと。これを目指したいと思っております。

 それから治安対策。これもしっかりやらないといけない。せっかく治安でトップの座を守っているわけですから。これを守っていきたい。

 そして、やはり文化の香りする。文化芸術でも世界一を目指したいと思っています。

 しかし、そういうことをやるために、何よりも経済をよくしないといけない。アベノミクスで長い長い不況のトンネルから日本は抜け出そうとしていますので、東京の経済特区を作って、そこで思い切った実験をする。霞ヶ関の規制を排した実験をする。そのことによって、とにかく雇用を生みたいと。若い方、職がないんですね。非正規なんです。雇用を生んで、本当に力強い、明るい日本にしたいと思っております。

 そういうことすべて含めて、『世界一の東京』と。これを目指すのが、私の政策でございます。ありがとうございます」

 冒頭の「オープニングメッセージ」からいきなり「世界一」の大盤振舞いである。

 のっけから「世界一」を振り撒き過ぎたからだろう、次の「2020年、東京オリンピック・パラリンピックへの対応」についても、「原発活用の是非を含めたエネルギー政策」についても、「少子高齢化に伴う社会保障の充実」についても、「首都直下地震に備えた防災対策」についても、「東京都尖閣諸島寄付金」問題についても、「景気と雇用」についても、「世界一」を黙して語らず、最終の「各候補者からの『最後の一言』」で纏めとして「世界一」を再度振り撒いた。

 ここは4出席者全員の発言を伝えたいと思う。

 司会・角谷浩一「そろそろ時間も押し迫って参りましたけれども、最後にですね、逆にこちら側に向 けて、一言ずついただいて番組を終わらせたいと思います。各候補の最後の訴えでも、所見でも、結構でございます。また、このインターネットを見ていらっ しゃる有権者のみなさんに一言ということでも結構でございます。

 では、細川さんから。30秒程度でお願いします」

 細川護熙氏「福祉とか防災とか雇用とか、そうした問題は、誰がトップについてもあまり変わらないと思いますね。 問題は原発です。誰がトップに就くかによって、これは日本の国の形が、がらっと変わってくる。成長できるか、それとも衰退に向かうか。そこが非常に重要な 今度の選挙だと思います」

 司会・角谷浩一「はい。ありがとうございます。舛添さんお願いします」

 舛添要一「今、世界の都市ランキングで、ずーっと東京4位です。6年後のオリンピック・パラリンピックを目指して、3位のパリを抜く。2位のニューヨークを抜く。そして、トップのロンドンを抜く。そして、世界一の東京を目指したい。それは防災でも、福祉でも、芸術文化でも、経済でも、あらゆる分野で、そういう世界一の街、『本当に東京で生まれて育ってよかったなあ』とみなさんが言える東京を作りたいと思っております」

 司会・角谷浩一「はい。田母神さんお願いします」

 田母神俊雄氏「東京都が何かをやろうというとき、東京都の公務員・警察官・消防官、あるいは都の職員のみなさん が、それぞれ 「よしやるぞ!」と思って仕事をしてくれなければ、最大の都民サービスは提供できないと思います。知事がどれほど頑張っても、ついてくる人 たちが、「まぁ、やらせとけ」ということでは、いい仕事はできない。ですから、私は、都に勤める人たちのやる気を出させる、ということに精一杯努力をして いきたいというふうに思っています」

 司会・角谷浩一「はい。宇都宮さん」

 宇都宮健児氏「安部政権は、成長戦略の一環として国家戦力特区構想を考えているようですけれど、安倍首相は、よく、日本は世界で企業が一番活動しやすい国にするということで、特区構想を考えています。この特区構想の象徴の雇用特区は、いつでも労働者を解雇できる、 残業しても労働者に払わなくてもいい。だから企業にとっては天国かもしれないんですけれど、働いている人にとっては地獄の特区構想だと考えております」

 司会・角谷浩一「はい、ありがとうございました。今日は4候補に遊説のなか、選挙中のなか、お越しいただいて、生放送で様々な質問についてお答えいただきました。明日の朝から、またみなさんは各場所に飛び回るわけですから、今日はこの辺で終わりたいと思います。

 ただ、ご覧になったユーザーのみなさんも、それぞれの候補の同じテーマであっても、考え方や優先順位や特徴、それからアプローチのしかた、様々だというのが、その違いが、ここでわかっていただければ、この討論会の意味があったのかなと考えております。

 それでは、東京都知事選挙候補者ネット討論、これで終了させていただきます。どうもありがとうございました」

 勿論、「世界一」を目指してどこが悪いという主張は可能である。しかし「世界一」を目指すことができる体力(財力や現在の全体的な都市機能)と、資質と能力(都知事や都役人の政治的創造性・行政能力)、都知事自身の強靭な意志の力、先ず何よりも誠実な姿勢を必要とする。

 最後に「誠実な姿勢」を上げ意味は、それがなければ都民との約束を守ることができないからだ。いわば各前者を備えて、なお誠実であるかどうかが、カギとなる。

 オリンピックで金メダルを目指すとしている競技選手にしても、体力や能力と共に世界選手権や国内競技でそれなりの成績を挙げている裏付けがあって、初めて金メダルを目指す、「世界一」を目指すと言うことができる。

 舛添要一はそういった裏付けを都民に具体的に説明しなければならないが、裏付けの説明もないままに「世界一」を振り撒いているに過ぎない。

 果して都民との約束を果たすに絶対的に必須の誠実な姿を備えていると言うことができるだろうか。 

 その証拠の一つが2月2日日曜日のフジテレビ『新報道2001』で放送したカメラで捕えた舛添の遊説の姿であろう。

 ワンボックスの遊説カーから降りて、車に座っていたために下半身が固まってしまったのか歩き出した時は少々ぎこちない様子で腰をふらつかせていたが、横断歩道間近の道路を横断、一軒の店の前に集まっていた、動員して集まっていたのかどうか分からないが、70、80歳近い男女の高齢者と握手を交わしながら、次のように話しかけていた。

 舛添要一「英語喋ってよ。英語に強くなってよ」

 番組の解説が、2020年東京オリンピックで最高のおもてなしするための英会話の必要性を訴えた発言だとしている。

 確かに大衆受けのする都民との接触の遣り方ではある。だが、政策者が外国人との意思疎通のために70、80歳近い男女の高齢者に向かって今から英会話の勉強を勧めるといったことをしていてもいいのだろうか。

 「桝添さんが私たち年寄りに英会話を進めたよ。ワハハハ」と面白がって、舛添要一に投票する気にさせるには役立つ。

 日本に存在するかどうかも名称も知らないが、会話サポートセンターといった施設が外国には存在していて、そこに電話すれば、各国語を話す職員が待機していて、対応してくれるという仕組みがある。

 私自身は貧乏人だから、所持できないが、現在では殆どが携帯電話を所持している。街頭や店頭で外国語を話せないにも関わらず、外国人との会話に困ったときには直ちにそこにつなぐか、自分の方から外国人に話しかけたい場合は、そこにつなぐ用意をして、自分から話しかけてもいいはずである。

 あるいは携帯電話用のイヤホンマイクとアダプタの常時携行を勧めて、携帯電話を相手に渡さずとも自身と外国人が交互に会話サポートセンターからの会話を聞いたり話したりすることができるような仕掛けにすれば、コミュニケーションはよりスムーズに行うことができる。

 こういった施設が東京都に既に存在するなら、機能をより便利に充実させて使いやすくすることを約束することが外国人のおもてなしにも役立ち、政策者の役目でもあるはずだ。

 要するに舛添要一は一票を釣るために大衆受けのする冗談を振り撒いたに過ぎない。

 とても各「世界一」を実現させるだけの誠実さと強靭な意志を感じることはできない。

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安倍晋三の言論の自由・報道の自由を侵しかねない危険な深謀遠慮を籾井NHK新会長参考人出席発言に見る

2014-02-02 10:40:00 | Weblog



 1月31日籾井NHK新会長が衆院予算委員会に参考人出席し、その就任記者会見発言について原口一博民主党議員から放送法に規定する報道の不偏不党性・中立性・公平性に反しているのではないかと、その責任の追及を受けた。原口は併せて安倍晋三のNHK経営委員に対する任命責任を問い質した。

 インターネットに籾井会長の就任記者会見の全文が載っていないか、探したら、インターネット上に出回っていた。その一つ、《銀色の艦隊》(日付不明)から、原口一博が問題にしている個所を無断拝借することにした。  

 記者「靖国神社の参拝と合祀(ごうし)についての考えは」 

 籾井会長「総理が信念で行かれたということで、それはそれでよろしい。いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ」 

  記者「NHKの報道姿勢としてはどうか」

 籾井会長「総理が信念で行かれたということで、それはそれでよろしい。いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ。

 ただ、淡々と総理は靖国に参拝しましたでピリオドだろう」

 原口一博は予算委員会でこの発言を取り上げて、参拝の是非と言っているのではない、自身も靖国神社を参拝する国会議員の会に入っている。だが、参拝はいけないと言う人もいる。最高裁判所でも政教分離の点で何度も議論されていると前置きして次のように追及している。

 発言はNHKの国会中継から。

 原口一博「これから公共放送では靖国参拝については、安部総理が、これから行かれるかどうか分からないけれども、それを報道して、それで終わりだと、ということをおっしゃってるんですよ。

 靖国の問題については私たちの、これが放送法第4条に真っ向から反しているのではないか。こうったことを私的発言と言って、責任が阻却されるのか」
 
 籾井会長(現行を読み上げた答弁)「NHKとしましてはあくまでも放送法に基づきまして不偏不党・公平公正・表現の自由の原則を守って放送していくことに変わりはございません。私の個人的な意見を、あるいは個人的な見解を放送に反映させることはございません。

 放送法第4条やNHK国内番組基準により、意見が対立している問題については、できるだけ多くの各論から論点を明らかにして公平に取り扱って放送を行ってまいります。

 放送法の原点をしっかりと踏まえ、取り組んでまいりたいと思います」――

 原口一博はこの答弁に当然の如くに納得しなかったが、どこどこかの新聞にNHK経営委員会の中身が出て、スパイ探しに発展した、誰かが籾井会長の悪口を経営委員会で言っているとかの噂があり、品位がないと、任命権が安倍晋三にあるNHK経営委員の任命責任について、見当違いな方向から安倍晋三を問い質した。

 安倍晋三「えー、私はいちいち経営委員のですね、発言を見ているわけではございません。えー、いわば経営委員としてお願いをした以上、お任せをしているということでございますし、それこそ、私が経営委員に様々な指示をするべきではないと、えー、このように思っているところでございます」――
 
 相変わらずノー天気な安倍晋三発言だが、ノー天気である方が本人にとっては幸せなのだろう。なまじっか判断能力が優れていたなら、NHK経営委員を任命する時点で、人選次第でどのような問題が生ずるか的確に判断できただろうから、より中立の立場から任命することになったはずだ。

 だが、放送法第30条によって12人の構成となっているNHK経営委員会委員の3年任期満了5人に替わる昨年10月の任命権が内閣総理大臣にある人事に於いて再任の1人を除き新任の4人について民主党は安倍晋三に近い人物であり、公共放送の中立性を損なう可能性があるとして反対したが、自民党衆参多数の力を以って国会同意人事は賛成多数・可決されている。

 この賛成多数・可決によって経営委員12人のうち10人が安倍政権下で任命されたメンバーに入れ替わることになったという。

 「安倍晋三に近い人物」とは、安倍晋三に近い考えの持ち主、あるいは近い思想の持ち主を意味するはずだ。安倍晋三が自身の考えや思想から遠い人物、あるいは反する人物を委員に任命するはずはない。新任の5人中4人ばかりか、全体12人中、10人が「安倍晋三に近い人物」でNHK経営委員会が構成されるという点と、最終的放送編集権を握っているNHK会長が「安倍晋三に近い人物」10人を含む12人の委員のうち委員9人以上の多数決で任命されるルールとなっている点を踏まえたなら、自ずと問題点はどこにあるか自明の理となる。

 経営委員が安倍晋三任命によって「安倍晋三に近い人物」で大勢が占められることになったことからして新会長が「安倍晋三に近い人物」が任命されたとしても不思議はないばかりか、常識的な到達点とさえ言うことができるし、安倍晋三の靖国参拝について、「総理が信念で行かれたということで、それはそれでよろしい。いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ。ただ、淡々と総理は靖国に参拝しましたでピリオドだろう」と頭から肯定することができる。

 原口一博がボードで取り上げた放送法の第1条と第4条は次のようになっている。 

 第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

 第二章 放送番組の編集等に関する通則
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 ここで重要な守らなければならない項目は第1条第2項の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」と、第4条では、「政治的に公平であること」、さらに「報道は事実をまげないですること」と規定されている以上、原口もこの点を重点的に追及していたが、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という規定の順守が最重要となる。

 だが、籾井会長は記者会見では、「いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ。ただ、淡々と総理は靖国に参拝しましたでピリオドだろう」と、事実を伝えるだけだと言っている。

 要するに参拝の問題点を取り上げずに参拝事実だけを伝えて、参拝事実に関する各方面からの判断を伝えないとする報道姿勢を示している。各方面からの判断を伝えないことによって、参拝の問題点を取り上げずに事実だけを報道することがことが可能となる。

 国家主義者安倍晋三の国家主義からの靖国神社参拝に対する中韓の批判や反対も、アメリカの「失望した」とする声明も各方面からの判断のうちに入る。

 報道に於いてこのような判断を無視するということは、一切無視というわけにはいかないだろうから、少なくとも批判的な判断は抑制的な表現となる危険性、あるいは何らかのオブラートを用いた表現となる危険性は避けることはできない。

 このような姿勢はNHK国際放送についての記者会見発言、「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない。国際放送にはそういうニュアンスがある。あくまでも日本政府と懸け離れたものであってはならない」としている政府従属の報道姿勢と符合する。

 原口一博は、政府御用の報道機関となりかねないと懸念を示していた。政治的中立性の放棄そのものとなる。

 籾井会長は原稿を読み上げて放送法に違反しないことを宣言しているが、記者会見発言は個人的見解だといくら弁解しても、彼自身の血となり肉となって精神に染み付いている考え・思想だからこそ口をついて出ることになった発言であって、そのように染み付いている以上、12人中「安倍晋三に近い」9人の委員を介して陰に陽に放送編集に干渉して、安倍晋三の覚えをよくする意思の発揮へとつながらない保証はない。

 籾井新会長のこの手の意思の発揮は安倍晋三が政治的中立性を投げ打って自身の考えに「近い人物」をNHK経営委員に多数派を優に形成できる人数分送り込んで、そのような構成員とした経営委員会を介して自身に「近い人物」を新会長に据え、NHKの上層を自身の考え・思想で占めることにつながった意思の発揮と重なる。

 先を見据えてこのような経緯を辿ることにこそ、安倍晋三の深謀遠慮が存在するのかもしれない。言論の自由・報道の自由を歪めることになるこのような危険な干渉を予感させる点にこそ、重大な問題が潜んでいるはずだ。

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安倍晋三の「靖国参拝で日米同盟揺るがず」の認識能力の程度

2014-02-01 09:34:55 | Weblog



      生活の党PR

      《鈴木克昌代表代行・幹事長の2014年1月29日衆議院本会議代表質問全文》生活の党HPに載せています。関心のある方はアクセスしてみてください     

 1月30日(2014年)の参議院本会議。安倍晋三の施政方針に対する2日目の代表質問。

 安倍晋三「アメリカとの関係では、これまで首脳レベルを含むさまざまな機会に日米が緊密に協力し、世界の平和と安定に貢献していくと表明してきている。日米同盟は揺るぎないもので、靖国神社参拝に影響されることはない」(NHK NEWS WEB)――

 〈安倍晋三がアメリカ政府の控えるよう前以ての要請を無視して12月26日靖国参拝を強行したのに対して在日米大使館が同日12月26日、「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米政府は失望している」(TOKYO Web)との声明を出した。〉と、1月4日(2014年)の当ブログ記事に書いた。

 在日アメリカ大使館の声明であったことから、日本政府は安倍晋三の靖国神社に対して一定の配慮を示したと受け止めたが、同じ12月26日、〈サキ国務省報道官が在日米国大使館声明と同内容の声明を発表、「失望」は米政府の態度であることを表明、日本政府の一定の配慮との見方を否定することになった。〉と付け加えた。

 但しアメリカ政府は日米関係に変化がないことを表明。

 このことに勇気づけられたのか、安倍晋三は「日米同盟は揺るぎないもので、靖国神社参拝に影響されることはない」と、心理的には胸を張って堂々の主張を展開している。

 だが、アメリカが必要としているのは米軍の駐留を可能とする日本の国土と日本国土に米軍の駐留を認める政権であって、当面、駐留を認めない政権の樹立は想定外としているのだから、駐留継続は各政権を超えて予定調和の状況となっていて、そうである以上、安倍政権そのものを必要としているわけではないことになる。

 いわば日米同盟は安倍政権とのみ結んでいるわけではなく、歴代政権が継続している日米同盟であって、安倍政権以降の政権も継続する日米同盟の状況にある。

 アメリカにとってそうであるなら、安倍政権を取り除いたとしても、継続の保証は失わないことになる。

 駐留の必要性の理由はアメリカ政府が日本を米本土防衛の重要なコマとしているからなのは誰もが承知していることである。安全保障上の仮想の敵国中国・北朝鮮・ロシアに最も近くに位置した日本国土であり、米本土防衛に最も適した戦略的な地理的特性を備えているからである。

 さらに言うと、米国政府にとって米軍駐留に対して日本政府の思いやり予算という特典付きがあるという点である。

 防衛省のHPに出ている日本政府の米軍駐留にかかる労務費・光熱水料費・訓練移転費・提供施設整備・基地従業員対策・その他に対する負担額は次のように推移している。

 平成20年度予算額1925億円
 平成21年度予算額1897億円
 平成22年度予算額1869億円
 平成23年度予算額1862億円
 平成24年度予算額1916億円
 平成25年度予算額1864億円  

 6年間で合計1兆1333億円の高額となる。

 さらに上記予算に既に一部含められているが、沖縄米海兵隊の一部グアム移転にかかる総移転費86億ドルのうち28億ドルを上限に負担する約束をしているという。

 いわば日本は至れり尽くせりの米本土防衛の有利な地理的特性を備えたコマとなっている。

 また、仮想敵国からの米本土防衛は米経済の防衛と重なる。

 勿論、米本土防衛と米経済の防衛は日本国土防衛=日本経済防衛を可能な限り前提としなければならない。

 とは言っても、米国土防衛と米経済防衛のコマの役目を担っているのは日本だけではなく、韓国もその役目を担っている。米国にとって日本だけでは十分ではなく、韓国も加えて、より十全な安全保障の形を取る。
 
 だが、安倍晋三の靖国参拝によって米国にとって同じ同盟国である韓国と日本の関係が悪化したことで、安全保障上必要となった場合の米日韓の連携への懸念材料を靖国参拝がつくり出したことは否定できな い。

 米日韓の連携の非円滑化・機能不全は日本自身や韓国自身に対してだけではなく、想定している米国土防衛と米経済防衛に対するその想定に綻(ほころ)びを与える懸念を抱えることになるゆえに避けなければならない要素であるはずである。

 アメリカにとって安倍晋三は痛し痒しの存在であろう。アベノミクスによる日本の経済の復活はアメリカ経済にも恩恵を与える。だが、靖国参拝による韓国の反発は米日韓の連携に不協和音を与えるだけではなく、中国の反発による日中関係悪化が日中の偶発的な軍事衝突を誘発しない保証はなく、その衝突がアメリカを巻き込まない保証はさらにない。

 いわば歓迎、日本経済の復活、歓迎しない安倍晋三の存在といった好悪入り混じったアンビバレンツな感情で安倍晋三を眺めているに違いない。当然、アメリカにとって日本が経済復活の道を辿りさえすれば、首相は安倍晋三ではなくてもいい、いや、安倍晋三でない方が好都合と見ている可能性は高い。

 この見方が見当違いであったとしても、上述したように靖国参拝が日米間の安全保障上の連携の懸念材料となっていることと日中関係のさらなる悪化がいつ危険水域に達しない保証はない状況になっている以上、安倍晋三が自身の靖国神社参拝で「日米同盟揺るがず」と言っていることは私自身の見当違い以上に見当違いな程度の低い認識能力ということになる。

 もし安倍晋三が以上のことを承知していて「揺るがず」と言っているのだとしたら、国民を騙していることになり、よりタチが悪いことになる。

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