プーチン・ロシアの人権弾圧には目に余るものがある。自らの統制下に置いた最高検察庁を使って政敵を逮捕・投獄して自らの政治的地位を安泰とする強権手法は今更言うまでもなく、政権に批判的な報道や一般市民のデモ等の活動に対する規制・罰則等々の人権抑圧は珍しくない光景となっている。
一般市民のプーチン政権批判に関しては、教会でプーチン批判の歌を歌った女性バンド「プッシー・ライオット(子猫の暴動)」の3人が2012年2月に逮捕され、2012年8月に懲役2年の実刑判決を受けて国際的な批判を浴びた例を挙げることができる。
この判決に対するアシュトンEU=ヨーロッパ連合上級代表の2012年8月17日の声明。
アシュトンEU=ヨーロッパ連合上級代表「判決はバランスを欠くもので、ロシアの司法手続きに深刻な疑問符をつけざるをえない。
今回のケースはロシア国内で野党勢力に対する政治的な脅迫や迫害が増えている最近の傾向を示すものだ」(NHK NEWS WEB)――
かくかような人権状況にあると懸念と憂慮を示している。
そして2012年3月、ロシア全土及びメディアにおいて同性愛関係の宣伝行為を禁じる連邦法案の下院提出、2013 年6月の下院と上院通過、プーチン大統領署名を経て2013年6月29日、「同性愛宣伝禁止法」を成立させている。
「同性愛宣伝禁止法」は同性愛行為そのものを禁止するのではなく、同性愛関係が未成年者の発達に及ぼす悪影響を防ぐことを公式の目的としているということだが、その目的は同性愛者を社会に悪影響を与える存在と規定する方向に向かい、当然の結果として同性愛行為を悪とし、同性愛者を排除すべき社会の異分子と扱うことになって、同性愛と同性愛者に対する差別を必然化する。
差別は人権抑圧そのものを意味する。
プーチンの法律制定の真の目的は未成年者を守るという正当性を楯に同性愛者を社会の異分子として排除することにあったのだろう。
プーチンのこれまでの人権抑圧に対して懸念と憂慮を抱いていたところへ持ってきて、同性愛の宣伝禁止を名目とした露骨な人間差別・人権抑圧に許容範囲を超えるものを感じたのだろう、ガウク独大統領が2014年2月7日開幕のソチオリンピック開幕式等を欠席する方針を決め、ロシア政府に伝えたと12月8日の週刊誌シュピーゲルが報じ、それを共同通信が配信した。
理由は、〈同性愛宣伝禁止法をはじめとするロシアの人権政策に抗議するためという。〉・・・・
〈ドイツでは大統領が国家元首。ガウク氏は旧東ドイツ出身で人権派の牧師として活動し、2012年3月に大統領に就任した。同年の夏季五輪ではロンドンを訪れたが、大統領就任以来、ロシアは公式訪問していない。
シュピーゲルによると、ソチを訪れない代わりに、五輪終了後にドイツ選手団を帰途のミュンヘンで出迎える予定。メルケル首相の対応は決まっていない。(共同)〉(MSN産経)――
2日後の12月8日になって、欧州連合(EU)で人権問題を統括するレディング欧州委員会副委員長が短文投稿サイト「ツイッター」で欠席を表明した。
レディング欧州委員会副委員長「マイノリティー(少数派)がロシアで現在のような扱いを受けている限り、ソチには行かない」(MSN産経)――
記事解説。〈レディング氏は「マイノリティー」の内容を明示しなかったが、ロシアで今年成立した同性愛宣伝禁止法など人権政策への抗議を示した事実上のボイコットとみられる。〉――
レディング氏が人権問題を統括している以上、「マイノリティー」の中に同性愛者を入れているはずだ。
政治的首脳ではないが女子テニスの往年のスター、マルチナ・ナブラチロワさん(米国)ら同性愛者であることを公表しているスポーツ界の2人が12月10日、国連本部で記者会見し、くロシアの同性愛宣伝禁止法について、国際オリンピック委員会(IOC)は人権抑圧を見て見ぬふりしていると批判したと共同通信の配信記事を「MSN産経」が12月11日に伝えている。
ロシア政府は同性愛宣伝禁止法は「五輪は適用外」としているが、外国の同性愛者がソチ五輪に出かけて自分たちが安全であればいいとしているわけではない。ロシア政府の同性愛者やその他に対する人権抑圧そのものを問題としているのであり、ロシア国民が抑圧を受けることの不条理そのものを問題としているのであって、「適用外」で片付けることができるとしているプーチンの考えは人権抑圧者だけあって狭い。
さらに12月15日にファビウス仏外相が同国テレビ番組でソチ冬季五輪の開幕式にオランド大統領を含む政府高官の参加は予定していないと発言。
〈外相は不参加の理由は明言しなかったが、ロシアで今年成立した同性愛宣伝禁止法など同国の人権政策への抗議が込められている可能性がある。
オランド大統領は昨年の大統領選で同性婚解禁を公約に掲げるなど同性愛者の権利擁護に理解ある立場で知られる。フランスでは今年5月に同性婚解禁法が公布された。〉(時事ドットコム)――
不参加の理由を明言していないとしているが、同性愛宣伝禁止法が主たるキッカケとなっていることは十分に推測可能とすることができる。
トドメは12月17日のホワイトハウス声明による大統領とミシェル夫人、バイデン副大統領の欠席公表であろう。
その声明でソチオリンピックの開会式や閉会式に派遣する代表団のメンバーを発表、団長は開会式ではナポリターノ前国土安全保障長官、閉会式はバーンズ国務副長官、さらに同性愛者でテニス界の女王と呼ばれたビリー・ジーン・キングさんらを開会式に派遣するとしている。
〈これまでオリンピックの開会式などで大統領や副大統領らが代表団を率いることが多かったアメリカがオバマ大統領らの出席を見送った背景には、同性愛者に差別的だと批判が上がっているロシアの人権問題に対して抗議の意思を示すねらいがあるものとみられています。
ソチオリンピックの開会式や閉会式を欠席する動きは、ヨーロッパの首脳などの間でも広がりつつあります。〉(NHK NEWS WEB)――
同性愛者の開会式派遣はオバマ大統領やミシェル夫人欠席の交換と見ることができ、明らかに同性愛宣伝禁止法に対する抗議の意思表であるはずだ。
更に引き続いて、12月19日、ロシアが隣国に位置していながら、グリバウスカイテ・リトアニア大統領が開会式出席を明らかにした。
〈大統領は「過去数カ月にわたるロシアのウクライナ、グルジアなどへの経済、政治的圧力やリトアニアへの経済的圧力」を指摘。出席する政治的意味が見いだせないと表明。「ロシアの人権状況」も欠席の理由に挙げた。
ロシアは10月から食品の安全基準などを理由にリトアニアからの乳製品の輸入を停止した。〉(MSN産経)――
今やソチオリンピック開会式は各国首脳の人権意識を試す踏み絵と化した。人権は二の次の国家主義者、日本の安倍晋三はどう対処するのだろうか。
2013年10月7日、安倍晋三はAPEC首脳会議出席のため訪問中のインドネシア・バリでプーチンと首脳会談を開催している。その会談で、〈プーチン大統領がソチオリンピックに招待する考えを伝えたのに対し、安倍総理大臣は「しっかりと検討したい」と述べました〉と、「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。
この会談から21日後の10月28日、安倍晋三が来年2月のロシア・ソチ冬季五輪大会に合わせて訪露し、プーチン大統領と首脳会談を行う方向で最終調整に入ったと10月29日付の「MSN産経」記事が伝えている。
〈五輪に合わせた訪露は大統領が求めていたもので、良好な日露関係を背景に平和条約締結に向けた北方領土問題などを意見交換する考えだ。
ソチ五輪は来年2月7日(現地時間)に開幕し、17日間開かれる。首相は7日の開会式に出席する方向。ただ、来年1月召集の通常国会の日程次第では大会期間中にソチを訪れ、競技を視察することも検討している。〉 ――
国家主義の立場上、国家を優先させ、人権意識を試す踏み絵を踏む覚悟で五輪開会式に出席するのか、あるいは自らの権意識を隠して欧米各国首脳に倣って欠席して、人権意識を共有するのか。
但し後者であっても、プーチン・ロシアとの友好関係を気遣って、多忙を理由に代理を出席させることで、ロシアの人権抑圧を理由としない出席回避を可能とすることはできる。
だが、試されているのは踏む絵を踏むか踏まないか、人権意識の程度である、例え欠席することがあっても、理由は述べないまでも、自らはソチオリンピック開会式には出席しないと声明を発するなり、談話を発表するなりすべきだろう。
例え内心の人権意識に反したとしてもである。少なくとも「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」といった価値観外交を掲げている以上、例え形式であっても、踏み絵を踏まない儀式程度の人権意識は示すべきである。
だが、棒に振った。疚しい事実だからこそ、棒に振らざるを得なかったはずだ。棒に振ったこと自体が5000万円受領が疚しい事実であることを証明する
東京オリンピック開催を決めておきながら、実現に向けた軌道に乗せることなく、また猪瀬都政を完成させることもなく、都知事就任1年で職を投げ打つことになった。
繰返し言うことになるが、疚しい事実に他ならないからであるはずだ。その疚しい事実を白日のもとに曝した場合、自らの名誉や人格を傷つけるために覆い隠そうとしたからこそ、説明を二転三転とさせざるを得なくなり、窮地に追い込まれ、これ以上職にとどまっていたなら、覆い隠すことが危うくなったために自身の名誉と人格をこれ以上剥げ落とさないよう、辞職と交換せざるを得なかった。
辞職が疚しい事実を覆い隠し、自身の名誉と人格を守る唯一の手立てだった。
だが、辞職はいっときの問題解決に過ぎない可能性が高い。本人が説明しきれずに疑惑が疑惑のまま残されている状況にある以上、東京地検特捜部は市民団体が「公職選挙法違反」や「政治資金規正法違反」の疑いで提出している告白状を、世論もそうすることを求めているだろうから、受理する方向に進むことは十分に考えることができ、そうなった場合、辞職という事実隠蔽の問題解決方法はその効力を失い、一時的なもので終わる。
猪瀬都知事は12月19日午前中、自身の名誉と人格を守ることと交換の辞職記者会見を開いた。守るためにこれまでの発言と同様に5000万円受領の正当化に終始し、辞職は都政の停滞回避とオリンピック・パラリンピックの開催準備の進捗のためだとの理由づけを行い、あくまでも疚しい事実の隠蔽を謀った。
《猪瀬知事辞意表明 記者会見全文掲載1~3》(NHK NEWS WEB/2013年12月19日 16時55分)の記事を参考に記者会見発言の必要な箇所を適宜取り上げて、疚しい事実の隠蔽を如何に言葉巧みに謀っているか、その如何わしさを自分なりに解釈してみる。
猪瀬都知事「私はこのたび東京都知事の職を辞する決心をいたしました。
先刻、吉野都議会議長に辞職を申し出て、議会において同意いただくようお願いをいたしました。
私の借り入れ金問題につきまして、都議会の本会議総務委員会の集中審議、記者会見で自分なりに都議会の皆さま、都民、国民の皆さまに説明責任を果たすべく努力をしてきたつもりであります。
しかし、残念ながら私に対する疑念を払拭(ふっしょく)するに至りませんでした。ひとえに私の不徳のいたすところであります」――
5000万円受領について何ら疚しい事実が存在しないなら、例え第三者が相手を貶めようとする意図から発したものではなく、あるいは異常な嫉妬心や憎悪の感情から合理的判断を欠いた理不尽な攻撃といったケースではない以上、その受領についてどのような疑念を抱いたとしても、その疑念を払拭できないという状況は生じない。払拭できないという状況が生じたとしたなら、何ら疚しい事実が存在しないという状況と真っ向から矛盾することになるからだ。
いわば疚しい事実の存在が疑念を払拭できない状況をつくり出しているに過ぎない。
記者「この問題が発覚してから辞職する気はないと一貫してきたが、ここにきてなぜ突然、辞任表明なのか。
知事は徳洲会側と東電病院の話をしたことがないと言っていたが、徳洲会側はどうも東電病院取得の意思があるというようなことを関係者が証言していますが、これで都知事の問題と5000万円の問題の報道で辞職に動いたということではないんですか。
猪瀬都知事「その問題と直接関係はありません。17日、石原前知事と会って、都政をこれ以上、停滞させるわけにはいかないねということで決断しました。
18日、選挙の選対責任者だったサッカーの川淵最高顧問にお会いして、東京オリンピックを何とか成功させないといけないということで、これ以上、都政を停滞するわけにいかないと相談申し上げ、決断した。
最初の質問ですが、確かに記憶の中では残っていなかった。NHKの報道でもそういう会話があったというくらいのことだったと思います。
ただし、東電の売却というのは、株主総会で昨年6月にそういう方向になったということでありまして、その後は東電売却は東京電力において競争入札が決定されるわけですから、売却の手続きは全部、東京電力が行うもので東京都とは関係ありません。以上です」――
ここで辞職の理由として都政の停滞回避とオリンピック・パラリンピック開催準備の進捗を挙げて。
猪瀬都知事が都知事選立候補前の2012年11月6日に入院中の徳田虎雄徳洲会前理事長に面会に行ったとき、徳田虎雄氏が東電病院取得の意思を伝えたとするマスコミの報道に対して、これまで、「面会の場では東京電力の病院の話題は出ていない」、あるいは「徳洲会が病院の取得を目指していたことは知らなかった」などと説明してきたことを、「確かに記憶の中では残っていなかった」と記憶忘れのせいにした上で、その不確かな記憶を「NHKの報道でもそういう会話があったというくらいのことだったと思います」と不確かな事実とすることで正当化するゴマ化しに置き換えている。
事実かどうかの記憶は自身の頭の中にある。報道の事実性に関係ないことであるにも関わらず、報道の事実性を不確かとすることで自身の記憶の不確かの根拠とするゴマ化しは狡猾に過ぎる。
また、最後の発言にも言い抜けがある。「売却の手続きは全部、東京電力が行うもので東京都とは関係ありません」と言っているが、都道府県知事は病院などの開設許可や医療関連補助金の支出などで絶大な権限を握っているということだから、売却後の手続きは東電の手を離れて東京都と関係することになる。
だが、説明を売却までとし、売却後を省くゴマ化しを巧妙にも働かせて、東京都とは関係ないことと言い抜けている。5000万円受領のイキサツが疚しい事実でないなら、このような誤魔化しや言い抜けは必要としないだろう。
記者「5000万円の主旨は生活の資金という考えは変わらないか。
猪瀬都知事「すでに繰り返しご説明申し上げてきましたが、これは議会でも、そして総務委員会でも申し上げましたが、個人的にお借りしたものであります。
そして、お借りしたものを返しました。借用書もお見せしました。そういうことで、昨年の11月ころ、自分の選挙がどうなるかという不安のなかで仕事を、選挙がダメだった場合は、有名な候補が出そうだということで、生活の不安があったのでお借りしましたが、結局、生活の不安は、お借りしてそのあと当選したので、返そうとお返しする算段をしていたところ、遅れたことをご説明申し上げました。以上です」
記者「ジャーナリスト時代から権力を追及、ファクトとエビデンス(証拠)を大事にしてきたということだが、辞任に至ったこれまでの会見、委員会の発言・答弁についてファクトと宣言できるか」
猪瀬都知事「できるかぎり、ファクトに忠実に発言してきたつもりだが、一部に記憶違いがあったりですとか、何月何日のどこでと言われても一瞬で答えられないことがありましたので、小さな間違いがいくつかあったということでありまして、基本的にはファクトを注視して発言したつもりです」――
だが、「疑念を払拭(ふっしょく)するに至」らなかった。どのように発言しようと、疑念は付き纏ったばかりか、却って疑念を増殖させることとなった。
それは疑念に対応した「ファクト」だからだろう。疚しい事実に関わる側の人間にとっても疚しい事実(=疚しいファクト)は常に疑念を孕むことになる。正当性に対する疑念、世間に露見した場合の非難がもたらす予想される立場の変化に対する疑念、関わることの自らの人間性に対する疑念等々である。そのような疑念を抑えることで、疚しい事実からその疚しさを辛うじて取り除くことができ、疚しくない事実と関係ない人間として世間に正対することができる。
記者「5000万円を借りたことを後悔しているか」
猪瀬都知事「当時はちょうど石原知事がお辞めになるということで、各業界・各団体の人に毎日毎日お会いして回るという状況のなかで、たまたま個人的にお金を貸してくれるという人がおりましたので、それはお借りしましたが、それはお借りすべきでなかったと思っております。
それはアマチュアの政治家ということに、よく知らないアマチュアだったなというふうに思っております」――
最初は誰もがアマチュアである。アマチュアであるかどうかは関係ない。善悪に対する意志の問題である。だが、アマチュアであったことを以ってすべてを正当化しようとしている。
記者「(自身でオリンピックを開催ができなくなって)未練はないのか」
猪瀬都知事「もちろん、オリンピック・パラリンピックが決まったことは、やはり歴史的なことだったと思います。
『チーム日本』の力が発揮された。「チーム日本」ができたのだから、政府も東京都も民間も財界も都議会もいろんな人々も、『チーム日本』ができたという記憶をもって、2020年オリンピックに1つになって向かっていただければ満足です」
記者「未練はないということか」
猪瀬都知事「だから、それで満足です」――
自分の手で実際の開催を行うことができなくなったことに人間として未練を感じないことはあるまい。だが、そのことさえも捨て去らなければならない程に5000万円受領は疚しい事実だった。
疚しい事実でなければ、都知事の職を誰が棒に振るもんか。2020年東京オリンピックの開催責任者としての地位も同時に棒に振る泣きっ面に蜂を味わうことになるのである。
1+1は2程度の簡単な算術に過ぎない。
最後に、疚しい事実は猪瀬直樹という政治家の人間性の疚しさに対応する。決して非対応ということはない。
以下はあくまでも刑事が犯罪の事実を立証するのと同じ事実の立証ではなく、刑事が推理を経て犯罪の容疑をかけるのと同じく、推理を用いた事実の容疑に過ぎない。
勿論、マスコミ記事を総合しての推理上の容疑であって、間接的なアプローチの感は免れることができないが、答はどうしてもその方向に導かれていく。
但し私自身の頭の問題は常に付き纏うことになる。解釈能力の程度の問題である。
二つの新事実の一つはこれまで猪瀬都知事が5000万円返済後の借用書について9月26日(後に9月25日に訂正)鈴木特別秘書が都内のホテルで徳田毅氏代理人である母親の徳田秀子氏に面会、借入金を全額返済し、後日、借用証は徳田毅氏事務所から都知事の事務所に郵送されてきたとしていた証言に対する12月17日の東京都議会総務委員会閉会中審査で訂正した新たな証言である。
猪瀬都知事「借用書は徳田議員の事務所から政治団体(一水会)の代表の木村三浩氏が受け取り、木村氏からこちらに送られてきた。借用書が戻ってきた正確な日付は確認していないが、鈴木特別秘書から『借用書は戻ってきているので安心してほしい』と言われた」(NHK NEWS WEB)
「時事ドットコム」記事では木村三浩一水会代表自身が借用書を取りに行ったことになっている。
猪瀬都知事「(木村氏が9月25日の返済の場に立ち会い)その場で(鈴木氏に借用証を)渡すはずだった。徳田氏の関係者のところに借用証があるから、木村氏が(事前に)取りに行った」――
木村氏は猪瀬都知事か特別秘書の鈴木氏かに頼まれもせずに自分の判断で借用書を徳田事務所に受け取りに言ったとは考えにくい。自分の判断で受け取りにいったとしたら、僭越行為となる。
頼まれたとすると、鈴木特別秘書が自分の発案で木村氏に直接頼む関係にないから、猪瀬都知事が直接頼んだか、鈴木特別秘書を介して頼んだのか、いずれかということになる。
だとしても、なぜ木村氏に頼んで受け取りに行って貰ったのだろう。しかも受け取った木村氏は直接猪瀬事務所に届けたのではなく、徳田事務所に郵送か宅配便で送ってきた。二度手間そのもので、これまで説明してきたように徳田事務所から直接郵送されてきたとする方がごくごく自然である。
11月22日午後の猪瀬都知事の定例会見では借用書について次のように発言している。
記者「借用書は公開できるのか」
猪瀬都知事「それは確かめてからにします。僕は今、直接持っていないので」
記者「あるかないかを確認してから、公開するか決めるということか」
猪瀬都知事「まあそういうことになりますが、もしかしてそれは終わったら借金を借り入れしたわけですから、いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので、あるかどうか分かりません。あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」(MSN産経)――
「あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」の発言は処分して、最早存在しないといったニュアンスとなっている。少なくとも最早存在しないとしたい欲求を窺うことができる。
破棄・処分は証拠隠滅か、元々存在しない物を存在していたかに見せかけるときの奥の手である。最初からホンモノの借用書として存在していたなら、返済の証拠として手許に保存しておかなければならない必要上、破棄・処分といった手間を踏むことはない。
いわば破棄・処分で着地点を見い出したい意識が言わせた発言と疑うことができる。だが、実際にそうした場合の疑惑を却って招く危険性は予想できただろうから、破棄・処分で着地点を見い出したい意識を抑えざるを得なかった。
また、破棄・処分の奥の手を使う必要性は借用書が元々存在しないか、存在したとしてもホンモノではない場合に生じる。
11月22日午後の定例会見では破棄・処分で着地点を見い出したい欲求の発言をしていながら、4日後の11月26日公開記者会見で借用書を公開した。11月25日朝、借用書が猪瀬氏の貸し金庫にあることを確認したという。
ではなぜ一度であっても、破棄・処分で着地点を見い出したいニュアンスの発言をしたのだろうか。
答は元々存在しない借用書を存在するとしたニセモノで借用書問題解決の着地点とすることに変更したからだろう。
2013年11月27日の当ブログ記事――《ウソつき猪瀬都知事のウソと矛盾満載の11月26日(2013年)借用書存在証明記者会見 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。
〈借用書を、この通り存在すると見せたが、ニセモノの借用書だから、答える内容を変えなければならなかった。もし、この借用書に徳田氏側から異議申立てがなかったとしたら、前以て話をつけておいたからなのは断言できる〉――
では、ニセモノの領収書の出所はどこなのだろうか。猪瀬都知事が秘書とかに命じて作らせたのだろうか。だが、秘書とかではその口に完璧な戸を立てることを望むのは難しい。
それに元々存在しない借用書をつくるのだから、徳田毅議員の了解も取らなければならない。
そこで徳田毅議員と猪瀬都知事の両者の間を取り持った木村一水会代表が徳田事務所に出向いて借用書を受け取り、それを木村氏が猪瀬事務所に郵送したというストーリーで、徳田事務所を出所とした。
だが、徳田毅議員は公職選挙法違反で取り調べを受けている。これ以上自分を悪者にすることはできないはずだ。出所を徳田事務所とする猪瀬川のフィクションの作成はあくまでも猪瀬側の問題であって結構だが、ニセモノの借用書の発行元そのものにになるわけにはいかないと断ったとしたら。
残る方法はストーリだけはそのままにして、徳田毅議員の黙認の下、いわば徳田毅議員に話をつけて木村氏が発行元となって借用書を作成、猪瀬事務所に郵送、郵送された領収書に猪瀬都知事がサインして、ホンモノへと仕上げ、公開した。
この事実の容疑はもう一つの新事実が補強する。
猪瀬都知事が都知事選立候補前の2012年11月6日に神奈川県鎌倉市の病院に入院中の医療法人徳洲会グループ徳田虎雄前理事長に挨拶に行ったとき、徳田虎雄氏側から売却が決まっていた東京電力病院取得の意向を伝えられていたことが12月18日、関係者の話から判明したと各マスコミが伝えている新事実に対して猪瀬都知事のこれまでの説明が「面会の場では東京電力の病院の話題は出ていない」、あるいは「徳洲会が病院の取得を目指していたことは知らなかった」(NHK NEWS WEB)などと説明していた事実との食い違いである。
5000万円に関わる説明の二転三転はここから発していると見なければならない。猪瀬都知事の個人的借用だとする説明が事実とすると、借用に関わる経緯に対する説明が二転三転するわけはない。徳田虎雄氏は病院許可の権限を持つ猪瀬都知事の便宜を期待する意思の下、5000万円を供与した。供与である以上、借用書は取らない。
猪瀬都知事は暗黙の了解の下、借用書は書かずに5000万円を受け取った。
だが、今年の9月17日になってで東京地検特捜部が昨年12月衆院選での運動員買収の公職選挙法違反容疑で徳洲会グループへの強制捜査に乗り出すや、9月26日に慌てて返済し、個人的借用とするために今度は借用書が必要になった。
だが、借用書は元々存在しなかったから、新たに作る必要に駆られたが、自身が作った場合、追及されたとき口を滑らさないとも限らない。そこで木村一水会代表が徳田事務所に借用書を受け取りに行き、それを猪瀬事務所に郵送したというストーリーを作って、木村代表を借用書の発行元とした。
5000万円の実際の返済については強制捜査の9月17日に近過ぎず、かと言って離れてからでは、昨年11月20日に5000万円受け取った日から離れ過ぎることになる上に、早く返して何事もないこととしたい焦る気持が19日後の9月26日になったといったところではないだろうか。
以上が各マスコミ記事から、推理を用いた事実の容疑に対する結論である。
12月18日深夜発信のマスコミ記事が、猪瀬都知事が12月19日緊急記者会見を開催、知事を辞職する考えを表明すると伝えている。都議会が関係者の出頭拒否や偽証に対する罰則が法律に規定されていて、法律に基づく調査権を持つ「百条委員会」設置の方向に動き、そこでの改めての追及を考えると、最早耐えられなくなったに違いない。
例え辞任しても、ウソや言い替えで説明を二転三転させた醜態は記憶されるだろうし、その人格に対する疑いは決定的なものとして残ることになるに違いない。
政府は12月17日、閣議に先立って国家安全保障会議を開催、「国家安全保障戦略」と「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」及び「平成26年度から平成30年度までを対象とする中期防衛力整備計画」を審議、閣議決定を行った。
ここでは対立が険悪化の方向一方に進んでいる中国との関係に於ける安倍晋三の中国に対する防衛上の位置付けとその外交能力を見てみる。
閣議決定した《平成26年度以降に係る防衛計画の大綱(概要)(案)》は【調整中】と赤文字で大きく書いてあるが、中国についての記述は次のようになっている。
〈中国は、継続的に高い水準で、国防費を増加させ、軍事力の広範かつ急速な近代化を十分な透明性を欠く形で推進。また、海空域における活動を急速に拡大・活発化し、力を背景とした現状変更の試み。こうした軍事動向ついては、我が国にとって、今後も強い関心を持って注視していく必要。また、地域・国際社会の安全保障上も懸念されるところ。〉――
書いてあることはいつも安倍晋三が言っていることと同じである。
そして結論の一つとして、次のように記述している。
〈主要国間の大規模武力紛争の蓋然性は引き続いて低いと考えられる一方で、安全保障上の課題や不安定要因がより顕在化・先鋭化。我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している。〉――
そして「防衛の基本方針」で、〈我が国は、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないとの基本方針に従い、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備。〉とし、護衛艦を48隻から54隻、作戦用航空機を490機から530機、うち戦闘機を260機から280機、オスプレイ17機、米軍の情報収集無人偵察機グローバルホーク3機、その他を増強する計画を立てている。
このような日本の国家安全保障上の中国の軍事的存在に対する位置付けとその軍事的対抗としての防衛力増強と“統合的”と称するその運営方針を安倍晋三の軍国主義・国家主義の顔をより露わにした安全保障政策だと言うのは、特に中国に対する「安全保障上の課題や不安定要因」の「より顕在化・先鋭化」は尖閣諸島の国有化に単を発しているものの、安倍晋三自身の歴史認識や中国批判が大部分関わってつくり出した状況でもあるからであって、そのような状況を外交の力によって逆方向に舵を切るのではなく、防衛力増強によって対抗しようとする意志を強めているからだ。
歴史認識で戦前の日本を正当化し、尖閣の領有権問題等では声高に中国を批判する一方向のみで、こういったことは対立激化・険悪化には役立っても、直接対話の方策を自ら狭める結果を招くことにしか役立たず、結果として中国に対する立ち往生をつくり出して、関係改善の方策を何一つ見い出すことができない外交となっている。
いわば中国との関係悪化は安倍対中国外交の拙劣な成果であろう。
国家の安全保障の柱は外交と防衛力と経済である。それぞれに重要な安全保障上の要素ではあるものの、その先頭に位置する要素は外交であるはずである。謂われもなく突然戦争を仕掛けてくる狂犬国家は例外として、国際秩序を重んじなければならない今の時代に於いて戦争を招くも招かないも、あるいは関係悪化も関係改善も多くは外交の力にかかっている。
だが、国家的に外交が見るべき能力を持ち得ていない状況下では必然的にその能力不足を防衛力で補おうとする力が働く。
安倍政権下の今の日本がそういった状況にあるはずだ。
安倍晋三は12月16日、《ふるさとの風コンサート ~「北朝鮮拉致被害者」救出を誓う音楽の集い》で、拉致問題に関しての発言だが、次のように言っている。
安倍晋三「私は総理に就任して1年間、150回以上首脳会談を行いました」――
安倍晋三は自身の外交能力を誇るとき、訪問国数や首脳会談数を持ち出す。こういった機械的算術による積み重ねの回数を持ち出して外交成果とすること自体、外交能力の劣悪さの証明以外の何ものでもないが、その回数が安全保障上喫緊の課題とされている中国や韓国との関係改善の外交に何ら役立っていないことに気づかない判断能力の持ち主である。
「国家安全保障戦略(概要)(案)」では中国に対しては中長期的には戦略的互恵関係の構築を謳ってはいるものの、構築実現自体が安倍晋三の外交能力にかかっているはずだが、外国にまで出かけて中国批判一方の外交しか見せることができないことから考えると、単なる謳い文句で推移する可能性が高い。
外交という力を発揮できないまま、そのことを置き去りにして「充実」とか「整備」とかの名のもとに防衛力の増強を図った場合、相手国も同じ線上での増強で対抗することになり、そこに自ずと軍拡競争が発生しない保証はない。
外交の力の発揮を自ら遮断した状況下での防衛力増強にしても軍拡競争にしても、安倍晋三が元々素地としている軍国主義・国家主義の顔をより露わにすることになる。
2013年12月13日から15日までの3日間の日・ASEAN特別首脳会議で日本の安倍晋三は中国に対して欠席裁判を行った。
最初に断っておくが、中国の肩を持つわけではない。中国の人権活動家や民主化活動家に対する人権抑圧には目に余るものがある。日本はそのことを批判し、共産党一党独裁からの脱却と民主化を促すべきだろう。内政干渉との反論に対しては、基本的人権は人類共通の普遍的価値であって、そうである以上、人権問題に国境は存在しない、それゆえ内政干渉には当たらないと堂々と主張すべきだろう。
また尖閣の領有権問題に関しては、民主党政権及び現在の安倍政権が日本の立場として持している「領土問題は存在しない」という姿勢で領有権問題は話し合わないとするのではなく、日本固有の領土という立場で、その根拠を示して議論を以って戦うべきだと考えている。
右翼の軍国主義者安倍晋三は中国が参加しない日・ASEAN特別首脳会議を利用してASEAN諸国を味方に引き入れ、数の力で中国に対して優位に立ち、中国に圧力をかけようと欲した。
だが、その狙いは失敗した。日・ASEAN特別首脳会議共同声明文言に中国の防空識別圏設定は安全保障上の「脅威」とする主張を取り入れさせようとしたが、ASEAN諸国に対中配慮が働いて、受け入れられなかったとマスコミは伝えている。
要するに欠席裁判で中国を有罪としようとしたが、失敗した。ASEAN諸国は日本の対中批判に加担することを断ったということである。
大体がこのことは首脳会議が開催される前から分かっていたことである。ASEANの大国ベトナムのズン首相は日・ASEAN特別首脳会議出席のための日本訪問前の12月10、NHKのインタビューに応じて、中国の防空識別圏設定によって生じた日中対立について、「双方が国際法に基づき平和的な解決方法を見いだすことを望む」(NHK NEWS WEB)と日中直接の話し合いによる解決を求めていたのである。
ということは、当事者同士の話し合いの解決こそを有効な方法だと見做していて、一方の当事者が不在な場所での解決は無効としていたことになる。
同じASEANの大国であるインドネシアのユドヨノ大統領にしても、日・ASEAN特別首脳会議出席で来日、12月13日会議開催当日の会議開催前に都内で講演、「日本と中国が良好な関係を築くことが、東南アジアの将来にとっても極めて重要だ」(NHK NEWS WEB)と、日中直接の話し合いによる問題解決を通した日中関係改善を求めている。
中国と関係が深いカンボジアのフン・セン首相にしても、日・ASEAN特別首脳会議を前にした12月3日のプノンペンの私邸での共同通信などとの会見で同じ趣旨の発言を行っている。
フン・セン首相「(日中対立について)双方が政治的決断を誤れば、予想もつかない深刻な結果につながる。最大限の自制が必要だ。
ASEANにとって日中は重要な経済パートナーであり、対立で最も致命的な影響を受けるのはASEANだ
(防空識別圏設定について)日中間の緊張や対決はASEANの懸念となる」(MSN産経)
発言は日中双方への自制の必要性、関係改善を求めるもので、中国批判を窺わせる言葉は一つもない。どちらか一方に加担することの拒否サインであろう。
いわば対立は好まない、迷惑だと内心の声は訴えていた。ホンネは日中双方からの経済的果実の収穫の破綻を恐れている辺りにあると見ることもできる。
安倍晋三はこういった発言を情報とし、意味するところを認識していたはずだ。だが、日・ASEAN特別首脳会議前の中国が出席しない各国首脳との会談で「力による現状の一方的変更」を執拗に批判し続けた。
勿論、12月14日午前の日・ASEAN特別首脳会議全体会合でも、同じ執拗な発言を繰返している。
安倍晋三「一方的な行為により現状を変えようとする動き、自由な飛行を基礎とする国際航空秩序に制限を加えようとする動きは強い懸念材料だ」(時事ドットコム)
そして執拗な批判の成果は共同声明に現れることになる。
共同声明「自由で安全な海洋航行及び飛行:我々は、日本とASEANの連結性の強化がもたらす利益を認識し、空と海での繋がりに関する協力を強化することに合意した。
我々はまた、1982年のUNCLOSを含む国際法の普遍的な原則並びに国際民間航空機関(ICAO)による関連の基準及び推奨される慣行に従って、上空飛行の自由及び民間航空の安全を確保するための協力を強化することに合意した」――
共同声明には「防空識別圏」の言葉は一言もなく、また「中国」の言葉も、〈日本は、南シナ海における行動規範に関するASEANと中国の公式な協議を歓迎した。〉とする文言以外何もなく、当然、中国の防空識別圏設定に対する“脅威”の訴えも“懸念”の訴えも取り入れられることもなく、国際法や国際慣行に従った上空飛行の自由及び民間航空の安全確保協力強化の合意を謳うにとどまった。
要するに防空識別圏や領有権問題を含めた中国の“脅威”も、あるいは“脅威”を一段と弱めた“懸念”もASEAN各国には共有されることはなかった。
“脅威”、あるいは“懸念”は安倍晋三一人のみの問題意識にとどまった。つまりは日・ASEAN特別首脳会議全体会合という場では安倍晋三の問題意識は宙に浮いた形となった。
これが右翼の軍国主義者安倍晋三が精一杯の外交能力をフル回転して獲ち得た成果である。
勿論、自信過剰なだけの安倍晋三は自らの成果の実質に気づかない。12月13日《首相官邸記者会見》
安倍晋三「今や世界の成長センターとなったASEANがさらに発展をしていくためには、力ではなく法が支配する、自由で安全な海と空が不可欠であります。これに対し、現在、一方的な行為により東シナ海、そして南シナ海の現状を変えようとする動き、自由な飛行を基礎とする国際航空秩序に制限を加えようとする動きが見られます。この地域の緊張が高まっていくことは、誰の利益にもなりません。我々はこのような動きを強く懸念をしています。恐らく、多くのASEANの国々の首脳の皆さんもその懸念を共有していることと思います」――
日中対立が及ぼすかもしれない様々な懸念はASEAN各国の共有するところとなっているが、日本の安倍晋三の中国批判、あるいは対中包囲網意識は何ら共有されなかった。
にも関わらず共有されたとする認識は相変わらず合理性を欠く内容となっている。
安倍晋三は日・ASEAN特別首脳会議全体会合で5年間で2兆円規模のODA=政府開発援助実施と2015年ASEAN経済共同体発足準備基金に1億ドル(約103億円)の拠出を表明したということだが、巨額のカネを出すことについてが唯一の外交成果といったところだろう。
反論の機会を与えない欠席裁判は当然のことだが、中国の反発を招いた。
中国外務省の洪磊・副報道局長談話「日本の指導者が国際会議を利用し、悪意を持って中国を中傷する言論を発表したことに強烈な不満を表明する」(時事ドットコム)――
安倍晋三は中国も出席したASEAN首脳会談で「飛行の自由」を言うべきだったろう。反論の機会を与えることによって、公平性が確保できるだけではなく、真の外交能力は遠回しの間接的批判ではなく、直接的な議論を闘わせることによってこそ、その成果を測ることができるからである。
〈ケリー米国務長官は9日、ノーベル平和賞受賞者で中国の民主活動家、劉暁波氏=国家政権転覆扇動罪で服役中=が拘束されてから8日で5年を迎えたのを受けて声明を発表し、投獄が続いていることに「深い懸念」を表明、中国政府に劉氏解放と人権尊重を強く求めた。〉と、「MSN産経」記事――《米長官、中国に劉暁波氏の解放要求 拘束から5年で声明》(/2013.12.10 13:06)が伝えていた。
〈声明は、約3年間続いている妻の劉霞さんに対する自宅軟禁の解除も促した。(共同)〉と言う。
右翼の軍国主義者安倍晋三は右翼の軍国主義者安倍晋三でありながら、逆説的にしか見えないが、積極的平和主義を掲げている。今回東京で開催された2013年12月13日、14日の日・ASEAN特別首脳会議の全体会合でも積極的平和主義に言及している。
《安倍首相発言要旨=ASEAN特別首脳会議》(時事ドットコム/2013/12/14-15:52)
一部分引用。
安倍晋三「政治・安全保障分野の協力を一層強化したい。日本は国際社会のルールを重んじ、基本的価値を共にする国々の一員として、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、地域、世界の平和と安定により一層積極的に貢献する」――
「基本的価値を共にする」とは安倍晋三が常々言っている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観を指すはずだ。いわば平和主義は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観が保障する。
自由の抑圧、独裁主義、基本的人権の無視、恣意的法の支配によって平和主義は実現できない。
安倍晋三2013年年頭所感(2013年1月1日)
安倍晋三「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します。国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化なども進めてまいります」――
「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の基本的価値観を自らの外交姿勢として、それを基本線にして国家間の付き合いをする。
当然、相手国にも「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の基本的な価値観を求めることになる。
安倍晋三は今年の3月30日、31日と2日間の日程でモンゴルを訪問。30日の共同記者会見で次のように発言している。
安倍晋三「私の政権では自由、民主主義、法の支配、基本的人権といった普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視し、地球儀を俯瞰するように戦略的外交を展開していく」(時事ドットコム)
ここでは「普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視」すると言っているが、中国やロシアのように共有できない大国を政治的にも経済的にも無視できるわけではないから、基本的価値観を自らの外交姿勢としている以上、同じ土俵に立たせるべく努力しなければ、二重基準を侵すことになる。
自分は基本的価値観を外交姿勢とするが、共有できない国にはそのような外交姿勢は求めないでは国に応じて態度を変えるということになって、矛盾そのものとなる。特に国家安全保障上、外国との付き合いに於いて基本的価値観を共有できることが最大の国家安全保障策となる。
2013年2月1日の参議院本会議での代表質問。
水野賢一・みんなの党「総理は外交方針として自由・民主主義・法の支配などの価値感を共有する国々との連携を模索しているようです。
そういう意味では、それらの価値感が一致するとは言い難い状況の中国とは共産党一党独裁の元、様々な人権侵害が続いています。3年前、民主化運動をしている劉暁波(リュウ・ギョウハ)氏がノーベル平和賞を受賞しましたが、政治犯として服役中のため、授賞式に出席することさえできませんでした。
そのとき自民党議員は総理の菅首相に、釈放を求めるべきだと、随分詰め寄っていました。みんなの党も劉暁波氏の釈放を求める決議案を国会に提出致しました。
安倍総理は劉暁波氏を含む中国の民主化活動家やチベットの独立運動家に対する中国政府の弾圧に対して、どのような姿勢で臨むのですか。具体的には劉暁波氏の釈放を求めますか」
安倍晋三「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります。
劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることは望ましいと、考えられます。
このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会を捉えて、民主化活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」――
だが、自らは懸念の声を上げていない。外交当局に丸投げしているのみで、一度も声を上げていないはずだ。終始一貫、音無しの構えでいる。「積極的平和主義」を掲げる以上、平和主義なるものが「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観の保障によって成り立つ関係にあることからして、中国を普遍的価値観の同じ土俵に少しでも近づけさせるためにも、劉暁波氏の釈放や、その他の民主活動家に対する中国当局の国際基準の法に則らない人権無視、あるいは人権抑圧に対して自ら声を上げなければならないはずだ。
ところが実情は「積極的平和主義」なる言葉をあちこちでバラ撒くだけで、平和主義の実践の一つとなり得る釈放要求の声さえ上げない。
この実践に対する音無しの構えは安倍晋三の掲げる「積極的平和主義」が如何にニセモノ性の状況にあるかを物語って余りある。
元々信用できない政治家の信用できない政治姿勢といった、当然の整合性ということなのか。
性同一性障害で戸籍の性別を女性から男性に変えた夫の妻が第三者から精子の提供を受けて妊娠、長男を出産。夫がその子を自分の子と認めるよう起こした裁判で、最高裁判所は「血縁関係がなくても父親と認めるべきだ」という初めての嫡出子判断を示して訴えを認める決定を出したという。結構毛だらけ、猫灰だらけ。
《性別変更の夫婦の子で初判断》(NHK NEWS WEB/2013年12月11日 17時54分)
記事は、〈家族の形が多様化するなかで、決定は生殖補助医療を巡るの議論にも影響を与えそうです。〉と解説しているが、国の法整備よりも、日本人の精神性としてある夫と妻の間の子に正統性を置く背景となっている、血(=血統)に価値を置く権威主義に一石を投ずることの方にこそ、関心がある。
性同一性障害の夫婦の子どもについては法務省の見解に従ってこれまで「嫡出子」と認められてこなかったという。要するに血が繋がっていなければ、親子ではないとしてきた。
血がつながっていても、人格的精神性に於いて親子ではない親子が世の中にはいくらでもいるではないか。
いわば血は親子関係の良好な在り様を保証する絶対的条件ではない。
大谷剛彦裁判長「現在は性別を変えることができるようになったうえ、性別変更後に結婚することも認められている。結婚できる以上、血縁関係がなくても子どもの父親と認めるべきだ」
寺田逸郎裁判官「結婚制度は夫婦の関係を認めただけでなく子どもを嫡出子と認めることと強く結びついている。性別を変更して結婚を認めた以上は、血縁がなくても嫡出子とする可能性を排除していない」――
この考え方だと、結婚していない男女の間の子どもは嫡出子として認めないままとなる。
岡部喜代子裁判官「嫡出子とは本来、夫婦の間にできた子どものことだ。制度上は結婚できても遺伝的に子どもを作ることができなければ父親と認めることはできない」
血縁関係重視の考え方だと記事は書いている。要するに結婚での親子関係に於いて血に絶対的価値を置き、血を一つの重大な権威と見做している。
榊原富士子早稲田大学大学院法務研究科教授「生殖補助医療の進歩で家族の形が多様化しているのに法律の整備が追いついていない。国は家族に対する法律の整備に慎重になっているが、法整備を急ぐべきだ。今回の決定はその後押しになるのではないか」――
血の繋がりのない男女が夫婦となり、男女双方と血の繋がりのない子どもを持って、あるいは男女何れかの方と血のつながりのない子どもを持って、社会的にどのような問題があるのだろうか。社会的に問題がなければ、法的にも問題ないとしなければ、法律は社会に追いついていないことになる。
社会に追いついている例は、2004年11月1日の法務省の「戸籍における嫡出でない子の父母との続柄欄の記載の変更」であろう。それまで非嫡出子の出生届では父母の戸籍続柄欄には「男」、「女」と記載され、嫡出子の「長男(長女)」、「二男(二女)」等の記載と差別をつけていたが、嫡出子と同等に改めている。
血の権威の希薄化である。
相続権に関しても、2013年12月5日、嫡出子と非嫡出子では2分の1であったものを同等とする改正民法が成立した。
養子の場合は続き欄に「養子」と書かれるが、これも撤廃して、親が話すかどうかに任せたらいい。親子関係が良好であった場合、話したなら、子どもは一般的な出生とは異なる経験を知らない間に広げ、知らない間に自らの生きる世界を広げていたことになる。
素晴らしいことではないか。知ったなら、今後を生きる豊かな精神的糧となるだろうし、しなければならない。試されているのは血ではなく、一個の自分自身であるはずだ。
だが、日本では血に価値を置き、血を権威としているために試されている価値観が一個の自分自身であるという自覚をなかなか持てないでいる。日本人の多くが自立していないと言われる所以であろう。
まあ、私自身は偉そうなことを言うことができる程、大した生き方はしていないが。
血の最たる権威主義は天皇の万世一系という絶対的価値観であろう。天皇の万世一系に絶対的価値を置く権威主義者は血に上下の価値を置いているゆえに日本民族優越主義(=民族差別主義)を背中合わせとすることになる。
その典型的な政治家は安倍晋三であろう。安倍晋三が唱えている「積極的平和主義」は中国に対抗する便宜的手段に過ぎない。民族差別主義者の積極的平和主義は倒錯以外の何ものでもない。
結婚は家(=血)と家が結びついて新たな血を生み出す場ではなく、個と個が結びついて個の相互性を築いていく場であり、親子はその反映としてある個と個が結びつき、親子の相互性を築く場であろう。
個は自立していて、初めて個と言うことができる。血は自立の要件足り得ない。逆に血に拘り、血に恃む程、自立から遠ざかる。
日本人は素晴らしいと言う言葉をよく聞く。素晴らしい日本人もいれば、素晴らしくない日本人もいる。他国に於いても同じだろう。素晴らしいかどうかは個が決める能力である。日本人であることが決める能力ではない。
今回の妻の第三者提供精子出産の長男を性同一性障害で戸籍の性別を女性から男性に変えた夫の子と認めた最高裁判決は裁判長及び裁判官が自覚していようがいまいが、結果的には血の繋がりよりも個の繋がりに価値観と権威を置く判決であって、このような決定が更に進んだ先に血に価値観を置く呪縛から逃れることができる地平が待ち構えていて、自立というものを獲得できるのではないだろうか。
右翼の軍国主義者安倍晋三は教育にばかりか、国の防衛に関しても愛国心の植えつけを企んでいる。新策定の外交と防衛の基本方針「国家安全保障戦略」に「わが国と郷土を愛する心を養う」必要性を盛り込む方向で調整を進めているとマスメディアが伝えていた。
来週12月17日の閣議決定を目指しているという。
当初の政府案は「国を愛する心を育む」と直截・露骨に愛国心の植え付けを方針として掲げたが、公明党が改正教育基本法を踏まえるべきだと主張したことから、改正教育基本法の表現を踏襲して、「わが国と郷土を愛する心を養う」と明記することになったと「MSN産経」記事が伝えていた。
だが、公明党案でいくら「わが国と郷土を愛する心を養う」と明記しようとも、右翼の軍国主義者安倍晋三の心と頭の中は「国を愛する心を育む」=愛国心の植えつけを一直線に目指していると見なければならない。
勿論、その「愛国心」が国民一人一人が自律(自立)した考えを持ち、基本的人権に則った対等・公正・公平な社会関係の構築を基礎として外交的と軍事的と経済的国家防衛を手段とした国の平和な発展を望み、行動する意味での「愛国心」なら問題はない。
だが、そういった「愛国心」ではないとしたら、問題となる。
要は右翼の軍国主義者・国家主義者安倍晋三が「愛国心」の概念(意味・内容)をどう把えているかである。概念の把握によって、求める「愛国心」の質や方向性が決まってくる。
安倍晋三が軍国主義と国家主義である以上、軍国主義と国家主義の観点から意味づけた「愛国心」と見なければならない。
国家と国民の関係は軍国主義に於いては国民の生活・教育等を、すべてに亘って国家の軍事力強化に従事させ、国家主義に於いては国民の権利・自由を国家権力に従属させる関係の国家構造を言う。
いわば両主義共、国家を主体とし、国民を従の存在とする価値観を構成している。
この場合の従属は、無条件の奉仕を同義語とする。単に国家の言いなりになる消極的・受動的従属であっても、背かないという点で軍国主義国家・国家主義国家に於いては国家の利益を形成する奉仕となる。当然、積極的従属は国家への強力な奉仕の形となって現れる。
軍国主義国家・国家主義国家に於ける「愛国心」とは如何なる場面に於いても国家に従属し奉仕する精神を言い、国家への従属と奉仕の度合いによって愛国心の程度が計られることになる。
この国家への従属と奉仕を求める「愛国心」は安倍晋三の元駐タイ大使岡崎久彦と共著の『この国を守る決意』の中の、「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」という言葉に端的に現れている。
これは国民の愛国心を言っている言葉だが、この言葉の主体はあくまでも国家であって、国民を国家に対して従の関係(=国家に従属させる関係)に置いている。
一度ブログに用いたが、他にも安倍晋三の「愛国心」が国民の国家に対する従属と奉仕の精神を意味している発言を示すことができる。
4月10日(2013年)の衆院予算委で山内康一みんなの党議員が少年の犯罪発生件数との関係から、道徳教育の効果について安倍晋三に問い質した質問に対しての答弁の中に現れている。
安倍晋三「これはですね、犯罪発生率等はですね、その時代の時代背景なんですが、この段階でまだ貧しかったんですね。
私は日本はね、そういう中に於いて、えー、子どもたちが犯罪に走らざるを得ないという、そういう経済的な状況といいうのがかなりあったわけでありまして、基本的にはそういう分析がなされております。
これは少年犯罪だけではなくて、一般の犯罪も物凄く多いですから、昭和20年代までそれはそういうことなんですが、あとは先程ですね、道徳教育をお話しをされたんですが、ではなぜ明治時代に教育勅語を出して、そして修身教育を行ったのかと言えば、それは伊藤博文がヨーロッパを回ってくる中に於いてですね、育下の役割が極めて多いということに気づいたわけですね。
そしてそれは子どもたちは神様を見ていると。神と自分の関係に於いて罪を犯してはならないと、こういうことだったわけです。ございますが、日本に於いてはお天道さま(おてんとうさま)が見ているということであったわけでございますが、しかし教会が果たす役割をどうすればいいかということを考えた中に於いてですね、教育勅語を当時の陛下が出され、そして修身というものが生まれたということですね」――
起承転結の一貫性のない答弁となっていて、頭の程度を窺い知ることができるが、教育勅語と修身教育に道徳教育の価値を見い出していることは理解できる。
だが、教育勅語は天皇の教えに従った天皇や日本国家への忠義を求めることによる国家の秩序形成と、父母への孝行を求めることによって社会の基本的単位である家族の秩序形成の両面から国民を統治する装置としての働きを持たせ、修身は教育勅語の忠義と孝行の教えを拠り所とした道徳教育を通して忠孝や忠君愛国を国民(戦前は国民は天皇の臣民とされていた)が形成すべき精神とし、そのような精神形成によって国民を統治する装置としての働きを持たせていたのである。
この戦前の忠義と孝行、忠孝と忠君愛国の上下の関係性は自律(自立)した対等性によって関係づけられているのではなく、下の上に対する従属と奉仕を力学として関係づけられている。忠義と孝行、忠孝と忠君愛国自体が従属と奉仕を基本的な構造としている。
当然、教育勅語や修身の教えに忠実に従属する国民は愛国心ある国民とされたはずである。いわば軍国主義・国家主義に添うことによって成り立ち可能となる価値観であった。
このことは北朝鮮の独裁国家を見れば、一目瞭然として理解可能となる。
安倍晋三が日本の教育と国家安全保障戦略を通して植えつけようとしている「愛国心」とは、国民による国家への従属と奉仕の精神であり、国民をその精神によってどっぷりと彩ることが成功したとき、否応もなしに日本国家は軍国主義・国家主義の姿を取ることになる。
いわば国民の国家に対する自律性を欠いた従属と奉仕の行き着く先がそういった国家だということである。
そのような国家は戦前の日本と極めて近似性を持つことになるだろう。安倍晋三の「愛国心」には戦前回帰の危険性を感じ取らなければならない。
12月9日の記者会見はご存知のように臨時国会終了(2013年12月8日)に際してのものである。国民が騙されると思っているのだろうか。発言は首相官邸HP――《安倍首相記者会見》(2013年12月9日)に拠る。
特定秘密保護法を正当化させるための方便に持ち出したのだろうが、逆に右翼の軍国主義者安倍晋三の合理的判断能力の程度の低さを曝したに過ぎない。
安倍晋三「国家安全保障会議は、早速、先週発足いたしました。今後、このNSCが各国のNSCとの間で情報のやりとりを活発に行ってまいります。今年1月のアルジェリアでの人質事件の際には、イギリスのキャメロン首相から情報提供を受けましたが、こうした情報交換を進めることが、国民の生命と財産を守ることにつながると確信しています。NSCの新たな事務局長には、すぐにでも各国NSCとの連携と密にするため、1月から世界を飛び回ってもらわなければならないと考えています」――
国家安全保障会議(日本版NSC)と特定秘密保護法を一体と考えて、日本が各国のNSCから情報の提供を受けるためにはその情報を漏洩させずに秘密として守る体制ができていなければ、提供を受けることができない。だから、特定秘密保護法が必要だという論法で正当化の裏付けを行い、法律化に成功した。
この正当性の証明のためにアルジェリアの邦人人質事件の際のイギリスのキャメロン首相との電話会談を持ち出したのだろうが、そのときのキャメロン首相からの情報提供が人質として捕捉された日揮職員の生命と財産を守ったかのような言い方をしている。
だが、キャメロン首相からの情報提供は「国民の生命と財産を守ること」に何ら役に立たなかった。
ウソっぱちもいいとこである。
何度もブログに書いてきたことだが、テロリストに対しての交渉当事国であるアルジェリアは「テロリストとは交渉せず」の立場を取っていた。いわば軍事的制圧優先の姿勢を政府の方針としていた。
安倍晋三はアルジェリア政府がどのような立場なのか認識していなかったとしたなら、一国のリーダーとして最低限、アルジェリア政府は「テロリストとは交渉せず」の立場なのか、交渉して、ギリギリ人命を優先させる立場なのか考えなければならなかった。そして認識するために外務省なり、首相官邸なりに問い合わせなければならなかった。
もし安倍晋三が「国民の生命と財産を守る」一国の首相としての使命を鮮明に意識していたなら、いずれの方法であろうと、アルジェリア政府が「テロリストとは交渉せず」の立場であることを認識し、認識に応じた行動を取らなければならなかった。
いわば人質の生命を握っているのはテロリストであると同時にアルジェリア政府なのだから、アルジェリアの首相なり大統領なりに電話して、人命優先を訴えなければならなかった。
だが、アルジェリア人質事件2013年1月16日発生10時間後に岸田外相がアルジェリアの外務大臣と電話会談して人命第一を要請しているが、右翼の軍国主義者安倍晋三は事件発生から23時間後、翌日の昼頃、訪問先のタイからキャメロン首相と15分間の電話会談を行った。
その8時間後、アルジェリア政府は軍軍事作戦を開始。その4時間後、事件発生から翌々日の真夜中過ぎに同じくタイからアルジェリアのセラル首相に電話している。
安倍晋三「アルジェリア軍が軍事作戦を開始し、人質に死傷者が出ているという情報に接している。人命最優先での対応を申し入れているが、人質の生命を危険にさらす行動を強く懸念しており、厳に控えてほしい」
セラル首相「相手は危険なテロ集団で、これが最善の方法だ。作戦は続いている」(NHK NEWS WEB)――
「MSN産経」記事が外務省の把握数として、各国の犠牲者数を伝えている。
〈国別の犠牲者数は日本17人中10人(犠牲者率59%)、フィリピン(総数は不明)8人、英国(一部英居住者)29人中7人(同24%)、ノルウェー13人中5人(同38%)、米国10人中3人(同30%)〉――。
その他の国の犠牲者合わせて被害者側48人、武装集団側32人の合計80人だそうだ。勿論、テロリストが殺した数も含んでいるだろうが、あくまでもアルジェリア政府の「テロリストとは交渉せず」の姿勢が発端となって招いた犠牲者数であり、国別では日本人が最多となった。
これが安倍晋三の「人命最優先での対応を申し入れているが、人質の生命を危険にさらす行動を強く懸念しており、厳に控えてほしい」とセラル首相に対する要請の結末であり、セラル首相の軍事的制圧が「最善の方法だ」とした結末である。
電話すべき相手の順序を間違えた上に17人中10人の日本人の犠牲者を出していながら、「今年1月のアルジェリアでの人質事件の際には、イギリスのキャメロン首相から情報提供を受けましたが、こうした情報交換を進めることが、国民の生命と財産を守ることにつながると確信しています」とさもキャメロン首相の情報提供が日本人人質の生命を守ったかのように言う。
大体がキャメロン首相はテロ集団襲撃の情報を握っていたのだろうか。襲撃を防げなかった以上、他の国の誰も握っていなかったはずだ。
勿論、過去に於いて襲撃情報を握っていて、それぞれの国同士の情報交換によって事前に類似の事件を予防したケースが存在するだろうし、あるいは今後、各国のNSCを通じた情報提供によって予防するケースも存在することになるだろうが、安倍晋三はアルジェリアの人質事件の際のキャメロン首相からの情報提供を例に挙げて、「国民の生命と財産を守ることにつながると確信しています」と言って、特定秘密保護法制定の正当化を謀るゴマ化しを働いているのである。発言自体がウソ・デタラメの最たるものとなっている。
予防することができず、テロリスト集団の襲撃を受けた人質事件が発生した場合、どこの誰からどのような情報を提供されようとも、交渉当事国の対テロ姿勢を知る情報以外は役に立たず、人質の生命は交渉当事国の対テロ姿勢一つにかかることになる。
安倍晋三にはこの解釈がない。解釈するだけの頭を持っていたなら、キャメロン首相と電話会談する前に、例え人命優先の要請が功を奏することがなかったとしても、アルジェリアのセラル首相と、それも軍事作戦開始前に電話会談していただろう。
以って、この男の合理的判断能力を知るべしである。
中田毎日新聞記者「毎日新聞の中田です。
まず、特定秘密保護法についてお伺いいたします。特定秘密保護法については、成立後も国会での審議は不十分だったというような批判が強く、報道各社の世論調査でもそれは表れていると思います。総理は、この法律について、批判はどこに原因があるとお考えになりますか。
もう一点。法律の施行日は公布の日から起算して1年を超えない範囲で定めるとされています。総理は既に発足したNSCを有効に機能させるために、できるだけ早い時期の施行を目指すお考えですか。それとも、世論の批判等を配慮して、できるだけ1年に近い準備期間を設けるお考えでしょうか」
安倍晋三「まず、厳しい世論については、国民の皆様の叱声であると、謙虚に、真摯に受けとめなければならないと思います。私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと、反省もいたしております」
いけ図々しいとはこのことだろう。衆参とも可決・成立ありきで審議を強引に打ち切り、強行採決に走った。成立させてから、いわばするつもりもなかったくせに、「もっと」という言葉を二度使って、「私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだった」と反省してみせる。
これ以上のウソはないし、これ以上のデタラメもない。
まだウソ・デタラメは存在する。自民党歴代内閣は外務省から核密約が存在することを知らされていながら、核密約は存在しないを公式な態度としてきたことに関してである。
安倍晋三「今までの秘密(核密約)について、秘密の指定、解除、保全ルールがなかった、そこに問題があるのです。例えば、いわゆるあの日米安保についての密約の問題。私は、官房長官や総理大臣を経験しましたが、その私も、あのいわゆる密約と言われた事柄について説明を受けなかった」――
だが、「Wikipedia」には次のような記述がある。
〈日米政府の公文書公開により、寄港などの形で核持ち込みを知っていた政府高官は以下の通り。内閣総理大臣経験者として岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三。外務大臣経験者として愛知揆一、木村俊夫、鳩山威一郎、園田直、大来佐武郎、伊東正義、桜内義雄、安倍晋太郎、倉成正、三塚博、中山太郎。内閣官房長官経験者として二階堂進。
外交官の東郷文彦が「核密約」を構想したといわれる。〉
外務大臣として説明を受けたことになっている。
上記安倍発言は偽証なのか、偽証でないとしても、首相として説明を受けなかった理由は核持ち込みの密約の存在が既に既成事実化していたことと、2006年9月26日の第1次安倍内閣成立まで既成事実化から長い時間が経過していたために外務省から説明を受ける必要がなくなっていたことが理由として考えることができる
米連邦議会合同原子力委員会軍事利用小委員会でラロック退役海軍少将が「核兵器を運搬する能力のあるあらゆる艦船は、核兵器を運搬している。それらの船が日本や他の外国の港に入るときに、核兵器を降ろすことはない」と証言したのは1974年9月10日。日本に報道されたのは、調べたところ、1974年10月。日付までは分からなかったが、10月の上旬といったところではないだろうか。
ライシャワー元米大使が毎日新聞のインタビューで、「日本政府は、口頭でなされた合意事項のうちいくつか忘れてしまっていて、核兵器を積んだ船が日本の港に入港するようなことは全く問題がないという合意事項も忘れていたのだと思うのです。
日本政府の人たちが『(核の持込みはないを)政府の見解として発言し、これは(核積載艦船の入港は)許されないのだ』と言うので、私は実際にこの問題に関して(大平)外相に『どうか、そういう答弁はしないでください』と申し入れました」と発言したのは1981年5月9日。
特ダネとして報道したのは1981年5月18日。1981年は鈴木善幸内閣(1980年7月17日~1982年11月27日)である。
ラロック証言の「核兵器を運搬する能力のあるあらゆる艦船は、核兵器を運搬している。それらの船が日本や他の外国の港に入るときに、核兵器を降ろすことはない」には説得力がある。
日本に核を持ち込まないためには積載した核をハワイかグアム等で降ろさなければならない。日本の港で降ろして、降ろした状態で日本国内に持ち込んで保存し、核のない船だけを入港させるといった滑稽な処理は行わないはずだ。
ハワイかグアム等で降ろした場合、核積載艦でありながら、核を積載しないまま太平洋をはるばる日本まで航行することになる。これも滑稽な事実となる。
核持ち込みの密約の存在が既に既成事実化していたにも関わらず、それでも自民党内閣は核の持込みはない、核密約は存在しないを公式見解としてきた。要するに日本政府は核持ち込みに関与していないとゴマ化していたかった。
当然、民主党政権が2010年3月に認めるまで自民党政権が核密約の存在を否定し続けていた以上、安倍晋三が「私も、あのいわゆる密約と言われた事柄について説明を受けなかった」とすることは意味もないことだし、大体が自民党の歴代内閣が受け継いできた組織的な隠蔽文化――国民に対する偽りの説明責任文化でありながら、個人の問題にすり替えて、私は関係しなかったとすることで自分だけを免罪する合理的判断能力は狡猾なだけで、如何ともし難い。
安倍晋三な核密約に関わる自己免罪を果たした上で特定秘密保護法の正当化に直接的に言及する。、
安倍晋三「今回は、今後、この法律ができたことによって、今後は変わります。総理大臣は今後、特定秘密について、情報保全諮問会議に毎年毎年、報告をしなければなりません。ですから、当然、項目に応じた特定秘密について説明を受けます。受けた説明をこの諮問会議に説明をします。そして、諮問会議はその意見を国会に報告をする。これが大きな違いです。
ですから、今までのように総理大臣も知らないという秘密はあり得ない。そして、誰がその秘密を決めたかも明らかになります。そういう意味においては、まさにしっかりとルールができて、責任者も明確になるということは申し上げておきたいと思います」――
「今までのように総理大臣も知らないという秘密はあり得ない」と言っているが、国民に知らせるわけにはいかない暗黙の了解を含めた取り決めの存在を知りながら、存在しないと自己都合のゴマ化しを働かせていたに過ぎない。
日本だけではなく、諸外国に於いても国民世論に反する国内的取り決めや外国との取決めといった不都合な情報はいくらでも隠蔽する政治文化となっている。秘密指定しないまま秘密とすることも可能だし、秘密指定したとしても、秘密指定のまま最長秘密指定期間の60年どころか、武器や暗号など7項目は例外として60年を超えて隠蔽し続けることも可能なのである。
この事実を無視して、国民に不都合な秘密はないかのように言う。ウソ・デタラメが多過ぎる。自らのそのウソ・デタラメに気づかないこと自体が、安倍晋三の合理的判断能力の程度の低さを物語っている。
経済は良くなるかもしれない。だが、国家は中国への対抗を正当化の口実に軍事的に中国に似た危険な体質へと向かうことになる予感がする。
国家機関に所属する、事件や不祥事を起こした組織を守らなければ国家安全保障上問題が生じるから等々の口実で不都合な情報、あるいは不都合な情報の存在自体を特定秘密保護法に従った秘密指定を経ないまま隠蔽する可能性は、核密約やエイズの情報隠蔽ばかりか、海自による一等海士イジメ自殺アンケート隠蔽からも学習することができる。
2004年10月27日、日本国海上自衛隊横須賀基地所属、ミサイル搭載護衛艦「たちかぜ」1等海士(当時21歳)の京浜急行立会川駅飛び込み自殺を巡って内閣府「情報公開・個人情報保護審査会」が組織全体の隠蔽傾向を厳しく指摘する答申書を纏め、12月12日に公表したという。
情報公開・個人情報保護審査会が調査対象としたのは、1等海士の自殺後海自が行った他の乗組員対象の「艦内生活実態アンケート」を実際は存在していたにも関わらず廃棄したと公表、アンケートのフォーマット(質問内容)のみを開示した行為に関わる情報隠蔽と情報操作の有無の検証である。
1等海士自殺から杉本正彦海上幕僚長が2012年6月21日に記者会見でアンケート結果の存在を明らかにするまでの経緯を「Wikipedia」や他のマスコミ記事を頼りに2012年6月23日当ブログ記事――《森本防衛相の海自護衛艦「たちかぜ」イジメ自殺事件情報隠蔽に関わる国民視点を欠いた発言 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。ご参照あれ。
情報公開・個人情報保護審査会の調査は、《海自いじめ自殺:内部告発の3佐、処分検討》(毎日jp/2013年12月12日 00時28分)によると、2006年4月から2007年1月まで国の利害に関係のある訴訟で法相が行政職員から指定し、国側の立場で訴訟を担当する指定代理人を務めていた現職自衛官の3等海佐がアンケートの存在を知り、このことは上記ブログでも触れているが、2008年に防衛省の公益通報窓口に内部告発、だが、海自が存在を否定。このため3等海佐は2012年4月、東京高裁にアンケートの存在を明らかにする陳述書を原告側を通じ提出し、海自は再調査の結果、アンケートが存在することを公表、その公表を受けたことをキッカケとしている。
情報公開・個人情報保護審査会が纏めた答申書をマスコミは「組織全体として不都合な事実を隠蔽しようとする傾向があった」と異例の指摘だと取り上げているが、海自はアンケートの存在を何度も否定しているのである。「傾向」ではなく、「組織全体として不都合な事実を隠蔽する体質があった」と、「体質」とすべきで、審査会のメンバーは主に元裁判官や弁護士、それに大学院の教授等だそうだが、国に対する姿勢が腰の引けた甘い評価となっている。
もし3等海佐がアンケートの存在を知り得なかったなら、国家組織は組織に不都合な情報を如何ようにも隠蔽できることを教えている。あるいは特定秘密保護法に基づいた秘密指定を行わずとも、情報隠蔽を可能とすることを否応もなしに学ばさせる。
問題は「毎日jp」の題名が示しているように海自が内部告発の3等海佐の懲戒処分を検討しているということである。
〈海自側は、3佐が告発のため文書のコピーを持ち出して自宅に保管していたことなどを問題視。〉、6月、海自は〈「行政文書管理が不適切だった」として規律違反の疑いで審理することを3佐に通知した。〉
3等海佐「公益通報(内部告発)のための証拠を集めたことを理由とする処分を受け入れたら、怖くて誰も公益通報できなくなる」
海上幕僚監部広報室「懲戒処分するかどうかの調査開始を通知しただけで、懲戒処分をすると決めたわけではない」――
3等海佐が告発した理由を「YOMIURI ONLINE」は「自衛隊は国民にウソをついてはいけないとの信念からだった」と伝えている。
要するに公益通報者の身分の保護を謳っている公益通報者保護法に則った「公益通報」(=内部告発)に当たるかかどうか調査するということなのだろうが、当初アンケートを廃棄したとしていたことは、既に触れたように特定秘密保護法に基づいた秘密指定を経ない情報の隠蔽が可能なことを学習することができるし、もしこの手のアンケートを施行後の特定秘密保護法に基づいて秘密指定していたと仮定したなら、内部告発は簡単に情報漏洩の冤罪へと早変わりさせることができる。
組織ぐるみの隠蔽体質にある以上、秘密指定していなくても、日時を偽って遡った日時で後付けの形で秘密指定をして、他の秘密指定した膨大な情報の中に紛れ込ませることも可能なはずで、右翼の軍国主義者安倍晋三は特定秘密保護法で「一般の方が巻き込まれることも決してありません」と言っているとしても、一般公務員は何が秘密指定されているのか皆目見当がつかず、情報漏洩に引っかかるのを恐れて、公益となると考えた内部告発に萎縮することにもなるはずだ。
特定秘密保護法は国家安全保障上必要とする秘密情報だけではなく、行政機関や政府の不都合な情報まで秘密の形にして隠すことができるということである。
後者は「国民の知る権利」の侵害を背中合わせとすることは断るまでもない。