「SPEEDI」は運用に当たって国民の生命・財産を守ることを最終的な目的に置いていなかった

2011-08-20 09:20:48 | Weblog


 
 8月17日(2011年)の「毎日jp」記事が放射性物質の拡散予測「SPEEDI」(スピーディ)の予測結果を関係機関すべてが避難に役立てようという発想はなかったとする政府の「事故調査・検証委員会」の指摘を伝えていた。

 《SPEEDI:予測非公表、「避難活用の発想なし」指摘》毎日jp/2011年8月17日 15時4分)

 東電福島第1原発事故放出の放射性物質を拡散予測する「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)の予測結果が事故から約2週間公表されなかった。その背景を政府の「事故調査・検証委員会」(事故調)の調査によってSPEEDIを運用する文部科学省を始め、内閣府原子力安全委員会も、経済産業省原子力安全・保安院も予測結果を避難に役立てようという発想がなかったからだとしている。

 「事故調査・検証委員会」は当時の関係者からの事情聴取に基づいて、文科省と安全委は「避難に役立てようとする発想はなかった」、保安院は「データは不十分で公にするには適当でないという認識だった」と結論づけているとのこと。

 先ず「SPEEDI」についての説明。

 〈SPEEDIは原発事故などの際、放射性物質の放出量などを入力すると、風向きなどの気象条件や地形をもとに拡散状況を予測するシステム。事故発生当初は放射性物質の放出量などが分からなかったため、3者は放出量を仮定し、予測結果を出した。〉

 そして結び。〈「公表すべきだ」との批判を受け、安全委は事故から12日たった3月23日、予測結果を初めて公表。水素爆発などが続発した発生当初、住民の被ばくを抑える避難などには生かされなかった。〉――

 結果、半径20キロ圏内避難指示範囲外の北西方向の20キロ圏外にまで放射性物質が風に乗って流れたため、指示がないことから避難していなかった住民が無用な被爆を受けたケース、あるいは北西方向に20キロ圏外に避難した住民が却って放射性物質を浴びることとなったとの批判的な指摘を多く受けることになった。

 既に広く知られていることだが、約2週間の未公表を当時の細野豪志首相補佐官兼政府・東電統合本部事務局長が5月2日の記者会見で次のように理由を述べている。

 細野豪「放射性物質の放出源などが不確かで、信頼性がなく、公開で国民がパニックになる懸念があるとの説明を受けた。公表が遅れ、心からおわびする」(時事ドットコム/2011/05/02-06:19.)

 この発言は未公開の理由であって、なぜ避難に活用しなかったかの理由を述べたものではない。パニックの懸念から公開しなかった。それはそれでいいとしても、風向きが北西方向だからとの理由で北西方向20キロ圏外の住民にまで避難指示をなぜ出さなかったのかの理由とはならない。

 それが「事故調査・検証委員会」の調査によって、そもそもからして政府のどの機関も予測結果を避難に役立てようという発想がなかったからだと分かった。

 では、100億円を超える巨費を投じて開発されという「SPEEDI」は何を目的としていたのかだろうか、インターネットを検索してみた。 

 《文部科学省原子力安全課原子力防災ネットワーク》
 
 〈SPEEDIとは
 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:スピーディ※)は、原子力発電所などから大量の放射性物質が放出されたり、そのおそれがあるという緊急事態に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、放出源情報、気象条件および地形データを基に迅速に予測するシステムです。

 このSPEEDIは、関係府省と関係道府県、オフサイトセンターおよび日本気象協会とが、原子力安全技術センターに設置された中央情報処理計算機を中心にネットワークで結ばれていて、関係道府県からの気象観測点データとモニタリングポストからの放射線データ、および日本気象協会からのGPVデータ、アメダスデータを常時収集し、緊急時に備えています。

 万一、原子力発電所などで事故が発生した場合、収集したデータおよび通報された放出源情報を基に、風速場、放射性物質の大気中濃度および被ばく線量などの予測計算を行います。これらの結果は、ネットワークを介して文部科学省、経済産業省、原子力安全委員会、関係道府県およびオフサイトセンターに迅速に提供され、防災対策を講じるための重要な情報として活用されます。

 ※SPEEDI:System for Prediction of Environmental Emergency Dose Informationの頭文字です〉

放出源情報
原子力施設から報告される放射性物質の放出状況に関する情報。
SPEEDIでは、次のデータ項目を入力します。(原子炉施設の例)

・異常事象発生時刻
・原子炉停止時刻
・放出継続時間
・放出高さ ・サイト名称、施設名称
・放出開始時刻
・放出核種名、放出率
・燃焼度

 ここには〈万一、原子力発電所などで事故が発生した場合〉〈防災対策を講じるための重要な情報として活用されます。〉と書いてある。

 「防災対策」の中には人命救出・救済、避難、生活確保、医療等が含まれているはずだ。

 人命救出・救済、避難、生活確保、医療等の迅速且つ的確な対策に役立てる「重要な情報として活用」すると規定していながら、人命救出・救済にも相当する避難に役立てようという発想がなかった。

 要するに単に放射性物質の拡散予測のデータを出すだけのハコモノとしての発想しかなかった。

 如何なる政策も如何なる政治も最終的には国民の生命・財産を守ることに目的を置いているはずだ。国家を発展させることによって国民の生命・財産を発展させる。国民の生命・財産を向上・発展させることによって国家も向上・発展する。

 「SPEEDI」にしても、開発の目的を最終的には国民の生命・財産を守ることに置いていなければ、見せ掛けの宝――空疎なハコモノで終わる。そうではないことの証明として「防災対策を講じるための重要な情報として活用」という一項目を入れたはずだ。

 だが、「SPEEDI」の実際的な運用に当って国民の生命・財産を守ることを最終的な目的に置くという発想がなかった。この発想の欠如が結果として、避難に役立てる発想の欠如につながったということなのだろう。

 情けない限りだが、そういうことではないか。

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菅仮免の原発輸出は「世界最高水準の安全性を有するものを提供」と「脱原発依存」の二律背反

2011-08-19 11:09:59 | Weblog



 小野寺五典(いつのり)自民党衆院議員の菅内閣の原発輸出に関した質問主意書に菅内閣が答弁書を提出したのを新聞で知った。小野寺議員が質問主意書を提出したのが7月22日(2011年)。 菅仮免が答弁書を横路衆議院議長に送付したのが8月5日。新聞も8月5日付で閣議決定した答弁書の内容を伝えている。

 だが、衆議院HPの「質問本文情報」ページに記載されたのは8月15日、10日遅れだった。この情報化時代に10日後は遅すぎる気がする。

 衆議員の質問主意書に対しては衆院議長宛に送付する決まりから、数多くある答弁書のうち、衆院議長が目を通した順に質問主意書提出者への送付と共に衆議院のHPに記載していく方式としていることからの時間の経過なのかもしれないが、中身が変わるわけのものではないのだから、衆議院議長よりも先に国民が目を通してもいいはずだ。

 もし衆議院議長が先に目を通すことを絶対としているとしたら、権威主義的に過ぎる。大体がマスコミが閣議決定した時点で内容を知るのである。国民への情報提供を優先させるべきだと思うが、どうだろうか。

 答弁書を読んで、菅仮免が7月13日の記者会見で打ち出した「脱原発依存」の主張と矛盾することに気づいた。例えそれが「個人の考え」に格下げされたものであっても、矛盾していることに変わりはない。

 目にした新聞はその矛盾に触れていないが、単に遣り取りの事実と答弁書の内容を事実として伝えただけの記事の内容である関係から、矛盾に触れなかったのかもしれない。解説する別の記事で矛盾を指摘している可能性もあるが、目にしていない。あるいは目にしたが、忘れてしまったのかもしれない。

 一応、自分が感じた疑問をほんの一言書き記してみる。

質問本文情報平成23年7月22日提出

 質問第345号

 原子力協定締結に関する菅内閣の姿勢に関する質問主意書   提出者  小野寺五典

 我が国はこれまで、資源小国として原子力発電を推進し、国際社会の信頼と透明性を確保しつつ自らの原子力利用を厳格に平和的目的に限るとともに、国際社会における原子力の平和利用を適切に促進するための外交を実施してきた。

 また、国際的な信頼性と透明性の確保の観点から、核不拡散、原子力安全及び核セキュリティの確保を基本方針として、二国間及び多国間の原子力協力を推進してきた。

 そのようななか、菅内閣では、海外における原子力発電の受注を成長戦略の重要な要素としてとらえ、今国会冒頭の施政方針演説においても、「私みずからベトナムの首相に働きかけた結果、原子力発電施設の海外進出が初めて実現しました。」と海外への売り込みと成果のアピールに積極的であった。我が国は現在、八つの国・機関と原子力協定を締結しており、また今国会においても、政府は、ヨルダン、ロシア、韓国、ベトナムとの原子力協定の承認を国会に求めている。しかし、七月二十日の衆議院予算委員会においてベトナムとの原子力協定の進捗状況についての質問に対し、菅総理は「外交手続きとして現在進んでいる」と答弁され、外相臨時代理の枝野官房長官も「従来の約束はしっかり守っていくことが前提になっている」と答弁されたが、菅総理はこれを振り切るように「指摘された問題を含めて議論していきたい」と強調した。

 また、菅総理は七月二十一日の参議院予算委員会で、原子力発電所の輸出について、「安全性を高めて進める考え方がベースだが、もう一度きちんとした議論をしなければならない段階にきている」と答弁され、見直しの可能性を示唆されたが、枝野官房長官は七月二十一日の記者会見で、この首相答弁について、「見直しを示唆したとは受け止めていない」と発言されるように閣内不一致が露呈している。

 今般の福島第一原発の事故を受け、原子力発電の安全性の議論がなされているなか、平成23年7月7日の参議院予算委員会において、菅総理は、「それまでの原子力発電所に対する考え方と、この事故を踏まえてその後の原子力発電所に対する考え方は、私の中でも大きく変化したことはそれは素直に認めたい」「原子力発電所については徹底した安全の検証が国内的にも必要でありますし、国際的にもそのことをしっかり踏まえなければなりません」「今後のベトナムとの協力関係についても徹底した安全性というものの確保が前提とならなければならない」と答弁した。

 このことを踏まえ、以下の通り質問する。

一 菅総理のいう国際的な原子力協力の前提である「徹底した安全性というものの確保」は、具体的にどのようなものになるのか。また、どのような主体が検証して「安全性の確保」を判断することになるのか。いつまでに検証することになるのか。

二 「安全性の確保」がなされるまでは、国際的な原子力協力は凍結するのか。また、現在政府が提出している四件の原子力協定の承認について、これを取り下げる意思があるのか

 右質問する。


 答弁本文情報

 平成23年8月5日受領
 
 答弁第345号

  内閣衆質177第345号
  平成23年8月5日

 内閣総理大臣 菅 直人

      衆議院議長 横路孝弘 殿

衆議院議員小野寺五典君提出原子力協定締結に関する菅内閣の姿勢に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 衆議院議員小野寺五典君提出原子力協定締結に関する菅内閣の姿勢に関する質問に対する答弁書

一及び二について

 我が国としては、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、原子力発電の安全性を世界最高水準まで高めていかなければならないと考えており、安全規制や規制行政の抜本的な改革に着手しているところである。なお、各国における原子力発電所の安全性の確保については、一義的には、当該各国が自国の責任の下で判断するものと考えられている。我が国の原子力技術に対する期待は、引き続き、幾つかの国から表明されており、諸外国が我が国の原子力技術を活用したいと希望する場合には、我が国としては、相手国の意向を踏まえつつ、世界最高水準の安全性を有するものを提供していくべきであると考える。

 国際的な原子力協力の在り方については、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会が行っている事故原因の調査や国際原子力機関(IAEA)における原子力安全への取組強化の検討の状況を踏まえつつ、できるだけ早い時期に、我が国としての考え方を取りまとめる。

こうしたことを念頭に置きつつ、これまで進められてきた各国との原子力協力については、外交交渉の積み重ねや培ってきた国家間の信頼を損なうことのないよう留意し、進めていく。こうした観点から、現在、国会に提出しているヨルダン、ロシア、韓国及びベトナムとの二国間原子力協定についても、引き続き御承認をお願いしたいと考えている。

 質問者の小野寺議員が7月7日の参院予算委員会の菅仮免の答弁、「今後のベトナムとの協力関係についても徹底した安全性というものの確保が前提とならなければならない」を質問主意書の中で取上げているが、この「安全性」とは、答弁書で「各国における原子力発電所の安全性の確保については、一義的には、当該各国が自国の責任の下で判断するものと考えられている」と言っていることからして、原発という発電装置の安全性を言っているはずで、「各国における原子力発電所の安全性の確保について」「安全性」とは人的管理の安全性を指しているはずである。

 では、これまではベトナムとの協力関係は装置に関して「徹底した安全性というものの確保」「前提」としていなかったのだろうか。

 装置面に関しては今までも可能な限り「徹底した安全性というものの確保」「前提」としていたはずである。安全を売り物にしなければ、原発という装置は輸出交渉などできない。

 装置(=原発)の開発・設置は常に安全を前提としなければならない。だからと言って、装置(=原発)が常に安全だとは限らない。安全だとしたら「原発安全神話」に立つことになる。

 原発は徹底的に安全な装置として設計し、建設するだろう。勿論、装置自体に欠陥箇所がある場合も稀にはあるだろうが、多くは運転過程に於ける人間の操作ミス、あるいは地震や津波等の外力による被害に対する危機管理対応のミスによって、装置の安全性を失って簡単にこの上ない危険物と化す。

 このことは車と同じである。安全な乗り物として設計されているが、だからと言ってどのような運転にも対応して安全確保が担保されるわけではない。運転という人的管理次第で殺人の凶器とも化すし、運転者自体を殺す装置ともなり得る。

 但し、一旦操作ミスや危機管理対応ミスによって生じた被害が時と場合によっては人的被害を含めて福島原発事故のように途轍もなく甚大且つ広範囲に亘り、被害額の点でも巨額にのぼり、日本の経済自体にも悪影響を及ぼしかねないからと、万が一のそういった発生を回避するためにすべての原発を忌避するのも一つの選択肢である。

 自分の運転ミスから大怪我をする大事故を起したが、九死に一生を得て以来車をやめたという人間もいる。

 いわば装置の安全性と人的管理の安全性は別物だということである。

 答弁書の「各国における原子力発電所の安全性の確保については、一義的には、当該各国が自国の責任の下で判断するものと考えられている」も、人的管理の安全性と装置の安全性とを別物に扱っているからこその言及であろう。

 装置の安全性は保証できません。人的管理の安全性はあなた方が負って下さいとは言えない。人的管理の安全性云々を言うからには装置の安全性を前提としなければならない。

 それを今更ながらに「徹底した安全性というものの確保が前提とならなければならない」と、装置の安全性を言うのは矛盾している。

 人的管理の安全性は不測事態が否定できないゆえに、いわ人的ミスを完全になくすことができないゆえにその確保が常に問題となる。

 もしこれが装置の安全性を疑っていて、装置の徹底した安全性の確保の必要性を言っているのだとしたら、原発輸出に関して「安全性を高めて進める考え方がベースだが、もう一度きちんとした議論をしなければならない段階にきている」の答弁は整合性を得るが、福島原発事故で全電源喪失を想定していなかったことも、10メートルを超える津波を想定していなかったこともすべて原子力安全委員会の運転上の安全指針を含めた人的管理の安全性の問題であって、装置自体の安全性ではなかったことと矛盾することになる。

 答弁書では「各国における原子力発電所の安全性の確保については、一義的には、当該各国が自国の責任の下で判断するものと考えられている」と人的管理の安全性と装置の安全性を別個に扱っていながら、菅仮免の中ではどうもそれが混同しているようだ。

 このことは7月13日の例の「脱原発依存」記者会見の発言と今回の答弁の関係でも指摘することができる。

 7月13日の記者会見。

 菅仮免「私自身、3月11日のこの原子力事故が起きて、それを経験するまでは原発については安全性を確認しながら活用していくと、こういう立場で政策を考え、また発言をしてまいりました。しかし、3月11日のこの大きな原子力事故を私自身体験をする中で、そのリスクの大きさ、例えば10キロ圏、20キロ圏から住んでおられる方に避難をしていただければならない。場合によっては、もっと広い範囲からの避難も最悪の場合は必要になったかもしれない。さらにはこの事故収束に当たっても、一定のところまではステップ1、ステップ2で進むことができると思いますが、最終的な廃炉といった形までたどり着くには5年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、そういったこの原子力事故のリスクの大きさということを考えたときに、これまで考えていた安全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました。

 そういった中で、私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」云々――。

 「これまで考えていた安全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました」 は福島原発事故がそうであることに対応した人的管理の安全性に関する言及でなければならない。

 一方、答弁書では原発の輸出に関して、「諸外国が我が国の原子力技術を活用したいと希望する場合には、我が国としては、相手国の意向を踏まえつつ、世界最高水準の安全性を有するものを提供していくべきであると考える」と、「世界最高水準の安全性を有する」装置の提供に自信を見せている。

 この提供は外国のみならず国内的にも可能としなければならない。

 車が青信号の横断歩道を歩いている、あるいは歩道を集団登下校している学童の5人か6人を撥ねて、そのうちの何人かを死なせてしまう事故が時折り発生するが、例え運転者を裁判で厳しく罰則したとしても、車を廃止しないのは安全運転の確保(=人的管理の安全性の確保)で回避できるとして、車そのものは社会が許容しているからだろう。

 だが、菅仮免は一旦起きた場合の「原子力事故のリスクの大きさ」ゆえに原発そのものの廃止を主張した。

 いわば人的管理の安全性の面からの「脱原発依存」だと。

 当然、「脱原発依存」発言が例え個人的な考えだとしても、装置の安全性は保証できたとしても、人間のミスという不測事態が否定不可能ゆえに人的管理の安全性は保証できないための「脱原発依存」だと菅仮免は明確に宣言しなければならないはずだ。

 だが、宣言した場合、それが人的管理の安全性の不確かさゆえ、あるいは絶対ではないことの宣言となる以上、「各国における原子力発電所の安全性の確保については、一義的には、当該各国が自国の責任の下で判断するものと考えられている」との宣言は二律背反となって現れる。

 「世界最高水準の安全性を有するものを提供」が装置の安全性についての言及であり、「脱原発依存」発言が人的管理の安全性の不確かさ、絶対でないことからの主張であって、装置の安全性と人的管理の安全性を区別していたとしても、人的管理の安全性の不確かさ、あるいは絶対ではないことは国を選ばないし、所を選ばないからである。

 勿論、人的管理の安全性を原因とした事故は当該国の責任だとすることで輸出国は責任を回避できるが、「脱原発依存」が人的管理の安全性を根拠とした主張である以上、そのことを無視して原発を輸出することはやはり二律背反の矛盾を犯す行為に入るはずである。

 一旦主張した以上は他の閣僚がどう抵抗しようとも、内閣運営のリーダーとして自らの主張を押し通すべきを、押し通すことができずに人的管理の安全性は当該国の責任だとすることで常に絶対とは言えない人的管理の安全性に目をつぶった。

 このことも二律背反を示す「脱原発依存社会」の主張だと言える。

 あるいは装置の安全性と人的管理の安全性を明確に区別せずに深い考えもなく、「脱原発依存」だ、「世界最高水準の安全性を有するものを提供していく」だと言っているのかもしれない。

 だから、人気取りの「脱原発」発言だと軽んじられるのだろう。

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原爆投下は日本軍部による国家優先・国民の人命軽視延長線上の人災

2011-08-18 12:17:11 | Weblog


   
 NHK総合テレビが8月10日(2011年)に続けて放送した「シリーズ証言記録 市民たちの戦争『封印された大震災』」「シリーズ証言記録 市民たちの戦争『“人間爆弾”桜花』~第721海軍航空隊~」を視て、つくづく原爆は軍部による人災だと思った。

 なぜなら、制空権・制海権共に失い、戦争続行の余力を既に失っているにも関わらず、自己能力を客観的且つ冷静に省みる自省心を欠いていたために日本にとっては物資・人命共に消耗戦と化していた戦争を一億総玉砕の本土決戦の掛け声だけ勇ましく惰性で続けていく過程で原爆を投下されたからだ。

 自己能力を客観的且つ冷静に省みる自省心を欠いていたのは国力・軍事力・工業力ガリバーのアメリカを相手に戦争を仕掛けたこと自体が証明している認識性であった。

 軍部は一億総玉砕の本土決戦でどのような勝算を客観的且つ具体的に描いていたのだろう。もし描いていなかったとしたら、いわば勝利する成算もなく、一億総玉砕の掛け声だけであったとしたら、合理的判断能力を全く備えていなかったことになる。

 実際には合理的な判断能力も計画性も欠乏させていた。単に掛け声だけで、いわば精神力だけを頼りに戦争を遂行した。精神力の源は世界のどの国にも存在しない天皇が持つ“万世一系”の系統であり、それゆえに天皇の血を他よりも優れているとした優越的存在性とその優越的存在性に支配された日本国民の民族優越性という明治以降に作られた新しい神話であったろ。

 こういった神話が作られ、それを信じること自体が合理的判断能力を欠いている証拠に過ぎないし、また合理的な判断能力に基づかない精神力は決して合理的な実体的行動を伴うことはない。

 「シリーズ証言記録 市民たちの戦争『封印された大震災』」は戦争末期の昭和19(1944)年12月7日午後1時36分発生の東南海地震によって最も大きな被害を受けた軍需工場に動員されていた13、4歳の学徒の悲劇を扱っている。

 マグニチュードは7.9。全半壊した家屋、約5万4千戸。死者・行方不明者1232人。

 当時東海地方は軍需工場が集中していて、全国の中学校や女子学校から10代の学徒が動員されていたという。最大の被害を出した軍需工場とは愛知県知多半島にある半田市の日本最大の軍用機メーカー中島飛行機。

 総面積270万平方メートル。従業員2万9千人。部品工場から滑走路まで完備した一貫生産工場であり、(1943年1月工場開設から地震発生の1945年7月までに)1400機(余)生産。工場の主力機は偵察機「彩雲」と攻撃機「天山」。共に世界最高水準を誇る機体だったと解説している。

 要するにお国のために最大限尽くしていた。

 解説者が次のように述べている。

 「真珠湾攻撃以降、航空機は常に勝敗のカギを握っていた。日本軍は開戦当初、優れた航空戦略によって快進撃を続けたが、昭和19年になると、アメリカ軍の圧倒的な物量を前に大敗を続け、戦力を消耗していく日本軍にとって、航空機の増産は緊急の課題だった」

 そうした事態を受けて、海軍は航空機生産数を一気に2.5倍に引き上げる増産計画を立案。熟練工が次々に戦地に送られて生じることとなった熟練工不足を昭和19年8月公布の「学徒勤労令」に従って全国から集められた10代の少年少女で埋めることとなった。

 当時のニュース(一部聞き取れない)「造れ、造れ、主戦場フィリッピンへ 敵アメリカを叩き、日本の翼を数多く送るのは我々の義務だ」

 幼い少年少女が日の丸を印刷した手拭いを頭に締めるシーン。半田市には750人の学徒が全国各地から集められたという。

 経験のない学徒を大人の熟練工に取って変わらせようとしたのだから、既に合理性を欠き、土台無理な戦争継続の段階にあったはずだ。インターネット記事によると、朝鮮人も動員されていたらしい。

 工場で学徒たちを待っていたのは劣悪な労働環境。航空機生産という全く未経験な作業である上に長時間労働を課せられる。

 三宅仁氏(当時の学徒)「319.5時間。ひと月です」

 1カ月300時間を越える勤務が認められて毎日12時間以上に亘って働くことを求められた。300時間を越えると表彰される。

 表彰は「お国のために尽くした」という意味を持たせていたのだろう。だが、実体はどう表彰しようとも、人命軽視・国家優先の思想によって成り立たせている。

 三宅仁氏「初めは国のため、国のため。もう、いわゆる『生産戦士』て言うてね。モノを造る、戦うサムライですね。生産戦士の勢いで行ったんですけども、一ヶ月も経ったら、もう厭になってね、早よう帰りたいばっかりです」

 当時学徒だった鶴田寿美枝さんが付けていた日記に記された食事。

 朝食 味噌汁
 昼食 馬鈴薯 玉葱 豆
 夕食 馬鈴薯

 朝食 味噌汁
 昼食 味噌汁
 夕食 味噌汁
 
 鶴田寿美枝さん「朝、味噌汁ですね。それだけです。それでご飯がこれくらい(両手を小さく水を掬うような形にする)のお茶碗に一杯ね。ウン、軽く入ってます。味なんて、そんなもう、おー、おいしいだ不味いだの言ったらね、生きていけませんからね。

 あの当時はただ、お腹がすいてしょうがない。家に帰りたい、ええ、そういうことしかありませんでしたね、ええ」 
 
 工場側は食事にかかる経費まで削って、国のために尽くす。

 学徒たちの過酷な重労働に耐え、空腹に耐え、不味い食事に耐えたこの勤労にしても自らの命を削っているという意味に於いて、「お国のために命を捧げる」の一形態であろう。

 常にお国が中心だった。

 そこへM7.9の地震が襲った。昭和9年12月7日午後1時36分、いつもどおりに昼食を終え、午後の仕事に就いた直後。

 関東大震災に匹敵するマグニチュウードで、激しい揺れを観測した地域は東京から大阪まで13府県に及んだという。被害集中地域は東海地方。最大の犠牲者を出したのが中島飛行機の半田製作所。
 
 鶴田寿美枝さん「レンガ造りの工場が砂を砕くようにダダダダーッと 全部潰れちゃう。そん中に人がいるんです、たくさん」

 工場の倒壊で亡くなったのは学徒96人を含む153人。死亡者全体の1割を超える犠牲。

 軍用機の工場に被害が集中した原因の一つは軍事機密を守るために出入口が特別な設計になっていたからだという。

 片山美奈さん(当時半田女学校4年)「秘密工場だもんだから、戸が簡単に開かないの。ガックンと、こうね、1枚、1間の木戸でね、後どこか、引っかかるのか。そういうふうになっていて、で、手を離すと、ストンと落ちるね。そういう、ね、木戸だったんだけど」

 長坂宗子(当時豊橋高等女学校)「何しろ、スパイに覗かれないようにとか、そういうふうに聞いておりましたけどね。ただでさえ狭い出入口を、あのー、まあ、外から見えにくくするためにね、互い違いに。そこへ新たにレンガの塀を造ったりして。

 それがとても逃げ出すときの妨げになったと思います」

 当時調査に当った地震学者の報告書。中央気象台『極秘 東南海大地震調査概報』

 元紡績工場を飛行機製造工場に改造するに当って空間確保のために柱や壁を除去していたため、建物自体の強度が著しく弱体化していた事実。

 長坂宗子(当時豊橋高等女学校)「人間の命がどれだけ大事かというようなことはちっとも考えなしで、こういうことになったんだと思いますね。まあ、天災だと言いながら、人災、っていう範囲の方が大きいですよねえ」

 13、14際の子どもを満足な食事も与えず、1日12時間以上も労働させた、当然満足な睡眠を与えることはなかったに違いない。そういった環境を強いたこと自体が既に人間の命がどれだけ大事かということを考えない行為。国家しか考えなかった。国民は国家の道具と化していた。

 地震発生から数日後の関係者だけを集めてひっそりと行われた亡くなった学徒の葬儀での愛知県知事の弔辞。

 愛知県知事「今回の震災による殉職は戦死に他ならない。学徒の務めは増産に一途(いちず)に身を挺することにある。今こそ報国の必勝を信じ、聖戦完遂の礎となれ」

 死んだ学徒よりも生き残った学徒に対する戦意高揚を優先させている。自身の言葉を具体的な結果を生み出す成算を思い描いていた上で発していたのだろうか。

 国民の命を大切にしない国家とは改造に当って柱や壁を撤去して自ら強度を喪失させた工場同然に脆いはずだ。

 サイパン陥落が1944年7月7日。制海権・制空権共に失い、本土空襲が始まった。東南海地震はそれからちょうど5ヵ月後の同じ7日。国の体力を失っていながら、子どもたちまで軍需工場に動員して、国力や軍事力が桁違いに大きなアメリカを相手に無理の上に無理を重ねて戦争をやっと維持していた。

 そのことの認識がなく、日本民族優越性のみで自分たちを支えていた。

 地震の事実は封印された。日本民族優越性を損なうどんな事実も認めることはできなかったに違いない。翌日12月8日は真珠湾攻撃から3年の記念日。新聞の一面を大きく飾ったのは昭和天皇の軍服姿の写真。

 地震に関しては、「昨日の地震 震源地は遠州灘」の見出しで、発生の事実を伝えるのみで、具体的な被害については一切触れていなかったと番組。

 天皇の写真とは日本民族優越性を物の見事に象徴させている。その陰に隠すように地震の事実を小さく置いた。

 新聞も沈黙を守り、被災地の学徒たちにも厳しい箝口令が敷かれた。

 土屋嘉男氏(当時学徒・現俳優)「絶対これはね、人に言っちゃあいけないと。地震のこと。秘密に。だから、うちへ葉書を出すんでも、地震がありましたなんで書いちゃいけない。検閲だから、全部手紙は。

 だからね、当時はどういう地震なのか、震源地はどっちなのか、なーんにも分からない」

 被害が秘密にされたことで、被災地は孤立無援に陥る。破壊された街の復興は一向に進まない。

 国が秘密とした理由。戦時中国の情報操作を担っていた内務省検閲係の勤務日誌、極秘 『内務省○勤務日誌』

 震災の報道に関わる禁止事項が事細かに列挙されている。中でも厳しく規制したのが戦争遂行に関わる軍需工場の被害。

 国は戦力低下がアメリカに知られることを畏れたからだという。

 だが、地震を隠し終えたとしても、国力がない上に、今まで築いてきた国力さえも相当に失っていたのだから、この戦力低下の事実は順次戦闘に影響していく。最早何を以ても埋め合わせることはできないはずだからだ。

 尤も番組は国と軍の情報隠蔽、報道規制はムダな努力に終わったことを伝えている。震災から3日後の12月10日にアメリカ軍が撮影した偵察写真には地震の被害が克明に写し出されていたという。震災の実態を正確に把握していた。

 土屋嘉男氏(当時学徒・現俳優)「B29が来て、キラキラキラーッと、思ったら、ビラ。拾ってみたら、これがまたショックだった。毛筆で、筆で(筆で書く真似をする)。

 地震の次は何をお見舞いしましょうか、って書いてあったんです』

 記者「アメリカは知っていた」

 土屋嘉男氏(当時学徒・現俳優)「知っていた」

 ビラ投下3日後の12月13日、アメリカは大規模な空襲に踏み切る。標的は地震で被害を受けた名古屋市の航空機工場。猛爆撃によって、工場は壊滅的な被害を受ける。

 番組は言う。ここに軍の増産計画の破綻は決定的となった。

 にも関わらず、日本は勝利する成算もない戦争を継続した。

☆1945.3.10 東京空襲死者10万人
☆1945.4. 1 沖縄戦始まる

 (Wikipedia〈沖縄戦での全戦没者は20~24万人とされる。沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表 によると、日本側の死者・行方不明者は188136人で、沖縄出身者が122228人、そのうち 94000人が民間人である。〉

☆1945.7.26 ポツダム宣言
☆1945.7.28 日本は軍部圧力によってポツダム宣言「黙殺する」との声明を出す
☆1945.8. 6 広島に原子爆弾
☆1945.8. 8 ソ連参戦
☆1945.8. 9 長崎に原子爆弾
☆1945.8.14 ポツダム宣言受諾

 地震の事実が正確に明らかにされたのは戦後十数年を経たのちだという。

 国民の命を軽んじて、国体護持(天皇制維持)の名目のもと国家のみを成り立たせるべく戦争を遂行した偏りの継続性が招いたアメリカによる原爆投下としか見えない。

 日本軍部の圧力が日本政府をしてポツダム宣言を黙殺させた。その続きとしてある原爆投下である。まさしく原爆投下は軍部の人災としか言いようがない。

 国民軽視・国家優先の偏りは「シリーズ証言記録 市民たちの戦争『“人間爆弾”桜花』~第721海軍航空隊~」にも見て取ることができる。

 1944年7月、特攻のみを目的とした新兵器として開発が進められる。爆撃機の腹の下に装着し、目的地まで運搬され、標的艦の近くで海上に投下、加速用のロケットエンジンを噴射して標的艦に操縦士共に突撃する。

 但しである。開発された特攻機、人間爆弾桜花は標的を航空母艦や戦艦等の大型艦としていたために機体の先端に一発で撃沈可能となる重さ1.2トンの大型爆弾を装着。桜花の機体重量と併せて2トンを超えるそ重量物を爆撃機が腹の下に抱えて目的地まで飛行するため、逆に爆撃機の飛行速度を低下させることと、最早制空権を失っていたために目標に到着する前に撃墜されることが多ったという。

 しかも最初の桜花作戦はアメリカ軍の艦船は日本軍の攻撃によって打撃を受けているという誤った情報に基づいて計画された上に掩護の戦闘機が既に戦闘機不足に陥っていて、必要掩護数の半数近くの43機しか集めることができなかった。

 この戦闘機不足だけではなく、正確な情報を海軍全体で共有できてなくなっている状況自体が最早戦争継続が無理な段階にきていることの証明しかならないはずだが、戦争は継続される。

 攻撃隊は目標地点110キロ手前で待ち構えていたアメリカ軍機と遭遇。戦闘開始から20分後に出撃した爆撃機、桜花、掩護の戦闘機すべてが撃墜される。

 この1回の作戦で160人を超える搭乗員たちの人命が失われた。

 桜花作戦は沖縄で日本軍の組織的戦闘が終了するまで続けられたという。アメリカ軍発表によると、10回に亘る桜花作戦で撃沈されたのはアメリカのフリゲート艦一隻のみ。

 桜花作戦で失われた命は腹に抱えて運搬する役目の爆撃機、そして掩護の戦闘機、桜花それぞれの搭乗員合わせて確認できるだけで430人だという。

 日本海軍が敗色濃い戦局打開の切り札と期待して開発したということは勝利に向けた戦争継続を目的として桜花に賭けたということだろうが、その戦果がたった一隻のみだったという徒労は勝利に向けた戦争継続が最早効果のない段階に到達していたことを明確に意味していたはずだ。

 勝利に向けた戦争継続を可能としていたなら、そもそもからして特攻兵器など必要としなかったろうし、持つことができる兵器で戦争継続は可能と言うことになる。

 彼我の戦力を客観的に判断して、日本にはもう勝利に向けた戦争継続は不可能だと認識する能力を欠いていた。この能力欠如は1.2トンの爆弾と機体合わせて2トン以上もある桜花を腹に抱えた爆撃機を飛行速度を落として出撃させるという作戦考案に見て取ることができる合理的判断能力欠如に対応した認識性と言える。

 戦前の日本国家はかくまでも国民の命、一般兵士の命を軽んじていた。

 一般兵士の場合はその命を軽んじて、その多くを無駄死にに等しい、あるいは犬死に等しい戦死を見舞っておきながら、靖国神社に参拝して、「お国のために戦って尊い命を捧げた」と英霊と祀って顕彰する。

 あるいは「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」 (安倍晋三)と国家奉仕の価値づけで国民を関係づける。

 国家ありきのこの倒錯意識にしても、人権を合理的に認識づける判断能力を欠いているからこそできる国家優先の性懲りもない思想であろう。

 改めて言う。原爆投下は日本軍部による国家優先・国民の人命軽視の延長線上に現れた人災だと。



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野田財務相「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」としても、戦争犯罪の事実は残る

2011-08-17 07:59:31 | Weblog



 次期首相候補の一人とされている野田佳彦財務相はA級戦犯は戦争犯罪人ではないとする考えを持っているという。《A級戦犯は戦争犯罪人でないとの考え、基本的に変わらない=財務相》ロイター/2011年 08月15日 12:24)

 8月15日の記者会見でかつて政府に提出した質問主意書で、「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」との見解を示していた点について発言。

 野田財務相「考え方は基本的に変わらない」

 首相の靖国参拝の是非に関して発言。

 野田財務相「首相になる方の判断」

 A級戦犯を戦争犯罪人としていない立場を取っているなら、靖国参拝の障害は何らないことになるのだから、自身が首相になった場合に取る態度を言うべきだが、狡猾にも逃げている。

 記事〈野田氏は野党時代の2005年10月17日、当時の小泉純一郎首相の靖国参拝を受け、政府に対して「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」を提出。その中で、戦犯とされた人々の名誉は法的に回復されており「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破たんしている」と主張している。

 民主党政権はアジア重視の姿勢から政権交代以降、鳩山・菅両首相とも靖国参拝は行っておらず、野田氏の見解は民主党幹部の中ではやや異色として注目を集める可能性がある〉――

 件の質問主意書と答弁書を調べてみた。

 質問本文情報

 平成18年6月6日提出

 質問第308号

サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書

提出者  野田佳彦

平成17年10月17日提出質問第21号「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」(以下、先の質問主意書)において、いわゆる「A級戦犯」ならびに東京裁判に対する政府の認識について質問した。

それに対する平成17年10月25日付答弁書内閣衆質163第21号(以下、先の答弁書)は「平和条約第11条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と回答した。

 国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、「A級戦犯」は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい。

しかしながら、政府見解には未だあいまいな部分が残されている。もし政府が、一方で、「A級戦犯」は国内の法律で裁かれたものでないとして「国内的には戦争犯罪人ではない」としながら、もう一方では、日本はサンフランシスコ平和条約で「諸判決・裁判の効果」でなく「裁判」を受諾したのであり、国と国との関係において、同裁判の「内容」について異議を述べる立場にはないとするのならば、これによって他国からの非難に合理性を与えていることとなる。

 さらに、先の質問主意書に示したとおり、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づき、関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に赦免され釈放されている。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。したがって、極東国際軍事裁判所が「A級戦犯」を戦争犯罪人として裁いたとしても、その関係諸国は、昭和31年以前に処刑された、あるいは獄中死したものも含めた「A級戦犯」の罪はすでに償われていると認めているのであって、「A級戦犯」を現在においても、あたかも犯罪人のごとくに扱うことは、国際的合意に反すると同時に「A級戦犯」として刑に服した人々の人権侵害となる。

 政府は、内閣総理大臣の靖国参拝が国際的に非難される根拠がないことを示すために、また、「A級戦犯」として刑に服した人々の人権を擁護するためにも、日本が受諾したのが、極東国際軍事裁判所の「諸判決」・「裁判の効果」なのか、あるいは「裁判」なのかを、あらためて明確にするとともに、「A級戦犯」の現在の法的地位を再確認し、国民ならびに国際社会に対して顕示する責任を有している。また、同じ趣旨から、「全国戦没者追悼式」をはじめとする追悼行為の位置づけも明確にする責任がある。

 したがって、日本国の姿勢をより明らかにするために、次の事項について質問する。

一 サンフランシスコ平和条約第11条の解釈について

 1 先の質問主意書でも示したように、昭和26年に西村熊雄外務省条約局長が「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております」と答弁し、大橋武夫法務総裁は「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える」と答弁しているのに対し、昭和61年に後藤田正晴官房長官は「裁判を受け入れた」という見解を表している。

 「諸判決・裁判の効果を受諾する」といった場合、裁判の内容や正当性については受け入れないが、その「裁判の効果」については受け入れたと解釈できる。

 「裁判を受諾する」といった場合は、「南京大虐殺二十数万」「日本のソ連侵攻」などの虚構や、日本は満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという歴史解釈、法の不遡及や罪刑法定主義が保証されていない点などがあるにもかかわらず、裁判の正当性を全部受け入れたと解釈できる。

 政府は、西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の「判決を受諾する」「裁判の効果というものを受諾する」という答弁と、後藤田正晴官房長官の「裁判を受け入れた」という答弁とでは、意味にいかなる相違があると考えているのか。

 2 1において、昭和26年の西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の見解と昭和61年の後藤田正晴官房長官の見解に意味の相違があるのならば、先の答弁書における「このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである」という回答と矛盾する。政府は、昭和26年から現在にいたるまでに、いつ、いかなる理由により見解を変えたのか。昭和26年の見解と昭和61年の見解が異なる理由をあらためて問う。

 3 平和条約の正本は、英、仏、西の3カ国語のみであり、日本語訳は効果をもつものではない。その条約正本の一つである仏語条文によれば、「日本が何を受諾したか」に関する平和条約第十一条の箇所は、“Le Japon accepte les
jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pourl′Extre^me-Orient"となっている。prononce′sは「(言葉を)発する」「述べる」「宣言する」「言い渡す」という意味であり、prononce′s jugementsは「判決(複数)を言い渡す」という慣用句である。言い渡されるのは「判決」であり、「裁判」は言い渡されるものではない。ここから見るならば、平和条約第十一条の意味は、「日本は裁判を受諾した」のではなく、「日本は諸判決を受諾した」ものと解釈すべきと考えるが、政府の見解を問う。

 4 3の質問につき、もし政府が「諸判決」ではなく「裁判」を受諾したと解釈するのならば、その解釈は、平和条約第十一条仏語条文の“Le Japon accepte les jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pour l′Extre^me-Orient"の箇所をどのように翻訳することにより導き出されるのか。

二 「全国戦没者追悼式」ならびに他の追悼式における「A級戦犯」の位置づけと天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の参加について

 1 首相官邸Webサイトにて公開されている「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第二回(平成十四年二月一日)議事要旨において、「(全国戦没者追悼式の)『戦没者之霊』の中にはA級、B級、C級戦犯も含まれるということか」という委員の質問に対する「(厚生労働省)そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている」という答弁が掲載されている。「全国戦没者追悼式」の追悼対象者には、「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった7名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した5名、判決前に病のため病院にて死亡した2名が含まれていると理解して間違いはないか。

 2 1の質問につき、仮に含まれていないとすれば、その理由は何か。

 3 「全国戦没者追悼式」において「A級戦犯」を含む全国戦没者を追悼してきたのだとすれば、政府はこれまで、「A級戦犯」が追悼対象に含まれる追悼式・施設等において天皇皇后両陛下および内閣総理大臣が公式に追悼することは、国内的にも、また国と国との関係においても、何ら問題ないと判断してきたものと考えられる。その判断はどのような理解、根拠に基づくものか。あらためて見解を問う。

 4 3の質問につき、「A級戦犯」を含む全国戦没者の追悼に問題がないと考えているのだとすれば、天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、「A級戦犯」を追悼することにつながるとの理由から制約されるべきなのか否かということについてはどのように考えるのか。政府の見解を問う。

 右質問する。

 答弁本文情報

平成18年6月16日受領
答弁第308号

  内閣衆質164第308号
  平成18年6六月16日

内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員野田佳彦君提出サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 衆議院議員野田佳彦君提出サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問に対する答弁書

一の1及び2について

 極東国際軍事裁判所の裁判については、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号。以下「平和条約」という。)第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。御指摘の答弁はいずれも、この趣旨を述べたものであり、その意味において相違はない。

一の3及び4について

極東国際軍事裁判所において、ウェッブ裁判長は、judgmentを英語で読み上げた。我が国は、平和条約第11条により、このjudgmentを受諾しており、仏語文の平和条約第十一条も同じ意味と解される。なお、judgmentに裁判との語を当てることに何ら問題はない。

二の1から3までについて

全国戦没者追悼式においては、「全国戦没者追悼式の実施に関する件」(昭和38年5月14日閣議決定)における「支那事変以降の戦争による死没者」について、戦没者という全体的な概念でとらえて、追悼しているものであり、追悼の対象とする個人を特定しているものではない。

二の4について

天皇及び皇后の靖国神社への公式参拝については、具体的な問題となっていないこともあり、お答えすることは差し控えたい。

内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、戦没者一般を追悼するために行うものであり、同神社に合祀されている個々の戦没者に対して行うものではない。なお、内閣総理大臣の公式参拝は制度化されたものではないので、諸般の事情を総合的に考慮して、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものと考える。

 野田氏は先ずサンフランシスコ講和条約と1953年(昭和28年)の衆議院本会議に於いて採択された「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」と「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と回答した内閣答弁書に基づいて、A級戦犯は戦争犯罪人ではないと主張している。

 「国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、『A級戦犯』は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい」と。

 ここには日本が国として日本の戦争を検証・総括しなかった事実の捨象がある。国家として戦争を裁くことをしなかった。戦争を主導した者たちを一切裁かなかった。

 裁くことによってサンフランシスコ講和条約の正当性・不当性を明らかにできたはずである。あるいはどこに不当な部分があるかないかを。

 「南京大虐殺二十数万」、「日本のソ連侵攻」を虚構だと言うなら、さらに「日本は満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという歴史解釈」が間違った歴史解釈だとするなら、なぜ検証・総括するよう求める姿勢を示さなかったのだろう。
 
 戦争は日本国内で行われた内戦ではない。アジアの国々とアメリカ及び英国やオランダを相手に戦った国際戦争である。野田氏はこの視点を欠いている。

 例え「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」としても、あるいは1953年の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」によって昭和31年に釈放され、赦免されていて、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念であったとしても、戦争を主導し、日本軍が外国の国民に対するばかりか、沖縄の集団自決に代表される日本国民に対する残虐行為を働いた事実は消滅しない。

 殺人者が刑に服して赦免されたから、その罪は消滅するとしても、殺人の事実は消滅するわけではない。

 残虐行為が存在した国際戦争である以上、関わった外国の視点、あるいは解釈も関係してくる。それがサンフランシスコ講和条約でもあったはずである。

 いわば日本一国の解釈・視点を絶対とすることはできないのだから、日本が戦前の戦争を聖戦だ、自衛自存の戦争だと一国のみで定義付けたとしても正当性を得ることは決してできない。

 常識的判断に基づいて戦争犯罪というその事実を、あるいはその歴史を問題にしているのであって、戦争を厳しく検証も総括もせずに国会決議で赦免を決めた、外国の許可も受けたからといって、戦争犯罪人だったと看做すべき事実は捨象できない。

 また、「日本が受諾したのが、極東国際軍事裁判所の『諸判決』・『裁判の効果』なのか、あるいは『裁判』なのか」は戦争及び戦争行為の事実、あるいは歴史を問題とする立場から言うと、自ずと選択は後者と決まってくる。

 勿論、事実自体、歴史自体が解釈次第で彩を変えていく部分が多分にあり、立場によって異なりが生じてくる。

 だとしても、国際戦争であったことは捨象できない事実であり、物理的・経済的、あるいは人権上の甚大な被害を受けた外国の解釈・視点を排除して、国内の立場からのみの解釈は許されないはずだ。

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全国戦没者追悼式、菅仮免の今年と昨年、麻生太郎の一昨年の式辞から見るトコトン儀礼化

2011-08-16 08:57:53 | Weblog


 
 菅仮免が終戦66年を迎えた全国戦没者追悼式に出席、原稿を見い見いしながら時折り顔を上げて読み上げていたから、官僚か秘書官が書いたものを読んだに過ぎないだろうと思って、確かめるために昨年出席時の菅仮免の式辞とさらにその前年の麻生太郎の読み上げとを比較してみた。

 最初に今年の菅仮免、腹黒いの「黒」文字で、昨年は真っ赤なウソの「赤」文字でと思ったが、読み辛いようなので茶色で、最後の麻生の挨拶は青文字で記し、比較しやすいように似た文章同士を並べてみることにした。そのため段落に前後の違いが生じるが、最後にそれぞれの挨拶を個別に記載することにした。

 また、共通語を赤色の大文字で記した。

 今年の菅仮免の式辞は、 全国戦没者追悼式 菅内閣総理大臣式辞から、昨年の菅仮免の式辞は、全国戦没者追悼式 菅内閣総理大臣式辞から、一昨年麻生太郎の式辞は、全国戦没者追悼式 麻生内閣総理大臣式辞から採録。



 H23年菅仮免
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族並びに各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

 H22年菅仮免
 本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族並びに各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を挙行するに当たり、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 H21年麻生太郎
 天皇皇后両陛下の御臨席をかたじけなくし、戦没者の御遺族及び各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。



 H23年菅仮免
 終戦から六十六年が過ぎ去りました。あの苛烈を極めた戦いの中で、三百万余の方々が、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられました。戦没者の方々の無念を思うとき、今なお悲痛の思いが込み上げてきます。改めて、心からご冥福をお祈りいたします。

 また、
最愛の肉親を失った悲しみに耐え、苦難を乗り越えてこられたご遺族に、深く敬意を表します。

 H22年菅仮免
 終戦から六十五年が過ぎ去りました。祖国を思い、家族を案じつつ、心ならずも戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられた三百万余の方々の無念を思うとき、悲痛の思いが尽きることなく込み上げてきます。改めて、心から御冥福をお祈りいたします。

また、最愛の肉親を失われ、決して癒されることのない悲しみを抱えながら、苦難を乗り越えてこられた御遺族の皆様のご労苦に、深く敬意を表します。

 H21年麻生太郎
 終戦から六十四年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。 


 H23年菅仮免
 先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 H22年菅仮免
  先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 H21年麻生太郎
 先の大戦では、三百万余の方々が、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、亡くなられました。戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地において亡くなられました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。



 H23年菅仮免
 本日、ここに、我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継ぎ、平和国家として世界の人々との「絆」を深めてまいります。

 H22年菅仮免
  世界では、今なお武力による紛争が後を絶ちません。本日この式典に当たり、不戦の誓いを新たにし、戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。

 H21年麻生太郎
 本日、ここに、我が国は、不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に貢献していくことを誓います。国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。



 H23年菅仮免
  本年三月の東日本大震災により、多くの命と穏やかな生活や故郷が奪われました。今、被災地は、復旧・復興に懸命に取り組んでいます。我が国は、国民一人一人の努力によって、戦後の廃墟から立ち上がり、今日まで幾多の困難を乗り越えてきました。そうした経験を持つ私たちは、被災地を、そして日本を、必ず力強く再生させます。それが、先人の尊い犠牲とご労苦にお応えすることだと考えています。

 H22年菅仮免
 戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければなりません。

 H21年麻生太郎
 世界中の国々や各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えていることも、忘れてはなりません。

 私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません。




 H23年菅仮免
 終わりに、戦没者の御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の皆様の今後のご平安とご健勝をお祈り申し上げ、
式辞といたします。

 H22年菅仮免
 戦没者の御霊の安らかならんことをそして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞といたします。

 H21年麻生太郎
 戦没者の御霊の安らかならんことを、そして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞とさせていただきます。(以上)


 

 言葉を入れ替えたり、少し付け加えたりしているが、段落ごとの文脈も内容も順番もほぼ同じ。違いは菅仮免が東日本大震災を付け加えていることだが、東日本大震災と脱原発をウリにしているから、当然の措置だろうが、国民の生命・財産を守る危機管理上、決して遅滞は許されない初期的な救済対応に遅れを生じさせておきながら、よく言うよという印象しか湧かない。

 この違いがあったとしても、全体としての内容は似たり寄ったり。

 と言うことは、どっぷりとトコトン儀式化しているということではないだろうか。
 

 全国戦没者追悼式 菅 内閣総理大臣式辞

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族並びに各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

 終戦から六十六年が過ぎ去りました。あの苛烈を極めた戦いの中で、三百万余の方々が、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられました。戦没者の方々の無念を思うとき、今なお悲痛の思いが込み上げてきます。改めて、心からご冥福をお祈りいたします。

 また、最愛の肉親を失った悲しみに耐え、苦難を乗り越えてこられたご遺族に、深く敬意を表します。

先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

本日、ここに、我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継ぎ、平和国家として世界の人々との「絆」を深めてまいります。

本年三月の東日本大震災により、多くの命と穏やかな生活や故郷が奪われました。今、被災地は、復旧・復興に懸命に取り組んでいます。我が国は、国民一人一人の努力によって、戦後の廃墟から立ち上がり、今日まで幾多の困難を乗り越えてきました。そうした経験を持つ私たちは、被災地を、そして日本を、必ず力強く再生させます。それが、先人の尊い犠牲とご労苦にお応えすることだと考えています。

終わりに、戦没者の御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の皆様の今後のご平安とご健勝をお祈り申し上げ、式辞といたします。


平成二十三年八月十五日 内閣総理大臣 菅直人


 全国戦没者追悼式内閣総理大臣式辞
 
 本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族並びに各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を挙行するに当たり、政府を代表し、式辞を申し述べます。

終戦から六十五年が過ぎ去りました。祖国を思い、家族を案じつつ、心ならずも戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられた三百万余の方々の無念を思うとき、悲痛の思いが尽きることなく込み上げてきます。改めて、心から御冥福をお祈りいたします。

また、最愛の肉親を失われ、決して癒されることのない悲しみを抱えながら、苦難を乗り越えてこられた御遺族の皆様のご労苦に、深く敬意を表します。

先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければなりません。

世界では、今なお武力による紛争が後を絶ちません。本日この式典に当たり、不戦の誓いを新たにし、戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。

戦没者の御霊の安らかならんことを、そして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞といたします。

平成二十二年八月十五日 内閣総理大臣 菅直人


全国戦没者追悼式 麻生内閣総理大臣式辞
  
 天皇皇后両陛下の御臨席をかたじけなくし、戦没者の御遺族及び各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

先の大戦では、三百万余の方々が、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、亡くなられました。戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地において亡くなられました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

終戦から六十四年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。

世界中の国々や各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えていることも、忘れてはなりません。

私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません。

本日、ここに、我が国は、不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に貢献していくことを誓います。国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。

戦没者の御霊の安らかならんことを、そして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞とさせていただきます。

平成二十一年八月十五日
内閣総理大臣 麻生太郎

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民主党は大連立よりも国民に信を問う解散・総選挙の責任と義務を負う

2011-08-15 09:51:20 | Weblog



 ――解散・総選挙で政治空白をつくるのは震災の復旧・復興に悪影響を与えるは口実に過ぎない――

 衆参ねじれ状況にあることから、民主党単独で重要法案をスムーズに通過させる力がなく、野党の協力を取り付けて6月20日に成立させた復興基本法にしても、8月11日に衆議院本会議で採決され参議院に送付された赤字国債発行法案にしても国会通過に却って時間がかかっている。

 では、大連立となれば法案の成立に時間短縮が期待できるかというと、各党とも選挙のときのために自党の存在感を示し、宣伝する必要上、自身の案を少しでも採用させようとする利害を働かせるから、結果的に各党の利害が噴出、一つの法案を纏めるにも却って時間がかかることになりかねない。一つ一つの法案成立に多くの時間を費やさなければならないその時間消費も一種の政治空白と言え、その総量は無視できない政治空白の積み重ねとなる。

 民主党内でさえも、例えば消費税増税派と反対派の利害衝突が存在し、どちらかに決定することもできずに多くの時間を費やしている。決定するまでの時間的な政治空白は膨大なものとなるに違いない。

 そこにきて大連立となると、さらに利害主体を増やすことになる。自党に不利益となる行動は決して取るまい。例外的に取るとしても、ここは譲るから、あちらは譲ってくれといった取引きによって自らの利害を主張し、実現を図るといったことが生じる。

 与党が野党との取引で自党の主張を引っ込めるということは国民の信任を受けた与党としての主体性の放棄であり、その政治空白も大きい。

 政治空白とは時間的なものだけではなく、責任の履行・不履行に関しても言うはずである。

 このことは自らが掲げた政策を切り売りし、最初の姿を失わせている主体性喪失に最も現れている。

 大連立を行っても、野党が決して与党民主党の果実になるだけの協力はしない利害を招き、先々まで続くこのような政治空白と比較した場合、例え解散・総選挙行っても新しい民主党代表が首相に指名されて組閣した内閣が選挙の結果が出るまで復旧・復興に内閣としての責任を果たさなければならない中で選挙運動に時間を取られるとしても、その時間的な政治空白にしても責任上の政治空白にしても、一時的な現象で終わるはずだ。

 解散・総選挙で政治空白をつくるのは震災の復旧・復興に悪影響を与えるとする主張が当らない、いわば口実でしかないとするなら、民主党は新しい内閣が誕生したなら、解散・総選挙を行う義務と責任を負う。

 なぜなら、2005年に小泉首相(当時)が郵政選挙を行って以来、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と内閣がほぼ1年おきに代ったことを国民の信任を得ていないことを以って政権担当の正統性がない、政権たらい回しだと散々に批判してきたからである。

 いわば民主党は選挙によって国民の信任を経てこそ、政権担当の正統性を得るとするルールを主張した。

 《鳩山代表 総裁選前倒しを批判》NHK/09年6月20日 19時26分)

 仙台市の街頭演説。自民党内で麻生太郎では選挙は戦えないからと総裁選前倒し論が出ていることに言及。

 鳩山代表衆議院選挙をやらないまま総理大臣が3人も代わり、さらに『麻生総理大臣も代えよう』というさもしい発想が自民党内にあるようだが、目くらましにだまされてはいけない。今の政治をどう思うか、国民に信を問うのが憲政の常道であり、麻生総理大臣はみずからの手で解散・総選挙を行うべきだ」
 
 選挙で国民の信を得てこそ、正統性ある内閣と言えると主張している。

 菅直人公式サイト 

 「キムタク総理」(2008年7月31日 07:24)

 〈 福岡に国のかたちの合宿研修会に来ている。今日は九州大学の水素エネルギーの研究機関を視察する予定。

 7月も今日で終わり、明日から8月。福田総理は内閣改造、臨時国会の召集時期に関し相変わらず優柔不断な態度をとり続けている。05'年9月の総選挙から3年が経過。この間総理は小泉、安倍、福田と3人交代。国民の多くは自民党内の政権たらい回しではなく、選挙による政権選択を求めている。テレビドラマのキムタク総理のように、速やかに解散総選挙を行うべきだ。

 「政権交代」(2000年11月 5日 00:00)

 〈政権交代には与党の中で総理だけが替わる「たらい回し型」と、それまでの野党が政権を握る「本格型」とがある。森政権は危険水域には行っているが今のままでは政権交代があっても「たらい回し型」を越えない。しかし総理というものは本人が辞めないと頑張れば国会での不信任案可決以外に辞めさせる道はない。もし与党の中で不信任に賛成するグループが出れば与党は分裂する。1993年の政変の時はそうなって、「本格型」の政権交代につながった。果たして今回はどうなるか。今のところ与党の分裂は余り期待できない。しかし自民党が丸ごと残る政権では、今日本に必要な構造改革は絶対にできない。自民党の本質が既得利益擁護の族議員の集合体だからだ。〉

 「総理というものは本人が辞めないと頑張れば国会での不信任案可決以外に辞めさせる道はない。もし与党の中で不信任に賛成するグループが出れば与党は分裂する」は最近菅本人を対象に代えて似たような現象が起きている。

 マスコミも「たらい回し論」を煽った。《解散・総選挙―首相は堂々と信を問え》『朝日』社説/09.7.1)

 〈衆院の解散・総選挙に向けて、麻生首相がようやく重い腰をあげようとしている。

    ・・・・・

 安倍、福田と2代の首相が政権を放り出した。その後を引き継いだ麻生首相も含め、自民党は3代の首相が国民に信を問わないまま政権を乗り換えてきた。これ以上、首相のいすのたらい回しが許されないのは当然のことだ。〉――

 そう、国民の信を問う選挙を経ない政権の乗り換えは政権のたらい回しであって、許されないことだと言っている。

 《衆院:政権選択へ、あす解散 首相4人、たらい回しの4年》毎日jp/2009年7月20日)

 麻生太郎が7月21日に衆院解散を行うことを決定。

 〈05年に当時の小泉純一郎首相が「郵政解散」に踏み切ってから4年。この間、首相は安倍晋三氏、福田康夫氏、麻生氏へと1年おきに3回代わり、自民党の総裁交代による政権のたらい回しへの批判も強まった中での衆院選となる。〉――

 当然、鳩山政権を引き継いで、その発足から9ヶ月足らずで菅内閣を発足させたとき、国民の信を問うべき責任と義務を負っていたはずだが、それを果たさずに自分たちが散々に批判してきたたらい回しを菅のツラに小便でやらかした。 

 鳩山辞任後の2010年6月の代表選に出馬会見したとき、菅は首相に就任した場合のこの責任と義務を果たす予定があるかとマスコミに突かれて、次のように答えている。

 《【民主党代表選】菅出馬会見詳報4完「もう一度予算、国民は理解」》MSN産経/2010.6.3 23:56)

 記者「自民党政権で首相が辞めたときに、野党時代の民主党は民主主義として国民に信を問うべきだと批判を繰り広げてきた。首相に就任した場合に、早期に衆院解散をする考えはあるか。もし、ないのであれば、その理由と、これまでの発言との整合性について教えてほしい」

 菅直人「これもあまりまだ何とも言えない。いろんな仮定の中で断定的なことを申し上げるのはできるだけ控えたいと思いますが、私は去年の政権交代は、もちろん鳩山代表を先頭にしての選挙を戦って支持を得たわけですけれども、一方では長く長く続いた自民党中心の政権に対して、政治に対して、一度は民主党にやらせてみたいと、そういう思いで政権交代を選択していただいたと思っております。

 もちろん、総理が代わったときに、ある段階で信を問うということは、それはそれとしてある意味では一つの考え方でありますけれども、まだ民主党は、ある意味で民主党としての政権としては、まだスタートを切ったばかりでありますので、私はそれがどの程度の時期になるかまでは申し上げにくいわけですけれども、少なくとも例えば、もう一度予算を組むとか、あるいはいくつかの政策を実行するとか、そういうことまではしっかりとやっていっても私は国民の皆さんに理解をしていただけるのではないか。

 特に参院の選挙もありますから。もちろんこれは大変厳しい状況にこれまであったわけで、そういう点ではなかなかこうした新しい状況でも楽観できるとは思いませんけれども、少なくとも新たな総理が私であるかどうかは別としても、選ばれたときに、その総理のもとで戦われる参院の選挙もですね、一つの国民の皆さんのその政権に対する一つの審判であるわけですから。それも踏まえて、先ほど申し上げたようなことも踏まえて、その段階で考えていきたいと思います」

 最初から果たす覚悟を持っていなかったことが分かる。自分たちが主張したルールでありながら、「スタートを切ったばかり」だとか、「もう一度予算を組むとか」といった口実を設けて責任と義務から逃れようと必死になっている。当時から言葉多くして中味なしであることも見て取れる。

 しかも1ヵ月後に参議院選挙で国民の信を問うたものの、国民からノーを突きつけられながら、その責任も取らなかった。

 そして2010年9月の代表選。《【公開討論会・詳報】(9)完 小沢氏「総理の職責は健康的には十分やり抜ける」》MSN産経/2010.9.2 17:01)

 記者「自民党政権時代、民主党は一貫して政権のたらい回しを批判をし、解散・総選挙を主張してきた。解散・総選挙はどうするのか」

 小沢元代表「うん、そういう意味の、私どもがたらい回しという言い方をしてきたことは事実だと思います。ただ、総選挙するのは、判断は内閣総理大臣ですから。私はまだ、一回のただのヒラ議員ですから、当選後に、もし当選したらそのことも含めて明確に皆様にお答えしたいと思います」

 菅直人「衆院の任期、まだ3年あります。私は再選をさせていただいた中では、この3年間というものを大事に考えて、しっかりと政権を担っていきたいと思います」

 小沢氏は「もし当選したらそのことも含めて明確に皆様にお答えしたいと思います」と言っているのだから、“明確な説明”とするには内閣の正統性を得るルールを果たす意志がなければならない。

 もし果たさなければ、如何に言葉を巧みに用いたとしても、巧妙な口実をいくら並べ立てたとしても、自分たちが主張したルールの“明確な説明”とはならない。

 だが、菅は内閣の正統性に触れずに衆院の任期で誤魔化している。

 次期首相として有力視されている野田財務相は大連立でねじれを乗り切ることを主張し、大震災を口実に解散できるはずはないと言って、例え自らの内閣を発足させたとしても国民の信を問う意思がないことを示している。

 いわば代表に当選した場合、菅内閣に続いてたらい回しのまま正統性のない内閣を運営する意思でいる。

 総選挙しても、参議院は野党優勢でねじれは残るとする意見があるが、国民はねじれによる政治の停滞と政治空白を見て政治不信に陥っていることと菅内閣支持率と政党支持率から国民が内閣も民主党も評価していないことを考え併せると、総選挙があった場合、ねじれを解消させる方向の投票行動が強く働くはずだ。

 このことが一番の政治空白・政治停滞の解消方法かもしれない。

 国民に信を問う解散・総選挙の義務を民主党は負わなければならないという理由からだけではなく、兎に角も日本の政治を軌道に乗せるにはやはり答は大連立よりも総選挙と言える。

 軌道から外した主たる罪人は菅仮免を措いて他には存在しないはずだ。


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一院制、二院制であっても任期2年、二院制の場合は衆参同時選挙への選挙制度改革

2011-08-14 10:12:22 | Weblog



 衆参与野党逆転のねじれ現象が政治の停滞を生じせしめ、政治不信を招いている。だが、ねじれ現象をつくり出したのも政治である。

 今回の参院与野党逆転に根ざした政治停滞・政治不信は菅直人が愚かにも自分から撒いた種によって育て上げた。具体的な骨格を描きもせずに単に不用意に消費税増税に言及しただけではない。民主党は2009年8月30日総選挙前は「4年間は消費税上げない」と言い、「民主党政策集INDEX2009」には、「現行の税率5%を維持」、つまり4年間の政策約束だから、4年間は5%維持、消費税は上げないと約束し、「税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提」と言って、基礎的社会保障制度の抜本的な改革が先だとしていた。

 ところが「菅2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」になると、基礎的社会保障制度の抜本的な改革を待たずに「早期に結論を得ることをめざして、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」となり、マニフェスト発表記者会見でいきなり消費税増税に言及した。

 1年も経たないうちに約束を違えた。国民の頭には「4年間は消費税上げない」の言葉があったはずで、その記憶を裏切った効果はてきめんであった。

 かくして政治遂行の上で重要な参議院の議席を失うことになった。身から出たサビ、自業自得に苦しめられることになった。

 だが、菅仮免にとっては自身の無能政治、愚かしい心がけから発した当然の身から出たサビ、自業自得だとすることができても、菅自身の指導力欠如、統治能力欠如と相まって招いた衆参ねじれによる政治停滞と政治不信は何度も繰返してもいい現象ではないはずだ。

 現在選挙制度改革として二院制を配して「一院制」を掲げる勢力に「超党派衆参対等統合一院制国会実現議連」(会長 衛藤征士郎自民党衆議院議員)が存在する。

 その案を見てみる。

   「一院制国会創設案」

1.衆議院と参議院を対等に統合して一院制の国会とする。
2.2016年までに一院制の国会を創設する。
3.国会議員の定数は、現行722人を3割(222人)割削減し、500人以内として、別に法律で定める。
4.国会議員の任期は4年とする。
5.国会の会期は通年国会とする。
6.国会の解散は不信任の可決(信任の否決)のときのみ換算できる。
7.解散後の国会議員の任期は、新しく選任された国会議員による初国会の前日までとする。
8.国会議員の選挙制度は昭和21年4月10日に施行された都道府県単位の大選挙区制で、2-3名連
  記の制限連記制を基本とし、比例代表も検討する。
9.国会は、国会議員の2分の一以上の同意があれば法案や条約を国民投票に付すことができる。
10.内閣総理大臣は予算及び租税以外の法案や条約を国民投票に付すことができる。

 2010年12月21日 衆参対等統合一院制国会実現議連

 5.の「国会の解散は不信任の可決(信任の否決)のときのみ換算できる」「換算できる」という言葉の意味が分からない。「換算」とは「ある数量を他の単位に換えて計算しなおすこと」を言うのだから、「国会議員の任期は4年」だが、解散した場合は従来どおりにその限りでないとも受け取れるし、国会の解散は「不信任の可決(信任の否決)のときのみ」で、それ以外は任期4年は保証されるとも解釈できる。

 例えば与党が一院制の任期、あるいは衆院の任期がまだ残っているにも関わらず、選挙を有利な状況で勝利に導くために内閣支持率が高いときを狙って解散するといったことは許されないとするのか、あるいは野党が内閣支持率低下を理由に国民の信任を失ったとして解散を迫ることもできないということななのか、はっきりしない。

 もし以上の事柄を含めた「国会の解散は不信任の可決(信任の否決)のときのみ」許されるという意味なら、内閣の任期も国会議員の任期もほぼ4年間は保証されることになる。

 与党は多数を上回っているから与党としての存在理由を得ているのであって、与党内の造反といった余程の理由がない限り、数の優勢によって不信任案は否決され、信任案は可決されることを予定調和としているからだ。

 私の選挙制度改革案は一院制であっても衆参二院制であっても、すべての任期は2年とする。もし二院制を取るなら、選挙は常に同時選挙とする。

 同時選挙とすることで、衆参のねじれが解消できる。国民が同時選挙で衆参別々の支持を与えることは考えにくい。

 二院の場合、不信任案(信任案)の権利は衆参両院に同時に与える。参議院も政党化しているのだから、両院間で意見が異なるということは先ずあり得ない。衆参どちらであっても不信任案が可決(信任案が否決)されて解散した場合であっても、他の院は解散に従い、同時選挙を行う。

 この選挙制度改革の要は議員任期が2年であることである。これを短いと見る向きは合理的判断能力を備えていないと言える。もし首相が有能な政治家で、真に国民に利益となる政治を展開し得たなら、2年後の選挙でも国民の審判は国民に利益となる政治を行い得た現内閣に下されるだろうから、少なくとも与党に関しては任期は2年で終わらない。逆に与党は議席数を増やすことになる。

 また与党内閣は結果的に2年という短い期間に国民利益となる政治の実現を勝負する切磋琢磨が常に求められることとなる。もしも財源の裏付けも実現可能性の裏付けもなく口先だけでバラ色の国民生活を描くポピュリズム政治を展開した場合、その化けの皮が剥がれるのは目に見えていることで、そのことによって国民の支持を失うだろうから、2年後の選挙の勝利が覚束なくなり、与党は選挙の敗北を免れる手段として首相を代えることを余儀なくされ、残りの任期内で国民の利益となる政策への転換を迫られることになる。

 それができなければ、政権を失う国民の審判を受ける可能性が高くなる。

 首相交代の手段として信任案の提出ということもあるし、野党提出の不信任案に同調、可決するということもあるし、これらの手段を待たずに退陣を迫って引導を渡すということもある。

 要は任期2年の中で菅仮免みたいな無能なリーダーの長い在任は許さない状況とすることができるメリットがあるということである。早々に退陣を願わなければ、政権担当の保証を遅くても2年後には自ら投げ捨てることになるだろう。

 政治の側からの切磋琢磨と無能なリーダーの居座りを許さないための国会議員任期2年でもある。首相が1年前後でコロコロと代ることを今後とも繰返したとしても、繰返しながら少しは日本の政治も成長し、まともになっていくに違いない。

 選挙制度改革には憲法を改正しなければならない。

 日本国憲法

 第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

 第45条 衆議院議員の任期は、4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

 第46条 参議院議員の任期は、4年とし、3年ごとに議員の半数を改選する

 「国民投票法」が2010年5月18日に施行された。各議院の総議員の3分の2以上(憲法96条) の賛成を得ることができれば改正できる。3分の2以上という数はハードルが高いが、要は改革への意欲である。

 どのような選挙制度改革であっても、特に参議院の場合、何もせず、無為に過ごしたとしても6年間の身分が保証される利害優先の意欲に支配されていたなら、何も変わらないに違いない。

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民主党代表選、展望を取るのか、小沢氏の党員資格停止処分を解除しないまま小粒を取るのか

2011-08-13 10:17:23 | Weblog



 前原誠司のことを「口先番長」と揶揄する声があるが、前原以上に口先だけの、「口先独裁者」といったところの菅仮免がいよいよ退陣、新代表選出の代表選に向けた動きがようやく出てきた。

 民主党の東日本大震災対策本部副本部長の身でありながら、震災対策はそっちのけで5月の連休中にフィリッピンでゴルフをしていた不謹慎の責任を取って、災対策本部副本部長を辞任することになった石井一民主党副代表が7月28日の記者会見で代表戦について発言している。

 《民主代表選にはウルトラC必要 石井一副代表》MSN産経/2011.7.29 06:58)

 石井一副代表「すぐに民主党代表選をやるのには否定的だ。代表選をやっても誰にやらせるのか展望がない。ウルトラCを考えないといけない

 記事はこの発言を〈新たな党代表の選出方法について検討すべきだとの考えを示し、近く首相と相談することを明らかにした。〉と解説しているが、果たしてそういった解説が成り立つのだろうか。

 選出方法を変えるとしたら、20人の推薦人を10人に下げるといった変更が可能になるが、それで有能な国会議員に立候補の道を開いても、20人確保できない支持状況はそのまま投票結果にほぼ反映することを考えると、代表選を単に賑やかにするだけの効果しかないように思える。

 大体のところ誰が立候補するか既に予想されている時期に「代表選をやっても誰にやらせるのか展望がない」と言っているのである。

 今回は時間的余裕がないことから、国会議員のみの投票とするということだが、例え地方議員その他を加えることになったとしても、ごく一般的には立候補意欲を持ち、出馬に必要な国会議員20人の推薦人を得て立候補した者の中から投票権を得ている者が投票して最高票数獲得者を代表とすれば済むことで、この基本的な選出方法は誰も妨げることはできないし、地方議員その他を加えることが土台「ウルトラC」と言えない。

 石井一の発言は党代表の選出方法についてではなく、「代表選をやっても誰にやらせるのか展望がない」と言っている以上、あくまでも党運営・内閣運営を含めた政治運営を任せた場合、多くが展望が開けると見る人物が選出できる代表選の「ウルトラCを考えないといけない」ということであるはずだ。

 だとすると、立候補が噂されている誰それでは展望が見えない、小粒に過ぎるということになる。当然、「ウルトラCを考えないといけない」と言うことなら、小沢一郎前代表を除いて他に展望が開ける人物は存在しないはずだ。
 
 小沢氏は現在強制起訴裁判終結まで党員資格停止処分を受けていて、立候補資格を失っている。「ウルトラC」を実現するためには党員資格停止処分を解除する必要がある。

 菅仮免の小沢氏及び小沢グループ排除は菅側からしたら党内力学に於ける数の力を失わせて党内不統一による党運営の困難を招き、国民に党内混乱、あるいは党内抗争の印象を与えたばかりか、民主党の国会力学に関しては菅の指導力欠如からの参院選大敗による参議院与野党逆転の少数劣勢を招き、併せて政権運営の障害を自らつくり出して民主党を不利な状況に追いやった。

 いわば小沢氏及び小沢グループ排除は結果を考えない愚行に過ぎなかった。失敗に終わったのである。

 失敗だったからこそ、今回立候補が噂される人物の多くが菅の党運営の反省に立って小沢氏及び小沢グループ排除を見直し、党内融和を打ち出す発言を行っている。

 もし小沢氏が立候補して代表に選出されたなら、当然国会で野党から「政治とカネ」について厳しい追及を受けることは予想される。検察が二度に亘って不起訴処分とした上での検察審査会決定の強制裁判であり、そのような裁判の被告の身であっても、推定無罪の状況にあることに変わりはない。

 国会議員の誰が裁くことができるというのだろうか。強制裁判でしか裁くことはできないし、裁いたとしても、有罪と裁くと決定しているわけではない。無罪と裁く可能性は否定できないのであり、このことを以って推定無罪ということを意味するはずだ。

 だが、推定無罪を無視し、展望への期待性まで無視する。

 あってはならないことであり、当然、石井一の「ウルトラC」なるものを小沢氏立候補への打開と看做して期待した。

 だが、菅の姿勢は頑なであった。《菅首相「残念とか悔しい思いはない」 震災復旧・復興対応などで》MSN産経/2011.8.10 11:01)

 就任から1年2ヶ月で退陣することになった。

 菅仮免「やるべきことはやってきた。その意味で残念とか悔しいという思いはない」

 これは心にもないウソ八百であろう。“政権期間衆院任期4年”を持論としているのである、それを衆院任期まで待たない、しかも無能力の謗りを受けた辞任なのだから、「残念とか悔しいという思いはない」と言うことはないはずである。

 政治資金規正法違反事件で強制起訴された小沢一郎元代表に対する民主党の党員資格停止処分について次のように発言している。

 菅仮免「一方的にやっつけようということではなく、正式な手続きを経て決めた。党が一丸になる問題とごっちゃにすべきではない」

 「正式な手続き」だからと言って、それが常に正しい判断に基づいたとは言えない。小沢氏及び小沢グループ排除が間違いだったと党内でも多くの議員が思い直しているばかりか、大体が2010年9月の菅と小沢氏が立候補した代表選で菅を投票した議員が間違いだったと自己批判しているのである。その典型が菅の強力な後ろ盾だった渡部恒三民主党最高顧問。

 渡部恒三「とにかく小沢を代表にしちゃいけないというので、みんな菅に入れたけど、本当にひでえのにやらせちゃったな」(MSN産経

 展望よりも小粒を選んだと言うことである。あるいは無能を選んだ。

 2010年9月の代表選ばかりか、そもそもの2010年6月の民主党代表選に於いて多くの国会議員が菅直人で展望が開けると見た。だが、実際には展望が開けなかったことを現実が教えた。

 そもそも菅仮免の小沢排除は自身を「政治とカネ」にクリーンであることを浮き立たせて支持を集めようとした魂胆からの策謀であったはずだ。しかも小沢氏を「政治とカネ」を口実に追いつめようとしただけではなく、小沢グループまで党と内閣の主要人事からの排除を強行した。党の一丸を自ら壊したのである。

 結果として野党提出の内閣不信任案に与党内からもそれが賛成可決される数に達するほどの同調者の動きが出ることとなり、退陣と交換条件に党内の同調を抑えなければならなかったことが今回の退陣劇へとつながることになった。

 何ら展望を持たなかった自身の党運営に何ら反省もない。

 このまま当たり前のルールで新代表が決まってから、党内融和から小沢氏の党員資格停止を解除しても遅すぎる。「ウルトラC」「ウルトラC」でなくなる。

 そもそもからして、石井一が何のために「ウルトラCを考えないといけない」」と言い出したのか意味不明となる。

 展望を取るか、党員資格停止処分を解除しないまま、小粒を取るのか。

 小粒を取るにしても、2010年9月代表選で菅仮免に1票を投じた国会議員はその過ちを自己批判すべきだろう。


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菅仮免の愚かしいばかりにご都合主義の“世論調査論”

2011-08-12 09:37:14 | Weblog


 
 昨日(2011年8月11日)の参院予算委員会。菅仮免が世論調査に於ける内閣支持率の低さについて答弁している。質問者は自民党の小坂憲次議員。

 小坂議員「国民が民主党政権の誕生に期待し、その期待が裏切られ、そして不信に変わり、失望に変わり、その失望が絶望に変わった2年半(2009年9月発足だから、2年の間違い)でありました。

 先ず菅総理に最初に伺います。昨日『特例公債法と再生エネルギー法が成立したら、申し上げてきた私の言葉をきちんと実行に移す』。そしてまた、『総理という職を辞す』と発言されました。

 しかし、これまで、例え1%になっても退陣をしない。あるいは民主党の同僚議員、先の前任者の総理大臣からも、ペテン師とまで、ペテンとまで言われるような、そういうことを言われた総理でありますので、もう一度確認をしてまいりたいと思いますが、総理を辞任するというお考えに変わりはありませんか」

 菅仮免「まあ、私は政権を担当して以来、常に自分の内閣がやるべきことがやれているかどうかを判断基準にしておりました。

 えー、そして当初は20年来先送りになってきた、社会保障の問題等、そして3月11日以降については、えー、この震災対応、えー、原発事故対応、まあ、そういうものに我が内閣はきちんと対応できているかと言うことを判断の基準にしてまいりました。

 色々ご意見はありますけども、私は、我が内閣、それぞれの大臣、政務官を中心に、場合によっては与野党超えた議員のみなさんの協力を得て、えー、復旧は進み、復興にも、おー、進んでいます。

 また、原発事故についても、9月、7月の19日に発表いたしましたように、予定をほぼ達成するステップ1の段階まで、えー、直ってまいりました。

 そうした意味で私は内閣がやるべきことはやっているというのが私の認識であります。

 しかし、イー、6月の2日の段階で御党を含む野党が不信任案を出されるに当って、まあ、我が党にもそれに同調する動きがかなり出てまいりまして、そいう中で、私の方から代議士会に於いて、えー、そういう形になったときは、内閣としての機能が果たせなくなるということを考えまして、私としては一定のメドがつく、ついた段階で、えー…、若い人に譲りたい。

 ま、逆に言えば、一定のメドがつくまでは是非やらせて貰いたいということで、みなさんの、おー、合意を得て、不信任案は大差で否決をされたわけであります。

 そして、えー、その後、おー、一定のメドについてお聞きになりましたので、えー、今、小坂議員がおっしゃったような、三つの、おー、点が、私にとってのメドだということを、私自身が申し上げてきましたので、この、おー、三つの、予算と、第二次補正予算と、二つの法案が成立したときには、私がこれまで申し上げていた、あー、とおりの、おー、お約束の、オ、行動を取る。

 つまりはその段階で、えー、次ぎの、おー、民主党代表の選任という手続きに入り、新しい代表が選任された段階で、え、私自身、総理を辞する。

 そのことを私自身昨日も申し上げましたし、え、この場でも申し上げておきたいと思います」

 菅仮免は「政権を担当して以来、常に自分の内閣がやるべきことがやれているかどうかを判断基準にして」政権を運営してきた。その結果として、「内閣がやるべきとこはやっている」、いわば十分に結果責任を果たしていると認識するに至ったと自らの内閣を高く評価している。

 だが、野党は菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと看做して菅内閣不信任案を出した。与党民主党内にも同調する動きがあったと言うことは、菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと看做す少なくない民主党議員が存在したということである。

 この認識の違いはなぜ生じたのか追及すべきだったろう。

 あるいは国民は菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと世論調査で示している。支持母体である連合の会長も同じ考えに立ち、菅首相の退陣を求めている。経団連会長も同じ姿勢を示しているし、その他大勢が菅内閣を評価していない。

 このように認識が百八十度のギャップを見せているが、どちらが正しい認識なのか追及すべきだったのではないだろうか。

 小坂議員「また、あのー、6月2日の代議士会の発言からずうっと続いてまいりました。延々とご答弁いただきましたが、最後の部分はそれで8月中なのかどうかよく分からないところがあるので、ちょっと段々心配になってまいりました。

 直近の世論調査の数字では菅総理が辞める時期について、すぐに退陣と8月末までにというのを合わせますと、読売が68%、日テレが69.9%、約7割ですね。

 しつこいようですが、総理。このように8月末までに辞めて貰いたいと思ってるんですねえ。8月末までにお辞めになりますね」

 菅仮免「ま、世論調査に関しては私は、まあ、一つの民意として尊重しなければならないとは思っています。シー、しかし、それだけで物事を判断するわけではなくて、先程申し上げましたように、私は内閣としてやるべきことがやれているかいないか、それが、やれていないとなれば私の責任ですから、あー、それは辞めなければならない。

 しかし現実には常に第二次補正が成立をし、そして、えー、次ぎの復興の基本方針も、おー、決めて、そして第三次補正に向かっての作業も始まっております。ですから、私は内閣の動きが、おー、止まってしまっているというふうには全く思っておりませんですから、あー、世論調査について、それは色々な判断がありますけれども、一つの判断であって、それだけで私の進退を決めるということではありません。

 その上で申し上げますと、私が言っていることは一つであります。6月2日以来、ずっと変わったことは申し上げておりません。つまりは、あー、三つの、一つの法案二つと、第二次補正予算というものが成立した、時点で、先程申し上げたように、えー、次ぎの代表の選任に入るということを申し上げているわけであります。、

 そしてその法案、おー、二つが国会で審議されているわけですが、これができるだけ早くですね、私としては成立して、欲しいことは願っておりますが、それがどの時点で、どういう形になるのかというのは、私が決めることができない問題でありますので、それが、あー、成立した時点でということを申し上げているわけで、決して曖昧なことを申し上げているわけではありません」

 小坂議員はこの答弁ni対する反論は何一つせずに孔子の故事を持ち出して、政治の信頼について一くさりし、民主党のマニフェスト政策に関する財源問題の追及を野田財務相等に振り向ける。

 小坂議員「私は民主党政権の罪は一言で言えば、国民の政治に対する信頼をこれ以上ないというところまで貶めてしまった。孔子は論語の中でですね、政治の要諦を尋ねる弟子に対して、食糧・軍備・神の信頼の三つが重要だと答えた。

 弟子にこの中で二つを捨てなければならないとしたら、どうしますか問われて、食糧と軍備を捨てても神の信頼なくして国家は成り立たない。信頼が最も大事だと答えたわけです。

 いわゆる信なくば立たず。その重要な神の信頼を民主党は極限まで失わせ、国民を失望に貶めたんです」――

 食糧と軍備を捨てて国民が食べることができなくなったり、あるいは他国から侵略された場合、神の信頼を維持していたとしても腹の足しにならないということになる。

 菅仮免の“世論調査論”は強弁に過ぎないから、矛盾で成り立っている。
 
 世論は期待に対する評価・判断結果責任に対する評価・判断の二つの性格を持つ。

 2007年の民主党参院選勝利前から2009年衆院選民主党の歴史的大勝にかけた世論の民主党支持は期待に対する評価・判断が色濃く反映した性格のものだったはずだ。

 未だ政権を担当した経験がなかっただけにその政権担当能力は未知の領域にあったのだから、当然の成り行きであったろう。

 そして多くの国民の大きな期待を受けて民主党政権が発足したが、鳩山政権と菅政権の2年間で国民の期待は萎み、現在の菅内閣に対する支持率はすべて20%を切るまでになっている。

 この世論は菅仮免の菅内閣運営、あるいは菅政治遂行の結果責任に対する評価・判断であって、政治を行う側が「一つの民意として尊重」するものの、「それだけで物事を判断する」基準とはならない価値しか置いていなくても、政治の結果責任を評価・判断する側の国民の多くはその評価・判断を基準に各選挙に於いて1票を投じる政党を選択する基準とする。

 その結果の民主党の2010年の参院選敗北であり、補欠選挙や各地方選挙の敗北であって、いずれも鳩山政権と菅内閣の低支持率の世論と正直に対応しあった趨勢であったのだかから、「一つの民意として尊重」するだけでは足りない、夢々侮ってはならない世論調査であるはずだ。

 例えそれがマスコミに誘導されたものであっても、世の中の趨勢に従ったものであったとしても。

 世論が選挙を左右するとなれば、各政党とも自分たちの政策が実現できるか否かも世論次第となる。民主党の政権交代を決したのも国民世論だったはずだ。

 国民は期待から始まって、結果責任を厳しく問うという経緯を辿る。だが、民主党に対する期待が大きかった分、その期待の萎み方も大きく、多くの国民をして期待というものに信頼を置くことをできなくさせ、政治不信に走らせてしまった。その責任も菅は負わなければならない。

 その責任意識が菅仮免に欠如しているのは、今までも言っているように合理的判断能力を著しく欠くために政治をする側からしか世論を見ないご都合主義の“世論調査論”となっているからだろう。

 このような合理的判断能力の欠如は、世論調査は「一つの判断であって、それだけで私の進退を決めるということではありません」と内閣責任者の進退決定の主たる要因と看做さない狭い把え方にも現れている。

 支持率の低い内閣を抱えた党が国政選挙が近づくと、「これでは選挙が戦えない。選挙の顔を変えるべきだ」と間際になって慌てふためくのは世論が決する選挙だからと認識しているからだろう。

 何かのキッカケで内閣支持率が上がるかも知れないと期待して居座り続けることになるのだろうが、世論を見誤って進退の時期を間違えると、虎の子の政権まで失うことになる。

 世論が殆んど決定的に選挙を左右する以上、内閣責任者の進退決定にも少なくとも間接的に常に関わり続けている関係にあるのであって、その間接的な関係性は決して無視できないはずだ。

 勿論、ときには諸に直接的に関わってくる。

 小坂議員は民主党のマニフェストが破綻したのだから、マニフェストを撤回して解散・総選挙をすべきではないかと要求した。

 菅仮免「解散という言葉が出ました。私は3月11日から、この大震災を経験した多くのみなさんが今十分な復旧・復興が進んで、選挙をやっていいという状況だとは私は多くの方は思っておられない。

 えー、そういった意味で、今多くの国民のみなさんが望んでおられるのは、できれば、これは私たちの努力も不足しましたけれども、与野党が力を合わせて復旧・復興に全力を上げて、国会として協力をして、えー、物事を進めていく。

 そうした形を私は大多数の国民は望んでおられるわけでありまして、それを、おー、無視して、そういう国民の声を無視して、えー、何か、何が何でも解散というふうに主張されるのは私はまさに国民の意思から離れた、ご主張だと、このように思っております」

 世論調査は「一つの民意」だが、「それだけで物事を判断する」基準となるわけではないと最初は言っておきながら、ここでは一転して、「今多くの国民のみなさんが望んでおられるのは」解散ではない、解散は「国民の声を無視」することだ、与野党協力して復旧・復興の当ることが「国民の意思」に添うことだと全面的に世論を尊重する姿勢を見せる。

 このケースバイケースで世論を使い分ける、あるいは世論の価値に違いを設けるご都合主義は国民が望んでいた与野党協力を、「私たちの努力も不足しましたけれども」とは言っているが、政治が裏切ったかのようなニュアンスの発言となっているところにも現れている。

 政治の主導者は内閣を運営・統率する菅仮免自身である。大多数の国民が与野党協力して復旧・復興に当たることを望んでいて、そのような世論に従うことを政治主導者として決めた場合、内閣を運営・統率する政治主導者として自らの指導力、リーダーシップを以ってして与野党協力を実現する責任と義務を負ったはずだ。

 それが実現できていないということなら、菅仮免自身が望んで自身の指導力不足、リーダーシップ不足が裏切った与野党協力であるということであって、そのことを言わずに隠し、尚且つ自身の役割を棚に上げて与野党協力を国民の声だとしてのみ求めるめるのは狡猾なまでのご都合主義に過ぎる。

 今解散・総選挙を行った場合、内閣支持率と政党支持率からとても勝ち目はない、虎の子の政権まで失う確率が高いことからの利害損得が言わせている解散否定であって、否定の口実に関しては国民の声、世論を受け入れるケースバイケースもご都合主義からの世論の利用といったところだろう。

 現在の世論は決して菅「内閣がやるべきことはやっている」とは認識していない。その認識が現れた現在の菅内閣低支持率なのである。

 いくら菅仮免が得意としていることであっても、既にウソ誤魔化しは通用しなくなっている。


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菅仮免の言葉によってつくり上げた実体なき菅政権1年2カ月間の成果

2011-08-11 12:12:20 | Weblog



 菅内閣発足は2010年6月8日。目出度くと言うべきか、不幸なことにと言うべきか、就任から1年2カ月を迎えた。本来なら内閣不信任案賛成を受けて辞任がほぼ確定していた身分を前以て取引して首をつなぎ、6月2日の代議士会で「一定のメドがついたら若い世代に責任を引き継ぎたい」と退陣表明したときから居座りが始まったということになっているが、実際は発足の日から居座りそのものではなかったろうか。

 首相職を担うにふさわしい指導力も統治能力も政権運営能力も、何よりも政治的創造性そのものを欠いていて、欠いたまま首相職に収まっていたのだから、居座り以外の何ものでもあるまい。

 2010年9月の代表選で菅仮免に清き1票を投じた民主党国会議員、地方議員、党友等は居座りに1票を投じたと言える。

 だが、本人にはそういった自覚はサラサラない。《月内の首相退陣で与野党調整 首相、時期の明言避ける》asahi.com/2001年8月10日11時59分)

 昨日(2011年8月10日)の衆院決算行政監視委員会。先ず自らの進退について。

 菅仮免「二つの法案(特例公債法案と再生可能エネルギー特別措置法案)が成立したときには、これまで申し上げてきた私の言葉をきちんと実行に移したい」

 但し、具体的な時期については「私の方から日程的なことを申し上げるのは適切ではない」と明言を避けたという。

 「これまで申し上げてきた私の言葉をきちんと実行に移したい」と言うと、さも迅速性を持った有言実行能力と結果能力に優れているかのように思わせるが、実体ある有言実行能力と結果能力であったなら、内閣支持率がこうまでも無残に低くなることはあるまい。

 菅仮免は東日本大震災の復旧・復興対策や原発事故対応を取り上げて次のように答弁したと言う。

 菅仮免「内閣としてやらなければならないことをやってきたし、社会保障と税の問題でも一定の方向性を決めることができた。やるべきことはやっているという意味で、残念とか悔しいという思いは決してない」

 「内閣としてやらなければならないことをやってきた」は国会答弁の常套句とさえなっている。「私は内閣全体としてはできる限りの努力を全力を上げてやってきている」と言ったり、「私は、やらなければいけない、優先度の高いものから取り組んできた。精一杯やってきた中で、私は進んでいると思っている」と復旧・復興の遅れを決して認めない。

 大震災の被災者に対する初動的な食糧支援、防寒着等の支援、飲料水支援、ガソリン支援も遅れたし、現在も仮設住宅建設と入居は遅れているし、瓦礫処理は殆んど進んでいない。義援金の配分も遅れている。

 いわば自分の言葉でつくり上げている復旧・復興の実体なき成果に過ぎない。被災地に於ける実態とはかけ離れた言葉の実体と言ったところだ。

 8日(2011年8月)の衆院予算委員会で佐藤茂樹公明党議員が外交問題で質疑を行った。菅内閣発足以降の1年間の外交日程を取上げ、その成果を尋ねたのに対して当然の如くに菅仮免は成果をぶち上げた。

 菅仮免「カナダのトロントのG20、中でも課題となったのはギリシアの危機、いわゆるソブリンリスク、今日のヨーロッパの状況にずっと継続している。G8の中では我が国の財政健全化の方向性を打ち出した。G20の中ではいわゆる財政の、日本の場合は厳しいもんですから、プライマリーバランスを2015年までに半減すると、他の国は2013年でありまして、そういった日本の姿勢についても理解をいただきました。

 私の最初の総理になってからの活動の第一歩はそういったところでありました」

 そしてさらに横浜で開催したAPECに言及し、

 菅仮免「当時の報道も含めて基本的には私はいい成果を上げたと、来られたみなさんも満足をして帰られたと思っています」

 さらに温家宝中国首相と李明博韓国大統領の被災地訪問を取上げ、「東北の被災地の皆さんに勇気づけをしていただいた」と、そのことを成果の一つに上げた。

 被災者にとっての現実は日々の生活である。食事、体調、健康についての様々な思い、現在の生活や将来の生活に対する不安、近親者の死に対する思い等々が実体を伴って勇気づけられることがなかったなら、外国首脳の勇気づけなど現実の足しにならないその場限りのいっときの祭りでしかない。

 現実の生活の勇気づけには政治の支援が欠かせない。肝心要の支援に不備・不足を来たしておいて、外国首脳の訪問を以って成果とする。言葉でつくり上げている実体なき成果でしかない。

 またギリシアの危機にしても、「今日のヨーロッパの状況にずっと継続している」ということなら、G8の会合は成果を見ていないということになり、単に開催したというだけのことで終わりかねない状況も否定できないことであるのだから、わざわざ持ち出す材料とは言えない。

 さらにプライマリーバランス2015年まで半減にしても、2015年までの成果を試される事柄ゆえ、現在のところただ単に国際会議で約束したという過程にあるに過ぎない。結果を出してから言うべき話題であろう。

 またこのプライマリーバランス2015年まで半減は消費税10%増税を織り込んだ半減だということだから、増税できるかどうか、さらに増税時期も絡んで影響を受ける不透明・不確実な成果としか言えない。

 大体が民主党の公約さえ財源不足で財源捻出に四苦八苦している上に国債発行額も自民党政権よりも増額傾向にあるのだから、このことも影響を与えるプライマリーバランス2015年まで半減の曖昧な実現性であって、「日本の姿勢についても理解をいただきました」と言えること自体が、前々から言っていることだが、「政治は結果責任」を欠いているからに他ならない。

 消費税増税に関して言うと、「社会保障と税の問題でも一定の方向性を決めることができた」と成果の一つとしているが、「社会保障と税の一体化」自体が消費税増税を前提とした改革でありながら、増税時期を曖昧としなければならない指導力の発揮となっていたのである。まだまだ結果とするには早過ぎる「社会保障と税の問題」ということであろう。
 
 「政治は結果責任」を著しく欠いているからこそ、結果を見ないうちから、言葉でいくらでも成果を紡ぎ出すことができる。

 菅仮免の成果の誇りに対して佐藤議員は次のように発言している。

 佐藤議員「要は何をやってきたかということで、殆んどお聞きになって分かりますように、国際会議をこなしてきました、そういう話なんですね、結論から言うと。日程外交でしかないわけですよ。

 あなたは日本の外交戦略として、こういうことを解決した、こういうことをやったというのがありますか。殆んどないじゃないですか。何かAPECのとき話をされましたか。あれは本当に日本国民屈辱的に感じましたよ。胡錦涛さんとの会談。

 あなたは胡錦涛さんの目を殆んど見ずにただ手元のメモを震えながら見ていただけじゃないですか。あんなのはホント日本国民として、それ以外屈辱的な外交はない、そのように私は感じたと思う」

 菅仮免、自分の席で、そんなことはないというふうに首を左右に振るが、激しい反発を示した拒否のゼスチャーとはなっていなかった。

 さらに菅仮免はオバマ大統領との4度に亘る会談に言及して、就任時にギクシャクしていた日米関係を正常な形にしただの、再び胡錦涛中国主席と李明博韓国大統領の被災地訪問を取上げて成果としている。

 菅仮免「単に何かスケジュールをこなしたと言いますが、やはり中国と、温家宝総理、そして韓国の李明博大統領がわざわざ我が国の被災地に足を運んで、そして被災地の食べ物を共に口にしていだだくというのは、私の方から強くお願いしたわけでありますが、それに応えていただくことで日中、日韓の関係、少なくともそういう部分では私は相互理解が進んだと」

 被災地の食べ物を共に口にしたから相互理解が進んだとすることができる認識能力は素晴らしい。日本と中韓との間で領土問題や貿易問題、軍事力の問題、あるいは著作権問題や特許問題等を抱えていない、すべてに利害が一致している平和な互恵関係を結んでいるというなら、食事を共にしたことを以って相互理解が進んだとすることができる。だが、対立する諸問題を抱え、様々に国益を衝突させている。

 いわばこのような処理困難な諸問題を乗り超えずに真の相互理解を築いたとは言えないはずである。

 処理困難な諸問題を自らの政治成果としようとする、あるいは結果責任としようとする厳しい政治意志を持たないからこそ、処理困難な諸問題の解決にまで役立つとは言えないキュウリだかトマトだかを一緒になって口に頬張っただけのことを「相互理解が進んだ」などと甘く考えることができる。
 
 キュウリだかトマトだかを一緒になって口に頬張るよりも被災者救済の優先であり、中韓との間で抱えている処理困難な問題の解決に向けた取り掛かりの優先であろう。

 佐藤議員は退陣表明した首相の居座りが外交の停滞を生じせしめている、外交の空白を生んでいると追及する。

 佐藤議員「首脳外交で成果を上げるには入念な事前調整が必要になります。次の首相が決まったとしても、次の首相の方針が分からないと、外務省始め他の関係省庁というのは本格的に動けない。だから、外交の停滞から早く脱するためには、菅総理は早期に退陣をして、しっかりと次の若い世代の人にしっかりと引き継いで、今年の後半の外交日程にしっかりと準備を整えるべきだと思います。総理の見解を伺いたい」

 菅仮免「あの、今、佐藤さんから今年の外交日程をお示しいただいた。私も就任したときから色々な日程が出てきておりました。本当に考えましたのは、それから1年2カ月が経ちましたけども、残念ながら、我が国、小泉政権は5年間と、やはり長く続きましたが、それ以降は私に至るまで、それぞれ1年前後ということで、そうした中で、なかなか私も最初に出た会議では、また代ったのかと言う顔を各国の首脳からされました。

 G8は2度の出席ということで、今年の5月に行ったわけですが、率直に申し上げて、私はG8ではそれなりの日本に対する注目もありましたし、温かな言葉も得たわけですけれども、残念ながら帰ってくると、不信任案という流れの中で色々な経緯があった。

 私は敢えて個々のことを申し上げるつもりはありませんが、やはり、外交の面から見れば特にですけれども、少なくとも政権は、一人の総理大臣が私は衆議院の任期4年程度は継続する形が日本の国益にとって大変重要だと思います。

 そいう中で、6月の2日に我が党の代議士会で申し上げ、その後記者会見で申し上げましたように一定のメドがつきましたから、責任を若い世代に移したい、その気持に変わりはありません」

 「一人の総理大臣が私は衆議院の任期4年程度は継続する形が日本の国益にとって大変重要だと思います」は前々から持論としている主張である。

 この場合の持論とはそうあるべきだとする考えである。冒頭新聞記事が取上げていた菅仮免の「内閣としてやらなければならないことをやってきたし、社会保障と税の問題でも一定の方向性を決めることができた」は退陣を頭に置いて一区切り付けることができたという感想からの成果発言であろう。

 衆院の任期は政権は維持されるべきだを持論としていながら、それが叶わずに退陣を余儀なくさられた。とすると、「やるべきことはやっているという意味で、残念とか悔しいという思いは決してない」は心にもない強がり、これも言葉によってつくり上げた実体なき成果としか言いようがない。

 菅仮免は政権運営継続の必須条件の一つである参院選勝利を自身の責任によって果たすことができずに惨敗を成果とした、あるいは結果責任とした自身の無能に対する認識を一切欠いている。

 参院選敗北が主として追い詰めることとなった退陣でもあるはずだ。頭数さえ確保できれば、菅みたいな無能でも少なくもと次ぎの衆院選挙まで政権を維持でき、菅仮免が望むように「一人の総理大臣が私は衆議院の任期4年程度は継続する形」を実現できる。

 尤も政権は維持できたとしても、菅仮免みたいな無能なら、「日本の国益にとって大変重要」ということにはならない。

 要は衆院任期4年と言う形式ではなく、首相の政治的資質・能力が実質的問題となるはずだが、「政治は結果責任」意識を欠き、欠くゆえに言葉で成果をつくり上げる中身のない形式主義者だから、“政権衆院任期4年”の持論を延々と持ち続けることになる。

 佐藤議員「あの、総理の話は一般論としては受ける。素晴らしい外交・安全保障政策を推進し、あと内政面でも国民が拍手喝采するような、そういう総理であるなら、どうぞ4年(歓迎の意味で手を小さく叩きながら)、やって貰ったら、それは万々歳だと思います。

 しかし、今総理はご自分で認識しているように党内ですら、総理を支持している人は殆んどいない。今日の読売新聞でも最新の世論調査では、読売、その数字は最低だと出ていたが、18%の世論調査しか、そういう支持率しか出ていない。

 鳩山政権の最悪のときよりもさらに悪い。そいう中で4年遣らせて貰うなんて虫が良すぎると思う」――

 菅仮免は自分の椅子で僅かに顔を赤らめ、目を心なし潤ませて恥ずかしそうな笑いをうっすらと浮かべた。

 一国の首相の資質を問題とせずに衆院任期の4年という時間だけを問題とする。自らが政治的資質を厳しく追求する姿勢を持っていたなら、決して衆院任期の4年を単位とした首相在任期間を求めはすまい。当然持論とすることもない。

 だが、政治的資質を厳しく追求する姿勢を持ち得ていないためにそれを埋め合わせる才能として言葉によってつくり上げた実体なき成果を誇ることによって首相任期を維持しようとする姿勢を持ち得ることになったに違いない。

 参考までに――

 2010年6月29日記事――《菅首相のカナダ・トロントG8存在感、自画自賛 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

2010年7月10日記事――《菅首相のG8北朝鮮非難首脳宣言採択、「安保理に大きな影響」の客観的認識能力の結末 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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