官房機密費/鳩山首相も平野博文官房長官もバカげたことを言う

2009-11-22 09:56:39 | Weblog
 「NHK」インターネット記事――《前政権の退陣直前 機密費支出》(09年11月20日 18時20分)

 平野博文官房長官が20日の記者会見で官房機密費の平成16年度以降月別の国庫からの支出額を公表、毎年度4月には2億円が、5月から翌年の2月までの各月は毎月1億円から1億円前後の支出があり、年間の支出額はおよそ12億円にのぼっていたという。

 但し、自民党が野党に転落した8月30日の衆議院選挙投開票日の2日後の9月1日に2億5000万円が支出されていたという。平野官房長官は「当時の河村官房長官から引き継いだあとに金庫を確認したらお金はなかった」と言っている。

 記事は河村前官房長官の声を伝えている。

 河村「政権にいないので、お答えする立場にはないが、使途については非開示となっている」

 記者「政権交代が確実になったあとに官房機密費を引き出したのはおかしいという指摘があるが」

 河村「私の判断だが、今はお答えする立場にない。平野官房長官には、きちんと引き継ぎをした」

 金庫をカラッポにして「きちんと引き継ぎをした」と言うわけである。金庫に2億5000万円も残っている。何も民主党に渡すことはあるまいと思ったのだろう。

 平成16年度以降毎年度4月には2億円を支出していたとしても、5月から翌年の2月までの各月は毎月1億円から1億円前後の支出を慣例としていた。その慣例月の9月が政権交代と重なったとしても、後付で支出する必要が生じていたと仮定した場合でも、慣例どおりに1億円前後の範囲内なら納得もできる。だが、1億円前後の範囲を超えて2億5000万円も支出し、金庫がカラッポになっていたということなら、カラッポにすることを目的とした支出だったと勘繰られても仕方はあるまい。

 カラッポにする目的だったとしたら、さもしいことをする連中だ。

 「NHK」記事付属動画から平野の記者会見での発言を見てみる。

 平野「それはー、あのー、前政権の、オー、官房長官が必要に応じて支出されているわけですから、えー、不思議だなあとか、云々という、私、えー、コメントする理屈は、私にはないと思います。

国民目線から見たらおかしいと、言ってもですね、私の立場で、前政権のことでございますから、えー、それを、えー、今、えー、そのことについてコメントすることだけは差し控えたいと――」

 記者「どういう使途に使ったのかということを解明する考えはないんですか?」

 平野「ございません」(言下に答えて、無言のまま自分で頷く) ――

 テキパキとは程遠い発言となっている。

 「不思議だなあとか、云々という、私、えー、コメントする理屈は、私にはない」としても、「不思議だなあ」と思ったわけである。思わなかったら「不思議だなあ」という言葉は出てこなかったろう。例え「不思議だなあ」と思ったとしても、問い質すことはしない。同類相憐れむことから――少なくとも同類への道を歩むことになることを予想していて、同類意識から、とても問い質しなどできやしないというわけなのだろう。傷を持った者同士がお互いの傷に気づかぬ振りをするように。

 「 国民目線から見たらおかしい」としても、前政権のことだから、気遣ってコメントしないということは国民目線の代弁をやめたことの宣言そのものであろう。

 民主党は政権獲得前に「国民目線」といったことを散々に言ってきた。それは国民目線を代弁することの宣言だった、あるいは国民目線を代弁することの公約だったはずである。それを「 国民目線から見たらおかしい」というふうに解釈するなら、その「国民目線」を代弁して、おかしいではないかと前政権を追及すべきを「前政権のことでございますから」コメントしないと「国民目線」を代弁することを放棄している。

 これは明らかに宣言違反であり、公約違反に当たる。内閣の要である官房長官が「国民目線」の放棄をホンネとしているといことなら、民主党全体の「国民目線」も怪しくなって、「国民目線」は政権を獲得するための口実・方便に過ぎなかったのではないかと疑いたくなる。
 
 平野官房長官の官房機密費支出額の公表を機密費の透明化を求めていた野党時代の民主党の方針転換への批判を先手でかわす狙いからではないと疑う記事を「毎日jp」が書いている。《官房機密費:政府公表 先手で批判かわす狙い 思惑は不発気味》(2009年11月21日)

 但し題名が示しているように、〈麻生政権末期の2・5億円の不透明な支出を追及せずに穏便に済ませる姿勢は、野党時代の主張とかけ離れている上、具体的な使途の公表には踏み切らず、思惑は不発気味だ。〉と平野官房長官の姿勢を間接的に批判している。

 記事は平野官房長官の11月6日の記者会見の言葉を伝えている。

 「報償費は知っているが機密費という概念では承知していない」

 これは9月17日の記者会見で機密費に関して問われて答えた官房長官の言葉、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と同工異曲をなす言葉であろう。正式名称は「報償費」ではあるが、領収書不要、会計検査院監査免除、使途非公開を原則として機密の用途に充てる性格上、一般的に「機密費」と呼ばれていることは承知しているはずで、それを無視して、と言うよりも、それを誤魔化して「機密費という概念では承知していない」なら、「機密」にする条件を一切失う。

 にも関わらず、「報償費は知っているが機密費という概念では承知していない」と発言した11月6日の前日11月5日の記者会見では、「報償費という性格上、少なくとも相手があることだし、オープンにしていくことは考えていない。私が責任をもって適切に判断しながら対処する。発表は差し控えたい」と実質“機密費”の扱いをしている。いわば「機密費という概念」で把握した取扱いとしている矛盾を犯している。

 さらに記事は平野官房長官の11月22日の記者会見での発言も伝えている。

 「過去に言った公開も一つの考え方だが、野党の立場で言った。現実に政権の中に立ち、国益のために1年間のスパン(幅)でどうするか考えたい」
 
 国民は民主党が「野党の立場で言った」政策、その他の主張を支持して政権交代を託し、一票一票を投じた。そして国民の多くが託したとおりに政権交代を果たすことができた。次の国民の願いは支持した「野党の立場で言った」政策、その他の主張の社会への反映・具体化なのはわざわざ断るまでもないだろう。

 いわば「野党の立場で言った」政策、その他の主張、イコール公約を与党の「立場で」実現して欲しいと期待したからこそ、「政権交代」という声に乗って投票し、政権交代にまで持っていくことができた。当然、次に与党の「立場で」国民の期待に応えることを国民は見守っているはずである。

 それを「野党の立場で言った」政策、その他の主張、イコール公約に関して与党の立場に立った途端に言動不一致を起こされたのでは国民は何を規準にして政党を選択していいのか、どの政党に投票をしていいのか混乱する。

 あるいは誰を信用していいのか訳が分からなくって、誰も信用できなくなる。その代表の一人が平野官房長官ということになる。

 記事は麻生政権末期のこの2億5千万円の支出に関して鳩山首相自身がどう見ているか伝え、その上でその態度に一言批判を加えている。

 鳩山首相「政権交代が起きる時はこういうものではないか。あまり旧政権のことをとやかく言うつもりはない」

 〈事業仕分けや天下りあっせん禁止などで旧政権の弊害に切り込む姿勢とは異なり「二重基準」とも言える対応だ。〉――

 「旧政権」のアンチテーゼとして自らを成り立たせていた関係上、散々に「旧政権のことをとやかく言」ってきて、それが国民の支持を受けたという経緯を打ち捨てている。

 またアンチテーゼを打ち立てるには相手を間違いとし、自らを正しいとする価値観に依存していたはずである。決してその逆ではあるまい。この経緯を全面的に貫いてこそ、掲げた公約を実現する力となるはずだが、この経緯まで打ち捨てようとしている。

 だからこその、最近の腰のふらつきなのだろうか。

 記事は最後に次のように伝えている。

 〈野党時代の民主党は01年の外務省機密費事件を受け、機密費支出に支払記録書の作成を義務付けて10~25年後に公表させる改革法案を提出した。鳩山首相も同年の衆院本会議で「国民が疑惑を抱いている。政府が責任を持って調査し、全容を明らかにする必要がある。55年体制の政治的遺物の機密費の必要性はない」と当時の森喜朗首相に迫っていた。〉――

 01年を基点として「10~25年後」の公表の義務づけは先の長い話をしていたことになるが、「国民が疑惑を抱いている」、「55年体制の政治的遺物」だと把えていたなら、「国民目線」の代弁を民主党政治の役目としている以上、政権交代を果たした時点で取り掛かるべき「公表」ではないだろうか。

 それを「野党の立場で言った」とか、「あまり旧政権のことをとやかく言うつもりはない」などとバカげたことを言う。

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デフレと貧困の関係

2009-11-21 17:51:04 | Weblog
 低所得生活者の立場からしたら、物価が安くなるデフレは大歓迎だが、経済全体が縮小して政府財政が税収不足を来たし、介護保険だの健康保険だの、その他の税金、さらに最終的には消費税が上がるのも困る。経済には素人だが、素人なりに不況に最も影響を受ける低所得生活者の立場から、日本の今の経済を考えてみた。

 政府が昨20日、デフレを公式宣言した。政府がデフレと認定するのは2006年6月以来33年5カ月ぶりだそうだ。(《政府、デフレを公式宣言=景気下押しを警戒-11月月例経済報告》「時事ドットコム」

 同記事は〈デフレが日本経済の先行きに与える影響について「景気を下押しするリスクが存在する」と言及。価格競争の激化が企業収益を圧迫し、賃金低下や個人消費の低迷につながりかねない状況に警戒感を強めている。〉としているが、そもそもの出発点はリーマン・ショックをキッカケとした100年に一度と言われる極度の景気悪化が「個人消費の低迷」を誘い込んだ点にあると思うのだが。巷間よく言われているように、景気悪化による先行き不安から一般消費者が財布の紐を固く締めた。

 結果、モノが売れない―売るために企業は低価格競争に入る―利益率の低さが企業収益を圧迫する―低価格競争に敗れた企業の倒産―生き残ったとしても、企業収益の減少が賃金の押下げ要因となる―賃金低下が一層の消費意欲を減退させ、なおのこと需要を冷え込ませる―企業は一段と低価格競争に向かわざるを得ない―企業収益の一段の圧化・・・・といった悪循環に陥り、国の経済全体を悪化・収縮させていく。

 いわば消費者の財布の紐の締め具合に合わせて商品価格が連動し、この関係が経済全体に影響していく。

 しかし日本と他の先進国との財政状況といった点やその国の経済構造が内需主導型か外需主導型かでは条件を違えても、リーマン・ショックによる景気悪化が世界に及んだ点、このことに於ける条件はさして違わないはずだが、同じ昨20日の「asahi.com」記事――《日本はデフレを懸念 OECD見通し 世界経済は復調》は政府がデフレ宣言した20日の1日前の19日に経済協力開発機構(OECD)が加盟国・地域の経済見通しを公表、OECDの見方として、〈09年は世界同時不況の影響で大幅なマイナス成長だが、10年からは中国など回復が著しいアジアへの輸出増や、各国の景気対策でプラスに転じる。〉と報じていて、外需主導型の日本に有利な景気回復の条件が生じることを伝えている。

 にも関わらず、OECDの「各国・地域の実質成長率通し」は

 米   国 (09年)マイナス2.5% (10年)2.5% (11年)2.8%
 日   本 (09年)マイナス5.3% (10年)1.8% (11年)2.0%
 ユーロ圏  (09年)マイナス4.0% (10年)0.9% (11年)1.7%
 OECD全体  (09年)マイナス3.5% (10年)1.9% (11年)2.5%

 となっていて、OECDは日本に対して、〈戦後最悪の景気悪化から立ち直りつつあると分析する一方、政府の助成金がなければ失業率はさらに2%程度悪化しかねないと指摘。物価下落が続くデフレ状態にあり、企業収益の悪化などの悪影響を避けるためにも、日本銀行は対策に全力をあげるべきだと〉と指摘、〈「デフレ脱却には歳出拡大が必要だが、歳出は大きく膨らみ、(政策的に)動ける余地は少ない。女性の社会進出を進めたり、環境技術を発展させたりすることで新たな成長をめざす必要がある」〉と日本の今後取るべき課題を挙げたと言う。

 世界の“外需”を大きな部分引き受けてきたアメリカが他国に“外需”を頼る日本とプラスマイナスでさして変わらない成長が予想されている。消費者の財布の紐の締め具合が国の経済に影響していく関係から判断すると、日米とも消費者の財布の紐の緩め具合にしてもほぼ同程度固いと言うことではないだろうか。

 アメリカも消費者物価の下落や新規住宅着工件数の減少等からデフレ懸念が囁かれているそうだが、日本の今回のデフ現象が日本の消費者の財布の紐の締め方がきつ過ぎたことが原因だとすると、勿論米国の消費者も同じ状況にあるだろうが、使っていいカネに余裕がないことを教えている。いわば収入に見合う支出が経済界の供給に満足に応える規模にない、規模以下だということであろう。

 このことはテレビでやっていたことだが、商品の値を下げても売り上げは確実に落ちているという商店の言葉が証明している。さらに言葉と違えて言うと、消費者が商品の当たり前の値段に対してだけではなく、下げた値段に対しても相対的に収入不足の貧困に陥っている――いわば欲しいものが清々と買えないという意味での貧困に陥っていると言うことではないだろうか。

 だから、安売りでもなかなか手が出ない。手を出したとしても、必要最小限の買物しかしない。

 勿論一方にはエコ減税だ、エコポイントだとより高価格商品に走る消費者も存在するが、消費動向を左右するのはより一般的な消費者であって、そのような消費者に於ける商品の購買に対する収入不足――相対的貧困とは生活水準の低下状況を言うはずである。

 ここで思い出すのは日本の貧困率の高さである。「毎日jp」記事――《貧困率:06年時、日本15・7% 先進国で際立つ高水準--政府初算出》が既に題名で示しているが、長妻昭厚生労働相が20日、初算出した「相対的貧困率」が、06年時点で15・7%だったと発表している。

 〈相対的貧困率は、国民の年収分布の中央値と比較して、半分に満たない国民の割合〉だそうだが、この貧困率の算出については経済協力開発機構(OECD)がこれまで行ってきた。自民党政府は自らが算出してOECDの調査を裏付けることとなった場合、政治の失態を自ら証明することになる恐れからか、政府としては一度も算出しなかった、と言うよりも算出に目をつぶっていた疑いがあるが、民主党に政権が変わって、比較可能性の観点からだろう、OECDの算出方法を踏襲して早々と算出を行い、逆に自民党政治の失政を炙り出す結果となっている。

 同記事は(OECD)の03年のデータとして、日本は加盟30カ国の中で4番目に貧困率が高い堂々の14・9%だと伝えている。また同様に03年OECD調査の「子供(17歳以下)の相対的貧困率」は30カ国中、19位の13・7%に対して民主党政府調査の06年数値は14・2%と03年当時よりも悪化しているとしている。

 民主党調査の子どもの14.2%は7人に1人が「貧困」に当たるそうだ。(日テレNEWS24

 さらに「毎日jp」記事は03年のOECDデータで貧困率がもっとも悪いのはメキシコ(18・4%)で、トルコ(17・5%)、米国(17・1%)と続き、最も低いのはデンマークとスウェーデンの5・3%だと伝えている。

 このOECD調査の03年にしても民主党政府調査の06年にしても、02年2月から07年10月まで続いた「戦後最長景気」期間内に位置する年で、この景気によってトヨタ、ソニー、キャノン等々、日本を代表する大企業が軒並み戦後最高益を出した時期に相当する。

 03年が14・9%の貧困率、06年が15.7%の貧困率。「戦後最長景気」は企業の一人勝ちで、利益配分が末端の労働者まで行き渡らなかったと言われているが、低賃金の派遣や請負といった非正規社員を大量雇用することで人件費を抑制したことによる企業利益の確保を構造としていたから、当然の利益配分だった。

 「戦後最長景気」期間も貧困率が高く、今回の戦後最大の不況で非正規社員の大量解雇から正社員の解雇、賃金抑制で、貧困率はさらに上がっているに違いない。

 記事は次のように長妻厚労相の声を伝えている。

 「OECDの中でもワーストの範ちゅうに入っており、ナショナルミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい。来年度から支給する子ども手当で貧困率がどう変化するかもシミュレーションしていく」

 「戦後最長景気」期間、例え雇用形態が非正規社員であっても、日本の企業が正当な賃金で雇用していたなら、その分戦後最高益が幾分削がれることになるだろうが、今回の不況でもそのときの蓄えが幾分かは効いて、日本の消費者が現在のように財布の紐を固く締めることはなかったのではないだろうか。

 このことがモノが売れない、売れないから価格競争に走って自分で自分の首を絞めるといった状況を少しは先延ばしし、例えデフレに陥るのは時間の問題だとしても、そのデフレをも先延ばしできたのではないだろうか。

 このことを教訓とするなら、末端の人間であっても、雇用する以上、正当な賃金体系に組み入れることが景気を長引かせる有効な方法と言えるように思える。

 企業が低賃金で労働者を使い利益を上げる利益追求の構造のみならず、労働者を派遣して、派遣した労働者の労働した分の頭をハネ、実際に労働に従事しない人間が懐を肥やすという派遣・請負の利益追求構造にしても、あまりにも不純に見える。

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官房機密費使途/国民の税金の使い道に秘密は許されるのか

2009-11-20 09:09:32 | Weblog
 民主党は政権獲得前は「機密費の使途限定」、「国会の非公開委員会でのチェック」等を項目とした官房機密費流用防止法案国会提出等の官房機密費透明化の動きを見せていたが、8月30日の総選挙に大勝、9月16日に鳩山内閣が発足、その鳩山由紀夫の側近中の側近だとかいう平野官房長官が内閣発足翌日9月17日の記者会見で、官房機密費について記者から問われると、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直に責任ある回答を行っていた。

 このことだけを見ても、平野某の“責任”というものに対する姿勢の確かさ・正直さを窺うことができる。

 ところが平野某は「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直に責任ある記者会見を行った9月17日から一週間後の9月24日付けで、そんなのがあるのか全く承知していない官房機密費を6000万円請求、さらにその20日後の10月14日付けで6000万円、合わせて1億2000万円を小切手で受け取っていたという。平野某はそのことを昨19日の記者会見で真っ正直に認めた。

 10月14日付けで2度目に6000万円受け取った約20日後の11月5日の記者会見で、平野は河村建夫前官房長官から官房機密費の引き継ぎを受けたことを明かにしている。だが、既に2度機密費を受け取ったいたことは隠したままでいた。

 さらに隠し続けて、昨19日の記者会見まで1カ月以上も正直に隠していた。

 11月5日の記者会見のときも、今回と同様に、「報償費という性格上、少なくとも相手があることだし、オープンにしていくことは考えていない。私が責任をもって適切に判断しながら対処する。発表は差し控えたい」(asahi.com)と言っている。

 では、平野某の「そんなのあるんですか。全く承知していません」の責任ある真っ正直さは何だったのか。答を見つけるとしたら唯一、空とぼけなければならない理由があったからだろう。これを言葉を変えていうと、知らない振りをする必要があった。隠さなければならなかった。ゴマかす必要があった。秘密にしておかねばならなかった。脱税した億という大金を誰にも知られないように床下に隠しておくみたいに。

 いわばいつの時点か窺い知れないが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と言う以前から、官房機密費を秘密のベールに包んでおく意志を働かせていた。透明化する考えなど、さらさらなかった。極秘事項・極秘資金としておく腹積もりでいた。

 これが平野某の官房機密費の扱いに抱いていた責任ある真っ正直な態度であった。

 平野某の1億2千万円の官房機密費受け取りに関する記者会見の言葉を《“官房機密費 1億円余請求”》NHK/09年11月19日 12時20分)が次のように伝えている。

 「私の名前で、ことし9月と10月に官房機密費をあわせて1億2000万円を請求したことは事実だ。使いみちについては、必要があれば支出することになるが、私が責任を持って適切に判断している」

 (使途公表に関して)「先方があることであり、適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがあるので、慎重に対応したい。総理大臣官邸や政府の運営を、1年を通じてしっかり見たうえで、公表すべきかどうかを含めて対応する。不透明だと言われるかもしれないが、シビアな判断を求められるという認識の下で対応したい」

 一見もっともらしく正当性を持たせてはいるが、ではなぜ当初、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけなければならなかったのか。既に秘密裏に扱い、秘密裏に支出しようと決めていたが、まさに「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけたことが河村建夫前官房長官から官房機密費を受け継いだ事実と齟齬を来たし、いつ何時野党自民党からウソ偽りを口にしたと追及されかねない恐れがでてきたために、11月5日の記者会見で引継ぎがあったことを公表せざるを得なくなった。

 自民党自身が直接的に追及しなくても、新聞・テレビにリークしてマスコミに追及させ、間接的に鳩山内閣の足を引っ張るという手もある。

 そういった事態を避ける目的で引継ぎを記者会見で公表せざるを得なかったとすると、官房機密費の秘密保持の姿勢は終始一貫していたことだったと証明できる。

 平野某は正当化理由に「適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがある」とも言っているが、「国益」という理由で秘密にしておくことが許されるなら、自民党政権時代の核搭載の米艦船寄航を認めた日米核密約――いわゆる核の持ち込みを国民に秘密にして許した政治上の密約行為も自民党政治家たちにとっては「国益」と考えてしたことだろうから、正当な政治行為と位置づけなければならなくなる。

 だが、民主党政権は日米核密約を調査し、国民に公表する姿勢でいる。

 このことを裏返すなら、「国益」という名のもとに秘密にしていいい理由はないことになる。秘密にしていいい理由はないからこそ、日米核密約の調査と公表を目指しているはずである。

 特に国民の税金を秘密裏に使って成し遂げることができる「国益」など存在するのだろうか。存在させた場合、自民党政治の二の舞を演じることになるのではないだろうか。

 百歩譲って存在したとしても、国民の目が届かない裏側での支出は「国益のためだ」と言われたとしても、「国益」に適っているかどうかの判断は偏に国民に任されるべきだが、国民に判断はできない「国益」という倒錯を踏むことになる。

 このことは国民が役目としている政治に対する監視を自ら放棄し、政治家側に国益だと一方的に決定する権利を無条件に譲り渡すことでもある。

 また部分的公表なら、差し障りのない支出のみの公表となって、その選択に関しても国民には窺い知ることのできない基準を政治家側に既得権として握らせることになる。

 平野は「私が責任を持って適切に判断している」と言っているが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」などと大ウソをつく人間が言う「責任」だから、大いに信用はできるだろう。

 自民党は赤字国債発行の責任なき放漫な財政運営を延々と続けてきながら、先の総選挙のマニフェストで「責任ある財政再建」を掲げ、麻生自身「大胆な財政出動を行うからには、財政に対する責任を明確にしなければなりません」などと「責任」を強調、その他「責任ある立場」だとか、「責任ある政府・与党」、選挙遊説ではどのツラを下げてと言いたくなるが、「最も訴えたいのは責任力です」、「国際社会の責任ある一員」、「責任政党の務め」、「責任政党の原点、矜持だ」等々、散々に「責任」なる言葉を使ってきた。

 麻生の前の安倍は「政治は結果責任」を常々口にしていながら、5000万件の「宙に浮いた」年金記録を08年3月末までに「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたいと思います。私の内閣で解決する――」と前年の6月に力強く公約・宣言しておきながら、結果を出さず仕舞いで内閣を放り出す責任を見事に果たしている。

 国民の多くが自民党や麻生が言うその“責任”を信用しなかった。信用できない“責任”となっていた。

 最初に「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直にウソをついた平野の「責任」なる言葉も既に自民党や麻生、安倍が言う「責任」と同じ運命を歩み出しているに違いない。

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返済猶予法案強行採決に見る攻守交替模様の数々

2009-11-19 18:11:24 | Weblog

 金融機関に借金の返済猶予を促す「中小企業等金融円滑化法案」が衆院財務金融委員会で今日、野党自民党と公明党が「採決前提の審議には応じられない」として欠席する中、強行採決して与党及び共産党の賛成多数で可決したと「asahi.com」記事が伝えていた。与党は午後に衆院本会議を開き、今夜中に可決させ、参議院に送る構えだと「NHK]が夕方6時のニュースで流していた。

 採決の場での欠席は政権交代以前は民主党や社民党などの野党がオハコの国会戦術だったが、今度は自民党や公明党が使い、攻守交代の印象を与えた。

 「asahi.com」記事は自民党の「数に頼った自分たちの都合だけで動いている」とする与党批判を紹介しているが、かつての民主党も社民党も自民党の強行採決を「数の横暴だ」、「数に驕った態度だ」と批判したものだが、この手の批判にしても攻守交代の感がある。

 尤も攻守交代はこれだけではない。自民党政権時代、与党は現・元官僚の天下り人事をほぼ容認してきたが、そのたびに民主党その他の野党は天下りだと批判。日銀人事やその他国会同意人事では野党は天下り人事反対の姿勢を貫き、参院与野党逆転状況を利用して官僚系人事に反対、潰してきた。

 だが、政権を攻守交替させると、民主党政権は斎藤次郎元大蔵事務次官の日本郵政社長起用、江利川毅・前厚生労働事務次官を野党自民党や共産党の天下り反対の声を抑えて衆参両院本会議で与党多数で可決、18日の持ち回り閣議で人事院総裁に充てることに決定したが、天下り人事とその反対・賛成の攻防に関しても見事なまでに攻守交替させている。

 また自民党政権時代の安倍・福田・麻生各内閣の政策に対して野党はブレているとか、公約違反だとか、散々に批判・攻撃してきたが、民主党が政権を取ると、沖縄の基地問題や子ども手当ての所得制限だ、所得制限はしないだ、官房機密府の透明化の撤廃等々、ブレも公約違反(=マニフェスト違約)も攻守交替させているようだ。

 政権が攻守交替すると、政策も姿勢も、何から何までと言いたいくらいにこうも攻守交替するものなのだろうか。

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小沢幹事長の「死ねばみんな仏様になる」は今生の後ろ暗さから死んで仏になりたい願望なのか(1)

2009-11-18 18:08:06 | Weblog

 11月20日、和歌山県高野山金剛峯寺を訪問、全日本仏教会(全仏)会長を務める松長有慶高野山真言宗管長と会談。11月10日付「msn産経」記事――《出家? 小沢氏が高野山入り 仏教会トップと会談 「心洗われた」》は訪問の魂胆を、〈来夏の参院選に向けた地方行脚の第一弾。全仏は伝統仏教の宗派がつくる財団法人で、かつては自民党色が濃かった。自民、公明連立政権の発足で自民党と距離を置く宗派が増えたが、民主党との関係も薄かった。〉と解説している。

 マスコミの解説を待つまでもなく、選挙目当てなのは誰の目にも明らかなことで、同「msn産経」記事は、〈小沢氏は会談後、記者団に対し、「選挙運動に来たわけではない。お参りして心が洗われた」と語った。ただ、「結果として(民主党への協力を)お考えいただくことがあればいいことだ」と、支援への期待感も示した。〉と書いている。

 さも個人的訪問であるかのように装いつつ、「お考えいただく」にはそれなりの話を通さなけれならなかったはずだから、民主党を背負っての訪問だと自分からバラしている。

 上記「msn産経」記事は触れていなかったが、同じ日付の「YOMIURI ONLINE」記事――《「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に》は小沢幹事長が自ら記者団に語った宗教観を伝えている。

 「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」

 「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」
――

 いわば日本の仏教はキリスト教やイスラム教とは大違いの排他的とは縁遠い、あらゆるものを包容する寛容で度量の大きいな宗教だと言っている。

 11月11日付の「asahi.com」記事――《小沢氏「高野山は日本人の原点」》での小沢氏の言葉は次のようになっている。

 「高野山は日本人の原点。キリスト教を背景とした西洋文明は行き詰まっている。仏教は人間の生き様を原点から教えてくれる」

 「自民党は本来は非常に日本人的な政党だったが、日本人の持つ心とか美点を失い、人心が離れた」


 まさか自分が離党してから自民党は、「日本人の持つ心とか美点を失い、人心が離れた」と言っているわけではあるまい。

 同「asahi.com」記事の小沢一郎発言解説は次のようになっている。

 〈小沢氏の発言は、仏教を称賛することで、政治的には「中立」ながら自民党と古くからつながりのある全日本仏教会に民主党との関係強化を求める狙いがあったものと見られる。しかし、キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある。〉――

 「人間の生き様を原点から教えてくれる」格好の教材は社会に現れる人間の諸相そのもので、そこから学ぶべきだし、小沢氏の場合は余り感心できない生き様を学ぶ参考資料にはなると思うが、例え仏教の教えを教材とするにしても、学ぶ学ばないは人それぞれの生きる姿勢にかかっているはずだから、何ら学ばなければ、学ばない人間にとっては仏教は猫に小判、豚に真珠で、何ら輝きを帯びない戯言(たわごと)で終わる。

 また「あらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教」という仏教の位置づけに対して、「自民党は本来は非常に日本人的な政党だったが、日本人の持つ心とか美点を失い、人心が離れた」と言うことなら、自民党にこそ仏教が必要であり、現世利益(げんせりやく)として票を与えることが自民党に対する救いとなると思うが、そうではないだろうか。

 因みに「猫に小判」と同じ意味を示す「豚に真珠」は新約聖書のマタイ福音書に書いてある言葉だそうだ。

 小沢氏の仏教に対する余りある褒め言葉が選挙の票欲しさの買いかぶり・ヨイショの類でなければいいと思うが、しかし社会的影響力を持った政治家の言葉である、裏側の魂胆を離れて言葉自体が口にした本人の宗教的思想と把えられて独り歩きする。
 
 その現れが「一面的理解に基づく『排他的』で『独善的』な発言で、見識を疑わざるを得ない」(毎日jp)とする日本キリスト教連合会の抗議文送付であろう。

 対して小沢氏は16日月曜日の記者会見の中で記者に問われて、選挙を離れた自身の宗教観を再度述べている。

 その部分を11月16日付「asahi.com」記事――《亀井新党構想「プラスになる」16日の小沢幹事長会見》から参考引用してみる。
 

 
 【仏教とキリスト教】
 ――高野山を訪れた際に、西洋文明の行き詰まりの文脈でキリスト教について言及があった。日本キリスト教連合会が抗議文。

 「え?」

 ――「幹事長の発言こそが独善的だ」という抗議文を出している。

 「どこに出されているの。産経新聞に?」

 ――いや、産経新聞は。

 「私は文明論と宗教論を言ったんです。君は何教だ?」

 ――家は仏教です。

 「仏教っていうのはどういうの?」

 ――浄土真宗。

 「いやいや、仏教というのは、どういう哲学だっつうの」

 ――すぐに答えられません。

 「ね。仏教っつうのは、死ねばみんな仏様になるんだよ。そうでしょ。除夜の鐘はいくつだったか、君、知ってるか?」

 ――108です。

 「うん。108っていうのは、どういう意味だ」

 ――煩悩。

 「そうだ。煩悩をすべて超越して、生きながらに超越できる人が生き仏だ。おしゃかさんが最初の人だ。その以降にもいろいろあったと思うけれども。いろんな、それに、お釈迦様に近い人もいっぱい出てきただろうと思う。これだけ普及したんだからね。

 だから、そういう意味で、生きながらにして仏になることもできるし、死にゃあ、みな煩悩がなくなるから仏様。

 君んとこも仏様あるだろ?だから、他の宗教で神様になれるところがあるか?そうでしょう?基本的考え方が違うということを僕は言ってるんですよ。

 仏教哲学というか、が背景だけれども、東洋の思想ちゅうのは、悠久なる自然の中の、人類は、そのひとつの営みというとらえ方だ。わかる?『それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり』という李白の詩があるけれども。

 西洋文明は、人間が、うーん、霊長類として最高の、自然をも、人間のいろいろな、まあ、これは少し、宗教ちゅうより政治論になるけれども、ために存在するという考え方だ。だから、有名なエベレスト征服したときに、なぜエベレストを征服したのか、そこに山があるからだと答えをしたイギリス人がいたけども、地元では、霊峰としてあがめられて、そのエベレストを征服しようなどという考え方は、アジア人にはほとんどない。そういう根本的な宗教哲学と人生観の違いを僕は述べたんです。わかった?僕も君も死ねば仏になれるんだ、だから」。

 小沢一郎と言う政治家は政策に関するカンの鋭さや選挙術に見るべきものがあるとは思っていたが、それ以上にカネを如何に巧妙・有効に掻き集め、そのカネを如何に巧妙・有効にバラ撒いて大勢の人間を言いなりにするかに関しては右に出る者はいないと舌を巻く思いをしていたが、宗教に関して、特に仏教に関してこれほどまでに造詣深く、洞察力に優れているとは毛程も気づいてなかった。小沢自身が語った言葉自体が深い思想へと昇華した味わい深い金言――金のように価値ある言葉となっている。

 だが、言っていることが論理一貫していないように思える。

 先ず「これだけ普及したんだからね」は江戸時代にキリシタン禁制の徹底化を図る“宗門改”によって全国民を特定の檀那寺に所属することを義務づけたことによって誰もが仏教徒となったことと関係している「普及」で、心からの信者がどれ程いるか疑わしい。このことは御利益信仰と言われていることが証明している。

 「それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」の李白の詩を紹介していたが、「逆旅」という単語を読むことすらできなかった。「大辞林」で調べてみると、「逆旅(げきりょ)――(1)〔旅人を逆(むか)える所の意〕旅館。やどや。 (2)旅。また、旅をすること。 」と出ている。

 多分、天地は万物が宿す棲家(すみか)であるが、月日(光陰)は永遠の旅人の如く来ては去ってゆく」といった意味だと思うが、これが仏教からきている無常観を示しているとしても、「東洋の思想ちゅうのは、悠久なる自然の中の、人類は、そのひとつの営みというとらえ方」とする思想そのものを表した言葉には見えない。

 小沢幹事長の「死ねばみんな仏様になる」は今生の後ろ暗さから死んで仏になりたい願望なのか(2)に続く

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小沢幹事長の「死ねばみんな仏様になる」は今生の後ろ暗さから死んで仏になりたい願望なのか(2)

2009-11-18 17:48:47 | Weblog

 李白のこの詩の全文を知っているわけではないから、インターネットで調べてみた。HP『中国故事物語』の中の「天地は万物の逆旅 光陰は百代の過客」を見つけることができた。いつも無断なのだが、一部分を無断参考引用してみる。
 

 
 これは李白の「春夜に従弟の桃花園に宴する序」という短文の冒頭の句である。この短文は桃花園に兄弟親族が集まって酒宴をはった時の作、全文の意味は、桃花に対して坐し、酒杯をとばして月に酔う良夜、われわれははかない存在ではあるが、天地より詩文を作る才をさずかって生れた、されば、大いに佳作をものして楽しもう、もしできなければ罰杯としようではないか――というので、この文だけについて言えば、別に取り立てて述べるほどのこともない。しかしさすがに天地といい、逆旅といい、過客という比喩の確かさや大きさは李白である。
 
 本文は、
 
 「それ天地は万物の逆旅にして、
  光陰は百代の過客なり、
  しこうして浮生は夢のごとし、
  歓をなすこといくばくぞ。
  古人、
  燭をとりて夜遊ぶ、
  まことにゆえあるなり。……」
 
 というのである。

 拙いお粗末な私自身の解釈を施すとするなら、人間存在の無常に対して酒を酌み交わし、詩を創る宴の“歓”を対比させ、“歓”によって無常を払拭しようとする“歓”にウエイトを置いた姿しか看取できない。どう逆立ちをしても、「東洋の思想ちゅうのは、悠久なる自然の中の、人類は、そのひとつの営みというとらえ方」がそこにあると解釈できないが、そう解釈するところが小沢一郎と言う政治家の凄さなのだろう。

 「仏教っつうのは、死ねばみんな仏様になるんだよ」

 「生きながらにして仏になることもできるし、死にゃあ、みな煩悩がなくなるから仏様」

 「他の宗教で神様になれるところがあるか?」

 この成仏論を小泉純一郎が首相当時、靖国参拝正当化の口実に使っている。2001年4月18日の自民党総裁選討論会で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約。

 2001年4月26日に総理大臣に就任。同01年7月11日の参院選に向けた与野党7党首公開討論会(日本記者クラブ主催)で、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯の方々も死刑という刑罰を受けている。そして心ならずも戦争に行かねばならなかった人が圧倒的多数だ。そういう人への慰霊を、一握りのA級戦犯が合祀されているということでおろそかにしていいのか。死者に対して、それほど選別しなきゃならないのだろうか」と正当化の肉付けを行っている。

 そして「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる」と言う殺し文句が効いたのか、同01年年7月の参議院議員選挙で自民党は大勝した。8月に入って「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約したことを堅く守って中国・韓国に配慮、2日前倒しの8月13日に参拝。

 だが、中国・韓国への配慮も空しく、両国首脳が訪日を中止するなどの強硬な反撥を受けることとなった。

 小沢一郎の「仏教っつうのは、死ねばみんな仏様になるんだよ」にしても、小泉元首相の「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる」にしても、仏教の教えとしてある悪事を働いた人間は死後、地獄に生まれ直すとされる宗教観(地獄思想) に反するが、このことを無視するとしても、仏教の教えにはある、キリスト教、イスラム教の教えにはないということなら、教えの存在を単に言っているに過ぎない。

 もし教えに関係なく、仏教国日本の日本人であるなら、「死ねばみんな仏様になる」ということなら、無信心者、無宗教者にも当てはめなければならなくなるから、仏教を信じる信じない、百歩譲って、仏教に馴染む馴染まないに関係のない生存条件となって、仏教は必要のない教え――否定そのものとなる。

 もし仏教の教えを理解し、日常的にその教えを守って暮らしている真面目一方、正直一方の日本人のみが「死ねばみんな仏様になる」ということなら、葬式仏教として馴染んでいる日本人は多くいても、仏教の教えそのものを深く理解し、その教えどおりの生活を守っている日本人は少ないはずで、だからこそ犯罪多発社会となっているというだけではなく、上に立って国を経営する責任ある立場の政治家・官僚・役人の責任を省みない不正が蔓延する世の中となっているのであって、「みんな仏様になる」は誇大宣伝文句に過ぎなくなる。

 小泉元首相は2005年4月22日にインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念首脳会議に出席、中国では小泉首相の靖国参拝反対に発した反日デモが起きていたが、日本の歴史認識に関して村山談話を引用、「50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、わが国は平和国家として国家発展に努める決意をした。現在も、50年前の志にいささかの揺るぎもない。

 わが国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持を常に心に刻みつつ――」云々と“謝罪と反省”を述べているが、バンドンから帰国後の05年5月16日の衆院予算委員会で、「多大の損害と苦痛を与えた」「歴史の事実」もなんのその、「痛切なる反省と心からのお詫びの気持を常に心に刻みつつ」次のようにアジア外交に関して答弁している。

 「どの国でも戦没者への追悼を行う気持を持っている。どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきではない。東条英機氏のA級戦犯の話がたびたび国会でも論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。私は一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのけしからんと言うのは、いまだに理由が分からない」(05.5.17 『朝日』朝刊)

 今度は「中国の孔子の言葉」を参拝正当化の口実に持ち出したというわけである。

 この小泉「孔子」発言に対して中国文学者の一海知義(いっかい ともよし)氏が05年5月31日の『朝日』朝刊記事――《私の視点◆靖国問題 「罪を憎んで」発言は不可解》で次のように批判している。(一部抜粋)

 「これを聞いて驚いた。私は五十数年来、専門の対象として中国古典を読んできたが、孔子がこんなことを言っているとは知らなかったからである。少なくとも、信頼できる文献には見当たらない」

 次のようにも批判している。

 「戦後日本の歴代首相は演説の中などで、しばしば中国古典を引用してきた。それはけっこうなことだが、平仄(ひょうそく)の合わぬ漢詩を公表したり、古典を誤用したり、変な漢文を作ったりする場合が少なくなかった。こうした悪しき伝統が現首相まで及んでいるのだ」

 「戦後首相の中でも、小泉首相は特に中国古典がお好きらしい。施政演説など、さわりの所で『孟子』を引き、『墨子』と引くといった具合である。

 しかし、おおむね 『断章取義』的な引用法が多い。断章取義とは、原点の趣旨とは無関係に、時には趣旨に反して、自分に都合の良い部分だけを抜き出して引用することである。これは中国では古来、軽蔑されてきた手法である」――

 最後の止どめとも言うべき批判を展開している。

 「そもそも『罪を憎んで人を憎まず』は、加害者だった側が使うべき言葉なのか。首相発言は中国民衆の立場を無視している。目の前で日本兵を殺された体験を持つ人々に、『罪を憎んで・・・・』と説教しているのである」

 小泉の「孔子」発言は「中国民衆の立場を無視している」だけではなく、1カ月前のバンドン会議での「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする発言をも無視している。「多大の損害と苦痛を与えた」側が与えた人間を「罪を憎んで人を憎まず」と無罪放免しているのだから。

 こう見てくると、小沢幹事長の「仏教っつうのは、死ねばみんな仏様になるんだよ」も同じ穴のムジナ、大分怪しく見えてくる。

 HP《「死ねばみな仏」の間違い/衆生が成仏するには覚りの因縁が必要》(平成17年6月26日 掲載)がその間違いを解説している。

 〈日本の歴史的宗教観でよく誤解されがちなのが「死んだ人はみな仏に成る」という安易な成仏論である。これをあたかも日本仏教界全体の宗教観であるかのように喧伝し、外交問題が起こった時もこの論を持ち出して説明する似非文化人や議員がいる。外交や政治問題はここでは略すが、情けないのは、普段宗教を大切に思っていない人間が、説明等のため急ごしらえで入門書などを聞きかじり、それであたかも自分は日本の宗教観を体得しているかの如く振る舞い、結局日本の文化全体の程度を貶めてしまっている現状である。

 「死んだ人はみな仏に成る」などということは、どの経典にも書いていない。もしそう書いてあれば、信心も六波羅蜜も如来の願いも経典さえ不必要ということになる。これが要らなければ、仏教そのものが要らなくなるではないか。本当は、真実の求道(菩提心)なくして仏に成れるはずはないのだ。

 仏とは最終的に「智慧と徳」が成就した人である。「自覚覚他 覚行円満」という結果が出てこそ仏に成ったといえる。つまり世の真実が解かり、領解した真心の智慧が行動となり、功徳(実績と信頼)が世に響き渡る人が仏なのである。これは、生きている時に「正定聚の菩薩」({正定聚・不退転の菩薩について} 参照)であった人、もしくは臨終において特別の引導があった人に限られる。

 このことは以前、{地獄・極楽の分かれ目と麻原が救われる可能性} に詳説したが、慚愧と無上菩提心を起こさぬ限り、成仏はもちろん、浄土の功徳を受けることさえ望めない。この基本だけは知っておいてほしい。 〉――

 このHPも、「死ねばみんな仏様になる」なら、「仏教そのものが要らなくなる」と言っている。小沢一郎は仏教否定論者だと言うわけである。このことが全日本仏教会に知れたなら、折角の頼みの票を手に入れることができなくなるに違いない。

 小沢幹事長は「煩悩をすべて超越して、生きながらに超越できる人が生き仏だ」とも言っているが、人間は利害の生きものであることを宿命づけられていて、利害に齷齪(あくせ)し、利害に翻弄され、なかなか利害から免れることができない狭い世界に生きている。「煩悩」とは言ってみれば利害損得がつくり出す欲望で、煩悩にしても免れがたい欲望ということになって、「生きながらに超越できる人」など簡単には存在しないだろう。人間知らずの上っ面な宗教論にしか見えない。

 矛盾なき社会は存在しない。いくら日本の仏教が優れた教えを持っていたとしても、問題は社会の姿・国の姿である。その国の宗教の教えと社会の姿・国の姿が乖離していたなら、教えは無意味と化す。役立たずだと言うこともできる。子どもの自殺が08年は過去最多に達した社会、1人親世帯の貧困率が先進国の中で最悪水準の54.3%だという日本社会の偏った実態、相対的貧困率で言うと、07年調査で先進国の中でも高い15.7%に達している貧しい社会、08年度の自殺者が3万2249人で11年連続で3万人を超えた自殺大国社会、収入格差社会、学歴格差社会、地方過疎社会、子孫にツケをまわす過去最高を更新だという国の借金864兆円5226億円の借金大国等々は政治の無力そのものの反映だが、小沢一郎が「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」と日本の仏教がいくら優れていると言い立てたとしても、政治の無力同様、日本の仏教の無力をも伝えている日本の社会の現実であり、国の現実であろう。

 「行き詰まっている」のは欧米だけではなく、日本も同じで、そうと気づいていないとしたら、合理的判断能力が疑われて政治家の資格を失う。


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自民党政治の上から下に求めた公意識観・規範意識の結末社会、国の姿

2009-11-17 06:18:49 | Weblog
 2007年1月、安倍内閣の教育再生会議は中間報告で公立学校などでの「奉仕活動の必修化」の方針を掲げた。ボランティア体験を通じた規範意識の育成は安倍晋三の持論で、総裁選に立候補時、自民党青年局主催の公開討論会で大学入学(時期)を世界の慣行に合わせて国公立大学の入学時期を9月に変更、「(高校卒業後の)4月から9月までの間は、例えばボランティア活動をやってもらうことも考えていい」と高校卒業から大学入学までの約5か月間の社会奉仕活動を主張している。(YOMIURI ONLINE

 同「YOMIURI ONLINE」は〈大学の9月入学と社会奉仕活動をめぐっては、2000年末に森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」がまとめた報告書に盛り込まれていた。〉と解説しているが、森喜朗の派閥育ち、その「神の国」発言を引き継ぐ同じ保守体質であることと併せて安倍晋三が受け継いだ大学9月入学と奉仕活動であろう。

 「教育改革国民会議」をそもそもは小渕内閣が設置した私的諮問会議であったが、小渕恵三が脳梗塞で倒れたため森喜朗も仲間に加わった青木幹雄・村上正邦・野中広務・亀井静香の五人組の密室謀議で総理後継を森と決めて森内閣(2000年4月5日~2001年4月26日)が継承した教育改革を目的とした議論の場であったが、第2次森改造内閣で文部科学相に任命された町村信孝が大学9月入学・奉仕活動について2002年2月2日記者団との懇談会で次のように発言している。

 大学9月入学によって高校卒業から生じる5カ月近くの空白期間の使途について、「3、4カ月奉仕活動をするのもいい」と奉仕活動に向ける考えを示した上で、〈奉仕活動の例に自衛隊入隊を挙げ、「3カ月で、ぐうたら息子が変わるという。日本にはそういう場がない。体験入隊とは言わないが、もうちょっとソフトなプログラムがいくつも作れるだろう」(《「大学入学は9月に 3カ月奉仕活動を」町村文科相が考え示す》『朝日』夕刊/2001年2月3日)と述べたという。

 町村は自衛隊体験入隊の効用を「3カ月で、ぐうたら息子が変わる」教育的即効性にあるとしている。この即効性を前提とするなら、「体験入隊とは言わないが、もうちょっとソフトなプログラムがいくつも作れるだろう」は自衛隊体験入隊の枠内の「ソフトなプログラム」であるのは容易に理解できる。

 自衛隊体験入隊を外したなら、自らがそうだと信じている「3カ月で、ぐうたら息子が変わる」教育的即効性をむざむざと排除することになる。あくまでも自衛隊体験入隊が抱えるスパルタ式体育会系訓練の印象を和らげる「体験入隊とは言わないが」であり、正規の自衛隊訓練よりも「もうちょっとソフトなプログラム」ということでなければ、発言に矛盾が生じる。

 あるいは「日本にはそういう場がない」という言葉は戦争を経験した日本人が「軍隊に行って根性を叩き直してこい」とか、「軍隊がなくなって、根性を入れる場がなくなった」と軍隊の教育的な効用を言い立てる文脈と同じ意識を体裁としていることから、内心では衝動として抱えているだろうが、世間が体験入隊から即徴兵制へと連想して反撥することを恐れ、それを和らげる煙幕として「もうちょっとソフトなプログラム」と柔軟性を装ったといったところに違いない。

 安倍晋三は官房長官時代に自身が選出されることになる06年9月の総裁選に向けて憲法改正と教育改革に重点を置いた公約を掲げ、総理・総裁となってから、「教育再生会議」と仰々しく銘打って教育改革に取り組み、その柱に「『公』意識の育成」と「奉仕活動の必修化」を掲げたが、後者は実現させることはできなかった。

 「『公』意識の育成」は安倍内閣が2006年12月成立させた「改正教育基本法」の「第一章 教育の目的及び理念」の「教育の目標」5で「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と謳っている中の「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」とする、伝統・文化・国家・郷土といった「公」に対する意識の植え付けを法律で義務づけたことによってタテマエとしては実現させている。

 だが、何を以て伝統とするか、何を以て文化とするかは個人それぞれの選択と認識にかかっている自由裁量であって、その選択と認識に応じて国や郷土に対する認識も個人それぞれに異なりを見せてくる。

 それを教育の名を借りて伝統と文化に対する認識を国の選択に任せて、それをオオヤケ(=公)の伝統・文化だと認識させて一律的に「尊重」を義務づける。そのような伝統と文化に添って色づけた「国と郷土」を愛するように仕向ける。このような個人性の無視は国家という「公」への肯定要求の裏返しとしてある強制的否定に当たる。

 この手の強制性は常に上から下に向かう。上から下に向けた伝統・文化・国家・郷土等の「公」の強制を意味する。

 これは実現させることができなかったとはいえ、安倍や町村、その他の日本の保守政治家が衝動としている「奉仕活動の義務化」意志が内包している国家的な強制性ばかりか、奉仕活動を通じた規範意識の上から下に向けた植えつけの強制意志と同じ構図を取る。その最たる形式が国家による自衛隊の体験入隊という名の一律的強制による規範意識の植え付けであろう。実現させることができたなら、5カ月間前後の短期間とは言え、一律的強制となるゆえに、形式的には徴兵制と何ら変わりはない。

 当然安倍晋三にしても9月大学入学・高卒から入学までの奉仕活動の義務化だけではなく、奉仕活動の一つとして前任者が目指した自衛隊体験入隊の義務づけをも希望としては受け継いでいると見るべきであろう。

 いわば国家を「公」として、その「公」に向けた奉仕活動要求であり、当然のこととして奉仕活動を通じて学ぶべき規範意識は「公」(=国家)に向けて発揮すべき形式を取っていることになる。

 このことを言い換えると、下(=国民)から上(=国家)に向けて発揮することを要求した公意識・規範意識であって、その逆ではないと言うことである。

 下(=国民)を発揮対象と定めて、政治家・官僚等の上を公意識・規範意識の発揮対象と定めず、発揮対象から外した森、町村、安倍等の自民党保守派の要求となっていた。外していたがゆえの公意識・規範意識の結末が上(=国家)の不正やムダ遣い等の私的恣意の横行を許すこととなった現在の社会――国の姿と言うことであろう。現在の公意識・規範意識のザマといったところではないか。

 最近から遡って上(=国家)の公意識・規範意識のザマを新聞記事の見出しから拾って羅列してみる。

 《国費ムダ2364億円、埋蔵金1千億円指摘 会計検査院》asahi.com/2009年11月11日11時20分)

 会計検査院が鳩山由紀夫首相に提出した国費の使い道を検証した08年度の決算検査報告の税金のムダ遣いや不適切な経理処理などの指摘件数は717件、計約2364億円にのぼり、07年度の約1253億円を上回って過去最高の輝かしい公意識観・規範意識の記録を達成したというもの。

 《不正経理72億円、全国で横行 検査院指摘と自治体調査》asahi.com/2009年11月11日23時19分)

 会計検査院が08年度の検査報告でまとめた26府県と15市の国の補助金などをめぐる地方自治体の不正経理約32億円の指摘とは別に、自治体の内部調査で約29億円の不適正経理が判明、07年度の報告でまとめた12道府県の約11億円を加えた総額は約72億円となり、こういった不正に関わる公意識と規範意識が全国規模で横行している実態が浮かんだというもの。

 《“公金不適切 有効に活用を” 》NHK/09年11月12日 4時22分)

 〈11日に内閣に提出された平成20年度の会計検査院の報告では国の補助金のむだづかいなど、これまでで最も多いあわせて2364億円の公金について扱いが不適切だったと指摘〉されたというもの。

 《特定法人が入札 独占的に受注》NHK/09年11月11日 18時45分)

 厚生労働省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」が業務を発注する際に今年度から競争入札を始めたが、入札にはこれまで個別に契約を結んできた公益法人「雇用振興協会」のみが参加、独占的に受注していたというもの。

 受注金額は約200億円。「雇用振興協会」は昨年度まで40年近くにわたってこの業務を受注、厚生労働省からは元局長ら150人のOBが天下っていたというが、双方に何らかのウマミを生み、そのウマミを他に渡したくない公意識・規範意識に則った独占的受注といったところだろう。

 《文科省OBの独法理事長、年間報酬1800万円》asahi.com/2009年11月12日16時1分)

 行政刷新会議が実施した「事業仕分け」にからみ、いずれも文科省所管の独立行政法人の教員研修センター理事長(文部科学省元高等教育局長)が1849万円、各地の青少年自然の家などを運営する国立青少年教育振興機構の理事長(元文科審議官)が1790万円の年間報酬を受け取っていたことがわかったというもの。

 年間報酬1800万円程度ではまだまだ上がある、たいしたことはない公意識・規範意識といったところか。

 《八ツ場上流、ヒ素検出を公表せず 国交省》asahi.com/2009年11月13日3時31分)

 自分たちが不利な立場に立たされる都合の悪い情報を隠匿していたということ。都合の悪い情報を隠すと言うことは何ら問題はないということを示す情報操作と世論操作を兼ね備えている公意識・規範意識なのは断るまでもない。

 《最初入札、追加は随契 国交省工事、検査院「高くつく」》asahi.com/2009年11月12日22時11分)

 〈国土交通省や国の補助金を受けた自治体が発注する河川や道路などの公共工事で、最初に一般競争入札で請負契約を結んだ後、追加の工事で同じ請負業者と随意契約を結んだ場合、その予定価格が高くなっていたことが会計検査院の調べで分かった。こうした随意契約は約2388億円にも上っていた。〉というもの。

 便宜を与えて、何らかの便宜を受けるウマミ創出の方程式が存在するからこその随契という名の便宜供与であろう。 

 《NHK、規約違反調達85億円 コンピューター随意契約》asahi.com/2009年11月2日4時33分)

 NHKが国の機関と同様に予定価格が一定額以上の物品は世界貿易機関(WTO)政府調達協定に基づく措置で、原則として一般競争契約で調達することや、海外企業も応札できるように英文を含めた入札公告の掲載などが義務づけられているにも関わらず、コンピューター関係の契約を本来は一般競争契約にする必要があったが、規定に反して計約85億円分も随意契約にしていたことが会計検査院の調べで分かったというもの。

 「NHK、お前もか」とばかりにNHKにまで公意識・規範意識の跳梁跋扈が及んでいた。


 《割高運賃で3000万円ムダ 外務省の在外職員公費旅行》asahi.com/2009年11月2日3時1分)

 自分の懐を痛めないカネで払う運賃だから、快適なフライトを愉しもうという公意識・規範意識の表れであろう。

 《日本の債務、危機後も拡大懸念=14年にはGDPの2.5倍に-IMF》時事ドットコム/2009/11/04-01:10)

 国の借金がいくらに増えようが、そんなの関係ねえ、関係ねえったら、関係ねえの公意識・規範意識の発揮は見事なもの。

 《天下り公益法人に調査丸投げ 検査院、国交省に改善要求》asahi.com/2009年10月30日15時3分)

 これも彼らなりの公意識・規範意識に則ったウマミ創出の方程式。

 官僚・役人たちの公意識・規範意識例はまだまだ枚挙に暇(いとま)なしと言ったところだが、キリがないからこの辺でやめておく。勿論自民党政治家たちが下(=国民)に求め、上(=官僚・役人)に求めなかった結末として野放しに許すこととなった官僚・役人たちの公意識・規範意識であり、これが日本の社会の姿、国の姿となっている。

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日本はハブ空港で仁川に負け、カジノをつくってもソウル・釜山に負けるのではないか

2009-11-15 17:19:24 | Weblog

 既にブログに書いたことだが、大阪府の橋下知事が先月(10月)末、大阪カジノ設立構想をぶち上げた。

 「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」

 「大阪をもっと猥雑にするためにも、カジノをベイエリアに持っていく」

 「きちんと環境を整えた形でのカジノというものは、カネを稼ぐ、地域がカネを稼ぐ重要なツールに僕はなると思ってますんで――」

 「エンターテインメントの部分をすべて大阪で引き受けてもいいんじゃないでしょうかね。早く財布を一つにしてね、えー、上がった税収をみんなで分けるっていう、その方向に早く持っていかないと、オー、関西はもう、ほんとにもう、沈没してしまいます」

 「国に頼らず、地域で財源を生み出す仕組みをつくることが重要だ」

 相当にいいこと尽くめのうまい話となっているが、関西が沈没しないうちにカジノを国に頼らない財源創出の手段とする。橋下知事の財政にかける切迫感が伝わってくるカジノ頼みではある。

 韓国釜山市の室内射撃場で昨14日発生した火災で日本人観光客8人を含む10人が死亡する事故が起きた。日本人の8人は長崎県雲仙市から参加したツアー客らしい。韓国にカジノが存在していることは情報としては知っていたが、射撃場まで存在するのは知らなかった。

 インターネットで調べたら、釜山にカジノもあれば、射撃場もある。ソウルにしても、カジノも射撃場もある。但しライフルからマシンガンまで実弾で撃てるグアムやハワイの射撃場と違って、韓国の射撃場は45口径以下のワルサーやベレッタといった拳銃のみらしい。

 ソウル市の南部の瑞草射撃場(ソチョサギョクジャン)は実弾10発&指導員付で38口径以下が30000ウォン、45口径が40000ウォンだとHPに出ていた。現在の為替で日本円1円が12.89ウォン――約13倍となる。日本円で約2300円から3100円で実弾10発が撃てる。ちょっとカネに余裕があって、ちょっと熱くなれば、100発とはいかなくても、30発や40発撃ってしまって、十分に満喫するのではないだろうか。

 カジノと射撃場を抱えている都市がその両方に観光客を集めるキャッチフレーズを考えるとしたら、

 「射撃場でピストルをガンガンぶっ放して気分爽快、その勢いでカジノへどうぞ、大儲けしよう!」

 「カジノで大損したら、そのウップン晴らしに射撃場でピストルをガンガンぶっ放して気分転換、スカッとしよう!」

 といったところではないか。

 前原国交相は羽田空港のハブ化を目指しているが、その理由を次のように言っていた。

 「日本にはハブ空港が存在しない。結果的に日本のハブ空港は韓国の仁川空港になっている」

 2001年春に韓国で開港した仁川空港が国内空港から飛んだ日本人海外旅行客の外国各地への経由港となっているということである。いわば仁川空港がハブ空港の役目を果たしていて、日本人海外旅行客の外国への玄関口となっている。貨物取扱量でも成田は香港や韓国・仁川に及ばないらしい。


 英国の調査会社「SKYTRAX」が発表した09年の世界の空港ランキングでも仁川空港は昨年3位から1位にのし上がっている(asahi.com)。我が日本の関空は昨年に続いて6位。関空の評価を押し上げたのは、部門別で1位となったトイレの清潔さだと同「asahi.com」は解説している。確かにトイレの清潔さは必要条件だが、乗降や乗り継ぎ、接客といった飛行機利用に於ける移動自体の便利さをその空港は満たしているかがより重要だと思うが、トイレが自慢の関空ですと宣伝を打つしか手はないのだろうか。

 日本の各空港が仁川やその他のアジアの空港と差をつけられている大きな理由に着陸料の高さが挙げられている。ジャンボジェット(B747)1台の発着料は、成田で約60万円、関空が70万円、仁川空港は25万円、北京空港は30万円だそうだ。
  
 日本円1円が12.89ウォン。韓国旅行が安価に仕上げることができる。日本では不可能な射撃がカジノと同時に楽しめる。

 そういうことなら、橋下知事の念願がかなって大阪のベイエリアに一大歓楽街を作り、その中にカジノを設けたとしても、射撃場を欠いていることと金額の点がマイナス要因となって、海外旅客と同様に韓国に奪われて、そこそこにしか客を集めることができないのではないだろうか。

 そうなったら、財源の確保どころか、日本の多くの空港と同様に赤字経営とならない保証はない。

 〈国が管理する全国26空港について、税金投入を除いた営業損益では約8割の22空港が赤字に陥っていることが国土交通省の調べで分かった。同省がすべての空港別の収支を集計したのは初めて。ほとんどの空港が独立採算ではやっていけない実態が浮き彫りになった。〉と7月31日の「asahi.com」が伝えていた。

 〈営業黒字は大阪(伊丹)の43億円、新千歳の16億円、鹿児島の2億円、熊本の2億円弱だけ〉(同asahi.com

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橋下知事の「結婚式へのメッセージ」に群がる府職員/そんなにも結婚式を権威付けたいのだろうか

2009-11-14 19:18:41 | Weblog

 今日14日の「asahi.com」記事――《橋下知事、職員への結婚祝辞「もう限界」 依頼が殺到》

 大阪府の橋下徹知事に「結婚式へのメッセージ」を求める府の職員がこの秋から急に増えて個別にお祝いメールを送っていたが、多くなりすぎてついにギブアップ。秘書課に相談、今後知事の祝辞が欲しい人には、職場が知事の名前で祝電を送ってよいことにしたという。

 発端は9月頃、ある職員に祝辞を頼まれて「いつまでもお幸せに」とメールで返信したところ、式場で読み上げられ、出席した職員の口コミで一気に広がり、それ以来、「人気知事なので家族や友人が喜ぶし、結婚相手も驚く」と依頼のメールが20~30通届き、中には友人への祝辞を頼んだ職員もいたという。

 人気が結婚式の祝電メールにまで及んだということなのだろうから、結構ではあるが、知事か秘書課の承諾を得てからなら知事の名前で祝電を送っていいと取り決めたとしても、その取り決めを無視して大阪流のギャグだとばかりに勝手に知事名の祝電メールを送って、相手を喜ばす不届きな職員が出てくる可能性もある。

 得てして人気は名前がモノを言うようになる。人気によって名前が権威を持つようになり、名前に価値と意義を置くことになるから、他人が勝手に使った名前であっても、その名前だけで人を喜ばすことができるようになる。 

 例え職場が決めて送った職場公認の祝電メールであったとしても、名前だけが橋下知事である祝電を新郎新婦、さらにはその親族だけではなく、出席者一同が、「ほー、あの橋下知事から祝電メールが来たのか」と感心したり、喜んだり、あるいは式場での読み上げを結婚式のメインイベントとし、そしてメールが来たことを勲章とし、有難がる図は何かしら滑稽である。名前に価値と意義を置いて権威づけているから、そういった図式が可能となる。

 直筆ではない、偽筆の有名芸能人のサインをいくら知らないこととは言え、後生大事に有難って勲章とするようなものだろう。

 いや実際に橋下知事が自ら送ったメールであったとしても、それを有難がって勲章とする一種の偶像崇拝は橋下知事の名前の権威付けなくして成り立ち不可能なもので、「人気知事なので家族や友人が喜ぶし、結婚相手も驚く」といった賛美を成果とすることになっているはずである。

 結婚当事者の結婚式であるにも関わらず、有名人の関与を以って自分たちの手柄とし、勲章とする。後々の記念碑とする。国会議員や県知事、町の著名人の出席を有難がって勲章とするのも名前や地位の権威付けからきているものであろう。

 そのような出席や祝電で自分たちに対する格付けまで行う。結婚式に豪華にかけたカネで格付けを行う者もいる。

 格付けも一種の権威付けに相当するが、橋下知事やその他著名人を上に置き、自分たちを下に置いた権威付けなのは断るまでもない。自分たちを下の権威に置くことによって、有難がって勲章とする賛美が生じる。

 カネで豪華な結婚式としてそれを勲章とするのは自分よりもカネを上の権威に置いているからに他ならない。

 自分たちがどういった結婚生活を送るか、人生を送るか、子どもができたら、どういった家庭を送るか、子どもをどう育て、どのように社会に巣立たせるか。そういったことに価値と意義を置き、その成果を勲章とする思いを抱いていたなら、いくら人気があるからといって、橋下知事の名前に価値と意義を置く権威づけを行って、その祝電メールを有難がって勲章とし、自分たちの結婚式を権威づけるような権威主義に駆られることはないのではないだろうか。

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自爆テロ防止/監視カメラを通して表情の緊張度を計測するセンサーで防げないだろうか

2009-11-13 08:53:00 | Weblog

 そういったセンサーが製作可能かどうかが最初に問題となる

 いつだったか、かなり前になるが、接客時の笑顔の程度を計測して顧客対応に役立てるセンサーをテレビで紹介していたのを思い出して、自爆テロ防止に役立たないだろうかと考えた。

 インターネットで探してみると、医療機器会社のオムロンが開発、製造・販売していて、《笑顔度センサ「スマイルスキャン」が接客時の笑顔力アップに効果を発揮》と紹介しているHPが見つかった。

 HPの日付けは「2009年9月17日」

 次のように説明している。

 〈オムロン株式会社(本社:京都市下京区、代表取締役社長:作田 久男、以下オムロン)は、2009年2月に発売したリアルタイム笑顔度センサ「スマイルスキャン」について、採用されたお客様での導入効果が確認できたことなどから、商品のバージョンアップ等を実施し、同商品の販売を強化します。
 スマイルスキャンは、カメラの映像から人の顔を自動的に検出し、顔画像の特徴からオムロン独自の指標でその人の「笑顔度」を計測、0%~100%の数値データとしてモニタに表示する商品です。百貨店やホテル、外食業、鉄道駅、病院などでの接客研修における笑顔トレーニングや、医療、アミューズメントなど様々なシーンでの活用を想定しています。〉――








 センサー機器の具体的な機能は以下のように紹介してあった。

 〈カメラ映像の中から顔を検知し、リアルタイムに笑顔度(0~100%)を自動測定します。

顔を事前に登録する必要がなく、すぐに利用できます。
同時に2人までの笑顔度を測定できます。
トレーニング中のベストショットを印刷できます

 〈カメラの映像から人の顔を自動的に検出し、顔画像の特徴からオムロン独自の指標でその人の「笑顔度」を計測〉と言っている。「笑顔度」「緊張度」に変えることは不可能だろうか。前以てセンサーに様々な度合いで緊張した顔をレベルを設定して記憶させておいて、監視カメラを通してそれぞれに合致する表情を拾い出させ、想定しておいた警戒レベルを超えた場合は音で知らせるといったふうに改良する。現在の技術力を以ってすれは不可能ではないと思うが・・・・

 自爆テロは敵と見定めたなるべく多くの不特定多数だけではなく、自身をも死に導く攻撃だから、鼻歌混じりにはできない。自分も確実に死ぬ恐怖が伴うはずだから、相当に緊張した顔を強いられるはずである。現在世界には200メートルを超えるバンジージャンプ台があるそうだが、未経験や1回経験、2回経験といった、可能ならアラブ人の被験者にバンジージャンプ台に立たせて跳ぶように命じ、未経験者なら最高度に緊張した表情を提供してくれるはずだが、それぞれが跳ぶまでの表情を撮影して緊張の度合いに応じてレベル化し、自動検出用のモデルとする。

 具体的な使用方法は例えばイラクでもアフガンでもパキスタンでも発生している検問所での自爆テロの場合、検問所10メートル前方と15メートル前方の2箇所に停止ラインを設け、それぞれに一旦停止させ、10メートル前方に停止した車両が発車してから15メートル前方の車が発車するように命ずる。検問側の兵士、もしくは警察官は検問所を出ない。命令が相手に十分に伝わるようにするには拡声器を用いる。

 検問所の正面から10メートル先が明瞭に撮影できる望遠仕掛けの監視カメラで10メートル前方の車の運転手の顔に焦点を合わせて、その表情の緊張レベルをセンサーで自動検出させる。

 もし危険を知らせるアラームが鳴ったら、拡声器で車から降りるように命じる。11月9日にパキスタン北西部の州都ペシャワルで起きた警察官など3名を死亡させた自爆テロは別の場所で計画していたが、予想で着衣に約6キロ近い爆発物を仕掛けて人力車に乗って検問所を通過しようとして警察官に呼び止められたためにその場で自爆した疑いが濃いということだが(CNN)、この例に洩れず、停止を求められた場合、例え目的の場所ではなくても自爆を成功させ犠牲者を少しでも出そうとするだろうから、強引に車を発車させ突っ込んできた場合は直ちに肩に担いで使用する携帯式ミサイル等で後ろの車が被害に遭わない角度から攻撃、撃破して、テロを防御する。

 イスラムの男性は「クーフィーヤ」と言われる布状の被り物を頭から顔にかけてかぶっていて、それで目出し帽のように目だけ出して顔全体を隠すことができるが(HP《アラビア村》)、監視カメラを十分に機能させるために法律でテロ防止のためとして、かぶることは許すが、顔を隠すことは許さないとする必要がある。

 また、アフガニスタン南部の検問所で11月3日(現地時間か日本時間か不明だが、日本なら11月3日は文化の日である。)アフガン人警察官が英兵5人を射殺するテロ事件が発生、タリバンのアフガン警察への“浸透”を窺わせると伝えていたが(47NEWS)、訓練所に新規入所の警察官だけではなく、古参であっても洗脳やカネで買収されてタリバン化する可能性を考慮して、訓練所内部だけではなく訓練所の玄関にも監視カメラを設置し、玄関を出入するたびにすべての関係者が監視カメラに顔を向けた撮影に応じるように義務付け、緊張度から疑わしい人物を炙り出す仕組みとしたら、“浸透”を防げるのではないだろうか。

 あるいはすべての警察署の玄関を一定の間隔を置いて二重扉とし、開扉と同時に監視カメラに顔を向けて、撮影に応じるよう、応じない場合は射殺されても構わないものとする警告を発するテープが自動的に流れるようにし、相手の態度に応じて処置する。

 テープの言葉を聞いただけで、実際のテロ犯なら、極度に緊張しないわけにはいかないはずである。

 さらに訓練所と同様に警察内部の至る所にも同様の監視カメラを設置、不審な動きよりも、緊張した表情を監視する。その他モスクや市場、学校など人が沢山集まる場所のの出入口、さらに内部にまで設置したらいい。

 但し自爆テロ犯は極度の緊張と死の恐怖から満足に体が動かなくなって失敗することを免れるために麻薬を使用して神経を麻痺させ、犯行に及ぶという話もあるから、麻薬で弛緩した表情を自動検出するセンサーの設置も必要になるかもしれない。麻薬を使用した表情の蒐集は麻薬犯罪が多発するアメリカで不自由なくできるのではないだろうか。

 民主党政府はインド洋補給支援活動に代わる新たなアフガニスタン支援策として今年から5年間で最大約50億ドル(約4500億円)を拠出する発表を行ったが(asahi.com)、具体的な中身が決まっていないと言うことだから、算出基準不明というだけではなく、これくらい出さなければ経済大国の資格を失うといった、ムダ排除を政府の重要な方針の一つに掲げる姿勢にふさわしいドンブリ勘定の最大約50億ドル(約4500億円)と言ったところだろうか。

 尤も米国のアフガン・パキスタン担当のホルブルック特使が「米国にとって日本が最大の友人であることを確認する決定だ」と電話で謝意を伝えたことを外務省幹部が明かした上、「国際社会が腰を抜かすぐらいの巨額支援だ」と金額規模の大きさに胸を張ったという(同asahi.com)ことだが、カネを出すことしか能のない日本にしたら、具体的な中身は問題ではないのだろう。

 日本が実施計画を策定して効果を監視しても、策定せずにアフガンに使途を任せて効果のみを監視したとしても、少なくない金額がカルザイの懐に転がり込むのではないかと私自身は疑っている。

 具体的中身はさて置いて、支援の骨子は

 (1)治安能力の向上
 (2)反政府勢力との和解と社会復帰
 (3)持続的・自立的発展のための民生支援

 の三つに置いているということだから、もし提案の緊張度センサーが実現可能なら、(1)の「治安能力の向上」=テロ防止に役立てることができるのではないだろうか。

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