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精神年齢13歳が靖国参拝を可能とする

2006-08-16 02:53:00 | Weblog

 マッカーサーは日本の政治は13歳の少年だと言った。13歳程度の知能の日本人が戦争を企画・立案し、遂行した。頭は空っぽでも、腕力があればそれなりにのさばることができるように、13歳でも大量の軍艦や戦闘機、大砲に守られて戦線を拡大し、敵を撃破・占領することができた。だが、如何せん、アメリカの石油対日全面禁輸すら予測する力もなかった13歳程度の頭が戦略を立てた戦争である。綿密に計画立てる全体的な展望能力など最初からなく、兵器や腕力に力を借りた突撃だ、特攻だといったその場あたりの威勢のみでは持久できるわけがなく、戦略も戦術もなし、勢いもなくなれば13歳の少年の集まり・烏合の衆に過ぎない姿を暴露し、残された道は雪崩を打って逃げ惑うしかない、その当然の結果として招いた日本軍人240万戦死の7割・168万人が餓死、実際の戦死は240万のうちの72万という惨憺たる戦果が天皇陛下のため・お国のために勇ましくも桜の花と散るべくイメージしたことの実態的結末だったということだろう。

 日本国民も軍人・政治家に劣らず同じ13歳だから、神国だ、大東亜共栄だ、八紘一宇だ、世界支配だと、ホラでしかない上の煽動に付和雷同して「鬼畜米英」を言われるままに大合唱し、ホラでしかない大本営発表の日本軍の勝利を町内会から動員を命じられるままに提灯行列で祝っては日本の幻の勝利に酔い痴れた。同じく13歳の新聞・ラジオは大本営発表のホラを鵜呑みにどころか2倍・3倍にも膨らまして勇ましく書き立て、大日本帝国の絶対性を虚構づけるに持てる力を最大限に発揮した。

 大日本帝国のお粗末だった戦略性なき国家運営、大日本帝国軍隊の虎の威だけで成り立たせていた無責任な未熟性、軍部に言いなりで、自らの責任を放棄していた政治、軍部への追従と国民煽動で権力のおすそ分けに預かっていたマスメディア、ペンの力で国民を言いなりにさせることができる自らの権力に大いなる力を感じていたことだろう。踊らされるだけで、考えることをしなかった国民――すべては13歳程度の頭しかなかったから止むを得ないそれぞれの姿だった。

 そういった13歳程度しかないすべてに亘る日本の自己同一性・お粗末な実態を隠蔽・韜晦し、大本営発表のホラと同様に日本という国の優越性・絶対性を虚構づけるためには「お国のために戦った」戦死者を祀るという靖国という舞台を必要とし、祀るためにはその戦死者は惨めな敗戦死者でも餓死者でもあってはならず、そういった余分なものを一切捨象して優れた国の優れた兵士だったとするための〝英霊〟なる至高存在化装置が絶対条件となる。

 お前のお父さんは偉かったんだよ。アメリカと勇ましく戦って、お国のために立派に戦死したんだよ。アメリカの情け容赦ない攻撃に恐れをなして、さして戦わずにジャングルの中を逃げ惑い、食糧もなく餓死したなんで言えないじゃないか。戦死者のうち、7割もそれに近かったなんて。そんな戦争しかさせることができなかったと国を貶めることにもなる。お国も兵士も最後まで立派だった。

 舞台・装置はそのままにしておいたのでは単なる風景・景色の類で終わる。参拝することで国家優越性表現の儀式の場とすることが可能となる。その最高の儀式者が天皇であることに変わりはなく、それが天皇参拝熱望衝動となって現れている。

 天皇の次が国家運営の代表者たる総理大臣ということになるのだろう。総理大臣何某との記帳は国家優越性表現のための絶対条件である。

 だが、そういった儀式でしか国家優越性を表現できない創造性は俺の父さんは偉いんだぞと父親の威を借りる子どもと同じで、やはり13歳から成長していない姿を現している。政治・外交・文化を力とした世界に向けた国家運営で日本という国を表現していく創造性をこそ問うべきを、それができない代わりに戦没者を利用した虚構の国家優越性表現へと向かわせている。

 結局のところ、戦前も戦後も右手を高々と上げ、その腕をただ闇雲に振りまわしていただけ、いるだけなかも知れない。戦前の日本の野望はアメリカに費え去られ、アジアでお山の大将でいられた戦後の日本の地位は新興中国に脅かされている。日本独自の進路を見い出し、日本独自の存在性を確立する創造性もなく、だから、中国に対して焦り、苛立っている。国家優越性表現に駆られている政治家程、焦り、苛立つことになるのは日本の優越性を実態的に失うことへの恐れからだろう。その代表者が小泉首相と安倍晋三なのは言うまでもない。

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小泉・安倍の頭の中の戦没者

2006-08-15 04:54:48 | Weblog

 小泉首相、安倍官房長官の頭は、靖国の戦没者は中国やアメリカと戦ったのではなく、日本という「お国のために戦った」で思考停止しているらしい。

 その先のない人間だけが、参拝できる。

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安倍晋三内閣を短期政権に追い込もう!!

2006-08-14 05:26:01 | Weblog

 来年夏の参議院選挙は
 民主党圧勝・自民党大敗北・総理大臣引責辞任の
 悪夢のシナリオで
 安倍晋三内閣を短期政権に追い込もう!!

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東京裁判否定を考える

2006-08-12 02:20:35 | Weblog

 東京裁判(極東軍事裁判)を否定する側に立つ人々の理由は大体決まり切っている。

 ①東京裁判で使われた法理である「平和に対する罪」と「
  人道に対する罪」は、後からつくった事後法であり、法
  の不遡及、つまり事後法処罰の禁止という法及び民主主
  義の原則を侵すもので、無効である。
 ②東京裁判は勝者による敗者への裁きであり、その実質は
  勝者の敗者に対する憎悪と復讐の念を満足させる目的以
  外の何ものでもない。
 ③サンフランシスコ講和条約の受入れ(第十一条【戦争犯
  罪】「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及
  び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し・・・
  」云々)は日本が国際社会に復帰するためには調印しな
  ければならなかった条約であったからであり、だからと
  言って〝東京裁判史観〟を受入れたわけではない。

 まず①番目の法及び民主主義の原則を侵すことになる事後法だという点について。

 1943年10月18日から30日にかけてモスクワで開催された米英ソ3ヵ国外相会議で3カ国は戦争終決後に連合国がドイツ戦争犯罪人を処罰する意向を表明し、それを受けて1945年8 月8 日の英米仏ソ4ヵ国のロンドン協定でニュルンベルク裁判の設置を決定し、「平和に対する罪」・「人道に対する罪」で裁くとしたのは、現実に引き起こされたナチスの戦争行為を「通例の戦争犯罪」を超えた凶悪な犯罪にも等しいものとして、それを基準に規定すべき罪科が既存法では収めきれない新たに想定しなければならなかった事後法ということではなかっただろうか。

 その事後法が法理として東京裁判でも応用されたのは日本国及び日本軍の指導者たちがナチス・ドイツに準ずる戦争行為・戦争犯罪をしたと見なされたからであろう。日本軍の戦争行為・戦争犯罪が例えナチス・ドイツの戦争行為・戦争犯罪と比較して、その残虐性・規模の点で軽いものであったとしても、やはり〝通例の戦争犯罪〟として既存法(戦時国際法やジュネーブ条約等)で収めることはできないとして、「平和に対する罪」・「人道に対する罪」等の事後法の適用をも必要としたからであろう。

 いわば勝者の側の論理に不備があり、矛盾があったとしても、事後法で裁かれても仕方がない部分が日本の戦争にあったということではないか。少なくとも事後法であることを楯に日本が抱えていた裁かれても仕方がない行為行動まで全面的に否定も抹消もできないはずである。

 ②番目の「東京裁判は勝者による敗者への裁きである」云々の主張に対して。

 勝者の側は常に自らを〝善〟とする認識を持ち、敗者を〝悪〟とする認識を持つ。キム・ジョンイルは自らを〝悪〟と認識し、日本とアメリカを〝善〟と認識して自らの独裁政治を維持・敢行しているだろうか。

 逆であって、自らを〝善〟と認識し、日本及びアメリカを〝悪〟と認識して行動しているはずである。

東京裁判で勝者である連合国側は自らを〝善〟と認識し、敗戦国日本を〝悪〟と認識して裁いた。そのような善悪の構図を世界は過ちだったと歴史の審判を一度でも下したことがあるだろうか。部分的に矛盾や不備の存在を指摘することはあっても、全体的に否定しなければならない認識構図であり、二度と繰返してはならない歴史の教訓と断罪しただろうか。

 特に日本の戦争の被害を受けたアジア各国に於いて国民まで含めてアメリカ以下の連合国を〝善〟とした敗戦処理を間違いだったとする動きがあっただろうか。南京虐殺、泰緬鉄道建設時の重労働や死のバターン行進等の捕虜虐待、敵性華僑狩り・強制労働者狩り、従軍慰安婦狩り、土地収奪、支配国での過酷な強制労働、ベトナム占領下での大量餓死者の出現、人体実験、日本刀試し斬り、日本軍人の自らを主人・何様とした横暴な権威主義的態度と敵国人に対する非人間的扱い等々――アジアの国で日本軍の残虐さは言い募っても、欧米の植民地宗主国の残虐さを訴える声を聞くことがどれ程あっただろうか。日本軍撤退時には同胞である民間人保護を放棄して、犠牲者を出しているくらいである。自分のことだけを考える利己主義は戦後の専売特許ではなく、日本の歴史・伝統・文化としてあった日本人性であることの如実な証明となろう。

 「戦後、日本は東南アジアに対し、十分に経済的に償ってきた。大半のインドネシア人は日本の過去について、すでに忘れているし、許してもいる。だからといって日本の3年半の統治が残酷なものだったという事実は変わらない。オランダの3世紀半の植民地時代よりもひどかったという人もいる」(05年11月3日『朝日』朝刊記事『東南アジアから近隣外交を問う・中』からジャカルタポスト編集局長エンディ・バユニ氏談話)はまだ穏やかな批判の内に入るのではないだろうか。

 キム・ジョンイルの独裁政治は歴史の審判がどのような形で下されようとも、キム・ジョンイル自身がそれを〝善〟とする認識を主張したからと、その主張に添って〝善〟とする認識で裁くことがあるだろうか。カンボジアでポルポト派を裁く特別法廷でポルポトの虐殺独裁政治を〝善〟とする認識が示されたとしても、それを支持する検事・弁護士がいたとしても、全体として〝善〟とする判決が下されることがあるだろか。

 欧米各国の植民地政策が例え過酷なものだったとしても、日本軍のそれ以上に過酷な残虐さが逆に比較対照的に罪薄めの特効薬と化し、日本軍の残虐さのみを浮き立たせたといった経緯もあったかもしれない。

 いずれにしても戦後世界は総体として第2次世界大戦に於いて勝者の側が自らを〝善〟とし、敗者である日本・ドイツを〝悪〟とした認識の構図に取り立てて異議申し立てを行わずに受け入れ、現在に至っている。日本の一部勢力のみが間違った認識だと主張しているに過ぎないのではないか。

 さらに言えば、例え事後法ではあっても、戦争が近代戦化して戦闘規模を拡大していくに伴って残虐化していく過程で、あるいは独裁政治が過度の主義主張に偏り間化して自他の国民を抑圧・抹殺していくケースで、新たに戦争や独裁政治を裁く法理として「平和に対する罪」・「人道に対する罪」という認識が規定され、ニュルンベルク裁判と東京裁判で適用されたものの、それが多くの矛盾と不備を孕んでいたとしても、それ以降の戦争及び独裁政治を裁く規制値、もしくは基準的ルールとなったこと自体により多くの価値を見い出すべきではないだろうか。

 そのキッカケを為したのが日本の戦争であり、ドイツの戦争だったのだから、反面教師を為した事後法であり、それぞれの「罪」ではなかっただろうか。法及び民主主義の原則を侵す事後法で裁かれたことを理由にいわゆる戦犯と称する被告人たちは無罪であるとする一部主張は、状況証拠も物的証拠もないとするなら理解できるが、そうでない以上極端なまでに単純化し過ぎであろう。

 戦争及び政治の残虐化に伴って、事後法を必要とし、そのような認識で戦争を裁断するようになった。完璧さから程遠くても、いや人類は常に完璧であることから程遠いのだから、ささやかな人類の進歩を示すエポックメーキングと言えなくもない。

 それが事後法であったとしても、世界が取り立てて異議申し立てを行わずに受け入れ、その状況が現在に至っていること自体が、当時に於いても世界に向けた方向性はさしてずれていなかったことの証明にもなっている。

 ③番目の、サンフランシスコ講和条約を受入れたことと〝東京裁判史観〟を受入れことにはつながらないという主張に対して。

 戦後日本がアメリカ主体のGHQから様々な改革を受け、その改革に添って戦後長い間21世紀の今日までさしたる滞りもなく時を刻み、国際社会の一員としての役目をそれなりに果たしてきた。国民の大多数が戦後民主主義を受け入れ、基本的人権の自由等を満喫してきた。日本の次期首相の呼び声高い安倍晋三氏が口先だけで誇っている自由と民主主義、基本的人権、法の支配という普遍的価値観は戦後日本が欧米社会から与えられた改革である。そういった様々な改革を受け入れたこと自体が、当時の欧米が到達していたレベルの民主主義を日本が是としたことを意味し、それは最大公約数の日本国民による戦前の否定、もしくは反〝戦前〟の意思表示だったはずである。

 いわば日本の戦後民主化が正当な部分を多く含んでいたこと自体が反〝戦前〟もしくは戦前否定によって成り立ったことであって、東京裁判は戦前日本の断罪・否定の象徴劇でもあり、戦前日本への訣別を告げ、戦後民主主義へと橋渡しする記念すべき転換点だったということではないか。

 転換点としない日本人が多いが、日本人自らがそのような転換点(戦前の検証・総括)を準備しかった以上、東京裁判を以て、転換点とする以外にないだろう。

 戦前日本の断罪・否定としての東京裁判を通過儀礼として初めて日本は国際社会復帰の資格を得たのである。その資格認証式がサンフランシスコ平和条約の締結だった。

 日本自らの検証・総括がない上に東京裁判もなかったなら、日本は国際社会復帰の切符を手に入れることができただろうか。日本が戦後に足を踏み入れるには、どちらも受け入れなければならなかった関門だったのである。戦前日本の断罪・否定である東京裁判を受け入れないとなれば、戦前の肯定を意味し、反〝戦前〟の証明とすべき戦後民主化の受け入れと相互矛盾することとなるばかりか、サンフランシスコ平和条約締結による国際社会復帰が民主化の仮面をかぶった、戦前の日本を姿とした国際社会への仲間入りだったことになる。

 戦後民主化を否定し、併せて東京裁判の否定(=戦前肯定)を主張して止まない一部日本人が無視できない勢力で存在する。戦争の結末は事実として認めざるを得ないが、日本に誤りはなかった、戦争は大東亜建設のため、植民地解放のための聖戦だったとし、そのような誤りなき戦前の日本の姿を戦前と戦後の境目なしにそのまま今日に引き継ぎたい願望が戦後の否定へとつながっている。

 そのように日本を無誤謬としたい衝動が敗戦の事実を〝終戦〟と表現する感覚に象徴的に現れている。いわば〝敗戦〟の否定であり、その否定は東京裁判否定につながり、サンフランシスコ平和条約締結を条件付きとする部分否定に至らしめ、その意志は国民生活を規制すべく目論んでいる憲法改正の中と、教育を通して国民の精神に植えつけるべく教育基本法改正の中に密かに潜り込ませている。

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「あのような戦争」とはどのような戦争なのか/訂正

2006-08-11 02:21:57 | Weblog

 8月9日にカキコミした「『あのような戦争』とはどのような戦争なのか」の一部に誤りがあったため訂正します。文章中にこう書いています。

 「小泉首相も首相官邸で臨んだ記者会見で次のように答えている

 ――8月15日に参拝しますか?
 「適切に判断します」
 ――5年前の首相就任時に8月15日に参拝すると公約しまし
 たが、その公約はまだ生きていますか?
 「まだ生きています」――

 それで終りとなった。「8月15日参拝が公約でありながら、一度も8月15日に参拝しない理由は何ですか」となぜ追い打ちの質問を発することができなかったのだろう。「適切な判断でしなかっただけだ」と答えたなら、「適切な判断の内容を知らせてください」と迫る。例え在任最後の年の8月15日に公約を果たしたとしても、それまでの4年間に公約を果たさなかった「適切な判断」なるものを知る権利が国民にはあると思うのだが、そうではないのだろうか。」

 06年8月10日の『朝日』朝刊に、8月15日を避けた小泉首相自身の理由説明が既になされていることを伝えた記事がありました。私の事実確認の過ちです。謝罪し、訂正します。「小泉首相の靖国参拝をめぐる主な発言」として一覧表で5回の参拝それぞれに談話や所感を発表・述べているが、それとは別に記事本体から要約してみます。
 
 ①01年4月、自民党総裁選の討論会で、「8月15日に如何
  なる批判があろうと必ず参拝する」と公約として掲げ
  る。
 ②1回目の参拝。2日前倒しして01年8月13日に参拝。
  「幅広い国益を踏まえ、諸課題の解決に当たらなけ
  ればならない」(談話発表)
 ③2回目は02年4月の参拝。「終戦記念日やその前後の
  参拝に拘り、内外に不安や警戒を抱かせることは私
  の意に反する」(所感)

 記事は「『8・15参拝』に踏み切れば」、それを「見送る理由を述べた談話や所感との矛盾が生じる」と述べている。その「矛盾」とは別に、私自身の過ちを正当化するわけではないが、「公約は生きている」という言葉から単に参拝の日を占うのではなく、例え何日に参拝しようが中韓の態度は変わらないと本人は言っているものの、在任中と退任後では中韓に与える意味が全然違うだろうし、安倍氏が首相となった場合、小泉後継者と目されていることから安倍氏に与える影響も微妙に違ってくるはずである点を突く質問をすべきではなかったろうか。小泉首相が退任後に参拝すれば、安倍氏が首相になったとしても在任中の参拝を避ける可能性が出てくるし、逆に退任前の8月15日に一度公約したことだからと参拝したら、安倍氏も在任中少なくとも一度は8月15日に参拝する可能性が出てくるのではないだろうか。

 また、参拝時期は〝適切な判断〟で済ませても、首脳会談を開くことができない状況の中で参拝を続けたことは「適切な判断」だったのか、日本の今後のために質問しておくべきではなかっただろうか。例え以前質問したことであっても、退任前に改めて質問しておくのも、再確認の役目を果たすだろうから。

 「一つの問題で意見が違うから首脳会談を行わないというのはおかしい」と責任の所在を中韓に預けてはいるが、そのことも含めて、今後アジアに於ける日本の置かれる状況に応じて、実際の〝適切さ〟が判定されることになる。そのときの参考のために聞いておくのだが、その時点で小泉純一郎は鼻を高くするか、それとも身体を小さくしなければならなくなるか、そのどちらになるか、興味津々ではないか。

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安倍氏の単細胞な『戦略対話構想』

2006-08-10 18:04:04 | Weblog

 安倍晋三官房長官が自著の『美しい国へ』で提言している日米豪印の首脳・外相級による戦略対話構想の開催に関して、来日中の豪外相が「『インドは非同盟運動の創始メンバーであり、(今年3月にスタートした日米豪の戦略対話への)参加は恐らく望まないだろう』と述べ、構想の実現に否定的な見方を示した」と8月9日(06年)の『朝日』夕刊は伝えている。豪外相は次のようにも述べている。

 「インドとの関係強化は大事で、その点で安倍氏は間違っていないが、戦略的対話の目的は、米国とその同盟国の日豪が話し合うことだ」(から、その点では安倍氏は外交的に間違っているということだろう)

 「中国は軍事的脅威ではない。経済が成長すれば自然に軍事費も増える。透明性の確保は大事だが、中国がアジアで軍事的冒険主義を発揮するとは思わない」

 「中国の軍事力は現実的脅威である」と主張したのは前原前民主党代表だが、オーストラリア外相の「中国は軍事的脅威ではない」の発言は、安倍氏が「軍事的脅威」としている姿勢を受けたものだろう。日本の与野党の代表的な政治家が揃いも揃って「軍事的脅威」をいとも簡単に口にする。どのようなメリットがあると計算して言っているのか不明だが、意味もなく無闇やたらと吠え立てる愚かな犬にならないことを願う。

 記事は外相のこうした見解を安倍氏にも伝えことを報じると同時に、「豪州にとって日米に次ぐ第3の貿易相手国に成長した中国への配慮を見せた」と解説している。

 インドは中国と国境を接し、国境問題から発した武力衝突まで起こしている歴史を抱えているが、2003年6月にインドがチベットを中国の一部だと認め、中国がシッキム州をインドの一部だと認めたことによって両国の関係改善が進み、1962年の中印国境紛争以来停止していたヒマラヤ山脈越えの貿易ルートを44年ぶり2006年の今年に再開させている。

 このことは政治的な対立要因を除去したと同時に経済的な緊密化への一層の発展を意味するものだろう。

 さらに両国はエネルギー分野での協力関係を進めていく『石油ガス協力強化』の覚書を今年(06年)の1月に取り交わしている。中国は米国に次いで第2位の石油消費国であり、インドは第6位に位置していて、エネルギーをより多く必要とする関係から、秩序ある資源調達を約束し合うことで資源問題での対立を前以て防ぐ目的を持たせた協定であろう。

 また今年(06年)6月に開かれた中ロと中央アジア4カ国の上海協力機構首脳会議にインドはパキスタン・イラン・モンゴルと共にオブザーバー参加しており、将来的には正式メンバーとして加盟するのではないかと見られている。

 それ程にもインドは中国と政治的にも経済的にも緊密な関係を築こうとしている。国境を接しているという制約も影響しているに違いないが、現時点に於いても、将来的にも無視できない規模と力で相互に影響しあうと見ている大国であることを自任した国同士だからであろう。

 インドがそのようにも中国と関係を築こうとしている現実を無視したのか、それとも計算に入れることができなかったのか、米国を核としてそれぞれに軍事同盟を結び合っている米豪日の3国に、3国いずれとも軍事同盟を結んでいないインドを〝戦略〟なる言葉を冠した国家間の連携へと、オーストラリアと共に自由と民主主義、基本的人権、法の支配という普遍的価値観を日本と共有しているとしてメンバーに加えるべく謀ったのが、安倍氏の『戦略対話構想』らしい。

 らしいというのは、安倍氏が著したという『美しい国へ』を読んでいないからだが、読んでもたいしたことは書いてないと予測がつくし、ましてや買ってまでして読むのはカネのムダ遣いで終わるだろうことは分かりきっている。大体が「美し」くない人間が「美しい国へ」と言うこと自体が胡散臭いばかりである、

 『戦略対話構想』は小泉首相の安倍氏も加わった外交姿勢が招いた中国との政治的関係悪化の原因を普遍的価値観の日本との未共有が招いた中国側にあるとして、その対抗策に日本一国では太刀打ちできないからと、日本と同地域のアジア・太平洋からオーストラリアとインドを加えて中国を間近から牽制しようとする打開〝戦略〟からの発想でなくて何であろう。

 インドが普遍的価値観を〝共有〟していない中国とも、そのことを理由とせずに緊密な関係を築こうとしているのと日本は逆方向へ向かっているのではないだろうか。中国が北朝鮮のように軍事的に敵対姿勢を外に向けているというなら、普遍的価値観を持ち出すのも理解できるが、そうでなければ〝共有〟とは別個に良好な関係に持っていくのが外交というものだと思うが、逆に安倍氏は中国とは政経分離だと早々に断罪して、インドを誘い込んで中国に対する〝戦略〟的対抗軸を構築する外交へ乗り出そうとしている。中国に対して目に見える形で拳を振り上げることになる外交だと気づいていて、敢えて心理的包囲網を築こうとしているのだろうか。

 現在中国との関係を緊密化しようと試みているインドが果たして中国に対して日本のように目に見える形でこぶしを振り上げるような外交を国益とするだろうか。中国とは長い距離で国境を接している地政学は過去に経験したように政治的関係悪化が点火装置となって相互に武力侵攻に発展しかねない悪条件をも兼ね備えているのである。インドが拳をそれとなく振り上げただけで、中国はインドに対して関係良好になっても展開しておくであろう軍事力を一層強化し、インドも対抗上、中国を目標とした軍事力の強化に努めなければならなくなる。国家の発展とは経済の発展に他ならず、あるいは経済の発展による豊かな国民生活の保障に他ならず、国家予算から軍事費の増大を伴わなければならない軍事的緊張関係は経済発展及び国民生活向上の阻害要因を成すのみである。

 「中国は軍事的脅威ではない」し、「アジアで軍事的冒険主義を発揮するとは思わない」、「戦略的対話の目的は、米国とその同盟国の日豪が話し合うことだ」としたオーストラリアの態度を大人の態度としたら、中国の軍事力を「脅威」と見て、見え透いた形で拳を振り上げることになる安倍官房長官の〝普遍的価値観の共有〟に限定した『戦略的対話構想』は逆に中国の姿勢を頑なにして現在の価値観に閉じ込めてしまう、子どもとは行かなくても、中学生程度の態度ではないだろうか。かつて連合国軍最高司令官として日本に駐留していたマーカーサー元帥が日本の政治は13歳の子どもだとか言ったそうだが、その成長していない姿を安倍氏は受け継いでいるようだ。

 安倍氏は中国を数を頼んだ力で押さえつけようとしているように見えるが、それは外交的創造性の欠如の裏返しとして現れる姿であって、大人となっていない大人や子どもがよく使う手であろう。

 05年9月19日のテレビ朝日「TVタックル」で、「アメリカは原爆を2発落として、ポツダム宣言を受諾しろと威した」と言っていたが、原爆投下も含めてポツダム宣言受諾に至るまでの経緯を一切省略して、原爆投下とポツダム宣言受諾という二つの事実のみを取り上げる単純化した解釈に過ぎない。これなどはまさしく成長していない大人――いわば単細胞な大人でなければできない歴史解釈であろう。

 同じテレビで「中国は共産党一党独裁で、国民の自由もない。国民の不満を抑えるために、日本軍を破り、中国を解放したのは中国共産党だと、一党独裁の正統性を訴えるためにも、愛国教育を利用している。首相の靖国神社参拝に反対するのも、中国国民に日本を悪だと説明している手前からで、中国の言うことを聞いて、参拝をやめたとしても、それだけで終わらない」といった内容のことも話していた。それだけで済む関係ならいいが、それだけではすまないのが日本と中国の関係で、事実それだけ済まなくなっている。すまなくなっているから、『戦略対話構想』なのだろう。

 かくかようにも国家間の関係を単純化し過ぎなくらい単純化して把える感覚にしても、とても外交的創造性は期待できようもなく、どう考えても安倍晋三氏は日本の総理大臣となって、日本を「美しい国へ」ではなく険悪な国へ導き入れようとしているにように思えてならない。

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「あのような戦争」とはどのような戦争なのか

2006-08-09 04:17:49 | Weblog

 中川農水相の8月15日靖国参拝を表明

 8月8日(06年)夜のテレビ――

 閣議後の恒例の記者会見だそうだが、中川昭一農水相が「毎年8月15日に靖国神社に参拝に行っている。今年特に変更する理由はない」と8月15日に参拝する意向を表明「二度とあのような戦争をしないという誓いのつもりで私なりに参拝したい」

 「二度とあのような戦争をしない」とはストレートな受け止め方をするなら、戦前の日本の戦争の否定でなければならない。

 だが、小渕内閣発足当時の農水相として入閣した中川昭一氏は記者会見で次のような〝歴史認識〟を披露している。

 <――従軍慰安婦に軍の関与はなかったという考えですか。

「いろいろと議論の分かれるような、少なくとも専門家の皆さんがけんけんがくがく議論されていることについて教科書、義務教育の教科書に、すべての7社の義務教育の教科書にほぼ同じような記載で記述されていることに疑問を感じて、いろんな方の話を聞いて一冊の本をまとめたわけだ。強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない。歴史について我々は判断する資格がない。これは最初から我々の基本方針です。ただ、いろいろな方がないとかあるとか言って話が違う。これだけ議論が分かれているものを教科書にのせていいのかなというのが我々の勉強会のポイント。だから事実としてあるということに、我々が信じるに足るような事実がどんどん出てくれば、我々は素直にその事実を受け止める」

 ――現状ではまだ信ずるに足るような事実はそろっていないのですか。

「というか、議論がいろいろとまだ出ている最中だから、教科書に載っけるというような、大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ということには我々はまだ、疑問を感じている、という状況だ。つまり、ないともあるともはっきりしたことが言えない」

 ――慰安婦についての河野官房長官談話は認めないのですか。

「私は今こういう立場である以上は、最終結論が出ていない以上は、内閣のメンバーの一員としては拘束されると思っている。河野談話にも」

 ――拘束はされるが内容についていいとも悪いとも言えないのですか。

「いや拘束されますから、今の段階で悪いとは言えない」>
「正論/「朝日新聞よ、中川農水相と慰安婦問題をもてあそぶな」より)

 「出ていない」とする「最終結論」とは、軍の関与を否定する「結論」であることは文脈から明らかに理解できる。軍の関与否定衝動が、「強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない」とする態度を生じせしめているだろうことも明らかに理解できる。

 「従軍慰安婦」に関してのみであってはならないのは当然のこととして、「歴史について我々は判断する資格がない」とするかつての主張に反して、「あのような戦争」と、歴史について「判断」を下す矛盾を犯している。どういうことなのだろうか。

 それとも「あのような」の真意はアメリカ如きに負けるようなという意味で、負けたことの否定なのだろうか。負けるような戦争は二と度しない、してはいけないという「誓い」で参拝する――。

 だとしたら、首尾一貫性を見事に守り切った態度と言える。

 侵略戦争であることを否定し、極東軍事裁判を否定したい衝動を抱える日本を否定したくない日本人には、「大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実」へと進むことは永久に実現しないだろう。また「歴史的事実」なるものが例え「大半」の一致を見たとしても、その「事実」は否定される運命にあるだろう。そうと解釈したい自己の意志に於ける解釈の方向を曲げることはないだろうからだ。大体が「専門家」の中にも日本を否定したくない人間が多くいるから、永遠の不可能な〝一致〟と言うことになるだろう。

 いわば彼らの〝事実〟はコンクリートで固められたように決まっていて、固定観念化している。「歴史について我々は判断する資格がない」は、認めたくない〝事実〟が事実として現れたとき、それを認めないで済ます自己都合の方便に過ぎない。

 政治家であるなら、誰もが歴史観というものを持っていなければならない。過去の歴史を引き継いで、国の未来に向けて新たに歴史を創る先導者の立場に主体的に位置しなければならないのは歴史の「専門家」ではなく、政治家であるからだ。歴史観のない政治家に国の未来の歴史創りを任せられるだろうか。また、歴史観を持っていたとしても、どのような歴史観を持った政治家に国の政治を託すかは国民の決定にかかっている。

 「歴史について我々は判断する資格がない」と言いつつ、歴史及び歴史認識問題に深く関わっている靖国神社に、しかも8月15日と言う日本の歴史を画期する敗戦決定の日に「二度とあのような戦争をしない」とする歴史判断で参拝する。単に矛盾していると言うだけではない。偽善、あるいは欺瞞に満ちているとしなければならないのではないだろうか。

 小泉首相も首相官邸で臨んだ記者会見で次のように答えている

 ――8月15日に参拝しますか?
 「適切に判断します」
 ――5年前の首相就任時に8月15日に参拝すると公約しましたが、その公約はまだ生きていますか?
 「まだ生きています」――

 それで終りとなった。「8月15日参拝が公約でありながら、一度も8月15日に参拝しない理由は何ですか」となぜ追い打ちの質問を発することができなかったのだろう。「適切な判断でしなかっただけだ」と答えたなら、「適切な判断の内容を知らせてください」と迫る。例え在任最後の年の8月15日に公約を果たしたとしても、それまでの4年間に公約を果たさなかった「適切な判断」なるものを知る権利が国民にはあると思うのだが、そうではないのだろうか。

 自作HP「市民ひとりひとり」の第78弾・「日本が信頼されない一風景としての靖国参拝」(05.1.25.アップロード)に「小泉首相が、『二度と戦争を起こしてはならない』ことを祈る靖国参拝だといくら言い張ったとしても、過去の戦争をきっちりと検証してから、そう誓うべきで、事実あったことを曖昧にする姿勢を変えないことには、その誓いは〝過去〟の肯定のための否定の線上で把えられ、〝信用の置けなさ〟を新たに重ね着するだけで終わるだろう」という一文をかつて書きつけたことがある。

 「〝過去〟の肯定のための否定の線上」とは、便宜的に「否定」しているだけという意味だが、中川農水相についても言えることではないだろうか。きっちりと検証しないまま「あのような戦争」では、どのような戦争としているか不明である。

 河野洋平氏が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」は1993年8月4日の発表となっている。

「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」
「慰安婦」戦後補償問題──日本の対処はどのように進んだか)から抜粋。

 自・社・さの村山政権時代に「与党戦後50年問題プロジエクト」の「いわゆる従軍想安婦問題についての第一次報告」が行われたのは平成6年(1994)12月7日。

 それには次のように書いてある。「1.いわゆる従軍慰安婦問題への取組み
政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に対する調査の結果、かつて数多くの慰安婦が存在したことを認めることとなった。
 その実態は、慰安所が当時の軍当局の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に関与したものである。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下で非常に痛ましいものがあり、いずれにしても、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけることとなったわけである。
 したがって、政府及び与党としては、戦後5 0年を機会に、改めて、数々の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた女性に対し、この際、心からお詫びと反省の気持ちを表す必要がある。
 私たちは、こうした我が国及び国民の過去の歴史を直視し、道義を重んずる国としての責任を果たすことによって、今後こうした行為がなくなるようにしたい。」(同上HP)

 中川昭一氏が小渕内閣の農水相で入閣したときの記者会見で述べた「いろいろと議論の分かれるような、少なくとも専門家の皆さんがけんけんがくがく議論されている」とする慰安婦問題に関する発言は1998年7月である。河野洋平官房長官談話から5年、村山政権時代の「いわゆる従軍想安婦問題についての第一次報告」から3年と7ヶ月。

 それだけの時間が経過していながら、「いろいろと議論の分かれるような」とか、「議論がいろいろとまだ出ている最中だから」としてきた。果たして「あのような」を素直に受け止めることのできる人間がどれほどいるだろうか。まさしく「日本が信頼されない一風景としての靖国参拝」としか言いようがなく、中川氏に対するそうと解釈したい自己の意志に於ける解釈の方向を曲げることはないだろうする印象が間違っていないことを示す中川氏の態度ではないだろうか。

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技術立国は日本の専売特許なのか

2006-08-08 10:47:28 | Weblog

 トヨタの躍進

 トヨタ自動車が米国での7月の新車月間販売台数でフォード・モーターズを抜いて2位につけたと新聞に出ていた(06.8.2.『朝日』夕刊)。記事は「トヨタが今年の世界販売でゼネラル・モーターズ(GM)を抜いて世界一となる可能性が現実味を帯びてきた」と伝えている。さすが日本のトヨタ、世界のトヨタだけのことはある。

 8月5日(06年)の『朝日』朝刊では06年4~6月期でのトヨタの売上高が過去最高を記録したとする記事を載せている。好調原因の一つに「円安追い風」としてはいるが、「原油高や原材料高の影響も見られ、先行きは不透明な要素が多い」を懸念材料に挙げてはいた。

 全体的な傾向としては売上高か過去最高であっても、「北米では売れ筋が小型車にシフトし、営業利益率は前年同期の7・5%から6・4%に急落。大型車は不振で、インディアナ工場は減産に入った」と伝えているから、小型車がカバーしての「過去最高」なのは説明するまでもない。

 〝小型車シフト〟がアメリカのイラク攻撃以降の原油高が影響した傾向なのかは記事は伝えていない。だが、世界の生活者の絶対多数は中所得者+低所得者が占めている。国によって中所得者と低所得者の割合はそれぞれに違うだろうが、中所得者+低所得者が絶対多数を占めているという点ではアメリカに於いても変わらないだろうから、原油高がガソリンのみならず、多くの生活用品の値上に関係して生活圧迫要因となる関係からして、〝小型車シフト〟は当然の成り行きで、今後自動車の世界市場では小型車勝負ということになるのではないだろうか。

 日本人が自らのことをモノづくり日本、技術立国日本と言うとき、日本人は優秀だからといったニュアンスを伴わせる傾向にあるが、教育も技術もカネを原資として取得可能な才能であって、最初から特別な資質を持っているとする特定の人種や民族に与えられているものではない。如何にカネ(資金もしくは予算)を教育の普及と技術開発の分野に効率的に配分・投資し、人材を育成するか、その成果にかかっている。

 そのことは中国や韓国、その他のアジア各国に於いても条件は同じで、戦後日本はアジアの他の国に先駆けて教育や技術にカネを投資できる余裕を得た点で単に先行したに過ぎない。いわば先にウサギになるチャンスに恵まれた。その途中駅が現在のモノづくり日本であり、経済大国世界第2位であるが、決して終着駅としてある日本の姿ではない。

 それは日本のようにその多くがマネで獲得した技術は他からのマネによって追随される同じ循環を繰返す構図を原則として持ち、決して終着駅足り得ないからだ。そういった推移に気づかずに日本人が特別に授かった優秀な能力だと思い上がっていると、ウサギとカメの寓話同様にカメに追いつかれ、追い越されるときがこないとも限らない。

 日本は戦争で他のアジアの国々を蹂躙し、破壊しながら、その戦争はアメリカによって打ち負かされはしたものの、アメリカの援助と朝鮮戦争特需といった幸運に恵まれて他のアジア諸国に先駆けて国を立て直し、国の富として得た資金を官民共々教育と技術開発に投資することで人材育成に当たることができた。その時間差が他の国との技術差となって現れた。それだけのことに過ぎない。

 06年6月8日の『朝日』夕刊は、「ブランド別米品質調査」で「トヨタは4位」を抜いて「韓国『現代』躍進の3位」と伝えている。

 「米調査会社JDパワー・アンド・アソシエイツが7日発表した06年の自動車品質調査で、韓国の現代・起亜自動車グループの『現代』ブランドがトヨタ自動車の『トヨタ』(4位)を初めて抜き、3位に躍進した。首位は『ポルシェ』で、昨年トップだったトヨタの高級車部門『レクサス』が2位。『トヨタ』は前年7位から順位を上げたが『現代』(前年10位)に競り負けた。日本メーカーは『本田』が6位となったほか、日産自動車の『インフィニティ」、ホンダの『アキュラ』と両社の高級車部門がトップテンに入った。
 米国で販売された06年型新車を購入者へのアンケート(回答者数6万3千件)を基に、100台あたりで発生する不具合や操作の複雑さを数値化、ランク付けした」――

 確かに日本の技術水準は押しなべて高いものがある。もし今後自動車市場での売れ筋は小型車が主流ということなら、すべての技術の点でスタートラインを日本の遥か後方に置いていた韓国が小型車の技術に関してはトヨタと肩を並べ、あるいは一歩先を行くまでに成長している、その発展は日本の自動車がこれまでアメリカで販売優位に立つことができた長所・利点を韓国自動車も備えるに至ったことを意味しているばかりか、日本が欧米のクルマと競うだけで済んだ販売台数競争に韓国自動車を正面のライバルに据えなければならないところにまできたことを示している。

 確か1970年(昭和50年)代前後だったと思うが、まだ朴政権時代(1961~1979)の現代自動車は当初日本の三菱自動車の技術援助を受けてギャランの前身であったコルトそっくりのクルマを作っていた。エンジンは日本からの輸出で、そのうち自前でエンジンを造るまでに至り、アメリカに於ける小型市場で日本車のライバルにまで成長した。そのことは日本の〝技術的先行〟の有効性がある部分失われつつあることを示し、同時に技術というものが特定の人種や民族に与えられている才能ではなく、すべての人種・民族に等しく与えられる能力の一つに過ぎないことを証明する動きでもあろう。

 誰でも獲得可能な能力と言うことなら、それを獲得する契機は勉強、あるいは学習を動機とする以外はなく、技術の取得・開発を含めた教育の普及に如何にカネを投資し、人材育成に役立てるかにかかっているということを証明している。

 日米欧のありとあらゆると言っていいほどの企業が安価な人件費と人口を13億近く抱えた市場としての将来性に目をつけて中国へ進出し、世界の工場と化しているが、その中国の自動車企業が中国資本で初めてアメリカに進出するという『朝日』の記事(06.7.14.朝刊)がある。

 「中国の自動車大手、南京汽車は12日、米オクラホマ州に工場を建設し、05年に買収した英老舗、MGローバーの「MG」ブランドでスポーツ車を生産すると発表した。08年9月までに生産を始める予定で、中国資本による初の米自動車工場となりそうだ。(中略)
 南京汽車は。米投資会社や州内の不動産開発会社などと合弁でオクラホマシティーにMGモーターズ・ノース・アメリカを設立。この会社が北米と欧州での販売や流通も担う。州内の新工場と、買収前に破綻したMGローバーの英国の既存工場、南京での新工場の3拠点を合わせ、MGブランド再生に向けた総投資額は20億ドル(2300億円)を超える、としている(後略)」――

 中国の南京汽車がアメリカ市場のみならず、世界市場で着実に売上げを伸ばし躍進を果たしていくためには、安い人件費とか為替相場といった要素もさることながら、それ以上に他社と同様に生産車自体の技術的進化を図ることを重要な条件としなければならない。そのことに必要となる優秀な人材を育成するにしても、あるいは集めるにしても、その方面に向けるカネ(資金)を売上げ利益からどの程度捻出し、どう効率的に運用するか、政策次第であって、そのことに応じて販売台数にしても品質にしても決定していく。人種性や民族性を条件に決定していくことではない。日本人にしても中国人にしても、韓国人にしても、その他すべての国の人間は同じ地平に立っている。

 いわば〝技術立国〟なる称号は日本のみに与えられる栄誉ではなく、あるいは日本のみが自称を許される栄誉でもなく、すべての国がその機会を持つ相対的な称号に過ぎないということだろう。

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今となってイスラエルを抹殺できるのか

2006-08-07 02:43:02 | Weblog

 アフマディネジャド・イラン大統領が言っていた。舌を噛んでしまいそう。名前もややこしいが、人間もややこしくできあがっているようだ。

 「アメリカがつくろうとしている中東と、我々がつくろうとしている中東は違う。中東にイスラエルは要らない」

 パレスチナの政権を握ったハマスはイスラエルによるパレスチナの生存権の承認が先で、イスラエルの承認はその後だと主張しているらしいが、後先の問題ではない。現実にイスラエルが既にそこに生存していて、それを何が何でも排除するのか、それとも共存する道を選ぶのか、大枠は二者択一しか残されていない。それを後先の問題とし、それがテーブルについていての主張ならまだしも、武装闘争を継続させながらの態度だから、イランのアフマディネジャド大統領と同じくイスラエル排除が基本姿勢なのだろう。パレスチナのアッバス自治政府議長がイスラエルとの共存の是非を問うべく7月26日(06年)に予定していた住民投票をハマスが反対して実施の一時保留に追い込んだことからも、排除の意志に添った反対に違いない。

 そこへきてレバノンのヒズボラによるイスラエル兵拉致に端を発したイスラエルのレバノン攻撃である。イスラエルの攻撃が一般市民を巻き込んで多くの死傷者を出していることから、国際世論はイスラエルに対して厳しいものとなっている。

 8月6日日曜日(06年)の夕方、NHKがヒズボラと地元NPOが共同で大きな地下駐車場を避難場所とし、イスラエルの空爆を逃れてそこに非難している市民に食糧や衣類を配布している姿を映し出していたが、そういったことがまたレバノン国民のヒズボラ支持を高めているとかで、そんな市民の声を紹介していた。

 「ヒズボラは私たちの誇りです。彼等の指示に従います」
 「ここでの生活は充実しています」

 空爆を逃れた地下駐車場の避難生活が「充実し」ているはずはない。「充実してい」ると心底思っているとしたら、ヒズボラ絶対の教条主義に冒されているか、そういう態度を取らなければならない雰囲気に強制された演技のどちらかだろう。あるいは外国のテレビカメラが向けられ、何か問われたらそう答えるように命令されていて、それを役目としていて答えているといったこともあるかもしれない。

 イスラエルの空爆と避難生活の直近の原因はヒズボラによるイスラエル兵拉致であって、いわばヒズボラがつくり出した災厄である。自分たちは死んでもいないし、怪我もしていないが、他に多くの死傷者を出している。それを避難場所に安全な地下駐車場を宛がわれ、役目でも雰囲気からの強制でもなく、食糧や衣類を無料で配布されたからとヒズボラを心の底から有り難い存在だと信じているとしたら、そういうふうに計算合わせできる合理性には素晴しいものがあると感心させられる。

 人命や社会資本といった国の資源を消耗するだけの根本的な解決につながらない姑息なテロを散発的に繰返し、それがかつてあり、また今回のように全面衝突といった事態に発展してさらに多くの人命と社会資本を消耗しながら、白黒決着のつく最後のところまで持っていく能力も気力もなく、国際社会の力を借りて完全な和平へとは進まない停戦という一時凌ぎをして、再びテロを引き起こして全面衝突といった同じことの繰返しを延々と続けるのか、それとも同じことの繰返しを続けながら国力をつけて、それを軍事力にまわして、いつの日かのイスラエル放逐を待とうと計画しているのか。

 もしイラン以下がイスラエル抹殺の意図を露骨に掲げてイスラエル攻撃に移ったなら、イスラエルは自国の生存をかけて核兵器の使用も辞さない徹底抗戦に出るだろう。そのことを予測したイランの核開発なのかもしれないが、どのような軍事力を以てしてもイスラエルの中東からの完全な消滅は軍事的にも物理的にも、さらに国際世論上からも不可能で、核兵器まで使った単なる人命と社会資本の徹底的な消耗合戦に終わるだけのことだろう。

 もし核戦争へと発展したなら、日本の軍部がアメリカに制空権を完全に握られ、軍事力はほぼ壊滅し、反撃の余力も残していないにも関わらず、降ろし所もないくせに拳を振り上げて徹底抗戦・本土決戦を唱えてポツダム宣言の受諾を一旦は拒否したはいいが、広島と長崎に原爆を落とされて多数の市民を死傷させ、都市の姿を見る影もなくさせたばかりか、悲惨な後遺症者を背負い込むこととなった日本の愚かさを中東のイラン、パレスチナのハマス、レバノンのヒズボラが再演することになるだろう。あるいはイスラエルが。

 そこまでいくのも一つの手かもしれない。そこまでいかなければ、自分たちの愚かさに気づかないだろうからである。停戦に持っていこうなどといったことはせずに、イスラエルとヒズボラを徹底的に戦わせたらいい。罪もない一般市民の犠牲?――そんなものは人間の愚かさがつくり出す、時間が経てば忘れられてしまう茶番に過ぎないし、犠牲者にしても何らかの形で関わっている愚かさでもあるだろう。

 子どもには罪はないと言うかもしれないが、罪があろうがなかろうが、選別しないのが戦争であり、選別を必要とするなら、戦争のない世界を先ずきっちりと考え出すべきだろう。いわば戦争で子どもまで犠牲にする責任は、世界に生きるすべての人間にかかっている。戦争をする当事者だけの問題ではない。

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靖国参拝は国家表現

2006-08-05 05:38:48 | Weblog

 国家の表現は国全体のありようの表現でなければならない。国民の全般的な暮らし、その生活程度、国の経済規模、中央と地方との関係、産業のありよう、その国の政治や制度の姿、それら諸々の姿・ありようの全体が国という一つの姿を取る。

 日本の経済規模が世界第2位だからと言って経済大国とするのは経済に限った国の姿であって、日本という国全体の姿を表現する称号ではない。しかし経済規模を以て国家表現とする日本人が少なからず存在する。それは優越的に大国表現したい衝動からの現象であろうが、物事を相対的に把えることができない客観的認識性の欠如の裏打ちがなけれはできない絶対化意識の表れであろう。

 あるいは世界第2位の経済大国の称号を以て、優越的な国家表現に代えようとする。実際にはエネルギー資源ばかりではなく、農業・漁業にしても自給はできず、輸入に頼っている資源小国・農業小国・漁業小国でもある。製造製品の輸出が上回って差引き貿易黒字だとしても、あくまでも貿易額に限った優越性でしかない。あるいは外国相手の商売の優位性を表現しているに過ぎない。

 優越的一部を以て、全体的な国家表現とする。普通では手が出ない高価なオモチャを持っていることが自分の偉さを証明すると勘違いしている子どもと同じで、一部だけの力を借りて日本という国を優越的位置に起き替えたい衝動(=大国としたい衝動)からの国家表現であろう。

 靖国参拝をして「国のために戦った」と兵士の行為を〝国をすべてとした〟立派な行為として追悼・顕彰する。

 兵士が〝国をすべてとした〟とは個人に於ける優越的国家表現以外の何ものでもない。戦争を通して日本という国、天皇という存在をすべてとする(=絶対とする)行為を誇りを持って雄々しく行ったということだろうからである。いわば兵士は国家の実態・天皇の実態を一切捨象し、国・天皇を絶対とする国家行為を戦争を手段に実践した。私的に戦場に赴き、私的に死んでいったわけではない。その国家行為が優越的次元性を備えたものと見なしているからこそ、追悼・顕彰を行う価値ありとして、追悼・顕彰を行っているはずである。そうでなければ、追悼・顕彰の意味を失う。

 小泉首相以下、参拝政治家は「犠牲となった戦没者に敬意と感謝の誠を捧げる」と言っている。あるいは「尊崇の念を表す」と言っている。戦没兵士の国家行為をどれ程に立派だと受け止めているか、その価値を如実に言い表す表現となっている。兵士の国家行為が優越的次元性を備えた行為であることに報いる、その対価としての「敬意」・「誠」・「尊崇の念」なのである。

 「国のために」の「国」の内容、ありようを問わない。どのような国だったのか、国家権力と国民との関係はどんなだったのか。「戦った」戦争の内容も問わない。どのような国家意志のもとに戦争は開始されたのか。どのような戦争行為があったのか。そういった個別的内容を無視して、「国のために」とそのことの一点によって、兵士の戦争行為の絶対性と国家の絶対性をそこに込めている。勿論兵士の戦争行為と国家を優越的次元で把えているのでなければ、絶対性は成り立たない。

 靖国の戦死者が「天皇陛下のために」と行った優越的天皇表現は戦後背後に隠すようになっているが、国・天皇を絶対とした優越的国家表現をしたと仮構する追悼・顕彰を行うことによって、参拝者自身も、意識するしないに関係なく、優越的国家表現(さらに優越的天皇表現)が体現可能となり、体現することになる。「国のために戦った」(〝国をすべてとした〟)と讃えることを通して、その優越的国家表現・優越的天皇表現に心理的な同化作用を働かすからである。

 同化作用を働かさずに戦死した兵士の優越的国家表現から自分を離れた場所に置いていたなら、いわば兵士の〝国をすべてとした〟ことから自分を離れた場所に置いていたなら、讃える追悼・顕彰は欺瞞行為と化す。同化作用なくして、追悼・顕彰行為は成り立たない。

 安倍官房長官が4月に靖国神社に参拝していたことが判明したと8月4日(06年)のテレビのニュースで報じていた。事実を明らかにしなかったことについては「この問題が外交問題化、政治問題化している中で、行くか行かないか、あるいは参拝したかしないかを申し上げるつもりはない」と説明している。その一方で今後の参拝については、「戦没者の方々に手を合わせてご冥福を祈り、尊崇の念を表す。その気持に変わりはない」と明言しているから、参拝の意志は変わらないと言うことなのだろう。大いに結構。

 だが言っていることに矛盾がある。秘密を通すことができてこそ、「外交問題化、政治問題化」を避けることができる。「行くか行かないか、あるいは参拝したかしないかを申し上げるつもり」はなくても、その内心の包み隠しは事実が露見したなら、意味を失う。テレビは自民党実力者の解説として、総裁選を控えていて8月15日に参拝できないから、4月に参拝して、これまで取っておいたと伝えていたが、それが事実なら、自分からリークしたことになって、「申し上げるつもりはない」がなおさらに矛盾を孕むことになる。

 武部幹事長が「政治問題化すべきではない」といったようなことを記者団に述べていたが、安倍官房長官の方は「政治問題化している中で」と言っていて、両者の言い分に食い違いがある。靖国参拝と政治問題化、及び外交問題化は既に原因と結果の切れない関係へと進んでいて、政治問題化・外交問題化しないはずはない事態となっている。その事実を踏まえて政治問題化・外交問題化を覚悟して参拝すべきを、その覚悟もなく、一方はしないはずはない事実に頓着なく「政治問題化すべきではない」と見当外れのことを言い、一方は既に事実として露見していて「申し上げる」も「申し上げ」ないもないことを「申し上げるつもりはない」ともっともらしい態度で、それで済むはずがないことをそれで済まそうとしている。「申し上げつもりはな」くたって、事実は推測・憶測の類を交えて独り歩きしていき、否応もなしに政治問題化・外交問題化していく。そのことを弁えることもできない。なぜこうも日本の政治家は単細胞なのだろう。自己の参拝に信念と確信を持つなら、参拝日を予告し、正々堂々と参拝すればいいものを、それさえもできない。

 公用車は使わずに、玉串料は自費で払う私的参拝の形を取ったが、記帳の肩書は官房長官安倍晋三と公職名にしたという。小泉首相も私的を装いつつ、肩書を内閣総理大臣小泉純一郎としている。それは戦死者の「国のために戦った」(〝国をすべてとした〟)と仮構した優越的国家表現・優越的天皇表現を讃え、参拝することを自らの優越的国家表現・優越的天皇表現としているから、そのこととの整合性を持たせるためには公職名でなければならないからだろう。

 単に安倍晋三、あるいは小泉純一郎と私人の資格で記帳したのでは、自らの参拝が戦死者と同列の優越的国家表現・優越的天皇表現とはならない。公職者の立場を取ることによって、戦死者の〝国をすべてとした〟国家表現・天皇表現と同列の場所に自分を置くことが可能となり、そのことによってより密な同化作用を及ぼすことができる。

 天皇の存在自体にしても、国家表現の道具となっている。世界に例のない万世一系、2000年の歴史、男系というキーワードで日本という国の優越性を表現する国家表現としている。相対化意識、あるいは客観的認識性に欠けるということは素晴しいことである。

 「日の丸」・「君が代」と言うときも、国の実際のありようを捨象して、国の絶対性をそこに表現しようとしている。「日の丸」は素晴しい国旗だから日本の国は素晴しいという、「君が代」は優れた国歌だから、日本の国は素晴しい、優秀であるとする優越的国家表現の道具とし、国の絶対性にイコールさせている

 日本人がかくかように優越的な国家表現を必要とするのは、制度・文物・技術・文化を外国から移入して日本の歴史を成り立たせ、国を成り立たせてきた日本の実体的空虚さを日本という国を誇る国家表現によって代償できるからではないだろうか。自らが誇る日本の技術にしても、その殆どが自らの独創性・創造性によって獲ち取ったものではなく、外国技術のモノマネと改良によって手に入れた技術である。そのような日本の実体に対して常に内心に抱えていなければならない後ろめたさを帳消しにしてくれる、国と天皇を絶対とした戦死者を祀る靖国神社への参拝を通した自らの優越的国家表現、万世一系の天皇や君が代・日の丸、さらに2000年の歴史・伝統・文化を誇ることによって獲得することのできる優越的国家表現ということなのだろう。

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