最後の最後に開き直ったか小泉8・15参拝

2006-08-17 03:21:34 | Weblog

 8月15日(06年)の小泉首相の靖国参拝後の記者会見要旨を06年8月15日付『朝日』新聞夕刊で見てみる。

 「過去5年間の私の靖国参拝に対する批判は3点に要約される。一つは中国、韓国が不愉快な思いをしているから、やめろという意見。私は日中、日韓友好論者だ。一つの意見の違いがあると首脳会談を行わないことがいいのかどうか。私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ。もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか。
 もう一つは、A級戦犯が合祀されているから行っちゃあいかんという議論。私は特定の人に対して参拝しているんじゃない。一部で許せない人がいるから、圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念を持って参拝するのがなぜ悪いのか。私はA級戦犯のために行っているんじゃない。
 第3点は憲法違反だから、参拝しちゃいかんと。憲法第19条、思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題だ。
    (中略)
 ――靖国に合祀されているA級戦犯の戦争責任をどう考えるか
 戦争の責任を取って戦犯として刑を受けているわけでしょ。ご本人たちも認めているし、それはあると思うが、それとこれとは別だ。特定の人のために参拝しているんじゃない。戦没者全体に対して哀悼の念を表するために参拝している」――

 私は中国・韓国の抗議とか政教分離に抵触するとか、A級戦犯が合祀されているとかの理由ではなく、靖国神社の存在そのものに反対している。靖国思想は明治の薩長藩閥を権力主体とし天皇制を冠した全体主義、あるいは国家主義(明治以前は将軍を支配主体とした封建制を前身とし、大正・昭和の軍国主義は権力主体が軍部に移った全体主義、あるいは国家主義の一変形に過ぎない)が生み出した戦前の思想であり、戦後もそれをそっくりと遺産としているからである。

 全体主義にしても国家主義にしても、国家を絶対とし、国民を国家に従属させる思想である。三省堂出版の『大辞林』で見てみると、

 【全体主義】――「個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。そこでは国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される。」
 
 【国家主義】――「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の自由・権利をこれに従属させる思想」

 これは日本民族が行動・思考様式としている上が下を従わせ・下が上に従う権威主義性がより強い形を取った国家体制であって、軍部を頂点としたより極端・過激な権威主義的権力表現が軍国主義であろう。

 何度でも言っていることで、以前言ったことと重複することになるが、中国・韓国の抗議は靖国の戦没者が日本にとっては「国に殉じて亡くなった」、あるいは「国のために尊い命を捧げた」戦死者であっても、中国・韓国から見れば自分たちに対するに戦争加害者であり、A級戦犯は中国侵略、韓国植民地化に深く関わり、連なった戦争犯罪者であって、「戦争の責任を取って戦犯として刑を受けている」としても、歴史の事実は事実として残り、例え戦後に時を移してもその歴史性を担わなければならないはずだが、戦没者遺族、あるいは小泉首相を初めとする安倍晋三といった日本の政治家を含めた関係者の担っている歴史性が戦没者の亡くなるに至った歴史の全体的経緯を省いて、「国に殉じて亡くなった」、あるいは「国のために戦って尊い命を捧げた」という結果性のみに事実の殆どを収斂させた歴史性となっている、そのことを問題としているのだろう。

 言葉を替えて言うと、歴史性が「国に殉じて亡くなった」・「尊い命を捧げた」という結果の一点のみにとどまっている。あるいはそういった歴史性だけで、それ以外の歴史性を思考停止させている。

 参拝行為は、それが「個人の心情」から発した性質のものであったとしても、あるいは「心の問題」からのものであっても、単に「国に殉じて戦死した元兵士を悼む」ことだけでは終わらない歴史性の表現行為でなければならない。いや常に歴史性を担った表現行為でなければならない。戦後に時代を変えたとしても、歴史の連続性と相互関連性を失うわけではないからだ。

 ということは、歴史に無知な人間ならいざ知らず、参拝するからには、歴史性に無知であってはならないことになる。 

 逆説するなら、無知を動機とする以外は、誰もその歴史性からは逃れられないということである。こうも言える。歴史性を反映しない「個人の心情」、「心の問題」からの参拝だとしたら、歴史に対する無知表現でしかない。

 まさか、歴史性の無知表現から発した「個人の心情」、「心の問題」からの参拝ではないはずである。

 ではなぜ日本人の多くの歴史性が靖国神社参拝の周辺でとどまっているのだろうか。「国に殉じて亡くなった」・「尊い命を捧げた」だけの歴史性として、そこで思考停止させているのだろうか。

 日本人戦死者の命が「尊い」ものなら、日本の戦争に関わって命を落とした、あるいは落とさせられた中国人、朝鮮人、その他のアジアの人間、あるいは日本民間人の命も「尊い」はずである。靖国神社参拝の線上で戦没者を「尊い命を落とした」と語るとき、戦没者の命だけが「尊い命」だったようにどうしようもなく聞こえるのはなぜなのだろうか。

 それはやはり戦争の歴史を靖国神社のみに収斂させているからだろう。収斂させた歴史性しか担っていないから、靖国神社にいわゆる祀られている戦死者の命しか「尊い」とすることができず、戦争を戦った相手国の兵士・民間人の命まで心に入れる客観性を持てないのだろう。

 戦没者を祀る参拝でありながら、国家と戦没者の関係性は「国に殉じて亡くなられた」としても、「国のために戦って尊い命を捧げた」としても、それらの言葉が象徴しているように国家を目標とした行為であって、当然国家を主体とし、戦没者を従の関係に置いている。靖国神社は国家と個人の関係をそういうふうに装置する空間・場となっている。いわば靖国神社が戦前の全体主義、あるいは国家主義をそのまま受け継いでいることから可能としている関係性であろう。

 遺族・関係者は靖国神社に於いては戦没者を祀りながら、「国に殉じて亡くなられた」あるいは、「国のために戦って尊い命を捧げた」と戦没者の戦死行為(=戦争行為)を肯定・顕彰しながら、そうすることで戦前の国家をも肯定・顕彰しているのである。戦前の国家否定を条件としたなら、〝殉じる〟行為も〝命を捧げる〟行為も二律背反を犯すこととなり靖国参拝は成立しなくなる。

 大体が「顕彰」とは「隠れた功績・善行などを讃えて広く世間に知らせること」(『大辞林』・三省堂)であるが、戦没者の多くは残忍行為、あるいは残虐行為の直接的、あるいは間接的実行者か加担者、傍観者のいずれかに位置していただろうから、そう言って悪いなら、少なくとも加害者の立場にいたのだから、「顕彰」とは厳密に言うなら、独善的な倒錯行為でしかない。日本の戦争の目的・性格――その歴史性を考えずに顕彰できる感性は他に思いを巡らす客観的感性を持たないからこそできるワザであろう。日本の政治家の参拝にそのことをつくづくと感じたとしても、不思議はないはずである。

 以下も別の場所で言ったことだが、「国に殉じ」たという言葉一つを取り上げるだけで、如何に国家を主体とし、個人を国家に従属させた位置に置いているか分かる。〝殉じる〟という言葉の意味は、「主人や恩人の死んだ後、その後を追って死ぬ」ことであったり、「任務や信念のなどのために命を投げ出す」(『大辞林』・三省堂)ことであるように、命を捧げる対象への絶対視を条件として成り立つ行為である。

 いわば「殉じた」とは、天皇や国家への絶対視を前提として成り立たせた〝命の捧げ〟なのである。 これは天皇と国家を絶対的存在として上に置いて自己を下に置く主体・客体の関係性を示すものであろう。 

 国家を上に置き、その国家を優越的存在と見る〝国家絶対視〟に戦前と戦後のありようを収斂させていくと、韓国を植民地化して韓国国民を武力で弾圧し、中国と直接戦った内と外との戦争でありながら、それらを省いて「お国のために」のみ戦った日本だけの戦争と転化させることが可能となり、そのような〝国家絶対視〟 の意識のメカニズムを受けて、それと同じ文脈で、自国兵士の戦死のみを視野に入れて、 そこにどのような戦争行為があったのかを無視し、省いて「殉じた」とすることができる。

 いわば靖国神社こそがそのような〝国家絶対視〟の欲求を解放する大事な空間であって、解放の儀式が戦没者追悼=参拝なのである。そうであるがゆえに儀式空間である靖国神社を失うわけには行かず、そこから靖国神社以外の国立であろうとなかろうと、如何なる追悼施設建設にも反対の意志が生じてくる。全体主義者たちにとっては、あるいは国家主義者たちにとっては、国家絶対視、あるいは国家優越性を表現できない空間は何ら価値を見い出せないからである。

 日本の多くの政治家が民主主義を口にしながら、自由・平等・人権を口にしながら、靖国神社という空間に立つと、戦前の軍国主義者のように強い姿勢を示すまでには至らないだろうが、意識の底にDNAのように埋め込まれた国家を上に置き、個人を下に置く全体主義、あるいは国家主義が頭をもたげ、自分自身を国家の側に置くベクトルから国家主義的意志に否応もなしに絡め取られて、自分が偉大な政治家になったような力を感じ取ることができるのだろう。

 靖国神社が戦前の国家主義を体液とした国家と共にある空間を「国に殉じた」や「国のために」という「国」をパスワードとして戦後も引き継いでいるからであり、民族性としている権威主義性に於ける上が下を従わせ・下が上に従う関係性と感応し合って、自己を上の人間=国家の側の人間と実感し得るからだろう。逆に自己を権威主義的な下の位置に置く人間は上に対して自己を卑下した位置、あるいは無条件に従属する位置に置きがちとなる。首相が参拝したからといって無闇ありがたがる遺族や関係者がそれに当たるだろう。

 首相の参拝によって歴史の事実が変わるわけではないのだが、最初からそこに目を向けていなくて、「国に殉じた」、「国のために尊い命を捧げた」で思考停止しているから、その「国」を代表する総理大臣の参拝ということで改めて戦死の正当化の糧とすることができるからだろう。

 上の人間の国家主義的精神への感応は伊勢神宮参拝に於いても靖国参拝と同様に発揮されるに違いない。伊勢神宮が天皇を最高権威として祀る空間であり、天皇の権威を実感しつつそれに準ずる権威主義的な位置に自分を置くことができるからだ。

例え戦争を起こすことがあっても、国のために戦うのではなく、国民それぞれが自分や家族、親戚や友人が抑圧を受けることなく自由に口が利け、自由に動き回ることができ、就きたいと思う職業に少なくとも自由にチャレンジできる機会が与えられ、飢えることのない生活を守る、直接的にはそういった権利の保全のために戦うべきである。なぜなら、個人を国家に従属させずに独立した個人として行動させことができるからでである。

 最後に小泉首相の記者会見での主張を見てみる。

 中国・韓国の小泉首相参拝に対する抗議をそれが歴史認識の問題であるにも関わらず、そのことに焦点を合わせることができずに「不愉快な思い」という感情反応に帰着させる短絡化神経は自身が知の人間であるよりも感情の人間であることからきているのだろう。単に「不愉快」・愉快の感情問題ではないのは言うまでもないことである。戦争全体で2000万人にのぼる死者を出しているといわれている。日本の兵士・軍属が240万、国内外の民間人が70~80万、合わせて310万前後。それだけでも凄い数であるのに、その5~6倍に相当する日本人以外の死者を出しているのである。そういった全体をも把えて細部に入っていかなければならないはずだが、小泉首相の頭の中にあるのは靖国神社に祀られている戦没者だけである。「二度と戦争を起こさないという誓いで参拝している」という正当化の言い草が如何に口先だけの口実に過ぎないか分かろうというものである。

 「もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか」と言っている点に関しても、「不愉快な思い」の内容にもよるし、そういった感情で片付けられるかどうかの問題の性格にもよる。重要な問題となっている事柄に譬えにならない譬えを持ち出す合理性の欠落、その情緒的反応性は政治家が見せてもいい性格なのだろうか。これで5年も日本の首相がよく務まったものだと思うが、大体が日本の首相と言うのはこの程度だということなら納得もできる。

 「(A級戦犯といった)特定の人のために参拝しているんじゃない。戦没者全体に対して哀悼の念を表するために参拝している」

 「全体」といいながら、その「全体」が相も変わらず日本だけ、靖国神社の戦没者だけのごく狭い内向きの「全体」であって、その視野狭窄にしても日本人性としている権威主義が自己が所属する集団を守備範囲として上と下の関係性で考えたり、行動したりする性格のものであることからきているのだろう。前後・左右への水平方向の視野を欠いているということである。

 個々の政策に個別に目を向けることができるが、それら政策のすべてを有機的に結び付けて一つの世界を成し、それを以て目指すべき社会の全体像として提示できないから、一つ一つの政策は見えるが、どういう社会に導こうとしているのか分からないという批判を受ける。これも権威主義が上と下に目を向ける習慣を要求しても、左右・前後への習慣を欠いていることからよく言われる縦割り、あるいはセクショナリズムを事とすることはあっても、その裏返しとして全体を把えたり、全体的に構築したりする創造性を欠如させているということなのだろう。

 小泉首相は8月15日参拝を公約した時点で、中曽根元首相が中国・韓国の抗議を受けて一度の公式参拝で中止している〝歴史〟を認識もできず、参拝によって引き起こされるだろう波紋の全体像を描くことができなかったのではないだろうか。その苛立ちの反動が逆に首相をして意固地にさせ、在任最後の年に8月15日の参拝を決意させたといったことも考えられる。テレビでの記者会見で見せた表情はいつになく強張ったものになっていた。そこで語った「いつ行っても批判される。いつも同じだから、公約したように8月15日が適切だと考えた」という言葉にしても、論理性からは程遠い感情的な言い回しとなっている。そういった感情的な強迫観念が8月15日の参拝を感情に支配されて事を行う開き直りに見せてしまったということもある。

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