本質的な問題は行政事業レビューでもなければ、行政刷新会議の事業仕分けでもない

2011-10-21 09:51:19 | Weblog

 迂闊で恥ずかしいことながら、無知・不勉強のため「行政事業レビュー」なる制度について何ら知識を持ち合わせていなかった。「事業仕分け第4弾」を伝えるWeb記事でこのことを知った。

 《事業仕分け第4弾の内容判明 原子力と社会保障は明記せず》MSN産経/2011.10.20 01:30)

 事業仕分け第4弾の概要が9月19日分かって、20日の行政刷新会議で了承されるという内容である。平成24年度予算編成作業に間に合わせるため、2つのワーキンググループで12月上旬までに仕分け結果を纏めるとしている。

 仕分け対象は蓮舫行政刷新担当相自身は「原子力政策」「社会保障」に強い意欲を示しているが、具体的な決定は11月初めへ先送りで、現在のところ未定、政府資料は「主要な歳出分野」を対象とするということにとどめているという。

 但し24年度予算編成に於ける「主要な歳出分野」の仕分けのみならず、それを超えて「中長期を見通した政策的・制度的対応を各府省に促す」としていると記事は書いている。

 とは言っても、24年度予算編成に関しても「中長期を見通した政策的・制度的対応」に基づいた編成であるはずである。

 例えばハコモノを一つ造っても、造ってすべてが終わるわけではなく、ハコモノを造るに当って目的とした中身の事業が中長期の将来に亘って社会的貢献や文化的貢献、あるいは経済的貢献等々の効果を上げて初めて造った意味が証明され、ハコモノは単なるハコモノであることを脱することができるのだから、予算編成はその年度に限らずに「中長期を見通した政策的・制度的対応」に基づいていなければならないはずだ。

 勿論ハコモノを政策や制度と言い換えることも可能である。

 記事は、〈20日の刷新会議では、各府省に検証を求めてきた「行政事業レビュー」の結果も報告される。〉と書いてあり、初めて「行政事業レビュー」なる制度があることを知った。

 記事は次のように結んでいる。報告の〈対象事業は5000件以上。レビューでは、事業の「廃止」「見直し」により、24年度予算の概算要求ベースで約4500億円の削減効果があったと強調。経済産業省がレビューを公表していないことを「極めて遺憾だ」と批判する一方、警察庁については「事業概要を分かりやすく整理している」と評価した。〉・・・・

 「行政事業レビュー」なる制度があることも知らずに10月14日のブログ記事――《野田事業仕分けのマッチポンプな自己矛盾のパフォーマンス - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を書いたことになって、内容に不備や矛盾を来たすことになるが、趣旨自体にそれ程の間違いはないと思う。

 それをこれから証明したい。

 この記事が言及している文言だけでは私自身が「行政事業レビュー」なる制度を詳しく知ることができないので、インターネットで調べてみると、行政刷新会議のHPが触れているのを見つけることができた。一部抜粋。 

 行政刷新会議 行政事業レビューについて(2010年〈平成22年〉3月11日)
  
1 趣旨

(1) 昨年の事業仕分けは、予算が最終的にどこに渡り(支出先)、何に使われているか(使途)といった実態を十分に把握した上で、その事業の遂行が税金投入の効率性や効果の面から適切であるかといった検証を行うことの重要性を、あらためて明らかにした。

(2) これを踏まえ、本年より、各府省が率先して、

1 予算の支出先や使途等について十分な実態把握を行い
2 外部の識者等を交えた公開プロセスも含め自ら事業を点検しながら、
3 レビューの結果を、事業の執行や予算要求等に反映するとともに、
4 組織や制度の不断の見直しにも活用する

「行政事業レビュー」(以下、「レビュー」)を実施することとする。

レビューの一連の作業は、事業仕分けの内生化・定常化と言うべきものである(全面公開や、現場の実態把握等を踏まえた外部の視点による点検など、事業仕分けの原則に従う)。

(3) この点検の過程と結果を国民に明らかにしながら、国民の視点に立った事業の執行と予算の策定が徹底されることにより、行政が筋肉質で政策効果の高いものへと刷新されるとともに、政治に対する国民の信頼を高めたい。

なお、本年は試行とし、その作業状況を踏まえ、必要な見直しを図りつつ、来年からの本格的な実施を目指すこととする。

2 本年の実施体制

(1) レビューは、各府省に設けられる「予算監視・効率化チーム」(「予算編成等のあり方の改革について(平成21年10 月23 日閣議決定)」)を中心に実施する。各府省は、3 月中にレビューに取り組む体制を確立する。

(2) レビューの対象は、基本的に、21年度に実施した事業(庁費など各府省の事務的経費、人件費等は除く。)とし、その検証は、公開の場で、外部の識者・経験者により行う(公開プロセス)。

行政刷新会議は、レビューの手順、内容等につき、各府省に基本的なルールと枠組みを示すとともに、レビューの活動を随時チェックしていく。

 要するに行政事業レビューとは各府省に設けられた外部の有識者等を交えた「予算監視・効率化チーム」が予算の支出先や使途等を点検・精査して、事業の執行や予算要求等に反映すると共に組織や制度の不断の見直しにも活用することを役割とする制度だと分かる。

 そして行政刷新会議は行政事業レビューの実施ルールや実施方法を示すと共にレビューの活動を随時チェックする。それが仕分けだということになる。

 予算監視・効率化チームのメンバー等については上記HPは触れていないが、「Wikipedia」を参考にした。

 チームリーダーは担当副大臣。各章の官房長がチーム事務局長。官房長を置いていない省庁は同等クラス。以下のメンバーはチームの果たすべき役割を踏まえて、会計課長、人事課長、政策課長、政策評価担当課長、官房総務課長、各局総務課長、各地方支局総務部長等々を各府省で適切に選任、参画させる。

 原則として当該定例会合にはチームの構成員たる外部有識者を参加させるとなっている。

 こう見てくると、例え外部有識者を交えたとしても、あるいはチームリーダーに副大臣を置いていたとしても、メンバーの主体は各省庁の官僚であって、彼らが自分たちが決めた予算であり政策だと自身が所属する省庁に有利な証言を行わない保証はなく、外部有識者にしても副大臣にしても省庁に有利な証言に基づいて正否の判断を迫られない保証もない。

 各省庁内の組織や制度の見直しに関しても、自分たちが有利になる範囲内の、いわば省益に叶う範囲内の見直しか、例え硬直化していようとも、自己利害を優先させて見直さないまま死守するか、いずれかの道を取りかねない。

 尤もあとに控えた行政刷新会議が純粋な意味で第三者機関ではない、ほぼ身内で固めた予算監視・効率化チームが点検・精査して適正化した予算内容やその支出先や使途にムダや矛盾がないか、あるいは政策や制度そのものにまで踏み込んで、問題点を洗い出し、すべきこととすべきではないことの最終的な仕分けを図る。

 だからと言って、最終的な仕分け(=最終チェック)がすべて正しい方向で問題解決するわけではないことは会計検査院のムダ遣いの指摘や制度不備の指摘が跡を絶たないことを証明している。

 いわば各省庁が予算のムダをつくる、あるいは不適切な組織や制度を抱え続けている、そういった体制を身内同然の予算監視・効率化チームが行政事業レビューを通してチェックし、さらに後に控えた行政刷新会議が事業仕分けを行う二重チェックをさらに会計検査院が各種ムダや制度の不備を洗い出し、改善を指摘する、結果的に三重チェックとなる、そういったチェックの構造自体が既に循環形式を宿命づけられていることになる。

 それは問題の解決方法が省内で洩れ一つなく解決をる原因療法ではなく、漏れてくるものを待ち構えていて外部から解決を図ろうとする対処療法に過ぎないからだろう。問題が生じたら、改善していくという適正化の構造自体が既に循環型を取っているのである。

 上記当ブログ記事には、〈行政機関を管理・監督し、業務全般を監視する所管大臣以下の政務三役のチェックが機能しなかった部分を同じ内閣がチェックするという政権レベルで言えば内閣による自作自演に相当する自己矛盾を演じることになる。〉と書き、それを以て、マッチポンプだと指摘した。〈首相が任命した自身の内閣に所属する大臣以下の政務三役が「行政監視」のチェック機能を果し得ずに発生させた問題点を同じ内閣が洗い出すという自作自演はまさしくマッチポンプ相応の事業仕分けと言うことができ、自己矛盾そのものであろう。〉と。

 マッチポンプという行為自体も循環の性質を帯びている。 

 「行政事業レビュー」なる制度に無知で、無知なまま書いたブログ記事ではあったが、趣旨自体にそれ程の誤りはないと思う。

 要は東大出だ、何々大出だと優秀な人材が次官として君臨させ、以下次官に準じて優秀な官僚を抱えている各省庁に於いてムダな予算をつくったり、不適切な組織・体制を抱えていること自体が官僚の優秀さに反して既に問題であって、その非効率性・非生産性の根を断たないことにはいつまでも二重チェック、三重チェックを繰返す悪循環を辿ることになる。

 一つ譬え話をしよう。

 母親がいくら言っても、小学生の子どものムダ遣いが直らない。父親が母親に、子どものムダ遣いは直ったのかと聞く。直らなくて困っていると答えると、躾がなっていないのではないかと母親を叱り、子ども呼んで厳しく言い聞かせる。

 延々とその繰返しで、小学生から中学生、高校生になっても直らない。小遣いを下手に制限すると、万引きに走ったり、誰かを恐喝してカネを巻き上げるようになるのではないのかと恐れて、ひたすら本人の自覚が芽生えるのを待ち、小遣いに不自由しないようにカネを与え続ける。

 子どもはそれをいいことに母親がどんな小遣いの使い方をしているか調べようと、父親が調べようとムダ遣いを続けて、いつまで経っても直らない。
 
 これは子ども相手の躾である。だが、既に書いたように各省庁のトップは東大出だ、京大出だと最高学府を出ている人間が君臨し、以下上層部は学歴早々たるメンバーが固めている官僚組織である以上、許されないムダの生産であり、ムダな組織や制度の生産であるはずである。

 自らの能力によって元を断たないと何も変わらない。


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