安倍天皇とその翼賛体制

2006-08-28 17:12:40 | Weblog

 毎日新聞のインターネット記事(06.8.26.18:41)に次のような記事が載っていた。

 「自民党の中川秀直政調会長は26日、青森県弘前市内で講演し、党総裁選で優位に立つ安倍晋三官房長官が次期首相に就任することを念頭に、『首相指名では賛成するが、実際の政策に反対ということは許されない』と述べたうえで、『公約をリーダーが実行し、(政府の)経済財政諮問会議や党が支える。個別議員の拒否権発動はあり得ない』と強調し、昨年の『郵政解散』と同様、総裁選で支持する以上首相への造反は許されないとの考えを示した」

 見込み違いといった可能性さえ許さないらしい。見込み違いにも様々な等級があるだろう。ちょっとした見込み違いから飛んでもない見込み違いまで。現在森派会長として頑張っている「日本は神の国」発言では名を残した森前首相は最大級の見込み違いの見本であった。その上と言ったら、女性問題で69日しか持たなかった宇野内閣(1989.6~1989.8)が超最大級の見込み違いとして挙げることができる。安倍晋三内閣が見込み違いとならない保証は現時点ではないとは言えない。

 総裁といった党の代表を決定する選挙で落選することになる対立候補に投票した議員であっても、国会に於ける首班指名選挙では党代表に投票する慣習となっている。特に政権第一党は政策面でどれ程反対であっても、政権維持を最優先条件とするのが一般的であろう。

 いわば「首班指名で賛成」と「実際の政策に反対」は必ずしも矛盾した行為となっているわけではない。

 安部支持表明が「党所属国会議員票(403票)のうち7割超の300票台を獲得する勢いで、独走状態が鮮明」(2006/08/25付 西日本新聞朝刊)という数の獲得(=数の力)が総裁選とそれに続く一般的には党一体となる首班指名投票に関しては確実な当選保証となり、首相就任後の政策遂行に於いてもその実現に目に見えて強力な数の力となるはずであるが、中川秀直をして「首相指名で賛成したなら、実際の政策で反対であっても支持しなければならない」と言わしめている状況は、一つは総裁選での対立候補投票者とのその後の融和の困難さを見越しているといったことがあるからに違いない。特にアジア関連の外交政策の違いが及ぼす対立感情の行方が気がかりになるところだろう。

 二つとして政策支持ではなく、大勢順応支持が無視できない数で存在していると見ているということもあるだろう。大勢順応支持者は自党の党首が首班に指名されることで政権と同時に政権党の議員としての地位が当面安泰だとしたとして、形成を見るに敏だから、野党民主党の今後の趨勢次第で呼応しないとは限らない党内反対派の動きにどちらについたら自己に有利か損得計算して便乗に丸印をつけない保証はないからだろう。

 だが、首班指名支持と政策支持を強制的に一致・固定させることで上記事態のような「個別議員の拒否権発動」――いわゆる造反を防ぐことができる。郵政民営化法案採決のときのようなドタバタを演じずに済む。

その反面、そのような支持の一致・固定の強制は自由であるべき反対意見を抑え込む絶対制約ともなり得る両刃の剣の側面を持つ。絶対制約と化したとき、「個別議員の拒否権発動はあり得ない」絶対集団体制を唯一可能とする条件となる。これを以て翼賛体制欲求と言わずして、他に何と表現したらいいのだろうか。中川秀直は安倍翼賛体制を欲したのである。これは小泉翼賛体制を引き継ぐ安倍翼賛体制願望であろう。

 安倍翼賛体制とは安倍晋三自身を天皇とすることでもある。周囲の反対は許さない絶対命令者とすることであろう。

 翼賛体制下で政策に支持できない場合は言論の自由を自ら封印する沈黙の自己規制によって、黙って見守る以外に道はない。政策に相当部分違いがある場合は、意見を言う気持さえ起こらないといった無気力を誘発しかねない。政策支持ではなくても、寄らば大樹の陰議員や安倍権勢に取り入って人事や人事に伴う利権目当ての大勢順応派議員は当初から言いなりとなるだろうから、沈黙を守る議員共々、結果として従属するだけの体制――頭数としてのみ認められる体制となりかねない。そこには自由、民主主義、基本的人権は存在しない。いや、存在することを許さない。そのことが翼賛体制の翼賛体制たる所以でもあろう。

 安倍天皇は自由、民主主義、基本的人権という価値観を共有する日米豪インドの4カ国による「戦略対話」を提唱している。自身の政権運営に関してはそれらの理念、もしくは権利の発揮を許さないならば、「戦略対話」提唱の条件としている「自由、民主主義、基本的人権」は単に外交利益上の口実でしかないことが露見することとなる。そのような矛盾が生じるとしたら、それは安倍氏自身がそれらの理念・権利を実際には自己精神化していないからで、単に時代に合わせて必要なときに必要に応じて谺させているに過ぎないからということになる。

 いわば中国とうまくいっていたら、自由、民主主義、基本的人権などと口にしないし、うまくいっていないから口にしているというだけのことになる。実際にも日本が最大の援助国となっている独裁国家ミャンマーに対しては、少なくともうるさくは言っていない。

 中川秀直は森前首相の側近であり、2000年7月の第2次森内閣で国務大臣内閣官房長官兼沖縄開発庁長官に就任している。愛人問題や右翼との会食問題で就任3ヶ月で辞任失職、だが2002年自民党国対委員長として復権、2005年10月に党の政策調査と政策立案を担当というものの、小泉政策を丸受け実現する役目の政調会長に就任している。それ程に小泉首相に近い要職者である。

 小泉首相と共にポスト小泉に安倍晋三で共同歩調を取っている人物の安倍晋三の意を汲んだか、意を受けたか、「反対ということは許されない」発言であることを十分に考えなければならない。中川発言以後、それを即座に否定する安倍発言を聞かない。安倍容認の中川発言と見るべきかもしれない。

 となれば、安倍氏が口にする自由、民主主義、基本的人権は実際問題としても十分に疑ってかかる必要がある。そもそもからして「国を愛せ」などという人間の自由、民主主義、基本的人権は信用できない。まずは〝愛することができる国〟づくりを政治家は心がけるべきだろう。愛せない女を周囲からいくら「愛せ」と言われても、愛せないものは愛せないのと同じである。

 自由、民主主義、基本的人権が口先だけの方便と言うことなら、安倍晋三は天皇となる資格は完璧なまでに持っていることになる。安倍翼賛体制も非現実的なことではない。


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