橋下徹の首相指名投票方針に見る政党の存在理由無視の危険性

2012-12-17 06:42:43 | Weblog



 ――以後も画像参考にすれば、日本のあるべき姿の指針となると思われる――

 《橋下氏“自民対抗の政治勢力結集を”》NHK NEWS WEB/2012年12月17日 1時7分)



 この記事には書いてないが、他の記事を参考にすると、昨日12月16日(2012年)午後11時の大阪市内日本維新の会開票センター共同記者会見での発言らしい。

 橋下徹日本維新の会代表代行「少数政党が独善的な振る舞いで、何でも反対するような対応をやってはいけない。これだけ自民党に期待が寄せられた以上、維新の会が単独で総理大臣候補を出すというのは、民主主義のイロハから言ってもおかしい。

 小選挙区制は健全なる2大政党制を目指したもので、複数政党が乱立するのはよくない。次の自民党と公明党の政権に緊張感を持たせるためにも、考え方が同じ人たちが一緒になってひとつの勢力を作っていかなければならない。国民の選択肢として、政権交代が可能となる勢力を作っていくのがわれわれの使命だ」

 最初の発言は、国民の多くが自民党に投票したのだから、「民主主義のイロハから言って」首相指名選挙では「民主主義のイロハから言って」自民党の安倍総裁に投票すると言っている。

 後の発言は、政策の考え方が一致する議員を糾合して自公政権に対抗し得る一大勢力の結成を図る方針の宣言となっている。

 後者は橋下徹の日本維新の会の政策と自公政権の政策の違いを前提とした方針ということになる。

 政策の違いは存在理由の違いを示すはずだ。国民は政策の違いによって政党に対してそれぞれに存在理由を見い出す。
 
 日本維新の会と自公政権が政策の違いに応じた存在理由の違いを抱えていながら、存在理由の違いを無視して自民党に国民の多くが投票したのだから、首相指名投票では安倍自民党総裁に投票するという発想に矛盾はないだろうか。

 自民党ではダメだ、維新の会にその政策の違いから見た存在理由に賛同して投票した有権者が果たして納得するだろうか。

 いわば存在理由に違いがある自民党に対して首相指名を通して与党としての存在理由を認知するという矛盾である。

 確かに第一党ではない自党が推す首相候補が指名される可能性はゼロにも関わらず誰かが首相として立候補するのは形式・儀式の類い以外の何ものでもなく、滑稽に過ぎない、「民主主義のイロハから言ってもおかしい」ということなら、白紙投票とすれば、存在理由の違いの提示と両立させることができるはずだ。

 そういった合理的な発想はないのだろうか。

 維新の会代表の石原慎太郎は橋下首相指名論に、「政党の体をなさない。党首を出すことが政党の沽券(こけん)だ」(MSN産経)と反対の姿勢を示しているそうだが、スタート地点に於ける政党の存在理由をそこに置いているからだろう。

 あとの話し合いで安倍首相指名となるのかどうなのか不明だが、例え一度でも政党の存在理由を蔑ろにする橋本徹の姿勢は政党を一方で束ねる政治家として愚かしく、危険に見える。


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