橋下徹大阪市長の安全性追求最優先後退の大飯原発臨時運転に見る論理矛盾

2012-05-22 12:39:13 | Weblog

 大飯原発の再稼働には反対していたと思っていた橋下徹大阪市長が夏を乗り切る1、2カ月の間の臨時運転の可能性を指摘したというWEB記事を読み、反対から臨時運転への経緯に矛盾はないのか、それとも整合性あることなのか、橋本市長の発言を改めて追ってみた。

 先ず橋本市長は4月24日(2012年)午前、松井大阪府知事と共に訪れた総理官邸で大飯原発再稼働の8条件を藤村官房長官に申し入れた。

 その8条件を大阪市のHPから引用してみる。 

 原発再稼働に関する8条件

 【そもそも論】

現在、政府が原発再稼働を検討する以前に、根本的に欠落している論点があるので指摘しておく。

1. 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。

2. 政府や国会に設置された事故調査委員会の報告も行われておらず、原発事故原因が究明されていない状況では、再稼働の検討はできないのではないか。

3. 原発事故は当事者の東電だけでなく、原子力安全・保安院と原子力安全委員会には「安全規制の失敗」が免れないのではないか。だとすれば、現在の再稼働の手続きは、いわば「A級戦犯」が進めている構図にならないか。

4. 原発が十分な安全性を持つかどうかは、信頼に足る専門家が客観的・中立に判断すべきであり、政治家がそれを判断するというのは「間違った政治主導」ではないか。

以上の「根本的に欠落している論点」を踏まえた上で、次の「八条件」を満たすことが原発再稼働の前提条件であると考える。

1. 国民が信頼できる規制機関として3条委員会の規制庁を設立すること

2. 新体制のもとで安全基準を根本から作り直すこと

3. 新体制のもとで新たな安全基準に基づいた完全なストレステストを実施すること

4. 事故発生を前提とした防災計画と危機管理体制を構築すること

5. 原発から100キロ程度の広域の住民同意を得て自治体との安全協定を締結すること

6. 使用済み核燃料の最終処理体制を確立し、その実現が見通せること

7. 電力需給について徹底的に検証すること

8. 事故収束と損害賠償など原発事故で生じる倒産リスクを最小化すること

《8項目提案も双方の溝埋まらず》NHK NEWS WEB/2012年4月24日 20時4分)

 会談での発言――

 藤村官房長官「8項目の提案は、将来的には考えるべきことだ。今回の手続きについては進めていきたい」

 今回の安全基準で大飯原発の再稼働を目指したいと言っている。

 橋下市長「科学者や原子力安全委員会のコメントがないなかで、安全性の問題を政治が判断するのはいかがなものか。政権が安全宣言したのは絶対におかしく、福島の事故前の平時の再稼働の手続きで進めるのは納得いかない」

 政府が大飯原発再稼働に向けて適用した安全基準は原子力の専門家の知見が加えられていない、政治家だけの判断で行われた安全宣言で、「福島の事故前の平時の再稼働の」安全性に基づいていて、不完全であり、この条件では再稼働は認めがたいと主張している。

 会談後のそれぞれの記者会見。

 橋下市長「政権が政治家の作った手続きをそのまま進めているだけで、安全かどうか誰も判断していない。これは国家運営の重大な危機だ。藤村官房長官は『今の手続きは変えられない』と言っていたが、それを変えるのが政治主導ではないか」

 藤村官房長官「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた。お互い対立しているわけではなく、今後もさまざまな説明や遣り取りをするなかで認識は共通になってくると期待している」

 藤村長官の発言は事勿れな当たり障りのない発言となっている。これ以上の反発も抵抗も、その拡大を避けたいからと、その場凌ぎの意図が働いたからではないだろうか。

 橋本市長は藤村官房長官との会談から2日後の4月26日朝、記者会見で大飯原発再稼働なしの場合の府県民の節電負担案を関西広域連合の場で示した上で、その負担案を判断材料に再稼働か否かの決定を府県民の意思に委ねる考えを示した。

 《橋下市長“負担案示し判断を”》NHK NEWS WEB/2012年4月26日 15時43分)

 記事冒頭。〈関西電力大飯原子力発電所の運転を再開しなくても大規模な停電が発生しないようにするための、各家庭での具体的な節電の負担案を関西広域連合で示したうえで、快適な生活を求めて運転再開を認めるのか、安全性の確立を求めて不便な生活を受け入れるのか、関西の府県民がどう判断するかを見極めたいという考えを示しました。〉

 橋下市長「具体的にこれから府県民に負担を示したい。去年のような節電の呼びかけではなく、ここまでやらないと無理だという負担案を示して、あとは政治感覚を研ぎ澄ませて、府県民がどう思うか、感じるしかない。産業には影響を与えないようにするので、家庭に負担をお願いしようと思ってる。

 快適な生活を求めて、そこそこの安全でいくのか。しっかりと安全性を確認するために不便な生活を受け入れるのか、二つに一つだ。不便な生活が無理なら再稼働するしかない」

 記事は次のように解説している。〈関西の府県民がどう判断するかを政治家として見極めたうえで、府県民が負担の受け入れに否定的な場合には、政府に申し入れた原発の安全性に関する8項目の提案が満たされなくても原発の運転再開もやむをえないという考えを示しました。〉

 当初は「原発再稼働の8条件」が満たされなければ再稼働は認められないと強硬姿勢を示していた。その強硬姿勢の中には産業への影響が予定事態として入っていたはずであるし、入っていなければ、全体的展望に立った行動であったとは言えない。

 だが、「原発再稼働の8条件」申し入れからたった2日後に産業への影響回避に方向転換し、家庭への全面的な負担へと舵を切った上で、府県民の節電の負担を受入れるか否かで再稼働の態度を決めるとし、負担受け入れノーなら、いわば「不便な生活が無理なら再稼働するしかない」と、その判断を府県民に委ねることにした。

 しかしここには矛盾がある。関西地域の統治者の一人として、再稼働はあくまでも自分たちが納得し得る確実この上ない安全性の追求を最優先としていたにも関わらず、安全性の追求を最優先から外して従の位置に後退させ、府県民による快適な生活か不便な生活かの選択を先に置いた安全性の判断――そこそこの安全か、十分な安全かを決定させる矛盾である。

 もし安全性の追求を最優先した場合、快適な生活か不便な生活かの選択は除外しなければならない条件のはずだが、除外せずに持ち出したことによって、橋本市長は場合によっては最優先としていた安全性の追求をある程度犠牲にするという意味のことを言ったのである。

 橋本市長は府知事時代にツイッターで次のように発言している。

 橋下大阪府知事「僕がその判断を誤れば選挙で首を飛ばされて責任を負う。それが民主主義。僕は維新の会の活動こそが大阪府民の将来を変えるものだと確信している。そしてそれを府民に問います」(2011年2月3日)

 つまり自身が確信している政治行動を任期中は推し進めて、任期後にその是非を選挙で有権者に問い判断して貰うのが民主主義だとごく当たり前のことを言っている。判断を誤った政治行動であったなら、選挙で首を飛ばされる。

 だが、自身の政治行動に非常に自信を持っている。

 自信を持っているからだろう、自身の政治信念を上に置き、先ず貫いて、有権者の審判を従とすることを両者の関係だと殊更に言うことができる。

 このような関係性から言うと、原発の安全性を最優先させることを信念としていたなら、任期中はその信念を貫いて、その是非を任期後の選挙で問えばいいはずだが、府県民の快適な生活か不便な生活かの選択を通した原発の安全性の判断を優先させる関係性の変更という矛盾を犯している。

 また、「原発再稼働に関する8条件」で「根本的に欠落している論点」として掲げた一つの、〈「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉は地震や事故発生の時期に関しての予測不可能性を添わせた文言であり、そのよう予測不可能性を前提として安全性を最優先とする危機管理の慣例に反する矛盾だとも言うことができる。

 いわば安全性を最優先としていたはずなのに、府県民が求めるなら「そこそこの安全」でも構わないと言っているのである。

 5月19日になって大阪市内で関西広域連合と細野原発事故担当相が意見交換を行なっている。細野原発事故担当相の運転再開理解要請に対する橋下大阪市長や山田京都府知事等の関西広域連合の政府批判という構図が再度繰り広げられこととなった。

 《原発事故相 関西広域連合と議論》NHK NEWS WEB/2012年5月19日 19時21分)

 次の発言は記事解説を会話体に直したもの。

 細野原発事故担当相「京電福島第一原発の事故を踏まえて政府がつくった安全基準で、大飯原発の安全確認を行いました。福島と同じ規模の津波が来ても対策は十分取れていると思います。是非運転再開に理解を求めたいと思います」

 橋下大阪市長「なぜ政府が原発問題で国民の信頼を得られていないか、よく分かった。福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ。

 原発がどうしても必要だという場合にも、動かし方はいろいろある。臨時なのか1か月なのか2か月なのか。ずっとフル稼働していくような政府の説明に、国民は信頼を寄せていない」

 4月26日に快適な生活か不便な生活か、いずれであるか府県民の選択を通した原発の安全性の判断に委ねると言っていたのに対して、ここでは「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」と、福島原発以上のレベルの安全性を担保することを求めている。

 にも関わらず、産業への影響が頭にあったからなのだろう、「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」と言いながら、「原発がどうしても必要だという場合」はと電力需給にウエイトを置き、フル稼働ではなく、夏を乗り切る1カ月か2カ月程度の臨時の運転の方法もあり得ると提案している。

 この発言にも矛盾がある。

 「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」は自らも一役買って掲げた「原発再稼働に関する8条件」の安全性確保・安全性最優先の発想と整合性を持ち得るが、この夏を乗り切る1カ月か2カ月程度の臨時の運転は逆に「原発再稼働に関する8条件」の実現を前提としないことによって可能となる運転であって、そこに否応もなしに矛盾が生じる。

 フル稼働は「原発再稼働に関する8条件」を実現させなければならない、1、2カ月間の臨時運転は「原発再稼働に関する8条件」を完全には実現させなくてもいいという二重基準とも言える。

 橋本市長が1、2カ月間は臨時運転の可能性を指摘したということは、その間、大地震も人為的な大事故も起きないことを予定調和としている(=前提としている)ことになる。

 あるいは大地震も人為的な大事故も起きないことを予定調和としている(=前提としている)ことによって、1、2カ月間は臨時運転もあり得るとすることができる。

 政府の安全基準でも、1、2カ月は大丈夫だろうとしたのである。

 果たしてそう断言できるのだろうか。既に「原発再稼働に関する8条件」で、〈 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉としていることは地震や事故発生の時期に関して前以ての予測不可能を前提とした危機管理であるはずだと書いた。

 いつ起きるか分からない。だから、安全性の追求を最優先し、確実な安全性を担保してからではないと、再稼働は認められないということであったはずだ。

 地震や事故発生時期が予測可能なら、いつ再稼働しても、地震・事故発生前に停止すれば原発は無事のまま維持できることになる。

 浜岡原発は地震発生率が80%を超えて高いからと停止要請した。だが、1年経過しても、地震は発生しない。だが、事前には予測不可能の発生時期だからこそ、地震発生率を基準として停止要請し、中電はそれに応じた。

 危機管理は災害や事故の発生時期やその規模を前以て確認できないからこそ、最悪の事態を想定、その発生に事前に備えることを言う。

 「福島と同じレベルの対策では、安心できない」のなら、1カ月2カ月の臨時の短期間の運転でも、前以ての発生時期は予測不可能を前提として福島以上のレベルの安全性を担保できなければ運転させないという姿勢を示してこそ初めて整合性を得るはずである。

 勿論、夏を乗り切る期間の1、2カ月の臨時運転の間、地震も発生せず、人為的運転ミスもなく、原発の機器自体の故障もなく通常運転を通す可能性は高いだろう。

 だが、このことの絶対確認は1、2カ月の経過後であって、それ以前ではない。以前には予測確認しかできない。繰返しになるが、〈 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉と指摘しているように前以ての発生時期は予測不可能であることを絶対条件としなければならない。

 予測不可能であるにもかかわらず、多分大丈夫だろう、多分大丈夫だろうと予測不可能を予測可能のもとに行動を起こしていたなら、危機管理は成り立たなくなる。

 東電は巨大地震の発生可能性とそれに伴った巨大津波の発生可能性の指摘を受けながら、対策を怠り、今回の重大事故に至った。このことは巨大地震の発生時期の予測不可能性を軽視したからだろう。

 逆に予測不可能性を前提として直ちに対策を講じなければならなかった。

 だが、橋下市長の1、2カ月間の大飯原発臨時運転は東電と同じ轍を踏む予測不可能性の軽視に当たる。

 1、2カ月間に何も起こらなかったしても、このことが前例となって予測不可能性の軽視に慣れ、そのことに鈍感となった場合、自分たちでは気づかなくても、自分たちの技術は優秀だとしたのとは異なる「原発安全神話」に再度陥ることになるに違いない。
 
 上記「NHK NEWS WEB」が伝える山田京都府知事と仁坂和歌山県知事は橋本市長と異なる姿勢を見せている。

 〈京都府の山田知事や和歌山県の仁坂知事も、政府の安全基準の作成に国の原子力安全委員会が関わっていないことや、原子力規制庁の創設が遅れていることを指摘したうえで、「新しい組織ができるまでは原発を動かすべきではない」と述べ、運転再開を急ぐ政府の姿勢を批判しました。〉――

 細野原発事故担当相「安全対策に終わりはなく、大飯原発については特別な監視体制の構築を急ピッチに進めている」

 関西広域連合側の政府不信に対して政府の再稼働の安全性には問題はなく、現在「構築を急ピッチに進めている」「特別な監視体制」で二重に安全対策を取ると再稼働の安全性に太鼓判を押している。

 意見交換後の細の原発事故担当相の記者会見。

 細野原発事故担当相「率直な、いい意見交換ができた。われわれとしては、科学的知見に基づいて専門家が積み上げた3つの基準を当初の予定時間をはるかに超えて説明できた。受け止めについては、それぞれいろいろな考え方があると思うので、きょう出席した皆さんがどういった思いを持っているか把握したうえで、政権全体で受け止めていく必要がある」
 
 橋下市長停案の1、2カ月間の臨時運転の可能性に直接的には何も答えていない。答えたのは藤村官房長官であった。

 《臨時的な運転再開“念頭にない”》NHK NEWS WEB/2012年5月21日 12時19分)

 5月21日の記者会見。

 藤村官房長官「運転再開の必要性については、電力需給の厳しさもあるが、これまで電力供給の30%を担ってきた原子力を直ちに止めた場合、LNG=液化天然ガスの膨大な買い増しなど、現実の日本経済、国民生活が大変大きく影響を受ける。需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない。

 各知事や市長からさまざま意見を頂戴し、政府として真摯(しんし)に受け止めている。こうした意見や福井県や大飯町の動きを踏まえつつ、総理大臣のリーダーシップのもと、責任ある判断をしたい」

 「需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない」とは、あくまでも安全性を最優先の基準とするということであろう。

 当初は橋下市長側が徹底的な安全性優先に拘り、安全性よりも電力需給にウエイトを置いた途端に再稼働ありきだった政府が安全性によりウエイトを置くことになる皮肉な逆転現象を呈している。

 対して橋本市長の反応。《橋下市長“政府は再稼働再考を”》NHK NEWS WEB/2012年5月21日 21時48分)

 5月21日夜の記者会見――

 橋下大阪市長「再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい。

 原子力規制庁を作り、安全基準を早く作るんだと政府は言うが、それなら大飯原発はなぜその基準で考えないのか。論理矛盾も甚だしい。大飯原発は新しい基準に照らし合わせていない不十分な状態だから、再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい」

 確かに橋本市長が指摘している政府の論理矛盾は甚だしい。

 だが、「大飯原発は新しい基準に照らし合わせていない不十分な状態だから、再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている」と言っていることも論理的に矛盾していることに気づかない。

 安全性が「不十分な状態」であるなら、なおさらに 〈「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉とする地震や事故発生時期の予測不可能性に対する危機管理はより確実に万全を期し、自分たちが理想とし、望む安全性の確立を優先させるべきだが、そうしない論理矛盾に自ら陥っている。

 電力需給優先とすべきか、安全性最優先とすべきか迷っていることからの論理矛盾といったところなのかもしれない。


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