NHK番組『インドの衝撃』から見る安倍教育再生・2

2007-03-27 11:29:09 | Weblog

 (「MR・ラビシャンカルさん 技術サービス部統括」のテロップ)
 ラビシャンカル「ここで行っているのは未来の製品開発と言えます。この頭脳を利用したいという企業が世界中にいます」

 男性解説「ここは最先端の開発を行っているソフトウエア工学技術研究所です(その映像)。独自の技術を開発し、世界の顧客に提案しようとしています。400人の技術者たちが10年20年先を見越した研究を行っています」

 ラビシャンカル「これには小さなコンピューターが搭載されています(タバコのケースの2倍ほどの大きさ。アンテナがついている)」

 男性解説「今取り組んでいるのは小型無線センサーです。温度や湿度、振動などを感知し、互いに無線でメッセージを交信し合います。異変があれば、直ちに警報を発して知らせます」

 ラビシャンカル「担当者のところにすぐにメッセージが届きます」

 男性解説「より高度なソフトウエアと組み合わせることで原子力発電所から地震や津波の監視まで、幅広い利用の仕方を提案しようとしています。培ってきた技術と専門知識によって、これまでI T企業を超えた新しいビジネスモデルをつくるというのです」

 (「去年11月」のテロップ)

 男性解説「今インフォシスでは、より多くの頭脳の獲得に乗り出しています。この1年間で採用した社員は2万5千人。2週間に一度入社式が行われています。社員たちは130万人の応募者から選ばれました。IITを初め、いずれもインドトップの大学を卒業した人材ばかりです。次々と湧き上がってくる若い頭脳に最新のテクノロジーを吸収させ、かつてない規模の頭脳集団をつくるといいます」

 インフォシス社長「私たちが目指すのは次世代のI Tサービスとコンサルティングを両方兼ね備えた企業になることです。最高の頭脳と世界規模の実行力を組み合わせれば、解決できない問題はありません。そうすれば世界で誰もできない仕事ができるのです」

 (アメリカサンフランシスコ プラカードを片手に掲げた街頭デモの映像)

 女性解説「インドの頭脳は先進国に脅威を与える存在になりつつあります。アメリカではこの数年仕事を失うI T技術者が増えています。背景の一つに大容量のデータを高速遣り取りできる通信網の整備が進み、インドが世界と結びついたことがあります。インドは英語を話せる多数の技術者を武器にソフトウエアの開発など欧米から様々な仕事を獲得するようになりました。変貌するインドの姿を通して今世界で何が起きているのかを描き、ベストセラーになった本があります。(『The World Is Flat』と題名のついた書物の映像)『フラット化する世界』です。40カ国で300万人に読まれています。このフラットが均一化した世界では地球規模の一つのネットワークがあり、世界中の人々が初めて同じ土俵で平等に競争できるようになったのです。この本を書いたのはピュリッツァ賞を3度受賞したアメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンさんです」

 フリードマン「すべては頭脳で決まるのです。もはや地理的概念も距離も意味をなさなくなりました。テクノロジーもインフラも、どこでも誰でも同じよう物を持っています。では、違いは何かと言えば、頭脳だけです。世界がフラットになったことで、インドの多くの頭脳が突然世界とつながり、パワーが爆発したのです」

 女性解説「フリードマンさんがこの本を書いたのは2004年にインドを訪れ、インフォシスのムラカニ社長に会ったことがキッカケでした。頭脳を武器に世界にビジネスを展開する姿に衝撃を受けたと言います。科学者や高度な技術者を生み出すには長い時間がかかる。アメリカは国を挙げて、科学や工学の教育に無制限の予算を組み、直ちに行動を起こさなければならない。これはこっそりと忍び寄る、しかし本物の危機なのだ」

 フリードマン「フラット化によって新しい仕事を手にするには十分に頭脳を磨いておかなければなりません。少年時代は私は両親にいつも言われていました。ご飯を残さず食べなさい、インドの人たちはおなかを空かせているのだ。しかし今、私は孫たちにこう言います。しっかり勉強しなさい。インドの人たちは君たちの仕事をおなかを空かせて狙っているのだからだ」

 男性解説「頭脳だけで世界をリードし始めたインド。しかし11億の国民の中には自分の名前を書くことのできない人も大勢います。識字率は65%です。子どもたちは働き手とされ、学校に通えない子供も少なくありません。(「インドの進学率」のテロップと進学率を示した表)11歳から14歳の子供のうち学校に通っているのは61%。高校生の年齢になるとさらに減ります。大学まで進む人は7%。日本の7分の1です。(「18~24歳――7%」のテロップ)政府は2015年までに大学進学率を倍にしたいとしています。しかしそれだけの教育費を払える人はまだ限られています。インド北部にあるセパール州。インドでも特に貧しい地域です。そのビハール州で頭脳の力で貧しさから脱け出そうと若者たちが集まる場所があります。理工系大学の受験塾。(番組の最初の場面に戻る)ラマヌジャン数学アカデミーです。インドが生んだ天才数学者に因んで名づけられました。(一方の壁は吹き抜けていてなく、天井にいくつもの扇風機。生徒はスシ詰め状態)トタン屋根の吹きさらしの教室で毎日1000人の生徒が学んでいます。朝10時から7時間。土日も休みなしで数学・化学・物理の授業が行われています。授業料は1年半で1万円。普通の塾と比べて格段に安くなっています。(机のない生徒もいる。膝にノートを置き、書き込んでいる)この学校を始めたのはアーナンド・クラル先生、34歳です。優秀な成績でケンブリッジ大学に合格しながら、学費が払えないために留学を断念しました。若者たちに同じ思いをして欲しくないと5年前にこの塾を始めました」

 アーナンド・クラル先生「大学を諦めたときは本当に悲しかったです。エンジニアになる夢も叶わなくなり、もう人生が終わったと思いました。その痛みは今でも忘れません。ですから、貧しい者でも学べる場所を何とかつくりたいと思ったのです」

 男性解説「アーナンド先生は夕方の時間を使って特別な授業を行っています。IITインド工科大学を専門に目指す特選クラス『スーパー30』です。授業料は無料です。優秀であるにも関わらず、家が貧しくて授業料を払えない生徒30人を選抜して行われています。全員のIIT合格を目指し、高度な問題に取り組ませています。去年は30人中28人が合格しました。インド各地に数ある塾で最も高い合格率です。アーザード・クマールさん19歳。スーパー30に選ばれた一人です。アザードさんはたちは学校が借りているアパートに住み込んで勉強しています。4畳半一間に2人の生徒が暮らしています。IITを目指しているアーザードさんは家が貧しいため、高校卒業後2年間働きながら勉強しなくてはなりませんでした。スーパー30の生徒は家賃も食費も塾から援助されているため、勉強に専念できるといいいます。スーパー30の生徒たちの家は殆どが農家や露天商などです。生徒たちは家計を助けるために働かなければなりませんでした。好きなでき勉強できる環境は生徒たちにとって願ってもないことです。毎日16時間勉強に打ち込みます」

 アーザード・クマール「物心がついたときから家の貧しさばかりを見てきました。お祭りのとき、周りのみんなは新しい服を買ってもらっているのに、うちだけは買って貰えませんでした。IITに入り、立派なエンジニアになって会社を興したいです」

 男性解説「IITの受験を半年後に控えた去年11月、アーザードさんは受験勉強が本格化する前に久しぶりに村に帰りました。アーザードさんの村は電気も水道もありません。村人は500人です。全員が小規模な農業で生計を立てています」

 (家族の紹介)

 男性解説「家族は両親・祖父・二人の弟、それに妹の合わせて7人です。アーザードさんの家族は人から土地を借りて小麦や菜の花を栽培しています。(鍬を使って、腰を曲げながら土を掘り起こしている裸足姿の映像)1年間の収入はおよそ5万円。アーザードさんがIITに合格することは一家にとって貧しさから脱け出すことを意味するのです。IITに合格すれば、学費の融資を受けられます。今一家はIITの受験料3000円だけは何とか工面しようと80歳の祖父まで家族総出で働いています」

 父親「生活が苦しく、じいちゃんの薬代にも事欠きます。スーパー30がなかったら、IITの受験など諦めるしかありませんでした」

 男性解説「アーザードさんがIITを目指したのは自分や家族のためだけではありません。村には小学校しかなく、アーザードさんは毎日2時間かけて別の村の中学校に通っていました。こうした状況を何とかしたいと思ってしたのです」

 父親(アーザードさんに)「IITに必ず合格するんだよ。お前は貧しさを身を以て知っているのだから。村のみんなのためにも頑張りなさい」(カースト制度に縛られているのか)

 祖父「孫が合格して外国で働くようになれば、村の道路もよくなりますよ。事業もしたら、村も変わりますよ」

 男性解説「アーザードさんはIIT入り、成功したら村に中学校を建てて、子どもたちに学ぶチャンスを与えたいと考えています」

 アーザードさん「お金を稼いで、家族の暮らしも村のみんなの暮らしもよくしたいと思っています。スーパー30のみんながIITに合格し、それぞれの村をよくしていけば貧困もなくなり、インドはきっと素晴しい国になると思います」

 (雨が降っている。ラマヌジャン数学アカデミー・受験塾。壁のない側の席に陣取った生徒は吹き込む雨を避けるためにこうもりを差しかけて授業を受けている)

 男性解説「今、若者たちは貧しさから脱け出し成功を掴むために真剣に頭脳を磨き始めています。インドでは人口の半分が25歳以下の若者です。その数は5億4千万人。インドがもつ最大の資源・頭脳が大きなパワーとなって湧き出そうとしています」

 (ムンバイ・IITの映像)

 男性解説「先月ムンバイでIITインド工科大学の総会が開かれました。(「IIT年次総会」の字幕)総会にはカラム大統領も出席しました。自らも化学者である大統領はインドの将来は頭脳立国戦略の更なる発展にかかっていると訴えました」

 カラム大統領「IITのみなさんの力でインドの若者を刺激し盛り立ててください。2020年にまでにインドを先進国にしましょう」

 男性解説「総会には卒業生5千人が世界中から集まりました。卒業生たちはインドの発展に力を合わせようと世界規模のネットワークを結成しています。これまでにI T産業の将来や貧困、インフラ整備の問題などについて話し合い、政府に提言を行ってきました」

 コンサルタント会社社長「IITで培った頭脳は我々の強みです。インドに変化を起こすために政府に掛け合い、政府と協力して物事を前進させます」

 I T関連企業会長「インドにはエネルギーが漲っていますが、同時に問題も抱えています。卒業生たちはIITで受けた恩を今こそインドのために返したいのです」

 男性解説「インドの頭脳パワーはどのような発展の道を辿るのか。インフォシスのニレカニ(?)会長はネールが始めた技術エリートによる国づくりの裾野を大幅に広げようと訴えました。

 ニレカニ会長「インドのすべての若者が教育を受けられる環境をつくることは私たちIIT卒業生の重大な責務です。若者たちが平等に競争に参加し、大きな夢を見ることができるようにしなければ、インドに富という野望をもたらすことはできないのです」

 男性解説「総会ではIIT卒業生たちが国や社会に積極的に働きかけて頭脳大国を目指していくことで一致しました。独立から今年60年目を迎えたインド。困難な状況の中で頭脳立国を目指してきました。生み出されてきた人材はインドの成長を支え、世界を揺るがす力にもなろうとしています。わき上がるインドの頭脳パワー。その勢いはさらに加速しようとしています」

 「第1回 わき上がる頭脳パワー」――
 * * * * * * * *
 インドの全てが優秀な価値状況にあるというわけではない。この「第1回 わき上がる頭脳パワー」でも貧困の存在を取上げているが、07年2月6日NHK放送「インドの衝撃 第三部」でも、インドには1日1ドル以下の生活者が3億人いると紹介しているし、06年の1年間で100人を超える貧しい農作業者が借金苦で自殺している村があるという農村の貧困問題や3人に1人が字を読めないといった深刻な問題も抱えている。

 だが、「世界で最もソフトウエアエンジニアが多いのはインド」であり、「NASAでは技術者の10人に一人がインド人」と紹介されているようにインド人の多くが優秀な頭脳の持ち主であり、そのような優秀な頭脳がインド国内は愚か、世界中で活躍しているという状況は紛れもない事実であろう。NASAで何人の日本人科学者が活躍しているのだろうか。

 そのようなインド人の「優れた頭脳を生み出しているのは建国以来の頭脳立国戦略」だと解説は言っている。具体的な方策としては大学では「学生に徹底的に考えさせる」思考重視を中心に据えた教育の実施であり、そのことを実現させるために試験では「時間内に多くの問題を解くのではなく、一つ一つの問題を時間をかけて考え」、「答に辿りつくまでの思考過程」を重視する方法が採られているとしている。

 小学校の数学授業でも、計算式と答の関係に何らかの法則を見い出すことができる計算方法を訓練づけているが、それは法則を見い出そうと全体を見る目(=全体を考える目、全体を知る目)と同時に、全体を法則によって成り立たせている原理(=基本)を見る目(=基本を考える目、基本を知る目)を相互関連的に養って合理的思考能力を高めさせようと図る教育目的からのものだろう。その成果が小学校のチラグ・アガルワール女教師が言ってたように、「子どもたちは自分で解き方を発見することもあります。考えることの面白さを知るのです」ということなのだろう。

 日本のコマ切れ知識をそのままになぞって暗記して自らの知識とする従属的な思考形式では全体を見る目を養われることはないだろう。ここからよく言われる日本人の視野の狭さ、多角的ものの見方の不足がきているのは言うまでもない。、

 インドの教育に於ける物事を成り立たせている法則とその原理を知ろうとする思考の働き(=知の働き)は訓練づけられることによって数式計算だけではなく、人間の営為や自然界の現象にも自然と向けられるだろうから、国語の授業や歴史の授業でも活用され、それが数学の授業にも撥ね返って、相互に高めあう働きをしているに違いない。音楽を学べば、学び始めた早い段階で、単に歌うだけで終わるのではなく、それぞれの曲を成り立たせている音の動き・音符の動きには一定の法則があり、何らかの原理に則っているということを知るのではないだろうか。

 小学校や中学校での法則と原理を学ぶ思考訓練と大学での「学生に徹底的に考えさせ」、「模範解答を覚えさせること」よりも、「答に辿りつくまでの思考過程が最も重視され」る思考一辺倒の授業プロセスとが必然的に対応し合い、相互刺激しあってより高度な思考の質を獲得することとなり、小学校から大学まで通した総合的な成果と発展が「インドの頭脳」ということではないだろうか。

 とすると、単に縦横に如何に早く足し算・引き算するか、あるいは掛け算・割り算するかで成績を競わせる百ます計算が日本の教育の現場で持て囃されているが、そこにあるのは数字の全体的な配列を見てそこに何らかの法則や原理を見い出そうとするインド式の思考訓練教育とは正反対の、思考過程をまったく排除した機械的計算教育を主眼としたものに過ぎないということにならないだろうか。

 既に取上げた「時間内に多くの問題を解くのではなく、一つ一つの問題を時間をかけて考え」、「答に辿りつくまでの思考過程」を重視する方法は百ます計算のどこにも存在しない。

 いわば機械的に素早く計算する能力は獲得できても、計算に思考の働きを添わせて身につけていく想像性(創造性)は養うべくもない機会提供で終わっていると言えるのではないだろうか。

 番組に紹介されていた小学校3年生の姉と未就学の妹が盤を挟んで対戦していたインドで人気のゲームにしても、百ます計算のように単に足したり引いたり、あるいは掛けたり割ったりするだけではなく、左右の計算式の答がイコール(=)を挟んで等しくなるように兼ね合いを考えることを覚えさせる仕組となっている。そこに足し算や掛け算を入れたら、左の式の数字よりも大きくなってしまうから、引き算が割り算で対応して、左の式の答えに近づけ、最終的にイコールになるよう計算式を立てるべく考えることを否応もなしに求められることになる。繰返すうちに、自分なりの計算の法則を打ち立て、それがどのような原理を持っているか考え至るのではないだろうか。

 機械的計算能力を養う百ます計算が持て囃されるのも、元々日本の教育が詰め込み暗記式教育を日本の美しい歴史とし、伝統・文化としているのだから無理もない話だが、インドの小学校では「子どもたちはノートも鉛筆も一切使わずに頭の中だけで計算します」と女性解説者が解説していたのとは逆に日本ではゆとり教育の導入で教科授業が減らされ教科書が薄くなったことが問題化し、内容を増やす動きがあるが、日本の教育が暗記教育だから暗記するための材料を必要とするからで、暗記量を増やして学力を上げようとする方向に対応して教科書を厚くしなければならないことから起こっている当然の事態でもあろう。

 考える教育なら、問題となるのは教師の思考能力のみで、極端なことを言えば、教科書がなくても考える素材を一つ提供するだけで、教師の思考能力・想像性(創造性)に応じて素材を如何ようにも応用して生徒の思考能力に反映せしめ、それを高めることができるし、授業時間を充実した状態で埋めることもできる。いわば教科書の有無、あるいは薄い厚いは教育を行う上での絶対的な必要不可欠条件ではない。インドの教育がそれを証明している。

 しかしこの不思議の国、「美しい国」日本では教科書の「薄い・厚い」が問題となる。

 敗戦後日本の国家主義教育を改革すべく日本に乗り込んできたアメリカの教育使節団はその報告書の第一章「日本の教育の目的及び内容」で、「高度に中央集権化された教育制度は、仮にそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中にとらえられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受ける恐れがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導のもとに、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。
 斯くするとき教師は初めて、自由な日本国民を作りあげる上で、その役割を果たし得るであろう。この目的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない」(文部省・学制百年史 資料編 [一 教育法規等 (一) 米国教育使節団報告書])としているが、「地方分権化」云々以前に、60年後の日本の教育の現実は国定教科書制度から脱し得たものの、検定制度でそれを補い、その影響下で学校及び学校教師は似たような教科書を用いて年々似たような授業で大学のテストに合わせた似たような項目的知識を暗記させる、思考過程を剥ぐことによって成り立たせることができる「画一化」教育を専門としているのみである。

 このことは「自ら考え、自ら判断して、自ら決定する」思考過程を備えたゆとり教育を結局のところ根付かせることができず、ゆとり教育とは逆行した本来的な教育形式である暗記知識強化による学力向上教育への一斉回帰現象が証明している。その顕著な表れが全国一斉テストの復活であり、テスト成績の発表による学校評価であろう。

 「自ら考え、自ら判断して、自ら決定する」思考能力はテストの点数では一律的には計れない。

 現在テストの点数教育を加速させているのは安倍教育再生政策である。個人の権利・自由を国家に画一的に従属させたい衝動を抱えている国家主義者にとっては、従属思考を基本原理とした暗記教育は従属人間を育てるには好都合で、暗記式従属思考から離れて自由な発想を求める思考能力教育は却って国家主義の障害となるからである。


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