「生活の党と山本太郎となかまたち」
《11月18日「臨時国会召集要求は国民の声」与野党幹事長・書記局会談談で玉城幹事長》
こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
11月18日、国会内で与野党幹事長・書記局長会談が開かれ、野党側は憲法規定に基づき臨時
国会召集を改めて与党側に要求しました。
自民党が2015年11月11日、自民党総裁としての安倍晋三直属の歴史検証の勉強会を立ち上げることを決めたという。立ち上げ趣旨は日清戦争から東京裁判、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策等を検証することだそうだ。
このメンバーに稲田朋美が加わらないはずはない。安倍晋三と肩を並べる歴史修正主義者であるという点で同じ穴の狢を形成しなければならないからだ。マスコミもこのような組織を提唱してきた一人としてメンバーに加えている。
検証は何も驚くに当たらない。安倍晋三は前々から「戦後レジームからの脱却」を呪文のように唱えていたからだ。要するに「戦後レジームからの脱却」を果たすための歴史検証の勉強会と言うことなのは間違いない。
安倍晋三の言う「戦後レジーム」とは、第2次世界大戦後のGHQ主導の民主化政策(=占領政策)によってつくられた諸制度・諸体制を指すが、勿論その中には日本国憲法と憲法の理念によって制度化された日本の社会構造・社会体制と、前者・後者それらによって育まれた日本人の精神性も含むはずだ。
含むがゆえにそこからの「脱却」と言うことは、安倍晋三は日本国憲法は占領軍が作った憲法であり、日本人自身が作った憲法ではないと現憲法そのものを否定していることを示していることになる。
このことの証明を、何度もブログに取り上げてきて、再び取り上げるのは恐縮の至りだが、2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージと国会答弁から行いたいと思う。
安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。
しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。
それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」・・・・・・・
そして2014年3月14日の参院予算委員会での答弁。
安倍晋三「憲法につきましても、先程申し上げましたこの三つの原則(平和主義・基本的人権・主権在民)というのは、当然これは大切な原則であり、そのことによって日本は平和国家としての道を歩み続けてきたわけでございますが、しかし同時に、この憲法自体が占領軍の手によって作られたことは明白なこれは事実でございます。その中におきまして、私は、戦後レジームから脱却をして七十年がたつ中におきまして、今の世界の情勢に合わせて新しい、みずみずしい日本をつくっていきたいと、こう申し上げているわけでございます」・・・・
参院予算委員会では日本国憲法の平和主義・基本的人権・主権在民の三大原則を大切な価値だと言いながら、占領軍によってつくられた日本国憲法だと断言している。
一方でビデオメッセージでは、占領軍によって日本は改造され、日本人の精神は影響を受けたと言って、当時の占領軍が行った日本という国と国民(=日本人)に対する権力作用そのもの、そしてその成果そのものを悪として否定している。
日本国憲法にしても日本人の協力があったものの、主体的には占領軍という権力作用がもたらし、その成果の一つとしているのだから、安倍晋三が「この憲法自体が占領軍の手によって作られたことは明白なこれは事実」だと言っている意味は悪の一つとして否定の対象としていることになる。
当然、安倍晋三は日本国憲法の三大原則(平和主義・基本的人権・主権在)を言葉通りに大切な価値と把えているわけではなく、何らかの隠してある含みを見なければならない。
例えば「自民党憲法草案」は第12条で自由と権利について、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と規定、「公益及び公の秩序に反してはならない」とするタガをはめた形での自由と権利の保障となっている。
何が「公益」か、何が「公の秩序」か、一体誰が決めるのだろう。国家権力が望む形で決めることもできる「公益及び公の秩序」である。
と言うことは、国家権力が決めることができるようにこのような文言を残しておいていると見ることもできる。
国民の自由と権利にこのようなタガをはめたこと、条件付きにしたこと自体が「戦後レジームからの脱却」と考えることもできる。
現憲法の第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と、自由と権利を何に利用すべきか、その責任を「公共の福祉のために」と規定する形で自由と権利に関しての社会的な履行を求めているに過ぎない。
決して自民党憲法草案のように自由と権利そのものの制限ではない。
「戦後レジームからの脱却」を果たすための歴史検証の勉強会の課題に日中・太平洋戦争以前の日清戦争から始める意図は、日中・太平洋戦争のみの検証では侵略と認めざるを得ないために日清戦争まで遡ることにしたのだろう。
日本は明治以降、外国との戦争は日清戦争(1894年(明治27年)7月~1895年(明治28年)3月)、日露戦争(1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年)9月5日)と続けてきた。
安倍晋三は2015年年8月14日、「安倍晋三戦後70年談話」を閣議決定し、その談話を同日の記者会見で公表した際、「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました」と言い、その影響を受けた日本の海外進出と日本の戦前の戦争だとして、日本の戦争を20世紀という時代が生んだ産物だと時代的な一般性、時代性を纏わせる相対化作用を施して、止むを得ない戦争だったとする罪薄めを謀った。
さらに日露戦争も取り上げて、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と、日露戦争という日本の歴史を肯定することで日中・太平洋戦争に走ってしまったことを止むを得ないとする同じ文脈での相対化作用を用いて、後者の悪の罪薄め謀っている。
だが、実際には日露戦争と言えども、中国(主に満州)と朝鮮半島を舞台とした植民地獲得競争が正体の戦争であった。
日本は西欧列強に倣って、既に植民地戦争を開始していたのである。植民地を多く獲得し、西欧列強と肩を並べようとしていた。
歴史検証の勉強会は戦前の日本の侵略戦争を時代的な一般性、時代性とするための相対化作用の範囲を広げるために日露戦争からさらに日清戦争にまで遡る魂胆なのだろうが、日清戦争にしてもその勝利によって朝鮮半島の日本の権益を守ったのだし、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によって失ったものの、一旦は下関条約(日清戦争の講和条約)によって遼東半島の割譲を受けたのだから、アジアを舞台とした植民地戦争以外の何ものでもない。
その舞台をさらに広げようとしたのが日中・太平洋戦争だった。
いわば日本自らが積極的に加わっていった植民地獲得戦争の連続としてあった時代的な一般性、時代性であって、その埒外にあった日本が止むを得ず埒内に巻き込まれた日中・太平洋戦争だとする歴史修正には無理がある。
確かに東京裁判にしてもGHQの占領政策にしても様々に矛盾を抱えているだろうが、占領政策によって日本人が獲得できた民主主義である。国家主義の観点からは民主主義をアンチテーゼとしているがゆえに「占領軍によって日本は改造され、日本人の精神は影響を受けた」と言うことはできるし、そのような安倍晋三とその一派からしたら、占領政策がつくり上げたとしている諸々の諸制度やその影響を受けて日本人の血としていくことになった精神性からの脱却――「戦後レジームからの脱却」は必要となるが、民主主義そのものの観点からは政治の矛盾が反映した社会性を除いて、一般的には馴染むことのできる戦後社会であって、安倍晋三たちが魂胆している意味での如何なる脱却も必要としない。
当然のこと、占領政策が悪影響を与えたとする諸々の戦後秩序、それを支えている日本人の精神性からの脱却を意味する安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」とは、戦後を取り除くことを意味しているがゆえに戦前と戦後に一貫性を持たせることを目的としていることになって、戦前の日本国家の肯定以外の何ものでもなく、安倍晋三直属の歴史検証の勉強会はその肯定のための検証以外の何ものでもないということである。
要するに検証という名の下、歴史修正の陰謀に取り掛かかろうとしている。