聖火ランナーを巡る抗議活動を報道する各新聞記事を見ていると、如何に人間が利害の生きものであり、利害に縛られて活動しているかがよく理解できる。
北京五輪組織委員会王恵・新聞宣伝部長(≪「チベット独立」分子の聖火リレー妨害は支持されない≫(08.4.8「人民網日本語版」)「オリンピックの聖火は全世界の人々のものであり、オリンピック精神を公然と挑発する極少数の者の行為は、人々の支持を得られず、平和を愛しオリンピックの趣旨を擁護する人々に必ずや強い憤りを呼び、失敗する運命にある」云々――。
中国政府の立場に立った利害が言わせているに過ぎない言葉の数々となっている。「オリンピックの聖火は全世界の人々のもので」あったとしても、中国の人権抑圧政策は決して「全世界の人々のもの」ではないことが中国政府の立場上の態度に過ぎないことを最初から証明している。
新聞宣伝部長が言う「チベット独立分子」の側から言わせたなら、中国政府がどれ程の人権抑圧政策を敷いているかの共通認識を「全世界の人々のもの」とする意図で聖火を人権抑圧に対する抗議の標的としているということなのだろう。とにかく中国国内と違ってどのような取材制限もなく、情報操作のゴマカシもなく、即時に世界に向けて見たまま、ありのままが発信されるのだから。
聖火に向けた抗議活動は「オリンピック精神を公然と挑発する」行為だと非難しているが、「オリンピック憲章」は「根本原則」で「オリンピック精神」を次のように伝えている(一部抜粋)。
「オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。」・・・・
聖火ランナーに向けた抗議活動が、それが例え「暴力」を用いた阻止を目的としていたとしても、「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立」に真っ向から「挑発」、逆行させる人権抑圧政策と比較した場合、どれ程に重大な罪を犯していると言えるだろうか。
オリンピックの精神が求める「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立」と相反する人権抑圧社会の確立を行っている中国である。それを第三者に向けて「平和を愛」するとかしないとか口にする資格もないのに口にするのはやはり立場上の利害が言わせていることだから破廉恥を省みずに言えることなのだろう。
そもそもからしてオリンピックを開催する資格自体がなかった。また、「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立」にまで至っていない人権後進国の中国に国際オリンピック協会が自らが掲げるオリンピック憲章に反してまで開催を許したこと自体が間違っていたのである。
このことはドーピング違反を犯してメダルを獲得する選手よりも質が悪く、その罪はより重いのではないか。
北京五輪の聖火リレーがロンドンとパリで妨害されたことに対する中国外務省姜瑜副報道局長の非難の言葉を『毎日jp』(2008年4月8日 12時27分)≪北京五輪:「卑劣な行為」 聖火リレー妨害で中国外務省≫が次のように伝えている。
「この卑劣な行為は崇高な五輪精神を汚し、五輪を心から愛する全世界の人々への挑発だ。・・・・トーチが伝える平和、友情、進歩の理念は何人も妨げることはできない」
中国のチベット人や新疆ウイグル族や国内人権活動家に対する人権抑圧は決して「卑劣な行為」ではなく、「崇高な五輪精神」にも反しない「崇高な」中国政策だとする立場なのだろう。そのような利害に立った態度となっている。中国の対チベット政策は「トーチが伝える平和、友情、進歩の理念」に添ったもので、「何人も妨げることはできない」。
トーチがいくら「平和、友情、進歩の理念」を伝えようとも、中国の人権抑圧政策がそれを相殺してその非人間性のお釣りが出る程なら意味もないことだが、立場上の利害が対チベット政策を「崇高な」正義と位置づけているからこそできる非難である。如何に人間の利害なるものが始末に悪いものか証明して余りある。
中国政府関係者及び中国オリンピック関係者が中国の利害に立って自己正当化の主張を展開するのはある面当然の行為だが、そのことは中国政府関係者にとどまらない。
国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長がパリ・ロンドンで聖火リレーが妨害されたことに関して「五輪の美しいシンボルが妨害されることは悲しい」と述べたと『asahi.com』(≪聖火リレー、ルート見直し検討も 国際五輪委≫2008年04月08日21時03分)が伝えている。
守るべきは「五輪の美しいシンボル」なのか、それとも中国の人権抑圧政策の犠牲となっているチベット人なのか。国際オリンピック委員会(IOC)の会長という立場上の利害からしたら、中国の人権抑圧政策の犠牲となっているチベット人を守ることよりも、「五輪の美しいシンボル」をこそ守ることを優先させるのも無理はない選択ということなのだろう。
そう、「五輪の美しいシンボル」さえ守ることができればいいのです。チベット人のことなどどうでもいいことなのです。
国際オリンピック委員会(IOC)会長がこうだから、フェルブルッゲン北京五輪調整委員長にしても副会長のリンドベリにしても同じ利害感情に侵されて次のように言っている(≪妨害は「非常に悲しい」 副会長は「罪悪」と批判≫日経インターネット記事/08.4.8)。
フェルブルッゲン「われわれの聖火がこのように利用されるのを見るのは悲しい。聖火の意義はもっとほかにある」
聖火に人権抑圧政策に対する抗議の「意義」を持たせたことなどオリンピックを開催する側の立場の人間の利害からしたら、気づくこともない無「意義」なことなのだろう。
リンドベリ「聖火は平和と非暴力の象徴。聖火リレーを利用するのは、ほとんど罪悪だ」
自由と平等、人権を保障する民主主義国家がオリンピックを開催してこそ「聖火は平和と非暴力の象徴」となり得る。オリンピック発祥の地アテネからリレーされ、人権抑圧国家の中国の地に於いて開会の瞬間を告げる聖火を「平和と非暴力の象徴」だとするのは中国に於ける現実を反映しない倒錯そのものであろう。現実世界を映さない象徴は象徴としての意味を失い、単なる形式(この場合はスローガン)にとどまる。
だが、国際オリンピック委員会の人間の利害からしたなら、開催国を決めるに当たって選考の決定権を持つ委員が開催立候補国の国内オリンピック委員から高額の接待を受けたり高額の贈り物を受けて情実を働かせて決定したとしても、そんなことは些かも「罪悪」だと思わずに「聖火は平和と非暴力の象徴」であり続けるだろう。自己が置かれている立場上の利害からしたら当然の感覚である。
国際オリンピック委員会(IOC)の猪谷千春副会長「抗議をするのは言論の自由の世界で認められているが、暴力があってはいけない。ロンドンではかなり暴力があった」
男子棒高跳び世界記録保持者ブブカ理事「表現の自由は支持するが、世界で最も美しい理念である五輪を政治的に利用してはいけない。聖火リレーを攻撃するのは間違っている」
いずれも「日刊スポーツ」(08.4.7記事≪聖火リレー妨害にIOC「暴力は残念」≫)
五輪は暴力も政治利用も似つかわしくない「世界で最も美しい理念」を体していると後生大事に掲げ、必要に応じてひけらかしたいだろうが、既に述べたように委員や理事の接待や贈物を受け取る卑しい人格性、あるいはドーピング行為まで働いてメダルを獲得しようとする跡を絶たないアスリートたちの浅ましい功名心、国威発揚を目的としてカネを集中的にかける不純な選手育成、あるいは法外な懸賞金でメダル獲得に尻を叩くあざといメダル狙い等を考えた場合、オリンピック開催関係者の側の利害が言わせている「理念」、「オリンピック精神」に過ぎないことがバレバレとなる。
世界205カ国・地域の国内オリンピック委員会で構成する各国オリンピック委員会連合(ANOC)が4月7日に北京で総会を開き、声明を発表したと「毎日jp」(08.4.7≪チベット問題:五輪開催支援などの声明承認 ANOC≫)が伝えている。
<声明には、北京五輪開催を全面的に支援する▽すべての国・地域が北京五輪に参加し大会に貢献する▽大会を政治的に利用することを拒否する▽中国政府が対話と理解を通じ、チベットにおける内政問題の解決に努めると確信する--などを盛り込んだ。チベット問題の解決は要求ではなく「確信」と表現することで、中国に配慮したとみられる。・・・・>――
この「確信」が如何に当てにならないものか、気づいていないとしたら詐欺師だ。気づいて、自分が置かれた立場上、そう言わざるを得ない利害に迫られて盛り込んだ体裁上の文言に過ぎないだろう。中国が「対話と理解」などそっちのけで自分たちのペースで対チベット中国化を果たそうとしているのは既に明らかになっていることだからである。
つまるところ、オリンピック開催関係者の利害が「正義」であり、チベットの人権抑圧に対する抗議は「挑発」、「罪悪」、「暴力」、「理念に反する」非正義として片付けられる。
そのことは次の「人民網日本語版」(≪ANOC「北京は五輪史上最も成功した五輪都市になる」≫2008年04月07日)が最もよく証明している。
<各国オリンピック委員会連合(ANOC)主席で、国際オリンピック委員会(IOC)執行委員のマリオ・バスケス・ラーニャ氏は6日北京で、「北京五輪組織委員会の準備業務は非常に円滑に進んでおり、北京が、五輪史上最も成功を収めた開催都市となる日も近くなっている」と述べた。
中国メディア数社の取材に対し、バスケス氏は、「北京五輪の準備業務は綿密で、完備されたものである。また、北京市内も大きく変化している。北京五輪の準備業務に対し非常に満足している」と述べている。
パン・アメリカンスポーツ機構(PASO)の主席も兼ねる、メキシコ人のバスケス氏は、「オリンピックスポーツの主旨とは、発展を推進し、全世界の団結や友好を促すもの。開催準備中の五輪都市である北京は、今、大きく変わろうとしており、北京市民も更に開放的になっており、また自信も備わってきている」と述べている。
バスケス氏はまた、「北京五輪の功労は、中国国民すべてに属すもので、その成果は全世界の人々に属すものだろう。北京五輪の成功は、中国国民と世界の人々との友好的な交流を促すだろう。ANOCは、各方面で、北京五輪のサポートをしていくつもりだ」と述べている。
ANOCは、205の国・地域オリンピック委員会で構成されており、第16回各国オリンピック委員会連合会議は、4月7日から9日まで北京で開催される。>――
中国が「五輪史上最も成功した五輪都市にな」ったからといって、人権抑圧政策が帳消しになるわけでもないのに、そうなるとでも考えているのだろうか。お祭りが終われば現実が姿を現わす。
開催国を中国と認めたことが間違っていなかったことを世界に知らしめることができる唯一の絶対条件が北京オリンピックの大成功、中国が「五輪史上最も成功した五輪都市にな」ることなのだから、利害上、北京オリンピックの成功を確信し、謳い上げなければならない。そして利害の点からも意識の点からもチベット問題も人権抑圧問題も排除することによって、成功は約束される。彼らの利害がそう要求している。
となると思想・表現の自由に関わる「基本的人権」の敵・抑圧主体にそれぞれの人間ガ抱える「利害」を付け加えることを忘れてはならない。
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