籾井NHK会長発言“従軍慰安婦は他国にもあった”とそれを伝えないNHKの事実を隠蔽する報道の自己規制

2014-01-27 09:39:22 | Weblog

《慰安婦問題「蒸し返されるのはおかしい」 籾井NHK会長会見要旨》MSN産経/2014.1.25 21:05)

 籾井NHK新会長「慰安婦は、今のモラルでは悪い。僕はいいと言っているのではない。しかし、そのときの現実としてあった。この2つを分けないと分かりづらい。個人的見解だが、韓国だけではなく、戦争地域に僕はあったと思う。ほかの地域になかったという証拠はない。ドイツにもフランスにも、ヨーロッパにはどこでもあっただろ う。この問題は、韓国が日本だけが強制連行したように主張するから話がややこしい。それは日韓基本条約で国際的には解決している。それを蒸し返されるのは おかしい」――

 籾井会長のような人間がいるから、今までブログ等に書いてきた同じようなことを繰返して書かなければならなくなる。

 言っていることは一面的には正しい。確かに従軍慰安婦はドイツやフランスにもあったはずだ。第2次世界大戦でドイツが占領したフランスでフランス人女性がドイツ人兵士に売春行為を働いて、敵国に身を売ったと頭を丸坊主にされた女性も存在した。

 但し彼女たちは生活のため、その他の理由で自ら進んで身を投じた売春婦であったはずだ。

 だが、軍が売春業者を使って女性を募集しただけではなく、軍自らが直接関与して未成年者を含む若い女性を暴力的に略取・誘拐して彼女たちの身体と精神の自由を奪い、軍自らが売春宿を経営した例は第2次世界大戦中、日本軍を措いて他にはないはずだ。

 軍自らの経営であることは性病予防のために慰安所に軍医を置いていたことが何よりの証明となる。 

 上記例はインドネシア人女性元従軍慰安婦からの聞き取りを書き記した『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・山田道隆訳・コモンズ)の書物内容を引用する形で、2014年1月5日の当ブログ記事――《日本軍は戦時中のインドネシアで未成年者略取及び誘拐の罪を犯して従軍慰安婦狩りしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 書物には軍の兵士がトラック等で乗り付けて直接略取・誘拐していった例と留学の口実で集めて従軍慰安婦に仕立てた例が書かれているが、後者は日本軍が備えていた有無を言わせない威嚇性・強制性を手段とした従軍慰安婦狩りであったのだから、いわば後難を恐れて仕方なしに従った経緯を辿っていたのだから、実態は仮面の裏側に強制連行の力学を隠した従軍慰安婦刈りと言えるはずで、この構造は前者と同じであるはずだ。

 前者は収容所に収容していたオランダ人女性に対しても行われた。彼女たちの中には17、8歳の未成年女性も含まれていた。

 インドネシアで行われていたことが、例え文書で残っていなくても当時の朝鮮や中国で行われていなかったとする証明とはならない。インドネシアでの留学勧誘は常に口頭で行われて、軍が現地地区の代表に公告等の文書で伝えたのではなかったとしている。当然、文書の形としては残らないことになる。著者は軍の評判を落とすことになる証拠が残ることを恐れたからではないかとごく当たり前の推測を行っている。

 朝鮮半島の朝鮮人女性に対する強制連行ではないが、朝鮮人男性に対する労働動員のための日本への強制連行を記した文書は存在している。2007年4月24日の当ブログ記事――《初めに認めまいとする意志ありの従軍慰安婦認識‐『ニッ ポン情報解読』by手代木恕之》に書いたことだが、《朝鮮人 強制連行示す公文書 外務省外交史料館「目に余るものある」》朝日新聞/1998年2月218日)が、〈アジア・太平洋戦争末期に、植民地だった朝鮮半島から日本へ動員された朝鮮人に対して、拉致同然の連行が繰返されていたことを示す旧内務省の公文書が、外務省外交史料館から発見された、「強制連行」についてはこれまで、被害者の証言が中心で、その実態が公式に裏付けられたのは初めてと見られる。水野直樹・京都大学助教授が発見、整理した。28日、「朝鮮人強制連行真相調査団」を主催して千葉市で開かれるシンポジウムで発表される〉――
    
 この公文書は内務省嘱託員が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられ、1944年7月31日付で内務省管理局に報告した「復命書」だという。

 いわば身内の実見記録である。これ程の証拠はない。

 この「復命書」にかんして、「Wikipedia」の項目、《「朝鮮人強制連行」》には次のように解説されている。 

1944年7月31日付、内務省嘱託 小暮泰用から内務省管理局長 竹内徳治に提出された「復命書」

・「四、第一線行政の実情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何」

…民衆をして当局の施策の真義、重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固より無理強制暴竹(食糧供出に於ける殴打、家宅捜査、呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見るが如き不詳事件すらある。斯くて供出は時に掠奪性を帯び志願報国は強制となり寄附は徴収なる場合が多いと謂ふ

・「六、内地移住労務者送出家庭の実情」

「…然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果たして如何であろうか、一言を以って之を言うならば実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない。朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさることながら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である…」

・「七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何」「動員の実情」

徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである。

この復命書について、元朝鮮総督府高級官僚であった大師堂経慰氏は「この報告は朝鮮総督府への要求を緩和させるための、陳情の目的もあった事を理解して頂きたい」「これは朝鮮全体として見ると、決して一般的ではなかった。地方地方で事情が異なっており、各人により対応が異なっていた」と語っている。〉――

 「無理強制暴竹」の「暴竹」とは、竹を用いた殴打のことを指すのだとしたら、江戸時代の牢屋の取りべ場面を戦中に実現させていたことになる。あるいは戦前の日本の警察の取り調べでは依然として竹を用いた殴打を自白強要の装置としていたのだろうか。

 いずれにしても、「殴打」、「呼出拷問」、「不意打的人質的拉致」、「傷害致死事件」、「寄附は徴収」、「人質的掠奪的拉致」、「夜襲、 誘出」等々、強制外の何ものでもない言葉が並ぶ。

 この強制が現地の朝鮮人警察官が行ったものだとしても、日本軍の威嚇性・強制性を背景とした情け容赦のない暴力的強制であったはずだ。

 最後の元朝鮮総督府高級官僚であった大師堂経慰氏の釈明「この報告は朝鮮総督府への要求を緩和させるための、陳情の目的もあった事を理解して頂きたい」は、例え上からの指示で強制連行に於ける強制性が緩和されたとしても、あくまでも上からの指示に対する従属であって、本性自体は上の指示に自由な場でこそ現れる。

 いわば上の指示に自由な場で現れる姿こそ、長年の慣習によって積み上げられ、築き上げることになった本性だということである。日本人でさえ、日本軍人は警察官以上に怖い、絶対的な存在であった。

 「これは朝鮮全体として見ると、決して一般的ではなかった。地方地方で事情が異なっており、各人により対応が異なっていた」と言っていることも、日本軍自らが体現していた威嚇性・強制性を身内であるからこそ自覚していなかったことが理由となった自身に対する慰めでしかないことは、中国からも労働徴用の強制連行が行われていたことが証明している。

 労働徴用の強制連行ではないが、強制性を持った連行の一つについて、戦争中インドネシアに日本海軍の主計官として派遣されていた中曽根康弘元首相が自身の著書で次のように書いている。

 中曽根康弘「3000人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」――

 「原住民の女を襲うもの」が出たとは例え一時的な措置であったとしても、略取・誘拐・強姦の強制行為以外の何物でもない。そこに未成年のインドネシ女性が含まれていなかった保証はない。

 調べてみると、中曽根康弘の所属する部隊がインドネシア・ダバオに上陸したのは1942年である。「復命書」は1944年7月31日付。それ以前から行われていた暴力的強制連行であるのだから、さして時間差はない。

 「決して一般的ではなかった」とする日本軍の各種強制連行・強制行為の非一般性は根拠のない証明と化す。

 かくかように日本軍が直接関わって未成年者を含む若い女性を拉致・誘拐し、拉致・誘拐した場合の女性に対しては慰安所に閉じ込めて身体と精神の自由を奪い、集団強姦の生贄とした例が、いくら「個人的見解」だとしても、果して「韓国だけではなく、戦争地域」に於いて日常的な風景としていたと言えるのだろうか。あくまでも日本軍に特殊な風景・慣習としか思えない。

 各マスコミがこの発言を批判的に捉えて報道しているにも関わらず、NHKはこの発言を抜かした報道となっている。理解できるように全文を参考引用しておく。

 《NHK 籾井新会長が記者会見》NHK NEWS WEB/2014年1月25日 18時 29分)

25日、NHK の新しい会長に就任した籾井勝人会長が記者会見し、不偏不党や公平をうたった放送法の順守に努めるとともに、国際放送の充実に取り組む考えを示しました。 籾井会長は70歳。三井物産の副社長などを経て、ITサービス会社の日本ユニシスで社長や特別顧問などを務めました。

記者会見で、籾井会長は「私がまず第一に挙げているのは放送法の順守で、放送法に沿った経営をやっていくことが、われわれに課された重大な任務だ。職員一同が放送法をもう一度身近に考えるよう徹底していきたい」と述べ、不偏不党や公平をうたった放送法の順守に努める考えを示しました。

また、籾井会長は「国際放送の充実など、さまざまな課題をしっかり実行に移していきたい」と述べました。

 報道の自由である。何を伝えるか伝えないかの取捨選択は各マスコミの選択にかかっている。だが、新会長の記者会見を一つの社会的な出来事としてニュースで取り上げておきながら、事実を取捨選択して、そこに現れた重大な発言を事実通りにありのままに伝えない報道は、果たして報道の自由の範疇に入るだろうか。

 もしそれが報道の自己規制だとしたら、自ら報道の自由を踏みにじる事実隠蔽に相当し、公共放送として大問題となる。


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