2017年4月17日の当「ブログ」に小学校では来年の2018年度の春から(中学校では2019年の春から)「道徳」が教科化されることになり、教科書出版会社の東京書籍が小1向け道徳教科書にそれまでは教科外活動であった「道徳の時間」で副読本の中で用いていた小1児童がおじいさんとパン屋に寄ってパンを買う「にちようびの さんぽみち」をそのまま載せたところ、検定意見が付き、パン屋を和菓子屋に変えると検定をパスすることができた検定事情を取り上げた。
文科省はパン屋に対して検定意見を付けた理由を、「学習指導要領に示す内容(伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を学ぶ)に照らし扱いが不適切」だったからとしていると2017年4月5日付「毎日新聞」記事が伝えていた。
文科省が「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」と言うからには、日本の「伝統と文化の尊重」であり、日本の「国や郷土を愛する態度」と言うことであって、パンは日本の「伝統と文化」の尊重には当たらないし、日本の「国や郷土を愛する態度」を養うことはないと見ていて、和菓子なら、日本の「伝統と文化」を尊重することになり、日本の「国や郷土を愛する態度」を養うに適うと見ていることになる。
だが、戦後の日本に限ると、食文化に於ける普及度や地位は和菓子よりもパンの方が遥かに優位な位置につけているはずである。
ネットで調べたところ、2016年の和菓子小売金額は4750億円。対して2016年のパン1世帯当たりの支出金額は30,294円。2015年の国勢調査に於ける日本の世帯数5340万世帯。30,294円✕5340万世帯≒1兆6千200億円。
一般家庭に於けるパンの食文化は戦後に普及し、その地位を確立した。
と言うことは、文科省が道徳教育に於ける涵養の必要性として挙げている「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」は日本の戦前から存在した「伝統と文化の尊重」を言い、そうである以上、日本の戦前の姿を持たせた「国や郷土を愛する態度」を求めていて、「伝統と文化の尊重」と「国や郷土を愛する態度」を戦前というキーワードで一体化させていることになる。
いわば安倍政権は小中学生に対して道徳教育を通して現在の日本や郷土の在り様よりも、戦前の「国や郷土」の在り様を道徳教科書によって再現させて、それらを愛する態度の涵養に重点を置いていることになる。
このことを証明してくれる記事がある。《伝統・愛国心・郷土愛…教科書に描かれる「日本」とは?》(asahi.com/2017年4月17日10時12分)
冒頭次のように記している。
〈文部科学省の今回の検定に合格した教科書には、「日本の伝統や文化」「愛国心や郷土愛」を意識した記述が各教科で並んだ。2006年の第1次安倍内閣で改正された教育基本法に従い、学習指導要領で日本の伝統や文化を扱うよう求めているからだ。教科書に描かれる「日本」とは――。〉
そして教材の目立った使用例を挙げている。
お正月の過ごし方やおせち料理、風呂敷の使い方等の日本の風習や文化。浮世絵等の日本の芸術。
何事に於いても日本の戦前の「伝統と文化」が徐々に変化したり、薄れていく中にあって、日本の戦前そのものの「伝統と文化」に重きを置いた傾向を窺うことができる。
そのような姿を持たせた「国や郷土」を重視する。
このことは記事が挙げている教材の一例に現れている。
〈日本文教出版は小5の教科書で「和太鼓調べ」と題し、主人公の「佳代」が、地域の和太鼓職人を訪ね、様々な発見をする物語を掲載した。〉
戦前とは違って戦後の時代が下るに連れて一般的ではなくなった和太鼓という話題を取り上げているのは文科省が主張する日本の戦前から存在した「伝統と文化の尊重」に添う意図が教科書出版社側にあったからだろうし、同じく文科省が重視している「伝統と文化の尊重」と一体化させた日本の戦前の「国や郷土を愛する態度」を育むに役立つと計算したからだろう。
さらに記事は文科省の意図に添う教材の使用例を紹介している。
〈広済堂あかつきは小3の教科書で、明治時代に大師河原村(現川崎市川崎区)で生まれた「長十郎梨」をテーマに、梨作りに生涯を捧げた地域住民の姿を紹介。話の終わりには「きょう土のためにつくした人について、家の人や地いきの人に聞いたり、本を読んだりして調べてみましょう」との問いも設定した。日本文教出版も小5の教科書で北海道で生まれた米「ゆめぴりか」の開発過程を紹介、全国の地域ブランド米も取り上げ「米作りから、ちいきのことを考えよう」と投げかけた。〉
前者は明治時代の農村の住民の姿を学ばせ、後者は、「ゆめぴりか」は「Wikipedia」に〈2008年に北海道の優良品種として採用された極良食味米〉と紹介されていて、戦後の産物だが、日本が伝統とし文化としてきた農村という地域を共通項としている点で、文科省が望む、と言うことは安倍政権が望む日本の伝統性・文化性に添い、それが日本の戦前の「国や郷土を愛する態度」の育みに繋がると見ていることからの教材化であろう。
勿論、道徳の教科が日本の戦前からの「伝統と文化の尊重」と、これと一体化させた日本の戦前の姿を持たせた「国や郷土を愛する態度」を育むことだけではないことは承知している。
文科省の《学習指導要領「生きる力」の「道徳」の項目、「主として集団や社会とのかかわりに関すること」を見てみる。
(5) 郷土の伝統と文化を大切にし,郷土を愛する心をもつ。
(6) 我が国の伝統と文化に親しみ,国を愛する心をもつとともに,外国の人々や文化に関心をもつ
しかし、なぜ戦前の価値観を前面に出すのかである。戦後食文化の仲間入りを果たし、日本の文化となり、先後の日本の伝統と化していくパンではダメだとしているところに戦前の価値観の重視が否定し難く現れている。
(5)、(6)以外の(1)、(2)、(3)、(4)を見てみる。
(1) 約束や社会のきまりを守り,公徳心をもつ。
(2) 働くことの大切さを知り,進んでみんなのために働く。
(3) 父母,祖父母を敬愛し,家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくる。
(4) 先生や学校の人々を敬愛し,みんなで協力し合って楽しい学級をつくる。
規律を一律的に並べているところにも戦前の教育の価値観を見てしまう。
なぜなら、個々の道徳を決定するのはこういった一律的な規律の教えではなく、個々が時々に応じて抱えることになる利害だからだ。
時として規律はどう教え込まれようとも、利害の前に無力と化す。
自民党の中川俊直経済産業政務官が結婚していながら女性との不倫問題で政務官を辞任した例は女性に対する欲望という利害を優先させた結果、大の大人として備えていなければならない規律を否応もなしに無力化させてしまったことを示している。
真面目に働き、父母や祖父母を敬愛し、家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくっていた人間が何かの経済的なアクシデントを抱えてカネに困ると、往々にして人のカネを騙し取ったりするのは貧すれば鈍するで、カネ欲しさの金銭的利害に負けるからであろう。
騙す相手が敬愛していた学校の恩師と言うことをあり得る。会社の親しい同僚という例はいくらでもあるに違いない。
政治家が「政治とカネ」の問題で過ちを犯すのも、金銭的な利害に身を任して、正直さという守るべき規律を忘れるからであろう。
また、利害という価値観は戦前も戦後も変わらない。教科書会社は戦前も教科書採用のために役人や教師にカネをバラ撒き、買収に血眼になっていたし、戦後も似たような事件が起きている。全ては教科書会社のカネ優先の利害行為がなせる技であろう。
いくら安倍政権が戦前の価値観を教え込もうと、「政治とカネ」の問題は戦前に於いても存在した。そして法律が不完全ながらどうにか律している「政治とカネ」となっている。
「政治とカネ」を自らの規律で守ることができている政治家はその殆どはカネ集めに苦労を知らない政治家であろう。
当然、道徳は現実社会から利害に応じて善悪様々に変えていく生きる姿を拾い出して、そのような十人十色、百人百色の人生があることを教え、考えさせることにあるはずだ。如何に人間は利害に弱い生き物であるかを教える。
過去に生きた偉人の物語を教えても、現実の利害の前にあってはどれ程に役立つだろうか。
役立つとしたら、さしたる利害に出会わない無難な人生を送ることができた人間に限られるはずだ。
戦前の価値観を教え込もなどというのは道徳教育に入らない。以ての外である。