1月4日は官公庁や一部企業のの仕事始めだそうだ。1月4日付「中国新聞」WEB 記事――《広島県内各地で仕事始め》が広島市役所での秋葉忠利市長の250人の職員を前にして行った仕事始めの訓示を伝えている。
「2020年までの核兵器廃絶の夢を実現する暁には、平和の祭典である『広島・長崎五輪』を実現したい。世界的な意義はあるが、課題もある。検討をさらに深めていきたい」
「2020年」まであと10年。いや、10年の期限を切らなくても本当に核兵器廃絶世界の到来を何ら誤魔化しもなく頭から信じているのだろうかと思った。
頭から信じて言っているとしたら、合理的判断能力を欠いているとしか思えない。勿論、個人的感想である。
もし信じていないのに唯一の被爆国・被爆都市の一つの市長という立場上言わざるを得ないから言っているとしたら、人を欺く行為となる。
この世界に軍隊が存在する以上、最強の兵器である核兵器はなくなることはないと信じている。理由は唯一つ、それが敵に壊滅的な打撃を与えることができる最強・最大の殺傷兵器だからだ。
核兵器に代る最強・最大且つより簡便に使用可能な新兵器が開発された場合は核兵器は廃絶可能となるだろうが、今度は核兵器に取って代わった最強・最大の新兵器の平和への脅威が問題となり、その扱いや管理が新たな課題として浮上し、片付かない問題となる。
国レベルの核廃絶への努力は壁が高いことから、住民により近い立場にある都市が連帯して、核保有国へ政策変更を求めていくことなどを目的とした1982年設立の4年に1度総会開催の平和市長会議は被爆60年の05年から加盟都市が増え始め、オバマ米大統領の核廃絶宣言の影響もあって、今年は過去最多の860都市が参加。09年12月1日現在の加盟都市数は134カ国・3396自治体に広がっていると「毎日jp」記事――《平和市長会議:県内初、越前市が加盟 核廃絶へ、全都道府県出そろう/福井》(2009年12月18日)が伝えている。
これまでの会議で、あるいは活動で核保有国の核廃絶に向けてどれ程の進展を示し得たのだろうか。あるいは核保有国の政府に対して核廃絶に向けた行動をどれ程に促し得たというのだろうか。参加都市が増えたという実績の獲得で終わるのではないだろうか。
少なくとも1982年設立以来、北朝鮮の核保有を断念させる有効な働きかけを北朝鮮政府に対して直接的に、あるいは北朝鮮以外の国内外の政府、あるいは国際機関を通して行うことはできなかった。同じくイラン政府の核保有意志を阻止する有効な働きかけを現在までの間実現できないでいる。
と言うことは、同じ理念を持つ都市同士の親睦会で終わっている疑いが浮上する。
記事は国内参加都市に関して、〈これで47都道府県のすべてに加盟する市町村ができた。事務局を務める広島平和文化センターは「国内全都市の参加を目指しているが、まず空白の都道府県がなくなったことを喜びたい」と話している。〉と核廃絶の進展に直接的にも間接的にも結びつくわけではない実績を挙げている。
日本政府に対しての具体的な働きかけを「msn産経」記事――《核廃絶議定書で政府に要請 広島市議会で意見書可決》(2009.12.18 20:06)から見ることができる。
昨年の12月18日に広島市議会が2020年までの核兵器廃絶に向けて各国が取り組む具体的な道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が2010年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で採択されるよう政府の取り組みを求める意見書を賛成多数で可決したのを受けて、秋葉広島市長は12月11日に長崎市議会で既に同趣旨の意見書を可決した長崎市長と共に両市議会議長を同道して上京、岡田外相に意見書を手渡し、協力を要請する予定だと伝えている。
上京は12月21日の午後で、岡田外相が〈「よく検討して努力したい」と応じた。〉と12月12日付「時事ドットコム」は伝えている。
この意見書採択協力要請に先立つ2009年9月16日就任後10日足らずの現地時間9月24日の国連安全保障理事会で鳩山首相は日本が核廃絶に向けて先頭に立つ決意を述べている。
鳩山首相「日本は核兵器による攻撃を受けた唯一の国家です。しかし、我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選びました。それこそが唯一の被爆国として、我が国が果たすべき道義的責任と信じるからです。近隣国家が核開発を進めるたびに、『日本の核保有』を疑う声が出るといいますが、しかし、それは被爆国としての責任を果たすため、核を持たないのだという我々の強い意志を理解していないからです。私は今日、日本が非核三原則を堅持することをあらためて誓います。世界は核拡散の脅威にさらされています。北朝鮮やイランの核問題、テロ組織による核物質や技術入手の可能性など、核不拡散の取り組みが重大な局面を迎えているというのが厳しい現実です。だからこそ、日本は核廃絶に向けて先頭に立たなければなりません。今年4月に(アメリカの)オバマ大統領が『核兵器のない世界』の構想を示したことは、世界の人々を勇気づけました。今こそ我々は行動しなければなりません」(《日本は核廃絶に向けて先頭に立つ~鳩山首相》日テレNEWS24/2009年9月25日 1:51)
アメリカの核の傘の保護下の許に国の安全保障を築いてきた過去・現在を抱えながら、「核廃絶」を訴える矛盾した道義的責任は問うまい。日本が唯一の被爆国だからと核廃絶を訴える道義的責任以前に広島・長崎への原爆投下が避け得なかった事態だったのか、時の政府及び軍部も加害者として一枚加わって招いた惨事ではなかったのか、その道義的責任を検証・総括する道義的責任を後世の政府は負っているはずだが、それを抜きに被害者の立場からの道義的責任のみを取り上げる矛盾を犯している。
そしてこのような矛盾が表に現れないまま、国連安全保障理事会は核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合で「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。
さらに「昨年から今年にかけて」と08年~09年を指して言っているから、麻生前政権下でのことなのか、日本政府当局者が、〈核軍縮に伴って核の傘の信頼性が低下しかねないとの懸念〉を米議会の諮問委員会に伝え、〈米国に維持してほしい核戦力を「信頼性」「柔軟性」など6項目に分類。近代化された核弾頭、原子力潜水艦、B52爆撃機などを具体例として列挙した書面を提示し〉たことを諮問委員会の副座長を務めたジェームズ・シュレジンジャー元国防長官が朝日新聞に対して明らかにしたと、「asahi.com」記事――《日本「核の傘」縮小を懸念 自公政権時に米に伝達》(2009年11月6日3時1分)が伝えているが、記事が〈被爆国として核廃絶を訴える日本が、その裏で核戦力の維持を米国に求めていた形になる。〉と解説している矛盾を、鳩山新政権に関係ないこととは言え、日本は犯してさえいる。
記事は、〈諮問委は、政権政党の見方に縛られない超党派の機関としてブッシュ前政権時の08年5月に発足し、専門家らの聞き取りなどの作業を経て、今年5月に核政策の提言をまとめ、オバマ政権に提出した。政権側は現在、この提言などを踏まえた形で、今後5~10年の指針となる「核戦略見直し」(NPR)を作成しており、来年初めにも発表する。 〉と解説している。
そして2009年12月2日になってアメリカの核の傘の保護下の許に国の安全保障を築いてきた過去・現在の矛盾をそのままにして国連総会本会議は核廃絶に向けて核軍縮を訴える日本主導の決議案を賛成171、反対2、棄権8で採択する。(《米含む171カ国賛成 日本主導の核軍縮決議》(asahi.com/2009年12月3日11時4分)
記事は、〈唯一の被爆国として決議採択を推し進めてきた日本にとって、今年の最大の成果は、米国が9年ぶりに賛成に転じたことだった。米国は初めて共同提案国にも加わり、過去最多の87カ国が名を連ねた。〉とその成果を誇っている。
日本にとって、「唯一の被爆国」がほかにたいして誇るものはない成果となっているようだ。いくら171カ国が賛成し、アメリカが初めて共同提案国に加わったとしても、肝心の北朝鮮が反対したのでは「米含む171カ国賛成」なる“成果”はさして意味を成さないばかりか、帳消しされかねない。賛成国の殆んどが核非保有国だろうからだ。
核保有国のインドも反対に回り、反対が昨年より2カ国減ったとはいうものの、中国、フランス、パキスタン、イスラエルなどの核保有国が棄権したのではこれらの国を核廃絶の蚊帳の外に置いた核廃絶決議という倒錯を演じたに過ぎない国連総会本会議となる。
記事は次のような解説を載せている。
〈総会決議に拘束力はないが、オバマ米大統領が提唱する「核兵器のない世界」の実現を後押しし、核軍縮を目指すという決意を国際社会としてアピールする効果が期待される。 〉――
この「効果」は北朝鮮、インド、中国、フランス、パキスタン、イスラエルなどの主たる核保有国を除いた国際社会向けの“アピール”が可能とする「効果」に過ぎないのは言うまでもない。
鳩山首相は09年9月4日の国連安全保障理事会の「核廃絶」で日本が先頭に立つことを訴えた演説で、「今年4月にオバマ大統領が『核兵器のない世界』の構想を示したことは、世界の人々を勇気づけました。今こそ我々は行動しなければなりません」とオバマ演説が行動への契機となったことを明らかにしているが、09年4月のプラハでのオバマ演説を「asahi.com」記事――《オバマ大統領、核廃絶に向けた演説詳報》(2009年4月5日23時14分)を参考に見てみる。
米国は核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある、とした上で、ロシアと新たな戦略兵器削減条約の交渉推進、核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を表明し、核実験の世界規模での禁止のための包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准、核兵器に必要な材料を遮断するための核兵器用の核分裂性物質の生産を検証可能な方法で禁止する新条約(カットオフ条約)の批准、核不拡散条約(NPT)の強化と国際的な査察を強化するために国際原子力機関(IAEA)に対する資源と権限の強化、国連安全保障理事会の規則・条約、及び核拡散違反を拘束力あるものとすること、イランに対する核開発への警告、テロ組織に核兵器が渡ることの脅威の阻止、核物質の闇市場の壊滅、移送中の物質を探知・阻止し、財政手段を使ってこの危険な取引を妨害する取り組みの強化等々を挙げて、最後に格調高く次のように訴えている。
〈こんなに広範囲な課題を実現できるのか疑問に思う人もいるだろう。各国に違いがあることが避けられない中で、真に国際的な協力が可能か疑う人もいるだろう。核兵器のない世界という話を聴いて、そんな実現できそうもない目標を設けることの意味を疑う人もいるだろう。
しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病(おくびょう)なことだ。そうやって戦争が始まる。そうやって人類の進歩が終わる。
我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人びとの気持ちを沸き立たせることができると知っている。しかしだからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げられなければならない。
その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。
人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ。 〉――
だが、すべては〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。〉、その〈一方で、米国の核戦力を削減する努力を始める。〉という条件つきの矛盾した核廃絶宣言となっている。
なぜ矛盾しているかと言うと、米国と敵対する国、あるいはテロ組織にとっても〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。〉を自身に有効な核兵器所有正当化条件とすることができるからだ。
この核兵器所有正当化条件は既に北朝鮮が使っている。
さらに言うと、アメリカが北朝鮮になどに対して使う言葉で、アメリカが“完全かつ検証可能な形”で核廃絶しなければ、我々は核廃絶に同意できないとする不信を必然的に誘導し、平行線を否応もなしに招くオバマの〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する〉云々でもあるからだ。
オバマはイランに対して次のようにも言っている。
〈イランの脅威が続く限り、ミサイル防衛(MD)システム配備を進める。脅威が除かれれば、欧州にMDを構築する緊急性は失われるだろう。〉
この言葉はイランのアフマディネジャド大統領も使うことが許される言葉であろう。
〈アメリカ及びイスラエルがイランに敵対し、その脅威が続く限り、核兵器開発を進める。脅威が除かれれば、核兵器を開発する緊急性は失われるだろう。〉
結果としてどちらも意地でも核兵器を廃絶できない袋小路に招く平行線の誘導で終わる。
私自身は常々、理想は買えるが、非現実的な核兵器廃絶よりも独裁政治追放決議の方がより現実的ではないかと思っている。危険なのは核兵器等の大量破壊兵器ではなく、独裁者の存在だと言ってきた。すべてではないが、独裁者は自国民の自由や人権、生活の保障に自己権力行使の正当性を置かず、自己権力維持のための自己権力の行使という自己目的化させた正当性を国際的に認めさせる手段として核兵器等の大量破壊兵器に依存する。核兵器を持つことで、自国を大国の証明とし、併せて自己権力の正当性を証明する手段とする。自国民の自由や人権、生活よりも優先させる。国内的に自己権力を維持し、国際的に体制への干渉を防ぎ、体制の正当性を死守するための道具とする。
核兵器等に於ける根本問題は独裁者の存在であり、北朝鮮の金正日、イランのアフマディネジャド大統領がそのことを証明している。
アメリカ・ロシアがいくら核弾頭を削減したとしても、北朝鮮が例え1個しか所有していなくても、その核弾頭の削減、もしくは放棄に応じない場合はその核弾頭の方が遥かに危険である。ミャンマーが独裁権力の国内的・国際的維持保障のために北朝鮮等の援助により核弾頭の所有に向かって1個所有した場合、その1個の方が危険であろう。独裁者の存在が核保有の衝動に向かわせる。
核兵器は潜在的脅威であっても、常に現実的脅威であるとは限らない。独裁者の存在こそが現実的・かつ継続的脅威と言える。
勿論国連総会で独裁者追放決議を採択したとしても、実効的効力を持たない。核廃絶決議がプレッシャーにはなり得なくても、独裁者追放決議は少なくとも独裁者に対してプレッシャーにはなり得る。
そして何よりも核廃絶主張が自分たちも核兵器を所有していながらの主張であるところに全面的な正当性を欠き、反論の弱みを抱えることになるが、独裁者の根絶ということなら、自身がそうではなく、民主主義の擁護者であるなら、胸を張って堂々と主張できるところに正当性と強みを提示し得る。 |