犯行の背景は私の場合はどうしても日本人が行動様式にしている権威主義性に行き着いてしまうんですね。バカの一つ覚えで。自分なりに原因を探ってみたが、戯言で終わる可能性あり。悪しからず。
世界有数の電気街、若者文化の街――秋葉原の6月8日(08年)日曜日の歩行者天国で殺す相手は「誰でもよかった」無差別殺人が発生した。まず2トントラックで車両進入禁止の交差点内の歩行者の群れに猛スピードで突っ込み、何人かを撥ねて30メートル程走ってから車を停止させると、ナイフを持って交差点に引き返し、次々と歩行者と車に撥ねられて倒れていた者を刺していったという。
死者7人、重軽傷者10人。加害者は最近とみに職業的「残酷物語」の対象とされている派遣職等を転々としてきて、最後も派遣社員の職にあった25歳の若者。あるべきだった「歩行者天国」があるはずもない「歩行者地獄」へと一瞬にして暗転させた逆説性は人間社会に常に潜んでいる危険な不確実性をある意味象徴させた事件となった。
11日水曜日のNHKの朝のニュースが、殺人未遂の疑いで逮捕された男は「歩行者天国が始まるまで現場近くでトラックを止めて待っていた」と供述していることが分かったと報じていた。
無差別殺害の現場となった歩行者天国は毎週日曜日正午から開始されるということだが、12時半頃に凶行に及んでいるから、30分以上は待機していたことになる。事件の惨状から考えると、人通りが増えるのを待ちながら、その間憎悪をない交ぜた狂気を淡々と維持し、その憎悪混じりの狂気をトラックのアクセルを踏み車の加速に合わせて一気に臨界状態を跳び超え、爆発、破局へと持っていったに違いないと想像したが、13日金曜日の「asahi.com」インターネット記事≪事件直前「ためらった」、加藤容疑者、30分周辺回る≫は、周辺道路沿いに設置したいくつかの防犯カメラが犯行に使用した2トントラックが走行している映像を映し出していたと伝えていた。その理由は8日午前11時45分に「秋葉原についた」あと、凶行着手の歩行者天国開始から30分過ぎた午後0時半頃までの間トラックを一ヶ所にずっと停めて待機していたのではなく、「ためらい」があって車を走らせていたと供述しているいう。
あれだけの被害規模と凄惨な性格を持たせた事件である、どのような人間にしても「ためらって」当たり前の自然な行為であろう。カミソリで手首を切って自殺する人間のためらい傷に等しく、犯行結果からしたら、そのためらいは何程のこともない一過性の迷いでしかなかった。
いずれにしても反抗意志はためらいを遥かに上回った。誰に向けた憎悪混じりの狂気だったのか。自分と同じ年代の若者に向けたのか。あるいは年代に関係なしに社会のすべての人間に向けてなのか。犯罪を予告し、実行スケジュールを書き込んだのとは別のインターネットの掲示板に「勝ち組はみんな死ねばいい」と書き込んでいることから考えると、自分を社会の「負け組」に位置づけていて、社会の成功者に向けた多分嫉妬も混じっていた憎悪と怒り、苛立たしさが抑えきれずに殺意への狂気と化し、歩行者天国に集う人間を社会の幸福ゾーンに位置した成功者「勝ち組」に見立て、身代わりの生贄としたといったところだろうか。
この見方があながち間違っていなければ、「勝ち組」を罪ある存在と看做し、その罪の責任を秋葉原歩行者天国の歩行者である他者に転嫁し、断罪したことになる。それは自分にとって転嫁可能だったからだろう。本質的には八つ当たりに相当する行為だが、あまりにも代価の大き過ぎる慰藉となった。多分瞬間的な慰藉で終わって、時間の経過と共に後悔に取って代わられることになるのだろう。
衝動的ではなく、計画的であればある程、用意周到さを招いて目的行為は徹底化される傾向にある。
インターネットの掲示板に書き込んだという「勝ち組はみんな死ねばいい」、「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」、それにの言葉、さらい母親への家庭内暴力の可能性が彼をして反抗を犯す人間に仕立てた原因を解くカギになるような気がする。
その前にマスコミが伝えている各識者の解説の言葉を紹介してみたい。
NPO法人・東京自殺防止センター創設者西原由記子「書き込みは、誰かに気付いてほしいという思いの表れだ」(≪クローズアップ2008:「予告・実況」、東京・秋葉原殺傷 ゆがんだ自己顕示≫(毎日jp/2008年6月10日)
小宮信夫・立正大教授(犯罪社会学)「予告で、強いメッセージを発し自分も盛り上がる。若者の街の秋葉原を現場に選んでおり、社会への復讐や反撃の意味が込められている」(同上記記事)
福島章・上智大名誉教授(犯罪心理学)(自己顕示性を指摘したうえで)「携帯やネット社会の発達で、自分の存在を簡単に伝えられるようになった」(同情記事)
人間が社会の生きものであり、その一員である以上、自己を他者によりよく知らしめたい欲求は本能として持っている意識成分である。常によき理解者の出現を待っている。当然そのような意識の線上で書き込みを行うのだから、西原由記子の「書き込みは、誰かに気付いてほしいという思いの表れだ」は極当たり前のことを言っているに過ぎない。だが、実社会で自己にとってのよりよき理解者に恵まれていたなら、私のブログトップページの「恋人募集」と同じようなもので、わざわざインターネット上の仮想社会に自分という人間に「気づいて欲しいという思い」をぶつける必要は生じないのだから、仮想社会で理解者を知り得るかどうか、知り得たとしても実社会に取り込むことができるかどうか、それができなければ、期待した分、その反動が苦々しさを誘って実社会での空虚さを深めることになりかねない。
6月11日(月)の深夜から12日にかけてマスコミ各社が掲示板の書き込みに気づいて止めてくれる人間の出現を期待していた供述があったことを報じ始めた。時間の早い順に並べると、
●「犯行予告を書けば、誰かが通報して止めてくれるかもしれないと思った」
(時事通信社/2008/06/11-23:59)
●「ネットの犯行予告に気づいて、だれかが止めてくれればよかった」
(MSN産経/2008.6.12 01:08 )
●「通報されるなどして、誰かに止めてほしかった」(中日新聞/2008年6月12日 03時56分)
●(「秋葉原で人を殺します」など)ネットの犯行予告に気付いて、誰か止めてくれればよかった」
(サンスポ2008.6.12 05:11))
●「掲示板を見ている誰かに犯行を止めてほしかった」(NHK/12日4時45分)
これら供述は生活上の出来事の書き込み内容から自分という人間を理解して欲しいといった種類の「気づき」への期待もしくは願望を示した言葉ではなく、犯行自体への他人による制止を願った言葉であろう。
但し「時事通信社」の「誰かが通報して止めてくれるかもしれないと思った」と他の3社の「誰か止めてくれればよかった」、「止めてほしかった」とは意味内容が決定的に違う。前者は書き込み時点から先の時間に向けた思いであって、後者は犯行後の時点から犯行前の時間に遡って向けた前者とは正反対の思いとなっている。
どちらが正確な供述か現時点では分からないが、凶行直前に一時的に迷いは生じたものの、それを振り払って計画通りに着々と実行していき、自分で頭に描いた予定通りのクライマックスへと一直線に自分を持っていったその激しい勢いを持った展開には計画への実行と共に進行形で存在するに違いない誰かが止めに入ることを願う葛藤や迷いを何一つ窺わせない。「ためらい」は凶行直前に周囲の道路を車を走らせるだけで終わっているのである。
犯行を犯してしまってから結果の重大さに気づいて、誰かが書き込みを警察に通報して止めてくれていたらこのような犯罪を自分は犯さずに済んだのではないかという後悔から生じた「誰か止めてくれればよかった」あるいは「止めてほしかった」という後付けの願望なら、自分の意志で決定し、自分の意志で実行する、当然のこととして自身の全面的な責任行為となる自らの主体性への認識を欠き、そのことを棚上げすることで可能とすることができる制止行為の他者依存であって、その心理プロセスには半ば責任転嫁意識が存在するようにも思える。
自分を「負け組」に位置づけて「勝ち組」への攻撃を歩行者天国に集う人間に代償させたことと軌を一にする責任転嫁と言えないだろうか。
福島章・上智大名誉教授が言うように「携帯やネット社会の発達で、自分の存在を簡単に伝えられるようになった」としても、またどこの誰と本名を名乗ったとしても、よりよき理解者が出現しなければ、仮想社会に於いても実社会でいやと言うほど経験済みのその他大勢の存在であることから免れることができるわけではない。
また犯行が「社会への復讐や反撃の意味」があったとしても、加害者と社会との関係――社会とどう向き合っていたのか、どのように向き合わされていたのか、その人間が置かれていた社会的制約を読み解かなければ、「復讐や反撃」が社会的制約を受けて生じた社会に対するどのような思いの反動なのかは理解できないのだから、社会との相互関係性まで踏み込む発言を発すべきだったろう。
西原由記子もそうだが、小宮信夫にしても福島章にしても、事実として現れた一連の経緯を表面的になぞって解説したに過ぎないコメントのように思える。
大沢孝征弁護士「(容疑者は)誰も出来ないことをやってやろう、土浦の通り魔や池田小以上の事件を起こして後世に名を残そうという気持ちがあったのではないか」(≪「正社員はこんなことしない」のか? 秋葉原事件巡る論争)(スーパーモーニング:J-CAST テレビウォッチ/2008/6/10)
10日午後の「朝日テレビ」だったと思ったが、犯人を「ああいった手合い」とか「ああいった奴」とか呼んでいたが、何だか人間を見たような気がした。果して「後世に名を残そうと」したのだろうか。
作家・室井佑月「将来いつまで働けるか不安がある状況から這い上がれない世の中になってる。そこが一番の問題」(同記事)
森永卓郎・獨協大学教授「(事件が起きた)1番の原因は彼の置かれた雇用状況」
「彼女がほしかったと思うんですけど、まったく恵まれなかった」
「非正社員の場合は結婚も恋愛も難しい」
室井佑月と森永卓郎は犯行の背景を社会との関係性から読み解こうとしている。「非正社員の場合は結婚も恋愛も難しい」は低所得者の未婚率の高さが既に統計されている。11日の昼のTBSで掲示板なのかチャットなのか、犯人と若い女性とのインターネット上の書き込みを紹介していたが、そこで学歴や見た目、職業で男を選ぶといった女に於ける異性選択の条件を、客観的な意見としてではなく、自身に欠けていて不当な扱いを受けているとった抗議の意味合い、社会に対する不満として述べていた。
この遣り取りを裏返すと、学歴や見た目、職業、そしてその成果としての社会的地位や財産等に恵まれないことは社会の「負け組」の条件というわけである。勿論彼自身の価値観からすると、「負け組」に属していた。
下田博次群馬大学特任教授「掲示板に悩みを書き込むことで孤独を解消しようとしたが相手にされず、自分を認めようとしない社会への不満が強まっていったことが読み取れる」
「学校や職場での挫折感を掲示板で他人とつながりを持つことで癒やそうとしたのだろう」
「掲示板でも相手にされなかったことで、かえって孤独感が募り、自分の存在を否定する書き込みが多くなっている。自分を認めようとしない社会への不満が強まって、無差別殺人を予告するような書き込みにつながっていったのではないか」
「他人とのつながりを持ちたい人たちが集まる携帯サイトで、逆に孤独感を募らせていった典型的なケースだ。容疑者に1人でも心を通わせることができる生身の人間がいれば、事件は起きなかったかもしれない」(≪孤独感 掲示板で癒やされず≫/NHK/6月10日 19時24分 )
既に指摘したように「容疑者に1人でも心を通わせることができる生身の人間」=よりよき理解者を現実社会に取り込むことができなければ、仮想は仮想でしかなく、実生活に反映されないその手応えのなさに空虚感は反動を伴って増殖する。これも表に表れた事件の経緯をなぞった表面的解説で終わっている。
最後に6月11日朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ」に出演していた大澤孝征弁護士に再びご登場を願って彼の事件真相に向けた慧眼を取り上げてみる。
大澤孝征「実際にこれを取締るとなると、なかなか捜査上難しい点があると、いうことなんですね。今年に入ってから『殺人予告』などの書き込みで17人逮捕・補導されている(「今年1月~5月」のテロップ)。
現実に犯罪があるのをどうにもできないという、そのこと自体が社会や警察、あるいはその他の取締まり機関に対する信頼性を失わせる元ですからね。ますますそういう世界が野放しになっていくってことになって、そうすると全体として社会の、その治安状態が悪化すると、そういう点からこれは把えなきゃいけないんじゃないかと,いうふうに思いますね。
今回のケースで言うと、彼はこの書き込みで半分はどこかで見つかってくれないかなあ、という意識も半分ぐらいはある。もう一つはですね。こういうことをずっと書くことによって、将来自分は捕まる。どうせ死刑になるんだと。で、その間の分を全部書いておこうと気もあったと、だろうと、いうふうに思います。
だって、あそこに彼が書いている、ワイドショーを独占したいということを書いているわけで。と言うことは、彼は色々とワイドショーも見ていて、自分は多分犯行したあとどうなるか、どういうふうに書かれるか、あるいは報道されるかってことも読み込み済みで今回の犯行をやったんじゃーないか。まあ、そういう意味では自分を主人公にした犯罪劇を彼なりに企画・演出、実行したって言っていいんじゃないかという気がします。
土浦の事件を下敷きにしている。彼はあれを参考にしている。彼はあれに触発されている可能性、非常に大きいと思います。年代がほぼ一緒で、不満を持つ内容が同じ。誰でもいいから殺したいっていうことから見ても、似た心理傾向があったと。彼がやったんだから、自分だってできるだろうというふうに心理的なハードルを下げている可能性があるんですよ。
で、こういう無差別殺人っていうのは戦前からあるんですよね。津山の30人殺しみたいなことから始まって、あの、いつでもあるんですけれこも、最近特に増えているのは、その、人を殺すってことに対するハードルの低さですね。それはもう極端に低くなっているので、自分がやりたいと思ったら、すぐ実行できてしまう。
また、道具もですね、すぐ入手できる。しかもその手段・方法、あのインターネットを見ればですね、どういうとこで手に入れて、凶器を。そしてどういうふうに刺せば人を殺しやすいかまで、わざわざ指導しているわけでしょう。そういうふうに情報を入手しやすいってことも、ハードルを低くしている、その一つの要因になっているんじゃないかと思いますね」――――――
≪日本社会の権威主義的価値観が生み出し、マスメディアが増幅させた「誰でもよかった」無差別殺人?≫(2)に続く
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