原発事故報道番組が改めて証明する菅のお粗末な認識と判断能力

2011-12-27 14:02:07 | Weblog

 12月25日(2011年)日曜日、TBSが東大日本大震災と福島原発事故を回想の形で『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』(第三部)を放送していた。

 この最後の方で原発事故放射能漏洩からの住民避難に「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI〈スピーディ〉)」が効果的に活用されなかったことと、『官邸初動5日間 原発事故緊迫の舞台裏 初動を検証』及び『ブラックボックス リーダーたちの初動の5日間』と二重に題したコーナを最後に設けて、官邸と東電、その他の対応が適切であったか、検証している。

 地震発生が3月11日午後2時46分。その約2時間後の午後4時49分に政府が132億円かけて開発したという「SPEEDI」を作動させ、放射性物質の拡散状況を予測している。

 だが、住民避難に活用されず、一般に一部公開されたのは3月23日。4月25日に毎日正午に公表すると発表している。実際にな何月の何日から毎日公表されたのか、調べたが不明で、「Wikipedia」によると、5月に入ってから本格的に公表されたことになっている。

 3月11日午後5時15分当時には海岸方向(東方面)に拡散していた放射性物資は3月12日~15日には北西方向へ拡散。この情報が自治体にも住民にも知らされず、同じ方向に住民が避難していた。

 公開しなかった理由を番組は細野首相補佐官(当時)を登場させて、あの有名になった釈明のシーンを伝えている。5月2日の記者会見。

 細野首相補佐官「公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実体であります。

 ここまで公表が遅くなったことにつきましては、本部の事務局長として、心よりお詫びを申し上げたいと思います」

 だが、公開しなかったのではなく、公開できなかったのである。昨日のブログでも「NHK NEWS WEB」記事の情報として、「SPEEDI(スピーディ)」の存在を把握していなかった」のだと書いたが、5月20日付「YOMIURI ONLINE」記事によると、枝野官房長官(当時)は同日の記者会見で、「SPEEDI(スピーディ)」の試算結果が、事故発生翌日の3月12日未明に首相官邸にファクスで届いていたことを明らかにしている。

 枝野官房長官、「(官邸の)幹部で全く共有されず、担当部局で止まっていた。情報の存在自体が伝えられなかったのは大変遺憾だ。避難指示の時にそういった情報があれば意義があった」

 そして経緯を検証する考えを示したというが、検証報告の様子はない。

 「スピーディ」を管轄する文科省も住民避難に活用する発想を持っていなかった。

 当然、「社会全体にパニックが起きることを懸念」して公開を控えたなどといったことはできない。細野は大ウソをついた。

 この「スピーディ」活用の無為無策は番組の後の方で出てくる「原子力災害対策特別措置法第15条」に関係するから、また後ほど言及したいと思う。

●3月11日午後3時37分、東電福島第1原発 全交流電源喪失。
●約1時間後の4時45分、東電から原子力安全・保安院へFAX。「1号機・2号機注水状況が分からな
 い」
●菅首相側近(当時)ノート「菅総理、冷却水が必要」

 解説「報告を受け、最高指揮官は熱くなり、声を荒らげていた」

 政府に原子力問題について助言を与える立場の班目原子力安全委員会委員長のインタビューを受ける形の証言。

 班目原子力安全委員会委員長「これはもう、あのー、大きなことになるので、えー、当然、(官邸に)原子力災害対策本部が立ち上がるだろうっていうので、待っていたんですけどもね、えー、案外招集がかかるのが遅くて、あのー、確か6時半ぐらい前に、あのー、安全委員会の方を出て、官邸に向かったんだと思っております。

 1時間ぐらい、あのー、事情は分からないんですけども、待たされて、ただ待っていたという状態です」

 東電から原子力安全・保安院へFAXが届いたのは4時45分、班目委員長が官邸に向かったのは約2時間後に近い6時半ぐらい前。
 
 官邸は関係者全員に非常呼集をかけなければならなかったはずだが。そもそもの初期段階から不手際を演じていた。

 また班目委員長ものんべんだらりん待つのではなく、自分から連絡を入れて、行かなくてもいいのか聞くべきだった。

 待ちの姿勢に徹したこの教条主義は阪神・淡路大震災時の自衛隊への災害派遣要請は知事が出すという規定のもと、偵察飛行を行いながら、知事の要請を待ち、実際の出動は地震発生から4時間後となり、後に大問題となった自衛隊の教条主義に通じる。

 きっと多くの救える命を死なせてしまったに違いない。

●午後4時45分に福島第1原発で起きた緊急事態は東電から保安院、さらに経産省に報告され、海江田
 経産相(当時)が5時40分過ぎに官邸へ報告。東電から原子力安全・保安院へFAXした4時45分か
 らさらに約1時間経過していた。

 この迅速さは組織の体を成しているのだろうか。

 首相官邸

 (俳優による再現シーン)「何で非常用のディーゼルが停まるんだ」

●福山官房副長官(当時)のノートに海江田から菅に告げられた言葉、「15条通報」が記されてい
 る。

 「15条」とは次の規則に該当する。 

 原子力災害対策特別措置法

  第三章 原子力緊急事態宣言の発出及び原子力災害対策本部の設置等

 (原子力緊急事態宣言等)

第十五条  主務大臣は、次のいずれかに該当する場合において、原子力緊急事態が発生したと認めるときは、直ちに、内閣総理大臣に対し、その状況に関する必要な情報の報告を行うとともに、次項の規定による公示及び第三項の規定による指示の案を提出しなければならない。

一  第十条第一項前段の規定により主務大臣が受けた通報に係る検出された放射線量又は政令で定める放射線測定設備及び測定方法により検出された放射線量が、異常な水準の放射線量の基準として政令で定めるもの以上である場合

二  前号に掲げるもののほか、原子力緊急事態の発生を示す事象として政令で定めるものが生じた場合

2  内閣総理大臣は、前項の規定による報告及び提出があったときは、直ちに、原子力緊急事態が発生した旨及び次に掲げる事項の公示(以下「原子力緊急事態宣言」という。)をするものとする。

一  緊急事態応急対策を実施すべき区域
二  原子力緊急事態の概要
三  前二号に掲げるもののほか、第一号に掲げる区域内の居住者、滞在者その他の者及び公私の団体(以下「居住者等」という。)に対し周知させるべき事項

3  内閣総理大臣は、第一項の規定による報告及び提出があったときは、直ちに、前項第一号に掲げる区域を管轄する市町村長及び都道府県知事に対し、第二十八条第二項の規定により読み替えて適用される災害対策基本法第六十条第一項 及び第五項 の規定による避難のための立退き又は屋内への退避の勧告又は指示を行うべきことその他の緊急事態応急対策に関する事項を指示するものとする。

4  内閣総理大臣は、原子力緊急事態宣言をした後、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要がなくなったと認めるときは、速やかに、原子力安全委員会の意見を聴いて、原子力緊急事態の解除を行う旨の公示(以下「原子力緊急事態解除宣言」という。)をするものとする。 (以上)

 要するに原子力緊急事態の発生を示す事象が認められた場合、「原子力緊急事態宣言」を発し、関係市町村長及び都道府県知事に対して住民の避難のための立退き又は屋内への退避の勧告又は指示を行うよう義務付けている。

 そして続く第16条で「原子力災害対策本部の設置」について書いてある。

 海江田経産相(インタビュー証言)「私は、あのー、事務方から、あー、報告受けましたから、えー、すぐに、うー…、まあ、そのー、すぐに(原子力緊急)事態宣言を、オー、発して、貰えるものだと思っておりました」

 番組解説者「菅も緊急事態の通報を受けて、『これは大変なことだよ』

 福島第1原発の状況にそんな言葉を30回以上繰返していたという」

 これは最高司令官でありながら、その立場に反してパニック状態に陥っていたことを物語っていないだろうか。

 午後6時22分。保安院の内部資料によると、海江田の報告から30分以上も経過していながら、結論は出ていなかった。

 その理由。海江田自身が“15条通報”の中身を正確に理解していなかった。

 海江田経産相(インタビュー証言)「法律の、おー、“たてつけ”と申しますか、ま、そういうことについて、えー、質問がありました。ま、うまく答えられなかったと、言うこともあって、ま、時間がかかったと思います」――

 「時間がかかったと思います」ではなく、その場に同席していて、事情を逐一目の当たりにしていたのだから、「時間がかかった」と正直に言うべきだろう。「思います」の推測には責任回避意識が働いている。
 
 “15条通報”の何たるかを知るために総理執務室の隣の首相秘書官室で秘書官が六法全書のコピーに追われていたと関係者の話として伝えている。

 海江田にしても原子力緊急事態宣言は法律に則って行うのだから、必要条文を調べてから報告すべきを中身を熟知しないまま首相に報告した。周りにいたのは秘書官だけではないはずだが、その条文を知るべく、六法全書をコピーさせた。

 なぜインターネットに接続して、「原子力災害対策特別措置法」、もしくは「原子力緊急事態宣言」と入力しなかったのだろう。そのページを探し当てて、その上で「十六条」と検索すれば、直ちにイヌも歩けば棒ではない素早さで行き当たることができたはずだ。

 私自身はそうした。

 インターネットに接続したパソコンが1台や2台、身近にないはずはない。不手際と言うよりも、間抜けな無為無策としか言いようがない。

 だがである。菅首相自身、海江田経産相が詳しく知らなかったとしても、この“15条通報”を熟知とまでいかなくても思い至ることぐらいの記憶はあって然るべきだった。

 昨日のブログでも書いたが、大震災発生の3月11日から約5カ月前の2010年10月20日に静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能を喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定した、菅首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」を行っているのである。

 福島第1原発原子炉に緊急事態発生と報告を受けた時点で、この訓練を思い出さなければならなかった。

 この訓練は、「原子力災害対策特別措置法」の「防災訓練に関する国の計画 第十三条」に基づいて行うよう義務づけられているのである。

 参考のために記載しておく。

 「原子力災害対策特別措置法」

 防災訓練に関する国の計画

 第十三条

 第二十八条第一項の規定により読み替えて適用される災害対策基本法第四十八条第一項 の防災訓練(同項 に規定する災害予防責任者が防災計画又は原子力事業者防災業務計画の定めるところによりそれぞれ行うものを除く。)は、主務大臣が主務省令で定めるところにより作成する計画に基づいて行うものとする。

2  前項の規定により作成する計画は、防災訓練の実施のための事項であって次に掲げるものを含むものとする。

一  原子力緊急事態の想定に関すること。
二  第十条、第十五条及び第二十三条の規定の運用に関すること。
三  前二号に掲げるもののほか、原子力災害予防対策の実施を図るため必要な事項 (以上)

 当然、現実に原子力事故が発生した場合の国が為すべき法律の規定は何条に当たるか、少なくともその内容についてひと通り目を通しておくか、経産相(訓練当時の経産大臣は大畠氏)か班目原子力安全委員会委員長が簡単な説明をしておくべきだった。

 もし現実には過酷な原子力事故は起きないとしていたなら、官邸自身が「原子力安全神話」にどっぷりと浸っていたことになるばかりか、そのことが災いして、現実には起こらないことを前提に訓練を行なっていたということになって、訓練は当然のこととして形式的な儀式と化していたことになる。

 実際にも現実の原発事故初期活動に何ら役に立てることができなかったのだから、カネのムダ遣いをしていたのである。

 訓練では緊急時迅速放射能影響予測システ(スピーディ)を用いた環境放射能影響予測を行なっている。

 もし枝野が言うように、「SPEEDI(スピーディ)」の試算結果が事故発生翌日の3月12日未明に首相官邸にファクスで届いていながら、首相には伝えられずに情報共有ができなかったが事実だとしても、訓練を思い出して、首相の方から「スピーディ」の存在を聞かなければならなかったはずだ。

 その存在を知らないとしていたのは訓練が儀式化していたからだと疑われても仕方はあるまい。

 このように「原子力災害対策特別措置法」13条の国の原子力事故訓練規定を通して“15条通報”と「SPEEDI」は深く関係していたのである。

 それが現実の原子力事故に遭遇して、“15条通報”が何なのか慌てふためき、「SPEEDI」の活用に無為無策を曝した。

 緊急事態宣言の遅れについて菅は証言している。

 (インタビュー証言)「手続きとしての宣言、これはまあ、まさに日本に於いて初めてのことですよね。ま、経産相の方から上申書が上がってくる。ま、その間に、イー…、野党とのいろいろな会議等があってですね、ま、結果としては確かに19時3分に、あのー、宣言を出しましたが、その間も、当然、情報・・・・を、収集すると同時にできる対策、例えば電源車を送るとか、そういう相談は既にやってたわけです」

 問われているのは緊急事態宣言が適切に発せられたかどうかである。何が問われているか棚に上げた無責任な弁解でしかない。

 野党との会議は関係ない。例え“15条通報”を把握していなかったとしても、直ちに把握する適切な判断と行動を示し得なかったことは合理的な判断能力を欠いていたからだと言われても仕方はあるまい。

 また、「例えば電源車を送るとか、そういう相談は既にやってたわけです」と言っているが、東電関係者や原子力安全委員会の人間と同時並行で行わなければならない責任行為であろう。

 「手続きとしての宣言、これはまあ、まさに日本に於いて初めてのことですよね」にしても、阪神・淡路大震災時に村山首相(当時)が政府の情報収集の遅れと危機管理体制の不備を問われて、「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われます」と弁解したのと同じで、初めてだからと言って、不手際・無為無策が正当化されたのではたまらない。危機管理は「初めて」の備えに対してもあるはずである。

 「初めて」は言い逃れにはならない。

 その他に番組は東電と官邸の全面撤退に関わる食い違いやベント作業の遅れ、首相の第1原発視察の是非等を取り上げているが、このことはまた次の機会に譲るとして、経産相や東電、保安院に対する極度の不信から、身近な相談者として母校東工大の同期生を官邸に招じ入れたことを判断能力欠如の例として挙げなければならない。

 信子夫人に「東工大の名簿を持ってきてくれ」と命じ、その中から選んだという。

 事故2日目の3月12日、午後9時、首相執務室。北陸先端科学技術大学院副学長日比野靖。後に内閣官房参与に就任。

 日比野(インタビュー証言)「2月の末に、あのー、まあ、と、大学紛争のときの、仲間がですね、えーと、総理の公邸の方に集まって、彼を励ます会をやったんですね」

 菅首相とは学生運動を共にした旧友だという。

 日比野(インタビュー証言)「私の専門はコンピューターなんですよ。ですから、システム設計みたいなことはある程度、えー、やって、いますけど、原子力は全くの、専門外です。

 自分(菅)が、これでいいのかなっていうことを誰かにちょっと相談したかったんだと思います」

 一刻の猶予もならない緊急事態の最中(さなか)に「誰かにちょっと相談したかった」から、原子力とは専門外の旧友を呼んだ判断能力は素晴らしい。

 (俳優による再現シーン)「(日比野に話しかける。)臨時閣議でも誰も意見を言わない。話しにならないんだ。それに東電、保安院、安全委員会、それぞれに言うことがみんな違うんだよ」

 最高指揮官でありながら、みなに意見を忌憚なく述べるように仕向けることができなかった。あるいは忌憚のない意見を引き出すことができなかった。トップの資質の問題でもあるはずだ。それが気づかない。

 菅は直ちに日比野に会議への同席を求める。

 (俳優による再現シーン)「現状はどうなってるんだ」

 原子力安全委員会担当者(同)「原子炉内で核分裂反応により核燃料を燃やします。その蒸気により、タービンを回すと…」

 (同)「そんなことは理解してるよ。それぞれの炉の状態について説明してくれ」

 解説者が「管は原子力発電のイロハから始まった原子力安全委員会の説明を途中で遮った」と説明していたが、恐れいった全く以って杓子定規な教条主義である。この男は特別だと思うが、日本人の頭の程度はこのぐらいなのだろうかとつい思ってしまう。

 東電担当者「炉は燃え続けています。2号機、3号機については非常用の冷却装置が動いているので安定しております」

 (俳優による再現シーン)「次はどうすればいいんだ。それを言ってくれ。装置が動いていると言っても、水がグルグル動いているだけだから、温度も圧力も上がっていくだろ・・・・」

 何様の命令口調、高みに立った物言いとなっている。

 日比野(インタビュー証言)「震災の対策としてやらなければならないことには山程にあるのですが、その中で原発の事故に対する対応ってところに、もう全力を注いでいたように思いますね。

 不足しているのは何かって言うと、ずっと若い時から政治家としてやってきていることがあって、サラリーマンの経験がないわけなのですね。その組織をどうやって動かしていくかってところは、少し、あのー、何て言うんですか、経験はないってことはあったと思います」

 サラリーマンの経験の問題ではない。どんな経験でも、それを他の経験に応用できるかどうかの応用能力の問題であり、応用するには一つの経験から役に立つ知識を汲み取り、学ぶ的確な判断能力・的確な認識能力を有していなければならない。

 そしてそれを新たな経験に臨機応変に適用させるさらなる的確な判断能力・的確な認識能力が必要となる。

 相談役として会議に同席させる人物の選択は原発事故に関しての自身の質問が適切であるか、質問に対する返事が適切であるか判断の役に立つかどうを基準としなければならないはずだ。当然原発事故に深い知識のある人物が対象となる。

 ところがコンピューターが専門で原子力に専門外の、単に旧友という基準のみで相談役を選択し、会議に同席させた。

 そればかりか、後に内閣官房参与に任じた。

 最高指揮官でありながら、そのことに反したこの判断能力がすべての原因の源であろう。

 最後に管が締めくくりのインタビューで答えている。

 「まあ、私は多くの国民が、本当によく立ち向かって頑張ったと思います。特に原発事故といえば、東電や色々な下請や、あるいは自衛隊や、色んな人がですね、ある意味で危険なところをですね、分かっていても、踏ん張って頑張ってくれたと。

 みんなが逃げなかったから、ここでとどまったと思っています。

 私もそういう中の一人としてですね、あのー、逃げないで頑張ったつもりです」

 涙目になっている。指を大きく広げた左手で感極まるかのように目を覆う。

 確かに菅は「逃げなかった」、「そういう中の一人」であった。逃げる逃げなかったよりも、トップリーダーとして組織をどう動かしたか、自らの判断は迅速且つ適切であったかどうかが何よりの問題であるはずだ。

 最期まで何が問われているか気づかない。他人の頑張り、功績を以てして自らの功績とするのは管の十八番である。菅自身の最高指揮官としての資質が問われているのに役目がそれぞれに異なることを無視して、頑張った国民を持ち出し、自衛隊を持ち出して、自らの役目の頑張りとする。あるいは同次元の頑張りとする。

 何度でも言わなければならないが、この認識能力、判断能力がすべての不適切な対応の根源的な原因となっていた。


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