【大津中2いじめ自殺】市教委・学校・教師のいじめ隠蔽の新たな共同犯罪が次々と明らかになる

2012-07-13 13:45:57 | Weblog

 昨年(2011年)10月11日朝、大津市の中2男子が自宅マンションから飛び降りて自殺した。

 10月17~19日、学校が生徒自殺後、いじめがなかったか全校生徒859人対象のアンケート調査を行う。

 以下、順次明らかにされていく事実を改めてその順番通りに追っていくことにする。

 今年(2012年)7月4日、市教委記者会見。15人の生徒から「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったことを認める

 アンケート回収後の記者会見ではこの回答に関しては何も話していなかった。

 大津市教委「15人のうち名前を記した複数の生徒から聞き取りをしたが、すべて伝聞の情報で、直接見た生徒がいなかった。『自殺の練習』が、実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」

 しかし公表しなかったことによって、例えどれも伝聞だからと確証を得られなかったとしても、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったという事実を結果的に隠すことになり、と同時に学校が調査した事実も隠すことになる。

 調査した事実の中にはその調査が適切であったか否かの事実も含む。

 後者の事実まで隠すことになって、必然的に調査が適切であったか否か第三者の検証を受ける機会を自ら排除したことになる。

 7月6日、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」との生徒のアンケート回答に対して実名回答の4人の生徒に聞き取り調査をしたが、いじめ側の生徒には調査しなかったことが判明。

 市教委「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」(YOMIURI ONLINE

 アンケート回答の生徒の内、実名回答の4人の生徒のみに行った聞き取り調査をいじめ側の生徒には省いて、伝聞で、「実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」とする。

 この調査の不徹底・中途半端から窺うことができる姿勢は事実解明に対する強い意志の不在のみである。

 と同時に、このことを7月4日の市教委記者会見で一度に明らかにしなかった姿勢からは不都合を隠すという隠蔽の意思のみしか窺うことのできない。

 7月10日午後9時過ぎ、市教委緊急記者会見。

 昨年の11月1日、学校が「さらに事実を知りたい」という男子生徒の遺族の要望を受けて2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにする。

 イキサツを次のように話している。
 
 生徒の回答には「葬式ごっこをしていた」、「『自殺の練習』と言って首を絞めた」等の記述があったが、学校側がこういった記述を見落とし、市教委に「新たな情報は確認できなかった」と報告。

 このため、市教委は追跡調査は必要ないと判断し、回答についても非公表にした。

 沢村憲次教育長「『葬式ごっこ』などの文言は、最近になってこちらで気づき、学校側に再調査を指示した。事実確認が不十分だった点もあり、批判を受けても仕方がない。深くおわびしたい」(YOMIURI ONLINE

 学校が見落とし、市教委が最近になって気づいたため、「学校側に再調査を指示した」云々。

 このことを以って事実確認の強い意志の欠落だけのこととは認めることはできない。生徒一人が命を落とした事実とその死がいじめとの因果関係が問われている事実、そのための調査として行ったアンケートの回答がいじめとの因果関係を示唆している事実を前にして最近になって気づくまで、学校と市教委が二重に見落としていたことになるからだ。

 しかも調査して得た事実、調査の方法を一度に公表するのではなく、各マスコミが生徒やその父兄が含まれていると思われる関係者に直接取材という形で、「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」TOKYO Web=東京新聞/2012年7月7日 09時46分)などと報道するに及んだからに違いない、後追いで事実を明らかにしている姿勢を見ると、隠蔽の意志を優先的に働かせていたことによる事実確認の意志の喪失としか解釈できない。

 一度に洗いザラぶちまけるのではなく、サミダレ式に順番を追った事実公表となっていることも、隠し切れないと観念して事実を明らかにするものの、隠し切れなくなった当面の事実しか明らかにしないからこその小出しの情報提供であって、隠蔽の意志なくしてこのような形式にはならないはずだ。

 要するに7月4日の記者会見で併せて公表すべき事実を、そうしなかったこと自体が隠蔽の意志の存在を証明している。

 「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」という証言が示す事実は教師も気づいていなければならない。

 生徒だけが気づいていて、担任なりの教師が誰一人気づいていなかったという事実はあり得ない。 

 2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにした11月1日の市教委の緊急記者会見でも隠蔽したままの事実があった。

 《学校の事実確認 1件にとどまる》NHK NEWS WEB/2012年7月11日 12時13分)

 「自殺の練習と言って首を絞める」、あるいは「葬式ごっこ」等の回答があった〈去年11月に学校側が行った〉、〈2回目のアンケートでは、いじめの内容などを記した回答が188件寄せられましたが、これを受けて今月初旬までに学校が生徒に事実関係を確認したのは、「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだったということです。〉・・・・

 記者会見で明らかにされたのではなく、NHKの取材で判明した。

 新たに見つかった犯罪である。

 〈「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだった〉という調査事実に学校の姿勢のカギが隠されている。

 他の学校の生徒のいじめなら、いくら調査しても自分たち教師の責任とはならない。在校生のいじめだと、調査していじめが明らかになった場合、自分たち教師の責任となる。

 この使い分けがなかったなら、回答188件すべてを調査したはずだ。何が彼に死を選ばせたのか。学校教育者なら尚更、事実解明に強い意志を示さなければならない。

 だが、188件対1件のみの調査で、しかも他の学校の生徒から受けていたいじめであったということは何らかの意図が働いていたことを物語っている。

 意図的に調査しないということは調査によって知ることになる事実を間接的に隠蔽することを意味する。意図的な隠蔽の意志があって初めて調査の回避が可能となる。

 何が原因しているかと言うと、責任を問われることを恐れる自己保身であって、自己保身と責任回避から隠蔽に走る。

 調査の使い分けは既に触れたように、「教育的配慮」の名目のもと、いじめ側の生徒には調査しなかったことにも現れていた。

 公平・公正であるべきに反した使い分けそのものが既に犯罪である

 7月11日午後7時過ぎ、滋賀県警は生活安全部に20人体制の専従捜査班を設置、同日夜、同級生だった同校3年の3人が男子生徒に暴力行為をしたとして、暴行容疑で市役所と中学校を家宅捜索、関係資料を押収(MSN産経/2012.7.11 20:26)。

 同7月11日、毎日新聞社による関係者への取材で学校側が実施したアンケート結果を遺族に渡す際、口外しないよう確約書に署名させていたことが判明。

 《大津・中2自殺:遺族に部外秘の確約書 学校側》毎日jp/2012年07月11日 22時59分)

 確約書(2011年10月24日付、中学校長宛て)「守秘すべき個人情報が含まれていることを認識し、部外秘とすることを確約します」

 生徒の父親(47)「学校側に求められ仕方なくサインした。これに縛られなければもっと早く真相究明できたのでは」

 市教委「アンケートは外部に公開しない前提で行った。口外しないよう求めたことは間違っていない」

 「自殺の練習をさせられていたと聞いた」、「同級生が男子生徒を脅して銀行の口座番号を聞き出し、金を取っていた」、「銀行の番号を無理やり言わせて遊ぶためにお金を使っていた」、「自殺した生徒が『もうおれ死ぬわ』とメールすると、受け取った同級生が『死ねばいいや』と送り返していた」、「いじめていた人に『死にます』という内容のメールを送ったらしい」等々の回答は、いじめと自殺との因果関係の検証を市教委と学校で終わらせるのではなく、その検証自体の妥当性を第三者が検証するためにも公表すべき事柄である。

 当事者の検証自体が自己保身や責任回避から歪められる、あるいは杜撰を極めるといったことが往々にして存在し、否定できないからなのは断るまでもない。

 「アンケートは外部に公開しない前提」は自己保身と責任回避を全うさせるための隠蔽を目的としたものであり、その延長にあった遺族に対する口止めの確約書であることは第三者の検証に供する意図を持った公表がなかった犯罪、公表に耐え得る満足な調査を行なっていなかった犯罪、調査の使い分けさえ行なうご都合主義の犯罪等々が既に証明している。

 この「確約書」へのサインも新たに見つかった犯罪と言える。

 7月12日記事。《教師 生徒へのいじめ認識せず》NHK NEWS WEB/2012年7月12日 18時24分)

 学校は生徒の自殺があった場合、3日以内にすべての教師を対象に調査するよう求めた文部科学省の指導に基づいて約50人すべての教師を対象に調査。

 〈大津市教育委員会によりますと、このときの調査で、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかったことがわかりました。〉

 記事は、〈自殺のあと、学校が全校生徒を対象に行ったアンケートでは、複数の生徒が「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」と回答し、さらに「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」とも指摘していて、教師側の見解と食い違いが生じています。

 このため、大津市教育委員会は、事実関係や当時の学校の対応などをさらに調べることにしています〉と書いて、記事を結んでいる。

 文部省通達は自殺後3日以内であり、1回目のアンケート調査は自殺6日後の10月17日から19日に行なっているから、アンケート調査の方が後に行われたはずだ。

 「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」、「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」等の回答に関しては生徒に聞き取り調査を行ったかもしれない。例えこの回答がすべて伝聞であったとしても、〈男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかった〉事実との食い違いを疑ってかかって検証する“2回目の対教師調査”を生徒に対する1回目のアンケート後に直ちに行うのが常識だが、行ったのか、行わなかったのか未だにその事実は明らかになっていないことからすると、行わなかったと断定できる。

 行わなかったことは事実解明に反する犯罪に等しい。
 
 この犯罪も調査の使い分けに当たり、教師に責任が振りかかることが学校の責任に振りかかることを恐れる学校・教師の自己保身と責任回避からの教師に対する“2回目の調査”の回避であり、この回避は調査によって明らかになるかもしれない事実に対する隠蔽に相当する。

 自己保身と責任回避から隠蔽したい意識が働き、調査を回避した。学校・教師による犯罪でなくて何であろう。

 7月13日付の次の記事は、自殺直後の対教師調査で学校教師が誰一人いじめを認識していなかったとする回答が学校・教師の犯罪そのものであるあることを証明してくれる。

 《大津いじめ自殺:体育祭での暴行、女性教諭が目撃し注意》毎日jp/2012年07月13日 02時30分)

 複数の生徒が毎日新聞に証言したこととして伝えている。

 〈昨年9月29日の体育祭の昼食時間に、会場の観客席で、男子生徒が同級生3人から鉢巻きや粘着テープで手や足、口を何重にも巻かれていた。この状態の男子生徒を同級生の1人が背負い、別の2人が男子生徒の背中を蹴る場面もあった。

 この様子は、周囲の複数の生徒や教諭が目撃していたという。間もなく、女性教諭が同級生3人に「やめなさい」と注意した。3人は「はーい」などと言って粘着テープをはがすなどし、男子生徒の拘束を解いたという。

 ある生徒は「同級生は男子生徒の背中をかなり強く蹴っていた。周囲の生徒が注意できるような雰囲気ではなかった」。別の生徒は「男子生徒は、いじめられているように見えた」と証言した。〉・・・・・

 さらに記事は書いている。〈昨年10月の男子生徒の自殺直後の学校のアンケートでは、生徒20人が男子生徒が縛られた様子などを目撃したと回答した。一方、同じ頃の教職員からの聞き取り調査で、全ての教職員が「これまで、男子生徒がいじめられていたという認識を持ったことはない」と答えていた。〉・・・・・

 体育祭での女教師の目撃事実と2週間も経たないうちの自宅マンションから飛び降りるという自殺を結びつけた場合、少なくともいじめを疑ってよさそうなものだが、対教師調査では誰一人いじめを認識していなかった。

 疑惑の類も認識のうちに入る。疑っていたとしたら、認識していたことになるが、疑うという認識すら持たなかったとしたら、学校教師の資格を失う。生徒一人ひとりの生命(いのち)と向き合う資格はない。

 自己保身と責任回避から事実の隠蔽に走る姿は既に学校教師の資格を失った犯罪そのものであることの証明でしかないが、学校教育者でありながら、生徒一人の生命(いのち)の在り様に疑うという認識すら持たかった場合にしても、犯罪そのものに当たる。

 次々と学校教師の犯罪が見つかってくる。

 上記事は最後に次のように結んでいる。

 〈捜査関係者によると、体育祭での同級生の行為は、生徒だけでなく教諭も見ていた可能性が高いという。県警は13日から順次、教職員から事情を聴く方針で、実際に目撃したとされる教諭らから、当時の状況などについて詳しい説明を求めるとみられる。

 県警は体育祭での行為について、暴行容疑で強制捜査に乗り出した。関連先として捜索した市教委などからは、いじめに関するファイルや事例集、職員会議の資料なども押収しているという。【村瀬優子、村山豪、石川勝義、杉本修作】〉・・・・・

 新たな犯罪が次々と見つかるに違いない。いじめを傍観した犯罪まで含めて。

 自己保身と責任回避と情報隠蔽がなかったなら、存在しなかった犯罪のはずである。

 但し責任が待ち構えることになる。自己保身からその責任からの回避を謀り、結果的に情報隠蔽に走る犯罪を次々に犯すことになった。市教委ぐるみ・学校ぐるみで。


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