細野の環境相から党政調会長人事は降格人事でなければならない

2012-10-28 13:09:17 | Weblog

 細野豪志環境相は9月21日(2012年)の民主党代表選に党内から立候補を要請され、一度は前向きな態度を示したが、9月7日午前、野田首相を首相官邸に訪ねて不出馬を伝えたあと、記者団に次のように発言している。

 細野豪志「野田佳彦首相に今、私自身は代表選に出馬しないと伝えてきた。自分の(閣僚としての)役割はないがしろにできない。福島のことがどうしても頭を離れなかった。福島をはじめとした被災地はまだまだ課題がたくさんある。責任者の私が仕事を投げ出すことはできない。私の時間を代表選に向けることはどうしてもできなかった。被災地の皆さんに向き合うべきだというのが私の結論だ」(MSN産経

 「福島のことがどうしても頭を離れなかった」――政治家としての頂点を目指すよりも、被災地、特に福島の原状回復に寄り添う道を選んだ。

 発言の全体を通して自身が福島に必要とされている人材であるという意識、あるいは自負が存在していなければならない。多分、被災地の住民、特に福島の放射能被災者は細野を必要な人材と認め、その認識が細野に伝わって、自分が必要とされているという意識、あるいは自負をより高めていたに違いない。

 ところが10月1日の野田第3次改造内閣で環境相から党政調会長への異動を受けた。矛盾する言い方に見えるが、この異動は細野の福島に関係した環境相としての能力を否定する降格人事でなければならない。

 今まで書いてきた当ブログ記事と重なる部分があるが、この理由を以下に述べる。 

 内閣改造から6日後の10月7日、野田首相は福島第1原発視察と福島県楢葉町の除染作業現場を視察した。

 《野田首相:除染加速を担当相に指示 福島第1原発を視察》毎日jp/2012年10月07日 23時11分)

 野田首相「福島の復興・再生の基盤になる除染をスピードアップしなければならず、先程長浜環境相に指示した」

 首相が指示した除染の包括的な対策――

▽環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲
▽関係省庁の連携強化
▽住民への除染の進捗状況の情報提供

 〈環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲〉とは、〈これまでの除染は福島環境再生事務所を経て環境省の了承が必要だったが、同事務所に住民や自治体の要望に応じて除染実施を判断する権限を移すことなどを検討。10月中にとりまとめる。〉内容のものだという。

 要するに以上の対策はこれまでの対策の不備・不徹底に鑑みた、その改善ということでなければならない。

 内閣改造人事を公表する前から細野の党政調会長人事は伝えてあっただろうが、改造後1週間も経たないうちに野田首相が福島を訪問して、除染のスピードアップを表明した。

 いわば細野環境相のもとでは除染のスピードアップは一向に図られていなかったことになる。

 だからこその、新たな対策の提示となった。

 このことは細野が環境相として満足に能力を発揮していなかったことを意味する。

 このことは20月9日(2012年)当ブログ記事――《野田首相が福島視察先で除染加速化を指示 では、細野は何をしていたのだろう - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 細野が環境相在任中に新しい除染スピードアップ対策の作成を指示していて、退任後、野田首相が現地で公表したものであったとしても、在任中に除染が進んでいなかった事実には変りはない。

 細野は10月14日、政策調査会の原発事故に関するプロジェクトチームを再編、新たに課題別の4つの作業チームを設けることを決めている。

▽被災者の生活支援
▽除染作業の推進
▽農作物などへの風評被害の対策
▽避難している人たちの生活圏を別の自治体に作る「町外コミュニティー」の整備(以上NHK NEWS WEB

 4つの作業チームと言っても、それぞれの課題解決に実際に取り組むのではなく、被災地の視察、地元自治体や被災者からの要望聴取等を通してあるべき体制を提言に纏めて政府に報告、課題解決を働きかける形式の間接支援だそうだ。

 但し4つの課題のすべてが遅れているからこその作業チームの設置であって、細野の環境相時代に進んでいなかったことの証明の裏返しでしかない。

 野田首相は福島第1原発視察と福島県楢葉町の除染作業現場を視察したのと同じ10月7日、NHK総合テレビがNHKスペシャル『東日本大震災「除染そして、イグネは伐り倒された」』を放送、10月11日に再放送している。

 内容は福島県南相馬市の除染を取り上げて、その遅れが何に原因しているか、あるいはその不条理を明かしている。

 「イグネ」とは、「居久根」の字を当てて、秋から冬にかけて毎日のように強い西風が吹き荒れる阿武隈降しから家を守るために家の周りに植えた杉や檜のことを指すのだそうだ。いわば屋敷林を指すのだろう。

 長い時間をかけて20メートル~30メートルにまで育って家を守り、家の歴史にもなってきたイグネの葉や樹皮に付着した放射性物質が風が吹くたびに庭に降り注ぐ汚染源となっていたが、高過ぎて除染不可能なため、自腹で切り倒す、ある世帯主の苦渋の選択を除染の難しさに重ねている。

 自腹なのは、国が一般人の被曝限度としている毎時0.23マイクロシーベルトを超える地域は国が除染の費用を負担するとしているが、その世帯主のイグネにこびりついた放射線量が1時間あたり1.5マイクロシーベルトに達しているにも関わらず、環境省の除染ガイドラインが木の伐採費用の国からの支出まで認めていないからだ。

 いわば国の手が届かない除染対象となっているということである。
 
 国は年間20ミリシーベルトを超える地域を避難区域としていて、南相馬市はその範囲外の地域だが、人が住むことができない避難区域を別にすると、放射線が最も高い地域の一つだそうだ。

 国が一般人の被曝限度としている年間1ミリシーベルトを1時間あたりの放射線量に換算すると、毎時0.23マイクロシーベルトとなると解説している。毎時1.5マイクロシーベルトは限度6倍以上の被曝量となる。

 特に山間の地域は高い放射線量が計測されているという。

 南相馬市は去年11月、避難区域を除く市内全区を400億円をかけて除染する計画を立てる。放射線量を2年後に半分に下げることを当面の目標とした。  

 政府は同じ去年11月に福島県内各地で、放射性物質付着物を生活環境から取り除き、隔離するための除染実験を開始。

 除染を行えば、土や落ち葉等の放射性廃棄物が生じる。だが、南相馬市では廃棄物保管の仮置場の設置が住民の反対で頓挫、除染が大幅に遅れることになった。

 但しこのような事態は南相馬市だけの問題ではなく、福島県内の自治体の多くで同じ問題が起きているという。

 またこのような問題にしても、国が計画している30年以内最終処分場県外設置のメドが引き受ける自治体がなく、立っていないことから、県内に中間貯蔵施設を建設しても、最終処分場が決まらないと、事実上の最終処分場になりかねない懸念があり、中間貯蔵施設が決まらない原因になっていて、そのことがまた、仮置場の設置が遅れている原因になっているという。

 とすると、国が最終処分場を決めることが先決となるが、肝心のこの点でも国は出遅れていることになる。

 各家庭が除染を行なって出た廃棄物は敷地の一角に纏めて積み上げておく状況が出ている。

 南相馬市で本格的な住宅除染が開始されたのは今年9月になってから。たった1カ月前である。

 山間(やまあい)の特に放射線量の高い地区の、地区の中の仮置場設置に住民が同意した場所が優先された。但し計画よりも7カ月遅れのスタート。計画戸数は市の除染計画の2%に当たる200戸のみ。

 目標は敷地内で測定した放射線量の半分にまで下げること。

 取り掛かった敷地の放射線量を作業員が測ると、1.26マイクロシーベルト。被曝限度毎時0.23マイクロシーベルトの5倍強に当たる。

 別の場所では1.97マイクロシーベルト。

 除染は国の費用で行われるために環境省がガイドラインを決めている。ガイドラインによると、屋根は高圧洗浄を中心にして除染を行うことになっているという。

 しかし国が70億円かけて行った除染実験の結果、瓦の素材によっては高圧洗浄では殆ど効果がないことが明らかになったにも関わらず、実験結果が出たあとも、環境省はガイドラインを改定していないと番組は訴えている。

 いわば瓦の素材に対応させて除染方法を臨機応変に変えるのではなく、素材に関係なしに一律的に高圧洗浄を強いることで、場合によっては効果のない高圧洗浄除染を勧めていることになる。

 と言うことは、去年11月に除染実験を開始していて効果の有無を確認していながら、最善の方法に集約しない怠慢を環境省の役人は自ら放任していた。
 
 このことに細野が責任なしとすることはできない。細野の環境相としての任期は2011年9月2日から2012年10月1日までである。

 除染実験は細野のもとで行われている。

 屋根の除染には高圧洗浄よりも紙タオルで拭き取る方法の方が除染効果が高いことが分かっているそうだが、除染実験で確認した方法に違いない。

 しかし屋根全体をこの方法で除染するには膨大な人手と時間、費用がかかる。国が示した費用の目安は1平方メートル当たり1500円。

 ガイドラインは紙タオルによる拭き取りは軒先などに限るとしているという。

 だったら、なおさら復興予算を復旧・復興に直接関係のない、被災地外の事業に流用せずに、被災地に集約すべきだったはずだ。

 そうしていなかった責任は細野一人に限らず、特に野田首相の責任は重い。

 高圧洗浄による除染の場合、放射線汚染水が発生する。除染ガイドラインは洗浄後の排水の可能な限りの回収を求めているという。

 南相馬市は回収した汚染水を仮置場の一角にも設けた浄化プラントにタンクローリで運搬、濾過した上でセシウムを吸着するゼオライトを入れたタンクを通して浄化。

 ところが、この方法は費用がかかり過ぎるとして、環境省は難色を示しているという。

 費用がかかり過ぎる、かかり過ぎると渋りながら、復興予算を他に流用するのは得意らしい。

 南相馬市は環境省に事後承諾を求めることにして、浄化プラントを使った排水の浄化に踏み切ったという。

 費用がかからない方法を選択して、除染のスピードを落とすのか、費用がかかる方法を選択して、除染のスピードを上げるのか、また、どちらが住民の利益に適うのかの検討よりも、予算絶対主義を取っている。

 復興予算を流用していながら、予算絶対主義とは矛盾していて滑稽だが、役人のやることだから当然だとしても、細野は予算絶対主義を容認していたことになり、「福島のことがどうしても頭を離れなかった」はウソになる。「離れなかった」のは予算だけということになる。

 予算絶対主義と流用の関係も不条理そのものだが、政治家のウソも被災者に対する不条理の突きつけ以外の何ものでもないだろう。

 福島県は面積の7割を山林が占めていて、森の除染が最大の課題だという。

 環境省の森林除染のガイドライン。

 母屋から20メートルの範囲が限度。方法は放射能物質が付着した下草の刈り取り、落ち葉の除去、高さ5メートルより下の枝打ち。

 土の剥ぎ取りや樹木の伐採は方法外。

 森の放射線量を測定していた専門家が意外な事実を発見。木の葉が発している放射線量は以前よりも思いの外低かった。

 専門家「風雨に曝されていますからね」

 番組は放射性物質は葉から樹皮に移ったり、土に染み込んだと考えられると解説。

 環境省が汚染ガイドラインを発表したのは去年の12月。その時点では放射性物質は木の葉や地面の落ち葉に付着していたが、それから1年近く経って、居場所を変えたとすれば、ガイドライン通りの枝打ちや落ち葉の除去では効果は期待できない。事実、除染のあと、放射線量が上がったケースもあり、落ち葉を取り除いた結果、土の中からの放射線量を遮蔽する物がなくなったからだと考えられると解説。

 母屋から20メートルまでの除染が終わった世帯主が放射線量を測る。

 世帯主「1.57、1.58。山の中までやんなきゃ、ダメだって。うちの周りだけやったって。あとから自分でやっか」

 除染効果が上がらなかったケースに関する環境省見解「日常の管理の中で落ち葉などが取り除かれている土地では放射性物質が土に直接付着することもあり得る。落ち葉を除去したとしても、(除染の)効果が上がらない可能性がある」

 何ということだ。「日常の管理の中で落ち葉」が取り除かれなくても、雨が降れば、落ち葉が自然に洗われて、付着していた放射性物質は土に染み込んでいく。

 除染効果が上がらないのは落ち葉に関わる日常の管理の有無ではなく、除染ガイドラインで放射性物質の落ち葉からの移動を無視して、「土の剥ぎ取りや樹木の伐採」を除染の方法外とした硬直した役人の思考であろう。

 この点、細野も同じ穴のムジナだった。

 除染を効果的に進める対策構築の肝心な指示・肝心な行動ができないままに、去年の11月13日午前(2011年)福島県伊達市でボランティア約60人と一緒になって、「贖罪」だと称して除染ボランティアを行っている。

 なすべき肝心な役目が何であるかも認識できなかった。当然、パフォーマンスに過ぎない除染ボランティアということになる。

 にも関わらず、自身が福島に必要とされている人材であるという意識、あるいは自負をタップリと抱え込んでいた。俺がいなくては福島の復旧・復興はないとばかりに。

 南相馬市除染対策課の職員が南相馬市の除染にアドバイスを与え続けていて、除染の現場に調査のために入っていた児玉龍彦東京大アイソ トープ総合センター長に森林の除染を調査した報告書を持ってくる。
 
 その報告書は木の葉の放射性物資が以前よりも低くなり、逆に土が高くなっていて、落ち葉から土への移動を証拠立てている。

 児玉龍彦東京大アイソ トープ総合センター長「最初、落ち葉にあるから、落ち葉を取ればいいって言っていたのが、1年経ったら、落ち葉から下の土に移っちゃった。

 そしたら本当に除染するんだったら、下の土も取んなくちゃ。

 現地の林にしたって、一つ一つ違うわけですから、住宅と林と土地と道路を、どういうふうに振り割って、どこに優先度を置くかっていうことを思い切って現地の判断に任せるように。

 去年つくったマニュアルを金科玉条みたいにして、それに基づいて、会計検査院がまたチェックをするっていう話が出ていますけども、全くそうではなくて、住民のために何ができるかっていうことにフルに予算が生きるような仕組みが大事だと思っています」

 細野は「福島に寄り添う」と言いながら、環境相として、児玉氏が言う、そういう仕組を構築することができなかった。環境省の役人と同様に硬直した思考で住民の利益よりも予算を優先させて除染に取り組んでいた。

 勿論、内閣の最終責任者である野田首相の責任は重いが、細野は被災地や被災住民の側から見た場合、実際には環境相としての役目を果たしていなかったのである。

 野田首相は10月1日の内閣改造から6日後の10月7日に福島県楢葉町を視察、除染のスピードアップを指示しているのだから、自身の責任は棚に上げていたとしても、細野の環境相としての無能を認識していて、環境相から党政調会長への降格人事を行ったはずだ。

 参考までに――

 《細野環境相が言う「贖罪」とはパフォーマンスでしかない除染ボランティアをすることではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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