浦安市長の成人式挨拶、人口減危機からの出産奨励に“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令を見る

2016-01-12 09:17:32 | Weblog


 1月11日に東京ディズニーランドで成人式を行った千葉県浦安市の市長が新成人たちへの挨拶で時代的抑制を掛けているものの、本質的には“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる出産奨励の欲求を披露したらしい。

 勿論、その挨拶の言葉を伝えている「NHK NEWS WEB」にはそんなことは書いていない。こういった国家的な欲求を抱えた政治家は第1次安倍政権2007年1月の「女性は子どもを産む機械」発言した柳沢伯夫厚生労働相を代表格として国会議員も含めて何人もいることだから、どうでもいいことなのだが、それが如何に国家の号令の色合いを持つか、一応説明してみることにする。

 記事の解説文も含めて会話体に直した。

 松崎秀樹市長「日本産科婦人科学会のデータによると出産適齢期は18歳から26歳を指すそうだ。人口減少のままで今の日本の社会、地域社会は成り立たない。若い皆さん方に大いに期待したい」――

 確かに時代的抑制を効かしている。直接的には“産めよ増やせよ”的なことは言っていない。

 しかし都道府県を次ぐ地方自治体の長でありながら、「日本産科婦人科学会のデータ」を借りてはいるものの、「日本の社会、地域社会」の、いわば日本全体の人口危機を訴える国家的立場に立って、出産適齢期(=結婚適齢期)は「18歳から26歳」までだとの年限を設けて、その間に産むべきだとある意味強制的な奨励意思を働かせているのだから、言葉自体は時代的抑制を効かせていて穏健ではあっても、結婚・出産が極めて人権問題と関わる個人の問題であることに反した、“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる暗黙の意思がそこに関与していないとすることはできない。

 少なくとも出産適齢期(=結婚適齢期)「18歳から26歳」までを強制年限としたい願望を持たせた国家目線からの“産めよ増やせよ”だと確信を持って言うことができる。

 市長が戦前に生きていたなら、戦前の日本国家と同じ立場に立って、“産めよ増やせよ”の号令を率先して掛けていたに違いない。

 成人式後の記者会見。

 松崎市長「産まなければ人口は増えないし、率直な思いだ。超高齢化社会でどれだけ若い人たちが大変な時代を迎えるか、新成人が次の時代を考えていかないといけないということを率直に伝えた」――

 確かに言うとおりである。だからと言って、出産適齢期(=結婚適齢期)を掲げて、その間の結婚や出産を求めていいという理由にはならない。例えそこに“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる人口増加欲求を潜ませていなくてもである。

 誰かが結婚した時がその人の結婚適齢期、子供が生まれた時がその人の出産適齢期だと言っていたと思うが、男女それぞれに年齢の目安は持っているとしても、その目安に合わせて相手を選ぶよりも、容貌・性格・職業・収入・身長・体格等々を考慮した、あるいは計算した相手の人物に合わて選ぶことの方が多いはずで、だからこそ極端に年収の低い若者が結婚にあぶれることになるのだが、それぞれに任せるべき結婚・出産に関わる個人の選択であり、人権問題だとしなければならないはずだ。

 そんなこと悠長なことを言っていたなら、いつまで経っても出生率はこのままの状況で推移することになると言うかもしれないが、結婚・出産はあくまでも個人の選択・人権問題と思い定めて、そこから踏み外していいはずはなく、このことを原則とすることは当然、国家は勿論、行政が関与してはならないことの言い替えとなる。

 結婚と出産の機会を適齢期に閉じ込めるよりも、何歳であっても安心して結婚でき、安心して出産することができ、安心して育児できる行政サービスの確立を約束すべきだったろう。

 実際にそういった発言をしたのかもしれないが、マスコミに紹介されたのは問題発言と見られた個所のみであった。

 自治体の長がこのようなことを口にすること自体が基本的に間違っていたことになる。国家や行政は国家や社会の幸福を優先的に考えるのではなく、個人の幸福を優先させるべきだろう。そうでなければ、国民主権とはならない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 安倍晋三は中国と世界の景気... | トップ | 消費税15%・軽減税率0%→低... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事