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2019年7月28日任期満了実施参院選で 安倍自民党を大敗に追いつめれば 政権運営が行き詰まり 2019年10月1日の消費税10%への増税を 断念させる可能性が生じる |
マスコミ報道を纏めると、安倍政権が「元号に関する懇談会」を首相官邸4階特別応接室で開催してメンバーから新元号に関わる意見を聴取したのは西暦2019年4月1日午前9時を少し回った時間。その際、初めて6原案を示した。いわばメンバーは懇談会開催までは原案を知らされていなかった。
このような経緯を取ったのは安倍政権が平成改元時に倣って採用しなかった案を公表しない方針を決めていたこと、同じように平成改元時に倣って、選定過程を記録した公文書を30年間は原則非公開とする方針を決めていたことによるということである。要するに非公表・非公開の方針を示したことによって情報の漏れを恐れる情報統制に走ることになった結果、懇談会メンバーには前以って原案が提示されないことになった。
だが、30年前よりも情報公開がこれまで進んだ時代に、裏返すと、国民には何も知らせない公権力による情報秘匿、あるいは情報独占が悪と看做される時代に原案を隠すことと選定過程の記録を30年間も隠すことにどれ程の意味があるのだろう。情報公開よりも前例踏襲を優先させた。
但し単なる前例踏襲からの情報の秘匿、あるいは情報の独占であるなら、その罪は前例踏襲主義にとどまるが、前例踏襲はタテマエで、ホンネが別のところにあったなら、その罪は看過できなくなる。
懇談会開催の西暦2019年4月1日翌日の4月2日にはマスコミ各社が決定した「令和」以外の5案を「英弘」(えいこう)、「久化」(きゅうか)「広至」(こうし)、「万和」(ばんな)、「万保」(ばんぽう)だと公表している。マスコミは懇談会開催前から把握していて、懇談会終了を待って公表した可能性もある。
懇談会開催当日に6案を知らせて、どれがふさわしいか検討を求める、この徹底した秘密主義のどこに意味があり、当日提示・聴取の各意見がどれ程の具体性を持ち得るのだろうか。
既にリンク記事が削除されている2019年4月1日付「NHK NEWS WEB」記事が懇談会終了後に首相官邸から出てきたメンバー6人にインタビュ一して、6人それぞれの発言を伝えているが、その一つ。
民放連会長大久保好男「事前に候補名について教えてもらっていたわけでもなく準備もできなかった。新元号の原案が入った封筒が配られ、それを開けてから説明が始まったという段取りだった。時間が限られており、候補名に対する感想のようなものを述べた。
携帯電話は入室の前に『預かります』ということでお渡しし、封筒に入れて保管されていたと思う。終わった時点で返却されたが、部屋の中ではずっとテレビを見ながら待っていた。
歴史的な一場面に立ち会う光栄と責任を感じながら、本当に国民の方々に広く使ってもらえる、受け入れられるような元号が決まればいいなという思いで発言をした。大役を終えて、無事にすばらしい新しい元号が決まったことで、いまはほっとしている」
懇談会開催時間は、「新元号は令和 決定の一日」(NHK政治マガジン/2019年4月3日)によると、西暦2019年4月1日の9時32分から10時8分までとなっていて、たったの36分間に過ぎない。6案もある日本や中国の古典の意味・解釈を十分に吟味する時間はなかったはずで、漢字そのものに対する意味・印象や読みや説明から受けたメンバー個人個人の好悪の感覚で意見を述べていった様子を窺うことができる。少なくとも有識者同士が意見を交わし合って、最善の案へと統一させていくといった過程は窺うことはできない。
そうしたくても、そうする材料と時間は与えられていなかった。安倍政権が懇談会メンバーに9人の有識者を起用する検討に入ったのは西暦2019年3月4日である。マスコミがその時点で伝えていたとおりにメンバーは9人、上がっていた名前通りとなっている。
そして2019年4月30日付「asahi.com」 記事に元号の考案を国文や漢文等々に複数の有識者(学者)に正式に委嘱したのは2019年3月14日で、さらに複数の政府関係者の情報として、〈首相は2月末、「国民の理想としてふさわしいようなよい意味」「書きやすい」「読みやすい」といった留意事項に基づき、事務方が絞り込んだ10数案について初めて報告を受けたが、学者に追加で考案を依頼するよう指示した。〉との記述がなされている。
「事務方が絞り込んだ10数案」と言っても、事務方自身が元号を考案したわけではなく、学者の考案によるものの中から「絞り込んだ10数案」ということであるはずだ。
要するに安倍晋三自身、事務方が2月末に提示した学者考案の10数案が気に入らなかった。その挙げ句、〈政府は3月14日付で国文、漢文、日本史、東洋史などの専門家に正式委嘱〉と相成った。
にも関わらず、懇談会開催に先んじて勉強の機会を何ら与えられていなかった。この決定過程に於ける有識者の扱いは粗末に過ぎ、むしろ蔑ろな扱いとさえ言うことができる。有識者とは名ばかりで、飾りでしかなかった疑いが出てくる。
大久保好男が「無事にすばらしい新しい元号が決まったことで、いまはほっとしている」と最後に発言していることは、決まった元号に誰もが送るエールだろう。素晴らしくない元号だとは誰も口にすることはできない。
元NHKキャスターで、現在千葉商科大学国際教養学部長も発言も伝えている。
宮崎緑「新元号の原案が1枚の紙に印刷されていて、典拠などの説明もそれぞれ一言ずつ書いてあった。決を取ったりはしなかった。『令和』について、触れた方も、触れなかった方もいた。
『令和』に決まったことを知ったのは、菅官房長官の発表で知り、メンバーからは拍手が湧き上がった。美しい響きで、新しい時代にふさわしい、いい元号が選ばれたのではないか。これから皆が美しく心を寄せ合い、新しい文化を生み出していくという意味が今の時代に大変合っている」
発言のニュアンスからして、「令和」を推していなかったことが分かる。推していなかったにも関わらず、「美しい響きで、新しい時代にふさわしい、いい元号が選ばれたのではないか。これから皆が美しく心を寄せ合い、新しい文化を生み出していくという意味が今の時代に大変合っている」と言っていることは決まったことに対して伝える、これもエールの部類に入る。
「『令和』に決まったことを知ったのは、菅官房長官の発表で知り、メンバーからは拍手が湧き上がった」と言っていることは安倍政権が公表した「元号に関する懇談会 議事概要」(首相官邸サイト)に名前を伏せたまま各メンバーの意見のあらましが記述されていて、最後に、〈(2)官房長官から、懇談会での御意見を参考としながら、内閣として新しい元号を決定させていただく旨発言し、終了した。〉との記述があり、このような手続きを前提とした宮崎緑の発言だと分かる。
要するに新元号が正式に決まり、菅義偉が発表するまで懇談会メンバーは首相官邸4階特別応接室に待機させられていた。携帯電話も預けさせられたということだから、メンバーの中から情報が漏れるのを防ぐ意味での体のいい軟禁だったのだろう。
上記「NHK政治マガジン」には決定までの時系列が次のように記されている。
10:20 菅義偉が政府を代表して衆議院議長公邸で、政府による衆参両院の正副議長からの意見聴取が開始。
10:37 衆参両院の正副議長からの意見聴取が終了。
10:57 全閣僚会議が始まる。
11:16 全閣僚会議が終了する。
11:17 臨時閣議が始まる。
11:25 臨時閣議が終了する
11:41 菅官房長官が、新元号は「令和」と発表する。
懇談会メンバーは懇談会終了の10時8分から菅義偉新元号発表の11時41分までの1時間33分も待たされていた。なぜこうまでも情報統制が必要だったのだろう。情報統制は秘密主義に基づき、情報隠蔽を伴う。
有識者メンバーによる懇談会開催が6案の詳細な検討が必要であるのに対して36分、1案平均たったの6分。そして衆参両院の正副議長からの意見聴取が17分、全閣僚会議が19分、臨時閣議が8分。バタバタと決定されていった印象を拭うことができない。
衆参両院の正副議長からの意見聴取から臨時閣議までのそれぞれに短い時間で決定していったことから考え得ることは事前に既に決定していたことを単に事後に承認するやっつけ仕事としか受け取ることができない。そうでなければ、こうまでも短い時間で進めることはできない。
有識者の懇談会にしても、1案平均たったの6分と見ると、事後承認のやっつけ仕事でなければ、理解できない短時間の意見集約となる。
そもそもからして、懇談会開催後に有識者メンバーに初めて6案を提示したこと自体、やっつけ仕事以外の何ものでもない。レールが敷かれていなかったら、結論は出すことはできない短い時間となっている。レールが敷かれていたからこそ、有識者とは名ばかりの飾り扱いができたはずだ。
このことを解く鍵を上記2019年4月30日付「asahi.com」から見つけることができる。3月14日に一旦は複数の学者に元号考案を正式に委嘱しておきながら、〈その前後の3月初めから下旬にかけて、国書と漢籍の複数の学者に追加の考案を打診した。その求めに応じて提出された複数案の一つが、中西氏が3月下旬に出した「令和」だった。〉云々。
要するに安倍晋三は3月14日の正式な委嘱にも関わらず、それ以前の3月初めから追加の考案を複数の学者に打診していた。
天皇がビデオメッセージで生前退位の意思を示したのは西暦2016年8月8日。翌西暦2017年6月16日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の制定。天皇が退位し、次が即位となると、新しい元号が必要となることは自明中の自明だから、委嘱に先んじて色々と案をねり、手ぐすね引いて待っていた学者もいただろうから、正式委嘱前でも、既に出来上がっていた案を直ちに提示できる状態になっていたケースも多々あったはずである。
にも関わらず、安倍晋三は2月末に事務方から示された、学者の考案の中から絞り込んだ10数案が気に入らなかった。その結果、3月14日の正式委嘱の手続きを踏む前の3月初めから国書と漢籍の複数の学者に追加の考案を打診することになった。
ここから見て取ることができる手続きは安倍晋三が全てを自分で決定しようとする独断専行のみである。素直に学者の考案を待ち、その案を懇談会メンバーに素直に諮って、その決定を待って、素直に元号とする公平・ストレートな手続きはどこからも窺うことができない。
安倍晋三の追加の求めに応じて提出された複数案の一つが中西進の「令和」だということなら、安倍晋三の自分で決定しようとする独断専行との兼ね合いからして、本命を「令和」とした、そのことを気取らせないための、当て馬として提出させた「令和」以外の複数案と見ることができる。
4月1日開催の「全閣僚会議・議事概要」の最後に次のような記述がある。
〈(2)官房長官から、構成員からの意見を踏まえ、新元号については総理に一任することとしたいとの発言があり、了承された。
(3)総理大臣から、新元号を「令和」としたいとの発言があり、了承された。〉――
「元号に関する懇談会」でも決を取らず、〈(2)官房長官から、懇談会での御意見を参考としながら、内閣として新しい元号を決定させていただく旨発言〉があったにも関わらず、「全閣僚会議」でも決を取らなかったのだから、内閣として決定したのではなく、優先されたのは安倍晋三が決定の一任を握った、全てを自分で決定しようとする独断専行であり、その賜物であろう。
「令和」決定が安倍晋三の全てを自分で決定しようとする独断専行であったからこそ、懇談会メンバーの発言等の非公開・非公表が単なる前例踏襲ではなく、ホンネが別にあったと見ることができ、懇談会メンバーとは名ばかりで、飾りでしかなかったとしても無理はないことになる。
さらに「令和」がバタバタと決められていった経緯も、本命として事前に既に決定していたことを単に事後承認するやっつけ仕事だったからこそ可能となった決定であるはずで、このことも安倍晋三の全てを自分で決定しようとする独断専行に基づいているはずだ。