自民党幹事長二階俊博が何を血迷ったのか、東京都内で記者団に対して女性天皇に肯定的な考えを示したという。
何を血迷ったのかと表現したのは、安倍晋三、菅義偉、稲田朋美、高市早苗等々、現在安倍政権下で力を得ている面々が女性天皇反対の四面楚歌を奏でている中で突如として独り声を上げたからである。
2016年8月25日付「NHK NEWS WEB」記事からその発言を見てみる。
二階俊博「諸外国でもトップが女性の国がいくつかあるが何の問題も生じていない。日本にもそういうことがあってもよいのではないか。女性がこれだけ各界で活躍している中で、天皇だけが女性では適当でないというのは通らないと思う」
記者「先に天皇陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明されたことも踏まえて、女性の皇位継承も合わせて議論することが望ましいか」
二階俊博「この機会に一緒にやれればいいだろうが、やれなければ切り離して考えればいい」
この発言に対して官房長官の菅義偉が2016年8月26日午前の記者会見で物申している。「NHK NEWS WEB」(2016年8月26日 12時47分)
菅義偉「政府の立場でコメントすることは控えたい。安定的な皇位の継承を維持することは国家の基本に関わることであり、極めて重要な問題であると認識している。
男系継承が古来例外なく、今日まで維持されてきた。この重みを踏まえながら、安定的な皇位継承の維持について考えていく必要もある」――
記事は菅義偉の発言を慎重な対応の必要性を訴えたものとしているが、「古来例外なく、今日まで維持されてきた」「男系継承」のその歴史的な例外のなさを重いものだと価値づけたのである。
誰が例外をつくろうとするだろうか。安倍晋三等々のゆくゆくは非男系(=女系)となるゆえに女性天皇に反対する復古主義者たちは万世一系と称する男系のその例外のなさに最重要の優越的な価値を置いているのである。
菅義偉は慎重な対応の必要性を訴えるように見せかけながら、男系継承の歴史的な例外のなさ、それゆえの歴史的な重みを持ち出して女性天皇に実は反対したのである。
安倍晋三にしても、菅義偉、稲田朋美、高市早苗の親分として勿論、女系天皇反対派の最右翼の位置に立っている。
以前ブログに取り上げたが、2005年(平成17年)1月26日、当時の小泉首相が私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を設置、同2005年10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を「皇族女子」と「女系皇族」へ拡大することを決めたが、後任の安倍晋三は女系天皇反対の立場から、有識者会議が結論づけた「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻している。
「直系長子優先継承、女系継承容認」の「長子」とは第一子を指す。例え直系長子(=第一子)が女性であっても、優先的に皇位を継ぎ、その男系の女性天皇が一般男性と結婚して子どもを設けて、それが男性であれ、女性であれ、皇位を継げば女系天皇となるが、それを容認するとした。
また男系とは例え女性天皇であっても、父方(父の血統に属している側)の血を遡って行くと、皇祖神武天皇の血に繋がる系統を言う。
つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないと、例え男性天皇であっても、男系天皇とはなり得ず、皇位(=天皇)を受け継ぐ資格はないことになる。
このことが旧皇室典範と同様、現皇室典範に於いてもその「第1章 皇位継承 第1条」で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」との規定となって現れている。
有識者会議の報告に基づいて男系か女系かを現在の皇太子と雅子妃の子供である愛子内親王を例に取って説明すると、愛子内親王は直系長子(=第一子)として天皇の位を継ぐことができ、父は皇太子、祖父は今上天皇であって、父方の祖先を辿っていけば初代神武天皇につながる血統を有しているために女性天皇であっても男系の天皇ということになるから、問題はないことになる。
但し愛子内親王が結婚して子を設けた場合、その父が男系の皇族でない限り、いわば一般男性であったとき、その父方の祖先をどのように辿っても初代神武天皇に辿り着くことができない非男系となることになって、愛子内親王の子は例え第一子男性であっても現在の皇室典範では天皇を継ぐことができず、継ぐには当時の有識者会議の報告通りの改正を待たなければならない。
つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないことになるからである。
それ程にも皇祖神武天皇の血に最大・絶対の価値を置き、なおかつその最大・絶対の血は父方の血を通して受け継いでいることが皇位継承の絶対要件となっている。
安倍晋三が「皇室典範に関する有識者会議」の「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻した事実を取り上げるだけで、次の代で男系から外れる確率が高い女性天皇と男系とは無縁の女系天皇に猛反対、男系に拘っていることが理解できる。
男系に拘るということは皇祖神武天皇の血と、父方を通して連綿として受け継いでいるその代々の血に拘っていることを意味する。
だからこそ、日本民族の優越性を、あるいは天皇の絶対性を“万世一系”に置く。
安倍晋三のこのような姿勢は、私自身は読むのはカネと時間の問題となるから読んでいないが、2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号に 『民主党に皇室典範改正は任せられない 「女性宮家」創設は皇統断絶の“アリの一穴”』と題する寄稿した一文に現れている。
当時民主党野田政権が議論していた「女性宮家創設」に反対する意向を示した文脈の中で述べている発言だという。
安倍晋三「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――
「皇室の歴史と断絶」とは、勿論のこと、父方を通した皇祖神武天皇の血の断絶を指す。
かくまでも天皇家が皇祖神武天皇に始まって代々受け継いている血に価値を起き、恭しいまでに尊んでいる。
安倍晋三と国家主義的歴史認識の点で近親相姦性にある、当時自民党政調会長だった高市早苗も、013年4月27日に読売テレビに出演、女性宮家の創設に関して「皇位継承の話なら明らかに反対だ。男系の皇統は堅持すべきだ」と述べたとマスコミが伝えていた。
最後に安倍晋三一派と歴史認識に於いて同じ穴のムジナである稲田朋美の男系への拘り・女系への拒絶意識を2006年1月7日付で産経新聞に「正論」として寄稿した一文から見てみる。
「『男系維持の伝統』は圧倒的に美しい」
稲田朋美「日本国の憲法である以上、国民統合の象徴としての天皇の存在(二千六百五十年以上も続くこの国の形である)は、成文憲法以前の不文の憲法として確立しており、これを改正することは革命でも起こさない限りできないのである」――
天皇を現人神とし、帝国憲法で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とした戦前ならいざ知らず、民主化した戦後日本で天皇の存在を「二千六百五十年以上も続くこの国の形」だとし、この「国の形」は憲法に優先する「不文の憲法」だから、永遠不変のものだとしている。
この考え方は国民は天皇あっての国民という存在形式を取ることになる。
安倍晋三の「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもので、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」とする認識、日本国の歴史の主人公を天皇に置いている考え方とそっくり同じである。
稲田朋美は上記「正論」で、「皇位の継承の本質が何かは男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない。皇位の継承は、現行憲法や旧皇室典範が制定される二千五百年以上も前から厳然として存在した。これを伝統といわずして何を伝統というのか。そしてその伝統の中心は男系の維持にあった」と書き、「皇位の継承における最初のAは、二千六百五十年以上も厳然と続いてきた男系維持の伝統(父をたどれば神武天皇になる)である。私はこの理屈を越えた系譜を圧倒的に美しいと感じている一人であり、日本人とはこれを美しいと感じる民族なのである」と書いている。
稲田朋美が「皇位の継承の本質は男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない」と言おうと、どう言おうと、「父をたどれば神武天皇になる」と書き、そのことを以て美しい「男系維持の伝統」だとしている以上、皇祖神武天皇の血と、それを父方を通して延々として受け継いでいる代々の天皇の血(=男系の血)に最大・絶対の価値観を置いていることの告白としかならない。
この男系の血の最大尊重は、それが天皇家に限定した価値観だとしても、遠い過去に於いて天皇家とその周囲の世俗権力者たちが女性の血よりも男の血に絶対的且つ優越的な権威を置いていたからこそ成り立たせることができた男系であり、その繰返しとしての伝統であって、男の血と女の血に同等の権威を置いていたなら、決して歴史に現れることはなかった男系の維持であったはずである。
いわば安倍晋三や菅義偉、あるいは稲田朋美や高市早苗等々の現代の天皇主義者であると同時に復古主義者たちは遠い過去の世俗権力者たちと同様に今以て男性上位・女性下位の価値観で天皇家を律しようとしている。
その点に天皇家の価値を最大限に置こうとしている。
だからこそ復古主義者なのである。その復古主義は天皇主義をベースに置いている。