民進党代表戦:民主党政権で党をダメにした一蓮托生の手垢がついた面々は表舞台に出るべきではない

2016-08-02 11:25:48 | 政治

 7月30日、民進党代表岡田克也が記者会見で9月予定の代表戦への不出馬表明をした。

 もし再出馬表明したなら、お笑いそののものである。そのツラの皮が疑われる。

 「民進党のサイト」に記者会見発言が載っている。 

 岡田克也「私としては自身の達成感がある。海江田さんが落選されて代表がいなくなって、そのあとに代表に就任したわけだが、この1年半の間に例えば維新の党との合併、あるいは野党共闘路線の方向付けなどができたと思っている。そして衆院の候補者についてもおおむね200人程度揃えることができて戦える態勢はできた。

 そして、そのなかで迎えた今回の参院選挙だが、いろいろな見方はあり、過半数を相手方に許したわけなので、われわれは負けは負けなのだが、3年前と比べると17議席から32議席ということで一定の成果を出すことはできた。

 どん底の状態から反転攻勢できる1歩を踏み出すことができたと自分自身では思っている。そういう意味では一区切りつけられる状態まで来た。

 相当な責任感でかなり集中してこの1年半やってきたが、ここで一区切りつけて新しい人に(代表を)担っていただいた方が、党にとっても日本の政治に政権交代可能な政治をつくるという意味でも望ましいのではないかと判断した」―― 

 「3年前と比べると17議席から32議席」に増やした。だから、党代表として「一定の成果」を出した。

 だが、公示前議席は60から新勢力49へと11議席減らしているのである。自民党は改選議員50人に対して56人当選させた。対して民主党は改選議員45人に対して32人しか当選させることができなかった。

 新しく立候補して当選した者もいるだろうが、全体数としては改選議席を13議席減らしていて、その結果従来の勢力を11議席減とした。

 にも関わらず、「一定の成果」と言う。

 例え「3年前と比べると17議席から32議席」に増やしたとしても、それが民進党に対する積極的評価からなのか、消去法的評価なのか考えなければならない。政党支持率は自民党の30%超えに対して民主党時代も、民進党になってからも、10%前後で推移する党勢低迷の状況にある。

 この党勢低迷がそのまま投票結果に現れた公示前議席60から11議席減の新勢力49ということなら、少なくとも新たな積極的評価は限りなく少ないと見なければならない。

 アベノミクスの効果の不信用性に気づき始めた有権者、あるいは自公が強大与党となることへの警戒感を持った有権者が、そのストップの便宜として民進党に投票した消去法的評価からのケースが多々あったとしても、それが積極的評価でない以上、民進党の党勢拡大の努力によって報われた成果とは決して言えない。

 こういった現実をこそ直視しなければならないはずだが、直視できないこの認識能力の非合理性は党の代表が備えていい資格の一つに入れることはできない。

 また、民進党に対する新たな積極的評価を有権者から引き出す党に於ける最終責任者は代表であり、如何に引き出せたかは党代表期間の政党支持率の数値や選挙に於ける議席獲得数となって現れるのだから、その全体的状況が芳しくないにも関わらず3年前の議席の比較のみを「一定の成果」とすることも、党代表が備えていい視野狭窄な認識能力と言うことはできない。

 この記者会見を紹介している民進党サイトには記者との質疑が載っていない。たいした質疑ではなかったとしても、それを判断するのはその情報に触れた有権者であって、民主党の人間ではない。

 民主党に関係する情報は良い情報だろうと悪い情報だろうと、何でも知って貰って、民主党に対する評価の対象とするという姿勢こそが批判を評価に変える想像性へと導き、党発展の基礎となると思うのだが、そうなっていないことも党トップの認識能力にかかっているはずだ。

 この質疑のやり取りは「産経ニュース」が紹介している。 
 
 記者「東京都知事選で擁立に動いた鳥越俊太郎氏が落選した場合の責任を回避するため投開票前に代表選不出馬を表明したのか」(下線部分解説文を発言体に変更)

 岡田克也「それをゲスの勘ぐりと言うんじゃないですか。そういう考え方に立っていない。

 (都連が出馬要請した元経済産業省課長の古賀茂明氏に振り替えて鳥越擁立に動いたのは)鳥越さんの方が幅広く支持を集められるという判断はあった。判断は間違っていなかったと思っている。
 
 当然責任はあるが、基本的に代表が知事選の責任を取るとのは違うと思っている。代表が責任を持つべきは参院選と衆院選の本選だ」

 要するに週刊誌女性問題報道がなければ、当選の可能性があった、判断は間違っていないということなのだろうが、与党分裂でありながら、序盤情勢で一気にトップに躍り出ることが出来なかったことは鳥越俊太郎の都知事としての適格性を考えた場合、有権者からしたらそれ程のサプライズではなかったからであり、その結果小池百合子とどっこいどっこいの評価しか受けることしかできなかったということであろう。

 また週刊誌報道で鳥越本人が事実無根と否定したにも関わらず支持が減ったということは、鳥越ならさもありなんと思わせる臭いを多くの有権者が嗅ぎ取ったからであり、逆に鳥越に限ってという思いで受け止められていたなら、多くは本人の否定に添う反応を示すはずで、然程の影響は生じなかったろう。

 知事選に敗北したからと言って、代表としての責任を辞任という形で取ることはないにしても、候補者選定を一旦は都連に任せながら、岡田克也が主導して党本部で鳥越に立候補者を差し替えまでした都知事選の結果である以上、少なくとも代表としての目・見識が問われる事案であって、自ずと代表としての資質に関わってくる。

 民主党と維新の会との合流にしても、岡田克也は最後まで民主党の党名に拘った。党名は党所属の人材や党が掲げる政策に対するその時々の有権者の総合評価によって塗り替えられる看板に過ぎない。

 「名は体を表す」という諺があるが、断るまでもなく、「名」が党名に当たり、「体」が党所属の人材の資質や党が掲げる政策に当たる。

 いわば「名」が「体」を変えるのではなく、「体」が「名」を変えていく。「名」に拘って、「体」が自ずと変化していくわけではない。

 如何に党を発展させ、党勢の回復・拡大を図るか、その一点に考えを置くべき発展的思考能力を欠いて、党名のみに拘った。

 そもそも民主党という党名に対する現在の有権者の総合評価は政権交代後の民主党鳩山政権・菅政権・野田政権の三代政権によって固まり、それを民進党になっても引き継いでいる。

 その代表的な総合評価は「民主党には国は任せられない」と言うもので、それを民進党となっても引き継いでいる。

 その理由は民進党の執行部は民主党執行部を構成したメンバーと殆んど変わらないからだ。「体」が変わらないのに党名を変えても、本質的には「名」にしても変わることはない。

 民主党鳩山・菅・野田の三代政権が各首相を筆頭にその執行部メンバーが営々として築き上げた「民主党には国は任せられない」という有権者の総合評価であって、そういった点で執行部メンバーは全て戦犯であり、そのメンバーを代表的な一人として担ってきた岡田克也が代表になろうとも、戦犯の一人を代表に据えただけのことで、評価を変えることなどできるはずはない。

 戦犯の一人である岡田克也は取り敢えずは執行部という表舞台から退場することになった。

 入れ替わりに登場する代表は民主党という看板を「民主党には国は任せられない」という評価に塗り替えた戦犯、民主党政権時代に執行部を構成したメンバーであっていいはずはない。

 断るまでもなく一蓮托生の手垢がついたかつて戦犯の面々だからだ。代表を固める執行部を構成するメンバーにしても、同じように一蓮托生の手垢がついた戦犯だったなら、岡田克也とその執行部と同様に看板を新たに塗り替えることはできまい。

 民主党政権時代に執行部を構成し、一蓮托生の手垢がついた戦犯を挙げるとしたら、前原誠司、細野豪志、蓮舫、長妻昭、辻元清美、安住淳、枝野幸男、江田五月、玄葉光一郎等々であって、代表にも執行部メンバーにも加えるべきではないだろう。

 それ程にも罪が重いのは現在の党勢の低迷そのものが証明している。

 となると、一蓮托生の手垢が付いていない戦犯ではないメンバーとなると、旧維新の会のメンバーしかいないことになる。

 旧民主党時代に築いた国民の不評判を一掃するためにも、思い切って新執行部を旧維新の会のメンバーで固めることも一考のように思える。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする