災害復興住宅独居死/生命(いのち)に対する「危機管理」

2009-01-15 18:00:35 | Weblog

 「危機管理」とは予想されるテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測の事態に備えた人命救助方法の構築やそれら不測の事態が発生した場合の一刻も早い人命救助活動ばかりを言うのだろうか。

 ≪独居死 過去最少の46人 兵庫県の災害復興住宅≫asahi.com/2009年1月14日)

 <阪神大震災の被災者らが暮らす兵庫県内の災害復興住宅で、誰にもみとられずに亡くなった一人暮らしの独居死者が08年は46人いた。県警などへの取材でわかった。前年より14人少なく過去最少だったが、発見まで約5カ月たっていたケースもあった。入居者の高齢化が進む中、65歳以上が76%(35人)を占めた。

 292カ所の復興住宅で県警が変死として扱った事例をまとめた。内訳は男性27人、女性19人。平均年齢は72.8歳だった。80代が19人と最も多く、次いで70代11人、60代と50代が各6人の順。死因別では病死36人、事故死8人、自殺1人、不明1人だった。遺体発見までの日数は「1日以内」が28人。「2~10日以内」の13人を合わせると、約9割を占めた。

 発見まで約5カ月かかったのは神戸市兵庫区の男性(72)。昨年7月17日、浴槽の中で亡くなっているのを訪ねてきた姉が見つけた。県警によると、死亡推定日は同2月20日ごろ。神戸市では介護などの生活支援が必要な独居の高齢者を対象に見守り活動をしているが、男性は対象外だった。男性と同じ階に住む住民(57)は「住民はほとんどが高齢で一人暮らし。自治会もないので付き合いはほとんどない。男性とも面識がなかった」と話した。

 被災者が復興住宅に移り住み、仮設住宅は00年1月に解消。それ以降の9年間で、復興住宅の独居死者はこれで男性366人、女性202人の計568人になった。 >――――

 阪神・淡路大震災。1995年(平成7年)1月17日発生から、あと2日で14年が経過する。「過去最少」と言っても、昨年1年間で独居死が46人も存在した。

 日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」は次のように規定している。

 (1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなけ
    ればならない。

 ここで憲法が宣言していることは精神面と物質面との両面に亘って「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を「すべての国民」に保障するということだけではなく、保障することによって国民は人間として“生きて在る”存在となり得ることを示唆した宣言であろう。

 当然のことだが、国民の「生存権」としての上記規定は人間が“生きて在る”存在であることを保障する基本形を成すもので、そこから出発して人間が“生きて在る”全場面に適用されることによって、国民の「生存権」は全うされる。

 また憲法によるそのような「生存権」の保障は広い意味で国による国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」業務に入るはずである。

 考えられるテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測の事態のみが国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を脅かす「危機」――人間の生命にとっての「危機」ではないからだ。

 人間が“生きて在る”全場面に亘って国の国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」が機能してこそ、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権は保障される。

 逆説するなら、テロ、事件、事故、あるいは災害等の不測事態発生時のみの「危機管理」であったなら、国民の「生存権」――“生きて在る”ことの基本形は全面的には保障されないことになる

 災害復興住宅で誰に看取られることなく独り寂しく死んでいく、そのことに誰にも気づかれないことが「健康で文化的な最低限度の生活」の反映としてある人間として“生きて在る”ことの最終場面として許されるとしたら、国の国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」はテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測事態発生時のみの「危機管理」で終わることにならないだろうか。

 いわば日本国憲法が保障している「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」なる規定の否定――そこまでいかなくても、損壊に当たらないだろうか。

 私には災害復興住宅ばかりではなく、公営住宅に於ける高齢者の独居死が地方自治体を含めた国の怠慢から生じている国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」の機能不全に思えて仕方がない。

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