麻生内閣の「矜持」が国会議員定額給付金受取り謀議に走らせた?

2009-01-07 06:25:54 | Weblog

 6日午後のNHKニュースで流していたことだが、自民党の細田幹事長が6日の政府・与党連絡会議で定額給付金を「景気対策として支給されるので、国会議員も受け取りを辞退せずに受け取って使うべきだ。政府としても考え方を揃えてほしい」と言い出したと伝えていた。

 公明党の北側幹事長も「定額給付金は国民が払った税金を戻すものであり、堂々と使うべきだ」と応じたというが、普段から税金をムダ遣いしていて、何を言う。

 麻生首相が高額所得者が貰うのはさもしいとか、貰わないのが普通で人間の矜持の問題だとか言っていたことに反する「貰いましょう」ではないかと思ったが、民主党が二次補正予算案から定額給付金の切り離しを求めていることに対して総合経済対策の柱として組んだ手前、それをなり振り構わずに正当化する必要が生じて演じざるを得なくなったこじつけ・牽強付会といったところなのだろう。

 つまり政府が「考え方を揃え」たとしても、野党議員は辞退するだろうから、与党の国会議員が赤信号、みんなで渡れば怖くない式に全員して雁首揃えて貰って貯蓄しないできっちりと消費して消費拡大への底上げを図ることで支給は正しい決定だったとしようということなのだろうが、しみったれた話ではないか。

 逆に我々が貰わなくてもこれこれの効果があったとしてこそ誇ることができるというものだが、効果が怪しいから、自公国会議員分だけでも底上げが欲しい。

 こじつけ・牽強付会の類だから、所得制限を設けるだの設けないだのと一騒動も二騒動もあったことも「矜持」もクソもなく、ケロッと忘却の彼方に沈めてしまっている。

 麻生首相が「全世帯について実施します。規模は2兆円。単純に計算すると4人家族で約6万円になるはず」と大見得を切ったのに対して、与謝野馨経済財政担当相が「経済対策ではなく社会政策として議論が始まった。・・・・高い所得層への定額減税に社会政策的な意味があるのかという根本的な問題に答えないといけない」とか「2000万円も3000万円も貰っている人に生活支援というのはおかしい」とか言って、高額所得者への支給に異議を申し立てた。 

 途端に舌の根を乾かす暇もなく昨日言ったことと今日言ったことを平気で変える麻生首相が「どういうふうに割り振るか政府が検討するが、技術的には難しい」と言いつつも、「全然いい。生活に困っているところに出すのであって、豊かなところに出す必要はない。・・・・おれのところに来るか? 私のところに来るわけがない」といとも簡単屁の河童で「全世帯実施」を放棄。所得制限を設ける場合の下限を年間所得1800万円(給与収入概算2074万円)に設定したはずである。

 NHK「ニュース7」でも同じニュースをより詳しく流していた。細田幹事長がこういった発言をしたと伝えた後、最初に登場したのが「友達の友達がアルカイダ」の鳩山総務相。
 
 鳩山「家計への緊急支援だから、民主党の幹事長や私のような人間、エー、本来受け取るべきではないということかもしれませんなあ、と言ったことはあるんですが、私は受け取ります。国民みんながニコニコして受け取るということで、全閣僚、全国会議員、がみんなニコニコ受け取ったらいいんじゃないでしょうか」

 「全閣僚、全国会議員、がみんなニコニコ受け取」るのは結構毛だらけ猫灰だらけで構いはしないが、「本来受け取るべきではないということかもしれませんなあ、と言った」ことに対して、どういう正当な理由・正当な事情があって「私は受け取ります」に態度を変えたのか説明がないまま、いきなり「私は受け取ります」につなげたから、拍子抜けもいいとこで、満足な日本語となっていない。

 漢字が満足に読めない首相だとか日本語を満足に使えない閣僚だとか、思ったことを頭の中で思考の濾過装置を通さずに取捨選択しないまま思ったままを言葉に短絡化させて後で弁解する閣僚だとか、その代表が麻生太郎だが、もう少し利口になって欲しいと願うのは私一人だろうか。

 NHKニュースは先月の参議院決算委員会での麻生首相の国会答弁を取り上げて、

 「多額のカネを今貰っている方が、でも、1万2千円を頂戴と言う、方を、私は、さもしいと申し上げたんであって、1億も収入のある方は、貰わないのが普通、だと、私はそう思っております。従って、そこのところ、人間の矜持の問題かもしれませんけど――」

 「多額のカネを今貰っている」とは、何と剥き出しな表現なのだろうか。「多額の収入を今得ている」といった穏やかな言い方ができないのだろうか。

 安倍内閣の発足時、安部晋三は「本日美しい国づくり内閣を組織しました」と公約をそこに置きながら、1年も持たずに美しくない無責任さで内閣を投げ出して「美しい」を言う資格のない政治家であることを完璧に証明してしまったが、それと同様、内閣総理大臣でありながら自分の言葉に首尾一貫性を持たせることができないのだから、麻生太郎も「矜持」を言う資格はないのだが、そんなことはお構いなしである。

 次の登場人物は河村官房長官。――

 「地方経済を考えたときに、やっぱり内需拡大というのは非常に重要な視点になって参りました。我々も、また、そういう同じ目線に立って、この、給付金をですね、そういうものに役立てるという視点を持つ必要が、私は、ある、あって然るべきではないかと。このように考えますから、幹事長が言われることに、私は、あの、賛意を示しております」

 元々みんなで謀り合ってみんなで決めたことなのに、幹事長が言い出したかのように言う。

 小泉首相が靖国神社を参拝して中国・韓国から批判されると靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の建設を取り沙汰するが、時間の経過と共に批判が和らぐと国立追悼施設建設の取り沙汰も止み、その繰返しであったのと同様、貿易黒字が膨らみすぎたり外国にモノが売れなくなったりすると内需拡大を叫ぶが、結局は元の木阿弥の外需依存に戻る、その繰返しで、外に売れなくなったことからの今に始まったことではない、いわば付け焼刃の「内需拡大」云々に過ぎない。

 大体が地方を過疎化させ、地方を疲弊させたのは公明党と組んだ自民党政治である。例え定額給付金が貯蓄にまわらずに全額消費に向けられたとしても、過疎の土地の全額がどれ程の内需拡大に役立つと言えるのだろうか。地域全体の支給金の総額は人口数に比例し、すべて消費された場合、その金額も人口数に比例する。いわば東京や大阪といった人口密集地地域では支給総額自体が相当な金額にのぼり、消費に向かう金額にしても比例して多くなるはずである。

 結果、より人口の多い地域がより多くの恩恵を受け、過疎の地域ほど恩恵は薄く、今までどおりに過疎は過疎として取り残される。

 給付金が織りなすことになるこの都市と地方、地方でも特に過疎地域との間に及ぼす恩恵をめぐる温度差はそのまま現在もある都市と地方の経済格差・生活格差の寸分違わぬ写し絵に過ぎない。

 いわば給付金にしても都市と地方の格差を広げこそすれ、縮めることに何ら役に立ちはしないということである。

 例え高額所得者を排除したとしても、それ以外の者は1人当たり1万2000円、18歳以下と65歳以上には8000円の加算で、それぞれに平等に行き渡るようには見えるが、地域単位の消費効果で言うと、人口数に比例して格差が生じる。自分の住むところは過疎地で満足な商店がないからと、人口数の多い町に出て買い物をしたら、自分の住む場所の「内需拡大」にはつながらない。

 安倍晋三が「美しい国」を言う資格がないように、また麻生太郎が「矜持」といった言葉を口にする資格がないように、都市と地方の格差をつくり、放置してきた自民党政治家に「地方経済」について偉そうに言う資格はない

 NHKニュースは次に首相官邸での麻生首相のぶら下がり記者会見を伝えた。

 麻生「これは消費刺激と、いう点で意義があると、いうことですんで、是非みなさんの方には使って欲しいなと。私自身は、そう思っています。私自身がどうするかと言うのは、今、まだ判断をしている段階でありませんで、私自身はそのときになって考えたいと思っています」

 男性記者「受け取られる可能性もあるということですか?」

 麻生「そのときになって判断させていただきたいと、今答えたとおりです」

 うまく答えたとばかりに得意気な笑みを見せた。

 ニセモノではあっても「矜持」がかかっているから、受け取ることはないだろう。だがここで受け取らないと宣言したなら、自民党と公明党の国会議員全員で受け取ってその分の消費拡大の底上げを図り、こじつけようと企んだ定額給付金正当化の牽強付会に水を差すことになる。

 策をめぐらす頭もないのに策をめぐらして策に溺れるだけでは済まず、それを通り越して全員して政権から沈没してしまう危険を孕んだ、いくらニセモノだからといっても、麻生首相自身が口にした「矜持」を自らも蔑ろにする、麻生首相も加わった定額給付金正当化謀議のドタバタに思えて仕方がない。

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