アフガニスタンでNGO「ペシャワール会」所属の日本人活動家伊藤和也(31)さんが反政府武装勢力に拉致され殺害された事件。
拉致・誘拐されたと報道され、その後日本人らしい遺体の発見、ヘラヘラ男の山本太一外務副大臣が本人かどうかの確認に当たっていると記者会見で報告、本人と確認されたとき、誰もがその突然の死に理不尽さを感じに違いない。
その理不尽さは危険な国だと承知していながら農業支援を通してアフガニスタンの復興に貢献すべく懸命に活動している若者の無私の努力を反政府をスローガンにしているもののその活動の一環として一民間人を拉致・誘拐し殺害して無化してしまうその手段を選ばない情け容赦のない暴力性によって深まる。
同時に私自身としては私のように他者・他国に対して無私の貢献を何もしないことによって命の安全を保障され、安全無事な生活を送ることができる、その逆説性に対する理不尽さも感じないわけにはいかなかった。
いわば何もしないでぬくぬくと生きていることが命の安全を保障されることの皮肉な事実に感じた理不尽である。
アフガンでのタリバン、もしくはその類似武装勢力の外国人を標的とした拉致・誘拐は日本人の場合は今回が初めてであるが、元々武器を使用した反政府武装戦闘だけではなく、身代金獲得もしくは逮捕されている武装兵士の釈放等を交換条件とした外国人を標的とした拉致・誘拐をも反政府活動の一環としている。
昨07年7月19日にアフガニスタンで短期宣教を行っていた韓国人福音派キリスト教徒23名を拉致、アフガン政府に人質の解放と引き換えにタリバン兵士の釈放とアフガン駐留の韓国軍の撤退を要求、その交渉中、解決を見ないまま交渉期限の24時間延長を続けた7月25日、人質のリーダー格の42歳の牧師を殺害。さらに7月31日に29歳の人質男性を殺害して要求貫徹の意志の強さを示したのに対して韓国政府が直接タリバンと交渉開始し韓国軍の撤退を発表、人質は順次解放され、8月30日に43日ぶりの全面解決に至っている(以上「Wikipedia」を参照)。
<「韓国政府は解放のため、タリバン側に少なくとも400万ドル(約4億3000万円)を身代金として支払った」と米時事週刊誌ニューズウイークが6日付電子版で報じた。>と2008年2月10日の「朝鮮日報」は伝えている。
韓国人23名が拉致される5日前にはドイツ人ダム技師2人が同僚のアフガン人5人と共に拉致・誘拐され、その後ドイツ人1人の遺体が発見されている。
その他にも2005年11月に復興支援に携わっていたインド人男性技師が拉致・殺害、2007年3月に取材中のイタリア人記者が現地人ガイドと共に拉致・誘拐され、現地人ガイドの1人が遺体で発見されるといった威嚇を受けた後イタリア人記者は収容中のタリバーン戦闘員5人との交換で解放されている。
4月に入ってフランス人支援活動家ら5人が拉致・誘拐され解放まで2カ月以上の日数を要した。
また韓国人福音派キリスト教徒23名拉致・誘拐の解放交渉中の8月半ば過ぎにキリスト教援助団体に所属し、その活動をアフガンで行っていたドイツ人女性がカブールのレストランで夫と食事中、女性のみが拉致・誘拐され、警察当局によって救出されている。
このような外国人拉致・誘拐、最悪の場合の殺害はアフガニスタンの一方の現実であり、その現実はアフガニスタンを否定し難く覆ってる。日本という安全な国でぬくぬくと暮らしている私にはこんなことを言う資格はないと承知しているが、それでもこの厳然たる事実をアフガニスタンで活動する外国人は彼ら自身の問題として日々認識していなければならないだろう。次の標的は自分かもしれないと常に警戒を忘れず、そのことに備えた危機管理意識の保持に心掛ける。長距離トラック運転手の中には、次に大事故を起こすのは自分かも知れないんだぞ、気をつけて運転しろと自分に言い聞かせながら運転する者がいると言うことだが、そのように他者に降りかかった災難を次は自分の問題として把え、その災難に備えた危機管理意識を自分自身に向けて常に発動し続けて、確実な効果は不確かではあっても、防御の助けとする。
だが、29日の「asahi.com」記事≪「我々が撃った」伊藤さん殺害、24歳容疑者認める≫を読んで、おや、と思った。記事は遺体回収を受けたアフガン当局の検視後に日本大使館で記者会見したペシャワール会現地代表の中村哲医師が「伊藤さんは26日早朝、井戸の見回りに行く途中に武装した4人組に襲われた。道路が石で通行止めにされており、運転手と一緒に石を取り除いた直後に拉致された」との説明を行った上、「ペシャワール会の現地事務所に06年から日本人を拉致するとの脅迫があった」ことを明らかにしたと書いている。
「ペシャワール会の現地事務所に06年から日本人を拉致するとの脅迫があった」――
この脅迫を待つまでもなく、伊藤さんはアフガンでその復興に貢献する活動を心に決めて5年前にアフガン入りした時点で反政府武装勢力が存在し、その破壊活動を継続中である以上、彼らによる拉致・誘拐、最悪の場合殺害される危険性を念頭に置いた危機管理意識を常に保持して活動に従事すべきで、また伊藤さんと共に活動するペシャワール会もそのように注意し、その注意をも肝に銘じていなければならなかったはずだが、「井戸の見回りに行く途中に」「道路が石で通行止めにされており、運転手と一緒に石を取り除いた」行為にはどのような危機管理意識・危機感も窺うことができない。
井戸を見回るのは初めてでないだろうから、山肌の土石が自然崩落した様子の障害物だというならまだしも、「石」で「通行止めにされて」いる障害状況は以前にはなかった、そこにあるはずもない場面であって、もし反政府武装勢力による外国人拉致・誘拐、殺害に備えた危機管理意識をそのときも念頭に置いていたなら、遠目に見ただけで当然のように人為的な構築だと見破り本能的に危険を感じてすぐさま車をUターンさせ、逃走にかかったのではないだろうか。
私自身には「運転手と一緒に石を取り除」くといった姿がその作業にのみ視線が向いていて無防備に過ぎ、アフガンで活動しているなら持っていていいはずの危機管理意識のなさに疑問を覚えた。なぜ気がつかなかったのだろう。
勿論、逃走と分かれば武装勢力から銃撃を受け、命を落とす可能性もあるが、危機管理意識を働かせていたかどうかの点で違いが生じる。
8月28日の「毎日jp」記事≪社説:アフガン拉致 善意を阻んだ暴力を憎む≫は<ペシャワール会は日本政府の資金を受けず、2万人の会員と年3億円の募金で活動を支えてきた。医療だけでなく「農村の復興こそ再建の基礎」と農民支援に力を入れる。干ばつ被害のアフガンで、食料を届け、井戸を掘り、農業用水路を作った。緑が戻り、避難民も帰ってきた。>とその活動の有意義を伝え、<伊藤さんは現地のことばも覚え、住民の信頼と共感を得ていたという。>と伊藤さんの熱心な献身振りを紹介していた。
5年前から今日に至るまでの長い年月にわたる現地でのその活動振りには私には到底真似のできないことで頭が下がる思いがするし、それだけに無残にも理不尽な死を強制されたことが残念でならない。
だが、「住民の信頼と共感を得ていた」ことに逆に油断はなかったろうか。カブールの日本大使館で29日に行われた献花式でハリリ・アフガン第2副大統領が伊藤さんのことを「アフガニスタンの友人であり続ける」とその死を追悼したとNHKテレビだったか、放送していたが、「住民の信頼と共感」の価値づけにしても、「友人であり続ける」とする価値づけもアフガニスタン政府とその政府側に組するアフガン人のみに有効な価値観であって、反政府武装勢力からしたら「信頼と共感」とは正反対の「不信と敵意」、「友人」とは正反対の「敵」としての価値づけしか与えていない、その無効性との二重関係にあることを認識して受け止めていた「信頼と共感」、「友人」意識であったなら、無効性に関わる価値認識は必然的に反政府武装勢力に対する危機管理意識へと向かっただろう。
自分がアフガニスタンの多くの住民に必要とされていることに誇りを持ち、「住民の信頼と共感を得てい」ることに充足して、その価値観を反政府武装勢力が無効としていることに対する危機管理意識を疎かにする油断が働いてしまったとしても、だからと言ってその死の理不尽さは変わるわけではない。
死者に鞭打つような言葉の数々ともなったが、アフガニスタンのような反政府勢力が跋扈して治安が悪化した国でその国の復興支援目的で入国、NGO活動の日本人が拉致・誘拐されて理不尽にも殺害される事件は伊藤さんで終わる保証はなく、今後とも起こり得る可能性もあるし、日本人得意の一国主義から、外国人拉致・誘拐、殺害の「外国人」を日本人の場合のみのこととして問題とするなら話は別だが、そうと済ませないということなら、拉致・誘拐、殺害を受けた外国人がドイツ人だろうとイタリア人だろうとアメリカ人だろうと、軍隊を派遣していない日本人には関係ないこととせずに異なる価値観を持っている勢力の存在を常に頭に入れて次なる標的は日本人かも知れない、日本人の自分かもしれないと常に自分のこととして把えて自ら防御する危機管理意識を保持した活動を行うべきではないだろうか。
一般的には災難や事故は本人が予想しないときに起こるものだが、このことは予想したときは意外と起こらないことを教えている。もし伊藤さんが井戸の見回りに出かける際、長距離トラックの運転手の例を挙げたように、「武装勢力に拉致されるのは今度は自分かもしれない、気をつけろよ」と自らを戒めて出発したなら、違った展開になったのではないだろうかと考えると、返す返すも残念でならない。
「我々が撃った」伊藤さん殺害、24歳容疑者認める(asahi.com/2008年8月29日1時16分)
【カブール=高野弦、イスラマバード=四倉幹木】アフガニスタン東部で日本のNGO「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)が拉致され死亡した事件で、地元警察当局に拘束された容疑者の1人が取り調べに伊藤さんの殺害を認めていることが28日、わかった。アフガン政府はこの容疑者の身柄を情報機関に移し、背後関係などの追及を始めた。伊藤さんの遺体は同日、首都カブールに運ばれ、29日にも日本に向けて出発する予定。
地元警察当局はこれまで3人の容疑者を拘束。事件が起きたナンガルハル州のアブドゥルザイ報道官によると、そのうちの24歳の容疑者はカラシニコフ銃を所持し、取り調べに「我々が撃った」と供述したという。
アフガン政府筋によると、容疑者は情報機関の国家保安局に移された。同保安局は、今年4月に起きたカルザイ大統領暗殺未遂事件など治安の根幹にかかわるテロ事件の捜査を担当。同政府は外国勢力の排除を狙った重大事件として捜査するとみられる。
ペシャワール会現地代表の中村哲医師は28日、地元民の葬儀に出席。その後、伊藤さんの遺体とともにカブールに移った。アフガン当局の検視後に日本大使館で記者会見した中村氏によると、伊藤さんは26日早朝、井戸の見回りに行く途中に武装した4人組に襲われた。道路が石で通行止めにされており、運転手と一緒に石を取り除いた直後に拉致されたという。
遺体は、銃弾が貫通した傷跡が左足に4~5カ所、右足に1、2カ所あった。全身に打撲の跡があり、顔面に皮下出血がみられたという。撃たれた後、斜面を転げ落ちており、脳挫傷か大量出血が死因との見方を中村氏は示した。拉致を目撃した地元民ら約千人が追跡を始めたといい、「予期せぬ事態にあわてて撃ったのだろう」と述べた。また中村氏はペシャワール会の現地事務所に06年から日本人を拉致するとの脅迫があったことを明らかにした。
社説:アフガン拉致 善意を阻んだ暴力を憎む(毎日jp/2008年8月28日)
戦争と飢餓に苦しむアフガニスタンの人々を助けようと、5年間、現地で活動してきた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」スタッフの伊藤和也さんが武装グループに拉致され、27日、銃撃を受けた遺体がみつかった。
伊藤さんは、日本から離れた戦乱の地で農民の自立を助ける仕事に挑んできた。伊藤さんの活動が暴力で踏みにじられたのはきわめて残念だ。
犯人がだれか、犯行の状況や目的など詳しい情報はまだわからない。ペシャワール会は地元の人々に感謝され、日本でも高く評価されてきた。経験を積んで安全に配慮し慎重に行動してきたはずなのに、それでも殺害されるほど、現在のアフガンは混乱し危険になってきた。
アフガンの安定と平和のために、日本政府と日本人が何ができるか、改めて考えなければならない。
ペシャワール会は日本政府の資金を受けず、2万人の会員と年3億円の募金で活動を支えてきた。医療だけでなく「農村の復興こそ再建の基礎」と農民支援に力を入れる。干ばつ被害のアフガンで、食料を届け、井戸を掘り、農業用水路を作った。緑が戻り、避難民も帰ってきた。
ペシャワール会現地代表の医師、中村哲さんは昨年、一時帰国した際「みんなが行く時は、行く必要はない。そこに必要性がありながら、だれもやらない場所で我々は活動する」と活動の原則を語っていた。
伊藤さんは現地のことばも覚え、住民の信頼と共感を得ていたという。現場にとけ込み、人々の期待に素早く応える。日本を代表するNGOの最前線で活躍したその志を無にしてはならない。
アフガンは9・11米同時多発テロ後、米軍が攻撃しタリバン政権を倒してから7年がたとうとしている。北大西洋条約機構主導の国際治安支援部隊とタリバンの戦闘が激化し、安定にはほど遠い。米国防総省は今年6月、米議会への報告でタリバンや連携する武装勢力の目標を、アフガンから外国軍隊を追放し、支配地域から外国政府の影響力を排除することと分析した。
タリバンは外国への憎しみが強い。NGOや民間人であっても外国人を狙っている。今回の事件もタリバン系組織がかかわったとの見方がある。
困っている外国の人々を少しでも救いたいという善意が、憎悪と暴力で拒否される状況になってしまったのは悲しい。一人の人間として全力を尽くしているのに、国籍ゆえに受け入れようとしないなら理不尽であり納得がいかない。
スタッフの安全を確保しながら、支援活動をどういう形で続けるか。世界各地で活動する日本のNGOは常に判断を迫られる。現地の事情にあわせた柔軟な方法を見つけてほしい。