3月大阪場所・内館牧子「私の中で引退した人」朝青龍が目出度くも優勝(1)

2008-03-25 10:34:02 | Weblog

 大相撲はそれ程大層な「伝統・文化」を備えているのか。国技と呼ばれるにふさわしい内容、あるいは全体的な人間性を備えているのか

 脚本家・横綱審議委員会委員の内館牧子が01年3月17日の『朝日・論壇』に下記一文を寄稿している。

 寄稿の動機は大阪場所の優勝力士に当時の大田房江大阪府知事が府知事賞を自ら土俵に上がって手渡したいと希望したのに対して土俵は女人禁制だからと断った相撲協会の主張を支持する目的からのもので、その主張が如何に矛盾に満ちているか、自分に都合がいい、我田引水の論理展開となっているか証明するために先ずは全文を引用しておく。重要と思われる箇所は下線を引いておいた。

 ≪土俵の「女人禁制」維持は妥当≫

 <「私は長いこと大企業に勤務し、男社会の悲哀をいやというほど味わってきた。当然ながら男女差別には反対である。

 ただ、「伝統」というジャンルに関しては、芸能であれ祭りであれ工芸であれ、現代の考え方や様式にあわせていじる必要はないと思っている。それは、当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ。むろん、伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もあるだろう。

 ただ、その伝統の「核」を成す部分の変革に関しては、広範な人々が大いに意見を言うことは当然として、その決定は当事者にゆだねられるべきものと私は考えている。

 その核は、部外者からすれば笑止なことでも、当事者にとっては譲れない部分なのである。大相撲に限らず、すべての伝統に関して言えることだが、当事者はその核を連綿と守り抜き、結束してきたのである。当事者の出した結論を尊重するのが部外者の見識というものだろう。

 たとえば歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方に関し、現代の考え方で「男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台に上げよ」という訴えがあったとする。そしてもしも、それが受けいれられたなら、その時点で歌舞伎ではなくなり、宝塚歌劇ではなくなる。伝統文化においてその核となる部分をいじった場合、それはまったく別ものの誕生ということになるだろう。勿論、当事者が容認した場合は問題ない。

 私は、今回、大田房江大阪府知事を土俵に上げないとした相撲協会の決定を妥当だと考えている。それは伝統文化の領域であり、現代の男女差別には当たらない
。また、「男だけで担う」ことは、大相撲の核を成す部分だと私は考えている。この点について、相撲協会と話したことはないが、ここまで必死に女人禁制を貫こうとするのは、やはりそこを核の一つと考えているからにほかなるまい。

 断られた知事は「どうしてなんだという思い」とコメントしているが、私はかくも強硬に土俵にあがりたがる知事に「どうしてなんだという思い」を持っている。何よりも理由に説得力がない。

 知事は「21世紀は女性の時代と言われている。(協会が)新しい形を目指すのにいい時期だ」(3月1日付本紙)と述べているが、それでは理由にならない。

 伝統文化に「現代」というメスを入れようとするなら、相当な覚悟と明確な理由が必須である。そしてそれ以前に、部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう。それを「新しい形を目指すのにいい時期だ」などと言い切るのは、あまりにも軽くはないか。知事の仕事ではあっても、前述程度の理由でその核となる部分にいじることに恐れを感じないだろうか。断られてもなお、説得力のない理由のもと、「優勝力士にわたしの手で渡したい思いに変わりはない」(3月8日付東京スポーツほか)と言うのは、あまりにも幼くはないか。

 ただ、知事のコメントから、協会の回答にも説得力がなかったことはうかがえる。その中で「協会の意向を尊重」して断念した知事の強い不満は当然だろう。
 
 大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ、芸能性を持つ伝統競技である。人気低迷が言われる中、変革すべき点は多々ある。変革すべき点と保守すべき点に関しては、慎重な議論が必要だ。大相撲に限らず、伝統文化の何を打ち破り何を守るべきかは冷静に冷徹に考えたいと思う。>・・・・・

 先ず最初に言いたいことは、「部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう」と言う程に、大相撲は大層な競技なのだろうか。いくら歴史があるからと言って、それ程にも勿体振らなければならない競技なのだろうか。自分たちをさもたいした人間に見せるために自分たちが関わっている物事を持ち上げる権威主義民族日本人に特有のハコモノ思想からの勿体振りではないか。

 それぞれの競技はその競技特有の技術を限定保有している。大相撲に限った話ではない。大相撲に特有の技術とは四十八手の「技」ということになるが、それぞれの競技が面白い・面白くないはその技術(技)の決して固定的に発揮されるわけではない優劣の表現に応じた勝ち負けの争いによって決定される。

 いわば勝ち負けを演出する技術(技)の優劣という極めて個人の能力に負うところが大きい。そのことは大鵬や柏戸、千代の富士、貴乃花といった強い力士(=個人)が出現するかしないかで人気が左右されることが証明している。ただそれだけの話である。決して「伝統」が競技の面白さを決定する要因とはなっていない。

 野球は明治以降たかだか140年程度の歴史しかないし、プロ野球となると90年そこそこの伝統しか持たないが、その人気が大相撲を遥かに抜いている現状が競技の人気が伝統によって決まるとは限らないことを物語っている。

 大体が内館は自らが言っていること自体に矛盾を犯していながら、そのことに何ら気づいていない。

 「伝統」なるものが「当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ」」と言いながら、その主張に反して、「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もある」と「伝統」の時代の変化に応じた「変革」性を平然と謳い上げている。

 言っていることのどちらが事実なのだろうか。伝統とされる物事が「現代の考え方や様式に合うはずはない」となったなら、どのような形を取ろうとも、後世に受け継がれることはないとしなければならない。「現代の考え方や様式に合う」からこそ、時代の違いに応じた人間の考え方の変化に遭遇しても「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変え」ながらも時間や時代を超えて受け継がれていくのである。それが伝統の継承と言うことであろう。当時の姿のままの「伝統」は存在しないはずである。

 だからこそ、「伝統の『核』を成す部分の変革」に関しては「当事者にゆだねられるべき」だとする主張を、それが正しい正しくないは別に導き出すことが可能となる。「現代の考え方や様式に合うはずはない」とする無変革を前提とせずに「伝統の変革」を前提としているからだ。

 だが、「伝統」が「現代の考え方や様式に合うはずはない」を絶対前提とするなら、特に「『核』を成す部分の変革」となると、現代の「当事者」にしても埒外の立場に置かれることになるはずだが、そうは考えないらしい。時代の変革性を考慮に入れたとしても、「当事者」としたら、逆にどのような「変革」も畏れ多いということになるだろうからである。

 内館が言いたいことは、「伝統継承」の「当事者」のみがその変革の資格があり、部外者にはない。「当事者」が「変革」したなら変革したなりに、変革しなければ変革しないままに従え、受け止めよと言うことなのだろうが、矛盾の上に矛盾を重ねた主張を繰返しているに過ぎない。

 伝統の変革関与は当事者にのみ許される。「1200年の歴史に裏打ちされ」た「大相撲の伝統」ともなると、それは絶対的当然事項としなければならないと言うのが内館牧子の結論であろう。

 「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」とは何とも勇ましいぶち上げだが、相撲の競技自体のどこに「1200年の歴史」が反映されていると言うのだろうか。塩を撒くにしても、仕切りにしても、横綱の土俵入りにしても、単に受け継ぎ、取り決めた型(=形式)に過ぎない。取り決めた型を役目上真摯に行うだけのことだろう。伝統を意識して行っている者が一人としているのだろうか。

 仕切りは取組自体がごく短い時間で決着がつくから、時間を持たせるという意味合いもあるのだろうが、その間、取組力士同士の心理面の戦いが既に始まっていて、それが表情や仕草に何とはなしに現れ、どう勝敗に影響していくか窺うのが面白いと言う向きもある。だが、それは野球も同じで、次打者としてネクストバッターサークルに立ったときから心理面の戦いは始まっているし、バッターボックスに立ってからも、カウント次第で打者の方がプレッシャーとなる場合もあるし、ピッチャーの方がプレッシャーを感じる場合も出て、勝敗を競う競技には常に心理面、あるいは精神面の葛藤は付きものとなっている。相撲だけにある場面ではない。

 果して内館が「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」ていると言う程、大袈裟な伝統・文化を抱えているのだろうか、調べてみた。

   3月大阪場所・内館牧子「私の中で引退した人」朝青龍が目出度くも優勝(2)に続く

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3月大阪場所・内館牧子「私の中で引退した人」朝青龍が目出度くも優勝(2)

2008-03-25 10:28:45 | Weblog

 関係するキーワードを『日本史広辞典代』(山川出版)から拾ってみた。

【相撲】「日本の国技と称される格闘競技。争う・あらがう意味の動詞「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したもので、本来は格闘・力くらべを意味したが、のちに特定の様式の格闘競技をさして用いた。古来各地で行われていたさまざまな格闘が、平安時代に全国各地から相撲人(すまいびと)を徴発して行われた相撲節(すまいのせち)を通じ、同一性を持つ格闘競技として形成され、相撲節に付随した儀式的な要素とともに地方に普及したと考えられる。相撲節の廃絶後も、各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的で、相撲が芸能の一種として行われ、遅くとも中世後期には各地に職業的な相撲人集団も発生した。これらの相撲興行は江戸中期頃までに、江戸・大阪・京都を中心に組織化されて幕府の公認を得、各地の相撲組織を傘下に収める。また吉田司家(つかさけ)を頂点とした故実体系に組み入れられて、確固たる地位を築いた。現代の大相撲組織はその系譜に連なる。」

 「相撲節の廃絶後」、各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的で、相撲が芸能の一種として行われ」た。ここには「当事者はその核を連綿と守り抜き、結束してきたのである」とする姿は見えない。

【相撲節】(すまいのせち)「平安朝廷の年中行事として催された相撲会(すまいえ)。各地から召集した相撲人(すまいびと)を左右近衛府に分属させ、対抗戦の形で行われた。式日は、初めは7月7日、のちに7月下旬となった。年の後半の開始にあたり、豊凶を占い豊穣を祈る年占(としうら)神事と、地方から強者を集めて天皇に奉仕させる服属儀礼との両面を持ったが、のちには娯楽の意味合いが強くなる。『日本書紀』は、野見宿禰(のみすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の力くらべを相撲節の起源説話として載せる。」

【吉田司家】「相撲の家元を称する家。当主は代々「追風(おいかぜ)」を号す。家伝に寄れば、聖武天皇の頃の志賀清林を祖とし、のち京都五条の目代を勤めたといい、近世には熊本藩細川家の家臣となった。各地の行事の組織化に務め、18世紀頃から江戸相撲会所との結びつきを強めた。力士・年寄・行司らを故実門人とし、横綱免許を発給するなど故実を媒介とする相撲組織の統合を進め、近代に至るまで相撲の家元として重んじられた。」

 要するに「吉田司家」は茶道で言えば裏千家とか表千家、華道で言うなら、池坊とか小原流に当たるのだろう。組織化し、団体とすることで格式化し、由緒を持たせた。権威主義社会日本である。格式化することで価値を大いに高めたことであろう。

【故実】「古いしきたりを先例にそって学ぶこと。儀式において、先例の中でも環境に応じた特定の日時の行動作法が故実となって定着する。故実は年来の例と相違しても、行事の進展に相応する場合もあり、前例がなくても後代の先例となることがある。近世に入ると、前例遵守の慣行を故実と称するようになる。

 この「故実は年来の例と相違しても、行事の進展に相応する場合もあり、前例がなくても後代の先例となることがある。近世に入ると、前例遵守の慣行を故実と称するようになる。」としている経緯は受け継がれていく「伝統」と言うものの姿・性質を如実に示している。「行事の進展に相応」して手を加える変化が行われたり、ある時期「伝統」の中にないものが新たに付け加えられ、それが先例となって時代が下ると伝統の一部分と化す。そういった柔軟性が近世に入って失われ、杓子定規の格式優先・形式遵守の「伝統の受け継ぎ」が主流を成すようになった。いわば「前例遵守の慣行を故実と称するようにな」ったと言うことなのだろう。

【勧進相撲】勧進を名目に掲げた相撲興行。寺社や道橋などの造営・修復の費用を調達するために喜捨(金銭・物品の寄付)を募ることを勧進という。鎌倉末期以降は、能・猿楽などの芸能興行による収益をあてる勧進興行が広く行われた。相撲も芸能の一つとして、15世紀初めから勧進興行が行われ、職業的な相撲人集団の活躍の場となった。近世には、江戸・京・大阪の三都を中心に盛んとなり、営利目的の興行も行われるようになった。幕府は当初は、風紀統制の意図もあり、そうした興行には抑制的で、しばしば勧進相撲禁令を発したが、18世紀半ばには三都で四季一度ずつの営利興行が公認され定着した。現代の相撲はこの系譜につながる」

 ここで相撲がどう変遷したか見ることができる。平安時代に全国各地から相撲人(すまいびと)が徴発され、「豊凶を占い豊穣を祈る年占(としうら)神事と、地方から強者を集めて天皇に奉仕させる服属儀礼との両面を持った」相撲が春分や秋分といった季節の変わり目の祝い日に相撲節(すまいのせち)として行われ、その廃絶後、各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的に行われた。次第に勧進の姿が消え、純然たる営利目的の興行へと姿を変えていった。

 「勧進」にしても、現在の政治家が政治パーティを開いて、その会費から政治資金を捻出するのと同じ構造の、相撲入場料を取って、そこから相撲取りの人件費等諸々の経費を除いた剰余金を寺の造営・修復に当てた(「収益をあてた」)のだろう。相撲を見る愉しみがなかったなら、勧進に応じる人間がいたかどうかである。富くじにしても、当選金を当て込む射幸心を満たせたから寺の救済や神社仏閣の造営・修復に協力できたのであろう。何しろ寄付文化後進国日本である。

【日本相撲協会】「唯一の職業相撲団体。近代になると東京と大阪の職業相撲の興行組織として東京相撲協会・大阪相撲協会があり、合併が懸案となっていた。1925年(大正14)摂政杯(のちの天皇賜杯)の制定を契機に、両協会が合併して財団法人大日本相撲協会が設立され、58年(昭和33)日本相撲協会に改称された。協会の運営の中心となる評議員は定数105人(他に一大年寄り2人)の年寄りに、行事代表2人、力士代表4人を加えて構成される。協会の主な事業は年6回の本場所の開催である。」

 日本相撲協会が設立したのは1925年(大正14)。たかだか80年そこそこの歴史である。前身があったと言え、合併によって運営方法に影響を受けたはずで、同じ姿を取った運営とは考えにくい。伝統も運営方法によって、少なからず姿を変える。当事者が東京相撲協会と大阪相撲協会が二つあったのだから、それぞれに利害の対立・相違もあったろうから、「当事者だから変革は許された」と簡単には片付けるわけにはいくまい。

【国技館】日本相撲協会が維持・管理する常設相撲場。日露戦争後、梅ケ谷・常陸山両横綱の対戦が人気を呼び、ナショナリズムの高揚の気運にものって相撲興行は好況を呈した。その機に合わせて大日本相撲協会は、天候に左右されていた興行を安定させるため、東京回向院境内に常設館を建設。1909年(明治42)6月に開館し、国技館と命名した。以後、相撲は広く国技と称されるようになった。失火や関東大震災による消失・再建を経て、第2次大戦後占領軍に接収された。1950~84年(昭和25~59)には浅草の蔵前国技館が使用され、85年1月、新たに両国国技館が開館した。」

 国技館を東京回向院境内に建設したのは勧進相撲の名残なのだろうか。例えそうであっても、入場者から見たら、当初の勧進相撲の内容をすべて失った寄進意識のない、営利に協力するだけの相撲となっているのである。寄進という意味では、伝統は隔絶していると言える。

 また日露戦争(1904~1905/明治37~38)後のナショナリズム高揚を受けた「国技」呼称ということなら、国技意識の伝統も僅か100年程度で、「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」ていると大上段に振りかぶることができる程の格式・由緒を備えているとは到底思えない。

 多分、ロシアに戦争して勝ったという大国意識を日本古来の競技であることと相撲取りの身体の大きさ、その力の強さに仮託して日本人自身の力の表現とすることでナショナリズムを充足させた、その結果の相撲人気だったのではないのか。

 ナショナリズム高揚の時代背景を持った「国技」呼称だからこそ、それが通用したが、その背景を失った今の時代、相撲取り一人ひとりの姿が見えて、「国技」呼称にふさわしい内容を備えているとは見えない現在の大相撲といったところだろう。

 他のスポーツと同様に勝ち負けの面白さ、個人の技の優劣で持っているに過ぎない。「大相撲は1200年の歴史」
だとか「伝統」だとか、大上段に構える程のことはないスポーツと言うことである。

 最後に「土俵女人禁制」がいつ頃から始まったのか、「1200年」前の相撲発祥時期からなのか、【女相撲】なるキーワードを紐解いてみた。

【女相撲】「女の力士が取る相撲のこと。近世には、女が座頭などを相手に取る興行もあり、競技というよりも見世物的な色彩が濃かった。1872年(明治5)男女の取組は禁止されたが、女同士の相撲は、その後も各地の社寺の縁日の催しとして巡業が行われた。女相撲が興行すると雨が降るという俗信もある」。

 女相撲が「各地の社寺の縁日の催しとして巡業が行われた」ということなら、勧進の役目も担った時期もあったはずである。普通の男と対戦すると力劣りがするから、目の見えない「座頭」を相手にさせて、そこそこの勝負としたのだろう。しかし、女でありながら、「1872年(明治5)男女の取組は禁止され」るまで寺社の土俵に上っていた。そして現在も女だけの対戦に限られている女相撲は続いている。

 男相撲と同列には扱うことができないとしても、「大相撲は1200年の歴史」自体が怪しいのである。所詮利害損得の生きものたる人間が主催する勝ち負けの競技に過ぎないのだが、中身を形成するそのような人間の現実を無視して外側に纏っているに過ぎない伝統や歴史を振りかざし格式や由緒を示そうとする。

 野球やサッカーはそうしなくても、大勢の人間が惹きつけられる。大相撲は伝統や歴史を振りかざして格式・由緒を前面に押し出さなければ、大相撲としての、あるいは「国技」としての体裁を保つことができないのだろう。伝統や歴史を勿体振ることで今ある実態を価値づけようとすることにどれ程の意味があるのだろうか。

 現在の停滞した日本の政治を日本は2600年の歴史がある、日本は素晴らしい歴史と文化と伝統に満ちた美しい国だ、万世一系の天皇を国民統合の象徴としていると、そういったことで価値づけようとすることと同じ意味のない試みではないか。

 「土俵の女人禁制」もそうすることで大相撲の格式・由緒をもっともらしく見せようとする同じ類の勿体振りなのだろう。「女人禁制」が「大相撲の核を成す部分の一つ」などとはどこから出た発想なのだろうか。

 国技館の土俵を借りてストリップショーでも開催されたなら、大相撲は伝統だ、歴史だといった勿体振りを借りずに、相撲の興行そのもので勝負する姿を取り戻すのではないだろうか。

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