次第に安倍称号表現がきつくなってきます
昨年11月以来約半年ぶりの5月16日(07年)に国会で行われたという安倍・小沢の党首討論の模様を翌日の『朝日』朝刊社説≪もっと憲法を論じよう≫と『時々刻々』≪半年振り党首討論 背水小沢氏に粘り≫が伝えている。双方の記事から日本国首相安倍晋三が一国の首相でありながら歴史を捏造して何ら恥じないどころか、逆に得意顔に主張していた箇所を拾って如何に歴史を捏造しているか、指摘してみる。
小沢「首相は『日本の国柄をあらわす根幹が天皇制』だという。首相の描く『美しい国』の根幹には天皇制がある。それが敗戦によって、占領軍によって憲法や教育制度が改変され、『美しくない国』になった。だから自分たちの手で作り直さなければならないということなのか」≪社説≫
小沢「国や社会の仕組みの基準をすべて天皇制に求めるという考えを私は持っていない」≪時時刻々≫
安倍「すべて天皇中心に考えているわけではない」≪時時刻々≫
安倍「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」≪社説≫
安倍国家主義者だけではなく、その他多くの日本の国家主義者は日本の歴史・伝統・文化というとき、戦前の戦争を頭の中からすっぽりと抜け落ちさせるご都合主義を犯す。このこと自体が既に歴史の捏造に当たるのだが、それは国家主義者たる所以をなす<日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族>(≪人間宣言≫)とする意識との兼ね合いで侵略戦争とすると日本の歴史・伝統・文化を貶めるだけではなく、<他ノ民族ニ優越セル民族>とする国家主義思想自体を自己否定することとなって都合が悪いからだろう。
侵略戦争であることの都合の悪さをすっぽりと抜け落ちさせることによってのみ、自存自衛の戦争、アジア解放の戦争とする歴史認識が維持できる。「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」と、日本民族の正統性を答とすることができる。そこに侵略とか従軍慰安婦、東京裁判、中国人強制連行労働、南京虐殺といった自存自衛の戦争認識・アジア解放の戦争認識を否定する要素を潜り込ませることは日本民族優越性自体を自己否定する矛盾行為へと発展する。
もし戦前の戦争を常に頭に置いていたなら、「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」などと歴史・伝統・文化、天皇を肯定的な意味合いで把えことはできなくなる。「タペストリー」の一つとして「日本人が織りなした」侵略戦争に於いても天皇は「縦糸」の役目をなしたとすることとなって、自己の歴史認識に齟齬を来たすことになるからだ。
実際には形式上「縦糸」の役目をなしただけなのだが、国家主義者・天皇主義者の安倍が戦争に於いても天皇が「縦糸」だったとした場合、天皇の戦争責任を同時に宣言することとなって、不都合が生じる。いわば戦争を頭に置いていないからこそ言える言葉だとする根拠がここにある。
戦前の戦争期は日本が最も先鋭的・暴力的に世界に突出した時代だった。先鋭的・暴力的に荒々しいまでに織り成した「タペストリー」だった。その「縦糸」の役目を天皇はその名前を利用される形で担ったのである。歴史的にも伝統的にも文化的にも最も美しくない日本の姿がそこにはあった。
にも関わらず、その美しくない日本の姿を美しいと誤魔化す悪質な歴史の捏造を安倍は犯している。それが次の場面に於いても発揮されている。
<教育改革をめぐって、首相は60年前の日本をこう評価した。「大家族で地域がみんな顔見知りで、子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」
それなのに、と首相は戦後日本を次のように批判する。
「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>
「大家族で地域がみんな顔見知りで」――
人口の少ない、かつ農業以外にこれといった産業を持たない立地条件から人口流出はあっても、逆の人口流入の少ない町村地域では一族郎党が地元生え抜き状態ということになって、「大家族で地域がみんな顔見知り」は成り立つが、産業が盛んで人口流入・人口移動の多い都市地域に於いては成り立たない「みんな顔見知り」であろう。そういった認識を持てずにそれを成り立たせ、「大家族で地域がみんな顔見知り」と単純化することができるのは単純な頭をしているからに他ならない。講釈師、見てきたようなウソをつきの類であり、その種の歴史の捏造に過ぎないのだが、歴史の捏造だとは気づかずに一国の首相が声を強くして自らの主義主張としているだけに始末が悪い。
「子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」――
戦前の一般社会では教育と呼ぶにふさわしい学校教育と言える程のものは存在しなかったはずである。百姓や職人の子に教育はいらないという考えが戦前から戦後の一時期まで社会的に支配的だったのである。百姓の子は百姓、職人の子は職人と子供は親の職業を継ぐことを職業選択に於ける社会的常識としていた。そういった子供たちの教育は学校から帰ったら、親の仕事を手伝うことを通して、その仕事を学ぶことが教育だったのである。戦後も農繁期になると、農家の子は子守や簡単な農作業を手伝わされるために義務教育である小学校の授業を親の命令で休みを取らされた。それ程に学校教育は重要視されていなかった。
こういったことを何よりも証明する現象として、農業では満足に食えない寒村の子供が義務教育である中学校を卒業すると早々に金の卵とおだてられて都会に就職していく集団就職があった。文科省のHPの次の一文も同じことを証明している。
<昭和9年の小学校卒業者の中等学校への進学率は20%弱にすぎなかったが、昭和33年の中学校卒業者の高等学校進学率は53.7%に増力1している。>。昭和33年に於いても高校進学率は半数をほんの少し超えたところにあったのである。
義務教育は尋常小学校(昭和16年以降は国民学校初等科に改称)の6年のみで、4年生から2年制となった上級学校である高等小学校は義務制ではなかった。義務教育である尋常小学校の6年制が最初は4年制で、それが2年ふえたのは国民の知識向上に義務年限で束縛する必要があったからだろう。時代の経過と共に日本社会が産業化され、上級学校での知識取得の必要性が高まったとしても、親の職業を継ぐのことが社会の一般的なしきたりだったことと考え併せると、人口の絶対多数はお上の言いつけだから義務年限に従うものの、尋常小学校の6年間を自らの学歴としてといったところだろう。
当然<60年前の日本>には「子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」などと言うのはウソっぱちもいいとこの歴史の捏造以外の何ものでもない。
村単位で言えば教育は庄屋の家系や富農といった地位と財産を有した者が受けるものと限定されていた。貧乏百姓の子で余程学校の成績のいい子供がカネのある百姓の援助を受けて上の学校に行くといったことがあったが、権威主義が強かった時代だから、金銭的な援助の代償として援助者の影響下に入らざるを得ないといったことがあったに違いない。
安倍首相は歴史の捏造に過ぎないことに恬として気づかずに自らが価値を置く戦前の「優越セル」日本の国と違って、<戦後日本を次のように批判する。
「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>――
政治家・官僚の「価値の基準を損得だけにお」く犯罪は明治の時代も大正の時代も戦前の昭和の時代も蔓延していた。当然のこととして、「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳」といった価値観は<60年前の日本>に於いてもタテマエとして存在していたに過ぎなかった。
それを<60年前の日本>、戦前の日本に実質的に存在していたとするのは真っ赤なウソ、歴史の捏造そのものであろう。単細胞に助けられて、歴史捏造の悪意に本人が気づいていないだけの話である。
技術の発展はあっても、そのことが世の中の暮らしに進歩をもたらしたとしても、世の姿自体は変わらない。「価値の基準を損得だけにお」く人間の姿そのものが自己利害の生きものであることから抜け出れないために何ら変わらないままに推移しているからだ。
そのことを客観的に認識することができずに戦前の日本を美化し、戦後の日本を悪と把える歴史の捏造を犯して「戦後レジームの転換」を主張する。この歴史捏造の倒錯意識は如何ともし難い。