〝養育放棄助長論〟から見る赤ちゃんポストと児童虐待死

2007-05-18 06:40:12 | Weblog

 そして安倍晋三の生命思想―― 

 社会保障審議会児童部会が平成16年1月1日から同年12月末日までの期間を対象に調査し、06年(平成18)3月に発表した報告書「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」の中の<相談機関の関与について>の部分は、
 <2.死亡事例の概要
○死亡した子ども58人の内訳、
・0歳が24人で約4割(内、月齢4ヶ月未満が約7割)
・4歳未満が45人で約8割
○身体的虐待が49例(84.5%)、ネグレクトが7例(12.1
 %)であった。
○主たる加害者は、実母が31人(53.4%)、実父が13人(
 22.4%)であった。
○「児童相談所が関わっていた事例」は17例(32.1%)で
  あった。
○「関係機関が虐待やその疑いを認識していたが、児童相
 談所が関わっていなかった事例」は3例(5.7%)で、
 過去の事例と比較すると減少した。
○一方で、「関係機関との接点(保育所入所、新生児訪問
 、乳幼児健診等)はあったが、家庭への支援の必要性は
 ないと判断していた事例」は15例 (28.3%)で、過去
 の事例より増加した。さらに、「関係機関と全く接点を
 持ち得なかった事例」は18例(34.0%)と過去の事
 例より大幅に増加した。>となっている。

 <死亡した子ども58人>のうち、<「児童相談所が関わっていた事例」は17例(32.1%)>と事実を把握していながら虐待死を見逃してしまった割合が3分の1も占めていて、<過去の事例と比較すると減少した>とはいうものの、<「関係機関が虐待やその疑いを認識していたが、児童相談所が関わっていなかった事例」>の<3例(5.7%)>は事実を把握していたが見通しの甘さから見逃してしまった対応ミスに加えなければならないだろうし、<過去の事例より増加した>とする<「関係機関との接点(保育所入所、新生児訪問、乳幼児健診等)はあったが、家庭への支援の必要性はないと判断していた事例」は15例 (28.3%)>にしても甘い判断(=間違った判断)が関わった関係機関の対応ミスからの虐待死としなければならないだろうから、58人の虐待死のうち半分以上の60%を占める35人の児童虐待死に関係機関の危機管理が機能しなかったとしなければならないのではないのか。

 そしてこの種の対応ミスからの虐待死事例は平成16年1月1日から同年12月末日までの期間に限った傾向ではなく、平成16年以前も似たような状況にあり、さらに現在も引き継いでいる決してなくならない傾向でもあろう。

 虐待死を見逃していたと言うことは、虐待死にまで至らなくても、関係機関が関与しながら虐待の過度の進行を許してしまった事例もあることを示している。

 こういった状況は関係機関が児童の生命に対する危機管理機関として位置していながら、それが満足に機能しなかったというだけではなく、同時に虐待死や過度な虐待に至る過去の対応ミスを学習できないでいる状況をも示している。その結果の児童相談所等の所長が頭を下げる跡を絶たない状況があるのだろう。

 虐待、もしくは虐待死見逃しのサンプルをたくさん抱えながら、そのことを防止する有効な対応策を打ち出せずに防げたかもしれない虐待、もしくは虐待死を繰返し許してしまう関係機関という逆説的構図はどのような学習不能を物語っているのだろうか。

 虐待の起因は親が子供に対して歪んだ異常な養育に走る、いわば当たり前の養育を放棄していることにあるのは言うまでもない。虐待死にまで至らなくても、一方に止むことのない親の〝養育放棄〟があり、対する対応機関の危機管理不全が親の〝養育放棄〟に追随する形で虐待に関わる負の相互関係を延々と引き継いでいる。

 と言うことは虐待や虐待死は親の養育放棄がつくり出す子供の育て方の一つの形、あるいは死の形の一つであるが、ある部分児童相談所その他の関係機関が関わりながら防げなかったことで結果的に〝助長〟することとなる育て形であり、死の形でもあると言える。

 これは赤ちゃんポスト設置が親の「養育放棄を助長する」とする危惧論、もしくは反対論が赤ちゃんポスト設置に契機を置いているものの、それが逆に子供の命を救う危機管理の役目を果すのに対して、児童虐待に於ける親の〝養育放棄〟への児童相談所等の関与が虐待死や、虐待死に至らなくても、子供の人格損壊を許してしまう方向に佇むばかりで、必ずしも子供の命を救う危機管理的な契機とはなっていない対応不備・危機管理不全と比較して考えた場合、意義を認めないわけにはいかないのではないだろうか。

 いわば赤ちゃんポストは子供の生命優先の思想を基盤としていて、対して同じ思想を担うべきはずの児童相談所やその他の関係機関は担いきれていない不活発な状況にある。

 安倍首が赤ちゃんポストに反対なのは、「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」とする主張そのものが証明していることだが、「子供を置いて」いく主体である親の行為のみ、その責任のみを問題としていて、子供の生命に対する視線が一切ないことが仕向けている反対思想からであろう。

 安倍首相が国民無視、国家主体の国家主義者たる所以がここにある。子供は家で親が育てるとする制度・形式を後生大事とし、中身をなすそれぞれの命は問題としていない。

 これは中身の命よりも家を優先させるハコモノ思想以外の何ものでもないだろう。元従軍慰安婦や強制連行中国人元労働者、あるいは中国人残留帰国孤児に対する姿勢も、それぞれの命に向けた配慮を欠いていることが可能としている姿勢であって、そのような姿勢から判断できることは、北朝鮮拉致被害者の救出は国民の生命・財産を守るとする目的からだとする姿勢はタテマエに過ぎず、政治史に刻むべく自分の手柄とする、あるいは拉致解決という金字塔を打ち立てる、被害者自身よりも自分の名前を優先させるハコモノの国民の生命・財産思想である疑いが濃厚となる。

コメント (2)
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