松岡自殺・安倍任命責任/有能であれば「すべてよし」

2007-05-30 06:23:23 | Weblog

 〝死人に口なし〟を選択した松岡農水相

 自殺せずに〝口あり〟の状態でいた場合の利益と、〝死人に口なし〟を選択した場合の利益を天秤に掛けたとき、〝口なし〟の利益が遥かに多いと計算したことからの〝死人に口なし〟選択なのだろう。

 〝口なし〟の利益とはヤミに葬り去ることによって手に入れることができる利益なのは断るまでもない。汚名を着ることになった場合失うこととなる経歴の擁護、嘲りに代わる愛惜、非難に代わる無言、被告席に立つ可能性からの無罪放免etc.etc。

 自身が抱えることとなった不正行為をヤミに葬るために自身をヤミに葬り、〝口なし〟へと持っていく。裏を返すなら、死との交換以外に修復の道はない不正行為の程度ということだろう。

 朝日新聞によると松岡自殺後の記者会見で安倍首相は、「有能な農水相でした」とその政治手腕を高く評価し、失うことの惜しさを口にしている。

 松岡農水相の資金管理団体が多額の光熱水費を計上している問題で国会で野党の辞任要求を受けることになったときも、安倍首相は「政策分野について、相当の見識がある。今後とも職責を果たすことで、国民の信頼を得る努力をしてもらいたい」と政治手腕を優先させ、人間性に関わるカネの疑惑を免罪している。

 06年9月に安倍内閣を発足させてから3ヶ月そこそこ経過しただけの06年12月21日に政府税制調査会長だった本間正明大阪大学院教授の公務員宿舎愛人同居問題での辞任。その6日後の群馬1区選出・佐田行革相の政治団体が東京都内に架空の事務所を構え、存在しないのだからかかるはずもない事務所経費を7800万も支出していたかのように政治資金収支報告書に虚偽記載していた不正行為の責任を取ってか、取らされてかした辞任、さらに柳沢「女性は産む機械」発言大臣の進退問題がたて続いての松岡辞任発展は自身の政権運営に打撃を与えることからの自己利害を取った〝政治手腕優先〟の面もあるだろうが、それがタテマエであっても、
公には有能であれば倫理面での欠点は許されるとしたのである。

 伊吹派領袖伊吹文科相も「政策的に非常に有能な人だった」(07.5.29.『朝日』朝刊≪松岡農水相 政治とカネ幕引きに不安≫)と疑惑を「有能」によって免罪している。少なくとも有能さを倫理性や人間性よりも上位に置いている。

 渡辺行革担当相も「政権運営にまったく影響がないとは言えない。農政、特にWTO(世界貿易機関)交渉などは余人をもって代え難い側面があった」(07.5.29.『朝日』夕刊)と死者を労わる気持からであったとしても、「余人をもって代え難い」政治手腕の前にその人間の倫理性が絡む疑惑・人間性を免罪することとなる発言を行っている。

 人それぞれの才能や人間性、あるいは倫理性をどう評価するか、どう順位づけ、その人間を価値づけるか、それぞれの判断基準に関係することだから、能力の有能さを優先させて人間性や倫理性の上に置こうが置くまいが自由だが、もし上に置いて人間性や倫理性よりも有能という能力で人間を評価・選択するなら、安倍首相は首相就任前の教育政策に関する政権公約で、「高い学力と規範意識を身につける機会の保障」などと言うべきではなく、「規範意識を身につける機会の保障」は抜いて、「高い学力を身につける機会の保障」のみを主張すべきであったろうし、そうすることで自らの能力の有能さを人間性や倫理性よりも優先させる価値観と教育政策との間に整合性を獲ち得る。

 当然安部教育再生会議でも「規範意識」教育といったことを政策に盛り込むことはせず、人間性も倫理観もどうでもいい、規律?、それもどうでもいい、社会の一員としての社会性の獲得も横に置き、人格などちっとやそっと欠陥があってもいい、有能であることがすべてに優先する価値であり、そのために学力獲得のみにエネルギーを注ぐべきだと、学力獲得が優先可能となる教育環境整備への提案を心がけるべきだろう。

 政府は評判が悪くて撤回した<「子育てを思う」保護者そしてみなさんへ>で、<保護者は子守唄を歌いおっぱいを上げ、赤ちゃんの瞳をのぞく。母乳が十分出なくても抱きしめるだけでもいい>などと親としての努め・基本を、<最初は「あいさつをする」「うそをつかない」など人としての基本を、次の段階で「恥ずかしいことはしない」など社会性を持つ徳目を教える。>などと「人としての基本」だとか「徳目」だとかをお節介にも提案したが、自分たちが人間判断基準としている能力優先主義に対する矛盾行為であって、今後一切、似たような提案でお節介を焼くことはやめるべきだろう。そうすることによってのみ、自らの政策だけではなく、自らの人間性・倫理性に首尾一貫の整合性を与えることができる。それが安倍首相にしても、「美しい」やり方と言うのものだろう。

 朝食をしっかり食べようが食べまいが構わない。夜遅くまでテレビを見ていようが見ていまいが好きなようにさせる。ウソをつこうがつくまいが、そんなことはどうでもいい。テストの成績を上げて学力だけを身につけ、その学力を仕事の能力に変え、有能さを身につける。人として恥ずかしいことをしても、その有能さが免罪符の役割を果して世に憚らせてくれる。

 そういった世にのさばっている人間が如何に多いことか。もし安倍首相が松岡農水相対する自らの任命責任に免罪符を与えたいと願うとしたなら、バカの一つ覚えのように振りかざしている「規律を知る凛とした国」とか「美しい国、日本」なる言葉を撤回するしかないのではないか。

 いや、最初から「規律を知る凛とした国」、「美しい国、日本」などと口先だけの奇麗事は言わずに、閣僚に任命する場合も、有能であればすべてよし、人間性・倫理性は任命の重要な条件とはしないと美しく正直に明言していたなら、松岡農水相任命責任問題も起こることはなかったろうし、支持率も下がることはなかったろう。今からでも遅くはない。有能というだけで人間性・倫理性に欠陥のある人間がゴマンとのさばっている状況に勇気づけられて、「美しい国、日本」だとか「規律を知る凛とした国」だとか言うことはやめて、今後正々堂々と能力優先主義を押し通すべきである。

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