木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●政権交代

2009-08-31 18:17:59 | Weblog

 

昨日の選挙結果で、ついに民主党が308議席の大台に乗せ、政権交代を実現した。

細川政権から16年、長い時間が掛かったが紆余曲折を経てやっと待望の自民党に変わる政権が発足する。

 

昨日の選挙結果速報を眺めていると、最初に自民党の菅義偉選対副委員長がインタビューに答えていた。

菅さんは横浜選出の議員で、私も何度か接触したことがあり、寡黙で実行力に優れた人だが、今回は世襲制限を打ち出し党内でもかなりの批判があった。

自民党は賞味期限を過ぎていると言っていたが、色々な意見を取りまとめるリーダーがいなくなったと言う事だろう。

 

先週、県関連の人に会い現状の予算執行と、今後の話を聴いてみたが、税収の減収で予算カットに追い込まれる事業が出ていることや、民主党政権に成ったときの変化について危惧の念を話されていた。

私は、当座の事業についてそれほど極端な変化はないでしょうと言っては見たが、個々の細かい点で遅れが出てくることは、仕方がないことかと思う。

現に細川政権の時の予算編成は遅れに遅れ、禍根を残した。

 

今日の空模様は、民主党政権の直面する事態を象徴するような大荒れの天候で、台風11号は、今夜には房総半島に上陸すると言う。

荒天の中をまちに出て歩いてみるとかなりの強風と強い雨である。

横浜西口の、ジョイナス1階の、小さな飲食店が並んでいたエリアが8月27日にニュージョイナスとして、ファッション関連物販エリアとして、リニューアルオープンしている。

テナント総入れ替えでモールの形状も変化させ、洒落た一角となっていた。

この消費不況の時期にすごい事だと思う。

 

横浜ベイシェラトン・ホテルのロビーで、休憩するがいつもは満席のカフェ”シーウインド”に空席が目立っている。

珍しいことがあるものだと思った。

 

一度に物事は変わらないだろうが、時代の流れと人の心を読み、変えるべきは変えていかなけば、いつかは逆に時と人に裏切られてしまう。

 

生々流転、諸行無常、衆生縁生、仏教の教えと同じように組織も人も、毎日少しづつの努力と研鑽を忘れてはならないのだろうと思う。


●葉山ふれあい夕市

2009-08-29 19:18:59 | Weblog

 

本日は湘南葉山の南郷上ノ山公園で、”葉山ふれあい夕市”が開催され、午後から顔を出してきた。

葉山ふれあい夕市は、葉山葉桜商店会の会長を長く勤められた日の出園の和田英男氏が音頭を取って始めたもので、毎年8月末から9月上旬に開催され今年で11回目となる独自のイベントである。

今では夏の終わりの葉山に欠かせない”人・もの・情報が行き交う”地域イベントとなった。

 

葉山の名店約20店舗が自慢の商品を並べ、オペラや演劇のアトラクションも用意され、周りを自然の環境に囲まれた中で、ビールを飲み歓談する素晴らしい雰囲気の夕市である。

 

葉山の名店、名産と言うと、旭屋牛肉店のコロッケ、中華料理・海狼の中華惣菜、日影茶屋の各種弁当、永楽やの和菓子、プレドールの焼き菓子パン、魚新の魚干物などであるが、良い物はすぐになくなってしまう人気である。

 

私は、かれこれ10年の付き合いになるが、3年前の夕市が大変思い出深い。

薄暮から暗くなる時間にかけて、当時の町長さんや商工会の幹部の方達とビールを飲み、フラダンスのショーを見ながら、この地域の将来について語り合った。

多少の勇み足は無礼講で、忌憚のない意見を交換し極めて有意義な時間を過ごした経験がある。

 

当時は景気も良かったことで、威勢のよい意見の噴出で楽しかったが今年は中々そんなわけには行かない。 

しかし参加された経営者の方達は相変わらず皆さんお元気で健闘をされている。

商工会会長の柳氏、事務局長の石井さん、葉桜商店会長の笠原さんにもお目にかかることができた。

 

葉山の中でもこの地域は、横横道路のインターを降り逗葉新道の料金所をでてすぐの葉山のゲートアリアである。

湘南国際村へ直結するバイパスが完成し、益々脚光を浴びる地域とはなった。

 

長い間、まちづくりの議論を続けてきた関係者の皆さんの努力で、少しづつ物事が好転してきつつある。

恵まれた自然、穏やかな気候、明るい人間性に支えられ、今までの努力の積み重ねで、やがてこの地域にふさわしいまちづくりが必ず出来ていくだろう事を信じて疑わない。


●マンション管理の実態

2009-08-27 22:52:59 | Weblog

 

一時期マンション管理士試験という国家試験が注目を集めた時期があった。

戸建て住宅より圧倒的に多くの居住者を抱える事となった都市のマンションの問題点は、人が集まって住むための約束=規制、といずれは老朽化していく建築の管理や補修をどうスムーズに行うかだろう。

 

マンション管理士資格は管理組合の相談に乗り、それらの業務を専任として行うものとしてスタートした。

しかし建築設計における一級建築士のように、その資格がなければマンション管理はできないと言うことではなかったため、現在は極めて曖昧な資格となっているようだ。

 

数年前からマンションの個別の部屋の改装を行うことが何回かあり、管理組合と打ち合わせをする中で、いわゆる規約と言うものが、何となく生活の実態から離れているような印象を受ける。

 

 一昨年超高層マンションのペントハウスの改修を行ったとき、部屋の中央にPSが1m角の大きさで位置しており、中は通気管1本で別に支障なく、この変更願を出したところ議論の余地なく拒否された。

 

管理組合の趣旨は、マンション居住者の快適で安全な暮らしを守るのが本来のものだろうが、一度規約を決めるとその違反の摘発に注意が向かい、しかも居住者の代表が理事となっているため、自ずと個別の物事を良くしていく事に警戒感があるように感じる。

 

日本的な変な公平感を持ち出すとそれこそ何も出来なくなり、居住者の改善意欲を失うように感じている。

本当の意味で、建築や法律の実務経験を持ちかつ一般常識に長けたマンション管理士が求められている事を痛感する。

 

写真はニューヨークの不動産王ドナルド・トランプの所有する世界一の高さ270m、72階建ての超高層住宅である。

日本では、出来たものの最高は207mの北浜タワーだと聞くが、計画中のものは250m級がたくさんある。

 

高層化すればするほど、戸数は多くなり、規約も複雑化するのだろうが眺めばかりが気持ちよくても、実際の生活の約束事が窮屈なものであれば、せっかくの超高層も味気ないものになりかねない。

超高層の場合、作った後の管理形態やその内容が特に重要だと思うし、時間が経って改造の話がが起こった時など、柔軟に対応出来るものが必要だと思っている。


●リフォーム・デザインについて

2009-08-25 19:16:38 | Weblog

 

昨日で、お盆休みが明けて徐々に従来のビジネスベースに戻るのだろうが、逆に残暑が厳しく、すぐにピッチが上がると言うものでもないようだ。

 

昨日は午後から川崎市の高津区で、デザインリフォームを掲げて活動を続ける”マツド・リフォーム”へお邪魔してきた。

昨年から、女性のリフォームコーデネーターの方数人に、私の設計した作品についてお話し色んな角度からデザイン・リフォームに取り組む姿勢を議論している。

 

松戸社長は、各家庭に合わせたオーダーメイドの家作りを目指し、デザインにもこだわりを持って、訪れるお客様のために本社をリフォームされたばかりである。

スタッフの方も十数名元気で快活な人達である。

 http://www.matsudoreform.com

 

今日は、私のリフォーム経験の原点となった、河口湖湖月館旧館のプロジェクトについて話をした。

グラフィック・デザイナーの谷内田孝氏と一緒に試行錯誤しながら取り組んだ過去のレポートを解説していると、当時の様々な思い出がこみ上げてきた。

 

日旅産業の、大島専務、赤間さん、関野さん、湯本さん、そして湖月館の小佐野社長、当時の小佐野国博専務と奥様。

リフォームの前提としてのマーケットリサーチと建築診断、それに基づくリフォームデザインとCI計画、更に経営目標、、、。

 

このプロジェクトが進行中に、神戸の震災が起こり多くの建物が倒壊したニュースが伝えられた。

富士山へのビューを確保するための宴会場と厨房を上階へ移設することが構造計算上不可と出て、このリフォームプロジェクトは中止となり、現在建っている”秀峰閣湖月”の新築プロジェクトへと移行した。

 

出来た形は、たった一つだがその裏には多くの議論と数え切れないプランの習作が眠っている。

これから多くの仕事をこなすだろう人達に、このことを十分に伝えることが出来れば私の役割は果たせた事になるだろうと思っている。


●まちづくりとブランド戦略

2009-08-23 17:41:41 | Weblog

 

 いよいよあと一週間で、衆議院選挙の結末を迎えることになったが、連日の党首出演で、各党の主張が繰り返されている。

決まって出る質問がマニフェストはともかく、この国をどんな国にしたいのかと言う長期ビジョンの問いかけである。 

一般市民にも同じようなインタビューがされていたが、もし私に聞かれたら何と答えようかと考えてみた。

 

以前ならともかく、今の状況でこの質問にきちんと答える自信が私にはないし、皆同じような気持ちではないかと思う。

国のことよりまず自分がこの先どう生きるか、それが果たして出来る事なのかどうかさえはっきりしない中での、長期ビジョンはむなしく感じる気がして仕方がない。

 

ところで最近、又まちづくりの話を幾つか伺う機会があった。

以前は情熱を燃やして取り組んだテーマであったが、この所色々考える事があって遠ざかっていた。

国づくりと同じようにまちづくりのテーマも産業振興、雇用促進、地域活性化を基本とするのだが、このところ若干の変化があるように感じている。

 

今脚光を浴びる地方分権であるが、分権化されてもなお自らの産業振興の努力を通じてまちづくりを行う姿勢を今から持たなければならないと思う。

それはこれからの地域のブランドを、どう造り育てるかではないだろうか。

ここで言うブランドとは必ずしも経済的な財だけでなく、文化的な財でもあるところがこれからのポイントではないかと思う。

 

単に造ったものを売る、また食べさせるという直接的なサービス以外に、地域遺産の発掘、地域の人材や組織の発掘などの努力や交流を通じて、より多くの他の地域の人を呼び寄せる事。

そんな間接的な努力がこれからの地域ブランドを作り上げ、多くの人が訪れて活性化する町になるような気がして仕方がない。

 

過去の私のまちづくり参加を反省して思うのは、経済振興を目指すときの文化との協同について若干認識不足だったと思う。

 

写真はアメリカペブルビーチで行われた”コンクールデレガンス”でグランプリを獲得した”デューセンバーグSJスペシャル”である。

 現在低迷するアメリカ自動車業界であるが、こんな文化遺産をもつ国の自動車産業は遠からず回復するに違いないと思う。

 

これからまちづくりにおいて、幾つかの新しい試みを通じ、文化的行為が経済振興に力があることを実証できれば、こんなに心強いことはないが少し時間をかけて取り組むテーマではないかと思っている。


●緊張感の持続について

2009-08-20 22:14:52 | Weblog

 

やっと一昨日衆院選が公示され、本格的な選挙戦が始まった。

解散から40日間に及ぶ長き戦いに当初は、緊張感が持続できるかなどの心配もあった。

暑さのせいか、昨日は与謝野馨財務大臣が出陣式でダウン気味のニュースも伝えられた。

 

数日前の党首討論を見たが、質問に対してはぐらかし答弁ばかりで、党首討論などとはとても言えないしろ物だった。

今はyoutubeなどで幾らでも海外の国会中継が見れるので、昨日サッチャー元首相の当時の議会討論を見てみたが、日本の党首討論とはまるで、緊張感と迫力が違う。

一国の首相の情報力と説得力というのは、本来は凄いものだと言う事がわかる。

 

昨日まで、あるプロジェクトについて今月中にプレゼンテーションをしようと意気込んでいたのだが、昨日急に延期の話となり、緊張の糸が切れてしまった。

ここ2ヶ月ばかり、結構集中した住宅プロジェクトである。

 

程よい緊張感というのは人間を前向きにするものだが、程よいそれと言うのは中々なく、常にある種の深い悩みとプレッシャーを与え続ける物だと思う。

物事がうまく回転しない時の緊張感と圧力にどれだけ耐えれるかで、その結果が決まっってくるようにも思う。

 

建築家黒川紀章さんと若い時、そのお供をして色々な会議によく同席させてもらった。

当時は凄いスケジュールで打ち合わせが入っていたが、何の苦もなく消化しているように私には見えた。

こちらは緊張ですぐトイレに行きたくなったり、疲れたりしたものだ。

ある時その秘訣について聞いたところ、彼の意見は単純なもので一言”慣れだよ”と言われたものだ。

 

それから私も色々経験を積んでみたが、積めば積むほどいろんなタイプの緊張感が出てきてとても慣れの一言で片付けることは出来ない。

つまるところ、いかにここぞと言う時のプレッシャーに耐える訓練ができるかだと思う。

ここぞの状況判断が上手に出来る事が前提だろう。

 

やはり一日一日をある種の緊張感を持って仕事をこなしていく積み重ねと困難なときのユーモア感覚。

そして良くない出来事やニュースを引きずらず、それに負けない事ではないだろうか、、、、。


●汐留シオサイトのイタリア街

2009-08-18 22:23:22 | Weblog

 

愚図ついていた天気も、お盆が過ぎたら回復し暑い一日となった今日、久し振りに打ち合わせで、汐留シオサイトに行った。

汐留シオサイトに沿って喧騒の第一京浜を歩いて行くと、しばらくして汐留の無機質な超高層ビルと対照的な色彩華やかなイタリア風の町並みの一角が見えてくる。

 

私はまったく知らなかったが、この地域一体をイタリア風の町並みに構成する計画が進んでいる。

石畳の舗装とアーチやポルティコを備えた、色彩も赤やオレンジを基調としたビルが集積し、賃貸オフィスや、住宅、レストランバーなどが入居していると聞く。

 

建築の専門家としてみると、それはイタリアの中世的な色合いの雰囲気だが、建物自体の高さは結構高く、道路も広く近代的な町の骨格なので、その組み合わせが何となく陳腐に見えるが、中々面白い試みではないかと思う。

ちょっとした映画のセットのようにも見える。

 

十数年前に私はこの汐留地区の計画に何回かチャレンジしたことがある。

超高層ビルと、ペデストリアンデッキの組み合わせはうまく行かない事がわかっていたので、超高層ビルの足元は花びらが開くようにステップした基盤で構成し、それが連続していくような形態を提案した。

そのヒントはイタリア中世の丘状の町並みにあった。

 

まだ、集積した都市の形を取れていない汐留シオサイトの隣地でこのようなイタリア風な街づくりが展開されるとは、何となく奇異な感じがしないでもない。

しかしそれはそれで新橋の殺伐とした町並みの中で、この一帯は何となく一種のテーマパークの雰囲気を感じさせ、潤いを与えてくれる。

 

この開発をプロデュースしたデヴェロッパーはどこか知らないが、かなりの広さである。

今はオフィスと住宅、レストラン程度の構成なのでまったくハードのみの街づくりであるが、いずれホテルや映画館も出来上がると聞く。

その中に中央競馬会の馬券売り場ウインズ汐留の建物もあり、これも列柱が並んだ西洋風なのも驚いた。

 

まとまった地域の開発形態は、六本木ヒルズやミッドタウンのような大規模コンプレックス、汐留の超高層ビルとデッキの組み合わせ、そしてこのイタリー街のようなテーマパーク型ともう定番になったようなものばかりである。

そしてどれもしばし佇んでいたいと言う気持ちを起こさせてくれないのは何故だろう。

 

ミラノのギャレリアの落ち着いたカフェの空間で、何時までも座っていたいと思ったことと何かが違うように思う。


●寡にして衆を制す

2009-08-15 17:07:58 | Weblog

 

ドイツの代表的な車のメーカー、フォルクスワーゲンとポルシェが2011年を目処にフォルクスワーゲンの主導で経営統合をするという。

今年の1月には、ポルシェによる、フォルクスワーゲンの小会社化が発表されたばかりだが、様々な経緯を経て落ち着くところに着地したようだ。

 

世界的なスポーツカーメーカーのポルシェも1980年代後半の米国不況の煽りで業績不振に陥った。

1991年新たに就任したヴェンデリン・ヴィーデリングCEOにより、低価格のボクスターや、流行となったSUVのカイエンの発売で窮地を脱出、その後は安定した経営で最近ポルシェ博物館も新設したばかりであった。

 

その後彼は何を思ったのか、関連大企業のフォルクスワーゲンを傘下に収めようと画策する。

どうもその背景には昨今の金融の肥大化があったようだ。

 

ポルシェは有名メーカーとは言え、年間販売台数は精々10万台、従業員は1万人である。

一方のフォルクスワーゲンは、年間600万台の販売台数で従業員35万人を抱える大企業。

もともとポルシェ博士の国民車構想を根元に持つ兄弟会社とは言え、一瞬これは最近ではまれな”小が大を飲む痛快事”ではないかと思った。

ヨーロッパの自動車業界で何か起こっているのかもしれないと思わせたが、金融危機が表面化しあっけない幕切れとなった。

 

信長の桶狭間の奇襲戦、義経の数々の戦略で明らかなように、日本的には”小よく大を制す”や、”柔により剛を破る”などの価値観が人気を集める。

判官びいきの国民性もあるが、世界的には衆寡争わずと言われるように、総じて大きいほうが有利に運ぶことが通例である。

 

そんな中で起きた欧州の車メーカーの再編劇。

これを期にプジョーとBMWなどの提携が表面化して再編に拍車がかかると言う。

 

 しかしわが身に置き換えると、建築業界の中で小規模にやってきたものにとって、簡単に”寡にして衆を制す”価値観を捨て去るわけにはいかない。

中国の兵書、六韜三略には”寡を持って衆に勝つは恩也。弱を持って強に勝つは民なり”と言う言葉がある。

 

恩とは平素の思慮の事で、いみじくも常日頃の行いや慮りを積み重ねれば、寡と言えども衆を打ち負かすことが可能だと言う格言である。

 

莫大な報酬を取るポルシェCEOも、金融に踊らされもう一つ詰めが甘かったのかも知れないと思う。


●真夏の森林浴

2009-08-13 20:20:45 | Weblog

 

昨日までの悪天候で、首都圏の海水浴場は来客が少なく大変である。

気温も低く逆に温泉場にお客が流れ、都心の店ではおでんの売れ行きが良いと言う珍現象まで出ているようだ。

 

今日から、一般の企業がお盆休みに入り電車や色々な施設でも人が疎らとなった。

午後から久し振りに晴れ間が見え、短時間ではあったが近くの保土ヶ谷公園で真夏の森林浴と洒落込んでみた。

 

私は、毎年必ず風邪を引くし体が丈夫な方ではないが、修業時代に建築現場で監督さんに真夏のゴルフの洗礼を受けたことがある。

炎天下のゴルフ場で、暑さで何もわからなくなりながら、とにかく白球を追って歩く。

若いから持ったのだろうが、不思議にその年はまったく風邪を引かなかった経験がある。

 

それ以来、ゴルフはしなくても、真夏はプールサイドや日光浴などで極力熱い太陽を浴びることにしているが、今年は晴天の日が少なく、いささかストレスが溜まっている。

 

保土ヶ谷公園のテニスコート・エリアの隣地の部分が、かなり大きな樹木が植えてある雑木林となっており、ベンチにタオルを敷き水着で寝転んで、紫外線と緑の香りを体一杯受け止める。

森林浴の効用と言うか、緑の樹木からは”フィトンチッド”なる物質が発散され、人体に好影響があることがわかっている。

肝臓の活動を高める酵素の活性化、香りによる清涼効果、生理機能の促進など、、、。

 

日光浴の効果も解明されており、人体の骨や歯の形成に必要なビタミンDは太陽光を浴びる事でコレステロールを変化させ、必要量の半分以上がまかなえると言う。

又植物同様、光合成の上で最近ではガン細胞の制御にも効果があると聞いた事もある。

 

 近くで同じように木陰でじっと佇んで、読書をしている人もおり、これが本当の森林浴だろうが、私は強い日差しを浴びながら、我流の森林浴でオゾンを吸収する。

時折、どんな現象か樹林を涼しい風が私の熱くなった肌を冷ますように通り抜けていく。

 

この樹林のそばのサッカー場がある付属屋に、カフェテラスも出来て遠方まで行かなくても、快適な身近なリゾートを発見した気分であった。


●弱者の兵法・・・野村克也

2009-08-11 18:21:10 | Weblog

 

昨日から今日にかけて大雨や地震があったりで、大きな天変地異の前触れかと恐ろしくなるが、生憎の天候で昨日は溜まった雑用を片付けた。

何か余り難しくなく、面白い本を読みたくなりちょうど楽天の野村監督が、最近表した”弱者の兵法”が目に付いて買って目を通してみた。

 

氏が、若くして南海ホークスのプレーイングマネジャーを経験してから、ヤクルトスワローズを日本一にし、更に阪神、そして今楽天イーグルズの監督として現在も引き続く、監督業という修業を通して見つめ続けた、人間観察の面白い一冊となっている。

 

氏の現役時代には、王、長島と言うどんなに頑張っても超えられないスーパースターがいた。監督になってからも同様であった。

その中で自らのハンディを克服し、這い上がる努力の中から独特の”弱者の兵法”を身に着けて行く。

 

弱者の兵法とは一言で言うと”無形の力”だという。

常識的に野球は体力、気力に優れた人間が勝つスポーツで、有形の力の作用するゲームであるが、一方でチームプレーによる、意外性のあるスポーツでもある。

そして100%強者が勝つものでもない。

野村監督はここに注目し、体力気力に劣るものは”知力”を使えと言う。

ここにデーター野球と言われる氏の原点があるようだ。

 

結局人間が相手のスポーツだから、相手をよく研究して、勝つ工夫をすることに尽きる。

孫子に言う。”敵を知り、己を知らば百戦危うからず”である。

 

知力というのは、研究ばかりでなく駆け引きもある。

舌戦も弱者の武器で氏はよく王・長島にフェイントを仕掛けたと言う。

一種の奇策であろう。

これまた孫子の言う”正を持って合し、奇を持って勝つ”の通りである。

 

これらの経験を基にして積み上げられた、野村監督の弱者の兵法は、最終的には一人間としての完成に向けての努力そのものが、弱者の兵法となることを匂わせている。

 

必ずしもスターとして入団したわけではない、氏のこれらの努力のあとは、氏自身から見ると弱者の兵法かも知れないが、私からみると、立派な勝者の闘う哲学に見える。

孫子の良く言う情報戦、リデルハートの言う間接的アプローチの要諦がここに記されているように思う。

 

とにかく弱者は色々な事を工夫して何とか戦う。

そして負けてもすぐにあきらめず繰り返し挑戦する事に尽きる。

 

楽天の三木谷オーナーは、来期は野村監督に変え、新監督を招く事を公言している。

74歳の老監督は、ここでおめおめ引き下がるのだろうか?

 

ここでこそ持ち前の弱者の兵法で、オーナーに一泡吹かせてくれることを期待したいと思う。